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アダム・スミス  堂目卓生 中公新書

2008-06-07 23:13:28 | Weblog


アダム・スミス  堂目卓生 中公新書

アダム・スミスの「国富論」は政府による市場の規制を撤廃し、競争を促進することによって経済成長率を高め、豊かで強い国を作るべきだというメッセージだと受け取られてきた。有名な「見えざる手」は、利己心にもとづいた個人の利益追求行動を市場の価格調整メカニズムとして理解されてきた。本書はこのような解釈によって作られるスミスの自由放任主義者のイメージをもう一つの著作「道徳感情論」によって修正しようというものである。
 スミスは言う、心の平静を得るためには、最低水準の収入を得て、健康で、負債がなく、良心にやましいところがない生活を送らなければならない。しかし、それ以上の財産の追加は幸福を大きく増進するものではないと。同感と言わねばならない。スミスのモラリストの側面を理解すれば、ただ単に自由競争の推進者という評価では物足りない。また言う、人類の尊敬と感嘆に値し、それを獲得し享受することは、野心と競争心の大きな目標である。それほど熱心に求められているこの目標に等しく到達する二つの違った道が、我々に提示されている。ひとつは英知の探求と徳の実行によるものであり、もうひとつは冨と地位の獲得によるものである。ところが、世間にとって英知と徳は見えにくいものであり、冨と地位は見えやすい。よって世間の尊敬は、英知と徳のある人よりも、裕福な人、社会的地位の高い人に向けられがちになると。これまた同感。いくら本を読んで、蔵書があっても、それがどうしたそんなものなんの意味がある。金と地位を持っている者こそが勝利者、偉いのだというのが世間の評価。こつこつと清貧に甘んじながら、文化的営為を続ける者を大事にしなければ、野蛮国になってしまう。どこかのバカな知事が文化施設をどんどん廃止して野蛮国に転落させようとしている。一度書物を手にとって読んだらどうなんだい。漱石全集から始めて、芥川、鴎外、志賀直哉全集まで行けば、初級知識人と言えるだろう。そのときの目で自分のやった所業を振り返るとき、初めて自分の愚かさがわかるだろう。

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