読書日記

いろいろな本のレビュー

銀閣の人 門井慶喜 角川書店

2020-11-07 10:42:14 | Weblog
 本書は銀閣寺を創建した室町幕府八代将軍(在位1449~1473)・足利義政の人生をたどったもので、政治家でありながら芸術・文化に傾倒していくプロセスが描かれている。彼は金閣寺で有名な足利義満の孫で、父は六代将軍足利義教、母は日野重子、早世した七代将軍足利義勝の同母弟にあたる。

 彼が文化芸術に内向する要因は、応仁の乱という京都を中心に展開された守護大名の戦に巻き込まれたということと、政治的人間だった妻・日野富子との愛憎半ばする夫婦生活と富子の実家の日野家との確執、さらに金閣寺を創建した偉大なる祖父・足利義満への反発等があげられるが、著者はそれらの事項を丁寧に追って芸術家・義政を描いている。現実が厳しければ厳しいほど、その逃避手段を考えるのが人の常だが、義政は東山の地に精神の理想郷を作ろうとした。しかも金閣寺のアンチテーゼとなるものを。

 その核となるのは「わび・さび」の理念であり、これを継承化したのが銀閣寺である。その銀閣寺東求堂の中の一室「同仁斎」が義政の美意識の結晶となったのだ。この部屋は付け書院と違い棚を並び備えた四畳半で、茶室の始まりとされる。しかし義政はこの部屋を書斎とのみ考えていた。この五畳でも六畳でもなく四畳半という間取りは義政のアイデアで、半畳というところが独創的だ。普通、人はすっきり割り切れるのが好きで「あまり」が出るのを嫌うが、あえて自慢の書院を四畳半にしたところに芸術家義政の真骨頂がある。このミクロコスモスの中に彼は永遠の美を見出したのだ。それは現実の人生がいかに過酷であっても、ここにはそれを補って余りある安逸の世界が広がっているのだ。

 足利将軍は政権基盤が弱く、守護大名との確執をいかに乗り越えるかが大きな課題であった。それゆえに管領家の人事に口を出したりして争いが起こることもしばしばであった。応仁の乱はまさにその典型と言えよう。現実の過酷さを表す事件として挙げられているのが、義政の父義教が赤松満祐の屋敷で宴会に招待され、そこで暗殺される場面だ。本書では、この席に五歳の義政が同席しており、父の首がはねられるのを目撃したと書いてある。危うく難を逃れて逃げ帰ったがこれがトラウマとして残ったことは間違いない。この足利義教は五代将軍足利義持の同母弟で、義持は病死するのだがその前に後継者を指名しなかったので、くじ引きで選ばれた。その時は出家して青蓮院門跡となっていたが、還俗して六代将軍となった。就任後幕府の権威を回復するために恐怖政治を敷いたので、反発を受けて先のように暗殺される結果となった。

 義政にとって父がかくも簡単に暗殺されるのを目の当たりにして、現実逃避のメンタリティーは弥増しに増したことだろう。この暗殺の場面はリアルで著者の筆致が冴えわたっている。この原体験こそは現実の生きがたさを象徴するものであり、義政が東求堂・同仁斎に向かうベクトルとなったことは確かだ。

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