オオカミ少女はいなかった 鈴木光太郎 新曜社
心理学の数々の迷信や誤信がいかに生み出され、流布されていくのか、その過程を明らかにしたもの。表題のエピソード以外に「まぼろしのサブリミナル」「なぜ母親は赤ちゃんを左胸で抱くか」「ワトソンとアルバート坊や」(ワトソンの育児書)など、有名なものが取り上げられている。心理学だけに嘘と相関関係が深く、眉唾ものが多いのは何となくわかっていたが、これほど捏造されていたとは驚きだ。
オオカミが人間の赤ちゃんを育てることはありえないと考えるのが普通だが、真相はどうだったのか。著者の見解はこうだ、「別々に森に遺棄され、なんとか生き延びた二人の女の子がいた。(オオカミに育てられたのではなかった)。ある時、彼女らは村人達にいけどりにされるが、言葉を話さず解さないため、その処置に困っていたところに、たまたま伝道旅行で牧師のシング(オオカミ少女を捏造した本人)がやってきた。村人たちは、シングに子どもたちを託した。シングは彼女たちを自分の孤児院で育てるうちにオオカミ少女に仕立て上げた。」古代ローマを建国したロムルスとレムスはオオカミに育てられたという伝説は世界史の教科書にも載っているが、オオカミ少女アマラとカマラはこれとよく似ている。受け入れられやすい下地があったのだろう。
サブリミナル効果とは映画などの中に、瞬間とさえ言えない短時間のメッセージが書かれた画面を繰り返し映写すると、無意識のうちにそのメッセージに影響されるというものである。1956年にアメリカ、ニュージャージー州の映画館で、広告業者のジェイムズ・ヴィカリーはウイリアム・ホールデン主演の映画「ピクニック」の中に、「ポップコーンを食べろ」とか「コカコーラを飲め」というメッセージを流したのが、最初だ。これで売り上げが大きく伸びたというのだが、この実験についての論文も報告も無く、与太話の一つにすぎないと著者は断言する。これが広まり信じられる背景には、フロイトの精神分析法がアメリカで根をおろしつつあったことや、ナチスがどうしてドイツ国民の支持を得、ユダヤ人の大量虐殺を始めとしてさまざまな非人道的なことを実行したり、許容したりすることができたのか。なぜ人は煽動されてしまうのかというように、同調行動、集団の圧力、説得が研究の焦点として盛んに研究されていたことが指摘されている。サブリミナル広告は、まさにそうした大衆の心理操作の恐るべき事例でありえたのである。現代はテレビの普及によって、意識そのものに同じメッセージ流し続けて、一種のマインド・コントロール状態になっている。既に意識下を刺激するという複雑な作業は必要ないのだ。第8章の「ワトソンの育児書」の恐怖条件付けに関わって、為政者や権力者が、あるいは国家が、条件付けによって人間をコントロールしようと考えたとき、どういうことになってしまうか。ナチスの台頭によって、科学の名を借りた人種政策や優性主義的政策が行われ、数知れぬ人々が犠牲となった歴史を忘れてはならない。ナチスの生成と消滅の過程を検証することは人類の生存を欠けた重大な要件になると思う。歴史に学ばねばならない。その意味で、テレビ等のメディアによって無能化された人間が再生産されていくと、批判力を持った人間はいなくなり、国家は全体主義に牛耳られる危惧がある。その流れで、教育もそのお先棒をかつがされるのだ。教育の権力からの独立はわが国の「教育基本法」にきちんと謳われているわけで、権力の教育介入は阻止しなければならない。であるがゆえに、「くそ教育委員会」とほざいている某知事は今すぐ退場すべきだと考える。