本書はヒトラー台頭期にベルリンに滞在したアメリカ人たちのインタビューによる証言、個人の手紙、未公開資料によって、彼らのナチスドイツ観を描いたものである。以前取り上げた『第三帝国の愛人』(エリック・ラーソン・岩波書店)はルーズベルト大統領によってドイツ大使に任命されたシカゴ大学の歴史学教授、ウイリアム・トッドと娘のマーサを中心にしてナチスドイツの状況を描いたものだったが、今回はさらに多くの人々(ほとんどがジャーナリスト)の証言が列挙されている。
彼らに共通するのはドイツが非常に秩序立った国で、ドイツ人も親切だという印象を持ったということである。その中でヒトラーは超人的な弁舌で、第一次大戦後の疲弊したドイツを復興する救世主という位置付けで、その危険性を察知する者は少なかった。それというのも、アメリカ国内では、自動車王のヘンリー・フオードは反ユダヤ主義者で、ユダヤ人に対する偏見が一定の幅を利かせていたことや、飛行機王のチャールズ・リンドバーグは親ヒトラーでナチスを肯定する演説を繰り返していたことで、1940年時点でアメリカは親ドイツという状況であったからだ。
そのためにナチスドイツの擁護者もでる始末であった。その目くらましの代表的なものがベルリンオリンピックである。作家のトーマス・ウルフはヒトラーがオリンピック会場に現れたときの様子を次のように述べている。「ついに彼は来た。草原を吹き渡る風のような何かが、集まった群衆の間を震えながら駆け抜けると、はるかかなたから、彼とともに潮流が押し寄せ、その中には声が、希望が、この国の祈りが込められていた。ヒトラーは到着するとピカピカに磨かれた車に直立不動で立ったまま、片腕の手の平を上に向けて、ナチ式敬礼のようにではなく、まっすぐ上に伸ばしたが、それはブッダや救世主が祝福を授けるときの動きにも似ていた」と。大衆を酔わせるこの戦術に多くの人が嵌められてしまった。ナチの暴力性が見えなくなった所以である。
その中にあって、ジャーナリストのウイリアム・シャイラーはいち早くヒトラーの危険性を見抜き、ナチズムの暴力性の本質を見抜いていた。後に『第三帝国の興亡』でその名を広く知らしめた。しかしヒトラー支配下のドイツにいた多くのアメリカ人は、ユダヤ人に対する弾圧が行なわれている最中にも、ことの本質を見抜けず表面的な現象しか見ていなかった。
とは言え、最終的には大半のアメリカ人は何が起こっているのかを理解した。しかしその意味するところを完全に理解するのは容易なことではなかった。その理由として著者は「何しろ彼らは、民主主義的かつ実利的な国からやってきて、狂気のイデオロギーのもとでおぞましい変貌を遂げつつある社会に投げ込まれたのだから無理はない」と述べている。
ここからいろんな教訓を学ぶことができる。歴史に学ぶというのが第一点。想像力を働かせるというのが第二点。その他いろいろありそうだ。
彼らに共通するのはドイツが非常に秩序立った国で、ドイツ人も親切だという印象を持ったということである。その中でヒトラーは超人的な弁舌で、第一次大戦後の疲弊したドイツを復興する救世主という位置付けで、その危険性を察知する者は少なかった。それというのも、アメリカ国内では、自動車王のヘンリー・フオードは反ユダヤ主義者で、ユダヤ人に対する偏見が一定の幅を利かせていたことや、飛行機王のチャールズ・リンドバーグは親ヒトラーでナチスを肯定する演説を繰り返していたことで、1940年時点でアメリカは親ドイツという状況であったからだ。
そのためにナチスドイツの擁護者もでる始末であった。その目くらましの代表的なものがベルリンオリンピックである。作家のトーマス・ウルフはヒトラーがオリンピック会場に現れたときの様子を次のように述べている。「ついに彼は来た。草原を吹き渡る風のような何かが、集まった群衆の間を震えながら駆け抜けると、はるかかなたから、彼とともに潮流が押し寄せ、その中には声が、希望が、この国の祈りが込められていた。ヒトラーは到着するとピカピカに磨かれた車に直立不動で立ったまま、片腕の手の平を上に向けて、ナチ式敬礼のようにではなく、まっすぐ上に伸ばしたが、それはブッダや救世主が祝福を授けるときの動きにも似ていた」と。大衆を酔わせるこの戦術に多くの人が嵌められてしまった。ナチの暴力性が見えなくなった所以である。
その中にあって、ジャーナリストのウイリアム・シャイラーはいち早くヒトラーの危険性を見抜き、ナチズムの暴力性の本質を見抜いていた。後に『第三帝国の興亡』でその名を広く知らしめた。しかしヒトラー支配下のドイツにいた多くのアメリカ人は、ユダヤ人に対する弾圧が行なわれている最中にも、ことの本質を見抜けず表面的な現象しか見ていなかった。
とは言え、最終的には大半のアメリカ人は何が起こっているのかを理解した。しかしその意味するところを完全に理解するのは容易なことではなかった。その理由として著者は「何しろ彼らは、民主主義的かつ実利的な国からやってきて、狂気のイデオロギーのもとでおぞましい変貌を遂げつつある社会に投げ込まれたのだから無理はない」と述べている。
ここからいろんな教訓を学ぶことができる。歴史に学ぶというのが第一点。想像力を働かせるというのが第二点。その他いろいろありそうだ。