読書日記

いろいろな本のレビュー

私は中国の指導者の通訳だった 周斌 岩波書店

2015-07-17 09:27:32 | Weblog
 著者は1934年中国蘇州生まれ。1958年北京大学東方言語文学学部日本語専攻卒。その後中国外交部に入り、日本語通訳として勤務。1984年人民日報社国際部で記者を勤め、2004年に退職。本書はその回顧録で、日中外交の内幕を通訳の業務を通して描いている。ハイライトは、1972年9月の日中国交正常化時の首脳会談での仕事ぶりである。この時の日本の首相は田中角栄で、中国側の代表は周恩来総理であった。田中は周総理主催の歓迎晩餐会での挨拶で、「長い間、絶大なご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます」と言った言葉が、日本側の通訳を通して述べられた瞬間、会場はシーンとなってしまったという。この時、日本側の通訳は「很大的麻煩」と訳したのだが、この「麻煩」という言葉は、足を踏んだり、スカートに水をかけたりした場合に使うもので、戦争のような場合の謝罪には絶対使われないもので、中国側は大変怒って、周総理が別れ際に田中首相に抗議したという。この一件は日本でも報道され大変話題になった。この時、日本側は4人の通訳を連れて来ていたが、その中では一番優秀なハルビン出身できちんと中国語ができる人だったという。
 田中首相は周総理との雑談で、「自分はいま五十四歳で~」と若くして権力の頂点に立ったということを自慢したところ、周総理は「そうですか、私は五十一歳で総理になって、もう二十一年になります」と答えると、それ以後、田中首相は年齢の話をしなくなったという。中国の大人にに対していかにも無遠慮というか、底の浅さを露呈してしまった。また田中は自作の漢詩を披露したのだが、その時「北京の秋空は澄んで云々」と詠んだ。「空」は漢詩では「天」と書くべき所である。本書にこの話は書かれていないが、これも有名になった。中国の政治家は伝統的に詩文を能くするので油断できない。教養の無さを笑われないように研鑽をつむ必要がある。今の我が国の首相の教養では、聊か不安な気がする。
 本書では田中に同行した大平正芳外相を一流の人物である誉めている。鈍牛とからかわれたが人間的には素晴らしかった。私も同感である。著者は周総理も絶賛している。毛沢東に仕え、共産党内で生き残った彼の人間力はタダものではない。1970年代は日中双方とも偉大な政治家が多かった。それに比べると今はずいぶん小粒になった。中国からの危機をあおって集団的自衛権行使を閣議決定した我が国の首相は、もう一度この時期の日中関係の資料を検討して、平和的互恵関係を構築すべく努力しなければならない。



 

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