こんな日本でよかったね 内田樹 バジリコ
副題は「構造主義的日本論」で、著者によれば「構造主義的」とは「自分の判断の客観性を過大評価しない」という態度らしい。もっと分かりやすく言うと「自分の眼にはウロコが入っているということをいつも勘定に入れて、『自分の眼にみえるもの』について語る」ということだ。そのような眼で見た制度論、日本論、人生論である。思想家らしい鋭い指摘が随所にちりばめられている。
例えば、「言論と自由と時間」の一節「民主主義社会における私たちの人権は『誤り得る自由』も含んでいる。『誤り得る自由』が認められず、『正解する自由』だけしか認められない社会というのは、人間が知的であったり、倫理的であったりする可能性が損なわれる抑圧的で暗鬱な社会である」は人権の根源的意味を説明して、見事である。また「格差社会」を定義して「それは格差が拡大し、固定化した社会というよりはむしろ、金の全能性が過大評価されたせいで人間を序列化する基準として金以外のものさしがなくなった社会のことではないのか」と拝金主義の横行する現状を一刀両断にする。また「少子化」は「個人の原子化」が急激に進行させたもので、それを助長したのが、自己決定、自己実現、自己責任、そして「自分さがし」イデオロギーだと言う。しかもこのイデオロギーは国策として日本政府が宣布したものであり、それらの政策の劇的な成果として、他者と共同生活を営むことを忌避する日本人が大量に発生したという指摘は鋭い。思索の積み重ねによる重厚かつ洒脱な言葉が綴られたその地平に、平和国家日本の病理が垣間見えるという趣向は、インテリジェンスを感じさせる。