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宗教に揺れる国際関係 蓮見博昭 日本評論社

2008-09-14 21:31:26 | Weblog

宗教に揺れる国際関係 蓮見博昭 日本評論社



 副題に「米国キリスト教の功と罪」とある。最近アメリカは付き合いづらい国になってきたと言われるが、本書はアメリカの国際関係、対外関係と宗教、特にキリスト教の関わりをいくつかの側面から検討を加えたものである。
 ヨーロッパ人はアメリカを宗教的すぎると考える割合が結構多く、これが反米感情に繋がっていると筆者は言う。9,11以降アメリカのイスラム教に対する攻撃はファナティックと言っていいほどのものだった。敵を殲滅するのは神の思し召しとばかり、世界を善と悪の二元論に収斂させ、武力攻撃を正当化したことは記憶に新しい。その正当化の手段としてキリスト教が利用されているのである。特にプロテスタントの福音派がネオコンの拠点となっていることはしっかりと押さえておかなければならない。最近のアメリカの軍事介入は宗教テロの様相を呈しており、非常に憂慮すべき事態になりつつある。また福音派は旧・新約聖書を歴史的・文法的解釈(文字通りの解釈)と呼ばれるものによって、国家としてイスラエルについての約束が、救い主イエス・キリスト自身が支配する「地上の国」における成就に存する点で、旧・新約聖書が終末論的に一致しているとみなす救済史観に立つものである。かいつまんで言えば、千年王国説に基づき、イエス・キリストが再臨して建国・支配する地上の王国で、国家としてのイスラエルの復興も実現すると考えるわけである。これは独自の聖書解釈で「経綸主義」と呼ばれるものだ。ネオコンに牛耳られたアメリカがイスラエルに肩入れする理由はここにある。
 このようなキリスト教原理主義は比べようもない悪と戦い、それによって世界を救済するのだとして、第二次大戦において無差別爆撃を正当化した。それが広島・長崎への原爆投下で頂点に達したことは言うまでも無い。どうしてあのような残虐な行為ができるのかと思っていたが、一種の宗教的陶酔というべきものによって行われたのである。イスラムの聖戦とどう違うのか。アメリカにイスラム教を非難する資格は無い。
 このような宗教的信念によってなされるアメリカの国際政治外交に日本はどういうスタンスで対応するのか。いつまでもアメリカの番犬状態では大いなる禍根を残すことになるだろう。日本の国益を真剣に考えねば。

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