歴史・伝統・文化は「こと」である。
それは言葉でできている。
歴史とはヒトの「こと」の流れ、
伝統はそれが今に残ってるもの、
文化はそれら諸々の総体である、
これらは言葉そのものではない、
でも言葉なくして存在しえない、
ゆえ言語にはそれらすべてが反映されている。
日本は日本語でできている。
日本人とは日本語を母語とする人のこと。
言わずもがな、日本語が、言葉が、その核にある。
そこで文明である。
これは今にあるだけでなく明かりとなる、
これから行く道先を照らす明かりとなる、
そういう側面を持っていて謂うもの。
日本語は一音一意・一字一意であり、
下手な理屈は不要、言葉自体にイがある。
日本語とはそういう言語である。
てか文明とは字義の通りのもの。
てかそこに一つ疑問が。
・・・・・
言葉は実ではない。
言葉は実に貼ったレッテルでしかない。
レッテルを貼っても実は変らない。
でもそれを正しく想起させるなら、そこにイが生れる。
ヒトは言葉を持ったときそれゆえに言葉に力を感じる。
それが言葉を育てる。
そして更に大きく発展する。
それが高じて終には言葉に取り込まれてしまう。
かくて実は知らずレッテルにのみ捉われて。
そのとき嘘と狂気に満ちた世界となる。
これは人の劣化であり退化である。
てか神的に言えばこれも進化。
思えばこれ文明の宿命か。
これを言う人がいる。
その人の著書はことごとく読んでいる。
うえの話はその人の主題ではない。
ついでに記されていただけ。
でも正にそうかもと。
現下の人間文明はおおよそ7~8千年のこと。
最終氷期以降のことらしい。
しても言葉はいつごろ持ったのか。
それはもっともっと古い話だろう。
なら言葉の力を想えば、
それ以前にも文明があったろうと、
しかもその文明以前にも更に更に古い文明が。
言葉の発展と退化は人間の発展と退化。
てかそれを繰り返してきたのか。
それを想う。
これは避けられないことか。
そうかも知れない。
イエスはそれを知っていた。
てかマタイの福音書には記されている。
オリブ山にいるとき弟子らが問うた。
世の終わりにはどんな前兆があるのか、と。
答えて言われた。
人に惑わされないよう気をつけなさい、
多くの者が私の名を名乗って人々を惑わす、
また戦争と戦争のうわさとを聞く、
民は民に国は国に敵対して立ち上がる、
不法が蔓延り人々の愛はさめる、
またあちこちに飢饉があり地震がある、
てか更に諸々…、
そして終にそれを見る、
そのとき人の子のしるしが天に現れる、
人の子が天の雲に乗って来る、
…。
という話ですが、
これが所謂イエスの再臨であり、
ときに新しい世となるのである。
てかこれは文明も循環するということか、
すべての命が循環している様に。
それを想う。
・・・・・
現下の様はまことに酷い。
世界には嘘と狂気が溢れている。
言葉が本来の意味・意義を喪失。
神の事の場は本来は中立。
そこにイを見るは人の心。
なのに「こと」を見失い、
もって「こと」の源の魂を亡失。
ときに心が枯れて言葉はイを持たず。
ゆえイなきレッテルに振り回されるのみ。
そこで声高に振り回されるのがプロパガンダ。
てかその極みはポリコレ。
ポリコレは言葉の墓場か。
ちなみに、ゆえに、
このままではディズニー?は出られない、
その墓場から出られない。
てか又ちょっと逸れたが。
イエスはあれほど惑わされるなと言っていたのに。
てかこれはヒトの言葉の宿命か。
文明が終焉するのは。
欧米は歴史を直線で捉えるようだが、
ゆえ一方的に進歩すると思っている。
思えば進化と退化は同じものであり、
ヒトの都合でどちらにも取れるもの。
思うに現実は直線ではない。
現実は運動振動波動であり、
それは螺旋状を行きつ戻りつしてるもの、
そんな円環の世界であると。
ゆえ文明もまた行きつ戻りつか、
そう思うのです。
うん、
それは言葉でできている。
歴史とはヒトの「こと」の流れ、
伝統はそれが今に残ってるもの、
文化はそれら諸々の総体である、
これらは言葉そのものではない、
でも言葉なくして存在しえない、
ゆえ言語にはそれらすべてが反映されている。
日本は日本語でできている。
日本人とは日本語を母語とする人のこと。
言わずもがな、日本語が、言葉が、その核にある。
そこで文明である。
これは今にあるだけでなく明かりとなる、
これから行く道先を照らす明かりとなる、
そういう側面を持っていて謂うもの。
日本語は一音一意・一字一意であり、
下手な理屈は不要、言葉自体にイがある。
日本語とはそういう言語である。
てか文明とは字義の通りのもの。
てかそこに一つ疑問が。
・・・・・
言葉は実ではない。
言葉は実に貼ったレッテルでしかない。
レッテルを貼っても実は変らない。
でもそれを正しく想起させるなら、そこにイが生れる。
ヒトは言葉を持ったときそれゆえに言葉に力を感じる。
それが言葉を育てる。
そして更に大きく発展する。
それが高じて終には言葉に取り込まれてしまう。
かくて実は知らずレッテルにのみ捉われて。
そのとき嘘と狂気に満ちた世界となる。
これは人の劣化であり退化である。
てか神的に言えばこれも進化。
思えばこれ文明の宿命か。
これを言う人がいる。
その人の著書はことごとく読んでいる。
うえの話はその人の主題ではない。
ついでに記されていただけ。
でも正にそうかもと。
現下の人間文明はおおよそ7~8千年のこと。
最終氷期以降のことらしい。
しても言葉はいつごろ持ったのか。
それはもっともっと古い話だろう。
なら言葉の力を想えば、
それ以前にも文明があったろうと、
しかもその文明以前にも更に更に古い文明が。
言葉の発展と退化は人間の発展と退化。
てかそれを繰り返してきたのか。
それを想う。
これは避けられないことか。
そうかも知れない。
イエスはそれを知っていた。
てかマタイの福音書には記されている。
オリブ山にいるとき弟子らが問うた。
世の終わりにはどんな前兆があるのか、と。
答えて言われた。
人に惑わされないよう気をつけなさい、
多くの者が私の名を名乗って人々を惑わす、
また戦争と戦争のうわさとを聞く、
民は民に国は国に敵対して立ち上がる、
不法が蔓延り人々の愛はさめる、
またあちこちに飢饉があり地震がある、
てか更に諸々…、
そして終にそれを見る、
そのとき人の子のしるしが天に現れる、
人の子が天の雲に乗って来る、
…。
という話ですが、
これが所謂イエスの再臨であり、
ときに新しい世となるのである。
てかこれは文明も循環するということか、
すべての命が循環している様に。
それを想う。
・・・・・
現下の様はまことに酷い。
世界には嘘と狂気が溢れている。
言葉が本来の意味・意義を喪失。
神の事の場は本来は中立。
そこにイを見るは人の心。
なのに「こと」を見失い、
もって「こと」の源の魂を亡失。
ときに心が枯れて言葉はイを持たず。
ゆえイなきレッテルに振り回されるのみ。
そこで声高に振り回されるのがプロパガンダ。
てかその極みはポリコレ。
ポリコレは言葉の墓場か。
ちなみに、ゆえに、
このままではディズニー?は出られない、
その墓場から出られない。
てか又ちょっと逸れたが。
イエスはあれほど惑わされるなと言っていたのに。
てかこれはヒトの言葉の宿命か。
文明が終焉するのは。
欧米は歴史を直線で捉えるようだが、
ゆえ一方的に進歩すると思っている。
思えば進化と退化は同じものであり、
ヒトの都合でどちらにも取れるもの。
思うに現実は直線ではない。
現実は運動振動波動であり、
それは螺旋状を行きつ戻りつしてるもの、
そんな円環の世界であると。
ゆえ文明もまた行きつ戻りつか、
そう思うのです。
うん、
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