最近のアニメには魔法使いがよく出てくる。
それも多くは女である。
なぜか所謂魔女なのだ。
男の魔法使いもいるが、主役はいつも女である。
なぜかそういうことに。
でもこれは納得できる。
ヒトは己の手だけでは何も作れない。
それにこれは女だけが為せる技だが、
そも最も大事なこと命を作ることも。
この大事もまさにそう、
てか大事だからこそ尚のことか。
思えばヒトの技だけで作れるものは何一つない。
すべて神の事の場の理(ことわり)をもって為すのみ。
あらためて言うことではないが。
でもこれを想おう。
してもなぜ魔女なのか。
命にとって一番の大事は命。
それを託されたのが女なのです。
それが神の事の場のことわりの意思。
してもそのイメージはこれまでとは違う。
それはお婆さんではなく今や少女である。
あのフリーレンやフェルンのような。
思えばジブリのアニメもその様、
なぜか少女が多いのである。
多くは魔女ではないが。
てか私の心もまた、
その様にある。
海恋し潮の遠鳴り数えては乙女となりし父母の家、
この歌が心魂にしみる。
・・・・・
思えば、人間は魔法使いである。
それは神の事の場の理の一端を自覚的に捉えたがゆえ。
それが魔法の種であり、それが正に言葉である。
しても根本的に重要なこと、
子を生み子を育て世に出し、
命の世をさらに次に繋げる。
てかこれは人だけではなく、
他の生物もそれをしている。
ここには言葉は関わらない。
命にとってこの最重要事はすべて神の手の中に。
これを為すは女である。
女こそ生粋の魔法使いなのです。
だからの魔女であると。
まあ勝手に思っている。
でもなおその奥がある、命の種はなおその奥に。
それは植物に答がある。
植物こそ地球(無機物)から命を取り出す。
それを光合成と謂っている。
天地創造の物語の初めに出てくるもの、大地と水と光。
山川草木のその山川が光と交わり草木をはぐくむ。
ところ(森)に魔女はいる。
まあそういうことです。
ゆえ思うのです、より神に近いもの、それは女である。
最初の命に性はなく皆ひとり神。
でも有性生殖になるは雄雌に順序はなく同時且つ一対。
日本神話ではそのようになっている。
てかもし順序があるならそれは雌か。
しても雌雄が出来た理由はあきらか、
それは命の永遠性を担保する為かと、
状況に応じての生き残りを画すもの。
ここでの大事は違いである。
皆同じではいけないのです。
思えば男と女は違うのです。
これは決定的に違うのです。
この違いこそが大事なのである。
ここのところお間違えなきよう。
ちなみにではなぜLGBT~があるのか。
それは分からない?
でも神の事の場の仕掛けなら受け入れるより仕方なし。
これに限らずヒトに生れるかどうかも含め。
てか人間以外はこれを悩まない。
言葉を持たないから。
もっぱらその現実を生きるのみ。
問題はすべて言葉の中にひそむ。
そのことを知ろう。
今私は怒っている。
男女共同参画は実に当り前のことで言う必要もなし。
なのになぜかそれを言い、同時に夫婦別姓とは何事。
夫婦とは一体のもの、その証しが子供です。
神の事の場も人の事の場もそこは同じかと。
そこに命の現実があり、想いへの幻想も又。
そしてそれは命に違いを求めている。
現下のような嘘と狂気に満ちた世界に誰がした。
世界は一つや皆同じは、概念の極致にあるもの、
すべてが繋がっている、ゆえそうとも言えるが、
現実は集合に集合を重ねた超集合の集合の世界、
違いに違いを重ねている世界、
それを想うのです。
・・・・・
どちらかと言えば日本は女性の国か。
男性上位に見えてもそれは見せかけ。
てかこれは女性を守り支える為です。
それは内にあっても又外においても。
ここまでなら世界もかわらなく同じ。
ここから道が分かれる。
社会が大きくなったり別れていったりすれば、
それに備えるが最重要事になる。
それは外からの脅威である。
今なら安全保障とでも。
ここに注力すれば主体が男性になる。
ゆえ社会は男性社会となる。
これは歴史の常道。
だからです、
争いが絶えず残虐非道が日常化する世界では、
男性が上位となり女性はなす術なし。
これが旧大陸の有様であり、
女は男の所有物に。
今あるジェンダーフリー(女性解放)はこの副産物。
そも日本には必要ないもの。
争いのない縄文時代、それ以降もそんなに多くない。
それに残虐非道はほとんどなし。
そこでは男と女は対等であった。
それは神話の時代から現代まで。
てか表題に戻れば、
日本に魔女はいない、かわりに巫女がいる。
神に仕える女性である。
男ではなく神にである。
卑弥呼(日巫女)はときに神になぞられる。
あの女神天照大神にである。
てか神に近い存在だからか。
しても天照大神は元は男神であった、とも言われる。
それが女性にすり替えられたと。
話としては面白くそそられるが、
今はれっきとした女性神である。
私は神に性はないと思うが、
ゆえどちらでもいいのだが、
てか神に近いと言うならやはり女性、
だからこれでいいのだ、
レレレのレ。
それも多くは女である。
なぜか所謂魔女なのだ。
男の魔法使いもいるが、主役はいつも女である。
なぜかそういうことに。
でもこれは納得できる。
ヒトは己の手だけでは何も作れない。
それにこれは女だけが為せる技だが、
そも最も大事なこと命を作ることも。
この大事もまさにそう、
てか大事だからこそ尚のことか。
思えばヒトの技だけで作れるものは何一つない。
すべて神の事の場の理(ことわり)をもって為すのみ。
あらためて言うことではないが。
でもこれを想おう。
してもなぜ魔女なのか。
命にとって一番の大事は命。
それを託されたのが女なのです。
それが神の事の場のことわりの意思。
してもそのイメージはこれまでとは違う。
それはお婆さんではなく今や少女である。
あのフリーレンやフェルンのような。
思えばジブリのアニメもその様、
なぜか少女が多いのである。
多くは魔女ではないが。
てか私の心もまた、
その様にある。
海恋し潮の遠鳴り数えては乙女となりし父母の家、
この歌が心魂にしみる。
・・・・・
思えば、人間は魔法使いである。
それは神の事の場の理の一端を自覚的に捉えたがゆえ。
それが魔法の種であり、それが正に言葉である。
しても根本的に重要なこと、
子を生み子を育て世に出し、
命の世をさらに次に繋げる。
てかこれは人だけではなく、
他の生物もそれをしている。
ここには言葉は関わらない。
命にとってこの最重要事はすべて神の手の中に。
これを為すは女である。
女こそ生粋の魔法使いなのです。
だからの魔女であると。
まあ勝手に思っている。
でもなおその奥がある、命の種はなおその奥に。
それは植物に答がある。
植物こそ地球(無機物)から命を取り出す。
それを光合成と謂っている。
天地創造の物語の初めに出てくるもの、大地と水と光。
山川草木のその山川が光と交わり草木をはぐくむ。
ところ(森)に魔女はいる。
まあそういうことです。
ゆえ思うのです、より神に近いもの、それは女である。
最初の命に性はなく皆ひとり神。
でも有性生殖になるは雄雌に順序はなく同時且つ一対。
日本神話ではそのようになっている。
てかもし順序があるならそれは雌か。
しても雌雄が出来た理由はあきらか、
それは命の永遠性を担保する為かと、
状況に応じての生き残りを画すもの。
ここでの大事は違いである。
皆同じではいけないのです。
思えば男と女は違うのです。
これは決定的に違うのです。
この違いこそが大事なのである。
ここのところお間違えなきよう。
ちなみにではなぜLGBT~があるのか。
それは分からない?
でも神の事の場の仕掛けなら受け入れるより仕方なし。
これに限らずヒトに生れるかどうかも含め。
てか人間以外はこれを悩まない。
言葉を持たないから。
もっぱらその現実を生きるのみ。
問題はすべて言葉の中にひそむ。
そのことを知ろう。
今私は怒っている。
男女共同参画は実に当り前のことで言う必要もなし。
なのになぜかそれを言い、同時に夫婦別姓とは何事。
夫婦とは一体のもの、その証しが子供です。
神の事の場も人の事の場もそこは同じかと。
そこに命の現実があり、想いへの幻想も又。
そしてそれは命に違いを求めている。
現下のような嘘と狂気に満ちた世界に誰がした。
世界は一つや皆同じは、概念の極致にあるもの、
すべてが繋がっている、ゆえそうとも言えるが、
現実は集合に集合を重ねた超集合の集合の世界、
違いに違いを重ねている世界、
それを想うのです。
・・・・・
どちらかと言えば日本は女性の国か。
男性上位に見えてもそれは見せかけ。
てかこれは女性を守り支える為です。
それは内にあっても又外においても。
ここまでなら世界もかわらなく同じ。
ここから道が分かれる。
社会が大きくなったり別れていったりすれば、
それに備えるが最重要事になる。
それは外からの脅威である。
今なら安全保障とでも。
ここに注力すれば主体が男性になる。
ゆえ社会は男性社会となる。
これは歴史の常道。
だからです、
争いが絶えず残虐非道が日常化する世界では、
男性が上位となり女性はなす術なし。
これが旧大陸の有様であり、
女は男の所有物に。
今あるジェンダーフリー(女性解放)はこの副産物。
そも日本には必要ないもの。
争いのない縄文時代、それ以降もそんなに多くない。
それに残虐非道はほとんどなし。
そこでは男と女は対等であった。
それは神話の時代から現代まで。
てか表題に戻れば、
日本に魔女はいない、かわりに巫女がいる。
神に仕える女性である。
男ではなく神にである。
卑弥呼(日巫女)はときに神になぞられる。
あの女神天照大神にである。
てか神に近い存在だからか。
しても天照大神は元は男神であった、とも言われる。
それが女性にすり替えられたと。
話としては面白くそそられるが、
今はれっきとした女性神である。
私は神に性はないと思うが、
ゆえどちらでもいいのだが、
てか神に近いと言うならやはり女性、
だからこれでいいのだ、
レレレのレ。
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