「それでも地球は動いてる」。
ガリレオが言った言葉である。
それまではキリスト教会の教えである天動説であった。
それをガリレオは教会の反対に屈せず地動説を唱えた。
如何せん裁判においては、それは否定された。
その時の言葉である。
・・・・・
もちろんガリレオは天動説を否定していない。
ただ「地球は動いてる」と言っただけである。
ご存知の通り、太陽も星々も宇宙に在るものはすべて動いている。
その意味では天動説の方が正しい。
地球もその天の一部であるだけだ。
ガリレオはその事を否定してはいないだろう。
というより、言及していなかったと思う。
ただ地球は動いてると言ったのだ。
とはいえ、実際どんな議論があったのかは知らない。
当時の天動説を否定したのは事実だ。
つまり、
地球は動いてなく、天だけが動いてる、
ということを。
・・・・・
しかし、当時の天動説も事実といえば事実である。
見るということは視点が必要である。
その視点から見てどう見えるか。
対象を観察するとして、
その視点から見えた事実も一つの事実だ。
それを否定できない。
地球という視点もあれば、太陽という視点もある。
私やあなたという視点もある。
無数の視点から同時に見るということはそもそも不可能だ。
視点を定めて見なければならない。
でなければ観察は成り立たない。
人類は太古から天空に関心を持ち観察してきたが、
それはそういうことだ。
それを一概に否定はできない。
・・・・・
一つの視点から見た事実も事実である。
むしろ、すべてはそこから始まる。
それを主観というなら、主観こそ原点である。
先ず主観があるのだ。
それはそうなのだが、
その主観からの事実だけを事実とすれば間違うだろう。
別の主観もあるのである。
さらに、もっと別の主観もある。
それを認めなければならない。
客観とはどういうものかよく分からないが、
それを踏まえていれば、
少しは客観的になれるだろう。
心したいものだ。
ガリレオが言った言葉である。
それまではキリスト教会の教えである天動説であった。
それをガリレオは教会の反対に屈せず地動説を唱えた。
如何せん裁判においては、それは否定された。
その時の言葉である。
・・・・・
もちろんガリレオは天動説を否定していない。
ただ「地球は動いてる」と言っただけである。
ご存知の通り、太陽も星々も宇宙に在るものはすべて動いている。
その意味では天動説の方が正しい。
地球もその天の一部であるだけだ。
ガリレオはその事を否定してはいないだろう。
というより、言及していなかったと思う。
ただ地球は動いてると言ったのだ。
とはいえ、実際どんな議論があったのかは知らない。
当時の天動説を否定したのは事実だ。
つまり、
地球は動いてなく、天だけが動いてる、
ということを。
・・・・・
しかし、当時の天動説も事実といえば事実である。
見るということは視点が必要である。
その視点から見てどう見えるか。
対象を観察するとして、
その視点から見えた事実も一つの事実だ。
それを否定できない。
地球という視点もあれば、太陽という視点もある。
私やあなたという視点もある。
無数の視点から同時に見るということはそもそも不可能だ。
視点を定めて見なければならない。
でなければ観察は成り立たない。
人類は太古から天空に関心を持ち観察してきたが、
それはそういうことだ。
それを一概に否定はできない。
・・・・・
一つの視点から見た事実も事実である。
むしろ、すべてはそこから始まる。
それを主観というなら、主観こそ原点である。
先ず主観があるのだ。
それはそうなのだが、
その主観からの事実だけを事実とすれば間違うだろう。
別の主観もあるのである。
さらに、もっと別の主観もある。
それを認めなければならない。
客観とはどういうものかよく分からないが、
それを踏まえていれば、
少しは客観的になれるだろう。
心したいものだ。