ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

掃除道

2013-09-03 13:17:09 | 日記・エッセイ・コラム

掃除の事を書いている本がある。

時々見かける。

読んだことはない。

でも、なにが書かれているか大体分かる。

勝手な思い込みであるが。

・・・・・

人の体は細胞でできている。

その細胞は数か月ですべて入れ替わるという。

新しい細胞が常に造られており、

同時に古くなった細胞は排出される。

それが存在するということであり、

生きるということである。

古い細胞が排出されるとは、

言い換えれば、

掃除されるということである。

体の中は常に掃除されていると言える。

誰かが言った。

どうせ汚れるから掃除などしても意味がないと。

この論がおかしいのは言うまでもない。

これは破綻、破滅の論である。

神経質なほどのきれい好きである必要はないが、

汚れたら掃除する、

掃除しても時がたつと汚れる、

そしたら又掃除する。

その繰り返しが存在するということ、

生きるということである。

・・・・・

掃除をするとは生きることである。

掃除道とはそのことを言っているのだと思う。

日本人はなべてきれい好きである。

汚いのが平気な人、道に塵を捨てて平気な人は日本人ではない。

日本人ではあっても、心は中国人である。

真っ当な中国の皆様、

変な例えをしてごめんなさい。