ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

事に仕える

2019-04-22 18:18:32 | 日記・エッセイ・コラム
過日の東大入学式での祝辞には違和感を覚える。
女性が不当に差別されているとか。
それ自体はそうかもとは思う。
まだまだそういう残滓が残っているのだろう。
気持ちは分かる。
でも入学式の晴れの舞台で言うことか。
・・・・・
そも男と女は明らかに違う。
その生き方、戦略も違うのである。
それを「らしさ」という。
文化と言ってもいい。
最近はそれを否定する人がいる。
勿論中味が時代によって変わるのは当然だ。
だから以前は差別的ではなかったものが、
今では差別と取られるものもあるだろう。
それはそうかも知れない。
何しろ女性は命を張って命を生みだす。
全身全霊で命を生み出すのである。
母体が大事なのは言うまでもない。
それも一つひとつの母体が。
だから男が女を守るのです。
それが使命です。
男は少々怪我をしてもいい。
下世話な話、あの能力さえあればいい。
しかもである。
場合によっては、亡くなってもいいのである。
ある程度の人数は必要だが。
そうやって人類は生き延びてきた。
そして今の繁栄がある。
・・・・・
命の使命は命で在り続けることです。
生き続けることです。
個体としては細胞の生死(新陳代謝)を繰り返して生きる。
そこにも限界があるから、次の命を残して世代交代をする。
それが命の戦略です。
その流れの中に、人の戦略もあった。
それが人の文化を創ってきた。
それは今も変わらない。
女は子供を産む機械ではない。
女は義務(仕事)で子供を産むのではない。
それはそうですが、そういうことではないのです。
それは生きることそのものなのです。
ひとが生きることそのものなのです。
生物は皆そうです。
そういうふうに創られているのです。
とりわけ人の子は手が懸かる。
そこも女性が有利に造られている。
だから男は女を守るのです。
命を懸けて、身の回りのあらゆる脅威から。
それが男の仕事であった。
・・・・・
女性が子供を生むのは生きる「こと」そのものです。
生命が生命として在り続ける「こと」そのものです。
男性にはそれができない。
そのように造られているのだから。
だからです。
男性はその「こと」に仕えるのです。
仕えることに全身全霊を注ぐのです。
それを仕事という。
そういうことで男は一見補助的のように見える。
しかしクローンでは絶滅の危機に耐えられない。
最悪の事態に対応するには多様性が必要である。
為に男性は必要なのだ、無くてはならないのだ。
世界は概ね男性優位であった。
それは仕事が決定的に重要だったから。
それが経済であれ戦争であれ。
それに宗教(聖書など)の影響もあるだろう。
聖書が男性優位に見えるのは、
聖書の言う、命が永遠の時代には男女の別はなく、
生みの時代になって初めて女が創られたからです。
曰くイヴの誕生である。
イヴはアダムという人の骨から造られたと云う。
ここに思い違いがある。
イヴは男から造られたのではない、アダムという人から造られたのだ。
イヴが生まれて初めてアダムは男になった。
そういうことです。
生みの時代になれば女性が優位になるのは自然だろう。
何しろ命の根っこを握っているのだ。
ちなみに日本の神話では最高神は女神である。
一説には男神であったとも言われるが。
どちらにしても女性を立てている。
そういう社会の組み立てなのです。
それに天皇陛下が男性なのはその故であろう。
事(神への祈り)に仕えておられるのだから。
皇后陛下は「こと」を為しながら、天皇陛下をお支えになっている。
かく在られる両陛下を想えば、
只々ありがたし。
・・・・・
社会は為にある。
仕事は為にある。
総理大臣も学者も芸人等も。
彼らは皆、命を守り、育み、鼓舞する者達です。
すなわち、安んじて子を作り育てられるように。
すべてはその為にある。
それを忘れたら、本末転倒である。
でも昨今はどうも怪しい。
リベラル界隈では特に怪しい。
ちなみに、だからこそ、
私は思う、
親(大人)の子殺し、男の女殺しは大罪であると、
命への反逆であると。
逆なら良いとは言わないが、
それはまあ運が悪いだけだ。

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