過日の東大入学式での祝辞には違和感を覚える。
女性が不当に差別されているとか。
それ自体はそうかもとは思う。
まだまだそういう残滓が残っているのだろう。
気持ちは分かる。
でも入学式の晴れの舞台で言うことか。
・・・・・
そも男と女は明らかに違う。
その生き方、戦略も違うのである。
それを「らしさ」という。
文化と言ってもいい。
最近はそれを否定する人がいる。
勿論中味が時代によって変わるのは当然だ。
だから以前は差別的ではなかったものが、
今では差別と取られるものもあるだろう。
それはそうかも知れない。
何しろ女性は命を張って命を生みだす。
全身全霊で命を生み出すのである。
母体が大事なのは言うまでもない。
それも一つひとつの母体が。
だから男が女を守るのです。
それが使命です。
男は少々怪我をしてもいい。
下世話な話、あの能力さえあればいい。
しかもである。
場合によっては、亡くなってもいいのである。
ある程度の人数は必要だが。
そうやって人類は生き延びてきた。
そして今の繁栄がある。
・・・・・
命の使命は命で在り続けることです。
生き続けることです。
個体としては細胞の生死(新陳代謝)を繰り返して生きる。
そこにも限界があるから、次の命を残して世代交代をする。
それが命の戦略です。
その流れの中に、人の戦略もあった。
それが人の文化を創ってきた。
それは今も変わらない。
女は子供を産む機械ではない。
女は義務(仕事)で子供を産むのではない。
それはそうですが、そういうことではないのです。
それは生きることそのものなのです。
ひとが生きることそのものなのです。
生物は皆そうです。
そういうふうに創られているのです。
とりわけ人の子は手が懸かる。
そこも女性が有利に造られている。
だから男は女を守るのです。
命を懸けて、身の回りのあらゆる脅威から。
それが男の仕事であった。
・・・・・
女性が子供を生むのは生きる「こと」そのものです。
生命が生命として在り続ける「こと」そのものです。
男性にはそれができない。
そのように造られているのだから。
だからです。
男性はその「こと」に仕えるのです。
仕えることに全身全霊を注ぐのです。
それを仕事という。
そういうことで男は一見補助的のように見える。
しかしクローンでは絶滅の危機に耐えられない。
最悪の事態に対応するには多様性が必要である。
為に男性は必要なのだ、無くてはならないのだ。
世界は概ね男性優位であった。
それは仕事が決定的に重要だったから。
それが経済であれ戦争であれ。
それに宗教(聖書など)の影響もあるだろう。
聖書が男性優位に見えるのは、
聖書の言う、命が永遠の時代には男女の別はなく、
生みの時代になって初めて女が創られたからです。
曰くイヴの誕生である。
イヴはアダムという人の骨から造られたと云う。
ここに思い違いがある。
イヴは男から造られたのではない、アダムという人から造られたのだ。
イヴが生まれて初めてアダムは男になった。
そういうことです。
生みの時代になれば女性が優位になるのは自然だろう。
何しろ命の根っこを握っているのだ。
ちなみに日本の神話では最高神は女神である。
一説には男神であったとも言われるが。
どちらにしても女性を立てている。
そういう社会の組み立てなのです。
それに天皇陛下が男性なのはその故であろう。
事(神への祈り)に仕えておられるのだから。
皇后陛下は「こと」を為しながら、天皇陛下をお支えになっている。
かく在られる両陛下を想えば、
只々ありがたし。
・・・・・
社会は為にある。
仕事は為にある。
総理大臣も学者も芸人等も。
彼らは皆、命を守り、育み、鼓舞する者達です。
すなわち、安んじて子を作り育てられるように。
すべてはその為にある。
それを忘れたら、本末転倒である。
でも昨今はどうも怪しい。
リベラル界隈では特に怪しい。
ちなみに、だからこそ、
私は思う、
親(大人)の子殺し、男の女殺しは大罪であると、
命への反逆であると。
逆なら良いとは言わないが、
それはまあ運が悪いだけだ。
女性が不当に差別されているとか。
それ自体はそうかもとは思う。
まだまだそういう残滓が残っているのだろう。
気持ちは分かる。
でも入学式の晴れの舞台で言うことか。
・・・・・
そも男と女は明らかに違う。
その生き方、戦略も違うのである。
それを「らしさ」という。
文化と言ってもいい。
最近はそれを否定する人がいる。
勿論中味が時代によって変わるのは当然だ。
だから以前は差別的ではなかったものが、
今では差別と取られるものもあるだろう。
それはそうかも知れない。
何しろ女性は命を張って命を生みだす。
全身全霊で命を生み出すのである。
母体が大事なのは言うまでもない。
それも一つひとつの母体が。
だから男が女を守るのです。
それが使命です。
男は少々怪我をしてもいい。
下世話な話、あの能力さえあればいい。
しかもである。
場合によっては、亡くなってもいいのである。
ある程度の人数は必要だが。
そうやって人類は生き延びてきた。
そして今の繁栄がある。
・・・・・
命の使命は命で在り続けることです。
生き続けることです。
個体としては細胞の生死(新陳代謝)を繰り返して生きる。
そこにも限界があるから、次の命を残して世代交代をする。
それが命の戦略です。
その流れの中に、人の戦略もあった。
それが人の文化を創ってきた。
それは今も変わらない。
女は子供を産む機械ではない。
女は義務(仕事)で子供を産むのではない。
それはそうですが、そういうことではないのです。
それは生きることそのものなのです。
ひとが生きることそのものなのです。
生物は皆そうです。
そういうふうに創られているのです。
とりわけ人の子は手が懸かる。
そこも女性が有利に造られている。
だから男は女を守るのです。
命を懸けて、身の回りのあらゆる脅威から。
それが男の仕事であった。
・・・・・
女性が子供を生むのは生きる「こと」そのものです。
生命が生命として在り続ける「こと」そのものです。
男性にはそれができない。
そのように造られているのだから。
だからです。
男性はその「こと」に仕えるのです。
仕えることに全身全霊を注ぐのです。
それを仕事という。
そういうことで男は一見補助的のように見える。
しかしクローンでは絶滅の危機に耐えられない。
最悪の事態に対応するには多様性が必要である。
為に男性は必要なのだ、無くてはならないのだ。
世界は概ね男性優位であった。
それは仕事が決定的に重要だったから。
それが経済であれ戦争であれ。
それに宗教(聖書など)の影響もあるだろう。
聖書が男性優位に見えるのは、
聖書の言う、命が永遠の時代には男女の別はなく、
生みの時代になって初めて女が創られたからです。
曰くイヴの誕生である。
イヴはアダムという人の骨から造られたと云う。
ここに思い違いがある。
イヴは男から造られたのではない、アダムという人から造られたのだ。
イヴが生まれて初めてアダムは男になった。
そういうことです。
生みの時代になれば女性が優位になるのは自然だろう。
何しろ命の根っこを握っているのだ。
ちなみに日本の神話では最高神は女神である。
一説には男神であったとも言われるが。
どちらにしても女性を立てている。
そういう社会の組み立てなのです。
それに天皇陛下が男性なのはその故であろう。
事(神への祈り)に仕えておられるのだから。
皇后陛下は「こと」を為しながら、天皇陛下をお支えになっている。
かく在られる両陛下を想えば、
只々ありがたし。
・・・・・
社会は為にある。
仕事は為にある。
総理大臣も学者も芸人等も。
彼らは皆、命を守り、育み、鼓舞する者達です。
すなわち、安んじて子を作り育てられるように。
すべてはその為にある。
それを忘れたら、本末転倒である。
でも昨今はどうも怪しい。
リベラル界隈では特に怪しい。
ちなみに、だからこそ、
私は思う、
親(大人)の子殺し、男の女殺しは大罪であると、
命への反逆であると。
逆なら良いとは言わないが、
それはまあ運が悪いだけだ。
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