●所感
393-7.閻浮提中御書 白米一俵御書 御書全集(昭和29年再版)誤記 その7 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
上記の件があったので、学会版の異称ではないほうの遺文命名に問題があるとは思っていました。編年体の異称には「*」をつけているのはわかっていましたので、学会独自のユニークな命名がされているとばかり思っていました。
まさかまさか、霊艮閣蔵版や行道文庫版、昭和定本で使われている異称にまで、「*」をつけて剽窃しているとは思っていませんでした。
呆れや笑いを通り越して自己愛性人格障害や躁うつ病、自己顕示欲など色々な言葉が浮かぶのは私だけでしょうか?
日蓮正宗の遺文集の異称に興味津々です。
明らかな誤記か日蓮遺文の内容を理解していないのと、一般仏教を理解していないため、編年体ではトンデモな命名がなされています。
●「上野殿母尼御前御返事」(中陰書)
霊艮閣蔵、行道文庫版、昭和新修、御書全集では「上野殿母尼御前御返事」に「中陰書」と異称が書かれています。
編年体では、四十九日御書となっており、四十九日に意味があると考えられ改変されています。
中陰(ちゅうおん、ちゅういん)とは「四十九日間の期間」を意味します。
中陰は兄弟抄にも出てきます。
更に言えば、類似語の「中有」なら遺文の数だけで軽く三十は超えて出てきます。
更に、「中有」なら重要御書ばかりなのです。昭和定本の遺文名で次のとおりです。
守護国家論、災難対治抄、顕謗法抄、立正安国論、立正安国論(広本)、開目抄、撰時抄、
観心本尊抄、立正観抄、本尊問答抄、四信五品抄、三世諸仏惣勘文教相配立、早勝問答、
此経難持十三箇秘訣、観心本尊鈔文科(観心本尊得意抄)、御義口伝。
他にも複数あり。
「中陰書」と名付けたのは誰か不明です。日蓮宗か昔の日蓮正宗のお坊さんに日蓮遺文の理解とセンスがあったのは間違いありません。
身延山と他二寺(小泉久遠寺は日興、日郷、北山本門寺は日興、日目)に所蔵のようですし、おそらく日蓮宗僧侶の誰かではないでしょうか?富士門流、日興門流の可能性もあります。
昭和四九年頃以降の日蓮正宗の坊主には全く日蓮遺文の理解とセンスが無かったと思われます。
四十九日「間」御書と名づけてもダメでしょう。四十九日御書はもっとダメでしょう。
「中陰書」本文に「四十九日」と出てくるために、仏教の素人か一般庶民がよく知る「四十九日」を命名したとしか思えません。
また、複数の人間が編年体の命名をしたことが推察されます。
●「四條金吾殿御返事」(八日講御書)
霊艮閣蔵、行道文庫版、昭和新修、御書全集では「四條金吾殿御返事」に「八日講御書」と異称されています。
編年体では、八日御書となっており、八日に意味があると考えられ改変されています。
本文に「八日」と三回出てくるために、仏教の素人が「八日」と命名したとしか思えません。
編年体の他の遺文で小手先の改名がなされているからです。もちろん改悪です。
私は八日講に出た経験がありませんが、日本仏教では念仏系など一般的な仏教でも八日講が行われくらい基本的なことのようです。ところが創価学会では八日講なんてありませんからね。
創価はよく日蓮大聖人直結といいますが、全く理解できません。
正宗で八日講が失われているのか、末寺に残っているのか私には分かりません。
●まとめ
学会版編年体の異称と本文を見れば、日蓮がバカか無知な僧侶だったと誤解されても全く問題はないでしょう。もちろん異称を命名したのは日蓮さんではありませんが。
教団のネーミングセンスというか、無知というか、自己顕示欲というか、呆れるより他ありません。
文学や宗教の分野ですからネーミングセンスの問題であって違法性はなく命名は自由です。
言い訳するのに八日御書は脱字でも、中陰書の異称削除は過ちでは済まないレベルでしょう。
学会だけが独特の異称を使うことは社会的混乱と迷惑でしかありません。
あえて遺文名、異称を変更する理由は全く無いと思います。
死後と生まれ変わりの仏教要語である中陰、中有の理解もない元第三代会長、池田大作。
重要御書を全く理解していなかったのでしょう。
創価学会によれば「池田先生は日蓮大聖人の生まれ変わり」でしたね。
お元気な内に理解した上で過去の謝罪と訂正をしないと、死後、天国へ行けるどころか現世の悪業として明後日の何処かへ行ってしまうのではないでしょうか?
皆さんがどう思うかは自由ですが、生まれてから彼に命名された二世三世などの福子の方には、お悔やみを申し上げます。
死んでも死にきれないとか?
以上
393-7.閻浮提中御書 白米一俵御書 御書全集(昭和29年再版)誤記 その7 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
上記の件があったので、学会版の異称ではないほうの遺文命名に問題があるとは思っていました。編年体の異称には「*」をつけているのはわかっていましたので、学会独自のユニークな命名がされているとばかり思っていました。
まさかまさか、霊艮閣蔵版や行道文庫版、昭和定本で使われている異称にまで、「*」をつけて剽窃しているとは思っていませんでした。
呆れや笑いを通り越して自己愛性人格障害や躁うつ病、自己顕示欲など色々な言葉が浮かぶのは私だけでしょうか?
日蓮正宗の遺文集の異称に興味津々です。
明らかな誤記か日蓮遺文の内容を理解していないのと、一般仏教を理解していないため、編年体ではトンデモな命名がなされています。
●「上野殿母尼御前御返事」(中陰書)
霊艮閣蔵、行道文庫版、昭和新修、御書全集では「上野殿母尼御前御返事」に「中陰書」と異称が書かれています。
編年体では、四十九日御書となっており、四十九日に意味があると考えられ改変されています。
中陰(ちゅうおん、ちゅういん)とは「四十九日間の期間」を意味します。
中陰は兄弟抄にも出てきます。
更に言えば、類似語の「中有」なら遺文の数だけで軽く三十は超えて出てきます。
更に、「中有」なら重要御書ばかりなのです。昭和定本の遺文名で次のとおりです。
守護国家論、災難対治抄、顕謗法抄、立正安国論、立正安国論(広本)、開目抄、撰時抄、
観心本尊抄、立正観抄、本尊問答抄、四信五品抄、三世諸仏惣勘文教相配立、早勝問答、
此経難持十三箇秘訣、観心本尊鈔文科(観心本尊得意抄)、御義口伝。
他にも複数あり。
「中陰書」と名付けたのは誰か不明です。日蓮宗か昔の日蓮正宗のお坊さんに日蓮遺文の理解とセンスがあったのは間違いありません。
身延山と他二寺(小泉久遠寺は日興、日郷、北山本門寺は日興、日目)に所蔵のようですし、おそらく日蓮宗僧侶の誰かではないでしょうか?富士門流、日興門流の可能性もあります。
昭和四九年頃以降の日蓮正宗の坊主には全く日蓮遺文の理解とセンスが無かったと思われます。
四十九日「間」御書と名づけてもダメでしょう。四十九日御書はもっとダメでしょう。
「中陰書」本文に「四十九日」と出てくるために、仏教の素人か一般庶民がよく知る「四十九日」を命名したとしか思えません。
また、複数の人間が編年体の命名をしたことが推察されます。
●「四條金吾殿御返事」(八日講御書)
霊艮閣蔵、行道文庫版、昭和新修、御書全集では「四條金吾殿御返事」に「八日講御書」と異称されています。
編年体では、八日御書となっており、八日に意味があると考えられ改変されています。
本文に「八日」と三回出てくるために、仏教の素人が「八日」と命名したとしか思えません。
編年体の他の遺文で小手先の改名がなされているからです。もちろん改悪です。
私は八日講に出た経験がありませんが、日本仏教では念仏系など一般的な仏教でも八日講が行われくらい基本的なことのようです。ところが創価学会では八日講なんてありませんからね。
創価はよく日蓮大聖人直結といいますが、全く理解できません。
正宗で八日講が失われているのか、末寺に残っているのか私には分かりません。
●まとめ
学会版編年体の異称と本文を見れば、日蓮がバカか無知な僧侶だったと誤解されても全く問題はないでしょう。もちろん異称を命名したのは日蓮さんではありませんが。
教団のネーミングセンスというか、無知というか、自己顕示欲というか、呆れるより他ありません。
文学や宗教の分野ですからネーミングセンスの問題であって違法性はなく命名は自由です。
言い訳するのに八日御書は脱字でも、中陰書の異称削除は過ちでは済まないレベルでしょう。
学会だけが独特の異称を使うことは社会的混乱と迷惑でしかありません。
あえて遺文名、異称を変更する理由は全く無いと思います。
死後と生まれ変わりの仏教要語である中陰、中有の理解もない元第三代会長、池田大作。
重要御書を全く理解していなかったのでしょう。
創価学会によれば「池田先生は日蓮大聖人の生まれ変わり」でしたね。
お元気な内に理解した上で過去の謝罪と訂正をしないと、死後、天国へ行けるどころか現世の悪業として明後日の何処かへ行ってしまうのではないでしょうか?
皆さんがどう思うかは自由ですが、生まれてから彼に命名された二世三世などの福子の方には、お悔やみを申し上げます。
死んでも死にきれないとか?
以上
同じ内容の書籍・文献に対し、同じく日蓮さんを信奉する宗派で、呼称が異なっているというのは、本当にめんどくさいです。
ネットなどで日蓮さん信奉各派の人の文章を読みますが、前後の文章を参照しようにもテキスト名で混乱し、読みづらさの原因となっております。
それを狙ったのでは無いと思いたいところですが・・・
いつもお世話になってます。
犀角独歩さんの大御本尊の出版、講演、オフ会などの努力があって、現役の創価学会員でも大御本尊の真偽を問わなくなっています。(大御本尊は本物だ。本物だから創価学会は正しい、etcetc)
私は彼ほど成果も努力も現時点では出せていませんが、学会版御書全集と編年体は、この数年で急速に使われなくなると思います。
特に若い人や著作権に関わる芸能人などの著名人には大問題でしょう。
新入会者の人にとっては、折伏され入信したら、買わされる遺文集がどちらも著作権法違反では話になりません。
大きなトラブルに成る場合があるでしょう。
退会させたい人には、学会を退会させる大きな理由に成るでしょう。
買わせるとすれば編年体で取り繕うことが、まだ可能だと先日まで私も思っていました。
しかし、これにも著作権以外の問題はあります。
編年体は創価学会で人気がないのが事実です。
十数年、創価の会合に参加して編年体を持っている人は2,3人でした。
創価学会員の自宅で稀に本棚に編年体がありました。持っている人は少数いると思われますが、使っている人は殆どいないと思われます。