転載禁止のため、2chコメントの78番コメントは私が加筆訂正。
創価学会の教義改正を語る(2) [転載禁止]©2ch.net
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1417916122/
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78+2 :名無しさん@お腹いっぱい。 [] :2014/12/13(土) 07:31:35.77 ID:F/friVcz (1/5)
71の方
多分、ここ20年くらいの入会の方なのかな?・・私は今も学会にいます。
学会は宗門と別れる以前、本門戒壇の御本尊をご安置してた正本堂を、学会も法華講も金を出し合って建立を喜んで勇んで大石寺に行ってたんですよ。私は夏期講習会というのがあった時に、宿坊に宿泊して丑寅勤行やその他学会独自のちょっとした文化祭みたいな行事に参加したこともあります。
本門戒壇の大御本尊が根本で、うちにある御本尊は会則で否定した電源と端子の関係だとその当時の幹部に指導されました。それをじっと信じて今日まで至っています。
なので、今の最高幹部たちが受持しないと宣言したということは、もういりませんと言ってるのと一緒のことなんですよ。
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創価学会の過去の指導
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「電灯にたとえて考えてみると、ヒューズがとんで電流が流れてこない電灯は、電球が切れていないからといって、いくらつけても明るい光を発しないようなもので、電球は本物であっても、電流が流れてこなければ光が出ないのである。したがって富士大石寺の大御本尊を拝まないものはすべて謗法である」
(折伏教典339頁) 年代や版は不明。調査中。
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本門の本尊とは日蓮大聖人が弘安二年十月十二日に御図顕の本門戒壇の大御本尊である。
本門の題目とは、本門戒壇の大御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えて修行することである。本門の戒壇とは、本門の本尊を安置し奉って信心修行に励む場所をいう。
(昭和43年刊行、池田大作監修、教学小辞典)
日蓮大聖人のご本懐は一閻浮堤総与の弘安二年十月十二日の御本尊にあることに間違いなく、日蓮正宗はこれを本尊として日蓮大聖人のご意志を継ぎ、一切衆生を救わんとするものである。
したがってこれは世界唯一の本尊であり、日蓮正宗は最高にして唯一の宗教である。
いま末法にはいって日蓮大聖人のご本懐は弘安二年であるということは一閻浮堤総与の大御本尊の建立をさしているのである。
この御本尊に対してたてまつって唱えるお題目以外の題目は、すべて、仏説に反することは明らかである。
この大御本尊に直結した曼陀羅を拝む信仰でなければ、絶対に功徳もなく、
ましてや、生命の本質をつかんで仏の境涯に立ち、永遠の生命を感得することなどは、とうてい望めないことである。
勝手な御本尊を拝むことが大きな誤りであることが、はっきりわかるのである。
これは不相伝なるがゆえに仏法の深義に迷うのであって、不相伝家はみな本尊に迷うということができる。
三大秘法とは、本門の本尊と本門の題目と本門の戒壇の三つであり、この本門の本尊すなわち弘安二年十月十二日に顕された一閻浮堤総与の大御本尊に対して題目を唱えるのが大聖人の教えである。
(改訂27版、池田大作監修、折伏教典)
日寛上人
「就中(なかんずく)弘安2年の本門戒壇の御本尊は、究境中の究境、本懐の中の本懐なり。既にこれ三大秘宝の随一なり。況や一閻浮代総体の本尊なる故なり」
(観心本尊抄文段)
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私がよく聞いた指導は無線機の指導です。
「皆さん方に題目を送ります。皆さん方もしっかり題目をあげてほしい。
送信機がいくら立派でも、受信機が壊れていてはだめだ」(「前進」昭和44年10月号)
今回の教義条項の改正でこの指導と池田大作の否定もしています。
学会本部は末端の会員の信仰心はどうでもいいと思っているのは明らかだと思います。
会員の信仰心を踏みにじっているわけです。
学会本部幹部は自分たちの利権やお金にお題目を送っているのでしょう。
法主が信徒や未入信の人の幸福を大御本尊に祈っても問題はないわけです。
日蓮正宗にいくのはカルトサーフィンになるのでおすすめしません。
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78+2 :名無しさん@お腹いっぱい。 [] :2014/12/13(土) 07:31:35.77 ID:F/friVcz (1/5)
71の方
多分、ここ20年くらいの入会の方なのかな?・・私は今も学会にいます。
学会は宗門と別れる以前、本門戒壇の御本尊をご安置してた正本堂を、学会も法華講も金を出し合って建立を喜んで勇んで大石寺に行ってたんですよ。私は夏期講習会というのがあった時に、宿坊に宿泊して丑寅勤行やその他学会独自のちょっとした文化祭みたいな行事に参加したこともあります。
本門戒壇の大御本尊が根本で、うちにある御本尊は会則で否定した電源と端子の関係だとその当時の幹部に指導されました。それをじっと信じて今日まで至っています。
なので、今の最高幹部たちが受持しないと宣言したということは、もういりませんと言ってるのと一緒のことなんですよ。
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創価学会の過去の指導
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「電灯にたとえて考えてみると、ヒューズがとんで電流が流れてこない電灯は、電球が切れていないからといって、いくらつけても明るい光を発しないようなもので、電球は本物であっても、電流が流れてこなければ光が出ないのである。したがって富士大石寺の大御本尊を拝まないものはすべて謗法である」
(折伏教典339頁) 年代や版は不明。調査中。
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本門の本尊とは日蓮大聖人が弘安二年十月十二日に御図顕の本門戒壇の大御本尊である。
本門の題目とは、本門戒壇の大御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えて修行することである。本門の戒壇とは、本門の本尊を安置し奉って信心修行に励む場所をいう。
(昭和43年刊行、池田大作監修、教学小辞典)
日蓮大聖人のご本懐は一閻浮堤総与の弘安二年十月十二日の御本尊にあることに間違いなく、日蓮正宗はこれを本尊として日蓮大聖人のご意志を継ぎ、一切衆生を救わんとするものである。
したがってこれは世界唯一の本尊であり、日蓮正宗は最高にして唯一の宗教である。
いま末法にはいって日蓮大聖人のご本懐は弘安二年であるということは一閻浮堤総与の大御本尊の建立をさしているのである。
この御本尊に対してたてまつって唱えるお題目以外の題目は、すべて、仏説に反することは明らかである。
この大御本尊に直結した曼陀羅を拝む信仰でなければ、絶対に功徳もなく、
ましてや、生命の本質をつかんで仏の境涯に立ち、永遠の生命を感得することなどは、とうてい望めないことである。
勝手な御本尊を拝むことが大きな誤りであることが、はっきりわかるのである。
これは不相伝なるがゆえに仏法の深義に迷うのであって、不相伝家はみな本尊に迷うということができる。
三大秘法とは、本門の本尊と本門の題目と本門の戒壇の三つであり、この本門の本尊すなわち弘安二年十月十二日に顕された一閻浮堤総与の大御本尊に対して題目を唱えるのが大聖人の教えである。
(改訂27版、池田大作監修、折伏教典)
日寛上人
「就中(なかんずく)弘安2年の本門戒壇の御本尊は、究境中の究境、本懐の中の本懐なり。既にこれ三大秘宝の随一なり。況や一閻浮代総体の本尊なる故なり」
(観心本尊抄文段)
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私がよく聞いた指導は無線機の指導です。
「皆さん方に題目を送ります。皆さん方もしっかり題目をあげてほしい。
送信機がいくら立派でも、受信機が壊れていてはだめだ」(「前進」昭和44年10月号)
今回の教義条項の改正でこの指導と池田大作の否定もしています。
学会本部は末端の会員の信仰心はどうでもいいと思っているのは明らかだと思います。
会員の信仰心を踏みにじっているわけです。
学会本部幹部は自分たちの利権やお金にお題目を送っているのでしょう。
法主が信徒や未入信の人の幸福を大御本尊に祈っても問題はないわけです。
日蓮正宗にいくのはカルトサーフィンになるのでおすすめしません。