閻浮提中御書 白米一俵御書(全集一五八九、一五九六ページ)
今回だけは昭和五十年代の御書全集ではなく、
学会版御書全集2015年7月第2版(10刷)(270刷)と比較です。
昭和二十九年再版時の御書全集は旧漢字です。
本文末尾、五行が移動されています。
サムネイル画像
閻浮提中御書
白米一俵御書
次の写真は創価学会版 御書全集が霊艮閣蔵版のパクリである証拠です。
昭和二十年代当時の聖教新聞では日蓮宗を邪宗であると連日のように掲載していました。
白米一俵御書(霊艮閣蔵版では事理供養御書)
閻浮提中御書(霊艮閣蔵版では師子王御書)
今回だけ学会版御書全集2015年7月第2版(10刷)(270刷)です。
持ってない人が多いと思われるので、写真を掲載します。
閻浮提中御書
白米一俵御書
学会版御書全集2015年7月第2版(10刷)(270刷)では、霊艮閣蔵版と同じに修正されています。修正時期はおそらく平成初期です。聖教新聞でも修正の案内があったようです。
「大石寺に日蓮真筆遺文があるにもかかわらず!」初版の原稿執筆段階で霊艮閣蔵版の末尾の本文五行を閻浮提中御書から白米一俵御書に誤って移動してしまったのでしょう。
その根拠は霊艮閣蔵版の写真をよく見て下さい。
「霊艮閣蔵版では、白米一俵御書の次に掲載されているのは、閻浮提中御書だからです。」
白米一俵御書が続集P125〜P127まで。其のすぐ次に閻浮提中御書が続集P127〜となっています。
創価学会版 御書全集が霊艮閣蔵版のパクリであることが確定する証拠の一つと言って良いと私は考えています。
なお、霊艮閣蔵版では白米一俵御書は事理供養御書。閻浮提中御書は師子王御書という命名ですから注意して下さい。
更に問題点があります。
閻浮提中御書と白米一俵御書は、「大石寺の日蓮真筆遺文」です。
過去記事に書いたとおり、堀日亨が名義貸しをしただけで編さん(原稿執筆のこと)も(学会員が書いた)原稿の最終チェックもしなかった可能性が濃厚です。
堀日亨は大石寺の日蓮遺文は読んでいたはずです。
1952年(昭和二十七年)から1992年から93年頃だと思われますが四十年間以上もの間、日蓮の正統派であるはずの日蓮正宗創価学会(当時)が大石寺の日蓮真筆遺文を間違えていたことになります。
なお、昭和の編年体のほうも間違っています。
-------'170206-------'170511-------'170526-------'170531
追記修正
◯原文 漢字仮名交じり文
◯真蹟 事理供養御書 9紙・石山蔵
◯真蹟 師子王御書 断片7紙(第11-17紙)・石山蔵
◯各遺文ページ数
記載された表現のままにした為、漢数字と英数字で不統一にした。
本文先頭ページ数(該当ページ数)
学会版 御書全集 白米一俵御書 (全集一五九七ページ)
(昭和二九年再版) すなわち命なり。美食を〜
(昭和五八年六月一二日) すなわち命なり。美食を〜
(一九八x年版) すなわち命なり。美食を〜
(二〇一五年七月二版) すなわち命なり。(終わり)
学会版 編年体(昭和四十九年)
白米一俵御書(霊艮閣蔵版では事理供養御書)一四四六(一四四七)昭和二九年版と同じ。
閻浮提中御書(霊艮閣蔵版では師子王御書) 一四六七(一四六八)昭和二九年版と同じ。
霊艮閣蔵版(昭和四二年版)
事理供養御書 続1_一二五〜一二七 すなわち命なり。(終わり)
師子王御書 続1_一二七〜 度々あだをな◯美食をさめぬ人〜
昭和定本 (c) 2003 改訂増補第三刷 平成一二年四月二八日
事理供養御書 2_一二六一ページ すなわち命なり。美食を〜
師子王御書 2_一六〇八ページ 度々あだをなし、(終わり)
日蓮聖人全集 第四巻 信行 一九九三年三月十五日 第一刷
事理供養御書 すなわち命なり。美食を〜
立正安国会 日蓮大聖人御真蹟対照録 未確認
----
日蓮正宗 昭和新定 日蓮大聖人御書 二巻、三巻
一九七九年(昭和五四年)七月一二日 再版
白米一俵御書(事理供養御書)P一六〇〇(一六〇二)すなわち命なり。(終わり)
閻浮提中御書(師子王御書) P一九四二(一九四四)度々あだをなし、美食を〜
一九四四の脚注に昭和定本のマークあり。
----
日蓮正宗 平成新編 日蓮大聖人御書 五版及びネットのPDF版(初版は平成六年)
白米一俵御書(事理供養御書)P一五四四(?)すなわち命なり。(終わり)
閻浮提中御書(師子王御書) P一三三二(?)度々あだをなす。美食を〜
----
日蓮正宗 平成校定 日蓮大聖人御書 初版
白米一俵御書(事理供養御書)P(一九九〇)すなわち命なり。(終わり)
閻浮提中御書(師子王御書) P(一六八八)度々あだをなす。美食を〜
----
行道文庫版(昭和五九年) 無し
行道文庫版(昭和七年) 無し
類纂高祖遺文録(大正版) 無し
-------'170206-------'170511-------'170526-------'170531
-------'170216-------
霊艮閣蔵版 事理供養御書 続1_一二五〜一二七 すなわち命なり。(終わり)
昭和定本 事理供養御書 2_一二六一ページ すなわち命なり。美食を〜
霊艮閣蔵版(縮刷遺文)昭和六年の版、昭和四二年の版で同じ記述です。
サムネイル画像
サムネイル画像
昭和定本 師子王御書に【重大な】注意書きが有りました。
縮続127「但し堀日亨の説により、末尾の一節”美食”以下を事理供養御書の”命なり”以下に移す」*1
とあります。(霊艮閣蔵版 続1_一二七〜)
サムネイル画像
(c) 2003 日蓮宗
*1の注意書きの内容は、堀日亨が生きていた時のものでしょう。
それが現在でも昭和定本には消されること無く、しっかり書かれていました。
(どの遺文でも万一、新しい写本や学説が見つかり、問題があれば履歴から元に戻すことが可能です。)
堀日亨が学会版御書全集を編さんしていない何よりの証拠です。
堀日亨の発表に日蓮宗が気がついたのか、堀日亨が日蓮宗に訂正を具申したのかは私にもわかりません。
最初の記事をアップロードした時の
学会教学部が「本文五行を閻浮提中御書から白米一俵御書に誤って移動してしまった」
というのは一時的に取り下げます。
断簡になっている和紙がどちらの遺文についていたのか、ということなのでしょう。
和紙を見たことのある人でないと判断できません。
各遺文集で違いがある、ということは理解して下さい。
堀日亨が間違えた可能性も学会版が間違えて混乱のもとになった可能性も残っています。
学会本部は質問されて明快な理由を出せるのでしょうか。
-------'170216-------
●遺文命名について
過去記事で指摘したように昭和新修別巻をみれば、学会版御書以前に遺文集はたくさん出ており、昭和二十七年の段階でたとえ大石寺にある遺文でも、独自の遺文名を付けることは、学問的にも失敗であり、読む人、論文を書く人など、配慮がなく不親切だったと思います。
堀日亨がいくら碩学でも独自の遺文命名することを日蓮系全体で理解賛同を得られていたとは思えません。そんな証拠となる堀日亨の論文すら、何処にもないでしょう。
実際にこうして編集ミスしているわけですからね。
学会版御書全集の遺文命名がヘンテコである事を証明するために、日興門流における遺文命名の調査を行い、記事を書くつもりでしたが、其の気はすっかり無くなってしまいました。(笑)
本シリーズがあまりにも酷すぎて呆れて笑うしかありませんから。
戸田城聖と門下が心血を注いだという御書編さんが書かれているのが人間革命。その否定になっていることもお忘れなく。
日蓮正宗、佐藤慈豊の遺文命名が気になるところですが。。。。
以上
●参考リンク
410.昭和定本の事理供養御書(白米一俵御書)現代日本語訳 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
2017/1/31
御書全集2015年7月第2版(10刷)(270刷)のサムネイル画像のタイトルが逆。入れ替えた。
170216
見せ消しを追加した。
-------170216-------本文を追加
獅子王→師子王
追記修正
-------'170206-------'170511
-------'170511------- 昭和新定を追記。
'170526 各遺文ページ数に昭和新定、平成新編を追記
今回だけは昭和五十年代の御書全集ではなく、
学会版御書全集2015年7月第2版(10刷)(270刷)と比較です。
昭和二十九年再版時の御書全集は旧漢字です。
本文末尾、五行が移動されています。
サムネイル画像
閻浮提中御書
白米一俵御書
昭和二十年代当時の聖教新聞では日蓮宗を邪宗であると連日のように掲載していました。
白米一俵御書(霊艮閣蔵版では事理供養御書)
閻浮提中御書(霊艮閣蔵版では師子王御書)
今回だけ学会版御書全集2015年7月第2版(10刷)(270刷)です。
持ってない人が多いと思われるので、写真を掲載します。
閻浮提中御書
白米一俵御書
学会版御書全集2015年7月第2版(10刷)(270刷)では、霊艮閣蔵版と同じに修正されています。修正時期はおそらく平成初期です。聖教新聞でも修正の案内があったようです。
その根拠は霊艮閣蔵版の写真をよく見て下さい。
「霊艮閣蔵版では、白米一俵御書の次に掲載されているのは、閻浮提中御書だからです。」
白米一俵御書が続集P125〜P127まで。其のすぐ次に閻浮提中御書が続集P127〜となっています。
創価学会版 御書全集が霊艮閣蔵版のパクリであることが確定する証拠の一つと言って良いと私は考えています。
なお、霊艮閣蔵版では白米一俵御書は事理供養御書。閻浮提中御書は師子王御書という命名ですから注意して下さい。
更に問題点があります。
閻浮提中御書と白米一俵御書は、「大石寺の日蓮真筆遺文」です。
過去記事に書いたとおり、堀日亨が名義貸しをしただけで編さん(原稿執筆のこと)も(学会員が書いた)原稿の最終チェックもしなかった可能性が濃厚です。
堀日亨は大石寺の日蓮遺文は読んでいたはずです。
1952年(昭和二十七年)から1992年から93年頃だと思われますが四十年間以上もの間、日蓮の正統派であるはずの日蓮正宗創価学会(当時)が大石寺の日蓮真筆遺文を間違えていたことになります。
なお、昭和の編年体のほうも間違っています。
-------'170206-------'170511-------'170526-------'170531
追記修正
◯原文 漢字仮名交じり文
◯真蹟 事理供養御書 9紙・石山蔵
◯真蹟 師子王御書 断片7紙(第11-17紙)・石山蔵
◯各遺文ページ数
記載された表現のままにした為、漢数字と英数字で不統一にした。
本文先頭ページ数(該当ページ数)
学会版 御書全集 白米一俵御書 (全集一五九七ページ)
(昭和二九年再版) すなわち命なり。美食を〜
(昭和五八年六月一二日) すなわち命なり。美食を〜
(一九八x年版) すなわち命なり。美食を〜
(二〇一五年七月二版) すなわち命なり。(終わり)
学会版 編年体(昭和四十九年)
白米一俵御書(霊艮閣蔵版では事理供養御書)一四四六(一四四七)昭和二九年版と同じ。
閻浮提中御書(霊艮閣蔵版では師子王御書) 一四六七(一四六八)昭和二九年版と同じ。
霊艮閣蔵版(昭和四二年版)
事理供養御書 続1_一二五〜一二七 すなわち命なり。(終わり)
師子王御書 続1_一二七〜 度々あだをな◯美食をさめぬ人〜
昭和定本 (c) 2003 改訂増補第三刷 平成一二年四月二八日
事理供養御書 2_一二六一ページ すなわち命なり。美食を〜
師子王御書 2_一六〇八ページ 度々あだをなし、(終わり)
日蓮聖人全集 第四巻 信行 一九九三年三月十五日 第一刷
事理供養御書 すなわち命なり。美食を〜
立正安国会 日蓮大聖人御真蹟対照録 未確認
----
日蓮正宗 昭和新定 日蓮大聖人御書 二巻、三巻
一九七九年(昭和五四年)七月一二日 再版
白米一俵御書(事理供養御書)P一六〇〇(一六〇二)すなわち命なり。(終わり)
閻浮提中御書(師子王御書) P一九四二(一九四四)度々あだをなし、美食を〜
一九四四の脚注に昭和定本のマークあり。
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日蓮正宗 平成新編 日蓮大聖人御書 五版及びネットのPDF版(初版は平成六年)
白米一俵御書(事理供養御書)P一五四四(?)すなわち命なり。(終わり)
閻浮提中御書(師子王御書) P一三三二(?)度々あだをなす。美食を〜
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日蓮正宗 平成校定 日蓮大聖人御書 初版
白米一俵御書(事理供養御書)P(一九九〇)すなわち命なり。(終わり)
閻浮提中御書(師子王御書) P(一六八八)度々あだをなす。美食を〜
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行道文庫版(昭和五九年) 無し
行道文庫版(昭和七年) 無し
類纂高祖遺文録(大正版) 無し
-------'170206-------'170511-------'170526-------'170531
-------'170216-------
霊艮閣蔵版 事理供養御書 続1_一二五〜一二七 すなわち命なり。(終わり)
昭和定本 事理供養御書 2_一二六一ページ すなわち命なり。美食を〜
霊艮閣蔵版(縮刷遺文)昭和六年の版、昭和四二年の版で同じ記述です。
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サムネイル画像
昭和定本 師子王御書に【重大な】注意書きが有りました。
縮続127「但し堀日亨の説により、末尾の一節”美食”以下を事理供養御書の”命なり”以下に移す」*1
とあります。(霊艮閣蔵版 続1_一二七〜)
サムネイル画像
(c) 2003 日蓮宗
*1の注意書きの内容は、堀日亨が生きていた時のものでしょう。
それが現在でも昭和定本には消されること無く、しっかり書かれていました。
(どの遺文でも万一、新しい写本や学説が見つかり、問題があれば履歴から元に戻すことが可能です。)
堀日亨が学会版御書全集を編さんしていない何よりの証拠です。
堀日亨の発表に日蓮宗が気がついたのか、堀日亨が日蓮宗に訂正を具申したのかは私にもわかりません。
最初の記事をアップロードした時の
学会教学部が「本文五行を閻浮提中御書から白米一俵御書に誤って移動してしまった」
というのは一時的に取り下げます。
断簡になっている和紙がどちらの遺文についていたのか、ということなのでしょう。
和紙を見たことのある人でないと判断できません。
各遺文集で違いがある、ということは理解して下さい。
堀日亨が間違えた可能性も学会版が間違えて混乱のもとになった可能性も残っています。
学会本部は質問されて明快な理由を出せるのでしょうか。
-------'170216-------
●遺文命名について
過去記事で指摘したように昭和新修別巻をみれば、学会版御書以前に遺文集はたくさん出ており、昭和二十七年の段階でたとえ大石寺にある遺文でも、独自の遺文名を付けることは、学問的にも失敗であり、読む人、論文を書く人など、配慮がなく不親切だったと思います。
堀日亨がいくら碩学でも独自の遺文命名することを日蓮系全体で理解賛同を得られていたとは思えません。そんな証拠となる堀日亨の論文すら、何処にもないでしょう。
実際にこうして編集ミスしているわけですからね。
学会版御書全集の遺文命名がヘンテコである事を証明するために、日興門流における遺文命名の調査を行い、記事を書くつもりでしたが、其の気はすっかり無くなってしまいました。(笑)
本シリーズがあまりにも酷すぎて呆れて笑うしかありませんから。
戸田城聖と門下が心血を注いだという御書編さんが書かれているのが人間革命。その否定になっていることもお忘れなく。
日蓮正宗、佐藤慈豊の遺文命名が気になるところですが。。。。
以上
●参考リンク
410.昭和定本の事理供養御書(白米一俵御書)現代日本語訳 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
2017/1/31
御書全集2015年7月第2版(10刷)(270刷)のサムネイル画像のタイトルが逆。入れ替えた。
170216
見せ消しを追加した。
-------170216-------本文を追加
獅子王→師子王
追記修正
-------'170206-------'170511
-------'170511------- 昭和新定を追記。
'170526 各遺文ページ数に昭和新定、平成新編を追記