創価学会の信仰に功徳はあるか?

コメントする人は「01.創価学会の信仰に功徳はあるか?を書く前に」を読んでね。

383.創価学会の日蓮大聖人御書全集は間違いだらけ(その3)「日蓮遺文の脱字と授与書き削除」

2016年06月29日 00時48分43秒 | 日蓮系遺文
●注意事項

2020年07月16日(木)以降、
本記事は本文でも画像でも全てにおいて引用、転載を一切、禁止とします。
本記事はリンクのみ許可します。
ツイッター、フェイスブック、他ツールから本記事に飛ぶことのみ許可します。

2016年06月29日から2020年07月16日の間に引用、転載した方は私や第三者の指摘の有無に関わらず削除をお願いします。
2016年06月29日から2020年07月16日の間に出版物などに引用、転載した場合はご連絡下さい。許可出来るか判断し、本記事の末尾に書名、筆者名などを許可と共に掲載します。

●創価学会が人間革命を主張しますが、戸田城聖と池田大作が仏教学的に革命がなく、大した人間でない事が前の2つ記事でわかってもらえたと思います。

●本尊の写真撮影禁止のウソ

戸田先生陣頭指揮で、御書を発刊 2002-2-25

このURLでは本尊の写真撮影をしてはいけないとの学会本部幹部の発言になっていますが、実際は大白蓮華81号に日昇が書写した本尊の写真があります。写真には本尊の前に戸田城聖も池田大作も写っています。
私の入信した頃は、上のURLと同じように本尊の写真撮影は禁止でした。

追記
犀の角のように独り歩め:大石寺を脱却できなかった 創価学会 新本部落成
このリンクの左側の写真が大白蓮華81号の写真。
日昇が書写した本尊と本尊の前に戸田城聖も池田大作も写っています。
(大白蓮華(だいびゃくれんげ)は聖教新聞社が月1回発刊している創価学会会員向けの機関誌のこと)


●10カ月間で発刊は手抜き

御遺文の編さんのは編集者の人数が多くいても時間がかかるのが普通です。類纂高祖遺文録などの当時の編さん状況を聞くと大変だったようです。

聖教新聞では池田大作が御書編さんに関わったことになっていますね。
池田大作が顔を出したとか激励しに来ただけで、ほとんど関わってないのではないでしょうか?
この10ヶ月のうちに”池田大作が御書編さんに関わった”のであればその間の学会活動は停滞するかほとんど出来ませんが、そんな話は聞いたことがありません。
300日のうち2,3日程度の数日、数時間だけ手伝っただけではないでしょうか?

池田大作が読書好き、勉強好きという話も本当なのでしょうか?
学会批判していたとある作家が、「池田大作は読んだ本を全部覚えているというが、そんなはずはない」といって実際に作家が池田大作氏に確かめた所、全て池田氏が答えることが出来、作家は感心した、という伝説を聞かされたことがあります。

詳細は後で書きますが、読書好きな人間が、日蓮聖人の遺文について50年も間違いをほうっておくというのは非常に疑問です。信仰心がないとしか言いようがありません。

誤字脱字や意味不明な遺文の並びである学会版御書全集。末端の会員が所持していて恥ずかしい御書ではないでしょうか?
池田氏や学会本部が末端会員を愛していない、大切にしてないのは過去記事に書いたとおりですが、御書全集でも同じことが言えそうです。

こうしたことから、池田氏が優秀な人間だったと言えないと思います。

学会版の御所全集初版は古本の価格でも高く証拠隠滅のために学会本部が購入しているのではないかと勘ぐりたくなります。

次からが本題です。

●晩年の立正安国論 広本は学会版御書にありません。

誤字脱字ではありませんが、まるごと無い遺文もあります。
縮刷遺文、平楽寺版、類纂高祖遺文録には立正安国論の略本、広本どちらもあります。
学会版の全集と編年体には略本しかありません。

学会では晩年の日蓮を「弟子の育成にあたられた。」といって褒める割には晩年の立正安国論広本はないわけです。
会員の育成は出来ませんね。

●日蓮遺文の脱字

日蓮遺文の脱字については、私が昨年秋冬に日蓮宗の遺文集をいくつかみたら気がつく脱字でした。
どの遺文集のどの遺文かは明記しません。探せばわかることですが、私からはある程度マインドコントロールが解けていて、口の固い人にしか教えたくはありません。
学会本部の人間が苦労すればいいでしょう。
日蓮宗の遺文に悪口を書いておいて間違いに気がつかない戸田城聖。50年も間違いをほうっておいたのが池田大作。

学会は正宗の法主や僧侶の書き間違いをとりあげて非難しています。こうした非難は1つや2つではありません。

●日蓮遺文の脱字と授与書き削除

日蓮遺文の脱字で思い出したのが板本尊の授与書き削除です。
1994年11月15日、日蓮正宗本山である大石寺の板木尊、計四体の脇書部分の「願主法華講総講頭 池田大作」を日蓮正宗側が削除したそうです。
(総一坊(住職・山崎慈昭)と総二坊(住職・田爪鏡道))

同時に教えられたのは、「宗門(日蓮正宗)や悪僧を赦すな」という”怒り”でした。
私は本尊を日蓮大聖人の生命の当体、仏法の真髄は宇宙生命である本尊と教えられていたので、板木尊の脇書削除を聞いて気分が悪くなったのを覚えています。

ところが学会は日寛上人の本尊の授与書きを削除したコピー本尊を’93年に配布しています。

私自身も新本尊配布を喜んだことを覚えています。
’93年9月8日、9日当時の新聞を大事に保管し暫くの間、折伏に使っていたくらいです。
私自身、矛盾に気が付けないわけですからマインドコントロールって怖いですよね。

学会の場合、池田氏の本尊の授与書き削除程度で、正宗を許してはいけないのです。
ところが、日蓮遺文の立正安国論を削除しただけにとどまらず遺文の文字をも御書に記載せず削除した結果となっています。本尊や遺文は大切なものであり、粗末にしてはいけないはずですが、こうした矛盾を抱えています。

創価学会ってなにかにつけ、いつもこうした矛盾や二面性があります。

マインドコントロールについては「怒りと恐怖」で過去記事を検索するか、過去記事の312番、”仏教の基本図書の紹介” - 創価学会の信仰に功徳はあるか?、ここの書籍紹介を見て下さい。

マインド・コントロールとは何か 西田公昭
マインド・コントロールの恐怖 スティーヴン ハッサン (著)浅見定雄 (訳)
スーザン・フォワード「毒になる親」
このあたりは必読です。

浅見定雄さん「“何を信じているか”ではなく“何をしている”かで判断する」

今となっては本尊の文字が間違っていようが、遺文集の誤字脱字があろうが私には恐怖だとか罰だとか地獄行くだとか全く思いません。学会と正宗は教団としても信仰者として彼らは不誠実、不真面目だと思います。
学会も正宗の僧俗も他者や他宗を誹謗中傷するのがクセであり日常ですけれど、両方共にどっちもどっちな無慈悲なダメ僧俗の集だと思います。

仏菩薩のように他人に慈悲深いか、さもなくば他人に親切か、さもなくば他人に誠実、真面目なら仏教的と言えると思います。
もちろん周りにウソや迷惑をかけないことが前提で大切です。


おまけ
●学会版、編年体の御書がでたのは昭和48年。

編年体の御書が全集に比べれば、誤字脱字を減らし編年で記載され、多少はマシになっています。
ところが、学会員で編年体を買う人はあまりいません。
学会編年体の御書がでたのは昭和48年時点で副会長だった福島源次郎や(教学部長だった?)原島 嵩の功績を讃えたくないからでしょうかね?
さすがにこれは勘ぐり過ぎだと思うのですが、私が入信した平成初期の頃も、編年体ではなく出来の悪い全集を勧められました。

Wikiによると、
原島 嵩(はらしま たかし、1938年(昭和13年)11月10日 - 2008年(平成20年)7月6日)は、日本の宗教家。創価学会元教学部長。

1968年(昭和43年)12月教学部長。
1969年(昭和44年)総務。
1970年(昭和45年)宗教法人創価学会責任役員、理論室長。
1972年(昭和47年)創価学会教学部師範。
1974年(昭和49年)聖教新聞論説主幹。
1977年(昭和52年)聖教新聞編集兼発行人、聖教新聞社主幹。
1979年(昭和54年)11月教学研究室長。
1980年(昭和55年)2月26日池田大作と一対一で教義違背を諫言(内容を検証可能な形で明記)。同年7月創価学会の全役職解任。同年8月2日創価学会より除名。

以上

329.福運は法華経にも日蓮遺文にも出ない単語 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
69.「師弟不二」という単語は御書の何処にも無い - 創価学会の信仰に功徳はあるか?

312.仏教の基本図書の紹介 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?


16.07.01 訂正 大白蓮華61号→大白蓮華81号
16.08.31 訂正 
’90年代の頃、→1994年11月15日
他。

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382.創価学会の日蓮大聖人御書全集は間違いだらけ(その2)

2016年06月23日 00時04分30秒 | 日蓮系遺文
創価学会版の御書が出来るまでと出来てから。

5.牧口常三郎はどの御書を使っていたのか?

 牧口常三郎は戦前の入信であり牧口の生家が日蓮宗だったことから、縮刷遺文(霊艮閣版)か、後に国柱会に入信していたので類纂(さん)高祖遺文録を使っていた可能性もあります。

日蓮正宗僧侶、佐藤慈豊の日蓮大聖人御書新集を牧口は所持していたかもしれませんが、三谷素啓と言い争いになり捨てた可能性があります。
佐藤慈豊の御書は牧口の遺品にはなく、縮刷遺文(霊艮閣版)でした。
(牧口は国立戒壇肯定派。三谷素啓と藤本秀之助は佐藤慈豊の教えを受けて国立戒壇否定派でした。)

牧口常三郎全集(第十巻)の本文中P142に記載されている日蓮遺文は現在の学会版御書全集と異なります。漢字や句点が異なっています。
縮刷遺文(霊艮閣版)か、類纂高祖遺文録だと思われます。
私が所持している平楽寺版とは異なっていました。
どうやら縮刷遺文に近いようです。
但し、牧口の日蓮遺文の引用は年代によって引用元が異なる可能性があります。
ところが注記には学会版御書全集のページが書かれています。

6.五十九世堀日亨はどんな人物だったか。

五十九世堀日亨は日蓮正宗の坊さんから嫌われ信頼されていなかったそうです。
法主になった後、相承について既に知っていたという発言をして問題視されたり、また法主の時にそばにいた稚児僧が発狂してしまったので、正宗の坊さんから徳が無いと言われ嫌われていました。
堀日亨は古文書と宗門史の専門家で御書や教学の専門家ではなかったそうです。
立正大学で講師もしていた堀日亨は日蓮宗の中では古文書や宗門史で高く評価されていました。

7.創価学会版御書はどの様に作成されたか。

日蓮正宗では日蓮正宗聖典を作成していたため、学僧、若手僧侶は協力しなかったそうです。

堀日亨が活字版の縮刷遺文を適当に取捨選択し大石寺系の遺文を追加して堀日亨独自の判断で、いい加減に並べただけだそうです。
議類別か編年体のどちらでもありません。
日蓮宗の遺文集は議類別か編年体のどちらかしかありません。

縮刷遺文(霊艮閣版)の読み下し文をそのまま引用するか漢文を読み下しにしただけなので間違いがそのまま残っていたそうです。
縮刷遺文に元々あった間違いに加えて、漢文をよく解ってない学会員が読み下しにした時の間違いが数多く追加されたのでしょう。
真筆や写真版との対照をしていないわけです。

原稿用紙に一文字一文字を書き入れて印刷所に出す必要があり、それをやったのが、学会教学部、少数の正宗法華講員、少数の小僧で池田大作はいなかったのが史実です。
印刷所から戻ってきたものを校正したのも学会教学部だそうです。

ほとんど堀日亨の名義貸しだけで、戸田城聖は五十九世堀日亨という権威が欲しかっただけです。
堀日亨編纂では無く、実際の編纂は創価学会教学部。

日蓮宗では古文書と宗門史で堀日亨を高く評価していので、堀日亨が御書を作ったのであれば評価するか批判するはずでした。ところが創価学会教学部が本文を書いたのを知っていたので、一切無視したそうです。

追記
創価学会版に近い遺文を並びをしているのは日蓮宗霊断師会の行道文庫「日蓮聖人御遺文」で、堀日亨はこれを模倣して遺文を並べたのかもしれません。

8.創価学会版の初版御書が出来てからの状況。

昭和27年(1952年)の初版はあまりにも間違いが多いので、すぐに再版されたそうです。これを第二版というべき。
第五刷の時に活字を組み直しているのを、第三版というべき。
本文に間違いがあり、本文の移動を行った版が実質的な第四版。
2016年の現在は第二版となっていますが、出版の常識からすると本来は第五版ぐらいです。

法華経開結や最近の富士宗学要集などなど膨大にある出版物は聖教新聞社、第三文明社などが出版していて、創価学会の出版物は御書全集しかありません。
(最初の富士宗学要集は創価学会が出版)

ところが、最近出た第二版でも大石寺の大御本尊の記述は消えていません。
学会本部にとって大御本尊の記述は保険なのでしょう。


日蓮正宗の坊さんは日蓮宗の縮刷遺文(霊艮閣版)か、類纂高祖遺文録か、平楽寺版、3つのうちどれかを使っていたそうです。この3つはよく出来ていて大きな問題なかったそうです。
学会版御書はあまりにも遺文の配列がぐちゃぐちゃで誤字脱字の間違いが多くて使えなかったそうです。ところが、学会員が学会版御書を持ってお寺に行くわけです。学会員がお坊さんに「どうして学会版御書を使わないんですか?」と言われるので仕方なく学会版御書を使ったそうです。これが昭和35年頃だそうです。

9.まとめ

学会にとって邪宗の僧侶である智英日明(京都本圀寺の弘法院檀林の能化)の遺文をパクったのが学会版御書。
学会版御書は日蓮系遺文集、縮刷遺文(霊艮閣版)のパクリでしかないのに、戸田城聖は御書全集「発刊の辞」で日蓮宗の遺文集に悪口を書いています。他の日蓮系遺文は教団都合が皆無とはいいませんが、他の教団への悪口なんかありません。また、他の日蓮系遺文はどちらかというと教団の賛嘆ではなく法華信仰や日蓮信仰を賛嘆し理解を求めています。

パクリでないと言うなら、霊艮閣版にある個々の遺文に稲田海素が書いた真筆・古写本との対照の証拠(文証)が必要でしょう。堀日亨が全国を回って真筆や写本を見たんですかね?

堀日亨の遺文の並べ方がナゾとしか言いようが無いので、疑問に思う学会員は大石寺に問い合わせるしか無いでしょう。(笑)
日蓮宗の遺文集は議類別か編年体のどちらかしかありません。
学会版御書は真筆、偽書、真偽未決について何も書かれていません。
学会版御書全集を少しだけマトモにしたのが学会版編年体御書です。

個々の遺文タイトルも日蓮聖人か富木常忍、日祐の誰がつけたかは不明ですが、学会版の命名は違背している可能性が高いです。
学会版御書は2016年で最新版の第二版でも本文に誤字脱字があります。
学会員の言う宇宙生命に違背して日蓮遺文や本尊の不思議パワーで不幸になるんじゃないですか?

2014年に大石寺とは関係ない、と学会はいいながら、大石寺の相伝遺文や相承書は掲載したままです。ところが最近、諌暁八幡抄などの日蓮遺文の写真は外して出版されました。
大石寺の所蔵の遺文でも長年掲載され著作権はとっくに学会にありますから問題ないはずです。折伏することを考えれば、折伏相手や新入会員に見てもらいたい、そんな信仰心が学会本部には無いのでしょう。



私も御書全集が使いづらいと思うようになり数年前から、昨年まで学会版編年体と日蓮宗の昭和定本を使っていました。それも嫌になり今は昭和新修と昭和定本を使っています。

以上

2016.06.29 7に本文追記
2016.06.29 8に本文修正と追記


「縮刷遺文」・山喜房仏書林 霊艮閣(蔵)版 日蓮聖人御遺文
「大正類纂」・師子王文庫  類纂高祖遺文録 日蓮聖人御書全集(大正時代)
「行道文庫」・霊断師会   日蓮聖人御遺文(全)
「昭和新修」・平楽寺書店  昭和新修 日蓮聖人遺文全集 全三巻 浅井要麟
「昭和定本」・日蓮宗    昭和定本 日蓮聖人遺文 全四巻
「岩波思想」・岩波書店   日本思想体系14巻「日蓮」 戸頃重基・高木豊
「平成類纂」・師子王学会  類纂日蓮聖人遺文集 平成版
「国訳一切」・大東出版   国訳一切経

真筆遺文の影印本
日蓮聖人御真蹟 (神保弁静編、大正三、一九一四)二十冊
日蓮大聖人御真蹟(立正安国会編、昭和三二、一九五七)四十八巻二十二冊
日蓮聖人真蹟集成(法蔵館編、昭和五十二、一九七七)一〇冊等

[201-218]前川 - k025_218.pdf(『縮刷遺文』の本文整定について【前川 健一】k025_218)

歴史上、後年に出たにもにもかかわらず、誤植、誤字、脱字。
盗用、剽窃など著作権法違反の問題などから使えない本。
「御書全集」・創価学会  日蓮大聖人御書全集
「学会編年」・創価学会  編年体 日蓮大聖人御書
「昭和新定」・富士学林  昭和新定 日蓮大聖人御書

御書の真偽
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381.創価学会の日蓮大聖人御書全集は間違いだらけ(その1)

2016年06月23日 00時03分18秒 | 日蓮系遺文
創価学会版の御書完成までの歴史を纏めてみました。

資料
平楽寺書店 昭和新修 日蓮聖人遺文全集 浅井要麟
P363〜P434「御書編纂の史的概観」

日蓮宗を含む日蓮系や立正大学の最新の学説や見解と異なっているかもしれません。


1.日蓮在世中
別巻 P370〜
日常(富木常忍)、日祐
中山法華寺

別巻 P376
日常、日祐の目録と録内録外の目録は異なり録内録外、その後の御書編纂に漏れたものがある。

別巻 P380〜
富士に於ける収集及びその文献

別巻 P370〜を見ると日蓮遺文の命名が学会版御書と大きく異なっています。


2.録内録外
別巻 P363〜

日蓮が亡くなった一周忌
六老僧が池上本門寺において奥書と加判。
百四十八編を録内とした。

日蓮が亡くなった三回忌
六老僧
百四十八編+二百五十九編。二百五十九編を録外とした。

文明2年、滅後一八九年の段階で既に日什門下の日存によれば
緑外の遺文は(一部分について)真偽定めがたいので之を用いるべきではない、と
残しています。

別巻 P365 録内録外集成に関する疑義

3.江戸末期

 近代の日蓮遺文集の元は江戸時代に智英日明が集成した新撰祖書。

智英日明(京都本圀寺の弘法院檀林の能化)が文化十一年(1814)に新撰祖書(50巻)を編集。
これをもとに小川泰堂が明治十三年(1880)に高祖遺文録を和本として刊行。
明治十八年に活字本として刊行。
さらにこれを修正校正した霊艮閣版、日蓮聖人御遺文(縮刷遺文)が明治三十七年(1904)に刊行。
--------
http://www.totetu.org/assets/media/paper/k025_218.pdf
『縮刷遺文』の本文整定について
前川健一
『縮刷遺文』は、近世における遺文研究の集大成である『高祖遺文録』をも
とに、真蹟や古写本を用いて、本文整定を行っている。
『縮刷遺文』編纂の経過については(中略)本文決定の手順はかなり複
雑である。
まず、本間海解が作成した校本をもとに、小林日董・河合日辰それぞれが作
成した校本が参照され、さらに稲田海素による真筆・古写本との対照結果を反
映して、本文が確定されている。発刊者の加藤文雅は「全巻一字毎に凡三十余
種の参考書に照合し本間僧正之を選択し更に吾同人数員の評訂に付するを例と
す」と述べている。)
--------

4.大正時代

大正三年(1914)に田中智学の類纂(さん)高祖遺文録が刊行。
大正九年(1920)に田中智学の本化聖典大辞林が刊行。
昭和二十七年(1952)に昭和定本日蓮聖人遺文が刊行。
昭和定本の元になっているのは、霊艮閣版、日蓮聖人御遺文(縮刷遺文)。


創価学会版『日蓮大聖人御書全集』の「発刊の辞」より
>「御書全集が皆無に近い現状であり、やむを得ず巷間流布されている御書に拠っていた」のが実情で、日興門流の門徒が『御書』を一般的に読むことが出来るまでには昭和期の創価学会が関与した『日蓮大聖人御書全集』等が出版されるまで待たなければならなかった。

上記は大ウソです。
平楽寺版 「昭和新修 日蓮聖人遺文全集」の別巻を見ると、大正以降に限っても日蓮の遺文集は活字版だけで20近く刊行されています。
霊艮閣版「日蓮聖人御遺文(縮刷遺文)」は一文字二文字の間違いを見つけただけでも修正版を出したそうです。17回程度改訂された。
戦前の類纂高祖遺文録も霊艮閣版が元で山川智應が、真筆や写本で校訂し18年程かけて2、3回改訂されたそうです。初期の霊艮閣版を見て問題を感じて類纂を出したそうですから信頼性は当時としては高いと思われます。

(つづく)



参考
犀の角のように独り歩め:鈴木一成著『日蓮聖人遺文の文献学的研究』を再読(3)
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/52040461.html
犀の角のように独り歩め:鈴木一成著『日蓮聖人遺文の文献学的研究』を再読(4)
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/52041833.html


メモ
タイトル 小川泰堂と智英日明について
著者 石川 教張
シリーズ名 第37回日蓮宗教学研究発表大学特集号
出版年 1985-06
対象利用者 一般
資料の種別 記事・論文
掲載誌情報(ISSN形式) 02891174
掲載誌情報(ISSNL形式) 02891174
掲載誌情報(URI形式) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000002651-00
掲載誌名 大崎学報
掲載通号 139


読了
本化聖典解題提要(日蓮聖人遺文の梗概) 山川知應
(この書籍だけは、山川智應でなく知應)
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舛添要一氏の辞職表明 周辺に「公明党に裏切られた」と話す

2016年06月15日 23時22分11秒 | 公明党
舛添要一氏の辞職表明 周辺に「公明党に裏切られた」と話す - ライブドアニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/11645858/

舛添知事 周辺に「公明党に裏切られた」
2016年6月15日 19時1分

 東京都の舛添知事が辞職願を提出した。舛添知事は15日午後、周辺に「与党の公明党に裏切られた」などと話していることが明らかになった。

 舛添知事は周辺に対して「リオオリンピックまで何とか続けたかったが、公明党が聞かなかった。それで自民党が不信任案を引けなくなった」などと話したという。何とかリオオリンピックまで知事を続けられるようギリギリまで自民党と交渉していたことがうかがえる。その上で舛添知事は「都議会を解散しようと考えたことはなかった。辞職は誰に説得されたのでもなく自分で決めた」と述べたという。

 今後は次の都知事選挙の候補者選びが焦点になる。各党は参院選の選挙戦の傍ら、早くも候補者の選定に着手している。現在のところ、自民党の石原経済再生担当相、小池元防衛相、民進党の蓮舫代表代行、長妻代表代行、前大阪市長の橋下徹氏、スポーツ庁の鈴木長官などの名前が挙がっている。

 2度続けて任期途中で政治と金の問題で辞職に追い込まれているだけに、各党には責任ある候補者選びが求められることになる。

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【舛添知事辞職へ】「立件は困難」検察幹部 “ザル”規正法、支出問わず - 産経ニュース
http://www.sankei.com/politics/news/160615/plt1606150066-n1.html

「立件は困難」検察幹部 “ザル”規正法、支出問わず
【舛添知事公私混同疑惑】

 舛添要一東京都知事の問題では、市民団体が政治資金規正法違反などの疑いで告発状を東京地検に送っている。地検の対応が注目されるが、検察内部では「違法性が高いとはいえず、立件は困難」との見方が支配的だ。

 規正法は支出内容をほとんど制限していない。政治資金収支報告書に嘘の額などを記した「虚偽記入」や、事実を一切書かない「不記載」が立件されたケースは多いが、不適切な使途であっても、額や支出先をその通り記入していれば違法性を問うのは難しいとされる。

 告発状を提出した市民団体「政治資金オンブズマン」は、額などが正しくても単なる家族旅行を「会議費」として扱った疑いがあり、虚偽記入に当たると主張している。だが、ある検察幹部は「使途が政治活動に当たるかどうかの線引きはしにくい。そもそも不適切な記載の額が少なく、処罰価値も極めて低い」と話す。
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創価学会、公明党が舛添要一を応援した責任はどうなってしまうのでしょうか?
またも選挙で46億〜40億の金が失われるのだそうです。
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