創価学会の信仰に功徳はあるか?

コメントする人は「01.創価学会の信仰に功徳はあるか?を書く前に」を読んでね。

292.オウム真理教(アーレフ)や上祐氏は平気な顔して宗教している。

2009年06月28日 19時12分18秒 | 創価学会
松本サリン15年…オウム元信者、河野さんへの償い : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

松本サリン15年…オウム元信者、河野さんへの償い

6月24日14時55分配信 読売新聞
 1994年6月に長野県松本市で発生したオウム真理教による松本サリン事件は、27日で15年を迎える。

 第1通報者、河野義行さん(59)の妻澄子さんも昨年8月、意識の戻らぬまま60歳で他界した。

 遺族や元信者が抱える言い尽くせない思い。あの蒸し暑かった晩から、それぞれの年月が流れた。

 「家族を守りながら疑惑と闘った最初の1年はとてつもなく長く、妻の介護を続けたその後の13年はあっという間に過ぎ去った。3人の子供は当時中高生。ほったらかしにしてきたが、成長した姿を見ると、月日の流れを感じる」

 河野さんは15年をこう振り返る。

 今年5月30日、山口市の会社員藤永孝三さん(48)は、山口県萩市の海岸で、河野さんと並んで釣り糸を垂れていた。講演で広島県を訪れた河野さんが寄ってくれたのだった。

 藤永さんは、元オウム真理教「科学技術省次官」。松本サリン事件では、村井秀夫元幹部の指示で、サリンの噴霧器を製造した。

 拘置中に河野さんの著書「妻よ!」を読み、たまらなくなった。殺人ほう助罪などで懲役10年の判決を受けたが、「自分の刑期など、失われた命の前では比較にならない」と思った。

 2006年6月、刑期を終えて、河野さんを訪ねた。目を合わせられず、ひたすら頭を下げた。河野さんは「あなたも運が悪かったねぇ」と声をかけてくれた。

 以来、月1度くらい、河野さん宅を訪れ、刑期中に覚えた剪定(せんてい)の腕をふるう。泊めてもらい、酒を酌み交わすこともある。

 ほかの遺族や被害者を忘れたわけではないが、謝罪など具体的な行動には移せないでいる。「これでいいとは思わないが、今の自分にできることは、河野さんを通じてすべての被害者に謝罪すること。自己満足かもしれないが……」と、苦しそうに語る。

 ◆犠牲の信州大生、姉と妹は医師に◆

 仏壇の前で声に出さず般若心経を唱える。阿部和義さん(66)(千葉県習志野市)の朝の日課だ。

 事件前日、信州大経済学部2年で、週末に習志野市に帰省していた長男裕太さん(当時19歳)は、外出する両親を玄関で見送った。「珍しいこともあるもんだと思った。『さよなら』って言ってくれた」。それが最後になった。

 28日朝、和義さんが松本署に駆けつけると、裕太さんは高校時代にレスリングで鍛えた大柄な体を縮め、窮屈そうにひつぎに横たわっていた。

 報道によって河野さんの関与を信じた時もあった。オウム真理教の犯行とわかると、真実を知るために、4遺族で教団と松本智津夫死刑囚らを相手取り、損害賠償請求訴訟を起こした。

 大学で法律を学んでいた長女は卒業後、医学部に再入学。中学生だった次女も医師の道を選んだ。「口には出さないが、2人とも裕太のことが頭にあったからだろう」と、和義さんは思う。

 家族4人が顔をそろえても、裕太さんの話をすることはない。「何を話したって裕太は戻ってこない。お互いの心の痛みを戻すようなことはしない方がいいと、みんな思っている」

          ◇

 ◆松本サリン事件=1994年6月27日深夜、長野県松本市の住宅街で、オウム真理教信者が神経ガス「サリン」を噴霧。学生や単身者向けのマンション、社員寮などで計8人が犠牲となった。重軽症者は約600人。河野義行さんを巡る県警の捜査や報道も問題となった。元教団幹部ら14人が起訴され、松本智津夫死刑囚(54)ら7人が死刑判決を受けた。

最終更新:6月24日14時55分

読売新聞

コメント (1)
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某SNSのメモ 宗教の話を聞く側の「人」、救われる側の「人」5

2009年06月23日 21時15分36秒 | 創価学会
http://gree.jp/?mode=blog&act=view_per_entry&user_id=6780560&urn=urn%3Agree%3Ablog%3Aentry%3A264524641

12. そううそ (18) - 2009/06/23 20:26
○○○○さん。
こんばんは。

>心よりお詫び申し上げます。

丁寧に有り難うございます。
こちらこそ、説明が足りなかったようで申し訳ありません。

>【記憶】←→【記録】の相対は、大阪生まれの某有名カメラマンの前●先生から教えていただきました。

そうでしたか。
しかし上記のコメントにも書いたとおり、私が問題があると思うのは下記の箇所です。

>報われぬものも多発しアンチが生まれるのでしょう。

下記には問題がないと思います。

>仏法は本来、記録と記憶が表裏一体では無いため

私も「記録と記憶が表裏一体では無い」という見解はケースによって十分に有り得ると思います。
問題だ、と指摘しているのは「報われぬものも多発しアンチが生まれるのでしょう。」です。

>最近自称、無宗教の方といえども、三証の使い方もなんだか創価学会とそっくりの方もおられるのですね。

当然です。
私は元、日蓮正宗創価学会員ですし、破門後は学会員でしたから。
それから葬儀の議論と同じく、あなたに存在する矛盾に気づいて欲しかったからです。

>↑このようなことは親心ゆえか?ありがたいのですが。。。

私が親ではなく、対等な友人では駄目ですか?
そういう意識を持って頂けませんか?
私は説明や指摘、ある程度批判もしますが、読書したり考えたりするのは○○○○さんです。

●『思想信条の自由』の破壊活動

>日記での異論は世間的に申して『思想信条の自由』の破壊活動ともいえるかと思います。

違います。
葬儀の議論と同じく他者の気持ちを破壊しているのはあなたです。

”『思想信条の自由』の破壊活動”など最初から議論していません。
葬儀の議論と同じく”『思想信条の自由』の破壊活動”など最初から議論していません。

☆☆☆○○○○さんが私のコメント意見を100%を受け入れても
日蓮遺文や日蓮を祖師とする信仰は選択は可能ですし、
今回も前回も日蓮信仰すること自体が問題ではありません。☆☆☆

簡単に言うと日蓮信仰の悪用が問題かと思います。
(つづく)


返信する
13. そううそ (18) - 2009/06/23 20:26
○理由

「報われぬものも多発しアンチが生まれる」と書かれていますが、
○○○○さん(I)からみたら
報われない人、
それから
アンチである人
どちらも他者(You)です。
自分以外の他者(You)です。
A.アンチ、他宗の人は「報われない」という意味合いを持つわけです。

葬儀の議論と同じく、日蓮正宗以外の葬儀には意味が無い(or教義を知らないので意味がない)
このときも正宗信徒で教義を知っているのは○○○○さん(I)です。
B.他宗の人は意味がなかったり不幸になるという意味合いを持つわけです。

A.他宗の人は「報われない」という意味合いを持つわけです。
B.他宗の人は意味がなかったり不幸になるという意味合いを持つわけです。

AとBはどちらも「日蓮正宗信徒である自分(I)が幸福である、幸福でないと困る」前提に成り立ちます。
「報われぬもの=アンチ」という意識、構図、認識です。
ここで○○○○さん(I)が自分自身に幸福を感じる事は何の問題もありません。信仰は有っても無くてもOKです。
ここでは○○○○さん(I)が他者(You)に”信仰を前提として無認識に”「意味が無い」「報われてない」と感じている事が問題です。

世間一般の人でも私でも他者(You)に「意味が無い」「報われてない」と感じる事は良くある事です。
ここでは○○○○さんにある極端さや決めつけ、それから”信仰を前提とした無認識”が存在する事が問題なのです。

>結局暗に述べている『自分が正しい』という押しつけの枠を外して

いいえ。
私は正しくもあり、かつ正しくありません。
葬儀の議論の時点で話している観点を理解頂いていないようです。
ですから今回の○○○○さんの発言になったのでしょう。

上記の通り、信仰継続、信仰の正しさが問題ではなく、
私そううそ(I)からみて○○○○さん(You)が ”多くの他者” を傷つけている発言が問題なのです。
その他者の中には正宗の葬儀をしない、正宗アンチである私そううそも含まれます。

葬儀の議論の後、オフ会で○○○○さんから笑顔で握手を求めて頂きましたね。


返信する
14. そううそ (18) - 2009/06/23 20:27
私は苦笑しながら握手してしまいましたが、ヽ(^o^;)ノ
求めて頂いた事は今でも嬉しく思っています。(^^)/
最初に腹を割って話してから深い友人になっても良いと思いますし
少しずつ相互理解をして後々腹を割って話し、友人になってもどちらでも良いと思います。

ではでは
長文失礼しました。

19. そううそ (18) - 2009/06/23 23:17
○○○○さん
こんばんは。

>どこの宗派も自分のところの教義が勝れ成仏できるとおもうからその教義に基づいて葬儀を執行するわけです。なにも日蓮正宗に限ったことではありません。
>「うちの宗派は間違っていますよ!」という馬鹿者は珍しいでしょう(笑)

このことは私も同感です。
同じ内容を度々、自分のブログに書いています。

>無宗教を標榜されている方があるコミュで数名居られていましてその矛盾を感じ「無宗教者と言えど、亡くなると何処かの宗派で葬儀をされるのでしょう?」
このような意味合いの発言をあるコミュでさせていただきました。

日本人個人の無宗教というのは正月は神社、
お盆は葬式は仏教、クリスマスも祝う、結婚式は教会なんてのがあります。
どのくらいの%かはわかりませんが、
会社の中でも皆さんそんな感じです。

ですから、あなたや学会員にとって
周りの皆さんが”教義を知らない”ことが
無意味のように思えるかもしれません。
しかしそれは創価学会や正宗の人に多々見られる
言動といえるのではないでしょうか?
問題ある言動とワンセットなのです。

「報われない」「意味がない」というのは見下しているじゃないですか。

原始仏教や原始キリスト教は「報われない」「意味がない」人の所に近づいて、その人の望みを叶える一面があります。
宗教者(救済者側)は
”あの人は「報われてない」”
”あの物事は「意味がない」”
思うかもしれませんが、そんな冷たい事はいっていません。
近づいていって(例えば)「どうしたのですか?」
というアプローチをするのです。

私から見たあなたも宗教に限ってのみ、
他者(アンチや一般)への理解や知ろうとする意識、
他者への許容が薄いのです。


返信する
20. そううそ (18) - 2009/06/23 23:17
>そううそさんが勝手に「日蓮正宗の葬儀でないと不幸になるというのか」というような事を申しました。
私の発言の内容と主旨が異なるのです。
それをずっと捻じ曲げられ論じてこられた。

いいえ。
あなたの発言はあなた個人特有の物ではなく、
創価などの日蓮正宗系信徒会員に
「よくみられる言動パターンなのです」

日蓮正宗の人は布教をしたら駄目と私は言っていません。
創価などの日蓮正宗系の布教(法論、折伏)における教義は、
「現代では根拠が薄いか通用しない」
「絶対的な物ではない」
と言っているのです。

ですから、
布教や教義が「現代では根拠が薄いか通用しない」
と言っているのですから、
他宗の葬儀が無意味とかアンチとか、報われない
という意識、認識、レッテル張りは現代では通用しないのです。

日蓮を肯定するだけなら問題は薄い(0ではない)
のですが、他者、他宗教を否定する発言と
ワンセットだと問題があまりにも大きいのです。

「本人が納得しているのであれば」
”無理して”正宗信仰や葬儀を捨てる必要もないが
”あえて、”他者に勧めたり、布教する根拠は薄いか通用しない、のです。
日蓮がした四箇格言などで他宗を否定する根拠は
「現代では薄いか通用しない」のです。

もう一度書きますが、
「報われない」「意味がない」というのは見下しているじゃないですか。

(鎌倉時代では日蓮の四箇格言はある程度、通用していたと思います。)

しかし、当人は教団都合の嘘を教えられ嘘を信じ、嘘を人に教えようとする問題が残ります。
コレが理由で私はブログを書いているわけです。



返信する
21. そううそ (18) - 2009/06/23 23:27
>周りの皆さんが”教義を知らない”ことが

訂正

周りの皆さんが”無宗教であること”や”教義を知らない”ことが

http://inunomeme.blog.ocn.ne.jp/kakarityou/2009/06/post_d5c5.html?cid=21945937#comment-21945937

こんばんは。
メメさん
ちゅうたさん

 当たり前の事なんですけれど、木田さんという方は仕事ですから営業トーク、営業スマイルする必要がありますよね。つまり、喧嘩したり断りにくい状況にありますね。

 学会側のオバチャン達も「嫌な顔をしている」とは気がついているのですが、そうさせたのは自分たち学会側である事に気がついていませんし、問題も感じていません。
オバチャン達の笑い話になっているのは「わかってないなー」「境涯が低いなー」と思っているからでしょう。

>世界平和・民衆救済のために、全力で戦い、勝利しなければならないので、相手の気持ちだとか人の迷惑なんてのは、いちいちかまってられない

 同感です。学会員は自分の宿命転換や福運、幸福しか考えていませんね。
他者救済でもなければ、平和でもなければ嫌な感情が生まれます。

>報告とかもありますし、相手がどうとかってことよりも、自分はどれだけ貢献できたか、どれだけ頑張ったか。戦いきったか?

 実際に男子部の会合でも「自分はどれだけ貢献できたか、どれだけ頑張ったか。戦いきったかが大事だ。これで宿命転換や福運が決まる。」と言われますからねぇ。。。。婦人部も同じなんでしょうね。全く迷惑な団体です。

ではでは

投稿 そううそ | 2009/06/27 19:04

-------------------------------
http://gree.jp/?mode=community&act=bbs_view&thread_id=10865968

5. そううそ (18) - 07/05 10:02
私も○○さんのコメントと同じ意見です。
但しトラブルを避ける為に
にっこり笑顔で
「私、宗教に興味がありませんから~♪」(^^)/
あっさり断るのが大事だと思います。
言ったらささっと離れましょう。


http://gree.jp/?mode=blog&act=view_per_entry&user_id=7737268&urn=urn:gree:blog:entry:280162345

7. そううそ (17) - 2009/07/30 21:20
こんばんは。>ALL

末端だけでなく、創価学会本部のまともな人も
左遷や冷や飯食いの状態です。
資本主義下における宗教教団というのは
教団トップをはじめとして、
まともな人間形成を困難にする気がします。

では共産主義、社会主義が良くてこれらに
幻想を抱く人がいるようですが、そもそも
根本的に間違っていると思います。
宗教が健全にすすむ(育つ)為には資本主義は
悪であるかあるいは宗教とは相容れないか
向かないので、共産主義、社会主義(全体主義)が
良いなどetc。と。

元々、「人の言動」が原始宗教(仏教ではない)を
形成したのであり、
教団や教団トップの幸福の基準がお金や権力など
社会の主義(わかりやすくいうと世の中)や流行に
囚われすぎているんだと思います。
「宗教が健全にすすむ(育つ)為に」とは
実に教団トップ、教団の都合かと。

世の中にこだわりの少ない他者の為のある人の言動
なのか?それとも
世の中に悪しきこだわりを持つ自分たち教団トップや
教団都合の言動
どちらなのか?
ということかと。。。。

個人的には○○○○さんには正宗を離れて欲しいですね。暖かく受け入れる他の教団も無いのでしょうけど。

ではでは

宗教で性格は変えられるか
http://blog.goo.ne.jp/gehen_584/e/a1a4fef6362fd07e63ebb95493e81d18

Unknown (そううそ)
2009-08-02 00:46:18
○○○さん
こんばんは。
はじめまして。

>自分自身の大嫌いな性格を、信教によって変えよう
>気が弱くて物凄く要領が悪いのです。
>利用されてでもいいから、大きな力によって自分自身を変えたいと思っている。

 とても良いコメントかと。
私も10数年創価学会にいましたが、その経験からしても危険だと思います。

●自分が好き/嫌い

自分に欠点があれば、嫌悪感を持つのは誰でもありえます。

しかし人は誰でも年をとり出来なくなる事が色々と多くなります。
年寄りになって出来なくなると今、自分が嫌いだとしても
未来の 「出来ない自分」 が益々嫌いになります。
何かおかしくないですか?

年寄りになった自分を想像してみて下さい。
年寄りになって「出来なくなった自分」からみたら、
若い時の「出来ている自分」は好きになるべき自分だったのでは?

嫌いな性格(自分)、
気が弱い自分
要領が悪い自分

要領が悪いのであればamazonやネットで「グズ」「要領」で検索して読書からはじめては?

小さくても良いから「グズ」「要領」を変える事が出来た自分を好きになる事が大切です。
その積み重ねが性格の一部になっていきます。
出来たら出来た分だけ、出来なくても努力している分だけ自分を好きになれます。

自分を見つめたり自分探しをしたり、宗教から自分を見つめる事は悪い事ではありませんが、
現代の伝統宗教教団はあなたから時間とお金を搾取するばかり得る物は少ないでしょう。
ましてや、新興宗教教団やカルト教団には失う物ばかりで得る物は「0」でしょう。

カルト教団は嘘や怒りや恐怖などの不健全をあなたに与えます。
今度はあなたが嘘や怒りや恐怖などの不健全を他者に与える事になります。
大きいか小さいかは別問題です。

嘘や怒りや恐怖などの不健全を他者に与える事があなたのしたいことですか?
なりたい自分、未来の自分ですか?

○気が弱い?

 コメントを書き込めるだけ気があった(強い)のでは?
軒ちゃんさんであれば普通にお返事してくれるでしょう。
コメントを書き込めるだけでも自分を好きになるべきかと。

池田大作氏や日顕氏、彼らの取り巻きは私や軒ちゃんさんのブログに
書き込む事の出来ない程に「気が弱い」です。
しがらみや嘘を抱えすぎてネットにコメントを書く、そんなことも出来ないのです。
彼らは自分で出来ませんから部下や他者にさせるしかありません。

気が強くなりたいあなたが、「気が弱い」池田大作氏や日顕氏を師匠としてはいけません。

ではでは



http://gree.jp/?mode=blog&act=view_per_entry&user_id=8028711&urn=urn:gree:blog:entry:281254441

萌え寺? ブームに沸く東京・八王子市の「了法寺」 (1/2ページ) - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090729/trd0907291447004-n1.htm

ASCII.jp:「大吉出たから始めた」萌えるお寺、了法寺ができたワケ
http://ascii.jp/elem/000/000/436/436162/

3. そううそ (17) - 2009/08/02 07:08
おは!です。
犀角独歩さん

先日私もこれを見て笑いました。
一時的な受けには良いでしょうね。
仏像も仏画もオタクアイテムの
フィギュアや同人誌と変わりありませんから。
萌えキャラを作ってロゴにするぐらいなら
宣伝の内なのかもしれませんが、
ここまでやると仏教のまっとうな理解は
されない気がします。

独歩さんに教えて頂いたとおり、
仏教の歴史をみれば原始仏教とは大きく
かけ離れてしまったわけですよね。

ブッダの言動をそのままに行うのではなく、
ブッダが禁止した外道的な祭壇(戒壇)や本尊、
呪術や祈祷(唱題)、仏像や寺、余計な学説を
作り、経文(本尊など)を新たに作り上げて
しまったあたり、遠回りだったわけです。

独歩さんがおっしゃるとおりお坊さん達には
再出家が必要かと思います。
銀行などのアドバイザーや経営学から見たら
このお寺の経営方針は正しい行動なのでしょう。
商売ですから。(笑)ヽ(^o^;)ノ

他者の為ではなくて僧侶である彼らの利益の為ですから。(笑)ヽ(^o^;)ノ

ではでは

40. そううそ (17) - 2009/08/02 11:44
>32
>○○さん
ちはー。

>最近、ていうかmixiの自称日蓮宗信者の発言見たり、萌え寺住職見てたら、何だか正宗系信者達の信仰に対する姿勢の方が「健全」に見えてきますよ。
>ま、その他は問題ありなんで認められませんが。

34で独歩さんが書いていますが、
熱烈な信仰つまりそれを創価など信徒会員が
よく言うところの「純粋」です。

彼らと会話する時に頭の片隅においておいて
彼らの中に存在する誤解や矛盾を解きほぐすことが
いくつかある内の一つのポイントになると思います。

「教団都合の純粋」ではありません。
カルトに対し一般人やアンチという立場が
ありますが、その一般人やアンチという立場から
みても信仰者が持っていて良い安全そうな
「純粋さ」は有り得ると思います。

実際にこういったことを議論出来る信徒会員は
ほとんどいないと思いますが。。。。
一般人側がこれらの理解を示すこと、
つまり2つの純粋さを説明出来ると
相手がそれ以上何も言えなくなるケースは
多々あるように思います。

http://gree.jp/?mode=blog&act=view_per_entry&user_id=8028711&urn=urn:gree:blog:entry:282263526

1. そううそ (17) - 2009/08/04 19:42
こんばんは。
ALL。

>②危ない精神分析―マインドハッカーたちの詐術
>矢幡洋 (著)

>③心理テストはウソでした

これらの本は読んでいませんが、気にはなっています。

○分析
「分析」というのは行き過ぎると
創価の地獄、餓鬼、畜生、修羅などの
レッテル張りと何も変わりがありません。

ハッサン氏は
”過去に起こったことを書き出すことが良い”
との意見でしたが、一般的なカウンセリングでは
人によって「分析」や「思い出す事」自体が
自殺などに繋がるケースもあるようです。
(レイプ、虐待、暴力が理由か?)
カルト問題においてレイプ、虐待がなければ
書き出すことに問題が少ないのかもしれません。

このあたりは100人いたら100通りのケースがあると思います。

それと心理学やカウンセリングを支えるのは
分析だけではありません。
統計や投薬もあります。

○治療時の会話など
カウンセリングのアプローチとして
医者側から患者に近づいていくアプローチがある事も
見逃せません。

○宗教と心理学
私もFBIさんからご紹介頂いたのですが、
心理学を用い宗教を肯定している書籍もあります。
もちろん真面目に書かれていて現代に通用する
アドバイスだと思いますが、”現代の宗教教団の多くが
「「全く」」 取り入れる気がない”(1)点に
大きな問題があります。
萌え寺も良い例でしょう。

”宗教はこれからの現代人には不要”というのが
私の意見ですが、(1)はいくつかある内の理由の
一つです。

○心理学の学び方。
 私はブログを書く都合上、
「心理学」や「カウンセリング」
というキーワードで書いていますが、単独でなく
心療内科や精神科、臨床心理士などのキーワードや
系統説明が必要なのかもしれません。
正直に言ってそこまで手が回るかわかりませんが。

1.心理学も様々な学説がある。
1.必ずしも1ケースで一つの学説が100%妥当ではない。
1.心理学やカウンセリングにも問題点が見つかるのは
 当然でそれは改善される点もあるでしょう。
 医学界の問題でもあるので。
 (宗教界は全く改善されていないのでは!?)
1.心理学に問題があるからといって宗教に問題がないとは言えません。

ではでは
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291.犀角独歩さんの日記 最近、とても不愉快だったこと

2009年06月15日 23時49分25秒 | 創価学会
最近、とても不愉快だったこと
http://gree.jp/?mode=blog&act=view_per_entry&user_id=8028711&urn=urn%3Agree%3Ablog%3Aentry%3A261759204
犀角独歩さんの日記を全文引用。

---------------------------------------------------
最近、とても不愉快だったこと
2009/06/14 12:03
6月7日、創価大学で「宗教と社会」学会第17回学術大会が開催されたこと。
実行委員長は創価大学の中野毅氏。JSCPRの所属の会員も何人か参加したようだ。ひとことで言って「不愉快極まりない」。

日本で「カルト」という言葉が本格的に使われるようになったのは90年代のことだった。S・ハッサン氏が『マインド・コントロールの恐怖』を書き、翻訳したのは浅見定雄JDCC(JSCPRの前身)2代代表理事だった。

あまり、取り沙汰されないが、この本のなかで日本の宗教でカルトとして挙げられているのは、NSA(日蓮正宗アメリカ)ただ一つ。創価学会が、日蓮正宗から離れる前、世界での名乗りはもっぱら Nichirenshoshu。意味としてはいまのSGIといったところ。坊さん集団の日蓮正宗など世界はさして相手にもしていなかったから、NSAとはすなわち、創価学会をさしている。同書には以下のように記述されている。

……いまはフィラデルフィアで指圧療法士をしているゲアリー・ポーターは、ナンシーと出会い、恋をした。彼女はNSA、「アメリカ日蓮正宗 Nichiren Shoshu of America 」に入っていた(この組織は日本ではじまり、仏教の系列だと言うのだが、もう20年このかた、合州国で会員を獲得してきている――訳注=「アメリカ日蓮正宗」という名称は、いまでは変更されているかもしれないが、ここでは原著の記述どおりにしておく)。このカルトの会員は、和紙の巻物 ― 御本尊 ― の前で不思議な言葉をくりかえし唱えれば、自分たちの欲しいものを何でも獲得する力が身につくのだと信じている。2年以上も信心を続けたあと、彼女はだれか医師と出会って結婚できるように、1日何時間も「南無妙法蓮華経」唱えはじめた。
「駐車の場所だろうと新しい仕事だろうと学校の成績だろうと、何のためにでも彼らはこれを唱えるのでした」。ゲアリーはFOCUS支援集会で元カルトメンバーたちにそう語った。
 ゲアリーはメソジスト派のキリスト教で育ったが、ナンシーと出会ったころ、彼は落ち込んでいた。
 「私は指圧療法専門学校の4年間で燃え尽きていました。いちばんの親友が自動車事故で死にました。兄弟たちが私に、家へ帰って病気の母の面倒をみるようプレッシャーをかけていました。人生の問題を解く鍵を約束する集団にとっては、私はいい“カモ”だったのです」
「このグループは不気味だなと思いましたが……」とゲアリーは言った。「私はお経を唱えることに同意しました。信じられないような昂揚感が得られました。私は御本尊を買い、プンシーと結婚して、そのグループに5年間いました」。
 NSAは、勧誘のため、また会員の信仰を強めるために、ティナ・タープーやパトリック・ダフィーといった有名人をよく使っていた。もうひとつのセールス・ポイントは、「世界平和のために活動しています」だった。NSAは、彼らの読経だけが世界を破滅から救うのだと会員に信じ込ませていた。しかし会員は、NSAが後援するデモ行進(大部分の主流派平和団体からは敬遠された)のほかは、平和促進のためほとんど何もしていない。NSAの行進は、たしかにメンバーの時間とエネルギーを支配する役にはたった。「私たちは、週に3、4回、グループの集会に行かなければなりませんでした。読経に毎日何時間も費やすのは言うまでもありません」。メンバー同士の関係は、疑う人間は黙らされ、迎合が報いられるのだということを確かめるように操作されていた。
 ついにゲアリーはNSAのリーダーと何回か衝突を起こし、追放すると脅かされた。心の底深くでは、それが自分の願っていることだった。プレッシャーと操作に、ゲアリーは疲れきっていた。また、時間と勢力を全部NSAに注ぎ込んでしまうため、指圧の仕事も損害を受けていた。
 ふたりは結局グループから追放されたのだが、ナンシーは次の1年、自分は末期ガンで死にかけているのだという考えに悩まされて、精神科にかかった。自分はただ教え込みどおりに反応しているのだということが、そのときはまだ彼女にはわからなかった。ほかの多くのカルトメンバーと同様、彼女も、NSAを離脱して読経をやめれば恐ろしい結果が生じると怖がるようになっていたのだった。
 ゲアリー・ポーターとナンシー・ポーターの物語は、ある種のカルトの物語ほど劇的ではない。彼らのカルト生活は外目には比較的正常だったし、死んでいくメンバーのために徹夜を命じられたりもしなかった。幸運にも、ふたりはいっしょにカルトをやめることができた。マインド・コントロールと破壊的カルトに関する資料を調べはじめるとすぐ、本質的にはNSAも、終日一緒に暮らすことを要求するグループと同じマインド・コントロールの手法を使っているのだということが、ふたりにはわかった。だが、ふたりの人生を修復するのには数年かかった……

こうして、日本で唯一「カルト」とされた“日蓮正宗創価学会”の、その創価大学で、「宗教と社会」学会が開催されたのだ。もちろん、ハッサン氏がカルトを提議していくのに使っていった学問は社会心理学ではある。しかし、宗教・社会学は、JSCPRでカルト問題を考える基準になっているのは紛れもない事実ではないか。驚くのは、この会には宗教・社会学者のみならず、弁護士も参加している。

「単なる会場」というのが、参加擁護の口上だった。
「『単なる』か」と思った。

創価学会が社会のなかで、とりわけ、学問の世界で大手を振って支配を恣にするようになるのには長い道程があった。

石田次男氏を初代所長にして池田大作氏が創立した東洋学術研究所(のちの東洋哲学研究所)、そして、その季刊誌『東洋学術研究』、第三文明社の設立、創価学園、創価大学の設立。

創価学会は、芳醇な資金で、高額の稿料、論文点数での大盤振る舞い。宗教と社会、さらに心理学の社会を支配していった。

昭和49年に開催された創価学会第15回学生部総会の池田講演は『第三の偉大なる蘇生の道を』だった。

なんと、その後、カルト理論の基礎となるE・フロムを、はじめてわたしが知ったのは、この池田発言だった。

……そこで本日は、このファシズム復活の危険性に対処する私どもの基本姿勢、根本的考え方を仏法者としての原点に立って、所感を申し述べておきたいのであります。
 ファシズムとはなんであるかという問題については、さまざまな側面があり、その定義づけについて、多くの議論があるでありましょう。
 そのなかには、とくにドイツのナチズムに典型的にみられたように、人種主義があり、一人の政治権力者、一つの党による完全独裁政治があり、思想、言論、集会等の自由に対する抑圧があり、進歩への否定があり、さらに武力による対外侵略という問題がある。
これらは、いずれも無視できない問題でありますが、それらの根底にあって、こうした種々の特徴的機能を生みだしてきたファシズムの本源はいったい何か。
 それを私は、集団力の崇拝であり、集団のなかへの個人の埋没、個の圧力的消滅であると規定できるのではないかと考える。
 そうした集団のなかへの個人の埋没と消滅という点については、エーリツヒ・フロムが「自由からの逃走」という著書のなかで、精神分析の手法を適用することによって、徹底的に解明しているとおりであります。それは、ナチズムの全盛時代に書かれたものでありますが、ドイツの民衆がなぜ一人の政治権力者・ヒトラーの独裁体制下に喜んで自ら入っていったか ― すなわち、ワイマール憲法という理想的な民主憲法をもちながら、それが、なぜ一転してファシズムに走ったかの謎を、明快に示してくれている。
 フロムによると、それはルターやカルヴァンによるプロテスタンティズム以来、用意されてきた精神的空白と無力感、権威への服従主義から出ている一種の病理現象である。
これが一方では、ナチズム、ファシズムとなり、一方においては資本主義社会となった……

以上の、池田発言を読んで、「天に唾する」思いを懐くのはわたしだけなのだろうか。

創価学会のユング贔屓と○○○○氏との関係はよく取り沙汰された。
もし、創価学会が興味を持たなければ、フロムも、ユングも日本ではこれほど、流行らなかったと感慨すらある。

皮肉なことに、いまカルト理論の基礎となる諸学問は、明らかに創価学会の恩恵を受けている。いわば、今回の創価大学の開催は、その成果のようなものだ。

同じようなことは過去に何度もあった。第19回IAHR(国際宗教学宗教史会議)も創価学会の関与大なるものがあった。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/23550234.html犀の角のように独り歩め:『第三文明』'05年7月号を読む

結局のところ、いまの日本のアカデミズムは創価大学という要塞、学者という傭兵によって、支配されている。それを人々が気付かないだけだ。

まあ、学者はあんがい、ちゃっかりしているのかもしれない。しかし、脱会支援を行うこちら側にしてみれば、創価学会から塩を送られるどころか、飼い慣らされていく学者のお陰で、カルト・マインド・コントロール論から創価学会は埒外となっていく。

原爆や水爆を発明するのは科学者で、使うのは軍隊政治だから、責任がないというような話はわたしは絶対に納得しない。

日本のカルト問題混迷に、創価学会戦略にまんまとはまる専門家。しらずと荷担していることをもっと自覚して欲しいものだ。

---------------------------------------------------

3. そううそ (18) - 2009/06/14 13:42
犀角独歩さん

この記事は全文転載許可を頂けませんか?

○○○○氏は伏せてもOKです。
他にも伏せるべき所があればご指摘ください。

ではでは


5. 犀角独歩 (23) - 2009/06/14 14:02
そううそさん

どうぞ
反響があれば教えてください
併せてJSCPRに通知します

コメント (11)
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290.逃げる、飛び込む(求める)、停止する。それは集団心理?(その2)

2009年06月15日 19時36分45秒 | 創価学会
個人のアルコール依存症、人への依存、共依存など、人が不健全を求めたり不健全に飛び込むのはどの程度まで集団にも当てはまるのでしょうか?

●集団心理、MCの裏づけ

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 287.正宗系信徒の「あなたは分かってない。」(その3) だから逃げ出すより他はない。http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/14ad45259ea85c9223af7e18a92f4205

>学会の場合、聖教新聞のマッチポンプがひどいです。創価都合で勝った人の賞賛と、創価都合で負けた人の末路が書かれ後者は罵倒されますから
>「聖教新聞を読んだ人は本能的に威圧や恐怖を感じても不思議でありません。」
>池田先生のお手紙である聖教新聞で毎日のように恐怖と怒りを与えられています。(中略)
>彼らの場合、賞賛されるほうに 「逃げる」 でしょう。

>つまり、とある教育や宗教などの教えを受けた 「「集団において」」 は、100%でなくても、ある程度は行動に一定の傾向がある、と言えそうです。
////////////////////////

 これはどの程度心理学的に裏付けがあるのでしょうか?

○共通点

 心は各個人によっても状況によっても違いがあるのですが、「集団」や組織において新聞や同時中継、教壇の冊子など教えられたモノ、つまり教えられた宗教、教えられた哲学、教えられた言葉、教えられた会話、一定の共通する内容があるわけです。信徒の言動はある程度、結果や言動などのパターンは決まります。

勤行しましょう。そう教団から教えられた活動家学会員の大多数がアーメンと唱えるでしょうか?
折伏しましょう。そう教団から教えられた活動家学会員の大多数がキリスト教を布教するでしょうか?
学会活動をして功徳を得ましょう。そう教団から教えられた活動家学会員の大多数が学会活動や選挙活動ではなく、無償のボランティアを組織として行うでしょうか?
 オウム真理教ならオウム真理教の信者に共通する言動パターンが存在し、創価学会ならの創価学会員に共通する言動パターンが存在します。部分的であってもなくても、それぞれ教団毎に共通しているのは明白です。

創価学会の場合、活動家でない人もいますが、彼らの言動パターンはある程度決まっているか、どこかが共通するのは間違いありません。
MCされた中で取捨選択しています。
教えられた中で取捨選択しています。

○集団心理の中で問題点は無いのか?

 教えられなかったり、与えられなかったりすると、知らない事柄について言動の選択の可能性が低いかほとんど無いのでしょう。*1
このことは発達心理学の本を読んだだけでも子供の人間形成、人格形成に大きな影響があると思います。
最近の発達心理学ではある程度の年齢になってからも良き影響があれば、良き方向に発達していくと言われているようです。
年齢をある程度重ねても人によっては脱カルトできるのでは?と私は考えています。

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>池田先生のお手紙である聖教新聞で毎日のように恐怖と怒りを与えられています。
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聖教新聞は550万部?発行だそうで数百万の会員に対して恐怖と怒り、教義や歴史について嘘と本当のごちゃまぜ、罵倒と賞賛のマッチポンプを与えられています。

 例えば創価学会員は新聞、書籍、同時中継などで、竹入氏や矢野氏、他の退転者に与えられる罵倒や誹謗中傷を見聞きして「恐怖と怒りを与えられている」にもかかわらず、何の疑問も無く会員である彼ら自身は求めて(飛び込んで)いるのです。
信徒が他者に折伏しない場合、議論せずに言い負けなくても、聖教新聞購入という行為や積極的に指導や新聞を読む場合、恐怖と怒りを「積極的に受け入れる、求めている」といえます。
どうしてこんな不思議なことが起こるのでしょうか?
*1とかかわりがあると思います。

 問題になりそうなのは550万~200万の人が「集団心理」「MC(あるいは他者からの操作、悪影響)」積極的ではない人もいるだろうが「受け入れる、求めている」という点です。とんでもなく多く人がいるので気が遠くなりそうです。

では、カルト信者や議論ある団体の信者にはどのように説明すればいいのでしょうか?
あるいはカルト信者や議論ある団体の信者に説明不可能な状況なら、どの様に理解すべきなのでしょうか?

●集団心理

 心理学を勉強すると集団心理について記載している本を数多く見つけることができます。
心理学の学説の中にも仏教学同様、認められている/いない、等々あるようですが、「集団心理」という用語/学説は心理学としても認められていると私は考えています。

いろいろな新しい学説もあるようですし、仏教学同様、過去は認められていても現在では認めれていない学説もあるでしょう。
心理学やカウンセリングの場合、医学の分野ですから仏教と違って淘汰されます。

////////////////////////
多くの読者は、個人を観察して得られた発見が、はたして集団の心理学的理解に適用できるかどうかを疑うかもわからない。その問いに対してわれわれははっきりと役に立つと答えよう。どのような集団も個人によってできたものであり、しかも個人以外のものでできているものはない。
それゆえ、集団の中に働いているメカニズムは個人の中で働いているメカニズムに他ならない。
(自由からの逃走 エーリッヒフロム 日高六郎 訳 創元新社 昭和42年03月20日31版発行 P155)
////////////////////////

●教える側、教えられる側。

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指導者の心理と支持者の心理という二つの問題は、もちろん互いに密接に結びついている。もし同一の思想が両者に受け入れられるならば、彼らの性格構造は重要な点で類似しているに違いない。指導者に特別な思考能力や実行力があるということは別にして、普通指導者の性格構造は、かれらの主張を受け入れる人々の特殊な構造を、より端的に表していることが多い。
(自由からの逃走 エーリッヒフロム 日高六郎 訳 創元新社 昭和42年03月20日31版発行 P72)
////////////////////////

これは似たもの同士が集まる、ということでしょうね。
最近のコメントに書いたのですが、私には親から与えられた不健全というものが存在します。
その内容を具体的にはあえて書きませんが、心理学やカウンセリングの本を読むと
自分に当てはまる、、、と感じると同時に親に対しても、よくあてはまる、多々感じます。
JSCPRの勉強会でも親子問題をやんわりと示唆されましたし。。。。
私も過去記事で既にそれっぽいことは書いています。
心理学やカルト問題の本を読むとどうしてもこのテーマは残念ながら避けられそうにありません。
別途記事にしたいとは思っています。親から子供への安易な「やめなさい」「私が悪かった」などの言葉は時によって逆効果だと思います。

先ほど書いた創価には創価の言動や心理の共通点、オウムにはオウムの言動や心理の共通点があります。
上記のように古い本でも集団心理について書かれていますし、比較的最近の心理学系の書籍に集団心理は数多く書かれています。ですから

1.集団心理そのものが妥当であるということ。
2.人間関係や雰囲気などから集団心理により教団側から与えられること、要求されること、同意を求められることetcetcこれらを断れないケースがある。
3.創価などの日蓮正宗系団体の信徒会員は自分達(I,Weの立場)が 「「集団として」」 他者(You)を罵倒、悪口、誹謗中傷して平気であること。
4.教団トップやネット管理人が他者を罵倒、悪口、誹謗中傷しても平然として中心者についていってしまう。
5,ネットでもリアルでも創価などの正宗系教団の信徒会員の言動パターンは、暴言や現実逃避、思考停止する共通しています。
  前後の言動パターンが共通しているのですから、不健全に求めたり飛び込んだりするのも集団として共通している可能性が高いと私は考えます。

2,4は良くも悪くも似たもの同士が惹かれあう、という一面があると思います。
(別途記事の予定ですが、カルトや宗教をしていない親から与えられた不健全さの為、私自身が大学生のときに不健全さを持っていて人を見る目を持ち得なかった。。。そんな可能性があります。)

●「MC論は心理学では認められていない!!」

 MC論は心理学の一分野ですので、心理学の中で広く認められていないのも事実のようです。
カルト信者や議論ある団体の信者が「MC論は心理学では認められていない!!」なんて言うケースがあると思いますが、もし本当にそう言ったら笑えますよね。
MCという単語が通用しないか無理があるならば精神科、心療内科などで使われる他の病気の単語に置き換わるだけで、カルトや議論ある団体信者の問題言動や不健全はれっきとした事実でしょう。

 仏敵を死ぬまで攻め抜け!勝ち抜け!仏法は勝負!なんて言っていつも怒りまくっているか、ハイ状態なんて尋常じゃありません。ですから現役信者だけでなく、過去において創価などの日蓮正宗系団体に入信した当人やある程度関わった事のある人などで、言葉の汚い人や誹謗中傷の多い人は気をつけた方がよいと思います。境涯とか宿命、宿命転換、宇宙生命(死後の生命というおかしな単語など)という言葉の多用や単語を用いる目的が他者を傷つけるのであれば、同様に危険や問題があります。

 議論ある団体やカルトに怒りや恐怖、不健全を与えられる習慣に慣れすぎていると戦うのが大好き、責めるのが大好き、直ぐに人と喧嘩してしまうetcetcこういったことは現役会員だけでなく、退会者、関わった一般人も気をつけた方が良いと思います。

////////////////////////
249.MCを否定する前にMC論を勉強しましたか? - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
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(つづく)
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教団都合の教えが「無い」原始仏教の本がほしい

2009年06月10日 22時27分04秒 | 創価学会
大学側 ズレた教育的配慮 京教大生 集団暴行:産経関西(産経新聞大阪本社公式ニュースサイト)

社会:ZAKZAK 友人続々ミクシィで無責任擁護…京教大レイプの余波 《京教大レイプ事件は女の子が悪いと思う今日この頃 そこに山があるから登る そこに酔いつぶれた女の子がいるから襲う》
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友人続々ミクシィで無責任擁護…京教大レイプの余波

「そこに酔いつぶれた女の子がいるから襲う」

 京都教育大生6人による女子学生(当時19)への暴行事件で、関西地区の大学生らが相次いで、会員制日記サイト「ミクシィ」に被害女性を非難する書き込みをしていることが分かった。書き込んだ中には女子大生もいるが、内容はいずれも伝聞や憶測の類。書き込みがミクシィ以外のサイトに流れて問題になると、あわててミクシィを退会するなど、無責任さが際だっている。

 《酔いが醒めて我にかえって、法に訴えかけるなんて卑怯きわまりない》《女のせいで将来ある人たちが6人もこんなことになってしまって残念です》

 この文章は、立命館大国際関係学部3回生女子がミクシィに書き込んだもの。この女子大生は小学校から高校まで京都教育大附属に通い、《加害者も被害者もよく知る》立場という。立命館大では《大阪府内の中学校で教育実習中》という経済学部4回生の男子も《京教大レイプ事件は女の子が悪いと思う今日この頃 そこに山があるから登る そこに酔いつぶれた女の子がいるから襲う》などと書き込んでいた。
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mixiの件についてはzakzakあたりに取り上げられるあたりが大学生らのレベルの低さを物語っている。

【京教大・集団強姦】 立命館の女「女のせいで将来ある6人が…残念」、男「そこに酔い潰れた女がいるから襲う」…ミクシィで擁護続々★11
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1244609719/

>今年4月に佛教大社会福祉学部を卒業した女性もミクシィで女子学生を非難。

だそうだ。。。。。。
んで、佛教大、社会福祉学部ってのはどんなところ?ってHPを見ると。。。。。

佛教大学 - 総合案内
佛教大学 - 教員一覧

発達心理学、社会福祉、etcetc。。。
JSCPRのHPやカルト問題で目にするような単語が幾つも出てくる。
卒業生が心理学を学ばなかった可能性もあるが、育児教育やジェンダー問題(女性地位向上)もある。
男性が長きに渡って女性を抑圧してきた、弱い女性を利用してきた一面は現実としてあるでしょう。
じゃあ、女性の立場から同じ女性や男性に普段の日常生活でどんな接し方、アプローチで関わるのか?
これが重要ではないのか?
卒業生のそれ(どんな接し方、アプローチ)には心理学や仏教のアプローチは「0」なのだろうか?少なくとも下のコメントからは心理学や仏教のアプローチは「0」だ。

佛教大学の卒業生がどんな発言をしたのか不明だが、これか?
京都教育大レイプ事件のセカンドレイプ問題についての情報集積ブログ:佛教大学編

この卒業生がどんな職業かは知らないが、大人としてどうだろうか。。。。?
佛教にしても心理学にしても一体何を学んだのだろう????
今でもあるらしいが、テキストは教授お手製の教科書を高いお金で買って、それ一冊だけってんじゃないだろうな。。。
これが在学生なら相当に優秀な心理学系の論文を書かない限り卒業させないくらいの意気込みが必要なんじゃないだろうか?
佛教大学からはこの卒業生に積極的に関わろうとせず、無視を決め込んで関わらないんだろうな。。
佛教のアプローチも心理学のアプローチも無視して、だ。。。。。

教員、僧侶どちらも人に物を教える責任を持つ、特に前者は子供にかかわるので慎重な言動をして欲しい物だ。

伝統宗教である一般仏教やキリスト教系、僧侶や牧師が痴漢や暴行で捕まっても今回のような大きな騒ぎ(怒りなど)にならない。「教員、僧侶どちらも人に物を教える責任を持つ」のにもかかわらず、だ。
これは宗教に期待していないからでは。。。。?
カルト系もの問題だとある程度一般の人の反応が違う気がする、、これは世間一般の人が既にカルトや宗教にそれぞれ、そんなモノ、そう思っているからではないのか?

●友岡さんの本

 佛教にしても心理学にしても 「他人の嫌がる事をしない」「他人に嘘、迷惑や不愉快な発言をしない」 こういった事は大前提や当たり前ではないのか?
自分以外の人間は親であっても他人です。(これもある人の受け売りですが。。。)

 秋葉原殺傷事件やその他の殺人や様々な事件が起こると友岡さんの本を思い出し記事にしようかと思うのですが、躊躇して出来ません。(P64-P69あたり)

 理由としては創価などの正宗系信徒会員の言動、ネットのバトル、それから私が経験した対岸の火事であったはずのアンチ創価同士のネット騒動がいつの間にか自身の問題になっていたあたり、如何に誤解を少なくして本質や本音を伝えるのかが難しい、、、そう思います。カルト問題や脱会支援だけでなく色々な事に言えるのですが、こちらが相手を一生懸命みたり理解しようとしても、相手からも少しで良いからある程度は同じアプローチが必要です。

友岡さんの本も日蓮系教団の中での原始仏教理解の本なので教団都合の教えが薄いといえば薄いけど。。。
日蓮あたりは仕方ないとしても師弟不二あたりがばっさり削除されればいいのに。。。。。。。。

●一般佛教の本

 創価などの正宗系信徒会員にはカルト問題として友岡さんの本は有効だけど、一般の人にはどうだろうか?
一般の人には、そもそも宗教の基本の理解はあまりないんじゃないだろうか?

師弟不二などの教団都合の教えが 「無い」 原始仏教の本がほしいところだ。
できれば友岡さんの本のように、創価のオバチャンや高校生ぐらいでも分かりやすく現代語訳なのが望ましい。

どなたかご存じでしたら教えて下さい。

コメント (8)
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289.逃げる、飛び込む(求める)、停止する。そして…。心理学の裏づけ(その1)

2009年06月08日 21時35分20秒 | 創価学会
自己愛の記事は次の記事のテーマで草稿中です。

タイトルが「逃げる、飛び込む(求める)、停止、そして。。。」それぞれのキーワードの心理学の裏づけが本記事です。
逃げるメカニズム(現実逃避)や思考停止の過程や心理学的な説明は既に記事(282、285、287)として書いてあります。

●飛び込む(求める)のはなぜ????

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201.MCされる過程や順番 ”自分から嘘やCMCに飛び込む????” - 創価学会の信仰に功徳はあるか?http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/a8831822c002131e2618aa18c538f0c2
////////////////////////
 過去記事で「どこからどこまでが嘘で本当なのか、カルトと宗教の見分けがつかず、自分から嘘やCMCに飛び込む(求める)?」と書きましたが、どの程度心理学は裏付けてくれるのでしょうか? 

 なにしろ自分自身からカルト入信などの嘘や不健全に飛び込んで(求めて)ゆくのですから、周りの普通の人から見たら疑問に思うばかりです。
なお、「どこからどこまでが嘘で本当なのか、カルトと宗教の見分けがつかず」これは過去記事に書いてきたとおり、情報操作、つまり嘘の情報(仏教学や人物像)を教えられるという点です。情報操作(嘘)だけでなく怒りと恐怖を与えられていることも要因の一つであるのは創価などの日蓮正宗系では確実と言えます。

 「不健全な嘘やCMCに自分から飛び込む、あるいは自分から求める」と書きましたが、どの程度心理学は裏付けてくれるのでしょうか?

自分から飛び込む、自分から求める、いったい何に対して飛び込み、求めているのでしょうか?
理由は何であるか?個人や組織のどこに見え隠れしているのでしょうか?
心理学、カウンセリングから学べる内容(健全さ)から不健全な 「何かが」 見えてくるのではないでしょうか?

今までに何度か取り上げてきましたが、心理学のテーマの一つである権威主義を取り上げます。
ちょっと長い引用になります。

●自由からの逃走

////////////////////////
 こうしてルッターは人々を教会の権威から解放したが、一方では、人々をさらに専制的な権威に服従させた。すなわち神にである。
(中略)
ルッターの信仰は自己を放棄することによって愛されることを確信することであった。それは国家とか「指導者」に対し、個人の絶対的な服従を要求する原理と、多くの共通点を持つ解決方法である。
 ルッターが権威を恐れ、権威を愛したことは彼の政治的信念にも現れている。彼は教会の権威に反抗し、新しい有産階級───その一部は聖職者の階級制度における上層階級であった───に対しては憤りにみち、また農民の革命的な傾向をある点までは支持していたが、しかも彼は皇帝という世俗的な権威に対する服従を、熱烈に要請していたのである。
(中略)
また彼(ルッター)はいう。「神は、たとえどんなに正当なものであろうとも、群衆に暴動を許し給うよりも、どんなに悪逆なものでも、支配を存続させるほうを選び給うであろう。……君主はどんなに暴君であっても、依然として君主たるべきである。君主は、かれが支配者として臣下を持たなければならないからには、時には少数のものを殺さざるを得ないこともあり得る。」
(自由からの逃走 エーリッヒフロム 日高六郎 訳 創元新社 昭和42年03月20日31版発行 P90)
////////////////////////

////////////////////////
ルッターのパーソナリティは彼の教義と同じように権威に対し二つの矛盾した面を持っていた。一方では、世俗的な権威と専制的な神の権威に威圧され、他方では教会の権威に反抗した。大衆に対する態度にも同じような矛盾がみられる。大衆が、ルッターがもうけた限界の中で反抗する限りは、彼は彼らの味方となる。しかし彼の認める権威の中で攻撃するようになると彼らに対する激しい嫌悪と軽蔑のとが現れてくる。われわれは逃避の心理学的なメカニズムを取り扱うところで、権威を愛する気持ちと無力な人間に対する憎悪の気持ちとが同時に存在することが「権威主義的性格」の典型的な特徴であることを示すだろう。
(自由からの逃走 エーリッヒフロム 日高六郎 訳 創元新社 昭和42年03月20日31版発行 P91)
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////////////////////////
彼の経済的問題に対する考えが伝統的であったとしても、一方、個人の無価値を強調したのは対照的で、人間はただの世俗的な権威に従うばかりでなく、経済的成果という目的のためにその生活を従属させなければならないという方向へ、導いたのであった。この傾向は今日では、ファシストにおいて頂点に達した。彼らは人生の目的は「より高い」権力や指導者や、また民族共同体のために、犠牲になることであると強調している。
(自由からの逃走 エーリッヒフロム 日高六郎 訳 創元新社 昭和42年03月20日31版発行 P92)
////////////////////////

ひらがなは適宜、漢字変換しました。
参考。
エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』ノート Notes on "Escape from Freedom" by Erich Fromm

////////////////////////
 フロムは「自由からの逃走」のなかで権威に対する態度が健全となるかならないかは、その家族の人間関係、とくに両親との関係によって規定されるとしています。彼によると、宗教改革で有名なルターは典型的な権威主義的性格の持ち主だそうです。
 権威主義的な性格とは、権威を否定しながらも、権威にあこがれを抱くというアンビバレント(両価的)な態度をとる人のことです。自由からの逃走によると、ルターは過度に厳格な父親に育てられた結果、真の愛情や安心感を得ることができませんでした。その為に権威を憎み、反抗を重ねながらも、父親や法王・皇帝の権威をまえにすると思わずひれふしてしまうのです。
 ルターが宗教改革の指導者として迎えられたのも、彼のこうしたパーソナリティが当時の社会の人々の共感を得たからです。
(深層心理がわかる辞典 南 博 日本実業出版社 1998年06月05日9版発行 P236)
////////////////////////

 ルッターのパーソナリティが権威主義的であり客観的、心理学的に問題があったにもかかわらず、大衆がある程度支持した、ということです。
「自由からの逃走」を読めば、ヒトラーのパーソナリティが明らかに悪しき権威主義的であり客観的、心理学的に問題があった事がわかります。にもかかわらず、大衆がある程度支持してしまった。。。。「自由からの逃走」様々な問題に気がつかされます。更にいろいろな本を読めばわかるのですが、生活に苦しむ中産階級や労働者、農民、こいうった人々の「怒り」や「不満」を吸収して支持を伸ばし、ヒトラーが政権を取っていった経緯がわかります。 ナチスやヒトラーはドイツ経済に奇跡的(?奇跡的らしい。私は経済がよくわかりません。)な復興をもたらしたようです。ヒトラーは当時のドイツが経済危機を乗り越える必要な人だったわけです。
しかし、不健全や異常さなどに気がつかなかったために、ユダヤ人の虐殺、戦後のドイツ国民にとって悲劇でしかない結果になりました。
不健全な人、ふさわしくない人がトップに立てば、それなりか、それ以上の悲劇がある、ということかと。
金正日、プーチンやチャウシェスクを見れば一目瞭然かと思います。

 ヒトラーのパーソナリティは池田大作氏のそれにそっくりだと私は思います。創価公明の問題も同じ本質的な問題や近い構造を持つと私は考えています。

 現代では戦争が起こると世界中で経済危機の可能性がありますから戦争の可能性は低いのですが、経済支配やチベット問題ような虐殺は起こりえるのです。
実際、欧米諸国などがチベット問題で中国に批判しても現実的なブレーキにならないのが現実です。
 心理学やカウンセリングを勉強すると、体に悪いとわかっていてもお酒を過度(いきすぎ、極端に)摂取してアルコール依存症になる、あるいは
暴力のあるパートナーに依存、共依存の関係になる等々、カルト問題以外でいくらでも事例があります。


 人は時として気がつく/気がつかないにかかわらず不健全なものに惹かれたり飛び込んだりするのが事実のようです。バランス感覚を失った極端な賞賛や良い所取り、良い所は極端に過大評価して悪い所は現実逃避して見ない、目先のことだけ考えるのも一因かもしれません。最初は良くても後々ちょっとしたきっかけで不健全になる事例ももちろんあるでしょうが、創価学会に着目しても以前から言論問題や第一次宗門問題などを抱えていたので、創価も正宗もずっと以前から不健全である、と見るべきだと私は考えています。


では個人のアルコール依存症、人への依存、共依存など、人が不健全を求めたり不健全に飛び込むのはどの程度まで集団にも当てはまるのでしょうか?

(つづく)
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