創価学会の信仰に功徳はあるか?

コメントする人は「01.創価学会の信仰に功徳はあるか?を書く前に」を読んでね。

ネットでの学会員(tabukenさん)の暴言 '06年02月23日~26日

2006年02月26日 12時33分05秒 | 創価学会
記事を一つにまとめたかったが、ブログには10000文字しか書けない。
全てを残すのは無理なのでtabkenと私のやりとりを中心に。これで9480文字。
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退転者の心の内は闇だね。 (tabuken) 2006-02-23 13:37:15
soukagakkai_usotukiさん、あなたの日記読んだけど退転者の心の内は闇だね。もう爆笑しました。そこに希望はありますか?悲観は感情、楽観は意志です。

tabukenさんへ (soukagakkai_usotuki) 2006-02-23 21:56:45
向こうにコメントしました。創価学会の人は退転者を「もう爆笑しました。」なんですね。
人の不幸に爆笑ですか?呆れます。やめたいと言った時に何も説得出来なかったのは学会です。
私も退転者や未活動家を家庭訪問した事がありますが、「こちらに説得力、幸福体験、がなくて、、、祈りが足りなくて、、、申し訳ない」と思った事はあっても「爆笑」なんて一度も思った事はありませんでした。なんとかしたい、なんとかしよう、信心して幸福になってもらおう、、と思ったり、祈ったりしていました。幹部の方ではなくて、最近入信した人ですか?きっとお若い方だと思いますが。

>そこに希望はありますか?
自分の人生に希望がないので入信しました。自分の人生や学会の信心に希望が得られないからやめました。

>悲観は感情、楽観は意志です。
そうですね。そんなの知ってますよ。で?だから?あなたの「楽観」は人を爆笑して馬鹿にする「意志」なんでしょうね。

soukagakkai_usotukiさんへ (tabuken) 2006-02-24 13:37:50
>但し、宗教勧誘は駄目でも議論はいいですよ。と言う事にして、誰でもOKにはしています。議論する場ですから。それから、創価学会の人にはメールやコメントを禁止した事は一度もありません。迷惑行為についてアンチ創価にも創価にも警告をした事は何度もありますし、これからもそうです。アンチ創価にも創価にも平等にしています。

そういう対話の姿勢をお持ちならば「soukagakkai_usotuki」というHNは変えていただきたいものです。少なくともこの場ではそうして欲しいです。HNが長くて書くのがめんどくさそうというのもあるし、どう考えても「公平な立場の人」という印象は受けません。私は HNを使ってまで相手を侮辱するべきではないと考えています。

私も質の悪いアンチに対して「糞アンチ」と呼ぶことはありますが、それは「質の悪いアンチ思想」に対して「糞」と言っているのです。「軽いアンチ」には普通にアンチさんと言うこともあります。私の場合、例え気に入らない相手でも決して個人のHNに対して「糞」とは言いません。むしろ、「~さん」と敬称を使います。そこはわきまえています。
しかし、「soukagakkai_usotuki」というHNでは侮辱されているようで敬称で呼ぶのも抵抗を感じてしまいます。なんとかなりませんか?

いいかげんにしろ! (tabukenへ) 2006-02-24 20:01:18
>「soukagakkai_usotuki」というHNは変えていただきたいものです。

だったら最初からコメントしなければ良いじゃないですか?私のハンドル名なんて最初から判っていた事じゃないですか?このハンドル名だけど創価の人でも私を批判や意見を言う際に、そんなお願いしませんよ。ホント変な奴。
「人に物事を頼めるような状況や場合じゃないだろ?俺はあなたを軽蔑してる。」
あなたに関してはnanaさん以上に怒りを感じるし、あなたが人格者でないので、マインドコントロールも解けていくんですけどね。私のブログに来れば?

nanaさんよりも嫌われて光栄です。 (tabuken) 2006-02-24 23:39:01
また笑わせていただきました。何度でもいいます。質の悪いアンチは「糞アンチ」です。キリスト教徒や念仏者に今更「糞アンチ」とは申しません。だけど質の悪い学会批判者は糞アンチです。そもそも私はネットに折伏を期待していません。折伏は現場でやります。ネットは言論戦のシュミレーションくらいにはなるでしょう。しかし、折伏は祈って動かなければ出来ません。私の場合、ネットの文字の為に祈りはしません。でも、それでもバリさんの中には ネットの人の為に祈りをする人ももしかしたらいるかもしれません。

ここではおとなしく (毒) 2006-02-25 00:01:47
あなたのブログでコメントのあと「アンチのかたHELPです」とアンチのかたに救いを求めるようとされるプライドのないあなたなどに使う時間的余裕など一切ございません。
 あしからず。

ネットに折伏を期待していません。 (soukagakkai_usotuki) 2006-02-25 00:22:58
>そもそも私はネットに折伏を期待していません。

じゃ、あなたのやっている事は完全に聖教新聞に書かれている事にも反していますね。聖教新聞でも「インターネットではマナーをきちんとしましょう」なんて、私が見ただけでも2,3度あります。もちろん宗教の教えじゃないですよ?それとも宗教の教えじゃなければ、マナーなんかどうでも良いと?

>折伏は現場でやります。

折伏でないとするといったい何だったのでしょうか?折伏でないとするとあなたは少なくとも「私に嫌がらせをした」「私を不愉快にした」んですが判ってますか?あなたはアンチのみならず、学会員からも批判されているんですよ?そもそも折伏に「期待」ってなんなんですかね?成果主義だけで、数だけが大事で人の幸不幸はそっちのけですか?私の不愉快をあなたはどうしてくれるんですかね?たぶん、あなたが折伏するのは自分の為だけなのでしょう。

ここで謝罪するか、私のブログに謝罪して下さい。非常に不愉快です。折伏でもないならば、罵詈雑言になるとわかってますか?

>また笑わせていただきました。質の悪いアンチは「糞アンチ」です。
私も糞アンチですか?nanaさんの記事につけたコメントは私のブログにもありますから、是非
私のブログ記事(1-21まで)とnanaさんのコメントだけ全部読んだ上で私のブログに来て
コメント頂けると幸いです。逃げないで私のブログに来て下さいね。
いじょ。

毒。 (soukagakkai_usotuki) 2006-02-25 00:58:32
毒へ
ここにいたの?毒。

>「アンチのかたHELPです」とアンチのかたに救いを求めるようとされるプライドのない
プライドの有無はくだらないので議論したくありませんが、仮に無いとして
プライドのない事が悪い事ですか?少なくとも悪くないし、無慈悲でもない。
あなたも言いたい事をいったのであり、わたしも言いたい事を言ったまでです。
その結果、人に与える印象や人の気持ちは何も考えなくて良いのでしょうか?

あなただって創価の人をよんだっていいのでは?ですが、そうなった場合、悪いと批判されるのはあなたの方では?折伏する時は人格者。尊敬される人、魅力ある人、自分も他人も幸せになろうとする人がネットでは何してもいいんですか?

くやしかったら私のブログに来て反論すればいいじゃないですか?創価の書込の少ない私のブログでは援護が無くてコワイですか?

こんな時の為にアンチの池田大作は在日だ、など根拠がない、めちゃくちゃな批判も創価の毒、nanaさん、アンチ創価の池田は在日さん、イエス切り捨てさんとかの発言も全部、消していません。アンチで謝った人もいました。謝らない人もいます。創価も謝った人もいます、あなたのように、謝らない人もいます。

逃げてるだけじゃん。今からでも議論再開してもいいですよ?1対1でもOKです。最初の発言からきちんと説明するなり謝罪するなりして下さいね。当時コメントを頂いた女性は見ている可能性は低いので最低限私に迷惑行為を謝罪していただけば、私は謝罪を受け入れます。
その上で、あなたがまだ言いたい事、命の傾向性、、云々というならば、不本意ですが、仏教用語も交えて議論しても良いですよ。本来、学会を断りたい人向けのブログなので教学面は一切避けたいのですけど。

ほんと創価の人は悪い事しても、仏法が正しければ自分も正しいとして、仏法以外の事でも絶対にあやまりませんね。nanaさんが珍しいのかもしれません。

はっきりと書いておきますが、私は悪い事、一切していません。迷惑行為や脅し行為があったのは「毒」あなたのほうです。

仏法の「命の傾向性」という議論内容について間違っているから謝罪しろ!といっていません。議論なんか一切して無いじゃないですか。「あなたなどに使う時間的余裕など一切ございません。」と書いているのが証拠です。あなたが人をむやみに脅す、、しかも、あなたにとっては同志、内部の人を脅すのをやめなさい、と何度も書いたんです。今も書いているんです!!
ご自分でブログを立ち上げて彼女に説明しましたか?

PS.一体、どんな偉い幹部で、年齢も上なんだろうか?こんなに威張って中身のない人、久々に見た。
いじょ。

soukagakkai_usotukiさん (tabuken) 2006-02-25 09:46:56
>ここで謝罪するか、私のブログに謝罪して下さい。
とおっしゃいますが。別のコメントでこういってます。

>「人に物事を頼めるような状況や場合じゃないだろ?俺はあなたを軽蔑してる。」
soukagakkai_usotukiさんも私に物事を頼める状況ではありません。というよりもこれはなんとなく脅迫まがいの発言にも見えます。まともな対話の姿勢ではないので無視です。

soukagakkai_usotukiさんに開目抄の一節をお贈ります。

「我並びに我が弟子諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども疑いををこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事をまことの時はわするるなるべし、」

強調して書きます。
「つたなき者のならひは約束せし事をまことの時はわするるなるべし」

更に強調して書きます。
「つたなき者のならひは約束せし事をまことの時はわするるなるべし」

更に更に強調して。
「つ・た・な・き・者・の・な・ら・ひ・は・約・束・せ・し・事・を・ま・こ・と・の・時・は・わ・す・る・る・な・る・べ・し」
つたないなあ。。。。。。

(tabuken) (soukagakkai_usotuki) 2006-02-25 10:58:49

>>「人に物事を頼めるような状況や場合じゃないだろ?俺はあなたを軽蔑してる。」
>これはなんとなく脅迫まがいの発言にも見えます。

何処が脅迫?脅迫でなくて、私の素直な感想です。

例えば、、退転したら疑獄行きこれは脅し。脅迫というのは何々しないと、殴るぞ、とか金巻き上げるぞ?とかなんですが。なんとなく、、ですから明らかに思い違いですよ。

あなたの発言で不快な思いをしたのは私が先なんですが?先に不快なお願いをしてきたのはあなたが先なんですが?あなたが先にした発言で私はあなたを軽蔑してるのに、HNを変えるなんて
そんな人の言う事を聞く訳が無いじゃないですか?

>まともな対話の姿勢ではないので無視です。

逃げているだけじゃん。先に発言しておいてどういう事?

>「我並びに我が弟子諸難ありとも疑う心なくば(中略)わするるなるべし、」

そのお話しも退転する際に学会の人としました。のべ20時間ぐらいになったでしょうか?
その中で何度か同じ御書を読んで頂きましたが、祈りの叶わないモノ、幸せになる事か
出来ないモノを信じる事など出来ません。詳細は私のブログに全部書いてありますので読んで下さい、としか言えませんね。私も。ここに全部書く訳には行かないので。

御書以前に、御本尊が信じられない気持ちなのでそんなことをくだらない事を言われてもね。例えばあなたも折伏出来ていたりしていれば判るかと思いますが、ホントに幸せになりましたか?折伏した相手に幸せになった世有難う。とか言われるくらいに人救ってますかね?ホントに祈りが叶ってます?誰でも出来る事を祈って、叶ったと思って錯覚されていませんか?

ここじゃ迷惑なので私のブログに来ませんか?私もいつもここを見てはいませんので。

今もそうですし、あなたもnanaさんも毒さんもこちらが質問した事については明確に答えないか、黙りを決め込むのに、学会側からの主張や質問については必ず威圧的に言うんですよね。
いじょ。


感情的にならないで冷静になってください。 (tabuken) 2006-02-25 14:21:33
soukagakkai_usotukiさん、私ね、いつもアンチさんたちにいつも辛辣な事ばっかり書いていますけど、退転した人の書き込みを見ていて感じるのは、本当は理屈がどうこうというよりも心の中が寂しいのではないかということです。今の自分に悲哀を感じてはいませんか?

私は昔、活動に対して愚痴ばっかり言ってた時期がありました。その頃は学会活動も上手くいかなくて生活もなんだか気が重かったです。だけど、ある日ある幹部の人にその愚痴の命を思いっきりバッサリと斬っていただきました。その後は愚痴を排して題目をあげきりました。そうしたら活動も生活も上手くいきだし結果もでました。今は部員さんたちの頑張る姿に励まされて自分自身も頑張っています。あの時に自分の愚痴に流されなくて本当に良かったと思っています。

信仰者の立場から退転した人の書き込みを見ていると「愚痴って怖いんだなあ。」って感じます。愚痴は感情ですが信仰には強い意志が必要なのです。自分の愚痴を誰かに相談できる人が近くにいなかったのでしょうか?

(tabuken) (soukagakkai_usotuki) 2006-02-25 15:10:29
そろそろいい加減にして欲しいのですが、まず謝罪が先ではありませんか?

一番上のコメントを良く読んでね。感情的になっているのはあなたでは?

私の言いたい事は上に書いてありますし、意見は変わりません。あなたが変わらない限りは
コメントもしません。宗教者どころか人格者でもないよ。議論以前の問題です。そしてあなたも私の質問に一切返答していませんね。

>心の中が寂しい
寂しいと言うよりも学会に騙された。折伏などで信用や友人を失った。
と言う気持ちのがつよいです。
>今の自分に悲哀を感じてはいませんか?
悲哀?不幸だと言う気持ちが悲哀ならずっと感じています。入信前から。
寂しいから悲哀?といのはさっぱり理解出来ません。私は同じ過ちをする人がいないように
折伏で被害に遭う人がいないように、マインドコントロールや学会を私が忘れる為に
ブログを立ち上げています。
nanaさんの所に来ているのも、彼女が私の所に頻繁に来るから来ているだけです。
学会攻撃がしたくてネット巡回とか一切していません。

>自分の愚痴を誰かに相談できる人が近くにいなかったのでしょうか?
私のブログを読んで下さい。少なくとも区長や男子部、学会本部と色々相談しましたが、
いませんでした。

取り敢えず私宛の質問は答えました。
いじょ。

恨みに凝り固まっているsoukagakkai_usotukiさん (tabuken) 2006-02-25 17:55:23
>折伏で被害に遭う人がいないように、マインドコントロールや学会を私が忘れる為にブログを立ち上げています。

soukagakkai_usotukiさん、私が変わるわけがないでしょ?私はあなたに同情しませんし私は絶対あやまりません。むしろ、折伏の邪魔をもくろんで私を侮辱していることについて謝って欲しいです。謝れ!謝れ!謝れ!

私は別に自分の主張を書いてるだけです。soukagakkai_usotukiさんはご自分と考え方が違う人に全て謝罪をさせるおつもりですか?自分よりも弱そうな相手と思ったら強気になって高圧的な態度になる癖があるようにお見受けします。「畜生は弱きをおどして強きをおそる」これは退転者の共通項です。本質が傲慢だと思います。こんな人に謝る気は起こりません。

私のコメントにもう答えなくて結構です。

ていうか、いつまでも未練たらしいと思います。

あれ?ネットでは折伏しないのでは? (soukagakkai_usotuki) 2006-02-25 18:59:31
>恨みに凝り固まっている
正確に書いてね。あなたの事を恨んでいると書いていません。怒ってるし不愉快のほうです。
恨んでるのは私の親であなたじゃないです。

上のコメントにから。
>そもそも私はネットに折伏を期待していません。
すぐ上のコメント。
>折伏の邪魔をもくろんで私を侮辱していること

あれ?ネットでは折伏しないのでは?折伏しない人に私がどうやって邪魔出来るの?

あぁぁぁ!もしかして折伏だったんですかね?そりゃあ、すいませんね。
あなたの文章からは、とてもとても読みとれなくて判りませんでした。
慈悲とか良い人とか信用出来そうとかありませんでしたから。。。
最初から人をいきなり馬鹿にしましたし罵詈雑言でしたしね。
でも折伏だとすると私への折伏は「失敗しましたね。」

>ご自分と考え方が違う人に全て謝罪をさせるおつもりですか?
まさか。私はネットでは再三再四書いていますがアンチにも創価にもネットマナーが悪い人には
謝罪や苦言を書いています。

以前から再三再四、と言う意味ではここが最初か。
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/cmt/1ec965c3aa27cc353a604fd1ade30541
あとここ。
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/b4239c02e6f8671cd42b71abb657f750
最近では創価アンチに謝罪を求めたのはここ
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/cmt/b48308af7b7ceaaa99110a0493135cae
他にもいくつか合ったと思います。
後はnanaさんが私のブログでコメントつけてくれるのを待つとしますか。

創価学会の嘘を付くオッさん (tabuken) 2006-02-26 00:43:00
創価学会の嘘を付くsokagakkai_usotukiさんへ、私の個人の折伏の邪魔とは一言も言ってません。創価学会の広宣流布の折伏の邪魔と言っているのです。読解力がありませんね。さっさと謝罪をしてください。それから私個人への恨みに凝り固まっているとは言ってません。創価学会への恨みに凝り固まっているといいたいのです。あなたは「逆恨み教」の信者ですかね。詭弁を弄して都合のいい解釈で逃げないでいただきたい。みっともないです。

それから、あなたこそネットマナーが最悪ですよ。利用規約を読んだことあるの?特定の個人?団体への誹謗中傷を目的としたブログを書く自体が多くのブログサービスで禁止のはずですよね。あなたはそんな当たり前の社会のルールもご自分のブログで守れていません。誰かに謝罪を要求する前に他人に厳しく自分に甘い人って信用されませんよ。
あなたのブログを使っているブログサービスの会社に通報する事も可能ですが、それともそこは個人?団体への誹謗中傷が許可されている会社ですか?
それから、私の場合はここのブログの趣旨に沿って議論しているつもりです。アンチさんも受け入れているようですが、ここでは基本的には管理人のnanaさんがルールですから、もちろん私も
ここでは許容範囲以上にはnanaさんには逆らえません。

それから、nanaさんは一切謝る必要はありません。
若くてか弱い女性相手にキレて凄んでいるオッさんって、最悪です。弱いものイジメにしか見えません。

(tabuken) (sokagakkai_usotuki) 2006-02-26 09:41:04
>あなたこそネットマナーが最悪ですよ。
(tabuken)、nanaさんがいつも先に中傷誹謗発言を書いています。
私はいつでも後から仕方なくコメントしているのです。
nanaさんの件については私のブログを読んで頂くしかありませんが、
何度も同じ注意をしたにもかかわらず、それが治らないから自分のブログだけでは
困ったのでこちらにも書き込んだのです。私のブログ1-21まで読んで下さいよ。

いいかげんにしてほしい。

nanaさんのコメントについては常にnanaさんが

>それともそこは個人?団体への誹謗中傷が許可されている会社ですか?

nanaさんは宗教論をかいています。私も私の立場から書いています。
nanaさんのコメントについては常にnanaさんが「先に書いているのです。」

>私の場合はここのブログの趣旨に沿って議論しているつもりです。
>アンチさんも受け入れているようですが、ここでは基本的には管理人のnanaさんが
>ルールですから、もちろん私もここでは許容範囲以上にはnanaさんには逆らえません。

だったら、nanaさんは私の指示に従って当然じゃないですか。罵詈雑言に関しては
nanaさんも反省されたようでnanaさんの謝罪してますが、コメントを忘れて質問への回答は
要求するくせに質問だけはいつでも何処でもするんですよね。彼女の場合は折伏になっているのでそんな一方的な折伏っていいんでしょうか?

それとあなたも私があなたにつけたコメントの「?」質問についてほとんど答えていませんね。
私のブログに来るのが嫌なら私のメールアドレスにTEL番号を頂けませんか?こちらからTELしますよ。誓っていたずら電話などに悪用したりしません。それほどまでにいうのであれば、あなた、tabkenと私の間のやりとりだけでもきちんとしませんか?nanaさんとのやりとりついてもご理解頂きたいのでお話ししたいです。
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43.ネットでの学会員の暴言はなぜか?(創価学会員さんとのやりとり。その6)

2006年02月26日 12時31分28秒 | 創価学会
乱筆乱文ご容赦。この記事は常に変更、追記があり。 02.28

また再度、結果的に敵に塩を送る、、事になると思う。まずは整理整頓の為に経緯を書く。
但し、nanaさんとのやりとりは省く。既に何度も書いているのでここには書かない。
毒、tabken等、創価で明らかにネットで簡単に暴言を吐く人たちを対象とする。

なぜ、ここに書くか?nanaさんのブログは何時か消える可能性がある。
私のブログはアンチでも創価でも消さない、今後も問題が有れば誰であっても訂正、謝罪のスタンスとする。

最大の問題点は何か?
1.学会員でも(アンチでも)不愉快なネットの書込がある。
2.ネットであれば、何を言ってもいいのか?
3.ネットであれば、創価が正しいならば教義に関して何を言ってもいいのか?
4.ネットでは折伏する意味はあるか?無いか?してもいいのか?
  するならば、どのように言うべきか?池田大作氏の指導に沿っているか?
5.折伏でなければ何を言っても良いのか?
6.(nanaさんにも聞いてみたいが)一体どんな気持ちでいうのか?
  馬鹿にしたいだけなのか、説得したいのか、議論したいのか、どちらなのか?
  何故馬鹿にしたいのか?馬鹿にする事に意味があるか?
7.敵味方の判断。なぜに攻撃的なのか?

まず、1。これは私のブログでも池田は在日だ。とする発言が何度か有った。しかし根拠に欠けるし、世界宗教をとなえる学会にとってむしろ都合のいいこと。
ここ の6番目と15番目。
ネットでの学会員の暴言

2.ネットで有れば何を言っても良いのか?

 そんなわけない。あたりまえ。創価の人の発言で一般の人にどう思われるかは、信心していない人の目線で書き込む必要があると思う。「ネットでの学会員の暴言」で自分以外に全然知らない第3者が見ている事を考慮に全く入れていないが、入れるべき。
 その人は見ているだけで必ずコメントしてくれないので、どんな人か一切不明。2世3世の人、折伏を受けている人、信心を疑い始めている人、様々。特に未活動家の人が迷って見ている場合が多いと思う。興味ない人は、アンチだろうと創価であろうと見に来る訳がない。
 創価や宗教に何らかの関わりがある人が見ている、と思うべき。
私のブログでも多くの人が見て下さっている(一日に100人から500人)がコメントは一桁。

3.ネットであれば、創価が正しいならば教義に関して何を言ってもいいのか?

 当然、創価の人にとって誤解や批判だけでなく、教義について、言うべき事があるならば言うべき。何を言うのか、どのように言うのかは自由。
命の傾向性、罰、地獄行き、生命が弱い、顔の表情も見えない人、つまり友人でも同僚でもない人にこんな事を言って通じるかどうか?(私は通じるでしょう。でも不愉快に感じる)

 しかし、始めて折伏する人にまでこんな事を言う訳がない。
 また、ネットで初めて会う人に対して、コレは許されるのだろうか?相手の状況はすこしは判るけど全く判らないし、またネットで会えるとも限らない。だから、一期一会であり責任なんか全く無いに等しい。
ブログ内のコメント
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学会なんてそんなもの (みか) 2006-01-08 23:08:45
キツそうですね…。学会員には本当の思いやりがある人は居ませんね。(中略)
学会三世ですが、今は、どうやったら退会出来るのか、悩み中です。何せ母親が狂信者なもので…。
Unknown (毒)   2006-01-09 02:44:32
(中略)
みかさん。なぜお母さんがそこまでされるか、お聞きになったことが御有りでしょうか。
学会から逃げることは簡単ですが、命の傾向性からは、逃れることはできませんが。
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4.ネットでは折伏する意味はあるか?無いか?してもいいのか?
  するならば、どのように言うべきか?池田大作氏の指導に沿っているか?

 意味はあるか?と私に聞かれて答えるならばYes。但し私以外の人で折伏出来るかもしれませんね。と言う意味。本尊流布には実際に会う必要がありますから、ネットで何処まで入信出来るか何てのはわかりません。学会の規則も少なくとも今日現在はネットで入会なんてあり得ません。池田大作氏のスピーチがある同時中継の会合では「一対一の膝詰めによる対話」と言う指導があります。

●池田大作氏の指導に沿っているか?

 だから、ネットでの折伏は本来は指導違反になります。ですが、宗教や創価にありがちな「結果オーライ主義」があるので、ネットで折伏出来て、実際に会って本尊流布。と言う事もあり得るでしょう。但し私への折伏は無意味。自分の悩み事は病気と書いても病名や具体的な悩み事はネットには書くつもりはありません。会う事が出来れば話すかもしれませんが。よほど信用出来る人でないと会いません。既に地区幹部、学会本部などで指導をのべ20時間以上、うけました。ブログに書いたとおり。

また池田大作氏の指導には、雄弁たれ、言論の闘士たれ、人格者たれ、とか周りから尊敬される人になりなさい、信心していて素晴らしいね、と言われる人になりなさい と言う指導があります。リンク先

●するならば、どのように言うべきか?

 当然、会うのと同じように相手の悩み事を聞くのが基本でしょう。指導には「折伏は相手の悩み事を聞ければ、その折伏は決まったも同然だ」と言う指導があります。そこにいきなり、命の傾向性、罰、地獄行き、生命が弱い、なんていったら、信心する訳がありません。嘘でも幸せになれる。病気が治る。祈りが叶う。というのが普通の信仰者(学会員とはあえて書きません)でしょう。

折伏という布教活動には慈悲や思いやり、不幸な人を幸せにする、あるいは幸せな人でも正しい宗教をしてもらう、と言う観点が必要かと。

5.折伏でなければ何を言っても良いのか?
ネットでの学会員の暴言
>そもそも私はネットに折伏を期待していません。
>折伏の邪魔をもくろんで私を侮辱していること

 上記のコメントは全くのもう理論的に破綻しています。では折伏でない発言はいったい何なのでしょうか?そこには慈悲でもなければ思いやりもないし、相手を救う気持ちなんかさらさら無いのでしょう。布教活動じゃないんですから。
(まさか、折伏成果は期待してないが、ネットで折伏はする高潔な自分なのだ、といいたいのでしょうかね?)
 リンクはしませんが、他の学会員さんでも折伏成果に繋がらなくても、慈悲や思いやりのコメントは私のブログ内にいくつかあります。謝罪についてはアンチでも創価でもあります。
 ネットでは折伏禁止なのですから折伏しないとしても、相手に不愉快な発言、また無慈悲な発言をして自分がどう見えているのか、どう見られているのか、全く意に介していないのは不思議と言うしか有りません。

6.敵味方の判断。なぜに攻撃的なのか?(未完成)

 学会批判をするアンチなので敵。という事なのでしょう。ですが反論。
創価学会の「悪」「仏敵」とは何か?創価の勘違い。 
同志との人間関係や自分の信じている物への批判なので、自分のアイデンティティが破壊されるので激高するんでしょうね。
 「自分たちが正しい」と言う教えはどの宗教でも言っている事なので、仮に創価学会にだけ攻撃的な面があるとすると、学会本部、聖教新聞、などの指導が原因になるのだろうか?
他宗教の人は間違っているという考え方のなので、間違っている人に対して正しい事は何を言ってもよい、という事か?この考え方が、創価学会員さんに刷り込まれて、ありとあらゆる事柄において、「自分の考えこそが正しい」という思いこみになり、普通の会話も成り立たなかったり、デリケートでなかったりする?

7.(nanaさんにも過去のコメントが整理つき次第、聞いてみたいが)一体どんな気持ちでいうのか?馬鹿にしたいだけなのか、説得したいのか、議論したいのか、どちらなのか? 何故馬鹿にしたいのか?馬鹿にする事に意味があるか? どうなの?創価の人↓

06.02.27 一部文章移動、追記、訂正
コメント (6)
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nanaさんが忘れるといけないので備忘録

2006年02月22日 03時47分03秒 | 創価学会
体験談や男子部の数は多いの?少ないの? ここの下の方に有る私のコメントを書いておく。nanaさん良く読んでね。

あー、もうめんどくせー。長文コメントするのも記事をコピペするのもお人好しすぎるな。

------------------------------------------------
 このコメントは「「一時的に」」無視します。回答や反論が出来ないわけではありません。理由は再三再四、(これで5度目、6度目)書いてきましたが、何度も、「nanaさんがつけた過去のコメントに私が決着をつけるか、あなたが私を説得して決着をつけない限り他にコメントしないで下さい」とお願いしているからです。過去の他のコメントに決着が付いてから必要が有ればコメントしましょう。自分のしてきた(コメント)事をすっかり忘れて新規にコメントするのはご自身の逃避行動(宿業とか命の傾向性とよばれるものでしょうか?)ではありませんか?

 この記事「体験談や男子部の数は多いの?少ないの?」のコメントを見て下さい。どこにnanaさんのコメントがありますか?どうして常に新規にコメントを書くんですか?都合の悪い所は逃げて反撃、反論出来そうな記事だからですか?

 人から聞いた話ですが、「躁鬱病が続くと、感情の日内変動またはある程度の期間内変動が継続し、その自己認識が困難になり、自分のした行動や発言を忘れてしまう。」そうです。あるいは「その場に応じて自在に言うことを変えている創価学会員さんに良くあるタイプの人なのでしょうか?」わかってやっているんでしょうか?
 どちらにせよ、お医者さんにいかれるか、あるいは、きちんと私の指示に従って下さい、再度あった場合、あなたのコメントを抽出する記事を書きます。これもきっと無視するんでしょうね。やっぱ病気じゃないの?ここはあなたのストレス発散の場ではありませんよ?有る程度の意味のある文章が書かれる間はコメントするつもりですが。

 私は草の根BBSの時代からパソコン通信をやっていましたし、NIFTYパソコン通信も最近までアカウントを持っていました。普通の粘着や荒らしの人というのは一つの議論に拘って本当に勝負が付くまではずっとその議論をし続けるのが普通の人です。

 ところがnanaさんは違います。アンチのブログを探し出し、自分から突然、やってきて「弱い弱い弱すぎます」とコメントしています。アンチの人に「ブログ開設してすぐにnanaさんがやって来るとは」「nanaさんは他のブログでこんな発言をしています」と言われています。みなさんがあなたを見てますよ?私には何の事か意味不明でしたが、このnanaさんの行動は今も変わっていませんね。これこそ、命の傾向性、あるいは宿業というモノでしょうか?2006-02-22 00:32:40このコメントだけ読むとまともに見えるんですが、最初からのコメントを追いかけていると、明らかに違和感を感じます。おかしいです。

こんなことをしているのは「あなただけ」です。

 私のブログは創価学会の折伏が減ってアクセス数が減る事と私が忘れる為のブログです。nanaさんもそろそろいい加減に気づいて欲しいのですが、 nanaさんご自身のブログでもそうですし、私のブログでもそうですが、nanaさんが私のブログにコメントしたり私がnanaさんの記事を書くとアクセス数が膨大に伸びます。あなたはアンチにすごく見られている、と思った方が良いのではないでしょうか?

私のブログはあなたのストレス発散をする為のブログではありませんよ?
それとも寂しくてネットで他の人にかまってもらえるのが快感ですか?

 正直に言うとあなたの発言は最初から迷惑でした。ですが、ここはアンチ創価サイト。あなたのような人が来てラッキーとも思いました。創価学会の(いい人ではなくて)悪い人が来てくれて、一般の人に創価学会員の悪い例を見せつける事が出来て私の書いている事の裏付けが出来るな、と思いました。
 何度も書きますが、迷惑です。あなたの発言は書き逃げばかりで不快です。説得したいならしてもいいけど、ますますおかしな人に見えます。 そもそも書き逃げをするので全く私を説得出来ていません。説得の出来ない、最後まで説得するつもりもないなら、何の意味があるの?

 nanaさんご自身が私に質問して回答を私に求める以上、私もあなたに質問しているんですから、過去のコメントの質問にちゃんと答えてから新たに私に質問して下さいよ。書き逃げをすることが、池田大作氏の言う、どこが誠実なの?どこが言論の闘士なの?どこが雄弁なの?

 あなたが一番最初にした、弱い弱い弱すぎます、のコメントには決着が付きました。私は「次に新しいあなたのコメントに移動して下さい。」とお願いしたはずです。どうして無視するんですかね?こういった問題が起こった時の為に私はアンチの発言も創価の発言も一切削除していません。私も、他の方も、アンチであろうとなかろうと「間違えたら訂正なり謝罪すれば済む」というスタンスで私はブログを運営してます。

nanaさんご自身のブログで謝罪がありましたが、半永久的に残す為にもここで謝罪をして頂けませんか?その方がnanaさんの良い評価にも繋がるし、人格者たり得るでしょう?私のブログのコメントに一度あいまいな謝罪がありましたが、このコメントにもきちんと謝罪してください。あなたのブログに謝罪の記事が有りますが、それは私への謝罪も含まれているのでしょうか?だったらこちらにコピーペーストして良いですか?

 人に迷惑をかけたり嫌がらせをして、一体、nanaさんご自身がどんな宿命転換や人格者たり得るんでしょうか?
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42.政教分離と世界の政治状況についてご存じ有りませんか?

2006年02月18日 16時40分22秒 | 創価学会
創価と公明党と竹入氏(言論問題) ここでたくさんのコメントを頂きまして有難う御座います。世界中の宗教と政治の関わりについて論じたいです。

多分この記事は一日とかで完成しないので、ここは議論の場か情報収集の場にして他にHPを持つこともあるかもしれません。

キリスト教関連やヨーロッパについては http://ja.wikipedia.org/ から、政教分離で検索すると「政教分離の態様」が出てきます。ところがアジアの仏教と政治では記述や項目がありません。

Open Directory Project[ja] ここに Top: World: Japanese: 社会: 宗教・精神世界: 仏教 と辿っていくと仏教関連のリンクが山ほど有ります。宗教政党の数や割合を世界や国で見たいですね。あとは法律や状況ですが、ブログは記述は無理なのでHPで表にしないと駄目ですね。まだ方針や調査内容についてなにも決めていませんが、少しずつ調べようかと思います。

どなたかご存じの方がいらっしゃいましたら、どんな情報でも結構ですので教えて下さい。アンチの視点でも創価の視点でもどちらでもOKです。ま、学会の人はここでのやりとりを見て、nanaさんといい他の人といい、もう来ないでしょうけどね。(笑)
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41.創価学会に感じる違和感

2006年02月18日 06時28分56秒 | 創価学会
 最近、イラク人質事件で今井紀明氏がHPに批判中傷の手紙やメールをHPに公開して、ブログ上で多くの人たちから批判されていますね。彼本人は「向き合いの中から生まれるもの、それは対話。」というHPを立ち上げたにもかかわらず、ほとんどなんの信念も無しで批判中傷の手紙やメールをHPに公開して、また更になんの信念も無しで、更新停止、更新再開などとしている。(笑)最近になってやっと自分の気持ちや置かれた状況、今後の行動を説明している様ですけどね。

 彼のブログから彼の言葉をそのままここに書くと、善意でイラクに行ったにもかかわらず、(自作自演ではなく)人質となり、またイラクでは人質の意識がなく、金銭取引の有無も判らずに解放。帰ってきてから事の重大さに気が付いたようだ。信念も無しで批判中傷の手紙やメールをHPに公開するあたり、更新停止、更新再開など何しろとんちんかんな行動が多いので、今でも判ってないかもしれない。

 彼の行動がいかに重大だったのかは、イラクで亡くなった香田証生さんの一件でわかってもらえるだろうか?判らない人は検索して欲しい。つまり、今井氏は助かったが香田さんは助からなかった。
 今井氏の事件は共産系赤軍ゲリラとイラク人テロ組織の自作自演でかつ身代金目的か、あるいはイラク人テロ組織だけの身代金目的だけだったのかもしれないが、結果として今井氏らは助かったことは良かったと思う。だがしかし、登山や太平洋横断などの冒険と同じく自己責任であり、3人の目算が甘かったのは言うまでもないし、今後は軽はずみな事はして欲しくないですね。なのにHPでの手紙公開が腹が立つ。もちろん法律を無視しろ!とまでは言わなくとも、出来うる限り、国の反体制組織や人間でも、日本人が拉致監禁されれば可能な限りは、冒険と同等の範囲で助けるべきでしょう。

 彼の人柄や行動をみていると、子供すぎる、というのが私の印象。戦争反対や劣化ウラン弾の絵本を書く、など反戦やかわいそうな子供達のため、、このあたりは私も自衛隊撤退賛成、戦争反対な人間なので同意出来るが、今の彼にはそのような行動は何も感じられないのが、驚きでもあり怒りも覚えるし、本当に無神経というか反省がない。批判中傷の手紙やメールをHPに公開している場合じゃないでしょう。お詫びと自身の哲学を知ってもらう為に講演するとか本を出すとかして、謝罪と本当に人の役に立つ事をすべきだと思う。

 また、最近、堀江貴文氏の逮捕事件も記憶に新しい。彼の哲学はお金が得られれば何をしても、法律の網をくぐり抜けても何をしてもかまわない、というのが、持論のようですね。何しろ自殺してしまった同僚がいるのに、今日'06.02.17に至ってもほとんど反省していません。部下がやったので俺は悪くない、法律上問題ない、知らなかった、というスタンスなのでしょう。

 そしてここからが本題、創価学会と宗門問題が始まってから、10年以上経ちます。当初、宗門問題が起こった際に、登山方式がそれまでと変わって添書登山になりました。創価学会員は学会を辞めて寺に所属して登山が出来る、というものです。当然、ほとんどの学会員は宗門に着く事はなく、現在に至る訳で、今でも学会員は登山出来ません。
 創価学会員は富士大石寺に行く際に大富士開発という会社のバスに乗って登山に行っていました。日蓮正宗の9割以上を占めている?学会員が登山出来なくなるんですから、バス会社にとっては死活問題です。バス会社の副社長が自殺してしまうという不幸な結果になってしまいました。
下記のURLにあります。
http://www.geocities.jp/fboy_hp/kako2004_02_4.htm 2004.02_4
----------------------------------
>日顕宗の登山の一方的な運営方法の変更によって、長年団体登山を担当してきた大富士開発株式会社は解散に追い込み、多数の社員は解雇され、精神的な危害を蒙った上、代表取締役副社長を自殺させたのは、日顕宗ではないか!
以下、痛憤の「抗議書」を読み、少しは人間の振る舞いとしての責任の重さを思い知れ!
----------------------------------

 宗門問題の事の発端は私が聖教新聞を読んだ限りではほとんど宗門側が悪いとしか思えません。お尋ね文書が最初だったと思いますが、学会側に論破されています。
 このブログを始めてからも私に日蓮正宗の人がHPへのリンクをはって誘ってきました。その人の個人のHPというよりも勧誘出来るようになっていました。妙観講など、学会員を狙うか、元会員を狙って折伏しています。もちろん学会側も脱講運動していますし、専門の組織があります。妙観講などは何故か外部の一般人よりも学会を狙う傾向がある(?)

 法律に触れなければ、正しければ、結果を考えないで、何をしても良いのでしょうかね?今井氏や堀江氏に感じる違和感と同じものを、創価学会、日蓮正宗や妙観講に感じます。

 今井氏も香田さんの死に直接関係有る訳ではありません。しかし今井氏の行動はそれくらい重大事です。今もね。堀江氏なんかはかなり責任があるでしょう。どちらも法律ではかなりグレーですね。では宗門問題ではどうなんでしょうか?仏法では法律と仏法を比較すると、国の法律よりも仏法の法則のほうが絶対的であり正しいものだ、としています。

 宗門や学会のその後の行動は未だに変化がありません。宗門がほとんど悪いとは思いますが。一般の創価学会員さんに自殺したバス会社の人の責任があるとは思いませんが、創価学会(本部)も被害者だから学会は悪くない、、、。どちらも自分たちのしていること判ってるんですかね?説得出来ない責任はないのでしょうか?
 つまり富士大石寺の大御本尊は正しいので拝むと功徳がある、といわれて入信したのは私ですが、学会についたこともあって自己責任で(笑)大石寺に行く事は出来ませんでした。先の記事にも書きましたが、学会は繁栄している、学会は凄いですね、、なんて今年の正月に挨拶に来た企業のおべっかを受け取って、さらにそれを新聞記事にして平気な感覚って何なのでしょうか?

 大御本尊を拝みに行けない状況が凄いの?創価学会本部が儲かっていればOK?何時になったら学会員の日顕死ね(笑)とか(日顕退座は事実なので叶ったと言えるのか?(笑)でもほとんど無意味。)叶うんでしょうか?(笑)御祈念文に 一日も早く学会員が大石寺にお参りに行けますように、、なんて御祈念文書いたのは私一人だけだったのかも。(笑)どの会館も池田大作氏、つまり池田先生と奥様の健康と長寿、日顕退座など、そんなのばかりです。もちろん学会のいう「一般家庭に有る御本尊を祈ればそれでよい」というのを信じていました。つまりは学会本部の誰も宗門を説得する気はないって事かもしれません。裁判はしてもね。(笑)

 正しい事は言わないといけないのですが、創価学会や日蓮正宗には違和感を感じます。説得や議論については学会もだらしがないし、情けないのですが、宗門だって絶対におかしいでしょう。で、どちらも日蓮、、と。特に僧侶が説得力を持たないのは笑えます。仏法に格下格上はなく平等なので、法主の言う事を聞け、というよりは教義で言い負かせないのが最大の問題でしょう。言い負かせる事が出来たなら、学会は解散、全員日蓮正宗でとっくに決着が付いているはず。

 先日記事にした、元公明党の竹入氏の創価学会側の批判も学会が正しければ、学会が騙されていれば、人格攻撃でも、何でもかんでも、自分たちの謝罪も無しに批判して良いのでしょうかね?
 創価アンチの人が創価批判をしますが、池田氏をはじめとして学会員に人格攻撃や不幸な姿の批判をされるのは、当然でしょう。お互いに自分たちが正しいと思って批判するんですから。但し、どちら陣営でもその内容が正しいかは別です。

今井氏も「向き合いの中から生まれるもの、それは対話。」とかいいながら、一時的にとはいえ、対話拒否しますし、学会だってそうです。

 私は退会したいと申し出た際に 「最後の希望で気が変わってやりなおすか、あるいは諦めがつくかも」と思い、一度だけでなく2度3度「「副会長にも指導を受けたい」」と都内のある都市の区幹部や様々な幹部に言いましたが、その要望は叶わず、駄目でした。ちなみに理由も教えてもらえません。
 対話が大事とか、一人一人を大事にする、とか創価班で教えられ、望まれるのに、自分が苦しい時には希望する指導も受けられないのです。

 月に一回は必ず、大石寺の大御本尊を拝みに行きなさい、という戸田城聖氏の指導もありました。

 前にも書きましたが、学会指導や方針、勤行など、様々に変わり池田大作氏の評価だって池田氏の死後、もしかすると良くも悪くも変わるかもしれません。勤行という宗教行為が変わるのですから人の評価ぐらいはいくらでも変わるでしょう。

 竹入氏の記事を書き終わって、今井氏や堀江氏の事を知って彼らに感じる違和感、ということで記事にしてみました。
いじょ。
創価学会とみなさんのやりとりの中でもきっと ああいえばこう言う、ああ言ったのに今はこう、なんて無数にあるでしょう。あいまいな違和感をどうぞ。↓
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40.創価と公明党と竹入氏(言論問題)

2006年02月14日 08時55分17秒 | 創価学会
 元公明党の委員長だった竹入氏の回顧録を読む事が出来ました。回顧録の記事を下さった方は創価学会に入信した事のない人らしく、経緯はわかりませんが、学会と言う言葉も聞きたくないとおっしゃっていました。経緯は何にせよ私には分かりませんが、記事を残して頂き、また快く私に頂けたのは本当にありがたいです。助かりました。重ねてお礼を申し上げます。

 諸事情により新聞記事掲載は時間がかかりそうなので、順次、主旨に書き換えます。創作小説になります。新聞記事をほぼ正確に記述し、頂いたものが、私の手元にあります。新聞記事を差し上げますので読みたい人はメールかコメントをお願いします。テキストファイルが14ありますので、メールにて添付します。圧縮形式はzipかPCに詳しくない人は自己解凍形式(.exe)で圧縮して送付します。学会の人でもかまいませんがアンチ系かあるいは悩んでいる人に限らせて頂きます。

●竹入氏の学歴詐称は創価学会が攻撃材料にするほど重大な問題か?攻撃に正当性はあるか?
--------------------------
http://members.at.infoseek.co.jp/netplane2/zouo.html
憎悪の批判者攻撃
"「学歴詐称」が事実であったとしても、竹入氏が公明党議員(すなわち学会員)であった時代のこと。氏は公明党議員、委員長として長年学会・公明党のために尽力した人である。当然「学歴詐称」も議員として初出馬したときから行われていたものであろうが、そのことを学会幹部が知らなかったとは考えられない。とくに、氏の弟は学会大幹部である。兄の「学歴詐称」を知らなかったはずはない。となれば、「学歴詐称」は、少なくとも大幹部である弟も承知の上で、黙認していたことになる。また、自分たちが推薦・公認し、後には委員長にまで登用した人の経歴も知らなかったのであれば、学会・公明党本部の責任も重大である。「学歴詐称」の件は、仮に事実であったとしても、学会・公明党は、国民に対して連帯して責任を負うべき立場であるといえよう。そのことを棚上げして、クドクドと竹入氏を詈る学会の体質は、極めて自己中心的で陰湿と言わねばならない。"
--------------------------

参考リンク
http://www.toride.org/take/taka1.htm
http://manimaninikki.blogzine.jp/manimani/2005/09/post_32c4.html

以下新聞記事は私が書いた主旨か説明創作小説になります。可能な限り同意な文になるようにつとめましたが駄目な所も多数在ります。誰が誰であるかは皆さんのご想像にお任せします。'06.09.30

----あーさひ新聞記事(1) 1998年10月21付 「こーめいがたーけいり氏批判、過激ぶりに驚く声も」----
 たーけいり批判は九月末から始まり、「たーけいり義勝元こーめい党委員長の策略と欺瞞(ぎまん)」と題して、たーだ省吾、おおーくぼ直彦元こーめい党副委員長らのインタビューを中心に、連日のように新聞に掲載されました。
 たーけいり批判はさらに、「検証 たーけいり疑惑」と題したシリーズも掲載。一九七四年の京都府知事選に関して、候補者が持ってきた金をたーけいり氏が後で返した「二千万円の菓子折り事件」を追及。その他、たーけいり氏に「学歴詐称がある」と主張し、「たーけいりよ、謝罪し、勲章(勲一等旭日大綬章)を返上せよ」と迫り、非難は家族らにも及んでいます。
--------------------------

----あーさひ新聞記事(2) 1998年10月28付 「こーめいのたーけいり批判、なぜここまで?」----
Q.こーめい新聞のたーけいり批判には「おごりや腐敗が委員長当時から目に余った」という幹部の証言が多数ある。証言が本当だとすると、なぜそんな委員長が二十年間も党を率いることができたのか不思議と考えるのが普通です。こーめい党に自浄能力が無かったという事ではないでしょうか?
A.「率直にいって、まさかここまでとは思っていなかった。たーけいり氏の裏切りへの怒りが、沈黙していたこーめい党関係者の口から証言となって、初めて実像がはっきりしました。当時このような事が判明していれば、当然解任される。」

Q.二十年間もの長い間、たーけいり氏を支えた党幹部やいーちかわさんは責任を問われるのでは?
A.「責任は感じている」
--------------------------

 「責任は感じている」だそうです。で?責任の謝罪やけじめは??? なんだかもう、弓谷元男子部長の解任問題と本質的な問題は変わっていない気がします。そんな人物なら責任者にするなよ!って言いたい。今まで創価学会本部、公明党は「ずっと騙されていました。ずっと判っていませんでした。」という無責任なスタンスになってしまうんですね。「そういう責任は感じている」と言いながら特に誰も責任を取っていませんよね。聖教新聞に謝罪もありません。
 聖教新聞や公明新聞で竹入氏を批判したらますます頑なになって謝るなんてあり得ないと思うのですが、学会本部は何を考えているのでしょうかね?地道に会って説得しないんでしょうか? 説得しなかったか、説得出来なかったかのどちらかですね。

 家族への批判や女性問題、金銭問題など、プライバシーなどは、もう馬鹿馬鹿しすぎて書く気にはなれません。もう弓谷氏が散々、退転者や日蓮正宗の僧侶の女性問題をあげつらい、自分が同じく女性問題で解任される、、コレと同じです。弓谷氏の件の反省からか、今の聖教新聞4面記事の座談会ではほとんど、こういった日蓮正宗僧侶への女性問題攻撃が少なくなっているそうです。馬鹿馬鹿しい。ほんとに「そんな人物なら責任者にするなよ!」ですね。

●創価学会の池田大作名誉会長が日中友好のレールを敷いた歴史的事実を一切無視しているか?

06.02.13追記
----あーさひ新聞記事(1) 1998年10月21付 「こーめいがたーけいり氏批判、過激ぶりに驚く声も」----
 たーけいり氏は回顧録で日中国交正常化が実現してゆく際、田中角栄元首相や中国の周恩来首相らとの親密な関係を語っています。その回顧録の内容を「歴史の事実を歪曲(わいきょく)した」と批判しています。「こーめい党の創立者である創価学会の池田D作名誉会長が日中友好のレールを敷き、それを受けて党が取り組んだ歴史的事実を一切無視している」という立場から批判しているのです。

 七二年の日中正常化の際、「こーめい新聞」はたーけいり訪中を高く評価しています。池田D作氏の功績には特に触れていません。八六年にたーけいり氏が委員長を辞任した際も、「こーめい新聞」は「謙虚で魅力ある政治家」などの見出しで業績をたたえる記事を掲載したそうです。今度のたーけいり批判は党史を創価こーめい自らが覆すものです。
 この問題でたーけいり氏の発言は慎重だったようで、それでも「こーめい党と創価学会の関係は、環状線ではなく一方的に発射される放射線の関係」という表現に思いが込められている様です。

 「池田D作氏(現名誉会長)とたーけいり氏の間に確執が想像以上にあった事が伺えた。」とあーさひ新聞記者は言っています。
--------------------------

 無視しているのではなくて、特に朝日新聞記事に書かれていない、竹入氏が特に発言していない、と言うだけのような気がします。
朝日新聞記事に「創価学会の池田D作名誉会長が日中友好のレールを敷き」について竹入氏の否定的な発言は一切ありません。むしろ朝日の記者のほうが「池田D作氏(現名誉会長)との確執は想像以上のものだったことがうかがえた。」と書いているコメントが事実に反するのかもしれません。
06.02.13追記

●竹入氏の成果は否定されるのか?

----あーさひ新聞記事(2) 1998年10月28付 「こーめいのたーけいり批判、なぜここまで?」----
Q.政治家の回顧録というものは多かれ少なかれ自己中心的な記載になるのは普通のことであり、日中国交正常化についての証言は、どこがいけないのか?
A.「日中国交正常化の実現は、当時、こーめい党と創価学会にとって共通の目標だった。それがいつの間にかたーけいり氏の中で『日中はおれがやったのだ。日中友好はおれが体現しているのだ』ということになってしまった。当時こーめい党と創価学会の中で、日中国交正常化に先見性を発揮していたのは学会側だ。一九六八年九月、池田D作会長(当時)が学生部総会で『日中国交正常化提言』した事が中国側と創価、こーめいが接触する発端、源泉だった。」

Q.そうだとしても、政治外交史的にはたーけいり氏が果たした役割は評価されていると思います。
A.「左翼でも右翼でもない日本人の平均的な中国理解を中国側に率直に伝えた点は評価されていい。しかし、たーけいり外交とは本質的には『御用聞き外交』だったと思う。たーけいり私案なるものをもって訪中し、周恩来首相から中国側の本物の日中国交正常化への草案を預り、持って帰った。それを当時の日本側の田中角栄首相、大平正芳外相に届けたにすぎない」

Q.当時のこーめい新聞は「実ったこーめい党の努力 たーけいり委員長訪中に高い評価」と報じていたのを今更、否定するのか?
A.「党としての努力やその成果を否定しない。たーけいり氏が日中友好を私物化し自慢しているから、厳しくたーけいり外交を分析しただけの話だ。」
--------------------------

 竹入氏が日中友好を私物化して自慢するとありますが、自慢するくらいいいんじゃないですかね?池田大作氏をおとしめるような発言はどこにもありません。只単に持ち上げなかっただけのような。(笑)それに、回顧録を読んだ私の主観でしか有りませんが、私だけが偉いんだ、私だけが一人でやったと、自慢するような発言は明確には書かれていません。自慢するような発言にも受け取れません。新聞記事を読むと、実はこんな裏話があった、こんな事があったんだよ、、としか読めません。それに回顧録には日中国交正常化だけが書かれているのではなく、竹入氏の政治にまつわる様々な話が書かれています。

06.02.18 追記
 池田氏を無視しているのがいけないならば、竹入氏の事も無視してはいけないのでは?ご用聞き外交が駄目というなら、政治家がご用聞きをしたら駄目か?理想は政治家自身で意見を持つ事ですが、学会も政治家に学会よりの信念を持って欲しいでしょうし、ギブアンドテイクだし、有る程度どちらも依存するでしょう。その結果が竹入外交になったのではないでしょうか?
特に池田氏との確執とか池田氏を無視とかはありえないかもしれません。新聞記事の中にはこうあります。

----あーさひ新聞記事(3) 1998年09月??付 「党と学会」----
 委員長を辞めたのは、八六年十二月の党大会だが、七月の衆参同日選挙がすんでしばらくして、軽井沢で池田D作名誉会長に会った。「次の党大会で辞めます」「ご苦労さまでした」。初めてお許しが出た。落ち着いた気持ちでいたら、おおーくぼ直彦さんといーちかわ雄一さん(いずれも元書記長)が来て、「九月に臨時党大会を開いて、早く人事をやった方がよい」と、クーデターみたいな話になった。「指図は受けない。十二月の定期大会まであとわずかだ」とはねつけた。
 よく後継者の育成をしなかったとか批判されたが、私が仮に後継者を指名しても、そうならないのだから仕方ない。委員長を引き受けるときから、人事権は学会にあると、明確にされていた。選挙にしても、人事にしても、党内はみな学会を向いている。私の同調者になったら干されてしまう。
 こーめい党は財政、組織の上で創価学会に従属していた。こーめい新聞や雑誌「こーめい」も学会の意向が大きなウエートを占め、部数は学会の意向で決められてしまう。党員数も、前年数値を参考に調整して決めていた。
 政治家になって学会との調整に八割以上のエネルギーをとられた。こーめい党・創価学会の関係は環状線で互いに結ばれているのではなく、一方的に発射される放射線関係でしかなかったように思う。
--------------------------

>初めて「お許し」が出た。

「お許し」って言ってますよ?改めて読むと、なんだかいーちかわ氏が公明党の委員長になれなかったから恨んでこうして文句を言っている?あるいは学会や公明党に非難集中したので言い訳の為にやっているんでしょうかね?むしろたーけいり氏といーちかわ氏の確執じゃないのか?コレ(笑)
06.02.18 追記

 新聞紙上で池田大作氏や公明党、創価学会をたたえなかったから駄目出しされたんですかね?

●「一方的な放射線関係」

----あーさひ新聞記事(2) 1998年10月28付 「こーめいのたーけいり批判、なぜここまで?」----
Q.たーけいり氏が創価学会とこーめい党の関係を「一方的な放射線関係」とした点について。
A.「こーめい党と学会の関係は、政党と支持団体の関係です。それ以外ありえない。それを『従属』とか『支配』と表現している点が問題だ。憲法がいう政教分離の原則は、国家と宗教の分離だ。政党と宗教の分離をいっているわけではない。同時に、憲法は宗教団体の政治参加の権利を保障している。支援団体が党に意見や注文、アドバイスをするのは当然だ。その声に党が耳を傾けるのも、これまた当然。要は、主体性がどこまで貫かれているかだ」
--------------------------

 政教分離問題ですが、この辺は私は学会よりの考え方をしています。立正佼成会などや他の宗教団体も支持政党がありますし、憲法解釈として「政治が特定の宗教を特別扱いしない。宗教が政治に関わるのは問題ない。」のですし、世界的に見ても宗教団体が政党を支持するのはおかしな事ではありません。
 別に過去も現在も今後も「一方的な放射線関係」であり、創価学会との関係を「従属」してOKじゃないでしょうか?公明党は創価学会の言う事を聞くべきだし、聞いて当然。だから従属しているのは何も問題ないと思います。暴走する事の方がよっぽど問題。

 本来は仏教の考え方を基本として、病人や貧乏人、宗教の立場から困っている人、底辺の人を助けるべきですが、そうでないのはもう、皆さんがご存じの通り。

 但し、竹入氏はそれだけでは駄目だよ、今後は一般の人にも支持される政党になって欲しい、と言いたかったのではないでしょうか?わかりませんけどね。

 私も記事を読んで思った事はインタビューなのか不明ですが、竹入氏は話のまとめ方?がちょっと下手でわかりにくい?と思いました。一つのテーマについて話すと、時間軸や組織や人がごっちゃになるのは仕方ないのか?朝日もよくこれでOKしたもんだ。1回から12回までの話の順序などが疑問に感じました。基本的な5W1Hが欠けているので、記者が括弧をつけるなど補完して欲しかった。良かったな、と思うのは最初の1つ2つ、あと、全体として田中元総理大臣とのやりとりは上手に書かれていました。

 それよりもむしろ、イラクに自衛隊派遣したことや、イラク戦争を止められない事。90年代初頭のPKO問題。野党、与党どちらであっても公明党として平和を築けなかったマイナスの責任の方が重大な問題です。

>『従属』とか『支配』と表現している点が問題
 これについては凄く疑問です。ほんとに言葉だけの問題、表現だけの問題のような気がします。みなさんはどうですか?

自民党にだって選挙協力をしているから公明党から色々要求してるじゃないですか?そっちの方が支配、従属ではないでしょうか?異質な物(自民党)だから支配、従属しようとする言葉が当てはまる気がします。協力だ、というなら、公明と創価も協力していると言っても別に差し支えないでしょう。ホントくだらない。言葉のゲームか?(笑)

●「政教分離」

----あーさひ新聞記事(2) 1998年10月28付 「こーめいのたーけいり批判、なぜここまで?」----
A.「たーけいり氏には今から考えると、選挙は応援しろ、政治には口は出すな、という都合のいい『たーけいり流政教分離』の理解が根にあったのではないか。党員の大半が学会員であることは事実だ。仲間から議員を送り出し、会員の中から党員になる人が出て党組織ができた。財政についていえば、学会から党に資金は一切提供されていない。これが従属だろうか」
Q.聖教新聞上で創価学会幹部の森田一哉理事長は「貧乏のどん底だった男を、学会と池田先生が議員に育てあげた。学会が応援しなければ議員になれた人は一人もいない」と言っています。
A.「それは私自身も含め自分の力で国会議員になったとは、だれも思っていない。政治の責任は党が負う。結果責任を持てば、支援団体にきちっと意見を言えるし、問題はないのではないか」「たーけいり氏は、自分の在任中に、腐敗と対決する気概がなくなっていたと嘆いてみせている。だとすれば、それこそ党首だった自身の責任ではないか。その理由として、『既成権力に組み込まれる中で立党の原点が薄れていった』というが、田中角栄氏との親密な関係や自民党総裁選に野党の立場で口出しするなど、既成の権力に組み込まれていたのは、たーけいり氏自身ではなかったか」
--------------------------

06.02.13追記
>『たーけいり流政教分離』の理解が根にあったのではないか。
>既成の権力に組み込まれていたのは、たーけいり氏自身ではなかったか
推測で追求して良いのかよ!?竹入氏と対話しろよ(笑)対話。問題があるなら発言なり、行動なり、明らかにしてどのように問題なのか、白黒つける必要があるのでは?>公明党。

>財政についていえば、学会から党に資金は一切提供されていない。これが従属だろうか
そんなこをを竹入氏は問題にしていない。問題ない事を竹入氏があえて批判する訳がない。当然、政策面や人事などについての従属、支配でしょう。
「学会から党に資金は一切提供されていない。」
本当にそうなのだろうか?寄付とかでも法律に問題ない範囲でやってるんじゃないのか?

----あーさひ新聞記事(2) 1998年10月28付 「こーめいのたーけいり批判、なぜここまで?」----
Q.これだけ大きく評価を変え、連日攻撃をする事は、常軌を逸しているのではないか?
A.「委員長時代は池田名誉会長に対して『池田先生』とか『選挙は百パーセント学会のご支援のおかげで勝った』とか繰り返し言ってきた。ところが、今になって『支配されている』とか言い始めれば、それはみんな怒りますよ」
--------------------------

 今後も学会のおかげ、つまり学会の力で勝つのだろうし、公明党が主体性を持つのは当然として、公明党が独自に考える政策以外で今後も創価学会からの意見や協力、注文はあるでしょう。これらを従属、支配という悪のイメージにはならない。ギブアンドテイクではないのか?それに理想としては創価学会員以外からも支持されたいのは公明党としては当然であり、竹入氏の発言の意図が「これからは学会だけでは駄目だ、一般の人にも支持をもらえるように」だとするとますます、やっきになって批判する意味が不明だ。

しかも支配ではない、従属では無いというのならば
>選挙は応援しろ、政治には口は出すな、という都合のいい『たーけいり流政教分離』
これこそ、支配従属とは反対であり、良い事であり、結構な事では?矛盾してますね。

もー、馬鹿馬鹿しくて私の意見を記事にしません。 やっぱ書いておく。
06.02.13追記

 竹入氏の政治家としての悪い所が出れば出るほど、創価学会の責任、公明党の責任、池田氏の責任が大きいような気がします。

宗門問題で日顕法主に対して聖教新聞4面記事の座談会で 「どうして池田先生の事を立派な信徒が出てきてくれた、と言って喜ばないんだ?」ということを言った幹部がいました。この記事を誰か覚えている人いますか?何時の記事でしたっけ?古いな、きっと。

日中国交回復に一役買った竹入氏についても、この批判が当てはまりませんかね?

たーけいり氏はこんな事を言ってます。
----あーさひ新聞記事(1) 1998年10月21付 「こーめいがたーけいり氏批判、過激ぶりに驚く声も」----
○事実を語ったのに
たーけいり義勝氏の話 回顧録は私の体験のほんの一部を語ったもので、事実を言ったつもりだ。私を社会的に抹殺しようとするかのような攻撃に、驚いている。かつての言論問題の体質を再現している。一部の人が強力な力でやっているのだろうが、本当に悲しい。
--------------------------

こんな公明党、応援するの?>学会員さん

06.09.30~ 新聞記事を小説に変更中。
06.09.22~ 新聞記事を主旨に変更中。
06.03.01~ 新聞記事を主旨に変更中。
06.02.22 朝日新聞経由で市川氏、竹入氏に新聞記事のブログ掲載を申請中の為、一部削除。
06.02.18 大幅に追記訂正。朝日の記事について日付タイトルを入れた。朝日新聞さんThanks。
06.02.13 追記。
いじょ。
コメント (29)
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39.某君、東京にくる。

2006年02月07日 19時56分19秒 | 創価学会
 先日、某君と会う機会がありました。わざわざ東京に出てきて私に会いに来た訳ですが、さてどうだったのでしょうか?創価学会員と確信と情熱

 会ったのは夕方4時からです。元々、(1)御本尊返却という重大事と(2)私からの公明党への質問がありました。後者も私の健康がらみの事であり少なくとも私には重要な問題です。元々、こういった事で会うのですから、日時も土日で10時、11時に会う事になっていました。それが当然だと思いますが、実際には彼の仕事の都合もあり、平日4時になりました。学会幹部である書記長の彼は忙しく、上記リンクにも書きましたが、土日も全然駄目ということなので平日になったのです。
 私にとってはこの日時も不満でした。これだけ重大なことなのに、もう全然サポート、つまり説得する気はないんだな、、と感じました。元々情熱や確信に欠ける彼の事でしたから、もう期待するのが間違っている、彼の人格を買いかぶりすぎたのが間違いである、、、なのは明らかです。

 彼が私をどう説得するつもりだったのかわかりませんが、さっぱり要領を得ない物でした。実際の話の内容は自分が担当する部員さんの不幸な状況を語り始めるのです。凄い不幸な人を持ち出して「あなたも頑張りましょう」という路線で説得する気かな?と思いましたが、また更に別の部員さんを持ち出してきました。で、話がとぎれてしまうので、こちらから、わざと「景気の悪い話ばっかりだな」(で?そんな景気の悪い話を持ち出して何が言いたいの?)と言ってみたのですが彼は空気を読むことなく何も言いません。そう、あいかわらず、祈りが叶ったとかの体験は彼の口からは聞く事はありませんでした。
どうしてそんな話をするの?とわざと聞いても「世間話は大事」とか言います。

ここでもがっかりしました。(1)(2)を忘れているみたいです。

 絶対的幸福についても議論はしました。病気や結婚はあきらめて絶対的幸福、幸福感のすりかえをしろ!と言う事です。
「相対的幸福が手に入っていないのにもかかわらず、絶対的幸福は手にはいるのか?」
と聞くと彼はまた無言になりました。

 某君は「絶対的幸福について今まで話してきたつもりだった」と言いました。ホント笑っちゃいます。折伏を受けた大学生の頃から私が退転するまでに、彼にはお前が一番確信や情熱が足りない、(趣意)と実際に何度も言ってきました。絶対にそんなことは彼は言っていません。今も自信を持って言っていません。そう教えられたから、少しだけ(笑)言葉だけで、そう言っているだけです。

 仕方がないので世間話を続けます。話の中心は何だったかというと、彼の恋愛について相談にのってあげていました。永延と2時間近くでしょうか?友人としても20年近く、信心の同志としても14,5年のつきあいな訳ですから彼にも幸せになって欲しいし、今後も相談を受ければ私の判る範囲なら相談には乗るつもりです。ですが、彼は一体何しに東京へ来たんでしょうね?恋愛が上手く行かなくてかなりのストレスがあったみたいですが、私に愚痴や文句など話す事でその辺は多少はすっきりしたみたいです。他に声をかけたい女性がいるそうですし、それは頑張って欲しいとは思いますけどね。

 どうしてプライバシーになるようなこんな話を書いたかというと、彼が一言、「戸田先生がおっしゃったように恋愛と信心は関係ない」という驚きの発言を聞いたからです。「やっぱり戸田先生は凄いな。」とも言いました。つまり、自分は信心もしっかりとあって幹部でもあるけど恋愛は駄目だった。と言い訳したかったのかもしれません。
 訳が分かりません。初めてきいた指導ですし、「自分と同じ境涯の人、あるいは自分にとってぴったりな境涯の人に出会える。だから信心頑張りましょう」という指導なら聞いた事有るんですが、彼もTELで私に信心で境涯を良くして良い女性と結婚したい、なんて当たり前に言っていました。彼の発言には呆れたので何も言えません。恋愛で自分のした失敗や自分の恋愛境涯を見つめる事が出来ないのかな?とも思いました。

 信心と恋愛が関係ないならば、弓谷元男子部長の件の言い訳でしょうか?先にも少し書きましたが、ネットのあちこちで恋人や夫婦同士、子供を入信させるか、させないか、などなど、、みんなとは言いませんが、学会の人は悩んで信心している人がいます。

 書記長をするような人でもなかなか祈りを叶えるのは、幸せをつかむのは難しいようです。ほんとがっかりしますね。もちろん幹部であるからといっても人の幸不幸には無関係であり、創価学会の指導では「その人が持つ宿業だ」という事になっています。
 恋愛が上手く行かなかった今回の経験で初めて彼も「他の人の恋愛が上手く行かない時の気持ちが分かった」(趣意)といいました。

 ちなみに私が上記URLでも書いたように、私と某君の共通の友人で創価学会員のB君に会ったか?と聞くとやっぱり会っていないとの事。「俺に会ってない事を攻めるなら、お前が学会員だった時、C君(創価には入信していない私と某君の友人、)にどうして会わないんだ?」と攻められました。
 当然です。私には今もそうですし、活動家だった頃もそうですが、確信や体験がないから駄目だった、と正直に言いました。彼には家庭訪問して体験や確信無しでも、御書や池田大作氏のスピーチ、学会指導で説得出来ると考えているんですね。
 10年以上も信心して体験がないのにもかかわらず嘘を言うのが苦しかったりしないのでしょうか?
 人の苦しみを判っていないと言うか、ここでも私の気持ちや病気などの様々な苦しみを判っていないなと感じました。私の病気の苦しみは「自分も病気になってみないと判らない」(趣意)とも彼は言いました。

 そして創価学会員の良くある誤解だと思うのですが、池田大作、と私が呼び捨てにするのが気に入らなかったらしく、怒っていました。(笑)今の私が池田先生なんて言うはずがありません。「池田大作氏先生を侮辱したら許さない。」とも。彼は人の感情が本当に判っていません。私が最も恨んでいるのは友人である某君です。池田大作氏にも恨んでいますが、特に会った事もないし会話した事もありません。呼び捨てにしようと、創価学会の親玉(笑)、頭領、社長、名誉会長、なんでもいいですが、池田大作氏が言っている事を信じてしまったのは私ですし、もちろん池田大作氏には騙されたとも思います。しかし、もっとも私を騙し、だまし続けているのは彼自身です。私が最も怒っているのは某君なんですけどね。

「池田大作氏先生を侮辱したら許さない。」この一言の直後で時間切れ。彼は終電に間に合うように帰っていきました。冒頭の(1) (2)の話は一切出ませんでした。

 普通、営業関連のお仕事をした人やあるいは営業さんから物を購入した事のある人はよく分かると思いますが、普通は最も問題な事は一番最初に話すのが当たり前です。一番最後に話す場合でも特に営業側は最初にお断りをして時間がかかるから、、云々で最後に話します、とか言いますよね?
これが30才半ばを過ぎた、しかも幹部の話術なのですから、こういう意味でも呆れました。もっと若い人でも幹部でなくとも上手にお話できる人はいるでしょう。

 最後にもう一度書きますが年末年始に私が地方の実家に帰った時に会ってもよかったのですが、彼の今までの言動、性格からいってTELしてこないのは判っていました。わざとこちらからはTELしなかったのです。もちろんTELはありません。しばらくしてからTELして御本尊返却に文句をいうと彼は自分から「東京に行く」と言い出しました。その上で(2)の相談もしています。
いじょ。
06.02.12 誤記訂正

06.02.10 追記
ちなみに今でも一切の連絡はありません。対話が大事とか言いながらその約束とか一切無し(笑)
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38.創価の結婚、恋愛観。どうしてこんなにネットだけでもトラブルだらけ?

2006年02月02日 03時10分24秒 | 創価学会
 先にも少し人間革命について書きましたが、戸田2代会長時代で人間革命に出てくるように、奥さんは信心しているが旦那さんはやっていなくて信心反対。というのも実際に今でもあります。逆に珍しかったけど旦那さんが創価で奥さんが他の宗教、というものありました。ですから人それぞれ様々です。ですが、学会も戦後からの長い歴史があり多くの家庭は創価家族だし男子部員はほとんど生まれた時から学会員、というものでした。

(脱線しますが、男子部自体も2世3世ばかりで私と同様に入信した1世で活動家というのは数えるほどしかいません。私のように独身で入信して1世というのは大学時代の内得信仰時代で20人から30人の学生部に会いましたが、私1人。入信して関東地方にいた頃は私と男子部で1人、あとは全部2,3世。転勤してとある地方Aでは私と女子部とつきあって結婚した元一般人の地区リーダーさんがいただけ。地方Bでは私と部長以外は2世3世。今いる東京の地区も私以外は全員2世3世です。)
06.02.08 青文字追記

 自分の知っている夫婦やカップルでどんな人たちが多かったかというと、上の幹部になればなるほど、その2世3世(活動家)は学会員同志のお見合い結婚が多かったです。強制的に学会員同士で結婚させられるとかはありません。どちらかというと、お見合いで相手を捜す人々は親の意見や先輩達の苦労する姿を見て「家庭に帰ってまでも折伏に苦労したくない(笑)」「トラブルを避けたい」というのが本音かと思います。外でも折伏、自宅でも折伏では気が休まらないでしょう。もちろん傾向であって、外部の人と結婚する例は男子部でも女子部でもありましたよ。但しその後はたいてい引っ越しているのでどうなったか判りません。

 自分の親は学会員でなかったのと特にこだわりはなかったので一般の女性とつきあったりしました。当然折伏とかしましたが、なかなか理解されませんね。やはり、私自身に体験がなかったので説得力に欠けるのと、学会の家庭的な雰囲気(創価家族)(すいません、これは偽物の創価家族と言う意味です。当時は活動家だったのでこの書き方になります。)仏法の教学を理解してもらうのが大変でした。女子部の人にもお願いして勤行とかもしてもらいましたが、根本的に信じる信じない、なんて無理に強制しても出来る訳がありません。聖教新聞などを読んでもらっても普通の宗教にしか見えない、(当然と言えば当然。)みたいでした。私の押しが足りなかったのかもしれません。結婚してからゆっくりと折伏すればいいや、間近で見れば理解してくれるだろう、と思ってました。信心の正しさを信じていましたから、いつかは正しい私に従ってくれると思ってました。その女性とは別れましたが、その前後で創価学会が原因でトラブルになるような事はありませんでした。

 末端の男子部、女子部でも恋愛愛の悩みは様々で信頼の置ける幹部の所には女子部の人が何度も指導や相談に来ていました。随分以前に、入信の際に女子部目当て、つまり女の子目当てでつられて入信しないでね。と書きましたが、男子部女子部の比率はたいてい男子部10人の活動家がいれば女子部の活動家は0人から2,3人。だから地区によってはいないなんて当たり前です。

 たいていは結婚と同じ時期にカップルなら未入信の相手を入信させていました。私はそう言う意味でもトラブルらしい人には巡り会わなかったですね。女子部、男子部の恋愛と折伏がなかなか上手く行かないのはいくつか目にしましたけど、学会が原因で恋人同士が別れるとか離婚するとかは一切に見聞きしませんでした。この意味でも私の周りには悪い学会員さんとかおかしな学会員さんっていなかったと言う事になりますね。自分の人脈や組織をちょっと離れた婦人部や壮年部は?だった様な気がします。それはあちこちにネットに書かれているおかしな人や違和感を感じる人とよく似ています。(狂信的っていうのかな?もっともその人の信仰体験を聞いた訳ではないので私自身のこの違和感、おかしいという断定、も曖昧にならざるを得ません。)

 今はネットの時代で多くの人がこの問題で悩んでいますね。もう少し創価学会の人々が一家和楽の信心、なんてものを押しつけるのをやめれば不幸は減ると思います。ノルマ、新聞啓蒙、ご供養とかもね。一家和楽といっても家族が全員信心していなくても、信心していない人、信心反対している人が家族にいても、「それでも私は学会活動させてもらえる、信心出来る喜びがある」で十分かと思います。だいたい、絶対!正義!幸福になれます!という宗教が未入信の家族に対して幸福感を分けてあげられなくて何の意味があるんでしょうかね?
当然学会には「それでも私は学会活動させてもらえる」という指導、教えがありますが、実際には家庭を犠牲に、恋人を犠牲にしてるんでしょう。そうでなければこれ程までに問題にはなりません。

 皆さん落ち着いて考えて下さい。元々宗教は考え方、哲学であり、人々の人生や生活を豊かにする物です。問題解決の糸口になるはずです。ところが逆になってます。創価の人々は批判されっぱなしです。他の宗教団体から批判されるのと、一般民衆から批判されるのは180度違います。問題解決の糸口になっていないから、某ブログでも某掲示板でも恋愛問題で永遠とコメントがついてお互いに信心頑張りましょう、お題目頑張りましょう、とかおかしな方向に向かうのです。普通は、というか正常で有れば、成功した体験談が多く書き込まれるのです。

 本当の宗教観でなく、創価の押しつけ、創価のノルマや一家和楽、創価家族なんて押しつけがあるからこそ、悲しまなくていい夫婦やカップルは大勢いる気がします。普通に信心して普通に生活していれば多分、時間と共に理解してもらえるでしょう。もちろん全く説得や折伏が不要とは思いませんが、今のあちこちのネットの書込をみると明らかに創価学会がおかしいとしか思えません。問題を増やしてるんだもの。
いじょ。
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