創価学会の信仰に功徳はあるか?

コメントする人は「01.創価学会の信仰に功徳はあるか?を書く前に」を読んでね。

299.正宗系信徒会員はIとYouの認識がごっちゃになっている?

2009年09月08日 00時10分49秒 | 創価学会
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この記事に限って部分的に(I)と(You)を入れ替えていますので注意して下さい。
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とある学会員が次のように言ったとしましょう。

日蓮本仏論が好き、日蓮本仏論は素晴らしい、日蓮本仏論を信じる!日蓮を信じる!
池田先生が好き、池田先生は素晴らしい、池田先生を信じる!

これらは学会員である人(I)の感情、言動や行為です。
アンチや一般側、つまり学会員側から見た他者(You)はなかなか否定出来ません。
しかし学会員から他者への説得力は実は「0」です。
学会員(I)が信じる、素晴らしいと思う、これは他者から否定しにくいわけですが本当に問題はないのでしょうか?

人(I)は誰でも赤ん坊で生まれた時から色々な常識、知識、愛情を他者から与えられます。親も自分ではない他人、他者です。
ここでは血のつながりや親の愛情などを議論の焦点とはしていません。
創価などの日蓮正宗には日蓮本仏論や法華経仏説、大御本尊などの問題点が数多くありますが、実はこれらの問題点は信徒会員が誰かに嘘を教え込まされる、という点にあります。そして入信した信徒、会員は一般人の他者に向かって嘘や悪意、不健全を与えるわけです。


●IとYouって?。

いきなり結論から。
宗教の教義だけでなくどんな知識や言葉や態度など、自分(I)は赤ん坊で生まれた後に誰か他者(You)から受け取ったモノです。

もちろん自分自身で読書したり友人関係などから、教えられなくても察する、気がつく、ということはもちろんあります。その事を私は否定しません。しかし書籍も他者(You)が書いたものです。
他者、つまり親や学会の先輩、教団の僧侶、学会幹部こういった人々を(I)とみると、布教される側の人は(You)の立場として色々受け取っているわけです。
過去の体験、読書知識、口頭で説明される、教えられるなどの口伝の知識も結局は自分自身(I)が誰か他者(You)から受け取ったモノです。


見方を変えれば学会などの正宗系信徒会員を(I)として、布教される側の人は(You)の立場として色々受け取っているわけです。


●他者(You)が理解できる根拠が問題なのか?自分(I)が問題なのか?

説明する他者(I)から自分、(You)の立場として色々受け取る、受け入れる、信じるのは自由でもありますが、根拠が必要です。
アンチ創価とシンパのバトルによく見られるように仏教学の議論で根拠を求められる場合があります。

法華経仏説あたりは鎌倉時代には日本だけでなく中国でも言われていたでしょうが、
法華経仏説などの間違いの全責任が日蓮にあるはずがありません。
法華経仏説あたりは仕方なかったとしても日蓮本仏論などは教団都合の嘘か創作、教団の宣伝ぐらいに思わないといけません。

日蓮本仏論あたりは日蓮宗の中だけで、更にほんの一部の宗派でしか言われていなかったわけです。
日蓮自身に絶対的な根拠はないわけです。
仏教自体に絶対的無謬である根拠もありません。
(ケースバイケースで仏教が役に立つケースがあることや仏教に宗教性がかすかに残っているのは否定しませんが、全く別問題です。)

現代では科学的根拠、研究などから日蓮本仏論や法華経仏説、大御本尊など現代人には通用しません。
末端の信徒会員は(I)という立場で他者(You)に説得や布教をしますが、他者(You)から単純に興味がないなどの断り方が成立すれば問題は少ないケースが多いでしょう。しかし、ネットの議論などほとんどが衝突であり問題あるケースが数多く見られます。

信徒会員(I)は一般仏教の知識を前提として具体的な根拠、教団都合によらない文献引用を現代語などでわかりやすく他者(You)に説明する必要があります。
実際問題として末端の信徒会員はMCされ、しがらみなどからアイデンティティの問題から根拠を示せないのかもしれません。
理由はともかくとしても議論になっていないケースが多々あるのは間違いありません。
悪意や攻撃ありきや”先生の悪口を言うのは許せない!”など罵倒、誹謗中傷は論外なのですが、信徒会員にはその意識も薄いようです。

”勇気を示せばよい”
”言い切った”

これらの言動はつまりは以下の通り*1かと。

私(I)は勇気を示せばよい
私(I)は勇気を示した!!
私(I)は言い切った!!!

先の記事も書いたとおり、他者(You)が理解できることや他者が問題なのではなく自分(I)、私(I)が勇気を示せばよい!!という自分だけが問題になっています。
自己愛的かと。もちろん問題のある自己愛だと私は考えます。
*1の勇気や言い切ることが勇ましく、正義であり相手の心に響くと思っているからやっかいです。
上記も不健全なものを与えていますが、わかりにくいかもしれませんので典型例をあげましょう。

●学会など正宗系信徒会員は 「あるアプローチ」 からIとYouが同じ認識になると思っている。

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初心者アンチの質問&相談に答えるスレ14
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1228069690/
99 名前:そううそ ◆ozOtJW9BFA [sage] 投稿日:2008/12/08(月) 00:14:00 ID:???
>>95さん。
> 叩き、馬鹿にし、コケにし、嘲笑する退転の輩がいる。
> 四月会の増上慢に走った代議士達がどんな末路を辿ったか。
> いずれ身に浸みて後悔する時が来るだろう。仏法は厳然。

なるほど。なるほど。
あなた(>>95さん。)は退転者である私に言いたい事が上記なのですね。

 「末路を辿った」「 いずれ後悔」「仏法は厳然」 厳然とは「厳」しい

コメントに書かれている内容からも明らかな様に
これを読んでいる人々(学会員、アンチ創価、一般の人)、つまり誰に対しても
 「不幸になる」「恐怖」 を与えていると私は考えています。
「他者」対して慈悲や優しさetcetcを与えていませんね。

念の為確認します。
あなたは「自分」の持つ「恐怖」、「あなた自身(自分)」が罰が当たる思っている「恐怖」、
「自分」が謗法をすると不幸になる「恐怖」、これらのことを「他者」対して与えている認識がありますか?

あなたは95のコメント内容を改めて肯定しますか?

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自分自身は明確に言葉などで意識していなくても上記のような言動から下記の様に考えているのでしょう。

”学会員でない他者に怒りと恐怖を与えることで信じる、信仰の継続やきっかけになる。”

ですから95さんにはおそらく下記のような認識があるのでしょう。

”学会員??な95さんは怒りと恐怖を与えられることで信じる、信仰の継続やきっかけになる。”

ですから「あるアプローチ」とは怒りと恐怖のことです。
恐怖などは人間が誰もが持つ感覚ですから、相手にも恐怖や怒りが通じると思っているのでしょう。
慈悲や思いやり、優しさが通じるとは思っていないわけです。
また彼ら自身、心の深いところでMCされていることにも気がつけません。

学会など正宗系信徒会員は罵倒、誹謗中傷などでも相手に伝わると彼らは考えているのでしょう。
無意識のうちに教団から与えられた教団都合な”怒りと恐怖が彼ら自身によく伝わっている”(あるいは伝わった)という自覚がありません。

●問題点

○学会などの問題点。

学会の場合、創価家族、師弟不二、僧俗和合等が問題ある方向に拍車をかけていると私は考えます。

創価家族あたりは真の意味での他人であっても家族的人間関係を築く、他宗の仏教者でもあれば家族的人間関係を築くなら問題なかったのでしょうが。最近は特に会員をMCするか、一般人を騙す為にしか使われていないようです。
師弟不二は師匠と弟子が教義の根幹ですから、教えた池田氏などの他者(You)と教義を受け入れた自分(I)に一体感があるでしょう。

お互いに自分(I)達の思いが通じやすいのですから同じ教団の信徒会員であれば他者(You)に一体感を感じるでしょう。

○日蓮遺文の問題点。

僧俗和合は立場が違っても良き人間関係、仲良くすることがポイントですが、日蓮は四箇格言のアプローチで僧にも俗にも敵対視していった問題があります。
(日蓮は四箇格言とは言っていない。)

日蓮から見て思い通りにならない他者は批判の対象になっていますね。
日蓮の四箇格言のアプローチは攻撃と見るべきではないでしょうが、現代の学会など正宗系教団は攻撃として使っていますね。
しかし日蓮遺文に弟子や信徒に対しての説明文でやや口汚い単語がいくつかありますね。
日蓮は暴力でなく対話や法論を望んだようですが。。。

再掲載
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パーソナリティ障害―いかに接し、どう克服するか (PHP新書)
岡田 尊司 (著)
2008年03月21日第11刷

P19
 最近連日のように報道されている児童虐待にしろ、ストーカー犯罪にしろ、些細な理由で親子が殺し合う事件にしろ、そこには一つの共通項がある。それは、思い通りにならない他者を、別の意志と感情を持った存在として認められないということである。 その人の心に、本来の意味での他者のとの関係が育っていないため、自分の思い通りになる存在だけを愛し、思い通りにならない存在は攻撃の対象になってしまうのである。こうした独りよがりな他者との関係は本論でも述べるようにパーソナリティ障害の人の一つの特徴である。
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 私は多くの過去記事で 「ごっちゃになっている」 というフレーズを沢山書いてきましたが、心理学的な面から見ても

学会など正宗系信徒会員は ”自分(I)が語れば必ず他者(You)に思い通りに伝わる。”etcetcなどの
「IとYouの認識がごっちゃになっている」

とみるべきかと。
もちろん個人個人によってその度合いは違うでしょうけれど。
健全な日蓮信仰する教団にお目にかかったことがありませんが、個人ではなく教団、日蓮系では日蓮正宗系がパーソナリティ障害の要素や可能性を多く持っていると断言できるのではないでしょうか?

●だから。。。。

教義でも慈悲とかの気持ちでも良心でも正直さでもきっかけは何でも良いのですが、どこかでIとYou、自分と他人の区別をつけて欲しいと思います。

自分のしてきたことを良く見つめて過去を振り返って欲しいと創価学会退会者である私(そううそ)は思います。
仏教素人、心理学素人の私でもこの程度の記事が書けるわけですから、読書などで理解しつつ脱カルトなアプローチは十分可能でしょう。
自分は一体、どの様に他者から宗教教義を受けれて(影響を受けて)きたのか?
発達心理学などを勉強することで自分は一体、他者からどの様に影響を受けてきたのか?etcetc
不健全な教団や池田氏や日顕氏、浅井氏などの教団トップを師匠とか先生とか馬鹿なことを言ってないで決別するべきです。

1日できっぱり決別出来ればベストですが、多くの人は時間をかけてMCや心理的な不健全からゆっくりゆっくり少しずつ離れる必要があると思います。

極論かもしれませんが、教学などで一つか二つでも嘘があれば教団とはキッパリ決別すべきでしょう。
教学を沢山勉強してしまった人はやはり、脱カルト、脱教団都合なアプローチで勉強しなおす必要があるかもしれません。人によりけりでしょうけど。

 学会精神、日蓮正宗学、日蓮の思いやりや慈悲などは時間をかけて脱MC脱カルト、心に整理整頓をすればいいと思います。

○ひとりごと。

 数年前は理解できなかった日蓮本仏論や大御本尊の間違いに気がついた学会員さんを知っていますが、昔から今に至るまで自分がマトモだったか無謬だったかのような自己主張や大いばりは個人的に勘弁して欲しいです。
その性格や自己主張の仕方がカルトを受け入れる要素でもありカルトから影響を受けた(性格などの)アウトプットなんでしょうに。。。。

 カルトにいたことに気がついたら教団系の信仰なんてするべきじゃないと、私は個人的に思います。
信仰ではなくカルトなアプローチで教団に属し、カルトな教団トップを師匠としMCされ騙されたとはいえ、ある意味において「間違ったものを信じた」「失敗してきた」「周りの人に迷惑だった」わけです。
ほとんどの学会員さんが教団都合な教えを過去に信じた自分、それを他者に大いばりで語った自分、不健全な自信を持った自分、不健全なアイデンティティを持った自分がいたわけです。「池田先生は凄い!」「御本尊は凄い!」「日蓮は凄いんだぞ!」「法華経はすごいんだぞ!」「(その信仰をしている)おれはすごいんだぞ!」「おれは偉いんだぞ」みたいな変な自己意識、自己主張があったわけです。
ところが創価学会に居続ける、正宗に移るetcetcなど「これからも信仰できる」という自信(私には不健全な依存にみえる)が私には不思議というか不健全に思えます。
 この点だけですが自分に反省し何も自分を変えようとはしていません。
 池田大作氏とそっくりかと。

もちろん自分に健全な自信を持つこと、自立することは問題ありません。おれは凄いなんて他者に自己主張する、というよりかは創嘘風に言えば「自分にはこれこれこんなことが出来た」自分に言い聞かせてあげる、、そんな感じでしょうか?

以上
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298.創価などの正宗系信徒会員の言動は自己愛的か?妄想的か?

2009年09月06日 00時18分49秒 | 創価学会
●創価などの正宗系信徒会員の言動

 一部、過去記事と重複します。

創価など正宗系会員信徒には折伏(しゃくぶく:布教のこと)の際に相手を説得できないと
宿業論、罰論地獄論から相手に対して必要以上に怒りを感じたり説得できない自分に必要以上に宿業を感じることは書いてきました。
説得出来ない場合「理解できない相手が悪いのだ」という自分は悪くないという自己愛的な考え方にもなります。

説得出来ない場合「理解できない相手は悪い宿業(悪業)を積む、あるいは、相手が理解できなくても折伏した自分は語った分だけ宿命転換や功徳がある。」*1という考え方も末端の会員に折伏をして欲しい教団トップにとって都合の良い”嘘”です。
*1で問題になっているのは他人の不幸ではなく、自分が不幸(不幸になる恐怖)から逃れ安心を感じるかどうか?という自己愛的、自己中心的な考え方です。
既に末端の会員がMCされ、怒りと恐怖を植え付けられている何よりの証拠でしょう。
誰だって未来において不幸にはなりたくないし不幸を想像すれば恐怖して当然です。
「○○すれば絶対に宿命転換が出来、幸福になれる!絶対だ!」
などと教えられ、いつの間にか
「○○しないと宿命転換できないぞ!○○しないと幸福になれないぞ!」
という強迫観念になっていることに気がつけません。

「相手のことを本気になって祈ってあげれば祈りは通じ、本尊流布は出来る」
相手の為に祈ることは宗教ですが、本尊流布による功徳や組織から良い評価を得るetcetcは学会員の下心です。
”相手の望むことを100%そのままにしてあげること、与えることが功徳である”ということも過去記事に書いてきました。
祈りによる願望達成はご利益であり功徳ではありません。

「折伏は相手の生命に仏種を植える貴い行為です。」
折伏という言葉を布教という言葉に代えれば、一般仏教でも一般宗教でも通用しそうなフレーズです。
ですからこれは宗教の考え方です。しかし「生命に仏種を植えられるか?」というと非科学的であり嘘な訳です。
創価学会によく見られるマッチポンプ、同時に与えられる健全と不健全は過去記事の通りです。

●自己愛的な言動

「理解できない相手が悪いのだ」
(自分は悪くない)

「理解できない相手は悪い宿業(悪業)を積む、あるいは、相手が理解できなくても折伏した自分は語った分だけ宿命転換や功徳がある。」*1
(自分は大丈夫。)

「○○すれば絶対に宿命転換が出来、幸福になれる!絶対だ!」
(自分(私)が信じる信仰は絶対だ!自分(私)が信じる池田先生は絶対だ!自分(私)が信じる御本尊は絶対だ!)

「相手のことを本気になって祈ってあげれば祈りは通じ、本尊流布は出来る」
これは、”自分が祈れば必ず祈りは通じ本尊流布は出来る”、という内容になるでしょうか?

●妄想

ネットやリアルで創価などの正宗系会員信徒の言動を見ていて「100%あなたの為です。」という問題や矛盾のない言動(意思表示)はなかなか見ることが出来ません。
罵倒や誹謗中傷が中心になっていることからも、MCされ怒りと恐怖が原動力になっている、と見るべきでしょう。

それから
一般の人は”祈ったら何でも叶う”なんて思っていませんが、創価学会などの正宗系の信徒会員は違います。
彼らには 「祈れば必ず祈りは通じ願いは叶う」 こんな妄想があります。

「100%あなたの為です。」というのも仮に言えたとしても唱題による祈りは絶対ではありません。
仮に自分の行動の原動力、つまり祈って「さぁやるぞ!」になり得てもそれ以上ではありません。
世間一般の人が普通にする「努力」その結果としての現実しかないでしょう。

創価学会員にありがちな
「お題目をあげれば絶対に宿命転換が出来、幸福になれる!絶対だ!」
こういった言動は自分たちしか見えていない可能性が高いです。

○少しまとめ

当然、こういった指導や言動を会員に与える側、つまり池田氏や取り巻きも自己愛的な言動をしている、と見るべきかと。
そしてもう一つ興味深いのは 世間一般の人には通用しないであろう妄想や自分勝手さが末端の言動にあります。


池田氏や日顕氏などの取り巻きは自分たちが自己愛的な言動、妄想的な言動を末端に与えている。
あるいは
末端の信徒会員が他者に自己愛的な言動、妄想的な言動を与えることで信徒会員である彼らが生きづらくなる。

これらのことに気がついていないか確信犯である可能性があります。
(全く気がついていないかある程度気がついていないかは無関係。)

●ではどうすべきなのか?

妄想型パーソナリティ障害、妄想型人格障害
自己愛パーソナリティ障害、自己愛人格障害

パーソナリティ障害、人格障害などの言葉がネットで検索すると見つかります。

 お医者さんにかかったりカウンセリングが必要なケースがあるのでしょう。
少しは一般仏教を含めた勉強も必要かもしれません。日蓮しか見ないよりはずっと良いでしょう。”少しは必要かも”です。
必要以上なら他の教団に移ってカルトサーフォンするだけかと。
教団都合的に日蓮だけを学ぶよりは教団都合を離れ一般仏教も学べば、うつ病や分裂症、人格障害などの回復や克服は早いのでは?と私は想像します。

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パーソナリティ障害―いかに接し、どう克服するか (PHP新書)
岡田 尊司 (著)
2008年03月21日第11刷

P19
 最近連日のように報道されている児童虐待にしろ、ストーカー犯罪にしろ、些細な理由で親子が殺し合う事件にしろ、そこには一つの共通項がある。それは、思い通りにならない他者を、別の意志と感情を持った存在として認められないということである。 その人の心に、本来の意味での他者のとの関係が育っていないため、自分の思い通りになる存在だけを愛し、思い通りにならない存在は攻撃の対象になってしまうのである。こうした独りよがりな他者との関係は本論でも述べるようにパーソナリティ障害の人の一つの特徴である。

P34
 まず、パーソナリティ障害の人の特徴は「自分強いこだわりを持っている」ということである。口に出して言うか言わないかは別にして、パーソナリティ障害の人は自分に囚われている。すばらしい理想的な自分であれ、みすぼらしく劣等感にさいなまれた自分であれ、自分という強迫観念から逃れられないのだ。自分についてばかり語りたがる人も、自分のことを決して人に打ち明けない人も、どちらも自分へのこだわりという点では同じである。
 もう一つの特徴は「とても傷つきやすい」ということである。
(中略)
この2つの特徴は現実の人間関係の中でもう一つの重要な共通項となって現れる。つまり
「対等で信頼しあった人間関係を築くことの障害」である。
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人間関係を築くことの障害
とは
末端の信徒会員が他者に自己愛的な言動、妄想的な言動を与えることで信徒会員である彼らが生きづらくなる、
これと密接に関係があると私は思います。

295.学会員同士の意見の違いが子供のイジメに。 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/661304e470359c9daa31e30af6fb5174
暴力や反社会的行為により対等な子供の人間関係に障害があるのは過去記事の通りです。

忘恩の輩、退転者、反逆者、日顕、山友etcetc許すな!許さない!って言動も如何に不健全かがわかるでしょう。

297.「勝った、勝った!」と自己愛 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
この記事を先にに書いてしまいましたが、上記の書籍には 反社会型パーソナリティ障害 というのも存在し説明が書かれています。

創価などの正宗系信徒会員の言動は自己愛的か?妄想的か?
タイトルはこうしましたが、カルトに関係なくても対象者(患者)によって人格障害は一つに絞られるものではなく、複数抱えるケースがあるということ。
カルトは元からある人格に+αとして人格障害や不健全を複数付与する可能性が高い、ということかと。
宗教にも不健全を与える可能性があるのは過去記事やコメントの通りです。

 オウム真理教でサリンをまいた人たちでも赤ちゃんの時はあやされればニコッと笑うかわいい赤ちゃんだったに違いありません。誰でも。。。。。。
反社会型人格障害なんて全くなかったことでしょう。
また依存性人格障害も上記の書籍に書かれていますが、大人にあやされないと笑わない(笑うことの出来ない)赤ちゃんがいたとしても、それを「赤ん坊が大人に依存している。」なんて言う人はいないでしょう。

以上。
コメント (6)
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元公明議員3氏の敗訴確定=「手帳持ち去り」訴訟-最高裁

2009年09月02日 23時06分17秒 | 創価学会
http://www.jiji.co.jp/jc/c?g=soc_30&k=2009090100865 時事ドットコム:元公明議員3氏の敗訴確定=「手帳持ち去り」訴訟-最高裁

元公明議員3氏の敗訴確定=「手帳持ち去り」訴訟-最高裁

 公明党の矢野絢也元委員長宅から手帳を持ち去ったとした「週刊現代」の記事で名誉を傷つけられたとして、同党の元国会議員3人が発行元の講談社と矢野元委員長らに損害賠償などを求めた訴訟で、最高裁第3小法廷(田原睦夫裁判長)は1日、元議員側の上告を退ける決定をした。反訴していた矢野元委員長の訴えを認め、3人に手帳返却と300万円の支払いを命じた二審判決が確定した。
 3人は元参院議員の黒柳明、大川清幸両氏と元衆院議員の伏木和雄氏。
 一審東京地裁は2007年12月、3人の手帳強奪を認めずに講談社などに賠償を命じたが、二審東京高裁は今年3月、「家捜しをして無理やり持ち去った」と認定し、一審判決を取り消して請求を棄却。その上で、3人に手帳の返却と賠償を求めた矢野元委員長の訴えを認めた。(2009/09/01-19:37)

http://www.47news.jp/CN/200909/CN2009090101000817.html 手帳持ち去りで矢野氏の勝訴確定 元公明議員に賠償命令 - 47NEWS(よんななニュース)

手帳持ち去りで矢野氏の勝訴確定 元公明議員に賠償命令

 公明党の元国会議員3人が、矢野絢也元委員長の手帳を本人宅から奪ったとする「週刊現代」の記事で名誉を傷つけられたとして、発行元の講談社などに損害賠償などを求めた訴訟の上告審で、最高裁第3小法廷(田原睦夫裁判長)は1日、元議員3人の上告を受理しない決定をした。

 記事は真実として名誉棄損を認めない一方、「プライバシーを侵害された」として逆に訴えていた矢野元委員長の主張を受け入れ、元議員らに手帳の返却と300万円の支払いを命じた二審東京高裁判決が確定した。

 二審判決によると、元議員らは2005年5月、矢野元委員長宅で手帳を探し回り、持ち去った。週刊現代は「矢野極秘メモ100冊が持ち去られた」と題する記事を掲載した。

 一審東京地裁は名誉棄損を認めたが、二審は「元議員らは手帳を渡すよう強要し、妻の部屋まで探した。手帳を奪ったとする記事は真実」と判断した。

 3人は黒柳明、伏木和雄、大川清幸の各氏。
2009/09/01 19:31 【共同通信
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