日蓮宗のお坊さんについて脱カルトに至る私の体験記事を書いていたら、今日突然の学会の発表があり呆れ笑ってしまった。
既にネットのあちこちに記載されている原田会長の発表。
11.18や5.3などの記念日でもなく突然の発表なのでいよいよ池田大作氏の死が近いということでしょうか?
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2014/11/8(土)の聖教: 日々感動の聖教新聞
(略)
これまでの条文では「この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し、日蓮大聖人の御書を根本として、日蓮大聖人の御遺命たる一閻浮提広宣流布を実現することを大願とする」となっておりました。
この会則は平成14年(2002年)に改正されたものです。
当時、宗門との僧俗和合時代に信仰実戦に励んできた会員の皆さまの感情や歴史的な経緯を踏まえ、この「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」については、「弘安2年(1279年)の大御本尊」を指すとの説明を行っていました。
それを今回、次の通りにいたします。
「この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、根本の法である南無妙法蓮華経を具現された三大秘法を信じ、御本尊に自行化他にわたる題目を唱え、御書根本に、各人が人間革命を成就し、日蓮大聖人の御遺命である世界広宣流布を実現することを大願とする」
(略)
創価学会は、大聖人の御遺命である広宣流布を実現するために、宗門と僧俗和合し、弘安2年の御本尊を信受してきました。
しかし、宗門はいつしか堕落し、衣の権威を笠に着て信者を蔑視し、創価学会を破門する暴挙に出ました。さらに法主詐称者の出現によって、永遠に法主が不在となり、宗門のいう法主の血脈なるものも断絶しました。大石寺はすでに大謗法の地とかし、世界広宣流布を目指す創価学会とは全く無関係の存在となったのであります。
魂の独立以来、学会員は皆、大石寺に登山することなく、弘安2年の御本尊を拝することもなかったわけであり、各人の御本尊に自行化他にわたる題目を唱えて絶大なる功徳を受け、宿命転換と人間革命を成就し、世界広布の拡大の実証を示してきたのです。まさに、これが会員が実践し、実感しているところなのであります。
創価学会は、大聖人の御遺命の世界広宣流布を推進する仏意仏勅の教団であるとの自覚に立ち、その責任において広宣流布のための御本尊を認定します。
したがって、会則の協議事項に言う「御本尊」とは創価学会が受持の対象として認定した御本尊であり、大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません。世界広布新時代の時を迎えた今、将来のためにこのことを明確にしておきたいと思います。
(略)
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>一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し
とにかくこれを削除したいらしい。酷い話だ。MCされたとはいえ大石寺に何度か登山した自分からすると、呆れる。
これはここ数年の聖教新聞や学会の書籍の内容と同じ流れではあったけど。
>学会員は皆、大石寺に登山することなく、弘安2年の御本尊を拝することもなかったわけであり、各人の御本尊に自行化他にわたる題目を唱えて絶大なる功徳を受け
ここはあいかわらず。日蓮遺文や正宗の歴史的な教義は無用ということ。正宗創価の蜜月時代の教義や言動も無視。
>会則の協議事項に言う「御本尊」とは創価学会が受持の対象として認定した御本尊
在家信徒である学会が本尊の良し悪しを認定?
学会本部の誰がどの本尊を認定するんだろう?
過去の経緯にはフタをして何も認定の発表しないのでは?
現在、学会が配布している改ざんされた印刷本尊は日寛さん本尊。
入信が古い学会員だと日蓮正宗が配布した日寛さん本尊の安置もある。日達さん日顕氏の本尊の前の時代です。これを認定したまま、つまり学会員と認めたままに、過去の経緯にはフタをして何も認定の発表しない?
>弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません。
大御本尊を書き写した過去の本尊(安置も)は肯定。大御本尊を直接写した本尊は所持(受持)された歴史がない。つまりこの文章の意味は今までと同じだけど明文化した、という意味。大御本尊の否定ではなくて過去や一個人における大御本尊への信仰、祈念は今までどおり。顕正会の遥拝勤行と同じような意味ですね。
(先の文章で「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し」を削除して酷いと私は書きましたが、学会本部が過去や一個人における大御本尊への信仰、祈念は今までどおり否定しない、という意味です。大御本尊の何々がおかしいとか大石寺の教義のここがおかしいとか教義条項会則には具体的に何も書かれていません。)
今までどおり大石寺の教学や本尊は否定しないけれど「学会的に謗法の地なので」大石寺には行かないでくれ、ということなのでしょう。
非常に 「曖昧でズルい」 文章だと思います。
大御本尊を知っている会員には大石寺や大御本尊を忘れさせ、知らない人には教えない、過去の正当性も語らないという、非常に 「ズルい」 でしょう。
今後も学会によって乗っ取りを目的とした単立寺院の本尊(万年救護の大本尊とか)が狙われるのかもしれません。
本来なら
1,今までどおりな教義条項会則の文章
2,今までと違ったらなら明確な説明。日蓮遺文による説明が必要だけど今回の文章、中身は何もない。
日蓮正宗創価の蜜月時代は、カルト信仰だったが一応、(カルト)宗教としての正当性の説明は出来た。もちろん聞いた人が信じるか否かは別問題。
なにせ大御本尊を自分自身の信仰の対象とするか?、人に折伏して拝ませるかどうか?自身の言動の一致不一致の問題ですから信仰者にとって大問題なはずですが、今回の件、学会員が文句をいうことはないでしょう。それがMCですから。
「大謗法の宗門とは全く無関係」これを強く言いたいんでしょうね。
時が経てば又正宗、学会と仲良くなるかもしれませんが、今回の件で数十年は無いでしょうね。あるとしても百年後とかそんなもん。振り回されるのは法華講であっても同じく末端信徒か会員でどっちのトップもホントどうしようもない人でなし。
学会批判する私からすると学会本部が墓穴をほった感じで正宗系法華講から批判続出でしょう。よほど何かの焦りが学会本部にあるのでしょう。池田先生がお元気に執筆活動している(笑)うちに、ということでしょうか。但し記念日でもなく3面記事。(笑)
法華講との折伏、法論を実際にやってごらんよ。>学会本部。自分たちの教義がめちゃくちゃで折伏、法論に苦労するから。何もやってないからこういうアホな「教義条項会則改正」が出来る。学会本部という閉じた世界なのでしょう。学会が批判してきた正宗のお寺と同じ。メンツや体裁を大事にして自分たちで富士の濁流と同じ流れを作っていることや仏教的な大切な所に気が付けない。
他にも酷い所があるけれど、活動家学会員は皆ついていくんだろうな。
仏教学や日蓮遺文の難しさがどうでもいい、婦人部やおじさんたちは、何の問題もないだろうし。(笑)二世三世の皆さんの苦労も続く、と。
富士大石寺の濁流とよくいうけれど「自分たち学会員も正宗に騙された」ということはMCされたのとほぼ同じ意味であることに気がついてほしい。
これで新規に入会する若い人は少なくなるかな。MCされる前なら学会のおかしさに気がつくでしょう。弱みや悩み、立場が弱ければ駄目かも。
以上