創価学会の信仰に功徳はあるか?

コメントする人は「01.創価学会の信仰に功徳はあるか?を書く前に」を読んでね。

中国人不動産仲介業者によって、京都の門跡寺院『岩倉 実相院(土地1万平米)』が売りに出されている」

2024年03月06日 07時11分23秒 | 一般仏教
2024/3/6ごろ
「中国のSNSで、中国人不動産仲介業者によって、京都の門跡寺院『岩倉 実相院(土地1万平米)』が売りに出されている」と話題に ⇒ネットの反応「国の有形文化財だぜ?」「そういやぁクラファンで修復費用募ってたな…」 | 拡散新聞 時事ニュースとネットの反応

続報 日時不明
その1)京都の実相院「この度、SNSにて中国にて売却されているなどというデマが拡散されました。そのような事実は一切ございません」
その2)X民「実相院門跡売却の虚偽情報を中国のSNSで投稿した中国人は大阪在住で移民コンサルタントをしている中国人という事は分かりました」

2024/3/7 12:58
京都の門跡寺院の土地が「中国で売却」? 悪質デマの拡散と困惑 - 産経ニュース

2024年3月7日 15時41分
“京都 実相院が売りに”虚偽情報 SNSで拡散 寺が注意呼びかけ | NHK | フェイク対策

2024年3月7日
京都の寺、中国への売却デマ拡散に「そのような事実は一切ない」 | 不動産 | 鎌倉 | 大紀元 エポックタイムズ
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1920年の宗教者・学者は100年後(2020年)の仏教界をどう予想したか

2020年04月13日 01時37分59秒 | 一般仏教
米山士郎さんはTwitterを使っています 「1920年の宗教者・学者は100年後(2020年)の仏教界をどう予想したか。|本ノ猪 #note #読書感想文 https://t.co/JNm87KkBxH 日蓮宗の清水龍山の文章がある。」 / Twitter

米山士郎さんはTwitterを使っています 「ブログで何度か書いたが明治大正昭和の本を読むと、2020年の我々よりは昭和初期、それよりも大正時代、更にそれよりも明治、更には江戸時代のほうが信仰心があるように思われた。学問的や歴史的な正誤の問題ではなく「心の問題」です。 https://t.co/8wzgB2ISe1」 / Twitter

1920年の宗教者・学者は、100年後(2020年)の仏教界をどう予想したか。|本ノ猪|note

清水龍山の名前があることから日蓮宗カテゴリに入れたが一般武侠に変更した。


以上
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真宗大谷派では宗務総長名による「海上自衛隊の中東派遣の閣議決定に対する宗派声明」を発表。

2019年12月29日 12時40分42秒 | 一般仏教
2019年12月27日、海上自衛隊の中東派遣が閣議決定されたことで真宗大谷派では宗務総長名による「海上自衛隊の中東派遣の閣議決定に対する宗派声明」を発表。

「海上自衛隊の中東派遣の閣議決定に対する宗派声明」を発表 | 東本願寺

----------<ここから>----------
12月27日、海上自衛隊の中東派遣が閣議決定されたことについて、真宗大谷派では同日付で、宗務総長名による宗派声明を発表しました。

海上自衛隊の中東派遣の閣議決定に対する宗派声明

 このたび、安倍晋三内閣が中東海域での航行の「安全確保」を目的とした海上自衛隊の派遣を閣議決定したことに、深い悲しみを覚えます。
 真宗大谷派は、先の大戦において国家体制に追従し、仏法を人間の都合で解釈して戦争への積極的な加担をしました。その過ちを繰り返してはならないとの決意から、これまでに集団的自衛権の行使容認や安全保障関連法の成立にあたり、反対の意を表明してまいりました。その背景には、人間が思い定める「正義」に絶対はないということを明らかにしてきた仏の教えがあるにもかかわらず、そのことに背いてきた当派の歴史があるためです。
 このたびの閣議決定に際しては、防衛省設置法に基づく「調査・研究」が目的であることが強調されるとともに、「不測の事態」への対応として武器使用も伴う海上警備行動の発令がなされることが定められています。それは、いのちに関わる重大な事柄であるにもかかわらず、十分な国民的議論のないままに進められた拙速な方途であるといわざるを得ません。そして「安全確保」という大義名分のもと、国民の不安を煽りつつ武器使用の可能性を認めることによって、自他に怨みや敵意を生じさせ、報復の連鎖へと転じていくのではないかと危惧いたします。
 人間とは、自らの立場をどこまでも正当化して、その危うさを問い直すことのできない愚かな存在です。だからこそ、それぞれが自身の愚かさに目覚め、人種、民族、文化、宗教、国家などの差異を超えて、他者と水平に出あう道に立たなければなりません。
 私たちは、仏の教えに基づく教団として、このたびの閣議決定の見直しを求めるとともに、今後も引き続き、戦争に繋がるあらゆる行為を未然に防ぐ努力を惜しみません。そして、武力に頼るのではなく、積極的な「対話」によって「真の平和」を希求することをここに表明いたします。

2019年12月27日  

真宗大谷派(東本願寺)宗務総長  但馬 弘
----------<ここまで>----------
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浄土真宗を偽り読経した僧侶を提訴

2019年12月14日 11時41分55秒 | 一般仏教
宗派偽り葬儀で読経した僧侶を提訴 遺族におわびで発覚:朝日新聞デジタル

宗派偽り葬儀で読経した僧侶を提訴 遺族におわびで発覚
角詠之 2019年12月13日18時36分

----------<ここから>----------

 別の宗派の僧侶になりすまされて葬儀を執り行われたとして、福岡市の遺族4人が僧侶と葬儀会社を相手取り、慰謝料など計約600万円を求めて福岡地裁に提訴した。「なりすまされた僧侶に導師として読経をされ、多大な精神的苦痛を受けた」と訴えている。第1回口頭弁論が13日にあり、僧侶と葬儀会社側は請求の棄却を求めた。

 訴状によると、2017年5月、福岡県古賀市の女性が亡くなり、古賀市内で通夜、葬儀が営まれた。女性の夫の家は、浄土真宗のある宗派であり、葬儀会社にもその宗派の僧侶の手配を依頼。福岡市内の僧侶が読経した。

 しかし、その僧侶はその宗派(筆者注:浄土真宗)の僧籍を失っており、別の宗派の僧侶だった。葬儀の場でも寺の名前を挙げて紹介されたが、その寺と僧侶は関係がなかった。過去に所属していたため、衣を持ち、葬儀の流れもわかっていたという。

 お布施も払っていたが、2年後に、本来遺族が望んでいた宗派の寺から「おわび」として遺族に連絡があり、発覚した。僧侶と葬儀会社は遺族に謝罪したという。遺族側の代理人弁護士は「やり直しがきかないことで、厳粛に執り行われるべきなのに……」と話す。

 葬儀会社側は「なりすましていたことは知らなかった」などと主張、僧侶側は「追って反論したい」としている。(角詠之)
 ----------<ここまで>----------

私はこの件を僧侶側が敗訴すると思います。というか敗訴か僧侶側の謝罪で和解してほしいですね。
遺族が望んでないことをやってしまったのと、取り返しがつかない。
問題を起こして僧籍を失った人や経緯を遺族は知らないし選べないでしょう。
知っていたら「浄土真宗の正式な僧侶にしてください」一言言えば済む話です。
「1,2時間遠い場所からの浄土真宗のお坊さんで時間が遅くなっても構わない。同じ呼ぶなら正式僧侶にしてくれ」
ということも出来ます。

●創価や正宗の問題で証明できること出来ないこと。

創価問題に限ると、創価は日蓮大聖人直結と言っています。

死後の成仏ですら証明不可能なのに、外部の人から見て「日蓮大聖人直結」を証明できるんですかね?文証、理証、現証もありませんし日蓮正宗から破門されたままの現証しかありません。(現証:いろいろな解釈があるのですが、本記事では現世における証明や幸福の結果と考えてください。結果や現実の単語に置き換えてもいいです。)

創価学会は「日顕は法主詐称」と断定し、口汚く攻撃しています。
様々な状況証拠から私も同意しているのですが、創価の方も「オレオレ証明書(認可、認定文書)」もなく、「日蓮さんを学ぶ」だけなら私でも当てはまります。
他にも、たとえ話を除いて誰も法華経の「実践」を100%してませんよね。

正宗の相伝や奥義が仏教界のNo.1な相伝や奥義であるはずがありません。あくまで正宗か日蓮系で尊ばれる限定的な教えでしょう。

創価員は(正宗系だけでなく)無信仰者、元会員、他宗の信仰者に問題を起こしてばかりのレベルの低い信徒です。

●2つの立場、2つの言動

浄土真宗は「お詫び」しています。
反省と謝罪できる僧侶(浄土真宗側のお寺と僧侶)と
追って反論する僧侶(僧籍詐称した本件の僧侶)と2つの立場があります。

浄土真宗側のお寺と僧侶は問題となった葬儀には過ちがないのに、他人の不幸を真宗自らの不幸としているのでしょうか?
元身内の起こした件でお詫びしている点も大きなポイントです。
(お墓の問題がある事、それから浄土真宗側の信用、信仰、今後の収入を考えると葬儀以外でも無関係ではなかったと思われます。だとしても、真面目にキチンとしていますよね。)

葬儀社も経歴詐称する様な坊さんは今までも今後もお断りでしょう。紹介も重要な商売のひとつなのでしょうから当然ですね。

創価学会は、法主詐称した正宗の僧俗集団を信者、未入信者に紹介していました。
日蓮正宗も又、創価員の出来の悪さを知りながら教えず放置し、信者、未入信者を紹介させる業者としての役割を創価学会に持たせていました。

正宗と創価の問題がよく分かる浄土真宗系の事例であり、裁判内容まで詳細に知りたいくらいです。

「僧侶と葬儀会社は遺族に謝罪したという。」とありますが、この文章の僧侶は浄土真宗の僧侶なのか問題を起こした僧侶なのか誤解を招く良くない文章です。おそらくは「真宗僧侶と葬儀会社は、、、」

末尾には (問題)僧侶側は「追って反論したい」 としているので誰が読経しても成仏できるとの「仏教のお経の理屈」を言いたいのかも知れません。浅はかですよね。

仏教には色々な理屈がありますが、浄土真宗に坊さんを追い出す理屈、つまりダメ出しする理屈があったのでしょう。浄土真宗の坊さんとして「実践がなかった」「違反行為があった」と推測されます。
僧侶側は「追って反論する理屈」もあるのでしょうけど、こじつけでしょう。
葬儀社や真宗側が「問題ないよ」と太鼓判押せる霊的や神秘、成仏の結果があれば別かもしれません。
(個人を追い出すのと集団を追い出すのは意味が違いますので勘違いしないでください。)

読経だけじゃなく、僧侶にしか出来ない細かな儀礼や作法を日本仏教界にしっかり残してほしいですね。
問題を起こした僧侶が一方的に勝つと仏教は長い時間をかけて失われていきます。

他宗の良いところ、悪いところも見えてくると創価や正宗の問題がよく分かるだけでなく、レベルの低さもよくわかります。

以上

カテゴリーは一般仏教とした。
タグ
日蓮正宗、創価学会、宗門問題、第一次問題、第二次問題、破門、詐称、法主
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脱カルトと異なるターニングポイント、その2(2019)

2019年09月12日 00時01分08秒 | 一般仏教
 2013年頃に自分が脱カルトしてきたターニングポイントを書きました。
その後大きな変化はないなと思っていましたが、最近ふと思うことを書いておきます。

2013年以前

344.脱カルトのターニングポイントの備忘録メモ - 創価学会の信仰に功徳はあるか?

2013年以後

色々と仏教学を学んでいるうちに創価など正宗系の教学がウソばかりであることに気が付きました。
これは過去記事で大量に書いてあるとおりです。

犀角独歩さんの本迹体一抄の翻刻内容も驚きで「これ以上驚くことはないだろう」と考え「もう二度と驚かないぞ」(笑)「なんでも当たり前に受け止めよう」みたいに思っていました。

ところが、驚く経験がいくつもありました。

●この数年の間

この数年間で私が出会った日蓮正宗系(以下正宗系)以外の他宗の方々との出会いが良かったのでしょう。

(経験1)「私の手元に証拠のない話や相手に証拠や証拠文献のない話、この世の不思議な話、多くの方々の神秘体験、不思議体験」も時々聞ける機会に恵まれ驚くばかりです。

学問だけでなく、本記事で強調したいのは他宗の方々の神秘体験や不思議な話、ということです。

wikiを見ると仏教だけで十三宗五十六派もあります。全ての宗派、派閥ではありませんが、神道も含めオフ会でなく個人的に聞けた経験もあります。又、米山士郎名義でなく実名のまま出会った方に聞いた話もあります。
実名のまま出会った方にも今の自分を応援や肯定されているかの様な宗教的会話はとても貴重で有り難い財産になっています。

具体的な宗派名や人名は複数あり教えも複数です。内容やアドバイスも含め質問は一切受け付けません。

●経験から得た心や考えの変化。

私にとって良かったのは幾つもあると思うのですが、端的に言うと次のとおりです。

(良い点1)他宗の方々との出会いそのものが偶然や貴重な経験もあり良かった。
(良い点2)多くの方々の神秘体験、不思議体験を知ったのが良かった。
(良い点3)他宗の方々を嫌う結果になるどころか、感謝や好感度が増した。
(良い点4)他宗の方々をバカにしたり見下しがない。(これはずっと以前からですが3が増した。)

こうした良い経験を書いている脱カルト経験者は殆いないと思います。

(経験1)に至ることが出来た理由は、籍だけ浄土系でも精神的に長年ほとんど無宗教だった為かもしれません。
カルトでないどの宗教も否定しないが、どの宗派にも、のめり込まない態度です。
知識と精神面で脱カルトしたいと考え長年行動した点も良かったのかもしれません。

自分の中の知識と精神面で脱カルトしたいと考えた点について方向性や内容の変化があるのですが、細かくメモしておらず失敗です。

文証理証現証だ!と誤解したい人は、これ以降を読むのは不要です。理解できるはずがありません。

●誤解を少なくする為に

誤解しないでほしいのですが、私は正宗系教団は嫌いでも正宗系信者との会話は相手次第です。
罪を憎んで人を憎まず、みたいな感じです。
JSCPRの勉強会から今までに他宗の方々から色々な形で話をして頂きましたから、その私が正宗系信者を全く無視や話さず嫌うのは矛盾するでしょう。
言葉のキャッチボールが出来る人ならば会話は成立すると思います。但し私も相手を選びます。

【採番無しで重要】誤解を招かないように再度書いておきます。 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?

複数の記事に何度も書いていますが、脱カルト後の宗教選択は無宗教を含め本人の自由と行動です。
私のブログは性質上どうしても(日蓮正宗でない)日蓮宗に言及することが多いですが、日蓮宗へ勧誘などは一切していません。この点を勘違いし、選択肢提示と勧誘を混同しないで下さい。
あくまでもご自身で考え、選択と行動して下さい。

複数の(経験1)から(日蓮正宗でない)日蓮宗の皆さんや日蓮曼荼羅や経典など、文字の世界をバカにしたり見下したりもしていません。
この点も誤解しないで下さい。

●他宗の方々の良き特徴。

中には、どうして出会えたのか不思議な出会いもあれば、不思議なアドバイスもあります。
それらの大まかな特徴として他宗のお坊さまや神主は、どの方も類似した特徴があります。

(特徴1)相手を見て気兼ねなく教えてくれる。
(特徴2)今の私の立場(浄土系に所属)を気にしたり、私の脱カルト、脱創価などを目的として話をしない。
(特徴3)聞けば問題のない範囲で教えてもらえる。寺社内で特別に写真撮影が可能なことも。
(特徴4)教えや教え以外で私に対し応援はあっても、縛り、命令、MUSTの要請はない。愛情や「保留態度」を取る人が複数いる。
(特徴5)未知な話題、証明不可能な話題で怒ったり人間関係が壊れない。
(特徴6)おおらかで明るい人(聖職者、僧俗、信者)が多い。

他にも書き忘れがあるかもしれませんが、具体的な教えの内容やアドバイスは、本ブログに書く気は絶対にありませんので追記はしないと思います。

(特徴4)については、信じなかったら許さないとか理解できなかったら許さない等々の発言も皆無です。

これらの正反対が創価などの正宗系集団ですね。ほんと嫌な集団です。

●補足

というわけで(経験1)は正宗系の人と話せないのかもしれません。仕方ないことなのでしょう。
本ブログでもお世話になったある人と日蓮曼荼羅に関わる話を一度して、ある人が知らなかった為か怒り出して拒絶した経験がありました。私の人の見定めが甘いゆえの失敗だったのでしょう。
どちらかというと私がSNS発言の削除したことに怒っていたかもしれませんが、器が小さいとしか言いようがありません。

私の失敗から何ヶ月も経過してますが、すぐにこの記事を書いてもよかったのかもしれません。でもヒートアップしたままだと頭に入らないでしょうし、私から怒ることでもないし、見下すこともできません。
相手の趣味、思考、人生経験、周りにいる人等々の次第でしょうか?
色々な人と出会いなさい、MUSTです。とは言えませんからね。
何度も書いていますが、脱カルトには多くの他宗教、無宗教の人の話を聞いたほうが良い、Betterですよ。程度です。
それ以上の+の学びや体験となれば、尚更強制できません。

(経験1)は私の人生を+に変えたのは間違いありません。学問だけでなく神秘を知ることも何方も、程々に、いい加減、適当、不真面目、ぼちぼち、だらだらやろうと思っています。

以上

カテゴリーは一般仏教、複数の神道だが一般仏教とした。
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491.(参考)三法印、四法印に関連する説明

2019年06月27日 07時10分09秒 | 一般仏教
koroさん: 「突き詰めて行くと日本仏教ってサンスクリット語を直訳したインド仏教とは中身が違うし、法華経はサンスクリット語の原文がないんですよね?? 自分みたいに信仰心のカケラもない人間からすると宗教は全部哲学であって、どんだけその世界観に没入できるかだと思ってます。」

米山士郎さん: 「@7Pkxm 「法華経 サンスクリット語」で検索してみて下さい。残っています。仏教は哲学である/哲学でないと両者います。私は後者の立場。お釈迦さんの教えは四法印。」

米山士郎さん: 「@7Pkxm 四法印は仏教の基本です。これを知り事、悟ることが仏道修行。私の様なアホが四法印を説明するのはアレですが、四法印の誤解を恐れず書くと以下の通り。(続く)」

米山士郎さん: 「@7Pkxm 四法印(一切行無常、一切行苦、一切法無我、涅槃寂静)」

米山士郎さん: 「@7Pkxm 難しく言うと次の通り。(続く)」

米山士郎さん: 「@7Pkxm 盥喇嘛(anātman)さん「三法印について更に謂えば一切行無常、一切行苦、一切法無我の謂わば因分の三法印と、苦(不如意)が対治された一切行無常、一切法無我、涅槃寂静の謂わば果分の三法印との二重構造 を指摘し得ると考えます。」 (https://t.co/znykLPO48t」

米山士郎さん: 「@7Pkxm 日蓮系は観心本尊といい、心を見つめる修行が存在しますが方法の一つであって目的(場所、修行内容)ではありません。本来の仏教は、題目ではなく座禅。」

米山士郎さん: 「@7Pkxm 死ぬ時に、創価っぽい「煩い」早口題目が出来るかどうか?(笑)できませんよね。涅槃「寂」と「静」ですから。」

米山士郎さん: 「@7Pkxm 座禅し、心を見つめる修行が存在しますが方法の一つであって、観心それ自体も「行」といえるでしょうか?観心自体も一切行苦と言えるかもしれません。」

米山士郎さん: 「@7Pkxm 池田大作曰く「生も歓喜、死も歓喜」理想が過ぎた非仏教でしょう。死も歓喜なら病気を隠さず表に出すのが仏教の根本思想に近いです。全て公表しろといいませんが隠しすぎです。」

米山士郎さん: 「@7Pkxm 苦しみを離れ(できる人は出家)なさい。一切行と一切法は無常無我なんだから人は逆らえず変更できませんと知りなさい。こんな感じが仏教なんでしょうかね。」

米山士郎さん: 「@7Pkxm 仏教の基本は仏法僧です。創価の民衆仏法も間違いです。仏教は基本お坊さんのものです。出家した人、修行した人のものです。日本の僧侶は海外では坊さん扱いされない人がいるそうです。民衆もしていいよ、くらいが仏の教え、仏教です。」

米山士郎さん: 「@7Pkxm 座禅し、心を見つめる修行が存在しますが方法の一つであって、観心それ自体も「行」といえるでしょうか?観心自体も一切行苦と言えるかもしれません。「生き方や道であっても哲学ではない」と私は考えます。」

koroさん: 「@yoneyama_shirou すごくすごーーく勉強になります(>_<) 軽口叩いたのが恥ずかしいです。。 法華経は写本じゃないサンスクリット語の原典がない認識でしたけど、ソースがあやふやでした。もっと調べます。。 仏教の事も全然分かってませんでした。。理解が足りてない事よりも認識を誤っていたので、よく勉強します!」

重要

私も言われたのですが「知らなければ学べばいいだけ」「知らない人がいれば教えればいいだけ」です

米山士郎さん: 「@7Pkxm いえいえ恥ずかしくありませんよ。私も言われたのですが、「知らなければ学べばいいだけ」「知らない人がいれば教えればいいだけ」ですよ。」

米山士郎さん: 「@7Pkxm 私も「人」か「人」が書いた本やネットの書き込みから学んでいます。創価など正宗系は何かにつけ「謗法(ほうぼう)だの無知だの地獄行きだ」の色々いいますが非仏教どころか非宗教、非人道、非仏道といえるでしょう。」

米山士郎さん: 「@7Pkxm 昔の私は創価仏法、正宗仏法の難解さを優先し人の善し悪しは無視していました。そのツケは今でもあります。今の私は善き人を求め、教団の立場は余り気にしていません。相手が正宗でも会話出来る人なら応じます。顕正会員や創価員はほぼ人の話を聞きませんね。」

重要

創価批判をした時に彼女がうつ病にならないようにしてあげて下さい。

米山士郎さん: 「@7Pkxm 彼女さんが上手く脱カルト出来るといいですね。創価批判をした時に彼女がうつ病にならないようにしてあげて下さい。カウンセリングやマインドコントロールの本を先に読むことをおすすめします。私のブログの312番記事を読んで下さい。」

(中略)

米山士郎さん: 「@7Pkxm 私のブログの「夫婦恋人で信仰が違う時」シリーズの「こすとこ」さん夫婦の会話は読みましたか?旦那さんのアプローチは大事ですので記録してあります。よく読んで下さい」

米山士郎さん: 「@7Pkxm 優先順位は1,マインドコントロールの本2,カウンセリングの本3,いろいろな人のブログ。私の夫婦恋人で信仰が違う時シリーズ。4,原始仏教の本だと思います。4は読まなくてもいいかも。」

米山士郎さん: 「@7Pkxm 彼女の癒やしや楽(らく)や楽しみ、笑いの相手であってあげて下さい。正宗系は窮屈、怒り、周りの人全部嫌い!こればっかです。」


三法印、四法印に関連する重要な参考リンク

以下を知っているだけでも創価など正宗系を辞める理由になるのがわかると思います。
分からなければ、ご自由に。但し世間の人は以下を知れば簡潔なため理解できる人がほとんどです。以下の説明を隠したり省略したりして正宗系が正しいなどと言わないで下さい。

法印としての諸法実相については過去に私も触れています。

盥喇嘛(anātman)さん: 「@iwatachi 固より 三法印も四聖諦も誹謗する附佛外道 だけに、 物故者も死んだことにしない のではあるまいかと(苦笑)。」

盥喇嘛(anātman)さん: 「@yoneyama_shirou @sougaku_salon 三法印について更に謂えば、 一切行無常 一切行苦 一切法無我 の、謂わば 因分の三法印 と、苦(不如意)が対治された 一切行無常 一切法無我 涅槃寂静 の、謂わば 果分の三法印 との 二重構造 を指摘し得ると考えます。」

盥喇嘛(anātman)さん: 「その判断基準となるのが三法印(無常・苦・無我)、乃至は四聖諦(苦・集・滅・道)に他ならない。 https://t.co/9tzAXMdOGJ」

盥喇嘛(anātman)さん: 「ほうぼう-よどう【謗法与同】 誹謗正法、すなわち三法印を誹謗する党類に加担すること。」

盥喇嘛(anātman)さん: 「ちゅうたい-せいよう【中体西用】 漢土は清朝後期に勃興を見た“洋務運動”のスローガン。 近代日本の佛教(bauddha-darSana)の研究に於いては、その原理、すなわち三法印を前提に西欧文献学の方法論のみを摂取し、専ら“佛体西用”を進展させるべきであったが、現状は周知の通り。」

盥喇嘛(anātman)さん: 「さん-ぼう-いん【三法印】 佛法と外道とを分かつ、三つの教法の要約〔tri-dharmOddAna〕。 ①一切の有為〔saMskArA〕は無常に他ならず。 ②一切の有為は苦に他ならず。 ③一切の法〔dharmA=saMskArA+asaMskArA(無為)〕は無我に他ならず。」

盥喇嘛(anātman)さん: 「げ-どう【外道】 三法印に摂されざる教義体系。」

盥喇嘛(anātman)さん: 「しょほう-じっそう【諸法実相】“dharma-svabhAva”の漢訳語。佛陀の教法(dharma)の本性(svabhAva)、すなわち三法印や四聖諦、縁起説を意味する。」

盥喇嘛(anātman)さん: 「ぶっきょう-げんり-しゅぎ【佛教原理主義】思考の前提は三法印。生活の指針は五戒。」

盥喇嘛(anātman)さん: 「ぶっきょう‐げんりしゅぎ【佛教原理主義】三法印や四聖諦、あるいは縁起説を、思惟と言動の根幹に据えること。」

盥喇嘛(anātman)さん: 「《三法印のディグナーガ(陳那)的定義》 アートマン(我)ならざる一切法の領域に、無常にして苦なる有為と、無常ならずして苦ならざる無為が包摂される。」

盥喇嘛(anātman)さん: 「@shinn0301 僧階は通宗派的に、律師クラスが“法橋上人位”、僧都クラスで“法眼和尚位”、僧正クラスに至れば、“法印大和尚位”だったようですが。日蓮正宗はここでも何かと特殊なようですね。」

↑日蓮正宗の特殊性について私はよくわからない。

盥喇嘛(anātman)さん: 「「“辺見”という不当前提」の棄却は、佛教へのアプローチの基礎であるが、三・四法印や四諦等の佛教の基礎原理が「演繹され、吟味を受けるべき“偏見”」に他ならぬことをも銘記すべきである。」

以上
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440.奉請、禮佛偈、奉送など他宗のお坊さんから読み取れるニュアンス(その2)

2018年04月27日 00時08分18秒 | 一般仏教
●他宗の勤行を調べてみては?

 ここからが本題です。
学会など正宗系教団を問題視出来るようになった人も未だに出来ない人も、色々な人の意見を読んだり聞いたほうが良いと私は考えてます。
ネットでも天台宗、曹洞宗、臨済宗、黄檗宗、浄土宗、浄土真宗など、三寶(宝)、禮仏偈(念仏では讃仏偈とも)、奉請、奉送について書かれています。
勤行要典が掲載されている宗派もあります。

日本仏教の枠内の条件でもいいので、三寶、禮仏偈、奉請、奉送、勤行などを一ヶ月くらいかけてネット検索してみては如何ですか?
「浄土宗 三寶」
「曹洞宗 奉請」
「浄土宗 奉請」
「浄土宗 讃仏偈」
「曹洞宗 禮佛偈」
「曹洞宗 礼仏」
「曹洞宗 清規」
「天台宗 清規」
「天台宗 勤行」
「天台宗 奉請」
「浄土宗 勤行」などで検索して下さい。
宗派毎に開経偈、奉請の違いを見てみると面白いかもしれません。
日蓮宗聖典の勤行法式の仏教用語と全ての宗派を組み合わせたわけではありません。例です。
中国仏教を含めるなら「天台大師 清規」とか。
清規とかはお坊さん向けの教えかもしれません。

いろいろな宗派で勤行のCDが出ていますね。
内得信仰時代や男子部の20代の頃は「邪宗の坊主は録音テープを流して自分で勤行しない酷い奴ら」と教わりました。今や信濃町の広宣流布大誓堂で池田大作の勤行唱題が録音が流れるそうですね。
あの指導は一体何だったのでしょうか。

私の念仏系にもいくつかの流派があるのですが、調べると信徒用で「奉請、讃仏偈、三寶、奉送」のあるしっかりとした勤行要典となっていました。

●他宗のお坊さんの言葉から読み取れるニュアンス

 三寶、禮仏偈、奉請、奉送、勤行などを調べるとお坊さん個人や宗派の解説が書かれています。その際におおよそ次のような文章がある場合があります。

他宗が目に見えない仏に対して心遣いや気遣い、(合掌や歩き方まで)作法がわかると思います。
☆☆【事細かな作法や儀礼に基いている】

☆☆【僧侶である私は仏菩薩の身口意の言動をしますから、貴方も仏菩薩を信じ信仰の道を歩んで下さい】(主旨)
または
☆☆【僧侶である私は仏菩薩の身口意の言動に責任を持ちます。貴方の判断で僧侶である私や我が宗派を選んで下さい】(主旨)
とも読める文章もあります。
もちろん「僧侶である私は仏菩薩の身口意の言動をしますから、貴方の判断で我が宗派を選んで下さい」といった感じの文章もあります。

ニュアンスやなんとなくでいいので、☆印のような感じで気がついて欲しいです。

貴方の判断ということは、つまりは自己判断と自己決断ということです。
他人が信者の人生を決定する依存ではなく自分であり自立です。
宗派やお坊さんとの人間関係の距離も自分、自己で決める必要があるでしょう。でも全てが自己責任ではないのです。

正宗系教団の言動は「謗法だ!」「お前は解ってない」「お前は理解してない」「お前は信心が足りない(マイナス)」等々、呆れますね。

信仰や修行は積み重ねか、足し算(プラス)であって、教え教えられるのを喜ぶべきでしょう。
法華経非仏説が判明している現代なら、正宗系教団であっても天台宗、曹洞宗、臨済宗、黄檗宗、浄土宗、浄土真宗などの皆さんに対して
「おぉ!あなたも希少な仏教徒ですか!仲間であり同士です。」これくらい言えないと法華経の価値はないでしょう。
もちろん、こんな経文も論釈もありません。私が勝手に言っているだけですが、現代では創価など正宗系教団に「宗教性がない」ことがわかるでしょう。

話がそれました。
マトモなお坊さんであれば、お坊さんから教えを受けた信者や会員に対し、100%自己責任などと無責任な話はありえません。
教えを受けるのは在家だけでなく、沙弥や若手の僧侶でもあるのです。
将来、彼らが老僧になって教えを受け継ぐ必要があるのですから、教えを受けた人だけに100%自己責任などとありえません。90歳の老人と20歳の若者二人だけの世界ではありません。教団ならなおさら、各年齢ごとに多くの人がいて集団なはずです。しかも同時代を生きているのですから。
大聖人直結というのは、おかしいですね。
日蓮遺文のとおりに教えて修行もするなら、日蓮本仏論はおかしいですし、日蓮遺文は日蓮宗の皆さんや私でも読めます。「僧侶は要らない宗教改革だ!」との創価の仏法僧を無視したあり方は異常だとわかると思います。
正宗についても法灯連綿や血脈相承の単語を口にすれば済む問題では無いことがわかると思います。

もくじ1の1番記事から21番記事に書いてきたとおりです。

教理教学や厳密な解釈や日常の作法だけでなく、教える側の背中や普段の言動、人柄で弟子信徒が育つことも大切であり、それがわかると思います。
分からなければ、仏教どころか宗教は止めたほうが良いと思いますよ。周りに不愉快を与えたり迷惑をかけるだけです。

可能な限り仏教用語の使用を避けましたし、ニュアンスに留めました。そううそ教や米山士郎教にならないでくださいね。
私は不真面目な念仏の信徒ですし、経本は持っておらずお葬式用の数珠しか持っていません。
良い機会なので買うかもしれませんが一度読んで「ありがたやありがたや南無阿弥陀仏」でもう二度と開かないでしょうね。(笑)
状況が変われば話は別です。

●もう一つの注意事項

 信徒会員レベル、つまり教えを受ける側の人々が本尊や勤行のあり方など、本来は口に出して良し悪しを語る内容ではありません。受けた教えそのものが仏菩薩の身口意や信仰目的の仏像、本尊、経典、勤行の次第などであるからです。
但し、教団の人柄や歴史など様々に比較するのは現代では当然のことです。
この比較対象の一つが勤行要典なだけです。
あくまでも正宗系教団の問題解決の為に書いていますし、今後も同等の批判記事は必要だと考えています。

お坊さんに本尊や修行、勤行のあり方など根拠の説明責任があるのは言うまでもありません。
根拠は前例か教論釈など仏典になるはずです。

以上

池田 魯参 (著), 天台大師にみられる清規思想, 印度学仏教学研究 通号 31, 1967-12-25, 130-131,

2018年4月28日 大聖堂ー>広宣流布大誓堂
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<四国八十八カ所>遍路規制、霊場会の請求棄却 高松地裁

2017年03月22日 19時21分18秒 | 一般仏教
<四国八十八カ所>遍路規制、霊場会の請求棄却 高松地裁 - BIGLOBEニュース
https://news.biglobe.ne.jp/domestic/0322/mai_170322_2440017932.html

<四国八十八カ所>遍路規制、霊場会の請求棄却 高松地裁
毎日新聞3月22日(水)19時1分

 四国八十八カ所巡りの寺院でつくる「四国八十八ケ所霊場会」(香川県善通寺市)が、六十二番札所・宝寿(ほうじゅ)寺(愛媛県西条市)を相手取り、納経時間など霊場会が定めた巡礼規則の順守などを求めた訴訟の判決が22日、高松地裁丸亀支部でありました。小川雅敏裁判長は、霊場会の正会員ではないとする寺側の主張を認め、請求を棄却した。各札所の運営の足並みが今後乱れて観光客が戸惑わないか、懸念の声も出ているようです。

 霊場会は任意団体で、定款では札所の住職が正会員となり、会費の納入義務があり、各札所の納経所を統一的に運営するため、納経の受付時間を年中無休、午前7時〜午後5時と運営要領で定めている様です。しかし、宝寿寺は父の辞任に伴って現住職が就任した2007年以降、納経時間の開始を1時間遅くし、1時間の昼休憩も設けた、とのこと。

 小川裁判長は「霊場会は任意団体であるから加入を強制する法的根拠はなく、住職であることだけで正会員とは認められない」と判断。さらに宝寿寺の住職が入会していたとしても、霊場会に参加しない意思を伝えており、08年12月時点での退会を認めました。納経時間の変更についても「霊場会は定款に基づく義務を主張できず、納経所の運営は各寺院が行うもの」と宝寿寺の立場を認め、未納となっている会費の支払い義務もない、とした。

 霊場会によると、過去に退会した札所はない。代理人弁護士は「事実認定と法令解釈を誤った不当な判決であり、霊場会と協議の上、控訴する方向で検討したい」としている。

 判決について、遍路の活性化を目指すNPO法人「遍路とおもてなしのネットワーク」(高松市)の宍戸栄徳事務局長は「他の札所でも独自の動きがあった時、歯止めがかからなくなる。お遍路さんへの影響も大きい」と話した。【待鳥航志】

 【ことば】四国八十八カ所巡り

 弘法大師・空海ゆかりの寺とされる四国の88の霊場を巡礼する。約1300キロの道のりで年間15万人の「お遍路さん」が訪れるとされる。一番札所は霊山寺(りょうぜんじ=徳島県鳴門市)で八十八番札所の大窪寺(おおくぼじ=香川県さぬき市)までを回りきると結願(けちがん)となる。1番から順に回る「順打ち」以外にも、反対から回る「逆打ち」などがある。

--------------------------
電話の意思表示だけで、宗教組織から抜けることが出来る事例です。
最高裁まで行くとは思えませんが、高等裁判所でも同じ判決が出るのではないでしょうか?

昔、チョンガーさんもHPで「一言だけでも意思表示をすれば、宗教はやめたことになる。」(主旨)と書いていました。
創価学会でも「日蓮正宗の本尊と教義ではありませんから、創価学会を退会します。」あるいは理由なしで「創価学会を退会します。」だけでも、口頭で言えばやめたことになります。
日蓮正宗でも、「意見を言っただけで、僧侶ですら何人も日蓮正宗から追い出されています。そんな無慈悲な非仏教、非宗教な教団にいたくはありません。」と言えば法華講からすぐに追い出してくれそうです。

宝寿(ほうじゅ)寺(愛媛県西条市)住職が将来的に経営困難になり、廃寺になってもかまわないということでしょうか?お坊さん同士の共同生活や共生の習慣がないから、こんなことになったのでしょうか?もし、そうなら一般仏教の復興を願う私としては、チョット残念な気がします。良いことも悪いこともお互い様なはずなんですがね。
あるいは、たんまりお金を儲けて不自由がないので、お遍路の寺でなくてもやっていけるのかもしれませんね。

以上
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仏に敵はいません。罰を与える仏など何処にもいません。

2016年10月10日 22時36分39秒 | 一般仏教
>>941
創価学会の信仰に功徳はあるか?を主催する米山士郎といいます。
ttp://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki

ID:+dCDZn47さんが書いていただいた体験は貴重だと思います。
転載したいのは940と941で今の2chは転載禁止なのでご本人だけでも転載の許可を頂きたいです。
私のブログへの時に語尾や文章の調子を変えて記載したいです。
これらの変更は2chの違反基準に矛盾や不透明さがあるためです。

仏敵、仏罰といいますが、修行に失敗し出来なかった僧は生きている間は
修行をやり直すのが鉄則です。あまりにもひどい場合、サンガのルールとして
サンガの組織から一時、追い出されることはあったようですね。

仏に敵はいません。諸法無我、諸行無常ですから「相手を変える」思想は
元々、仏教からは無理な思想です。修行者の言葉や行動で未熟な相手が変わるのは
稀なことなのです。お釈迦さんが世界中の人々全てに
「あなた達は無理に仏教に宗旨替えをして、変わらなければならない」などと
MUSTな意見を強要したことはないでしょう。
お釈迦さんの弟子に対しては座禅の修行に補足する形で
「仏の教え(戒律)としてああしなさい、こうしなさい」はありました。
大乗仏教の諸法実相も一切はありのまま、という思想ですから、
自分と他人が違うことを認識し受け入れる必要があります。

敵がいると思うのはこの世の執着であり、あの世(法華経の極楽浄土)への
悟りがなく解脱してない証拠です。
「人に対して敵意をいだいていた」から執着があり地獄へ行くのです。
(スッタ・ニパータの10巻コーカーリヤ章)
身口意の三業が関係していますね。私は”地獄へ行くぞ”と学会員に言われれば、
死後、学会員と同じ場所に行かなくて済みます。学会員に会わずに済むと笑えます。

原始経典(根本仏教)に仏が罰を与える、という思想はありませんし、
当時、生きていた修行者から「地獄に落ちる」と責められることもありません。
死後、修業の成果で生まれ変わる先が極楽か地獄か等々の違いしかありません。
(日蓮遺文の浄土九品之事)因果応報や自業自得の思想はこれに近いでしょうか。

「死んでから罰を受ける」思想は道教かヒンズー、ゾロアスター教の流入でしょう。
道教では罰を避けるために儀式やおまじないをしていたようです。

以上

本文に追記修正
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参考記事 白隠禅師と「ピンチをチャンスに変える」思想

2016年05月16日 01時28分45秒 | 一般仏教
参考記事 白隠禅師と「ピンチをチャンスに変える」思想

NHKのTVで仏教美術の紹介番組が有り、面白い内容だったので記載します。
残念ながら全部はメモできていませんし、聞き取り自体が不正確かもしれません。
ご容赦下さい。

1.白隠禅師の書いた絵で人(?)がうなぎを捕まえている絵。

うなぎが欲や煩悩の象徴だそうです。
絵の名前は聞きそびれました。

2.豆蔵布袋の絵

臨済宗妙心寺派 東京禅センター 講座録9
真ん中辺りの豆蔵の絵。

危なっかしい曲芸をする布袋様の絵。布袋様が丸い袋の上で水の入った皿を棒で回しています。
曲芸で人気を博した豆蔵の様に布袋は余裕を表しているのだそうです。
自分の置かれた状況を冷静に見つめれば、
「ピンチをチャンスに変える」「ピンチでも大丈夫」
という心や思想を表すのだそうです。

皿の中の水をこぼさなかったらいつでも自分の身は豆蔵じゃ。
豆蔵とかけて、息災にマメに生きていける。
水というのは自分の「心」のありよう。
それをひっくり返さないように「自分自身をはっきりと見つめなさい」というお釈迦さんの教えをわかりやすく絵にしている、のだそうです。

創価学会の人がよく言うのですが、
「ピンチをチャンスに変える」「ピンチでも大丈夫」
という思想は禅宗でも学べます。

3.白隠の慧可断臂図

見どころ|禅 -心をかたちに-|ZEN The Art of From Mind to Form|2016年4月12日(火)~5月22日(日)|京都国立博物館 平成知新館 KYOTO NATIONAL MUSEUM

白隠の慧可断臂図(臨済宗 星見寺)
2015年に見つかった白隠の慧可断臂図。江戸時代の作品。

円の中にダルマが描かれている絵。
慧可が達磨に入門しようとこれから腕を切る場面。
修行のあり方を問う絵だと言われているそうです。

白隠の漢詩の内容。
腕を切って達磨に入門し悟ったかもしれないが、立派な体に傷をつけて・・・

白隠はその先に何を目指すのかが大事だと言いたかったのでは?
禅の僧侶が目指すべきは何か?
円相の中のダルマ。己ではなくもっと壮大なもの。

円は禅宗の大きな意味があり、円相といい丸で表す。
心とはなんぞや?ということを追求すること。

こうしたことに気が付かせること。
即物的でない絵を通し、伝えようとしたのでは?

円から学ぶ思想として、全ての歴史、全ての人をつなぐ意味がある。
円には全部を包み込む、包容力。色々な考え方や人種、宗教があるけれども、つながっている、という意味がある。

参考
国宝 雪舟筆の慧可断臂図(えかだんぴず) | 京都国立博物館 | Kyoto National Museum


4.70代に白隠が書いた円相

正式名称は不明。
ダルマも描かれていない円だけの絵。

-----------------
感想
学会員がよく言う「ピンチをチャンスに変える」「ピンチでも大丈夫」だけを取り出せば思想自体は否定はしませんが前後の言動、学会や正宗の歴史、創宗戦争、学会の本尊取り換えや、近年の教義変更、不親切、無慈悲、など様々に考え合わせると、学会や正宗の僧俗はあまりにも仏教からも世間の常識や良識から、かけ離れていると思います。
学会員時代の自分が恥ずかしいです。

白隠禅師についても少しずつ学んでいこうと思っています。

以上
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お坊さん便「宗教行為を商品化」 全日本仏教会がアマゾンを批判

2015年12月26日 18時29分05秒 | 一般仏教
お坊さん便「宗教行為を商品化」 - 共同通信 47NEWS
http://this.kiji.is/52689614428177914?c=39546741839462401


お坊さん便「宗教行為を商品化」
全日本仏教会がアマゾンを批判
2015年12月24日 18時29分

 インターネット通販大手アマゾンジャパンのサイトで、法事・法要で読経する僧侶を手配するサービス「お坊さん便」が始まったことを受け、全日本仏教会(東京都港区)の斎藤明聖理事長は24日、「宗教行為をサービスとして商品にしている」と批判する談話を発表した。

 斎藤理事長は「お布施はサービスの対価ではない。諸外国の宗教事情を見ても、このようなことを許している国はない」と指摘。「アマゾンの宗教に対する姿勢に疑問と失望を禁じ得ない」とした。仏教会はサービスの取り扱いを中止するようアマゾンに要請することも検討している。
コメント (1)
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374.いのるによりて病もやみ、いのちも延ぶることあれば、 たれかは一人として病み死ぬるひとあらん

2015年08月04日 23時08分12秒 | 一般仏教
●法然さん『浄土宗略抄』より。

いのるによりて病もやみ、いのちも延ぶることあれば、
たれかは一人として病み死ぬるひとあらん

日本語訳
いのることによって病気が治り、命が延びるのであれば
誰一人として病気になったり死んだりしないでしょう

祈り
http://www5a.biglobe.ne.jp/~myoukan/ohanashi/inori.htm
など、他多数のサイトに記載あり。
----------------------------------
諸行無常、涅槃寂静、一切皆苦、諸法無我などに通じる教えだと思います。

原始仏教や日本仏教を学ぶ上で、あたりまえで今更な内容です。
祈りによってどうこう出来ないのは、退会後、何年か前から認識していました。
ですが法然さんの教えにも、こうした仏教的な教えがあるのは最近になって知りました。
法然さんは有名なので、どの宗派の人でも法然さんの教えを知っている人からすれば、「信心で私の病気を治す。」という私の決意発表や学会宣言は滑稽に見えたことでしょう。
なんとも恥ずかしい限りです。


ー再掲載ー
 熊野権現「おまえ(一遍上人)の勧めによって往生するのではない、全ての人の極楽往生は(人の信不信に関わらず)阿弥陀仏によってすでに決定されている」

●日蓮さんの教え

過去記事に書いたとおり日蓮さん遺文の「祈りはかないますよ。」というのは幾つもあります。普通の宗教であれば祈っても良いと今でも私は思っていますが、現代人であればあくまでも 日蓮さんの慈悲や思いやり と捉えるべきでしょう。
仏教を間違った日蓮さんの教えで何も叶うはずがないし、そもそも正統派な仏教ではありません。

「若し爾らば舎利弗・迦葉等の千二百・万二千、総じて一 切の二乗界の仏は、必ず法華経の行者の祈りをかなふべし。又行者の苦にもかわるべし。」

「潮のみちひぬ事はありとも、日は西より出づるとも、法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず。」

「適う適わざるは日蓮の咎にあらず。ただ、信心の厚薄によるもなり」

「 但し御信心によるべし。つるぎなんども、すゝまざる人のためには用ふる事なし。法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用ふる事なれ。鬼にかなぼうたるべし。
日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし。妙楽云はく「顕本遠寿を以て其の命と為す」と釈し給ふ。」

二十六世日寛
「故に此の本尊の功徳、無量無辺にして広大深遠の妙用有り。故に暫くも此の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざる無く、罪として滅せざる無く、福として来たらざる無く、理として顕れざる無きなり。」

どうしても他宗の教えを捨てて日蓮の教えを信じないとダメな様です。

仏教は本来、信じる、というものではありません。
過去記事を参照して下さい。

293.犀角独歩さんの日記 仏教は本来「信仰」ではなかった - 創価学会の信仰に功徳はあるか?

◯補足
 例えば病気の人に思いやりとして「祈ったら治りますよ」と言ったり教えたりして良いのかはケースバイケースだと思います。信頼関係やその人の求めるもの、性格や年齢、病状、若い時の病なのか、人生のラストなのかどうかで、教えや言葉は全然違ってくるでしょう。
「祈ったら治る」のであれば、「祈ることなく日蓮さんを死なせた日興」さんは信心の足りない無能な謗法僧侶でしょう。
寿命も延ばせないロクデナシ僧侶ということになります。
六老僧も役立たず、大御本尊も役に立たないアイテムですね。
五老僧には反逆や退転の信心があり、その邪宗の害毒に日蓮、日興が敗北したのでしょうか。(笑)

●学会や正宗より、念仏の教えのほうが慈悲深い。

念仏の教えは如来の慈悲深さに気づかせてくれます。
一遍上人ですら熊野権現の言葉で 「気がついた」 わけです。
我々だって同じ様に「気がつかされます」よね。

一遍さんと熊野権現さんのやりとりで慈悲深さや謙虚である必要性も感じるのは私だけでしょうか?

日蓮の遺文からわかることは、日蓮の法華信仰には慈悲や功徳の限界がある、力不足、邪宗の害毒に負ける弱い法華経の功徳パワー。ということなのでしょう。

人間が創作した經典の翻訳された題名を唱え、その生命力で救われる(学会の場合。正宗は人により違う)のがいいのか、如来という目に見えない存在ではあっても概念が救ってくれるのがいいのか、これは人によるのかもしれません。
学会や正宗に未入信であろうと、妙法だ、妙法蓮華という法で救われるのだ、題目を唱えさえすれば。。。。これならまだわかるのですが教団以外の人は救われないのはおかしな話です。

仮に法華信仰、日蓮信仰をするとしても、創価などの正宗系信徒会員は更にひどいです。
「たとえあなたが他宗であっても、あなたの為に題目の功徳を回向します。祈ります」とは言わない。

池田大作は日蓮仏法を極めた人ということらしいですが、「慈悲深い私が日顕さんを救います。幸せにします。祈って叶えます。」とは言わないし、行動もしません。悪口ばかり。(笑) 池田大作はいつ頃までに、日顕氏の絶対的幸福境涯を祈って叶えるのでしょうか?
日顕氏は日蓮系の中で最も日蓮仏法の正統派な法主だったらしいのですが、「慈悲深い私が池田大作さんを救います。幸せにします。祈って叶えます。」とは言わないし、行動もしません。悪口ばかり。(笑)
日顕氏はいつ頃までに、池田大作氏の日蓮正宗への帰伏を祈って叶えるのでしょうか?

彼らも日蓮仏法の限界かもしれません。
不幸な人様他人様をほったらかしにする理由、慈悲や仏法よりも悪口を言う理由があるのでしょう。信心が足りないんでしょうか?無能か無慈悲なのかもしれません。

異常だな~。


2ch などのメモ 日蓮正宗系の人は救える人が限定されている。 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
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備忘録 浄土三部経の概要

2015年07月19日 09時42分53秒 | 一般仏教
死の直前にする修行としての念仏は良いのかもしれません。
日常の修行としては現代人の私からすると、やや疑問です。今は。
今の私には念仏はあまり好きではありません。
(学会や正宗は大嫌いです。)

備忘録

●浄土三部経

無量寿経 観無量寿経 阿弥陀経

無量寿経が一番大事な経典らしい。

●阿弥陀

サンスクリットの音写

阿弥陀如来の阿弥陀とは2つの意味があるとされる。

アミターユス(無量寿)
アミターバ(無量光)

アは否定。ミタは量るの過去分詞で「量られる」
アミタで量られない

アーユスは命
アーバは光明

それぞれの言葉がくっついて アミターユス アミターバ。

●四十八の誓願(本願、根本になる願い)

第17願成就文は、
「十方恒沙の諸仏如来、みなともに無量寿仏の威神功徳不可思議なるを讃嘆したまふ」

現代語訳
「わたしが仏になったとき、 すべての世界の数限りない仏がたが、 ことごとくわたしの名号をほめたたえないようなら、 わたしは決してさとりを開くまい」
(浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類 現代語版より)

第18願成就文は、
「あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと乃至一念せん。 至心に回向したまへり。かの国に生れんと願ずれば、すなはち往生を得、不退転に住せん。 ただ五逆と正法を誹謗するものとをば除く」

現代語訳
「あらゆる衆生が、その名号を聞いて信じ喜び、 わずか一回でも仏を念じて、 心からその功徳をもって無量寿仏の国に生れたいと願えば、 みな往生することができ、 不退転の位に至るのである。 ただし、五逆の罪を犯したり、 仏の教えを謗るものだけは除かれる」

--------------------
乃至一念の念とは中国仏教、日本仏教では 称名念仏 ととらえられた。

●浄土に往生するには三心

ただ念仏を唱えれば良いというものではなく三つの心が必要。

至誠心、深心、回向発願心
(観無量寿経)
至心、信楽、欲生
(無量寿経 第18願)

●一遍上人の体験

熊野権現「おまえ(一遍上人)の勧めによって往生するのではない、全ての人の極楽往生は(人の信不信に関わらず)阿弥陀仏によってすでに決定されている」

一遍上人、熊野成道:熊野の説話

 「融通念仏を勧める僧よ。どうして悪い念仏の勧め方をされるのか。御坊の勧めによって、一切衆生ははじめて往生するわけではない。阿弥陀仏が十劫の昔に悟りを開かれたそのときに、一切衆生の往生は阿弥陀仏によってすでに決定されていることである。信不信を選ばず、浄不浄を嫌わず、その札を配らなければならない」と、お告げなさる。

------------------------------------------
後の作り話だと思いますが、こういう話は日本仏教的で好きですね。
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「墓じまい」を知っていますか?僧侶が“お寺のタブー”挑戦

2015年07月13日 23時52分01秒 | 一般仏教
「墓じまい」を知っていますか?僧侶が“お寺のタブー”挑戦 (スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150713-00000084-spnannex-ent



スポニチアネックス 7月13日(月)10時55分配信

穏やかな表情で話す清野勉さん

 納棺を執り行う「おくりびと」は広く知られるようになったが、いま、墓を撤去する「墓じまい人」に注目が集まり始めている。跡継ぎがいないなどの理由で、先祖代々の墓を手放す人が増えているためだ。どんな作業をするのか。訪ねてみると、墓石だけでなく、依頼者の“後ろめたい心”も取り去ろうとしていた。

 ガガガ、ドドッ、ドドド…都内の静かな墓地に、コンクリートを砕く音が響き渡る。墓石を撤去し、骨つぼを取り出した後、“墓じまい人”清野勉(55)は基礎部分を壊した。かつては花が供えられ、線香の煙が漂っていたであろうこの墓の持ち主は、埼玉県三郷市に住む70代の男性。「跡継ぎがない上に奥さまを介護しなくてはならなくなり、墓参りが難しくなったことから依頼されました」と話した。

 ほとんど目にすることはない墓じまいの作業。骨つぼを出せば「はい終了」という簡単な話ではなく、墓のあった区画は更地に戻した上で返却するのだという。清野が僧侶と知って驚いた。ハンマードリルや小型ショベルカーを巧みに操っていたからだ。公営や民間の霊園では、魂を抜くためお経を上げる。作業は墓の大きさにもよるが、1~3日で済む。

 墓じまいの後、遺骨は別の墓に改葬されることもあるが、依頼人の多くは散骨を希望する。墓がなくなったら、自分の骨はどうするのか。「自分も先祖と同じように散骨してほしいとおっしゃられますね」

 墓じまいの理由は、(1)跡継ぎがいない(2)跡を継がないと子供に言われた(3)娘しかいない(4)檀家(だんか)料を背負わせるのはかわいそう(5)寺が代替わりした――などさまざま。核家族化、少子高齢化、晩婚化という社会的背景が、お墓事情にも大きく影響している。どこかで策を講じなければ、無縁墓になるだけ。それも困る。清野は「墓じまいをするのは後ろめたいことだという思いがある。お墓はいつかは絶えるもの、誰が悪いということではないという意識を持ってもらうことが大切」と話す。自分らしい最期を迎える“終活”が注目されお墓への意識も少しずつ変わってきたという。

 公営や民間の霊園なら、改葬手続きや作業も比較的簡単に済む。厄介なのは一部の寺院だという。檀家の減少は寺の存続にも直結するため、寺側は墓じまいを阻止しようと必死の説得を試みる。「ご先祖さまも悲しんでおられます」はまだ優しい方。中には「数百万の離檀料(これまでの寺へのお礼)を依頼人に請求したり、一緒に行った先では“地獄に落ちるぞ!”と言われたこともあります。困っている人を救うのが宗教であるべきはずなのに」。半年間にわたる交渉でやっと許されたこともあった。

 「お寺さんからしてみたら、自分のやっていることは嫌われることかもしれません。タブーへの挑戦なんです」と笑った。

 寺でのお勤めを経て、12年前に葬祭サービス「やすらか庵」(千葉市若葉区)を立ち上げた。散骨・粉骨業を中心にしていたが、5年ほど前から「墓を片付けるのはどうすればいいのか」という相談が増えたため、2年前に墓じまいをメニューに加えた。これまで約60件手掛けた。依頼者の多くは70~80代だ。雨の日は作業ができないこともあり、月3件で手いっぱい。もうかるのか。「借金はないので、損はしていないということなんでしょう」。なるほど、僧侶らしい答えが返ってきた。

 取材を終えた後、実は我が家も姉妹だけであることを告げた。「あぁ予備軍ですね。そういう方は本当に多いんですよ。元気なうちに考えてみるといいですよ。墓じまいは“心じまい”でもありますから」

 今月末は母の命日。父が健在のうちに家族で話し合い、心にある後ろ暗い気持ちを整理してみようと思った。 =敬称略=

 ≪1平方メートル7万8000円から≫「やすらか庵」の墓じまいの費用は、1平方メートル当たり7万8000円(税抜き)から。墓石撤去は石材店でも引き受けてくれるが、「全日本葬祭業協同組合連合会」(東京)は「データがなく、何社が行っているかは分からない」という。

 2013年度に墓じまい(改葬)された墓の数は8万8397件で、前年度の7万9749件より1割ほど増加している(厚生労働省「衛生行政報告例」から)。青山、多磨など8カ所の都立霊園を管理する東京都公園協会では高齢化による跡継ぎ減は織り込み済みで、98年に小平霊園(東村山市)内に合祀(ごうし)墓を設置した。今後は他霊園にも建設予定で「計画的に進めています」(同協会)という。
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