●いろいろな立場の人からメール等でひんぱんに受ける質問
○そううそさんは今、何かを信仰していらっしゃいますか?
いいえ。
ほんの数ヶ月前までは原始仏教は「学ぼう」という興味だけがありましたが信仰する気持ちはありませんでした。今では原始仏教にも「学ぼう」という興味や意欲もそして当然、信仰心もありません。ブログを書くのに必要を感じれば読書はするでしょう。
実家の宗教には従う気持ちはあります。特に実家の宗教に学会員時代と同等の興味や意欲、信仰心などがあるわけではありません。でも自分が親に結果として反抗する形でカルトに入って迷惑をかけたので自分としては実家の宗教に従うのは当然のような気持ちです。形式だけで十分であり仏壇やお墓の前で念仏を唱え祖先や身近になくなった人に「祈る事は出来ます」からそれで十分だと考えています。親に反抗するつもりで入信したわけではありませんが、現在から見れば結果的に、ということです。
○でも仏教、「仏」陀の「教」えを書いているじゃないですか?
「友を作る事が仏道修行の全て」などなど、今後も必要に応じて仏教思想を書く事はあるでしょう。
自分の感覚では「友を作る事が仏道修行の全て」というのは次のような感じです。
「現代人にとって友を出来るだけ多く作る事は自分の人格形成や幸せのためでしょう。
現代で幼い子供を持つ親が”お友達は大事にね、仲良くね、”と言うのと同じです。
もちろん私はいい年した大人なんですから友人の取捨選択はします。」
ですから特定宗教組織にいない現代人の私にとって友を作る事は「仏道修行」とか「全て」ではないでしょう。
「友を作る」という仏陀の教えが宗教的であり理想的であり良い事であるのは言うまでもないと思います。
☆補足。
私事ですが、過去仲の良かった人で喧嘩したまま、誤解したまま、仲違いしたままの人が数人います。
条件がある程度でも満たせば話し合いや和解することは全く構いません。
学会問題を取り扱うHP、BBS、ブログで本質的な問題は何か?
立場や考えが違うだけで喧嘩、誤解、仲違いはまるで学会と宗門のようです。
○どうして創価学会、友岡氏の書籍を紹介するのですか?
学会を全肯定したり認める為に紹介していません。
原始仏教の思想と学会の思想が正反対である事が重要です。
もう一つ、学会員はMCされて「他宗教の本を読む事が出来ない人、嫌悪感を感じる人」がいますから友岡氏の書籍を紹介する事に意味はあります。
例えば、「友を作るという仏陀の教え学ぶ」為に友岡雅弥氏の書籍が気に入らなければ、中村元氏の「ブッダ神々との対話―サンユッタ・ニカーヤ」でもその他の阿含経の書籍でもいいでしょう。
過去記事に書いた書籍も参考にして下さい。
原始仏教 (広済寺ホームページ)
雑阿含経、阿含経、サンユッタ・ニカーヤ
☆補足
私事ですが、色々な人のHPを自分のPCに保存していますが、今でも時々、LibraさんのHPを読みに行ったりします。
色々なサイトを読んで色々な意見や思想を知る事が重要かと思います。
○私はどうしたらいいのでしょうか?
創価学会や顕正会、日蓮正宗をやめるかどうかは最終的にはご本人で決めるしかないと私は思います。
直ぐに退会できる人はともかく家族の状況次第、学生の人は無理でしょう。
過去記事を参照して下さい。
リンク集にかいた相談窓口、あるいはネット上で自分と似た立場の人と話し合うのも良い事かと。
○止めない場合、信仰の基準やアドバイスはありますか?
他人に迷惑かけたり嫌がらせをしたり嘘をつくのがいけない事でしょう。
ここまでは誰もが賛成すると思います。
特に日蓮正宗系の人は教義や学会や顕正会などの精神を理解できない相手を見下したり怒ったりすることもそうでしょう。
ではどこから何処までが「嘘」や「迷惑」なのでしょうか?あるいはMCもそうでしょう。
ここからはあくまでも退会者の私の意見です。
日蓮正宗系はこれだけ数多く教義が変わっているのに、なおかつ嘘、迷惑、ごまかしが多いと私は考えています。
過去記事を参照して下さい。
○その根拠は?
法華経は非仏説であり五時八教も誤った解釈でした。
日蓮は純粋な仏教僧侶ではなく神道や密教の影響を受けた僧侶であり人間でした。
日蓮は御本仏という超越した力(宇宙生命など)の持ち主ではありません。
大御本尊も嘘であり、日興も日蓮の唯受一人の弟子ではありませんでした。
南無妙法蓮華経も翻訳された言葉でしかなく、仏陀が現代の日本語で「みょうほうれんげきょう」(妙法蓮華経)ともサッダンマプンダリキヤスートラとも言ってないでしょう。
当然ですが、「なむみょうほうれんげきょう」の題目は現代の日本語訳された言葉ですから、宇宙のリズムでもないでしょう。
ここも過去記事の通り。
どれもこれも人間の考えた思想や解釈、教典も教典に書かれる言葉も本尊も人間の作ったモノでした。
16,7年学会にいた私に全く不足していたのは原始仏教や日蓮遺文の真筆、偽書、真偽未決の概念でした。
やはりこうした事の勉強が必要でしょうし、他にも仏教の歴史、日蓮の人物像、日蓮の教義、etcetcこれらを出来るだけ客観的に見る必要があるかと。
例えばLibraさんのサイトは参考になると思いますが、Libraさんが無謬ではないし、絶対ではないでしょう。
絶対ではないのですが、学会の基本的な教学は中身が無く幼稚でLibraさんや原始仏教とは全くベクトルが異なっているのは今の私にもよく分かります。
創価学会の場合、学会都合で部分的に経文や日蓮遺文、あるいは偽書を悪用しているのは過去記事の通り。
○では宗教的な部分はないのでしょうか?あるならばそれはどの点か?
正宗、学会では宗教は学べないとして、では宗教的な部分はどの点か?
原始仏教>法華経(≒小乗、大乗系その他の経文)>>>>>>>>>>>>>日蓮遺文(日蓮は人ですからね。)
私の中ではこんな感じ。正宗、学会、顕正会はカルトなので論外。
日蓮も良い人だったけど思いやりや人の良さしか通用しないのでは?と考えています。
正しく、とは私はあまり言いたくありません。
カルト的でなく、(出来るだけというよりも)「よりケースバイケースに」でしょうか?
無数にある選択肢の内の一つとして、より宗教的に勤行、唱題、布教出来てその結果として良き人になれれば、変われれば、いいのかもしれません。
勤行、唱題を全否定していないのは過去記事の通りです。
勤行、唱題、布教、本尊が毎日必須とは全く思えません。全くです。
なお、折伏という言葉や思想も私は否定的になりつつあります。
上の行で「布教」と書きましたが、学会教学では矛盾がありすぎて布教には向かないでしょう。
池田精神、学会精神でも全然駄目だと考えています。
池田氏も学会本部も無責任、嘘つきの臆病者でしょう。
法華経精神を原始仏教の語り口やアプローチなら大丈夫かもしれない、これも過去記事239番を読んで下さい。
239.教えや内容が宗教ならば日蓮本尊に祈っても問題ないかもしれない
仮に現世利益を求めてもいいでしょうし、その人の自由でしょう。
宗教的に現世利益を求めるのとカルト的に現世利益を求めるのは180度違うと考えています。
これも記事に出来るかもしれません。
○私は学会に入って幸福体験があります。
良かったですね。一々、私(そううそ)にメールをしたりコメントを書く必要はないでしょう。
学会員の幸福でも幸福の事実は認めます。本尊や題目による呪(まじな)いの力が理由でないと私は考えています。
私、そううその入信前の幸福や退会後の幸福は幻でしょうか?
あなたが幸せを「感じる」「感じた」のと同様に言葉の上では私も幸せを「感じる」のです。「感じた」のです。
相対的幸福は過去記事に反論してあります。相対も絶対も基本的にその人の主観でしかありません。
○学会批判をする創嘘が許せません。
あくまでも曖昧な言い方しかできませんが、ある程度まではお互いの喜怒哀楽を認める必要があるかと。
逆にお互いに無理して認める必要もないでしょう。
池田氏も日顕を許すな!って言ってますよ?(笑)
学会批判をする創嘘が許せない学会員はいるでしょう。
その反対に学会肯定する人を許せない人がいても不思議ではありません。
私の経験上、ただ単に祈りが叶わない事、幸福になれなかった事も問題ですが、嘘を教えられ嘘を人に言わせた事、その上で時間とお金を搾取された事は許す気はありません。
コマーシャルにもあるけど人間関係や友情、信用ってpricelessです。お金で取り戻せません。
ブログを続けている理由は01番記事の通りです。
○布教(折伏)の際における他者否定。自己正当化の為の誹謗中傷。
また法華経には他者への暴言、誹謗中傷してはいけないと書かれています。Libraさんのコメントどおり。
ところが昔から日蓮正宗系は自己正当化の為の暴言、誹謗中傷が多いです。
学会は正宗を誹謗中傷して正宗は学会を誹謗中傷しています。ネットでもリアルでも。。。。
例えば「学会が間違っているから正宗は正しい。」というカルトな思想です。
幸か不幸か本尊については本尊に祈る側の人、本尊を受け取る人の気持ちの問題のようですから日寛本尊でも日顕氏の本尊でもコピー本尊でもビニール本尊でも構わない人は構わないのでしょう。
私の場合は大御本尊は本物、他宗は邪宗教、必ず祈りは叶うとMCされて創価に入信して他者に折伏したので仮に学会が全てを認めて謝罪しても許す気にも他宗教を信仰する気にもなれないです。
原始仏教の時代から様々な宗教において人は雰囲気や威厳、権威主義、嘘やごまかしで騙してきたのは理解していますが、私にとって失った時間やお金や人間関係があるので無理でしょうね。
布教(折伏)の際における他者の宗教や思想の否定は今後、世間一般で通用しないでしょう。
あるいは 今後は世間一般で通用しない事を願っています。
日蓮正宗と学会と顕正会など、正宗系だけで通用すればいいでしょう。(笑)
「ではどうやって折伏するんだ?」そう思ったあなた、それが思考停止です。
上記は、今の時点の私の考えです。
少しずつ変わっていくかもしれませんし変わらないかもしれません。
以上。
'08.06.03 誤記訂正
○そううそさんは今、何かを信仰していらっしゃいますか?
いいえ。
ほんの数ヶ月前までは原始仏教は「学ぼう」という興味だけがありましたが信仰する気持ちはありませんでした。今では原始仏教にも「学ぼう」という興味や意欲もそして当然、信仰心もありません。ブログを書くのに必要を感じれば読書はするでしょう。
実家の宗教には従う気持ちはあります。特に実家の宗教に学会員時代と同等の興味や意欲、信仰心などがあるわけではありません。でも自分が親に結果として反抗する形でカルトに入って迷惑をかけたので自分としては実家の宗教に従うのは当然のような気持ちです。形式だけで十分であり仏壇やお墓の前で念仏を唱え祖先や身近になくなった人に「祈る事は出来ます」からそれで十分だと考えています。親に反抗するつもりで入信したわけではありませんが、現在から見れば結果的に、ということです。
○でも仏教、「仏」陀の「教」えを書いているじゃないですか?
「友を作る事が仏道修行の全て」などなど、今後も必要に応じて仏教思想を書く事はあるでしょう。
自分の感覚では「友を作る事が仏道修行の全て」というのは次のような感じです。
「現代人にとって友を出来るだけ多く作る事は自分の人格形成や幸せのためでしょう。
現代で幼い子供を持つ親が”お友達は大事にね、仲良くね、”と言うのと同じです。
もちろん私はいい年した大人なんですから友人の取捨選択はします。」
ですから特定宗教組織にいない現代人の私にとって友を作る事は「仏道修行」とか「全て」ではないでしょう。
「友を作る」という仏陀の教えが宗教的であり理想的であり良い事であるのは言うまでもないと思います。
☆補足。
私事ですが、過去仲の良かった人で喧嘩したまま、誤解したまま、仲違いしたままの人が数人います。
条件がある程度でも満たせば話し合いや和解することは全く構いません。
学会問題を取り扱うHP、BBS、ブログで本質的な問題は何か?
立場や考えが違うだけで喧嘩、誤解、仲違いはまるで学会と宗門のようです。
○どうして創価学会、友岡氏の書籍を紹介するのですか?
学会を全肯定したり認める為に紹介していません。
原始仏教の思想と学会の思想が正反対である事が重要です。
もう一つ、学会員はMCされて「他宗教の本を読む事が出来ない人、嫌悪感を感じる人」がいますから友岡氏の書籍を紹介する事に意味はあります。
例えば、「友を作るという仏陀の教え学ぶ」為に友岡雅弥氏の書籍が気に入らなければ、中村元氏の「ブッダ神々との対話―サンユッタ・ニカーヤ」でもその他の阿含経の書籍でもいいでしょう。
過去記事に書いた書籍も参考にして下さい。
原始仏教 (広済寺ホームページ)
雑阿含経、阿含経、サンユッタ・ニカーヤ
☆補足
私事ですが、色々な人のHPを自分のPCに保存していますが、今でも時々、LibraさんのHPを読みに行ったりします。
色々なサイトを読んで色々な意見や思想を知る事が重要かと思います。
○私はどうしたらいいのでしょうか?
創価学会や顕正会、日蓮正宗をやめるかどうかは最終的にはご本人で決めるしかないと私は思います。
直ぐに退会できる人はともかく家族の状況次第、学生の人は無理でしょう。
過去記事を参照して下さい。
リンク集にかいた相談窓口、あるいはネット上で自分と似た立場の人と話し合うのも良い事かと。
○止めない場合、信仰の基準やアドバイスはありますか?
他人に迷惑かけたり嫌がらせをしたり嘘をつくのがいけない事でしょう。
ここまでは誰もが賛成すると思います。
特に日蓮正宗系の人は教義や学会や顕正会などの精神を理解できない相手を見下したり怒ったりすることもそうでしょう。
ではどこから何処までが「嘘」や「迷惑」なのでしょうか?あるいはMCもそうでしょう。
ここからはあくまでも退会者の私の意見です。
日蓮正宗系はこれだけ数多く教義が変わっているのに、なおかつ嘘、迷惑、ごまかしが多いと私は考えています。
過去記事を参照して下さい。
○その根拠は?
法華経は非仏説であり五時八教も誤った解釈でした。
日蓮は純粋な仏教僧侶ではなく神道や密教の影響を受けた僧侶であり人間でした。
日蓮は御本仏という超越した力(宇宙生命など)の持ち主ではありません。
大御本尊も嘘であり、日興も日蓮の唯受一人の弟子ではありませんでした。
南無妙法蓮華経も翻訳された言葉でしかなく、仏陀が現代の日本語で「みょうほうれんげきょう」(妙法蓮華経)ともサッダンマプンダリキヤスートラとも言ってないでしょう。
当然ですが、「なむみょうほうれんげきょう」の題目は現代の日本語訳された言葉ですから、宇宙のリズムでもないでしょう。
ここも過去記事の通り。
どれもこれも人間の考えた思想や解釈、教典も教典に書かれる言葉も本尊も人間の作ったモノでした。
16,7年学会にいた私に全く不足していたのは原始仏教や日蓮遺文の真筆、偽書、真偽未決の概念でした。
やはりこうした事の勉強が必要でしょうし、他にも仏教の歴史、日蓮の人物像、日蓮の教義、etcetcこれらを出来るだけ客観的に見る必要があるかと。
例えばLibraさんのサイトは参考になると思いますが、Libraさんが無謬ではないし、絶対ではないでしょう。
絶対ではないのですが、学会の基本的な教学は中身が無く幼稚でLibraさんや原始仏教とは全くベクトルが異なっているのは今の私にもよく分かります。
創価学会の場合、学会都合で部分的に経文や日蓮遺文、あるいは偽書を悪用しているのは過去記事の通り。
○では宗教的な部分はないのでしょうか?あるならばそれはどの点か?
正宗、学会では宗教は学べないとして、では宗教的な部分はどの点か?
原始仏教>法華経(≒小乗、大乗系その他の経文)>>>>>>>>>>>>>日蓮遺文(日蓮は人ですからね。)
私の中ではこんな感じ。正宗、学会、顕正会はカルトなので論外。
日蓮も良い人だったけど思いやりや人の良さしか通用しないのでは?と考えています。
正しく、とは私はあまり言いたくありません。
カルト的でなく、(出来るだけというよりも)「よりケースバイケースに」でしょうか?
無数にある選択肢の内の一つとして、より宗教的に勤行、唱題、布教出来てその結果として良き人になれれば、変われれば、いいのかもしれません。
勤行、唱題を全否定していないのは過去記事の通りです。
勤行、唱題、布教、本尊が毎日必須とは全く思えません。全くです。
なお、折伏という言葉や思想も私は否定的になりつつあります。
上の行で「布教」と書きましたが、学会教学では矛盾がありすぎて布教には向かないでしょう。
池田精神、学会精神でも全然駄目だと考えています。
池田氏も学会本部も無責任、嘘つきの臆病者でしょう。
法華経精神を原始仏教の語り口やアプローチなら大丈夫かもしれない、これも過去記事239番を読んで下さい。
239.教えや内容が宗教ならば日蓮本尊に祈っても問題ないかもしれない
仮に現世利益を求めてもいいでしょうし、その人の自由でしょう。
宗教的に現世利益を求めるのとカルト的に現世利益を求めるのは180度違うと考えています。
これも記事に出来るかもしれません。
○私は学会に入って幸福体験があります。
良かったですね。一々、私(そううそ)にメールをしたりコメントを書く必要はないでしょう。
学会員の幸福でも幸福の事実は認めます。本尊や題目による呪(まじな)いの力が理由でないと私は考えています。
私、そううその入信前の幸福や退会後の幸福は幻でしょうか?
あなたが幸せを「感じる」「感じた」のと同様に言葉の上では私も幸せを「感じる」のです。「感じた」のです。
相対的幸福は過去記事に反論してあります。相対も絶対も基本的にその人の主観でしかありません。
○学会批判をする創嘘が許せません。
あくまでも曖昧な言い方しかできませんが、ある程度まではお互いの喜怒哀楽を認める必要があるかと。
逆にお互いに無理して認める必要もないでしょう。
池田氏も日顕を許すな!って言ってますよ?(笑)
学会批判をする創嘘が許せない学会員はいるでしょう。
その反対に学会肯定する人を許せない人がいても不思議ではありません。
私の経験上、ただ単に祈りが叶わない事、幸福になれなかった事も問題ですが、嘘を教えられ嘘を人に言わせた事、その上で時間とお金を搾取された事は許す気はありません。
コマーシャルにもあるけど人間関係や友情、信用ってpricelessです。お金で取り戻せません。
ブログを続けている理由は01番記事の通りです。
○布教(折伏)の際における他者否定。自己正当化の為の誹謗中傷。
また法華経には他者への暴言、誹謗中傷してはいけないと書かれています。Libraさんのコメントどおり。
ところが昔から日蓮正宗系は自己正当化の為の暴言、誹謗中傷が多いです。
学会は正宗を誹謗中傷して正宗は学会を誹謗中傷しています。ネットでもリアルでも。。。。
例えば「学会が間違っているから正宗は正しい。」というカルトな思想です。
幸か不幸か本尊については本尊に祈る側の人、本尊を受け取る人の気持ちの問題のようですから日寛本尊でも日顕氏の本尊でもコピー本尊でもビニール本尊でも構わない人は構わないのでしょう。
私の場合は大御本尊は本物、他宗は邪宗教、必ず祈りは叶うとMCされて創価に入信して他者に折伏したので仮に学会が全てを認めて謝罪しても許す気にも他宗教を信仰する気にもなれないです。
原始仏教の時代から様々な宗教において人は雰囲気や威厳、権威主義、嘘やごまかしで騙してきたのは理解していますが、私にとって失った時間やお金や人間関係があるので無理でしょうね。
布教(折伏)の際における他者の宗教や思想の否定は今後、世間一般で通用しないでしょう。
あるいは 今後は世間一般で通用しない事を願っています。
日蓮正宗と学会と顕正会など、正宗系だけで通用すればいいでしょう。(笑)
「ではどうやって折伏するんだ?」そう思ったあなた、それが思考停止です。
上記は、今の時点の私の考えです。
少しずつ変わっていくかもしれませんし変わらないかもしれません。
以上。
'08.06.03 誤記訂正