【首相靖国参拝】公明・山口代表「今後の問題考えると残念」 - MSN産経ニュース
【首相靖国参拝】
公明・山口代表「今後の問題考えると残念」
2013.12.26 13:01
公明党の山口那津男代表は26日、安倍晋三首相の靖国神社参拝について「靖国参拝が政治問題、外交問題を引き起こすから賢明に対応した方がいい、避けた方がいいと繰り返し言ってきた。にもかかわらず参拝したことが今後、引き起こす問題を考えると残念だ」と批判した。
価値[再]創造 : 学会の歴史(昭和17年-3/3) より引用
1942(昭和17)年 (3/3)
【学会】、『大善生活実証録』(創価教育学会第5回総会報告)発行。
「神社問題」について、座談会における牧口会長指導を収録する。
この問題は将来も起ることと思ふから、此際明確にして置きたい。吾々は日本国民として無条件で敬神崇祖をしてゐる。しかし解釈が異るのである。神社は感謝の対象であつて、祈願の対象ではない。吾々が靖国神社へ参拝するのは『よくぞ国家の為に働いて下さつた、有難うございます』といふお礼、感謝の心を現はすのであって、御利益をお与へ下さい、といふ祈願ではない。もし、『あゝして下さい、かうして下さい』と靖国神社へ祈願する人があれば、それは恩を受けた人に金を借りに行くやうなもので、こんな間違つた話はない。 天照大神に対し奉つても同様で、心から感謝し奉るのである。独り天照大神ばかりにあらせられず、神武以来御代々の天皇様にも、感謝奉つているのである。 万世一系の御皇室は一元的であつて 今上陛下こそ現人神であらせられる。即ち 天照大神を初め奉り、御代々の御稜威は現人神であらせられる 今上陛下に凝集されてゐるのである。されば吾々は神聖にして犯すべからずとある『天皇』を最上と思念し奉るものであつて、昭和の時代には、天皇に帰一奉るのが国民の至誠だと信ずる。 『義は君臣、情は父子』と仰せられてゐるやうに、吾々国民は常に天皇の御稜威の中にあるのである。恐れ多いことであるが、十善の徳をお積み遊ばされて、天皇の御位におつき遊ばされると、陛下も憲法に従ひ遊ばすのである。即ち人法一致によって現人神とならせられるのであつて吾々国民は国法に従つて天皇に帰一奉るのが、純忠だと信ずる。天照大神のお札をお祭りするとかの問題は万世一系の天皇を二元的に考へ奉る結果であつて、吾々は現人神であらせられる天皇に帰一奉ることによつて、ほんとうに敬神崇祖することが出来ると確信するのである。またこれが最も本質的な正しい国民の道だと信ずる次第である云々。
我々は決して寺を遠のけとは言わない。寺を離れたら原理を失ふことになり日蓮正宗でなくなる。是だけが正宗で他はすべて邪宗であります。鉛や銅と金との対比が云はれるがさうではなくて、毒と薬との区別がある様に正法と邪法とは本札と偽札との如く、全く反対に考へねばなりません。同じ日蓮宗でもかう区別しなげればならない。そうなると似せれば似せる程却って悪くなる。本札に似でゐればゐるほど世間を欺く害は大であるから
以下、省略
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「吾々が靖国神社へ参拝するのは『よくぞ国家の為に働いて下さつた、有難うございます』といふお礼、感謝の心を現はす」
といって牧口常三郎氏は神社参拝を肯定しています。行くな、とは書いていません。(靖国神社へ参拝せずに感謝すればいいというのは見当違いでしょう。)それどころか牧口氏は当時の国家体制の肯定までして、次のように書いています。
「天照大神に対し奉つても同様で、心から感謝し奉るのである。独り天照大神ばかりにあらせられず、神武以来御代々の天皇様にも、感謝奉つているのである。 万世一系の御皇室は一元的であつて 今上陛下こそ現人神であらせられる。即ち 天照大神を初め奉り、御代々の御稜威は現人神であらせられる 今上陛下に凝集されてゐるのである。」
師匠に師弟不二するより、どちらかといえば宗教否定の中国が大事なんだって。日本の国会議員のくせに。こういうのを売国奴っていうんじゃないですかね?
以上。
【首相靖国参拝】
公明・山口代表「今後の問題考えると残念」
2013.12.26 13:01
公明党の山口那津男代表は26日、安倍晋三首相の靖国神社参拝について「靖国参拝が政治問題、外交問題を引き起こすから賢明に対応した方がいい、避けた方がいいと繰り返し言ってきた。にもかかわらず参拝したことが今後、引き起こす問題を考えると残念だ」と批判した。
価値[再]創造 : 学会の歴史(昭和17年-3/3) より引用
1942(昭和17)年 (3/3)
【学会】、『大善生活実証録』(創価教育学会第5回総会報告)発行。
「神社問題」について、座談会における牧口会長指導を収録する。
この問題は将来も起ることと思ふから、此際明確にして置きたい。吾々は日本国民として無条件で敬神崇祖をしてゐる。しかし解釈が異るのである。神社は感謝の対象であつて、祈願の対象ではない。吾々が靖国神社へ参拝するのは『よくぞ国家の為に働いて下さつた、有難うございます』といふお礼、感謝の心を現はすのであって、御利益をお与へ下さい、といふ祈願ではない。もし、『あゝして下さい、かうして下さい』と靖国神社へ祈願する人があれば、それは恩を受けた人に金を借りに行くやうなもので、こんな間違つた話はない。 天照大神に対し奉つても同様で、心から感謝し奉るのである。独り天照大神ばかりにあらせられず、神武以来御代々の天皇様にも、感謝奉つているのである。 万世一系の御皇室は一元的であつて 今上陛下こそ現人神であらせられる。即ち 天照大神を初め奉り、御代々の御稜威は現人神であらせられる 今上陛下に凝集されてゐるのである。されば吾々は神聖にして犯すべからずとある『天皇』を最上と思念し奉るものであつて、昭和の時代には、天皇に帰一奉るのが国民の至誠だと信ずる。 『義は君臣、情は父子』と仰せられてゐるやうに、吾々国民は常に天皇の御稜威の中にあるのである。恐れ多いことであるが、十善の徳をお積み遊ばされて、天皇の御位におつき遊ばされると、陛下も憲法に従ひ遊ばすのである。即ち人法一致によって現人神とならせられるのであつて吾々国民は国法に従つて天皇に帰一奉るのが、純忠だと信ずる。天照大神のお札をお祭りするとかの問題は万世一系の天皇を二元的に考へ奉る結果であつて、吾々は現人神であらせられる天皇に帰一奉ることによつて、ほんとうに敬神崇祖することが出来ると確信するのである。またこれが最も本質的な正しい国民の道だと信ずる次第である云々。
我々は決して寺を遠のけとは言わない。寺を離れたら原理を失ふことになり日蓮正宗でなくなる。是だけが正宗で他はすべて邪宗であります。鉛や銅と金との対比が云はれるがさうではなくて、毒と薬との区別がある様に正法と邪法とは本札と偽札との如く、全く反対に考へねばなりません。同じ日蓮宗でもかう区別しなげればならない。そうなると似せれば似せる程却って悪くなる。本札に似でゐればゐるほど世間を欺く害は大であるから
以下、省略
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「吾々が靖国神社へ参拝するのは『よくぞ国家の為に働いて下さつた、有難うございます』といふお礼、感謝の心を現はす」
といって牧口常三郎氏は神社参拝を肯定しています。行くな、とは書いていません。(靖国神社へ参拝せずに感謝すればいいというのは見当違いでしょう。)それどころか牧口氏は当時の国家体制の肯定までして、次のように書いています。
「天照大神に対し奉つても同様で、心から感謝し奉るのである。独り天照大神ばかりにあらせられず、神武以来御代々の天皇様にも、感謝奉つているのである。 万世一系の御皇室は一元的であつて 今上陛下こそ現人神であらせられる。即ち 天照大神を初め奉り、御代々の御稜威は現人神であらせられる 今上陛下に凝集されてゐるのである。」
師匠に師弟不二するより、どちらかといえば宗教否定の中国が大事なんだって。日本の国会議員のくせに。こういうのを売国奴っていうんじゃないですかね?
以上。