創価学会の信仰に功徳はあるか?

コメントする人は「01.創価学会の信仰に功徳はあるか?を書く前に」を読んでね。

「日本会議」憲法改正派の集会に公明党、斉藤鉄夫幹事長代行が出席。

2017年03月31日 02時05分49秒 | 公明党
「日本会議」系が集会、改憲へ気勢 国会議員ら700人:朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASK3Y4VQMK3YUTFK00H.html
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「美しい日本の憲法をつくる国民の会・中央大会」の最後に、壇上で「勝ちどき」をあげる国会議員ら=29日午後5時42分、東京・永田町、越田省吾撮影

 運動団体「日本会議」が主導する憲法改正派の集会が29日開かれ、各党に改正原案の国会提出を求めていく、とした今年度の運動方針を採択した。優先する改憲項目として「緊急事態条項の新設」と「自衛隊の存在明記」を挙げた。

 集会は「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が主催。東京都内で開かれ、関係団体などから約700人が参加。自民党の古屋圭司選挙対策委員長や下村博文幹事長代行のほか、民進、日本維新の会などから国会議員計41人が参加した。

 公明党からも斉藤鉄夫幹事長代行が出席。「何より大事なのは各党合意。少なくとも野党第1党が入る形で大きな国民合意を得て、1回目の国民投票は必ず実現させる」とあいさつした。日本会議によると、同会議系の改憲集会で、公明議員が登壇するのは初めてという。

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創価学会本部の人々は、邪宗であるはずの日蓮宗の季刊誌を今でも買っていたり、過去にはJSCPR勉強会に学会幹部が来たりしています。
良い悪いを短絡的に、感情的に判断するのではなく、注視が必要です。
それは公明も同じで、田中角栄が生きていた頃、仏敵であるはずの自民党と裏ではつながっていた事実があります。

例えば10年後あたりに、お互いに取り込むのか取り込まれるのか、癒着するのか離れるのかどうかを見ていく必要があります。
将来的に自民がダメになった時に、公明党が与党側であるがためだけの長期戦略の一つ、あるいは情報収集のパイプを作った、ということなのでしょう。

中国、韓国、北朝鮮にこそ日本の憲法9条を輸出し「余計な軍事力」や侵略力をなくし(日本同様、最低限の軍事力にすれば)、全ての問題は解決します。
それを一切、訴えもしないのが、創価公明です。

以上


390.山口那津男「公明が与党ならば改憲はない。だから公明に投票しろ」 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
384.池田大作は長年、政教分離を考察し「国民の要望を受け入れる」という2つのウソ。 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
学会員「安保撤回」の署名提出 公明党「会うことはない」 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
「公明党に失望」平和学の世界的権威ガルトゥング博士が批判―池田大作氏に公開書簡 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?

362.中国にも集団的自衛権にも無力な創価公明 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
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民間外交?

創価学会と中国の外交は民間外交。先に書いたとおり、ベトナム、中国間で民間人の死者がでており、中国に民間外交をする気はないと思われる。創価学会の根幹となる思想であり、また池田大作が主張してきた宇宙生命論、平和主義に真っ向から対立している。
学会にとって中国は池田大作を軽んじている、裏切り者とも言える。今までの中国からの賞賛は何だったのか?ということ。
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平安、鎌倉時代は現在より温暖だったのだろうか?

2017年03月28日 23時20分31秒 | その他
<藤原定家>日記の「赤気」はオーロラ 極地研などが解析 (毎日新聞) - Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170322-00000042-mai-sctch
毎日新聞 3/22(水) 13:40配信

 平安・鎌倉時代の歌人、藤原定家(1162~1241年)が日記「明月記」に書き残した「赤気(せっき)」という現象は、太陽の異常な活発化によって京都の夜空に連続して現れたオーロラだった可能性が高いと、国立極地研究所や国文学研究資料館などのチームが米地球物理学連合の学術誌に発表した。連続したオーロラの観測記録としては国内最古という。

 明月記には、1204年2~3月にかけて、京都の北から北東の夜空に赤気が連続して現れ、定家は「山の向こうに起きた火事のようで、重ね重ね恐ろしい」と書き残している。

 オーロラは太陽から噴き出した高エネルギー粒子が、地球の大気を光らせる現象。北極や南極などで観測され、京都で連続して発生することは考えにくい。赤気の現象が何を指しているかは長年の謎で、彗星(すいせい)説もあった。

 片岡龍峰(りゅうほう)・極地研准教授らのチームが過去2000年の地磁気の軸の傾きを計算した結果、北米大陸方向に傾いている現在の軸が1200年ごろには日本列島側へ傾きオーロラが出現しやすい時期だったことが分かった。また、中国の歴史書「宋史」の同2月の記録に「太陽の中に黒点があり、ナツメのように大きい」と書かれているのに着目。太陽活動が活発化していた可能性が高いと分析した。

 太陽の活動が活発化するとオーロラが発生しやすくなるといい、宋史にも900~1200年代に赤いオーロラの観測例が十数件記述されているという。屋久杉などの年輪に残る太陽活動の痕跡と照合した結果、オーロラが観測された年と太陽活動が活発だった年がほぼ一致したという。【阿部周一】
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平安、鎌倉時代は現在より温暖だったのでしょうか。
もちろん冬の気候はあったでしょうが、現代人が日蓮の佐渡流罪の法難を思うときに極寒の流刑地というイメージが有ります。もしかすると我々が思うよりも暖かかったのかもしれません。
屋久杉などの年輪などから分かるのかもしれませんね。

何かの書籍で、当時の気候について読んだ記憶があります。
山中 講一郎 の日蓮自伝考あたりだったかもしれません。気が向いたら再読したいです。

以上
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393-25.撰時抄(下) 御書全集(昭和29年再版)誤記 その18-1

2017年03月24日 00時58分14秒 | 日蓮系遺文
撰時抄 (全集二七四ページ)

昭和29年と平成27年(2015年の第二版)の御書全集と編年体を比較済み。

1.「なづけたり」「さだめたり」と御書全集と編年体で異なっています。

サムネイル画像
撰時抄
左が編年体(昭和49年、西暦1974年)、右が平成27年(2015年の第二版)の御書全集。



昭和29年再版は、もちろん「さだめたり」。

すぐ横もおかしいです。

彼の往生要集には顕密の教法は〜      御書全集(平成27年、2015年の第二版)
かれ往生要集にかかれたり。顕密の教法は〜 編年体(昭和49年、西暦1974年)、


2.まとめ

 もう呆れるというか、失笑というか、酷すぎます。
日蓮さんが「さだめたり」と誤ったのか、後々の写本が「さだめたり」としたのかもしれません。
どちらでもおおよその意味はとれますし、どちらでも日蓮さんの大きなミスとは言えません。

しかし遺文作成としては重大な問題であり、昭和定本は履歴を明記した上で「なづけたり」と修正されています。
昭和定本が修正されていることから、おそらくは「なづけたり」が正しいのでしょう。
御書全集が未だに修正されていない点は、もう呆れるというか、失笑というか、酷すぎます。

編年体の初版は1973年、5刷は1974年です。2017年の今も御書全集には誤記があり「44年間も」ずっと放置されているのです。

仮に、編年体が間違っていれば、元になった聖教文庫版は一体どこから本文を盗用して持ってきたのか、という新たな疑惑が出てきます。
編年体が正しければ、御書全集の初版が出たのは昭和27年西暦1952年(再版は昭和29年西暦1954年)から2017年の今までずっと、修正されていないことになります。

393-5.創価学会版 御書全集(昭和29年再版)誤記 その5 一代五時継図 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
これと同じく、創価学会の御書だけだと、どちらが正しいのか訳が分かりませんね。

ごちゃごちゃというより、メチャクチャでしょう。

もくじ1,2の頃、記事やコメントに頻繁に書いていたのですが、私は学会員について異様な特徴に気が付きました。それは「創価学会員は言動がごっちゃになっている」というものです。
こうした遠因は戸田城聖や池田大作にあるのかもしれません。


本指摘については深く調べていません。
暇があれば、自分の分や50年代等々を調べても良いのですが、その必要もないでしょう。
今の私が優先しているのは、盗用や剽窃の元を探すことであって、学会版御書の個々の間違い探しは、二の次です。
学会本部が苦労すればいいだけです。

今、私がしていることだけでも、本来は学会本部から「深く深く謝罪されて当然」です。また池田大作から末端の会員に至るまで全学会員から、十分に感謝され讃えられるべきことです。戸田城聖の発刊の辞によれば、池田大作よりも原田会長よりも私のほうが師弟不二していることになります。



「撰時抄」
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◯原文 漢字かな交じり文
◯真筆 

◯各遺文ページ数
記載された表現のままにした為、漢数字と英数字で不統一にした。

霊艮閣蔵版 一二一八ページ(一二一九) 「さだめたり」 学会版(昭和29年再版)と同じ
行道文庫版(昭和五九年)
行道文庫版(昭和七年) 一二〇ページ(一二〇)「なづけたり」「かれ往生要集にかかれたり。」
類纂高祖遺文録(大正四年第四版) 「さだめたり」 学会版(昭和29年再版)と同じ
類纂高祖遺文録(大正八年第十一版)「さだめたり」 学会版(昭和29年再版)と同じ

昭和定本 (2003年)1_一〇三一ページ 「なづけたり」「かれ往生要集にかかれたり。」
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以上
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<四国八十八カ所>遍路規制、霊場会の請求棄却 高松地裁

2017年03月22日 19時21分18秒 | 一般仏教
<四国八十八カ所>遍路規制、霊場会の請求棄却 高松地裁 - BIGLOBEニュース
https://news.biglobe.ne.jp/domestic/0322/mai_170322_2440017932.html

<四国八十八カ所>遍路規制、霊場会の請求棄却 高松地裁
毎日新聞3月22日(水)19時1分

 四国八十八カ所巡りの寺院でつくる「四国八十八ケ所霊場会」(香川県善通寺市)が、六十二番札所・宝寿(ほうじゅ)寺(愛媛県西条市)を相手取り、納経時間など霊場会が定めた巡礼規則の順守などを求めた訴訟の判決が22日、高松地裁丸亀支部でありました。小川雅敏裁判長は、霊場会の正会員ではないとする寺側の主張を認め、請求を棄却した。各札所の運営の足並みが今後乱れて観光客が戸惑わないか、懸念の声も出ているようです。

 霊場会は任意団体で、定款では札所の住職が正会員となり、会費の納入義務があり、各札所の納経所を統一的に運営するため、納経の受付時間を年中無休、午前7時〜午後5時と運営要領で定めている様です。しかし、宝寿寺は父の辞任に伴って現住職が就任した2007年以降、納経時間の開始を1時間遅くし、1時間の昼休憩も設けた、とのこと。

 小川裁判長は「霊場会は任意団体であるから加入を強制する法的根拠はなく、住職であることだけで正会員とは認められない」と判断。さらに宝寿寺の住職が入会していたとしても、霊場会に参加しない意思を伝えており、08年12月時点での退会を認めました。納経時間の変更についても「霊場会は定款に基づく義務を主張できず、納経所の運営は各寺院が行うもの」と宝寿寺の立場を認め、未納となっている会費の支払い義務もない、とした。

 霊場会によると、過去に退会した札所はない。代理人弁護士は「事実認定と法令解釈を誤った不当な判決であり、霊場会と協議の上、控訴する方向で検討したい」としている。

 判決について、遍路の活性化を目指すNPO法人「遍路とおもてなしのネットワーク」(高松市)の宍戸栄徳事務局長は「他の札所でも独自の動きがあった時、歯止めがかからなくなる。お遍路さんへの影響も大きい」と話した。【待鳥航志】

 【ことば】四国八十八カ所巡り

 弘法大師・空海ゆかりの寺とされる四国の88の霊場を巡礼する。約1300キロの道のりで年間15万人の「お遍路さん」が訪れるとされる。一番札所は霊山寺(りょうぜんじ=徳島県鳴門市)で八十八番札所の大窪寺(おおくぼじ=香川県さぬき市)までを回りきると結願(けちがん)となる。1番から順に回る「順打ち」以外にも、反対から回る「逆打ち」などがある。

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電話の意思表示だけで、宗教組織から抜けることが出来る事例です。
最高裁まで行くとは思えませんが、高等裁判所でも同じ判決が出るのではないでしょうか?

昔、チョンガーさんもHPで「一言だけでも意思表示をすれば、宗教はやめたことになる。」(主旨)と書いていました。
創価学会でも「日蓮正宗の本尊と教義ではありませんから、創価学会を退会します。」あるいは理由なしで「創価学会を退会します。」だけでも、口頭で言えばやめたことになります。
日蓮正宗でも、「意見を言っただけで、僧侶ですら何人も日蓮正宗から追い出されています。そんな無慈悲な非仏教、非宗教な教団にいたくはありません。」と言えば法華講からすぐに追い出してくれそうです。

宝寿(ほうじゅ)寺(愛媛県西条市)住職が将来的に経営困難になり、廃寺になってもかまわないということでしょうか?お坊さん同士の共同生活や共生の習慣がないから、こんなことになったのでしょうか?もし、そうなら一般仏教の復興を願う私としては、チョット残念な気がします。良いことも悪いこともお互い様なはずなんですがね。
あるいは、たんまりお金を儲けて不自由がないので、お遍路の寺でなくてもやっていけるのかもしれませんね。

以上
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393-24.御書全集(昭和29年再版)中点の問題点 その2

2017年03月21日 00時23分59秒 | 日蓮系遺文
1.注意事項

 本記事は本文でも画像でも全てにおいて引用、転載を一切、禁止します。

本記事はリンクのみ許可します。
ツイッター、フェイスブック、他ツールからでも、本記事に飛べば許可します。

2.中点(・)の特徴

サムネイル画像
御義口伝 薬草喩品 第五


2-1.経典を読む際に4文字ごとに区切って読む場合があるが、何故か音読の読みの区切りに中点(・)を遺文に追加しています。
2-2.ところが、他の御義口伝内の法華経の引用について、音読の読みの区切りに中点(・)を遺文に追加していません。

編集方針はここでもまた不統一。

2-3.2015年の版でも編年体でもほぼ同じですが、なぜか中点が追加されています。

昭和29年再版
我観一切・普皆平等・無有彼此・愛憎之心・我無貧著 亦無眼礙の事
2015年の版
我観一切・普皆平等・無有彼此・愛憎之心・我無貧著・亦無眼礙の事

3.問題点

以下は私の考えであり、皆さんがどう思うかは自由です。

3-1.他の日連系遺文集では、学会と同じ独特の中点をした遺文集は見つかっていません。
3-2.読みやすさのために入れたのかもしれませんが、全く意味不明な謎です。
  法華経の引用部分に中点(・)を入れるなら、他にも中点(・)を入れる必要があると思います。
3-3.2-3、2015年の版で中点が追加されているわけですが、本来は取るべきものでしょう。
  滑稽だと思いますね。笑ってしまいます。

以上
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394-1.編年体(昭和49年 5刷)句読点の問題点

2017年03月14日 01時26分51秒 | 日蓮系遺文
こちらが正しい、394-1.の本文内容です。
もくじのリンク名は正しかったのですが、もくじのリンク先も記事も異なっていました。
大変失礼しました。

編年体(昭和四十九年六月一日 5刷)のナゾ

1.注意事項

 本記事は本文でも画像でも全てにおいて引用、転載を一切、禁止します。

本記事はリンクのみ許可します。
ツイッター、フェイスブック、他ツールからでも、本記事に飛べば許可します。

2.編年体の問題点

2-1.句読点が御書全集と同じで段落毎に句点(。)がある。
2-1.述語の終わりには読点(、)または句点(。)となっている。
しかし、述語の終わりに読点(、)も句点(。)も無く、次の文章につながっている場合あり。

御書全集と同じく、編集上の不統一が存在。

十大部から五大部を除いた遺文。

唱法華題目抄(一三八)
法華取要抄(六〇七)
四信五品抄(九六七)
下山御消息(九九二)
本尊問答抄(一一四九)

十大部から五大部を除いた上記の5つの遺文はなぜか、現代の日本語として問題のある句読点です。

3.問題ないと思われる遺文。

3-1.日蓮宗の各遺文集と同じく、述語ごとに句点(。)がある。

五大部

立正安国論(一五四)
開目抄(四一三)
観心本尊抄(五二七)
撰時抄(七一七)
報恩抄(八八八)

五大部のみ、句読点を直したと思われる聖教文庫版で掲載し、それらを編年体に使ったと思われます。
編年体の凡例に聖教文庫のことが書かれています。
聖教文庫版の五大部は未確認です。

句読点の編集方針が不一致する書籍は他にないのではないでしょうか?

4.まとめ

 創価学会員は白黒二極論な人が多いです。
 編年体五大部の句読点を肯定すると、御書全集と編年体の句読点の大半を否定することになります。
日蓮宗遺文集の句読点を肯定し、正宗の法主だった堀日亨や戸田城聖を否定し師敵対となります。

 編年体の五大部の句読点を否定し御書全集の句読点を肯定すると、日本語や日興上人の否定になります。
 農民や庶民のため、漢字仮名交じり文によってわかりやすい文章を肯定したのが日興といわれています。それをバカにしたのが五老僧だと私は創価学会から習いました。

マインドコントロールって怖いものです。学会内部でこうした異常な遺文の内容にほとんど誰も気がつかなかったのでしょう。

以上

'170314 追記修正

'170326 修正
十代部

十大部
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394-2.主師親御書 編年体(昭和49年 5刷)誤記 その1 

2017年03月13日 00時30分36秒 | 日蓮系遺文
先に編年体の記事を書いておきます。
学会版御書全集の記事は後まわしにします。

主師親御書(編年体 二七ページ)昭和49年6月1日 第五刷

393-2と御書全集と編年体とを比較済み。

昭和58年の御書全集では
「竜女我女人の身を受けて女人の苦をつみしれり」

サムネイル画像



次の写真は創価学会版 御書が霊艮閣蔵版か 類纂高祖遺文録(大正版)のパクリである証拠です。
昭和20年代当時の聖教新聞では日蓮宗を邪宗であると連日のように掲載していました。

以下は393-2の画像の再掲載です。
サムネイル画像


編年体 昭和49年6月1日 第五刷 奥付
サムネイル画像



「主師親御書」(釈尊三徳)
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各遺文ページ数は393-2を参照のこと。
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編年体では、一代五時図も間違っています。393-4を参照のこと。

昭和49年なら46歳くらいな池田大作会長(昭和49年当時)の情熱も不眠不休も全知全能も嘘だったってことですね。
御書全集と編年体で二つの年表の存在がおかしいです。
他は年代によって、あちらこちら修正されています。間違いの元になった経緯や原因は学会本部は知っていたと私は思います。でもなぜか、御書全集も編年体も総チェックはされませんでした。
盗用、剽窃をするくらいですから、いい加減なのは当たり前かもしれません。

以上

393-1

393-2
誤記訂正
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393-23.中点の問題点 その1 御書全集(昭和29年再版)

2017年03月07日 00時37分10秒 | 日蓮系遺文
1.注意事項

 本記事は本文でも画像でも全てにおいて引用、転載を一切、禁止します。

本記事はリンクのみ許可します。
ツイッター、フェイスブック、他ツールからでも、本記事に飛べば許可します。

2.中点(・)の特徴

2-1.学会版は独特の句読点が付いているため、写した者が読点(、)を付けたい箇所で中点(・)が付いている場合がある。
2-2.凡例を見ると、中点(・)が付くルールは名詞の区切りとひらがなを読みやすくする区切りだけ。
2-3.ところが、中点(・)が付く遺文を読むと、凡例を無視してついています。
  あるいは兄弟抄のように、なぜか述語についています。2015年の版でも同じです。

編集方針はここでもまた不統一。

3.問題点

以下は私の考えであり、皆さんがどう思うかは自由です。

3-1.他の日連系遺文集では、学会と同じ独特の中点(・)をした遺文集は見つかっていない。
  全て確認していませんが、他の日連系遺文集は名詞の区切りだけに中点(・)が使われているとおもわれます。発見できていません。私にはたぶん永遠に発見でき無さそうです。学会本部職員が中点(・)を名詞の区切り以外に存在する用例を必死に探し、一個だけか数個見つけて、勝ち誇って下さい。「ざまぁ見ろ!」「学会正義!」「大勝利!」との御連絡をお待ちしております。
なお、日蓮正宗の遺文は未確認です。

3-2.創価は元々、創価教育学会だったのに、子供の教育に良くない。
句読点をつけるルールは厳密にはない。が、中点を述語につけるのはかなり異常だと思います。

サムネイル画像
兄弟抄


画像左上のところで
いうばかりなし・天下のさいにて が指摘です。
いうばかりなし、天下のさいにて 学会の凡例に従うと読点(、)でしょう。
いうばかりなし。天下のさいにて が理想でしょう。

右は2015年の第2版です。
編集方針はここでもまた不統一。

3-3.学会版御書全集は信徒向けの遺文集なのに、これらの特徴は編集方針やルールがなく不適切と思われる。
3-4.読みづらい。

3-5.光日房御書のように頻繁に中点(・)を付けるならば、他の原文漢文を読み下した文でも漢字仮名交じり文でも積極的に付けるのが普通で一貫性が有ります。ところが、そうはなっておらず中点をつけるルールや方針の解釈が不可能です。
なにしろ、ほとんど全ページにわたって、意味不明に有ったり意味不明に無かったりしています。理解できません。

サムネイル画像
光日房御書




光日房御書は間違っているとおもいます。正しくは 而れども未だ許されざりしかば だと思います。

4.まとめ

筆者が一人ではなかった何よりの証拠でしょう。

英文版や現代語訳版では中点(・)は取り除かれていると思います。
英文版や現代語訳版と御書全集は、句読点、中点で一致しないということですね。

創価学会の公式HPで光日房御書を見ると、変な中点がついています。謝罪無く、変な中点は全てそのうちコッソリ消えると思いますから、記念写真をとってはどうでしょうか?(笑)

赤鬼のブログも同じ。書いた人も読んでいる人も可哀想に。。。。
ttp://blog.livedoor.jp/inae_sokagakkai/

満月城岡山の学会版遺文は光日房御書を見ると、変な中点が取り除かれています。
ttp://sgi.daa.jp/

中点の編集方針が不一致し、意味不明な書籍は世界的に見ても学会版御書だけでしょう。
もうこれだけでも断言していいと思います。(笑)
だって原稿を書いた人は、凡例に反逆していますからね。
堀日亨は反逆者それとも退転者っていうんでしょうか?退転写でしょうか?

サムネイル画像
凡例


学会員はきつく批判されるべきではないでしょうか?
特に学会本部職員は謝罪と説明の責任があると思います。

以上

03/07
一部誤記訂正
他に凡例の写真のリンクミスを訂正し、正しい写真にした。
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393-22.句読点の問題点 御書全集(昭和29年再版)

2017年03月03日 00時01分54秒 | 日蓮系遺文
1.注意事項

 本記事は本文でも画像でも全てにおいて引用、転載を一切、禁止します。

本記事はリンクのみ許可します。
ツイッター、フェイスブック、他ツールからでも、本記事に飛べば許可します。

2.御書全集の句読点の特徴

 御書全集の句読点が特殊で段落毎に句点(。)がある。
段落最後の述語の終わりにだけ、句点(。)となっている。
他の述語は読点(、)がつく場合がある。
あるいは読点(、)も句点(。)もなく、述語がそのまま次の文章につながっている場合がある。

3.問題点

3-1.他の文献などに引用した時に、最後が読点(、)になるか読点(、)を無視する必要がある。
3-2.日蓮の文章の理解が、おかしいと思われても仕方ない。述語が理解できない日蓮だったということになる。
3-3.御書全集の句読点だと、日蓮が経典(述語)を理解していないと誤解される。
3-4.他の日連系遺文集では、学会と同じ独特の句読点をした遺文集は見つかっていない。
昭和7年の行道文庫、大正の類纂高祖遺文録、昭和初期の霊艮閣蔵版、等々。
(日蓮正宗の遺文は未確認。)
3-5.創価は元々、創価教育学会だったのに、子供の教育に良くない。
3-6.学会版御書全集は信徒向けの遺文集なのに、これらの句読点の特徴は編集方針やルールがなく不適切と思われる。
3-7.読みづらい。

4.まとめ

 御書全集の句読点の問題は全ページにわたって存在しています。

皆さんがどう思うかは自由ですが、御書全集は2015年最新版でも欠陥品、未完成品だと私は考えています。
マインドコントロールって本当に怖いですね。
2017年1月下旬まで句読点の問題に全く気が付きませんでした。

補足
 顕正会で既に学会版御書全集の句読点と段落の問題点について指摘しているようです。しかし具体的な問題点の内容に触れていない為か、不明瞭です。
日蓮宗の遺文を提示出来なかったため、具体的に言及できなかったのでしょうか?

以上

コメント (3)
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