創価学会の信仰に功徳はあるか?

コメントする人は「01.創価学会の信仰に功徳はあるか?を書く前に」を読んでね。

某SNSのメモ 宗教の話を聞く側の「人」、救われる側の「人」7

2010年05月22日 18時01分22秒 | 創価学会
http://sougakusalon.blog.shinobi.jp/Entry/148/#comment
こんにちは。
みなさん

>公明がイラク戦争に賛成したのは大量破壊兵器を
イラクが保持している
>ナゼ戦争に賛成したのかを会員に理解して貰う為
>婦人部のおばちゃん連中がワイのワイの
大アピールしていた。
>まるで自分がイラクにまで行って破壊兵器を
見つけてきたような勢い

>答えは大量破壊兵器があるだろうとウワサが
あるから創価も仕方なく賛成

冬柴氏の発言を思い出して欲しいのですが、NHK
「日曜討論」で「戦争反対は利敵行為」発言をして
ましたね。

大量破壊兵器の所持だけで「敵」なんですから
笑っちゃいますね。

イラクの大量破壊兵器は具体的な兵器名は出てきません
でした。
大量破壊兵器の分類は難しいですが、所持しているのは
池田超先生の大好きな中国、北朝鮮でしょう。
アメリカ、ロシアだって所持しているでしょう。
各国は核や化学兵器は「厳然と」(笑)所持していて、
これらは査察せずとも「絶対」に「事実」かと。

問題なのはアメリカの敵かどうかだけですね。

創価学会の一部分である公明にとって明確な敵ではなく
平和の理念を捨ててアメリカや自民、政治状況に従った
だけで、絶対平和なんてどこにもありませんでした。
平和の理念は大量破壊兵器の大量か少量かの問題では
なく、戦争は人間を殺傷することです。
生命の尊厳でもありません。

私のブログでもさんざん書いている
「言っていることとやっていることが違う」という
事例です。

アメリカは劣化ウラン弾を使用しています。

なお仏教や日蓮の理念を捨て学会がアメリカに
服従した事実は過去にもあります。

過去、イラクと日本の関係はよかっただけに結果として
日本全体がアメリカへの必要以上な服従をしたのは
失敗だったと私は考えています。

イラクでは15歳くらいの少女がテロをするわけですが、
テロは問題だとしても「より」服従や依存の少ない
「より」自立ある信仰心を持っているのは彼らの方なの
かもしれません。

そううそ
ではでは

http://sougakusalon.blog.shinobi.jp/Entry/152/
無題
>トニーさん
はじめまして。
「そううそ」といいます。

>少なくとも牧口・戸田の両氏には「戦中のファシズムに思想的な反抗をした」という史実

牧口常三郎が不敬罪で逮捕されたのは事実ですが、
国策としての天皇のあり方に反対した為であって
創価学会、及び牧口氏は戦争には賛成し、戦争勝利や
兵士の無事を祈る会合も開いています。

警察などによる監視があったのも事実ですが、戦争には賛成しています。
戦争に賛成した事実は検索すればネットにもあると思います。

牧口常三郎全集で初版を探して読んでみてください。
たしか第1巻~第5巻にあるはずです。
学会の書籍は版を重ねて大きく書き換えられているのが
ほとんどですから初版がいいと思います。

全国でなくても一部で焚書もしているそうです。

当時の日本をファシズムと捉えていいのかは
戦後のアメリカ主導の日本人に対する教育を考察すると、
一方的に日本が悪いかのような印象には疑問があります。

2010.06.12 14:40 Posted by そううそ | Edit

無題
トニーさん
こんばんは。

>貴兄のブログへリンクしたことがある
>初対面という感じがしないのですが(絡んだことありませんでしたっけ?)。

失礼しました。
はじめてだと思ったのは私の勘違いだったみたいですね。(^_^;A

>牧口氏が戦争に部分的に賛成していたという話は聞いたことありますね。

そうでしたか。失礼しました。
トニーさんが学会批判コメントをしているのは
理解していたのですが、バリ活や混乱の中にいる
学会員にとっては誤解を生みやすい点なので
補足させて頂きました。

>入手してまで知りたいという欲求がない

それでいいとおもいます。

>仮にしたって彼らは絶対に認めないでしょうから

同感です。
どうしようもない人が大勢いて、
相手にするのは時間の無駄ですからね。

ではでは
そううそ
2010.06.13 00:00 Posted by そううそ | Edit

http://sougakusalon.blog.shinobi.jp/Entry/161/#comment

現代人に役に立ちやすく実践しやすい
こんばんは
トニーさん

そううそです。

>心理学者の斎藤学さんが書いた「家族という名の孤独」や「アダルトチルドレンと家族」などを読み、“機能不全家族”というロジック

斎藤学さんの本は私も数冊読んでいます。
現代人にとっては役に立ちやすく実践しやすいのが心理学ですね。
(仏教学なんて坊さんすら実践していませんからね。(笑))

私の場合は癒し系の本を時々、思い出しては
チラ読みしての~~~んびり、ゆ~~~っくりとやっています。(^^)/
心の傷を癒すカウンセリング366日
西尾 和美 (著)

>ドイツの精神分析家アリス・ミラーの書いた「魂の殺人」
>親が子を虐待し、その心を隷属化してしまうプロセス
>カルトが信者の心を盗んでしまうプロセスには、何か似ている

ご紹介、どうもです。早速探してみます。
他にもあれば教えて下さいね。

ではでは
そううそ
2010.08.25 23:01 Posted by そううそ | Edit

コメント (3)
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305.親子間の人間関係について

2010年05月02日 10時02分34秒 | 創価学会
 数日前、母方の親族が亡くなり実家に帰っていました。

今まではいつものことだったのですが、帰ればたいていは両親と喧嘩する一時がありました。
ところが今回は両親と喧嘩も全くせず、親から不健全な会話(要求みたいなもの)もありませんでした。
実家での会話はごくごく自然な会話だったかと思います。
私からも両親の持病を労るような自然な会話が口に出てきました。

今回の記事は過去記事を裏付る様な形になると思います。

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263.入信者には親よりもカルトメンバーに信用がある!?(その1) - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/6a702f53c623d3db2dc765a033d3277b

>今振り返ってみると、私への親の会話は小言ばかりで、 ”ありきたりの日常会話” に欠けていたと思います。
>ようやく最近になって親との会話が普通になりつつ?あるのかもしれません。
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以前からそれとなく時々書いてきたので、心理学や患者とその家族の言動が書かれている書籍(カウンセリング学ではない)を読書した人や一般の人でも人間に対する観察眼に優れている人にはわかると思うのですが、私や私の両親には不健全な心理構造が見え隠れしています。
もちろん私も親も100%不健全の固まりだとは言いません。
当然、健全不健全の心理は日常において言葉や態度というアウトプットとして現れます。
親の不健全と日々接するのが私の日常だったわけです。つまりは両親の健全不健全が ”自然”や”当然” だったのです。
一家に血縁でない2組の夫婦がいるとか普通はありませんし、比較対象もありませんでした。
私が感情や情報などを操作されるマインドコントロールを受けてしまい、学会を信じるより他になかったとはいえ、私自身が池田大作氏や末端学会員、日顕氏の不健全さを見抜けなかったという事実があるわけです。
創価学会をセクト、カルトとレッテル張りをするかどうかは本記事では別問題です。

見抜けなかったということ、つまり親の不健全から影響を受けた私の心理や人格
これと
池田大作氏や末端学会員、日顕氏や法華講員の不健全さ
これらは共通項があるようです。


●問題があると私が思う不健全、不自然な要求

 では共通する不健全とはどんな内容でしょうか?

創価学会員の親兄弟から不健全、不自然な要求があると思います。

新聞読みなさい、勤行しなさい、活動しなさい、信心しなさい、先生について行きなさい、
新聞啓蒙しなさい、公明を応援しなさい

これらは信心や信仰による功徳を得て境涯革命により祈願したことを叶えることが出来る、
つまりは
幸せになることが出来る
というものです。
幸せになることが出来る、だから○○しなさい。

私の両親も
◇◇◇になることが出来る、だから○○しなさい。
という要求が実に多い親でした。(一応過去形にしておきます。)

 価値観の違いと言ってしまえばそれまでですが、ネットを見てもわかるとおり盲信というかMCというか信じ切っちゃっています。

●では、私の両親はどうして変わったといえるのか?

 A1.まぁ、なんというか、年をとって丸くなった。。。。
 A2.両親から私に対する過去の失敗をある程度は認めるようになり諦めた。。。。

 親族が亡くなる数日前に父方の親族から両親に問題ある要求があり、ややショックだったみたいです。それで今まで両親から私への要求に問題があったことを再度、少しだけ?自覚出来たのかもしれません。要求する側か?される側か?という点も興味深いです。(B1) 
他者を責める側だったのに学会から責められる側になった矢野氏福本氏と一緒かな。w(あの二人も責任の取り方があると思います。)

○私は具体的にどんなことをしてきたか?

 「◇◇◇になることが出来る、だから○○しなさい。」という要求があると次のようなことをしてきました。

 A3.「○○しなさい。」という要求の際、言い方の問題や怒りの感情があるように見受けられます。言い方の指摘をした。
  過去の経緯を考えると、仕方のないことだとは私自身が理解していますが、親側の言い方はやや自分中心、自分勝手さが見え隠れするのです。心配のある子供よりかは心配のない子供の方がいいに決まっていますので、仕方ないといえば仕方ないのですが。
 「子供の幸せとは何か?」これを考えたり私に具体的に質問するよりも「親側が納得できる子供の幸せ」「親側が安心出来る子供の幸せ」だったりするので、やや自分中心、自分勝手なわけです。
 親が10怒ってきた時に私は3,4,5,6,7,8と押さえて怒るようにはしてきたつもりです。(笑)(^^;)
 20、30という風に倍返ししたら駄目かと思います。
 両親から私への言い方がだいぶ変わってきたのは事実です。
 A1に関連しているかもしれませんが、小さな子供を躾のため叱るかのような接し方を私が大人になっても親が続けてきたせいかもしれません。これは私の推測ですが叱り方もケースバイケース、TPOが必要なのかもしれません。

 A4.上記の2については私から親に対して過去を振り返ってもらう要求をしています。(→A2)
  「あの時、あなた達はこう言ったよね?」「あの時、あなた達はこうしたよね?」

 A5.失敗の回復(リカバリー)を私から親に要求しています。(→A2)
  もちろん私自身、その要求が無理であることは重々承知しています。時を戻したり人生のやり直しが出来れば別ですが無理なことです。
  今まで喧嘩になった場合、全て私が悪いかのような前提に立って話が進み「○○しなさい」という要求を受け入れるのが当然の様な雰囲気があった為、仕方なく要求しています。おかしな要求や怒りを向けられたり、親が被害者であるかのような愚痴がありますが、愚痴を言いたいのはこっちなので(笑)。こういうのはゴメンですから。

 私は親との会話が嫌でもおかしな会話でない限りは「普通に」受け答えするようにはしてきました。

●他にもある共通点。

 ここまで書けば読んでいる人の中には気のつく人がいても不思議ではないと思いますが、日常生活において、私自身に問題ある心や感情のスイッチが存在するのはしばらく前から気がついています。
他にも2,3あります。その結果として、記憶や過去や人などの整頓の仕方の問題、他にも様々な点で考察の順序に問題があるようです。クセみたいなモノですから問題ない場合もあるのですが、このあたりの過程や内容を説明し出すと自分の人生を全て書くぐらいの必要性があるでしょうし、なんとなく理解して頂ければ良いと思います。

親から私に問題ある駄目だしみたいな意識とか問題ある(全否定ではないですが)否定的(拒否的)意識があり、これと関係があるようです。学会員のそれらとは違いますがよく似ているわけです。

 物事や人に対して駄目だしや否定はどこにでもあります。
同様に喜怒哀楽は誰にでもあり、依存も善し悪しがあり、なおかつ世の中のどこにでもあります。説得も世の中のどこにでもあります。健全不健全も”MCのようなもの”も世の中のどこにでもあります。どの組織にも良き人悪き人がいるのと同じです。その割合は違うでしょう。
日本仏教的に言えば 世の中というのは雑多な人がいるだけだ。つまりは雑多な苦悩なんてどこにでもある。(死も誰にでもある。) っていう悟り?みたいなものでしょうか?禅ぽいかもしれません。
日蓮がした四箇格言のような宗教的な否定も似たような否定は歴史的に古今東西どこにでもあるでしょう。変に特別視しないことです。(地獄論の過去記事を参照。創価、正宗がする否定は問題外です。)

 過去記事において、子供が問題団体(カルト)へ1世として入信した場合、やんわりと親にも問題がある、そう書いてきました。私と親の人間関係が改善に向かっている中で考察すると、子供が不健全な人や物(宗教)に共感や魅力を抱くのは親にもその原因がある可能性が高いことはまず間違いないだろうと以前よりも思うようになりました。不健全な人を見抜けないのも同様かと。

 私の父親には未だに親族に必要以上な期待と妄想、甘え(依存)がある気がします。(これは後日の仏教ネタ。B1)父親と親族間の人間関係なので私から(必要以上とは言えても)問題があるとは言えないのです。学会を例にとると池田氏と末端の人間関係は問題大ありで人間関係ですらなく、マトモではないのは明らかです。

 親の不健全言動が無ければ、何より私が冷静であったり不安よりかは安心、安全(健全)なわけです。

 例えばですが、鬱病など心理的な問題がある親が子供を育てると子供に病気が無くマトモでも、不健全の能動側が親で受動側が子供です。
不健全の受動だった子供は日々、そのままそれが”自然”や”当然”として育ち、鬱病などの不健全を能動として持つ異性を好きになったり求めたり、結婚しやすい可能性がある、こう私は考えます。もちろん、正反対の不健全の受動側なパートナーを好きになる可能性もあります。
子供が反抗期などをきっかけにして親の問題や不健全に気がつく場合などは話がだいぶ変わります。
私は医者やカウンセラーではなく素人ですし統計もとれませんが、本屋さんで売られている心理学系の事例を読んで上記のように推測や考察が「容易に」出来るポイントだと思います。
(やはり私は一般人と学会員の結婚はどちらかといえば賛成です。もちろん状況次第ですが。健全さの証拠でもあり未活や脱会の可能性が高くなる。)

●事実としての経過

 パッと思いつきで時間の経過をメモしておきます。

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213.富士門夏季合宿 覚え書き その1 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/1cfb0d92b57c19bf23d73c3834b73b73
2007年09月26日
>□創価学会幹部によると「過去や歴史を振り返らない」
-----------------------

☆JSCPRの勉強会で、創価学会は過去を振り返らない点を明確に文章に記載したのは2007年09月。
過去の教義と食い違う点はわたしのブログでもくじ1の頃から指摘済み。

もう一つ注意点として「過去や歴史を振り返らない」という不健全を持つ学会であることや、心理学の不健全を勉強したのでだんだんと共通点に気がついて私自身の認識や言動が変化していった点です。JSCPRに「自身や親の過去を振り返りなさい」と命令されたことはありません。
☆心理学に本格的に興味を持ったのがはったり特急が荒れ始めた頃'06年末以降だっけ?
(みれいさんBBS、みれい:2007/03/20(火) 12:50:55 )

263.入信者には親よりもカルトメンバーに信用がある!?(その1) - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/6a702f53c623d3db2dc765a033d3277b
この記事を書いたのが
2008年06月15日頃。

☆A3.言い方の指摘をした。
心理学的な意味に気がついて指摘したのは、一年~二年程前?

☆A4.上記の2については私から親に対して過去を振り返ってもらう要求をしています。(→A2)

ボソボソ言えたのは4、5年前くらいから?2000年頃の親の失敗を部分的に言ってはいたのではじめたのはもっと前か?
心理学的な意味に気がついて、しっかりと言えるようになったのは、ここ1,2年?

☆A5.失敗の回復(リカバリー)を私から親に要求しています。(→A2)
ここ2、3年前くらいから?

一年の内に実家に帰るのが2度3度。そのたびにする喧嘩はこの10年弱ぐらいは特に酷かったような。
TELは時々、さすがにTELなので喧嘩はあまりなかったはず。

なんにせよ、自分の言いたい本音や気持ちを100%しっかりと言える自分形成出来るまで物心ついてから30年程かかったということか。
自然な形で自分で自分をコントロールできる、理解できるという意味です。
親からの不機嫌不満のような抑圧ともいえる 「日常の、普段の」 アプローチがあり、これに気がついたのはここ数年だったような。

ちょいとまとめると、、、、
2世3世の人は私よりも大変なはずだけど、数年単位でゆっくり時間をかけてくださいな、、、ってことです。
普段一緒にいた方がいいのか別居がいいのかはケースバイケースだと思います。

親子間の不健全は創価だけでなく一般人だった私にもあり、どこにでもあります。
池田氏、日顕氏、浅井氏など教団や取り巻きがどうしようもない人たちなので被害者から見て余計な問題になっているのは事実ですが。

●注意点

 上記に書いたとおり、私の場合は親に向かって不健全だよ、とか、機能不全家族だよとか、精神的な病気じゃないの?とか人格障害だろ?とかのキーワードは言っていません。
「子供の嫌がることをするのか?」「子供を愛していると目を見て言えるのか?」などは言ったことがあります。
もちろんある程度話が通じている時で「冷静に」言うわけです。
「”あなた(子供)の幸せとは何?”これを親から子供側に具体的になぜ質問しないのか?」でもいいでしょう。

私の親は年が年なので心理学の解説をしても無駄でしょうし、性格はもう変わらないでしょうから。しかし、どうしても駄目なら、カルト(セクト)、JSCPR、心理学などをかいつまんで話す覚悟はありました。
もちろん、比較的若い親だとか、ケースによっては理屈を話してもいいと思います。本人が話して、更に医者に連れて行って医者から同じ話をしてもらってもいいでしょう。
あくまでも参考にしてください、ってことです。

●ほんのちょっと嬉しいこと、ちょっとの希望?

 心理学の勉強を続けているわけですが、私にとっていつか心理学も不要になるとうれしい、、、、
そう思っていたけど、少しは早くなるかもしれません、、、、?

今までは少なくとも親が死ぬまでは必須かも?と思っていたのでね。
自分の言いたいことは言えないといけないので、今度の夏にまた親と喧嘩するかもしれない(笑)けど、今まで自分から喧嘩始めたことは一度もありません。
私にとっては今回、親と色々と「自然な形でごくごく自然な会話」が出来たのは良かった。
いつか不要にしたい心理学、という草稿記事もアップすることがないと思う。w

 仏教同様、心理学の本なんて専門家か患者かその家族でもない限り、みんながみんな必須としているわけではありませんから。
心理学なんて勉強しなくても人間関係を普通に築いている人が大半です。
もちろんネットを見ていて、学会員であってもなくても
「この人は周りに思いやりや愛情ある人がいないのかな?思いやりや愛情を与えられなかったのかな?」
「この人は心理学を勉強した方がいいのでは?」
そう思うことはしばしばあります。恋愛や人間関係で度々感情的につまずく人とかも必要かもしれません。

それと、ずいぶん前のことですが私の親のことで相談に乗って頂いた学会員さんがいました。
もうこのブログを読んでいないかもしれないけど、改めてここでお礼を書いておきたい。

「どうもありがと~。(^^)/あなたの助言無しに私の親子関係はここまでに至らなかったと思うよ~。ほんとにアリガト。私にとっては助言頂いたことも今回のことも大きな出来事でした。」

以上。
コメント (22)
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