創価学会の信仰に功徳はあるか?

コメントする人は「01.創価学会の信仰に功徳はあるか?を書く前に」を読んでね。

不正競争行為および著作権侵害行為等で訴訟されていた(株)マリカーの声明文について

2017年02月25日 10時31分45秒 | 日蓮系遺文
日蓮系遺文に関係ありませんが、創価学会の御書全集を問題視し、学会問題として日蓮系遺文カテゴリーに入れました。

任天堂から訴訟された「マリカー」から声明 | インサイド
http://www.inside-games.jp/article/2017/02/24/105565.htmlより。

加筆訂正しました。
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不正競争行為および著作権侵害行為などで、任天堂から訴訟されていた、株式会社マリカー。新たに同社より、報道機関向けの声明文が公開されたようです。

「世間をお騒がせしていること、はじめにお詫び申し上げます」との謝罪の一文からはじまる声明を読むと、同社は任天堂からまだ訴状を受けとっておらず具体的なコメントはできない、と言っています。

マリカーは、過去に任天堂と直接協議したり、複数の弁護士などに相談して、公道カートのレンタルが、任天堂に対する不正競争行為及び著作権侵害行為には該当しないと判断した上で、サービスを提供していると主張しています。

今回の訴訟、および一連の報道により、同社のウェブサイトや電話回線がパンクし、迷子になった利用者も発生するなど、サービス業務にも大きな影響が出ているそうです。

「私たちのサービスは、お客様の笑顔のためにあります。」「私たちは、このお客様の笑顔を守るために全力で頑張ります。」とスローガンを掲げるマリカー。今後の訴訟の行方が気になります。
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声明全文はつぎのとおり。
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このたびは、世間をお騒がせしていること、はじめにお詫び申し上げます。

本日(平成29年2月24日)、任天堂株式会社様より、当社に対して訴訟が東京地方裁 判所に提起した旨のニュースリリースの発表がありました。

現在、このニュースリリースに基づいて多くの報道がなされおり、また私たちにも多く の問い合わせを頂いております。

私たちのサービスは、旅行で来られる外国人の方々に非常に喜んで頂けており、口コミ で広がってきたサービスで、これを目的に日本に来てくださる外国のお客様も多く、 Facebook、TripAdvisor 等のレビューにおきましても5つ星の評価を頂いていることなども あって、普段より各種報道機関に取り上げて頂く機会も多く、この場を借りて深く御礼を 申し上げます。

大変僭越ながら現在の報道には事実とは異なる内容があるのですが、突然の対応に追わ れ、私どもの方から事実関係をご説明する機会が十分にとれず申し訳ございませんでした。

この文章を通じて皆様に詳しい経緯をご説明すると共に対応が遅れたことをお詫びした いと思います。

現状ではまだ訴状を受け取っていないので、法的な側面に関する具体的内容についての コメントができる状況にございませんが、私たちは、複数の弁護士・弁理士等の専門家に 相談をし、私たちのサービスが、任天堂様に対する不正競争行為及び著作権侵害行為には 該当しないと判断した上で、サービスを提供してきました。また、数か月前には、任天堂 の担当者様と協議及び情報交換も行い、私たちのサービスに理解を示す発言も得られてい ました。

公道カートレンタル事業者の中には、任天堂の許可無く勝手に模造された衣装を販売、 レンタルしているなどの悪意のある業者もあり、任天堂様と協力してそのような事業者が
なくなるように対応していこう協議した矢先のことであり、大変困惑しております。

今回、既に任天堂さまの突然の提訴により、問い合わせへの対応や取引先への説明など で、私たちのサービス業務にも大きな影響が出ております。ホームページもパンクして閲 覧できなくなり、メールも受信できなくなり、電話回線もパンクしたことにより、お客様 で迷子になった方も発生しており、皆様への対応が遅くなったことを重ねてお詫び申し上 げます。

世界的企業との法的紛争となると、どの程度の負担がかかるのか想像することもできま せん。このままでは事業の継続に多大な影響が出ることを恐れております。

一方で多くのお客様から応援の声も頂いており、専門家の皆様からも私たちを支援した いというお話も頂いております。

私たちのサービスは、お客様の笑顔のためにあります。
私たちは、このお客様の笑顔を守るために全力で頑張ります。

公道カート総合サービスを通じて、これからも皆様に楽しいひと時をお届けできるよう 努力してまいりますので、今後ともご愛顧のほどどうぞよろしくお願い致します。
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上は問題のある内容だと私は思います。ですが創価学会からは、こうしたお詫びの文章も出ないと思われます。
政治家やマスコミが問題視して、ようやく出るのかもしれません。



mixiでは次のような感じのコメントでした。
どんな感じかわかるとおもいます。イイねの数にも注目して下さい。
もちろん、マリカー側を否定するコメントばかりです。

著作権法違反にならないように、引用元のURL明記しハンドル名削除を行いました。
全てのコメントではなく、一部です。
コメントを読んで社会的意義があり同意できる内容を、更に私が学び考えて文章にしました。
原文はmixiIDを取得の上、参照して下さい。

私で学んだ内容を文章にしましたが、それでもmixi運営かコメントしたご本人から指摘があれば個々に消します。
原文とハンドル名は控えてあります。履歴の見せ消しではなく削除します。

任天堂から提訴 マリカー声明
http://news.mixi.jp/list_quote.pl?type=voice&sort=feedback_count&news_id=4449327&from=view_news_top
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声明のとおり、誰かに喜んでもらっていることが事実だとしても、他者の権利を侵害して良い理由にはなりません。

2017年02月25日 00:03詳細

イイネ!90人コメント0件

遠回しに自分達マリカー側は悪くなく、任天堂の訴えで迷惑してるかのような言い分です。
声明を読むと、マリカー側はまだ継続するつもりでいます。
その誠意の無さが任天堂の怒りを買ったと思います。

2017年02月25日 00:12詳細

イイネ!73人コメント0件

>私たちは、複数の弁護士・弁理士等の専門家に相談をし、私たちのサービスが、任天堂様に対する不正競争行為及び著作権侵害行為には該当しないと判断した上で、サービスを提供してきました

↑何故マリカー側は任天堂に相談しないのでしょうか?

2017年02月25日 00:11詳細

イイネ!66人コメント3件

マリカー側が問題視されてるのは『マリオカートの意匠を勝手に使っている』事です。
問題をすり替えるのは悪いことです。

2017年02月25日 00:55詳細

イイネ!54人コメント1件

著作権侵害をしておきながら「お客様の笑顔のため」とは本当に呆れた会社です。
厚顔無恥とはまさにこのことです。

2017年02月25日 00:29詳細

イイネ!41人コメント0件

単なる公道カートのレンタルなら問題はないだろうし話題にもならない。
マリオのコスプレするから話題になり、メディアがニュースにする時もまさか任天堂に無許可とは思っていなかったでしょう。

2017年02月24日 23:31詳細

イイネ!35人コメント0件

なんだこのアホ会社…

2017年02月25日 00:08詳細

イイネ!33人コメント0件

>私たちのサービスは、お客様の笑顔のためにあります

自力でやれば美談だけど、他人から盗んだうえで、言い訳の根拠を『お客様の笑顔』に持ってこられても困ります。

2017年02月25日 00:10詳細

イイネ!29人コメント0件

マリカー側の声明文を意訳すれば「客が呼べるなら著作権など知った事ではない!」だと思いました。

2017年02月25日 00:26詳細

イイネ!28人コメント1件
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以上
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393-21.御書全集原稿用紙の写真 (昭和26-27年頃)

2017年02月20日 00時15分36秒 | 日蓮系遺文
1.注意事項

 本記事は本文でも画像でも全てにおいて引用、転載を一切、禁止します。

本記事はリンクのみ許可します。
ツイッター、フェイスブック、他ツールからでも、本記事に飛べば許可します。

2.聖教新聞社から出ていた戸田城聖の豪華本

聖教新聞社から出ていた戸田城聖の豪華本。電子レンジ大の巨大な豪華本です。
幹部だけに販売されたようです。函から取り出すのも大変です。
これを探して買ったわけでなく、買ったらこの本が入っていました。
原稿用紙の写真があるとは全く思っていませんでした。

創価学会版 御書全集 原稿用紙の写真(上半分)です。
ページ全体ではありません。
サムネイル画像
波木井三郎殿御返事


波木井三郎殿御返事は手元の遺文全てでチェック予定です。

サムネイル画像
奥付


念の為、上は1920pixの巨大な写真です。他にも写真撮影しましたが、原稿用紙の写りのいいもので原稿用紙の写真(上半分)を選択しました。ページ全体ではありません。巨大な本なのでデジカメで撮影するのも大変で綺麗に写せていませんが、これでご理解ください。

昭和26-27年頃、創価学会員が書いた原稿用紙だと思われます。
右のページには「御書全集の発刊の準備」とだけ説明があります。

85,86歳で老眼だったであろう、堀日亨の文字だとは様々な理由も合わせて全く考えられません。強度の近視だった戸田城聖とも思えませんがどうでしょうか?
おそらくは学会教学部の誰かの書いたものではないでしょうか?
「目録の読み方」は小平 芳平(こだいら よしへい)でしょうか?
だとすると、目録も堀日亨が書いてない可能性が濃厚です。

残念ながらこの写真だけでは筆跡鑑定はできないと私は聞いています。3000枚くらい必要とか。本当なのでしょうか?筆跡鑑定士に聞いてみたいです。

以上
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393-20.【奥付】御書全集(昭和29年再版)誤記 その17

2017年02月19日 00時19分25秒 | 日蓮系遺文
さて皆さん。
学会問題や正宗問題を扱っていると、正宗の坊主や学会本部の不真面目さやいい加減さに、モヤモヤしたり腹が立ったりしませんか?
学会問題で笑えることはほとんど無いと思います。

ところが年表と本文(類霊艮閣蔵版の著作権保護期間は切れていると思われます)の著作権法違反が発覚した時点で、昭和29年再版の御書全集の奥付を見た時に暫く笑うしかありませんでした。
皆さんがどう思うかは自由ですが、私にとって傑作な笑いになりましたね。

自分で笑いのネタを考えなくても、奥付を見れば戸田、池田、北条、秋谷の歴代会長と現在の創価学会本部職員が笑いを提供してくれると思います。
笑える人は、ここぞとばかりに笑ったほうがいいと思います。
さあ、どうぞ。

サムネイル画像


創価学会が出版する御書に限り、創価教育学体系と同一の奥付にすれば問題ないばかりか意味が増すのに、なにやってるのでしょうかね。

戸田城聖が出版事業をしていたことから、創価学会は出版には今も力を入れていますし、出版系の宗教教団だったといえます。
ですが、この奥付の写真と「年表の盗用または剽窃」だけで、戸田城聖の出版事業は4流、5流だと思われても仕方ないと思います。

創価学会員の全員が今、この瞬間も御書全集で「年表の盗用または剽窃」をやっているわけです。

”この瞬間、瞬間の生命の一念が大事なんだ””この瞬間の一念が変われば、それが現在の因となって未来の果をいくらでも変えていけます”

こんな指導をよく聞きましたが、おおよそ65年間もの間、気がつくことなく、全く宿命転換出来なかったですね。

少し話が変わります。

世間一般の仏菩薩の教えは、如何に許すか、如何に戒めるか、如何に教えるか、位の高いお坊さんが目下の人や困っている人に如何に与えるか、これらが大事なのだと私は個人的に勝手に解釈しています。
私は全ての経典を読んだことはありませんから、仏菩薩の慈悲や思いやりはもっと奥が深く、私の想像は表現として不足しているかもしれません。

どの宗派のお坊さんも同じなのかは知りませんが、「徳の高い」や「善徳」の行という意味は「慈悲・利他」を指すそうです。高位のお坊さんほど他人に親切なのかもしれません。
徳が高い、とは功徳を高く積む、だと私は思っています。

信徒にも同じことが言えるでしょう。
学会で言うなら役職の高い人ほど「功徳を積む」のであれば、親切でないといけませんが、学会本部に近いほど冷酷、無慈悲、不親切だと思います。嘘ばかり教えておいて仏敵、退転者扱いですから、困ったものだと思います。

創価学会では特に「あいつは許すな」「あいつは許さない」他には上の人間に服従することばかり教わりました。


創価学会の御書全集奥付に「不許複製」や空欄にするよりは「絶対!許すまじ!日顕」みたいに「絶対!許すまじ!複製」と「断言する」ことが創価学会仏に境智冥合すると思いますが、いかがでしょうか〜。

昭和7年版の行道文庫版 日蓮聖人御遺文の奥付
再掲載


昭和59年版の行道文庫版 日蓮聖人御遺文の奥付
昭和29年版の創価学会版 御書全集の奥付



昭和29年版の創価学会版 御書全集の奥付
昭和58年版の創価学会版 御書全集の奥付
昭和58年版の御書全集の奥付は枠のサイズを含め、全体的に小さくなっています。



下の3つの奥付のサイズ、レイアウトは非常によく似ています。
機会があれば、戦後昭和20年〜27年版の行道文庫版の奥付を見てみたいです。

昭和7年版の行道文庫版 日蓮聖人御遺文の奥付
昭和59年版の行道文庫版 日蓮聖人御遺文の奥付
昭和29年版の創価学会版 御書全集の奥付


下の画像は私が買った御書全集の奥付です。
私はダメ押しの笑いが来ました。
皆さんがどう思うかは自由です。

私が買った創価学会版 御書全集の奥付


平成27年版(2015)の創価学会版 御書全集の奥付


買った版次第で、著作権があったりなかったりするのかもしれません。
表記のいい加減さに呆れました。
(c)マークはありますが、何かにつけて許さないのが創価学会。
(c)マークは世界共通の様です。創価学会自身が自分で問題を世界中に広宣流布しています。

私が使っていた昭和60年代の御書全集は残念ながら、四角い「不許複製」のない最近の奥付フォーマットと同じでした。
昭和58年〜昭和60年代のどこかで「不許複製」を無くしたのでしょう。威勢の良い創価学会にしてはナゾです。
なお池田大作の会長勇退は昭和54年です。北条浩四代会長が亡くなったのか昭和56年(1981年)。


補足
嘘ばかり。以下の文章はネットのあちこちで見つかります。
何もかもが作り話か大げさなのでしょう。

池田大作 その行動と軌跡
若き指導者は勝った
第1回 日本正学館 1-2
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 「冒険少年」(のちに「少年日本」と改題)は日本正学館の主力雑誌である。編集兼発行人は戸田城聖。
 名編集者たちの自伝、伝記類を読むと分かることだが、そもそも編集長とは、自分の我がままを押し通すのが仕事である。鬼編集長ほどアクが強く、妥協しない。
 部下の編集者に求めるものは、一にスピード、二に正確さである。締め切りに間に合わなければ、すべてはぜロである。たとえ間に合っても、ミスが活字になることほど恥ずかしいものはない。戸田会長は、仕事に厳しかった。ささいなミスも見逃さない。百雷のごとき叱咤が下った。「私から逃げたいなら、逃げろ!ついて来るならば、ついて来い!」
 池田青年は必死で食らいついた。戸田会長も編集者としての池田青年の才能を早くから見抜いていた。
一つの企画をまかせると、つねに的を射た作品ができあがってくる。スピードがある。しかも丁寧だった。
 編集業務には、常に修羅場がつきまとう。
たとえば印刷に回す直前の大幅な直し。校了まで、せっぱつまった瀬戸際に、おどおどするタイプは向かない。池田青年は土壇場に強かった。熱くなりがちな場面ほど冷静沈着に判断できる。

 五月には早くも敏腕を買われ、「冒険少年」の編集長をまかされたのである。
---------------------------------

以上
コメント (3)
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393-19.兄弟抄 御書全集(昭和29年再版)誤記 その16

2017年02月18日 00時24分41秒 | 日蓮系遺文
兄弟抄(全集ページ)

昭和50年代の御書全集と比較済み。
昭和29年再版時の御書全集は旧漢字です。

1.兄弟が欠けています。





 霊艮閣蔵版、類纂高祖遺文録(大正版)と全く同じ。
池田大作の息子は元は三兄弟だったのですが、一人が若くして亡くなり欠けています。

末端の熱心な会員に気をつけて欲しいことがあります。
学会本部は、数々の嘘や間違いについて、世間や末端の会員に全く悪いと思わないでしょうし、今ある御書全集だけでなく教義も含め、間違いについて修正も迅速にはしないでしょう。冷酷だと思います。いつも苦労しているのは末端だけです。
学会本部は一連の御書全集の誤記や問題点についても何とも思わないでしょう。「それがどうした。」「あれは修正済みだ」「これは修正すればいい」等々、、、。

兄弟抄の誤記を知った末端の会員に限って怯えたり、恐怖したりすると思いますが、創価学会から教えられた歪んだ信仰心(マインドコントロール)です。早く気がついて一日も早く離れることを念願しています。


「兄弟抄」 類纂高祖遺文録と霊艮閣蔵版と同じ遺文名。
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◯原文 漢字かな交じり文
◯真筆 26紙1巻断片・池上・石山他4所散蔵

◯各遺文ページ数
記載された表現のままにした為、漢数字と英数字で不統一にした。

霊艮閣蔵版 一一二八ページ(一一三九) 学会版(再版)と同じ間違い
行道文庫版(昭和五九年)九二四ページ(九三〇)学会版(再版)と異なり正しい。
行道文庫版(昭和七年) ページ
類纂高祖遺文録(大正四年第四版)915ページ(922) 学会版(再版)と同じ間違い
昭和定本 1_ページ
----------------------

以上
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393-18.法華題目抄 御書全集(昭和29年再版)誤記 その15

2017年02月17日 00時13分47秒 | 日蓮系遺文
法華題目抄(全集九四三、九四八ページ)

昭和50年代の御書全集と比較済み。
昭和29年再版時の御書全集は旧漢字です。

1.梵字が欠けています。2015年の版でも同じです。



梵字がないのは行道文庫版だけで類纂高祖遺文録(大正)と霊艮閣蔵版には存在します。

一昨年に霊艮閣(蔵)版 日蓮聖人御遺文を見たら気がついたのが、この脱字でした。

阿嚩囉訶佉の梵字が欠けている事を焦点にして、記事に書こうと思っていました。
後に学会版 御書全集の遺文名の問題点を日興門流の歴史調査をして、追加指摘し記事にして、最終的に「宗教と社会を考える会」の会報に書ければいいな、と考えていました。
今では日興門流の歴代がどんな遺文名をつけたかという歴史調査は、すっかりやる気を無くしました。もう、そうした次元の問題ではありません。

御書全集で梵字が欠けている件だけの一つの記事で終わりだと思っていたのです。
ところが今、著作権法違反を含め、とんでもなく膨大に指摘が必要な事態になっています。

383.記事の一部分を再掲載します。
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383.創価学会の日蓮大聖人御書全集は間違いだらけ(その3)「日蓮遺文の脱字と授与書き削除」 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?

●日蓮遺文の脱字と授与書き削除

日蓮遺文の脱字で思い出したのが板本尊の授与書き削除です。
1994年11月15日、日蓮正宗本山である大石寺の板木尊、計四体の脇書部分の「願主法華講総講頭 池田大作」を日蓮正宗側が削除したそうです。
(総一坊(住職・山崎慈昭)と総二坊(住職・田爪鏡道))

同時に教えられたのは、「宗門(日蓮正宗)や悪僧を赦すな」という”怒り”でした。
私は本尊を日蓮大聖人の生命の当体、仏法の真髄は宇宙生命である本尊と教えられていたので、板木尊の脇書削除を聞いて気分が悪くなったのを覚えています。

(中略)

学会の場合、池田氏の本尊の授与書き削除程度で、正宗を許してはいけないのです。
ところが、日蓮遺文の立正安国論を削除しただけにとどまらず遺文の文字をも御書に記載せず削除した結果となっています。本尊や遺文は大切なものであり、粗末にしてはいけないはずですが、こうした矛盾を抱えています。
--------------------------

2.経典名の間違い
3.漢字かな交じり文が、霊艮閣蔵版か行道文庫版と類似。

サムネイル画像

学会版御書全集(昭和29年再版)


行道文庫版 似ている。


霊艮閣蔵版(縮刷遺文) 似ている。


類纂高祖遺文録(大正版) 「と」と「女人」の主語がないので似ているとは言いがたい。



「法華題目抄」は昭和六年以前の霊艮閣蔵版か、あるいは行道文庫版の本文を書き写しただけかもしれません。
阿嚩囉訶佉の梵字が欠けているのは、学会教学部に梵字の活字を作る情熱がない、あるいは活字をつくる財力や時間の問題かと思っていました。
単に盗用、剽窃しただけという”あまりにも不真面目な、くだらない理由”である可能性が濃厚です。


「法華題目抄」 類纂高祖遺文録と霊艮閣蔵版と同じ遺文名。
----------------------
◯原文 漢字かな交じり文
◯真筆 水戸 久昌寺 外十二ヶ所

◯各遺文ページ数
記載された表現のままにした為、漢数字と英数字で不統一にした。

霊艮閣蔵版 五百八十三ページ(五八七、五九六)
行道文庫版(昭和五九年)三四二ページ(三五〇)
行道文庫版(昭和七年) ページ
類纂高祖遺文録(大正四年第四版) 283ページ()
昭和定本 1_三九一ページ
----------------------

以上
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393-17.百六箇抄 御書全集(昭和29年再版)誤記 その14

2017年02月16日 00時34分28秒 | 日蓮系遺文
百六箇抄(全集八五四ページ)

昭和50年代の御書全集と比較済み。
昭和29年再版時の御書全集は旧漢字です。

間違いが修正されています。

サムネイル画像




 書き写しの間違いに加えて、編集方針が不統一だったことが明白です。
戸田城聖の出版と編集の手腕は5流だったのではないでしょうか?

こうした間違いも堀日亨が編さん(原稿執筆のこと)をしていない証拠です。
堀日亨が書いたはずの富士宗学要宗、百六箇抄を初版、再版と5,6回もチェックする機会はあったと思います。
初版の原稿執筆で一回、編集で一回、印刷所から返されてきて一回。
初版が出来上がってからでも再版用の原稿で一回、編集で一回、印刷所から返されてきて一回。
それが間違っているのですから、堀日亨自身か素で間違えただけでなく、ノーチェックだったことになりますが、ありえないでしょう。
学会教学部の素人が編さんしたと考えるほうが自然です。

戸田城聖が老齢の堀日亨を選んだ人選が悪いだけでなく、堀日亨の権威が欲しかっただけという何よりの証拠でしょう。

これも初版の本文内容が気になります。

「百六箇抄」
----------------------
◯原文 
◯真筆なし 写本 

◯各遺文ページ数
記載された表現のままにした為、漢数字と英数字で不統一にした。

富士宗学要宗の種類
初版は昭和11年に雪山書房(ガリ版刷りを製本)
昭和30年代に山喜房仏書林版 全11巻
昭和50年代前半に再刊 創価学会 全10巻

霊艮閣蔵版 ページ()
行道文庫版(昭和五九年)
行道文庫版(昭和七年) ページ
類纂高祖遺文録(大正四年第四版)ページ
昭和定本 ページ
----------------------

犀の角のように独り歩め:ガリ版刷り『富士宗学要集』

以上
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393-16.御義口伝 上下 御書全集(昭和29年再版)誤記 その13

2017年02月15日 00時11分38秒 | 日蓮系遺文
御義口伝七〇一(七一九、七五七ページ)

昭和50年代の御書全集と比較済み。
昭和29年再版時の御書全集は旧漢字です。

1.修正されています。

 繰り返しの文字についてです。
昭和29年再版と最近の御書全集の版と犀角独歩さんのブロクを比較すると、昭和29年再版のほうが日蓮墨筆に近かったのではないかと私は想像します。要は昭和29年再版から繰り返しの文字も改悪されたのではないかと考えています。

何時改悪されたのか興味深いですよね。

サムネイル画像
方便品 第五

塵々法々


昭和27年時に日宗社本の霊艮閣蔵の別冊(日宗(新報)社「御義口伝・日向記」加藤文雄)を使ったのか、行道文庫版を使ったのかは不明。
御書全集の目次(目録)では日宗社本の霊艮閣蔵(縮刷遺文)を元にした、となっています。

寿量品 第十四

(中略)霊山浄土に列出するなり靈山とは御本尊なり今日蓮らの類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり云々。

寿量品、第十五の乃至が◯
日宗(新報)社「御義口伝・日向記」加藤文雄 編と同じ

神力品、第八の乃至が◯
日宗(新報)社「御義口伝・日向記」加藤文雄 編と同じ

行道文庫版「就注法華経御義口伝上目録」
-------------------------
◯原文 
◯写本 上巻 日経本、石山本
 写本 下巻 日経本要山

◯各遺文ページ数
記載された表現のままにした為、漢数字と英数字で不統一にした。

日宗(新報)社「御義口伝・日向記」加藤文雄 編(大正4年)
霊艮閣蔵版の別冊みたいな本らしい
コマ番号 (28/153)塵々法々
コマ番号 (65/153)霊山浄土に利出するなり。
コマ番号 (65/153)寿量品、第十五の乃至が◯
コマ番号 (79/153)神力品、第八の乃至が◯

学会版 編年体(昭和四十九年) (1565)塵塵法法
                (1603)霊山浄土に列出するなり。等々、修正済。
                (1603)第十五の乃至が◯
霊艮閣蔵版 無し()
行道文庫版(昭和五九年) 上 一三八三ページ(一四〇一)塵塵法法
             下 一四三三ページ(一四三八)学会版再版と同じ記述
行道文庫版(昭和七年)  上 一三八三ページ(一四〇一)塵塵法法
             下 一四三三ページ(一四三八)学会版再版と同じ記述
             下 一四三三ページ(一四三八)第十五は◯でなく乃至
(中略)霊山浄土に利出するなり。
靈山とは御本尊なり。今日蓮らの類ひ、南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり。云々。

類纂高祖遺文録(大正四年第四版) 無し
昭和定本 上 3_二五九七、下 3_二六六二ページ
-------------------------


 正確に写されたかもしれない江戸時代の版本を使えなかったのは、堀日亨が元法主だったためです。
法主を引退した堀日亨は当時の法主に大石寺の写本(版本)を見せてもらえなかった、ということです。
写本(版本)を見ることが出来るのは法主と能化だけだからです。
こうしたことは正宗の古くからの法華講の方々はよく御存知の様です。


 再三再四、私は霊艮閣蔵版(縮刷遺文)や行道文庫版の稲田海素さんの真筆対照記録を取り上げています。明治、大正、昭和初期にかけて、執行海秀さん、稲田海素さん、浅井要麟さんは大石寺から真筆や写本を読むことが許可された事実が重大な点だと理解できませんか?

ところが、未だに真筆対照記録の重要性がわかってない最近の法華講信徒(元学会員)や学会員が多いのでしょう。
最近でも創価学会は日蓮正宗と日蓮宗の僧侶同士の交流を謗法だとして誹謗中傷しています。
こうした誹謗中傷は見当違いも甚だしいです。池田大作をはじめとした創価学会員は何も知らない小物ということが理解できます。池田大作や学会本部トップは創価新報や御書全集の年表について知らなかった、とでも言い訳するのでしょうか?今後の創価学会の言動が実に興味深いです。


以上



'170309
凡例により、創価学会の盗用の疑惑が一歩、濃厚になった。
'170312
追記修正した。
コメント
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393-15.諌暁八幡抄 御書全集(昭和29年再版)誤記 その12

2017年02月14日 00時16分29秒 | 日蓮系遺文
諌暁八幡抄(五八九ページ)

富士門流信徒BBSや犀角独歩さんのブログで有名な諌暁八幡抄の花押の捏造。
(たしか独学徒さんも詳しかったはず。)
犀の角のように独り歩め:【検証】諫暁八幡抄に切り貼りされた竜門御書の日蓮花押

霊艮閣蔵版、昭和新修、行道文庫、類纂高祖遺文録(大正)、御書全集再版すべてにあります。
花押を追加した日蓮正宗の罪は重く、日蓮に対する冒涜でしょう。

サムネイル画像


ところが、私の手元にある昭和36年に発行された新しい方の日蓮正宗聖典では花押は消えています。
花押の上に和紙らしきものを載せたか、写真加工したのでしょう。
(日蓮正宗聖典の初版は昭和27年。これには花押があると聞いています。)

サムネイル画像


そしてなぜか2015年版の御書全集でも花押があります。

創価学会は2015年版の御書全集に花押を掲載することで日蓮正宗と和解する時に言い訳にするつもりや恩を売るつもりなのでしょうか?
それとも花押が(切り貼りされたものでなく)日蓮真筆である、という読解なのでしょうか?
第2次宗門問題以降であれば、何時修正しても問題なかったはずです。
御書全集は私のブログで示したとおり、何度も修正されています。

日蓮正宗の法主や坊主の書いたものを創価学会は創価新報などで誹謗中傷しています。
一方では最重要な御書で修正しないとは、全く意味不明です。腹黒い何かがあるとしか私は思えません。
2015年版の御書全集では冒頭にあった「諌暁八幡抄」の写真はなくなっています。
大石寺を忘れさせたいのでしょう。
もしそうなら、とても汚く、ずるいと思います。皆さんはどう思いますか?

年表には大御本尊が記述されていますが、著作権法違反なので、正宗に対して言い訳に使うことは難しくなったと思います。日蓮正宗が年表を認めたら笑いものになるだけでしょう。



◯原文 漢字仮名交じり文
◯真蹟 大石寺

◯各遺文ページ数
記載された表現のままにした為、漢数字と英数字で不統一にした。

霊艮閣蔵版 二千二十一ページ()
行道文庫版(昭和五九年) ページ()
行道文庫版(昭和七年) ページ
類纂高祖遺文録(大正四年第四版) ページ
昭和定本 一六八七ページ

以上
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393-14.三世諸仏総勘文教相廢立 御書全集(昭和29年再版)誤記 その11

2017年02月13日 00時15分51秒 | 日蓮系遺文
三世諸仏総勘文教相廢立(全集五五八ページ)

昭和50年代の御書全集と比較済み。
昭和29年再版時の御書全集は旧漢字です。

読み下しの間違いが修正されています。

サムネイル画像


サムネイル画像



問題点。
この誤記からは学会版の読み下し文の元は完全には断定できません。
類纂高祖遺文録の漢字と返り点が間違っていると思われるためです。
ただし、読み下しの返り点が近いのは
類纂高祖遺文録(大正四年第四版) 1333ページと酷似しています。

墨筆や真筆写真を読んでいない証拠だと思われます。
御書全集の初版が類纂高祖遺文録と同一なら確定。


「三世諸仏総勘文教相廢立」 類纂高祖遺文録と霊艮閣蔵版と同じ遺文名。
----------------------
◯原文 漢文
◯真筆なし 写本 平賀本

◯各遺文ページ数
記載された表現のままにした為、漢数字と英数字で不統一にした。

学会版 編年体(昭和四十九年) 一二二一(一二二一)修正済
霊艮閣蔵版 千八百九十二ページ(千八百九十三) 正しい一二点と思われる。
行道文庫版(昭和五九年) 四四八ページ(四四九)霊艮閣蔵版の正しい返り点を元に正しく読みくだされていると思われる。
行道文庫版(昭和七年) ページ
類纂高祖遺文録(大正四年第四版) 1333ページ 必上幻廢の箇所で漢字と一二点が間違っていると思われる。
昭和定本 2_一六八七ページ
----------------------

真蹟の漢文、昭和定本の再チェック。
犀角独歩さんに問い合わせたい。時期未定。
画像の箇所に返り点があるのかどうか?ない場合、読み方はどれが正しいのか?
霊艮閣蔵版、現在の学会版、行道文庫版(昭和五九年)が正しいと思う。


以上
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393-13.法華行者逢難事 御書全集(昭和29年再版)誤記 その10

2017年02月12日 00時38分37秒 | 日蓮系遺文
法華行者逢難事(全集九六五、九六六ページ)

昭和50年代の御書全集と比較済み。
昭和29年再版時の御書全集は旧漢字です。

1.改行が修正されています。

サムネイル画像


2.☆☆新たな問題点。☆☆

 昭和29年再版時の御書全集は、追伸の箇所が霊艮閣蔵版と異なり、類纂高祖遺文録(大正版)と同じです。2015年の版は再版時と同じです。

サムネイル画像



昭和27年の時点で創価学会が墨筆遺文や真筆写真を元に御書全集を作成していない疑いは濃厚です。
現時点で霊艮閣蔵版(縮刷遺文)の遺文本文と行道文庫版の年表が元になっている事実があります。

では原文漢文の遺文は、学会員が自分で読み下したのか、それとも他からほぼ盗用または剽窃したのか、という疑問が出てきます。盗用または剽窃した可能性はないのでしょうか?

読み下しに問題があれば、堀日亨でなく学会員が自分で読み下した可能性もさらに濃厚になります。
(可能性も濃厚、とはいうものの、”聖教新聞社のある原稿用紙の写真”には疑問を抱くより他ありません。現時点で堀日亨の筆跡とは私は思えません。)


追伸の所が、前に来ているのは学会版と類纂高祖遺文録(大正版)のみ。
学会版の読み下し文は類纂高祖遺文録(大正版)と行道文庫版の2つを元に、盗用または剽窃した可能性が出てきました。

つまり海賊版ではなく、正式な出版物の中で3つを1つにした書籍が御書全集という可能性が出てきたということです。正式な出版物の中で、こうした事例は近代の宗教出版史だけでなく、全世界の出版史において類例をみない大失態、大犯罪となるのではないでしょうか?

海外向けの英文版など各国語の御書も御書全集を元にしているのでしょうか?

行道文庫版、類纂高祖遺文録(大正版)において、原文漢文を読み下した中心人物は稲田海素さんです。稲田海素さんの読み下しを使うことは、行道文庫版、類纂高祖遺文録(大正版)はもちろん手続きを踏んでおり、正式なもので何の問題もありません。
昭和27年頃すでに、稲田海素さんの読解力であればかなり正確だ、と言われていたのでしょう。
おそらく学会も知っていて、霊艮閣蔵版、類纂高祖遺文録(大正版)、行道文庫版を使った可能性が高いです。

3.改悪されている箇所

類纂高祖遺文録(大正版)「法華行者値難事」だと、法花

昭和29年再版時の御書全集だと、法華 (九六六ページ)

改悪されている箇所が2つ程見つかる。こうした学会版の間違いは無数にあります。
犀角独歩さんの墨筆遺文を解説したブログがその証拠。
数が多すぎるのと、真筆写真が無いこと等々の理由から今後はブログでは指摘しません。


「法華行者逢難事」 霊艮閣蔵版の遺文名を後日確認。
-------------------------
◯原文 漢文
◯真蹟 中山法華経寺

◯各遺文ページ数
記載された表現のままにした為、漢数字と英数字で不統一にした。
本文先頭ページ数(該当ページ数)

追伸の所について

学会版 編年体(昭和四十九年) 六〇〇(六〇〇) 前。学会版と同じ。
霊艮閣蔵版 千二十四ページ(千二十六) 後。学会版と異なる。稲田さんの照校の記録あり。
行道文庫版(昭和五九年) 五二五ページ 後。学会版と異なる。
行道文庫版(昭和七年) ページ
類纂高祖遺文録(大正版) 493ページ 前。学会版と同じ。
昭和定本 七九八ページ 後。学会版と異なる。
-------------------------


犀の角のように独り歩め:日蓮墨筆を読む(29) 法華行者値難事-上書・追伸

真蹟遺文の疑問点がいくつかある。
質問事項をまとめて犀角独歩さんに問い合わせる必要あり。時期は春先か?
日蓮墨筆の文字の大きさが変わることの再確認。
法華行者逢難事ではどうなのか?
和紙が貴重な鎌倉時代では追伸を書く場合、日蓮さんは和紙をいっぱいに使いそう。
墨筆を見ている独歩さんの印象で構わないので、是非ご意見が聞きたい所。

以上
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393-12.行道文庫版 日蓮聖人御遺文(昭和7年初版)年表の写真

2017年02月11日 00時15分19秒 | 日蓮系遺文
1.はじめに

 本記事は本文でも画像でも全てにおいて引用、転載を一切、禁止します。

本記事はリンクのみ許可します。
ツイッター、フェイスブック、他ツールからでも、本記事に飛べば許可します。

2.行道文庫版 日蓮聖人御遺文 全(昭和7年初版)

サムネイル画像



 写真の真ん中あたりに昭和七年の文字が見えると思います。
三方金、角は切り取られた上での三方金です。


数日前、奇跡的に手に入れました。
私自身、正直言って手に入るとは全く思っていませんでした。感謝。

過去記事にも書いたのですが、戦後版の行道文庫 日蓮聖人御遺文(昭和59年10月)は写真製版の状態が悪く文字が読めない箇所が多々あります。
昭和7年版のほうが文字がはっきり見えて読めます。なお、これを用いたチェックは2週間ほど後からの予定です。

ダメ押しの証拠になります。
この証拠がなくてもダメに決まっていますけどね。

本記事の証拠がなくても、393-1から393-9までの記事で創価学会が誰に対しても言い訳することも言いがかりをつけることも出来ません。
謝罪、出回っている御書全集の回収と絶版しかないでしょう。
これで創価学会・公明党がからむ問題は新たに起こりにくくなったと思います。
現在も継続して創価公明の問題に関わる人々にとっても問題が早期解決することを念願しています。

年表部分だけ版権の譲渡があったのではないか?とのご質問がありました。
版権とは出版権であって、版権の譲渡だと、譲渡のあとに通常は行道文庫から出版できません。

-------'170508-------
終戦直後(昭和20年)から昭和47年の再版までは詳細が分かっていませんが、出版されていたと思われます。調査中です。
終戦直後(昭和20年)から昭和47年まで再版はなかったようです。
-------'170508-------

行道文庫版は昭和47年の再版以後、何度も出版されています。
また、譲渡なら年表の内容が完全に一致する必要があります。

追記
国会図書館のデジタルコレクションで「本化聖典 日蓮聖人御遺文」で検索して調べると、昭和7年版は「この資料は、著作権の保護期間中であるか、著作権の確認が済んでいない資料のためインターネット公開をしていません。」とあります。
著作権保護期間であることはまず間違い無いでしょう。

以上

追記修正
-------'170508-------
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393-11.昭和新修、行道文庫版、御書全集(全ての版)の各年表について

2017年02月10日 00時17分07秒 | 日蓮系遺文
各年表について思うこと。

本記事は全て引用、転載を一切、禁止します。リンクのみ許可します。

今回は証拠でなく、各年表について私の所感を書いておこうと思います。
各年表についてどう思うかは皆さんの自由です。

今現在、日蓮の遺文集を何冊か持っていますが年表があるのは次のとおりです。

平楽寺版 昭和新修 日蓮聖人遺文全集 別巻
行道文庫版 日蓮聖人御遺文
創価学会版 御書全集
創価学会版 編年体

1,平楽寺版 昭和新修 日蓮聖人遺文全集 別巻

 年表の執筆担当者は不明ですが、浅井要麟さんかお弟子さんの学説だと推測されます。
年表本文の枠は正方形で全体を見ると、綺麗な表になっています。
「代表的著作」「聖人及び門下の事跡」「社会」の3項目となっています。正方形の大きさは同じですから、文章量によって歴史的事実などの重要度がわかります。
御遺文は年表全体で60〜70くらい記載されており、五大部、十大部以外にも大切な遺文が理解できます。50歳、51歳、53歳、54歳、57歳には遺文名が多く、重要な年であったことも理解できます。
日蓮が生まれた頃から「聖人及び門下の事跡」「社会」の2つの項目はびっしりと書かれています。

サムネイル画像



2.行道文庫版 日蓮聖人御遺文

 行道文庫版の年表は枠の大きさは皆異なりますが、文章量で右から左に伸びています。文章が多くなった場合、西川景文さんの執筆意欲と編集者の情熱が分かります。
つまり、文章量で枠の横幅が決まる形で年表の本文の内容が大事だと理解できます。
五大部、十大部以外にも大切な遺文が理解できます。
文章が終わったところで、空行はなく表の縦線がすぐに引かれています。
日蓮が生まれた頃から「一般仏教」「世間」「海外」の3つの項目はびっしりと書かれています。
西暦、仏紀、皇紀のフォントの幅やフォーマットは統一されており、なおかつ、これらの年号で枠の横幅は決まりません。

3.創価学会版 御書全集

 御書全集の年表は枠の大きさは皆異なります。文章量で右から左に伸びていません。
文章量で枠の横幅が決まる形でなく、年号で幅が決まる所が多々あります。
文章が終わったところで、空行があったりなかったり、表の縦線がすぐに引かれていない場合もあり、明らかに編集上の不統一があります。
仏紀のフォントの幅やフォーマットは統一されていません。
年表本文があるべき枠内の空白が多く、本文ではなく年号や改元を重視した年表になっていると思われます。
なのに何故か西暦がありません。学会の出版物は大御本尊の仏滅年代を記載する場合を除いて、殆ど西暦ではないでしょうか?
日蓮が生まれた頃から最後まで「日本」「東洋」の2つの項目は空欄が多いです。
スカスカです。

4.創価学会版 編年体(昭和四十八年)

 グチャグチャで頭痛くなりました。
長くなったので別記事にします。

●昭和新修や行道文庫版の各年表への所感

 今回記事に書いた昭和新修や行道文庫版の各年表への所感は人それぞれです。
昭和新修や行道文庫版の各年表に「空欄がある」などと、誹謗中傷をするバカな学会員はまさか、いないと思いますが、念の為に書いておきます。

 昭和新修や行道文庫版の年表を見た時に、共通している点に気が付きました。
昭和新修では日蓮が生まれた頃から(聖人及び門下の事跡もですが。)「社会」がびっしりと書かれています。
同じ様に行道文庫版でも日蓮が生まれた頃から「一般仏教」「世間」「海外」がびっしりと書かれています。

日蓮の重要な遺文年代や法難、年齢と事跡などは、日蓮に興味がある人であれば数年学べば自然と頭に入るものです。
学会の教学試験対策で立正安国論を覚えさせられたり、好きな御書を記憶して、詳しくなるのが当たり前ではないですか?
日蓮の歴史に興味のある人であれば別途、日蓮史の本を買えば良いわけです。

日蓮の年表内で日蓮を軽視しろ、一般仏教を重視しろと言っているのではありません。
限られたページでどこにどの様に力点をおいて執筆することが、筆者の腕の見せ所だと私は考えるのです。
昭和新修や行道文庫版では枠の中に重要点(ポイント)が書かれてあります。
昭和新修の「社会」、行道文庫版の「一般仏教」「世間」「海外」、これらは簡易ではあるけれども、年表枠の中で出来るだけ多くを説明するために詰め込もうとした意図で記載されたと私は想像しています。また、年表枠で空欄や文章が少ない場合でもきちんと考えられており意図がある、という解釈出来ます。
遺文集に収める簡易年表としては、こうした手法が重要だと考える様になりました。
昭和新修や行道文庫版の表は理解しやすく入りやすいでしょう。初心者が重要遺文の選択する上でも、これらの点は大きいと思います。

どちらも昭和初期に書かれた遺文集ですので、年表枠内の本文は最新の学説とは異なるかもしれません。
それでも評価する人はいても、悪くいう人は全くいないでしょう。

学会版より、昭和新修や行道文庫版の表のほうが私は好きですし、愛読したいと思います。

以上
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393-10.【年表遺文名の著作権法違反】御書全集(全ての版)

2017年02月06日 22時56分41秒 | 日蓮系遺文
1.注意事項

 本記事は全て引用、転載を一切、禁止します。

本記事は諸般の事情に鑑みリンクのみ許可します。
ツイッター、フェイスブック、他ツールからでも、本記事に飛べば許可します。

ひとつ前の記事、「393-9.創価学会版 御書全集(昭和29年再版)年表と著作権法違反 その9」のリンクは、今は許可できません。

2.学会版御書全集、再版の年表の問題点。

 重要な日蓮遺文を選択し年表に記載する時に、行道文庫版と学会版のそれぞれの遺文名と執筆年が一致することは、考えられることです。
一致しても不思議ではありません。
学会版御書全集は行道文庫版の年表【御述作】から盗用または剽窃したと思われますが、その際に御書全集は遺文名の追加と削除を行っています。
ところが、編集方針が不自然、不統一であり、盗用または剽窃したと思われる「証拠が増える」と考えられます。

御書全集の全ての版で同じだと思われますので、御書全集をお持ちの方は、巻末にある年表の【御述作】と全集の目録(目次)の遺文名を見比べて下さい。

2-1.御書全集、再版年表の【御述作】欄の問題点を列挙。

(1)「禅宗問答抄」 欄の狭い表で5文字。目録タイトルでは、蓮盛抄。3文字。蓮盛抄を使うべき。
(2)「女人往生抄」 女人成仏抄がある。目録では、なぜか女人成仏抄のみ。
(3)「一代大意抄」 目録では、一代聖教大意。一代大意。どちらとも違う。
(4)「十法界抄」  目録では、十法界事。
(5)「法門可申事」 目録では、法門申さるべき様の事。日蓮49歳の枠の幅を狭くして48歳の枠の幅を広げれば余裕で入るはず。
(6)「大師講書」  目録では、金吾殿御返事。別名でも「大師講御書」
(7)「下山抄」   目録では、下山御消息。枠がそのままで文字が入る。
(8)「三大秘法抄」 創価系の書籍で年次がバラバラだが諸説あるため仕方ないか? 堀日亨の見解が未確認。

創価系の書籍で三大秘法抄の年次を調べようと思いましたが、やめにします。

上記の問題点は、学会版2015年7月第2版(10刷)(270刷)も全く同じです。

2-2.行道文庫版、年表の【御述作】欄。

ページ数は行道文庫版本文掲載ページを示す。
昭和59年 改訂第3版を使用。掲載順序は2-1.に従った。

(1)「禅宗問答抄」  本文P547に併記。蓮盛抄(禅宗問答抄)
(2)「女人往生抄」  本文P539(録内)、「女人成仏抄」本文P672(録外)。それぞれが目録、本文共に存在。

コンパクトな行道文庫版ですら両方記載。
学会版で女人成仏抄(録外)を入れて女人往生抄(録内)を外した理由が不明。
しかも往生抄のほうが長文。重要度は録内は女人往生抄が上ではないのか?

(3)「一代大意」   本文P214に併記。一代聖教大意(一代大意)
(4)「十法界抄」   目録と本文P238では、十法界事。行道文庫版の間違いか?
(5)「法門可申抄」  目録と本文P797では、法門可被申様之事。ユニークな遺文名の為、判別可能。
(6)「大師講書」   四条金吾の大師講書と思われる。本文がないので行道文庫版年表の間違いか?

大師講書の記述は行道文庫版の間違いかもしれないが、日蓮宗では現在でも大師講を行っている寺院が存在。
学会版年表は上記1.(6)のように遺文名の不一致がある。執筆年次については正確に記載。
但し、学会版では一ページ程度の遺文であり重要視した意味が不明。
さらに何よりも不審なのは、創価学会や日蓮正宗では大師講を重視せず大師講を行った記録が未発見。
学会が大師講を認めるのであれば、釈迦、伝教大師、天台大師等々を認めないといけなくなります。
私が入信した頃はもちろん、昭和初期から長年の釈迦仏法は不幸の要因であり、なおかつ日蓮本仏論を中心とした日蓮仏法を軸とする日蓮正宗教学や創価学会教学とは矛盾。

(7)「下山抄」      目録では、下山御消息。本文P1353

下山御消息は一つしか無い為、学会版でも行道文庫版でも判別可能。

3.その他

●【重要】遺文名について

 今は忙しくて行道文庫版をじっくりと読む時間がありません。
行道文庫版は義類別の遺文集です。
(6)に関して義類別に四条金吾編だけを読むと、理解できた良い点がありました。
行道文庫版は四条金吾という義類の中で、更にページ順に編年体になっており、便利だと思いました。

また、四條金吾殿御返事という遺文名はたくさんあります。
混乱を招かないように、遺文タイトル名も出来るだけ冒頭に近い仏教用語などを選択して別名とする「ルール」になっていると思われます。
例えば、日蓮宗でいうなら筒御器抄。筒御器で遺文本文が始まります。
本を開いて遺文を読み進めれば、納得がいきやすいですし、冒頭の単語が遺文名である場合、インデックス代わりにもなります。
加藤文雅さんか稲田海素さんなのか日蓮宗のルールかは私には分かりませんが、よく考えられ、よく出来ていると思いました。
また、遺文の新命名には日蓮宗の皆さんは慎重だったことが想像できます。

しかしながら「思惑で勝手に命名した」であろう御書全集や学会版編年体は訳が分かりません。
新命名の解説は学会版御書全集、編年体のどこにあるのでしょう?
学会版御書全集、編年体の凡例の質は悪いし、量は少ないし、昭和新修別巻のような解説本もありません。
(ここでいう凡例、解説は例えば池田大作の御書講義録の本や内容を指しません。意味が全く違います。)

御書全集と学会版編年体で遺文名が異なり不統一があります。どちらが正しいのでしょうか?
まだ詳細を未確認ですが、御書全集より改良されているはずの編年体の遺文名もおそらく昭和定本に従っておらず、独自ルールであり、その理由説明は凡例などに理由は一切ありません。
理由はあっても、せいぜい御遺文のここが重要なんだ! という思想や思惑だけでいい加減に命名したのではないでしょうか?

編年体の詳細を未確認ですが、下手すると遺文名だけでも、編年体も廃刊すべきレベルなのかもしれません。
学会が新しく遺文集を出しても、世間一般ではもう誰も信用しないでしょう。今までも御書全集に信用はありませんでした。具体的に盗用の内容が明らかになっていなかっただけです。

末端の会員は皆知らないでしょうけれど、創価大学が出す学術論文で御書全集は引用文献(リファレンス)になりません。
以前から、引用文献は昭和定本でないと学術論文として認められていないのです。
著作権法違反の疑いが濃厚な御書全集を、今後も創価大学関係者は末尾に昭和定本と共に併記するのでしょうか?

●まとめ

 御書全集の再版を出版した1954年(昭和29年)から2017年に至る63年間もの間、ずっと学会本部は手抜きをしていたと思います。
それはおそらく学会本部幹部に対し信服随従(しんぶくずいじゅう)し、媚びへつらった結果、歪んだ権威主義の現れなのでしょう。
苦労した! 心血を注いだ! とか世界で最も素晴らしい御書だ! という学会員の説明や人間革命の記述は笑ってしまいます。
そのうちもう一度、「若き日の日記」や「人間革命」を読むつもりですが、失笑するしかないでしょう。

本記事も著作権法違反の説明なのですが、働いている婦人部でも難しさとマインドコントロールから、ほとんど誰も理解できないでしょう。
学生部、男子部や69歳くらいまでの壮年部は全員が理解して欲しいところですが、壮年部は10人に1人が理解できたら御の字といったところでしょうか。

以上

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