創価学会の信仰に功徳はあるか?

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祈祷の体験談3

2020年09月22日 07時20分23秒 | 他宗の勧請/祈祷
適切なカテゴリーがないので、一般仏教にした。

前記事からの続き

●「お導き、おはからい、E−1」は現代の神道、仏教でかなり基本的

 「お導き、おはからい、E−1、おまかせは安心との相互関係」「要点Bの要素があれば安心しておまかせする言動と心の動きが可能」と書きました。

本来、お導き、おはからい、E−1は、現代の神道でも仏教でかなり基本的なことです。
導きであれば、仏教なら空海さん(774年 - 835年4月22日)以前、神道なら日本書紀まで遡れると(私が調べた限りですが、もっと遡れたらごめんなさい。)考えています。
他宗の皆さんは「知っていて身に付いてます。」1300年以上経っても基本的な事が私は出来てなかったわけです。
私は日蓮遺文以外の仏教や神道の読書もしていたので「お導き、おはからい」の話になった時にすぐに気がつきましたが、E−1、おまかせはピンと来てませんでした。
日蓮遺文にはE-2の語意も記述されているのにも関わらずです。

日蓮宗では以前(古く?)から言われている安心立命を私が書いた以後も正宗系界隈で、誹謗中傷等が収まらなかったのは日蓮遺文の読みの甘さや教える側の無能さが明確に出ていると思います。

注意の為書いておきますが、他宗では一々「お導き、おはからい、E−1」を口にして発狂するような喜び方をしません。ごくごく普通です。

要点Bの要素が分からなければ、創価や正宗に居続けるのも仕方ないかもしれません。
どうぞご自由に。私は知りませんよ。

●私の過去の肯定

 今回の一連の記事で、安心立命とお導き、おはからい、E−1、おまかせを「体験ともに結びつけて」書けてよかったと思います。
もくじ1の頃から正宗系の誹謗中傷、暴言、喧嘩、悪口罵詈(あっくめり)、冷笑等を止めるように何度書いたか分かりません。もくじ1の01番記事を何度追記、修正したことか。

●書き方について

 「お導き、おはからい、E−1、おまかせは安心との相互関係」「要点Bの要素があれば安心しておまかせする言動と心の動きが可能」と書きました。

「お導き、おはからい、E−1」が特に該当すると思いますが、普通はこうした書き方は誰もしません。基本的すぎるのと簡単なので例えば学者はテクニカルタームを並べて意義付けの為に難しく書くと思います。

私自身は創価や正宗に入信と活動した大失敗に比べれば恥ずかしくありませんね。(笑)

正宗系の人は意味不明や不可解、不自然に思うかもしれませんが、逆です。こうした事を書かないと元創価、元正宗、元顕正会の止めた人であっても危険なままか頭おかしいままだと世間一般の人々に思われて当然か自然です。

宗教者からか、神仏からの安心を経験したほうが、より迅速な脱カルトになる可能性があります。
但し、宗教者が宗教的に清貧、有能であることが必須です。(真面目や思いやりなど)

安心とは逆の不安さや怖さ等を理由に正宗系の人は嫌われたり気持ち悪がられるのですよ。わかりますか?

仏教でも神道でも仏様や神様が、正宗系の人がよくする誹謗中傷、暴言、喧嘩、悪口罵詈、冷笑等を最優先したり推奨するはずがありません。

●今も安心立命や「お導き、おはからい、E−1、おまかせできる安心」を実体験しているかもしれません。

 私自身も「お導き、おはからい、E−1、おまかせできる安心」をよく分かっていませんでした。
JSCPRで安心立命を理屈だけ学んでも意味がない。
日蓮宗の文献で安心立命などの宗教語彙の理屈だけ学んでも意味がない。

大事なのは、安心立命や「お導き、おはからい、E−1、おまかせできる安心」を過去に実体験し、今後も体験可能かもしれない点です。
これはかなり重要な事で私が死ぬまでのテーマになるでしょう。

●自分の祈りは変わるのか?どう変化するのか?

 これも私自身の死ぬまでのテーマになるかもしれません。
ブログ立ち上げ後しばらくしてから一般的な神社仏閣には参拝しています。
また日蓮宗など現代の他宗を馬鹿にしていませんでした。
これらが良くて神仏のお導きでCさんに出会えたのかもしれません。

Cさんの祈祷(祈り)は専門職の祈祷です。
私は専門職でありませんし、どの教団でも一般信者です。
特定教団によらず多くの神仏に向き合い専門職でない普通の祈りが人並みに復活するのかもしれません。

●ふと思ったこと1

 体験と元に幸福を実感した後、日蓮遺文を思い出しました。

行道文庫
「只南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪やあるべき、来らぬ福やあるべき。」
昭和定本
「今又法華経を信人はさいわいを万里の外よりあつむべし。今又法華経を信人はさいわいを万里の外よりあつむべし。」

日蓮さんは神仏を信じるだけでなかったので、確信的に言えたのかもしれません。
私が主張したい「何か」は法華経や曼荼羅本尊、題目ではありません。

●ふと思ったこと2

現代の浄土宗でどれだけ拡大解釈されているかわかりませんが、「安心してお任せ」は死後を任せる阿弥陀仏思想と部分的に一致すると思いました。
現代だと生きている間でも阿弥陀仏に安心してお任せなのでしょうか?

(主旨)阿弥陀仏が我々に向かって「私に任せなさい、あなたを必ず救うから安心して生きなさい」とあるみたいです。

(続く)
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祈祷の体験談2

2020年09月19日 01時02分03秒 | 他宗の勧請/祈祷
適切なカテゴリーがないので、一般仏教にした。

前記事からの続き

●私の祈祷見聞録。

 お導き、おはからいも驚いたのですが最初の祈祷を受けた時の印象も強烈でした。
聖職者と要点Bの要素に関わった私の最初の感想は「パワーが違いすぎる」としか言い様がなかったです。

正宗日蓮や創価日蓮では祈っても何も進展は無いと考えています。
その証拠もあると私は見ており、正宗や特に創価がその色が濃いです。

●私の吉事見聞録。

 私の体験でしかありませんが、一つだけ神秘体験をしています。
何かを見たようなのですが、対象が何かは今でも分かりません。

他の体験は日蓮遺文集の入手でしょうか。
日蓮遺文集である「行道文庫 日蓮聖人御遺文」初版と創価版全集を入手出来る確率は極めて低いと思います。
以前から創価や正宗の教団自体が無くなって欲しいとは思っていましたが「行道文庫の初版と創価版全集が欲しい」と私は祈っていません。

また、話は変わりますがCさんの周りに起きる吉事であれば30くらい見聞きしています。
関わった人の数は延べ人数15人以上。

●私の幸せレベルはまだ低いかも?

 私の「お導き、おはからい、Eー1」について他宗の皆様から見たら私は小中学生くらいのレベルかもしれません。
何を言っているのか分からないと思いますが3つとは別の「おまかせ」については私は理解も殆ど出来ておらず、納得もあまり出来てないと思います。「おまかせ」は1mmくらいは理屈だけを理解しているかも?(笑)後述します。
過去に幸せや安心が少なかった故、あるいは証拠と言えるでしょう。

正宗系教団の人に多い疑心暗鬼や怒り、虐待、不健全な命令、不安がつきまとう事例はCさんと周囲の人にはありません。

仏教だけでなく無宗教、キリスト教、神道の人と仲良くしお導き、おはからい等を感じ取れる幸せな自分でいたいと思っています。「ありがたや、ありがたや」でいいかと。

なお、正宗系の誰にも布教する気はありません。

●重要キーワード「安心立命」

 過去記事でJSCPRの勉強会について記事を私は幾つか書いています。

その中での重要キーワードが「安心立命」です。これについては仏教教典や他者救済の解説で理解可能ですし「安心立命」の熟語がなくても日蓮遺文の意味を理解すれば少しは学べます。
「安心立命」については現代の日蓮宗の書籍でも学べます。
書籍に付箋は貼ってあるはずですが、署名はメモしておらず失敗です。
今回の一連の記事を書くと分かっていなかったので、読書ノートを正確に書くかメモしておけばよかったです。

正宗系教団から「安心立命」が学べるはずがありません。
各教団トップが「ごめんなさい」と言えないでしょう。
トラブルを起してなんの反省もありません。

●「お導き、おはからい、Eー1、おまかせ」は安心との相互関係

 要点Bの要素があれば「安心しておまかせする」言動と心の動きが可能です。
無ければ出来ません。断言します。
お導き、おはからい等と両立するのは言うまでもありません。
「お導き、おはからい等々が100%でなくても、パワーがあれば信じる人は安心出来ます。」

●要点Bの要素がないとどうなるのでしょうか?

 安心の反対は不安です。常に池田大作や故・阿部日顕を目標として折伏布教の強制や奴隷根性がしみつくと怒り、脅迫など不安しか生まれないと私は考えています。

常に池田大作や故・阿部日顕などの問題人物を目標とするか、折伏布教(新聞啓蒙や公明得票)の数が問題になってくるわけです。
しかし命令する側の各教団トップ達の折伏布教能力は皆無で努力すらしていないのが現状です。
他宗派の教団トップの僧侶が入信した事実どころか折伏の公開記録すらありません。
日蓮遺文は折伏の公開記録の一面があるくらいですから大きな矛盾と言えるでしょう。
生き仏がいても構いませんが、その証拠はどこにあるのでしょうか?

”要点Bの要素がない”と考えると、つまりは無縁であり替わりとして現代で誤解される日蓮本仏論、池田本仏論、法主本仏論、凡夫本仏論が主張するしか手段がないと私は考えています。

(続く)

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祈祷の体験談1

2020年09月16日 07時09分31秒 | 他宗の勧請/祈祷
適切なカテゴリーがないので、一般仏教にした。

●注意事項

 本記事の証拠は特にありませんし日蓮遺文にあるような文証・理証・現証の理屈はありません。
私自身の体験でしかありませんし強く主張するつもりもありません。
話半分や話1/10で読んでもらえればいいと思います。
創価学会的な確信だとか絶対だとかはありません。

教団名についてはAとだけ明記します。教団名がバレて創価員や法華講員の嫌がらせがあると困るので、一切ご質問や誘導質問にはお答え出来ません。
今後は、メールや電話、オフ会などで祈祷について質問や問い合わせなど私の意見や書籍の紹介も一切お断りします。
私からは表向き「知りません。」と答えるしかありませんが、それで全く構いません。

●何故、話半分や1/10で読んでもらえればいいのか?

 昔から今でもネットでもリアルでも日蓮正宗(以下、正宗)系の人は他宗の幸福体験や幸せの理由、信仰を認めていません。
ですから私の体験も否定するでしょう。こうしたことをわかっているので話半分でもいいのです。

但し、私自身はもくじ1の頃に書いた通り創価員でも正宗法華講員でも幸福であればいいことだし不幸なら残念だとか可哀想だとか思います。理由を問題視しています。この考え方は当時から変わっていません。
(もくじ1の頃とはnanaさんtabukenさんの荒らしがあった頃。)

●要点は2つあります。

 教団Aで要点BについてCさんから学び、私は様々な体験を得ました。
(教団Aを知ったのは今から約五年以内と書いておきます。)
補足として教団Aとは関係ないDさんから、別の要点Eを学んでいます。
本記事は要点Eについてです。
要点Bは伏せるので正宗系信者は誰も分からないと思います。

ちなみに独歩の会、SUGATA塾と教団A、教団Aの紹介者2名は全く無関係です。
紹介者2名の方々にも、とても感謝しています。

●要点Eとは何か?

 教団Aは正宗でも日蓮宗系でもありません。

要点Eとは、お導き、おはからい、他(E-1)です。

日蓮遺文にも「導き」「はからい、計らい、御計」と多数出てきます。

●事例:教団Aとは無関係な日蓮遺文の「導き」を抽出。

□導き(昭和定本)
聖愚問答抄
善無畏三蔵抄
呵責謗法滅罪抄
□導き(全集)
諌暁八幡抄
観心本尊抄
報恩抄
頼基陳状

□導師(昭和定本)
23件
□導師(全集)
8件

他(E-1)については、漢字二文字の熟語(E-2)であれば日蓮遺文にも出てきます。
立正安国論、開目鈔、観心本尊抄、撰時鈔、立正安国論(広本)、師子王書、諌暁八幡抄、他二十数件。
日蓮宗の人は漢字二文字の熟語(E-2)を間違いなく分かっています。
(E-1)と日蓮遺文の熟語(E-2)が全くの同一の意味で書かれているかは、今の私にはもう興味ありません。が、日蓮さんが(E-1)を知らなかったのなら私にとって軽蔑と笑いの対象者になるだけです。

他(E-1)については正宗系だと誤解ありきと中傷を受けるのは必定なので省略。

●正宗系以外の教団の皆様にとっては言うまでも無いことです。

要点Bや要点E群「お導き、おはからい、他(E-1)」からは思いやり、慈悲、愛情、許し、お礼、感謝等々と深い関わりがあるのが事実だと思います。

●有り難さや感謝

私は教団Aの祈祷を知り関わることで、幸福な体験だけでなく様々なことを知りました。
10回生まれ変わっても同じ体験出来ないのでは無いか?と思うくらいです。

要点Bや要点E群に有り難いと思うのと感謝しています。

●感想

「(お)導き」「(お)はからい」は日蓮遺文に存在します。おそらくはE-2の意味だけでなくE-1も。
しかし正宗系では創価退会まで全く学べませんでした。退会後もネットにおいても
「要点Bや要点E群に有り難いと思い感謝できる文章は皆無」
でした。

ですから私にとって衝撃的でした。不幸の衝撃ではなく知的体験と実利な幸福体験として衝撃でした。
要点Bをしらないのは、もうどうしようもない。ヒントだけなら不動愛染系の過去記事に書いてあります。

(続く)
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