創価学会の信仰に功徳はあるか?

コメントする人は「01.創価学会の信仰に功徳はあるか?を書く前に」を読んでね。

備忘録 浄土三部経の概要

2015年07月19日 09時42分53秒 | 一般仏教
死の直前にする修行としての念仏は良いのかもしれません。
日常の修行としては現代人の私からすると、やや疑問です。今は。
今の私には念仏はあまり好きではありません。
(学会や正宗は大嫌いです。)

備忘録

●浄土三部経

無量寿経 観無量寿経 阿弥陀経

無量寿経が一番大事な経典らしい。

●阿弥陀

サンスクリットの音写

阿弥陀如来の阿弥陀とは2つの意味があるとされる。

アミターユス(無量寿)
アミターバ(無量光)

アは否定。ミタは量るの過去分詞で「量られる」
アミタで量られない

アーユスは命
アーバは光明

それぞれの言葉がくっついて アミターユス アミターバ。

●四十八の誓願(本願、根本になる願い)

第17願成就文は、
「十方恒沙の諸仏如来、みなともに無量寿仏の威神功徳不可思議なるを讃嘆したまふ」

現代語訳
「わたしが仏になったとき、 すべての世界の数限りない仏がたが、 ことごとくわたしの名号をほめたたえないようなら、 わたしは決してさとりを開くまい」
(浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類 現代語版より)

第18願成就文は、
「あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと乃至一念せん。 至心に回向したまへり。かの国に生れんと願ずれば、すなはち往生を得、不退転に住せん。 ただ五逆と正法を誹謗するものとをば除く」

現代語訳
「あらゆる衆生が、その名号を聞いて信じ喜び、 わずか一回でも仏を念じて、 心からその功徳をもって無量寿仏の国に生れたいと願えば、 みな往生することができ、 不退転の位に至るのである。 ただし、五逆の罪を犯したり、 仏の教えを謗るものだけは除かれる」

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乃至一念の念とは中国仏教、日本仏教では 称名念仏 ととらえられた。

●浄土に往生するには三心

ただ念仏を唱えれば良いというものではなく三つの心が必要。

至誠心、深心、回向発願心
(観無量寿経)
至心、信楽、欲生
(無量寿経 第18願)

●一遍上人の体験

熊野権現「おまえ(一遍上人)の勧めによって往生するのではない、全ての人の極楽往生は(人の信不信に関わらず)阿弥陀仏によってすでに決定されている」

一遍上人、熊野成道:熊野の説話

 「融通念仏を勧める僧よ。どうして悪い念仏の勧め方をされるのか。御坊の勧めによって、一切衆生ははじめて往生するわけではない。阿弥陀仏が十劫の昔に悟りを開かれたそのときに、一切衆生の往生は阿弥陀仏によってすでに決定されていることである。信不信を選ばず、浄不浄を嫌わず、その札を配らなければならない」と、お告げなさる。

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後の作り話だと思いますが、こういう話は日本仏教的で好きですね。
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「墓じまい」を知っていますか?僧侶が“お寺のタブー”挑戦

2015年07月13日 23時52分01秒 | 一般仏教
「墓じまい」を知っていますか?僧侶が“お寺のタブー”挑戦 (スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150713-00000084-spnannex-ent



スポニチアネックス 7月13日(月)10時55分配信

穏やかな表情で話す清野勉さん

 納棺を執り行う「おくりびと」は広く知られるようになったが、いま、墓を撤去する「墓じまい人」に注目が集まり始めている。跡継ぎがいないなどの理由で、先祖代々の墓を手放す人が増えているためだ。どんな作業をするのか。訪ねてみると、墓石だけでなく、依頼者の“後ろめたい心”も取り去ろうとしていた。

 ガガガ、ドドッ、ドドド…都内の静かな墓地に、コンクリートを砕く音が響き渡る。墓石を撤去し、骨つぼを取り出した後、“墓じまい人”清野勉(55)は基礎部分を壊した。かつては花が供えられ、線香の煙が漂っていたであろうこの墓の持ち主は、埼玉県三郷市に住む70代の男性。「跡継ぎがない上に奥さまを介護しなくてはならなくなり、墓参りが難しくなったことから依頼されました」と話した。

 ほとんど目にすることはない墓じまいの作業。骨つぼを出せば「はい終了」という簡単な話ではなく、墓のあった区画は更地に戻した上で返却するのだという。清野が僧侶と知って驚いた。ハンマードリルや小型ショベルカーを巧みに操っていたからだ。公営や民間の霊園では、魂を抜くためお経を上げる。作業は墓の大きさにもよるが、1~3日で済む。

 墓じまいの後、遺骨は別の墓に改葬されることもあるが、依頼人の多くは散骨を希望する。墓がなくなったら、自分の骨はどうするのか。「自分も先祖と同じように散骨してほしいとおっしゃられますね」

 墓じまいの理由は、(1)跡継ぎがいない(2)跡を継がないと子供に言われた(3)娘しかいない(4)檀家(だんか)料を背負わせるのはかわいそう(5)寺が代替わりした――などさまざま。核家族化、少子高齢化、晩婚化という社会的背景が、お墓事情にも大きく影響している。どこかで策を講じなければ、無縁墓になるだけ。それも困る。清野は「墓じまいをするのは後ろめたいことだという思いがある。お墓はいつかは絶えるもの、誰が悪いということではないという意識を持ってもらうことが大切」と話す。自分らしい最期を迎える“終活”が注目されお墓への意識も少しずつ変わってきたという。

 公営や民間の霊園なら、改葬手続きや作業も比較的簡単に済む。厄介なのは一部の寺院だという。檀家の減少は寺の存続にも直結するため、寺側は墓じまいを阻止しようと必死の説得を試みる。「ご先祖さまも悲しんでおられます」はまだ優しい方。中には「数百万の離檀料(これまでの寺へのお礼)を依頼人に請求したり、一緒に行った先では“地獄に落ちるぞ!”と言われたこともあります。困っている人を救うのが宗教であるべきはずなのに」。半年間にわたる交渉でやっと許されたこともあった。

 「お寺さんからしてみたら、自分のやっていることは嫌われることかもしれません。タブーへの挑戦なんです」と笑った。

 寺でのお勤めを経て、12年前に葬祭サービス「やすらか庵」(千葉市若葉区)を立ち上げた。散骨・粉骨業を中心にしていたが、5年ほど前から「墓を片付けるのはどうすればいいのか」という相談が増えたため、2年前に墓じまいをメニューに加えた。これまで約60件手掛けた。依頼者の多くは70~80代だ。雨の日は作業ができないこともあり、月3件で手いっぱい。もうかるのか。「借金はないので、損はしていないということなんでしょう」。なるほど、僧侶らしい答えが返ってきた。

 取材を終えた後、実は我が家も姉妹だけであることを告げた。「あぁ予備軍ですね。そういう方は本当に多いんですよ。元気なうちに考えてみるといいですよ。墓じまいは“心じまい”でもありますから」

 今月末は母の命日。父が健在のうちに家族で話し合い、心にある後ろ暗い気持ちを整理してみようと思った。 =敬称略=

 ≪1平方メートル7万8000円から≫「やすらか庵」の墓じまいの費用は、1平方メートル当たり7万8000円(税抜き)から。墓石撤去は石材店でも引き受けてくれるが、「全日本葬祭業協同組合連合会」(東京)は「データがなく、何社が行っているかは分からない」という。

 2013年度に墓じまい(改葬)された墓の数は8万8397件で、前年度の7万9749件より1割ほど増加している(厚生労働省「衛生行政報告例」から)。青山、多磨など8カ所の都立霊園を管理する東京都公園協会では高齢化による跡継ぎ減は織り込み済みで、98年に小平霊園(東村山市)内に合祀(ごうし)墓を設置した。今後は他霊園にも建設予定で「計画的に進めています」(同協会)という。
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「平和の党の看板、洗い直して」 公明離党し町議3選

2015年07月11日 12時51分55秒 | 創価学会
「平和の党の看板、洗い直して」 公明離党し町議3選:朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASH756D5GH75OIPE01B.html

2015年7月9日18時00分

写真・図版愛知県武豊町議の本村強さん
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 愛知県武豊町議の本村強さん(62)は創価学会員だが、与党として安倍政権を支える公明党には属さない。安全保障関連法案の国会審議で、違憲との指摘がやまないことに意を強くしている。

 「戦争ほど、残酷なものはない」。池田大作名誉会長の著書の言葉を肝に銘じる。自公政権は自衛隊の海外での活動を広げてきたが、学会員が支える公明党は「ブレーキ役だ」と思うように努めた。

 だが、他国の戦いに加わる集団的自衛権の行使容認は「いくら何でも違憲だ」と考えた。昨年6月、反対の意見書を共産町議らと議会に出し可決。会派の同僚と亀裂が深まった。昨秋に党を離れた。

 無所属で臨んだ今春の町議選。「あなた個人の票は得票の2%」と学会関係者からは言われたが、3選された。得票は党公認だった前回の9割を超えた。

 「集団的自衛権 断固反対」ののぼりを掲げた本村さんを陰で応援する学会員や、新たな支援者がいたからだと思う。古巣を恨まず、願う。「平和の党の看板を洗い直してほしい」(斉藤太郎)
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被害女性の勝訴確定=幼少期、親族が性的虐待―除斥期間認めぬ二審支持・最高裁

2015年07月10日 01時38分36秒 | その他

被害女性の勝訴確定=幼少期、親族が性的虐待―除斥期間認めぬ二審支持・最高裁

時事通信 7月9日(木)18時10分配信

 幼少期の性的虐待で心的外傷後ストレス障害(PTSD)やうつ病を発症したとして、北海道釧路市出身の40代女性が叔父に損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第2小法廷(山本庸幸裁判長)は8日付で、叔父側の上告を退ける決定をした。女性の請求をほぼ認め、叔父に約3000万円の支払いを命じた二審札幌高裁判決が確定した。
 訴訟では、不法行為から20年で賠償請求権が消滅する「除斥期間」が経過したかどうかが争点だった。叔父は虐待について一部認めていた。
 二審判決によると、女性は3歳から8歳にかけて叔父から繰り返し性的虐待を受けた。これが原因で1983年ごろにPTSDなどを、2006年ごろにうつ病を発症したが、病名の診断を受けたのはいずれも11年だった。
 一審釧路地裁は、除斥期間の起点を遅くとも最後に虐待のあった83年と判断し、女性が提訴した11年には20年が経過しているとして、女性の請求を棄却した。
 これに対し、二審はそれぞれの病気の発症時期を起点に判断。PTSDは除斥期間が経過しているが、うつ病は経過していないと指摘し、叔父に慰謝料2000万円や治療費約900万円などの支払いを命じた。
 女性側は、親や兄弟を含む親族間の幼少期の性的虐待では(1)家族関係が破綻することを恐れ、被害を隠そうとする(2)親などが虐待を知っても、加害者をかばう―などの特徴があると指摘。女性も当てはまり、成人になるまで賠償請求は困難だったとも主張したが、一、二審は「請求が不可能とは言えない」として、認めなかった。 
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過去記事や過去コメント、学会員2世3世の人の体験からすると、マインドコントロールも親(この場合は叔父)の虐待も数年(宗教被害の時効は3年)という時間内に虐待などの被害だったと気がつくのに短すぎると思う。

「日蓮が慈悲広大ならば、南無妙法蓮華経は万年のほか未来までもながるべし。」

宗教法人の教えの内容を、ある程度とはいえ、お役所が認め、後押ししているのだからその責任は、教団が存続している限り、認めてほしいと思う。

オウムの宗教法人認可と殺人を考えれば、事件やテロ行為をするような団体が宗教法人を認められるわけがない。
一度認められたら、なかなか不認可とならないのは問題だろう。

以上
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【日記】しばらく前に久々に法華経で思考停止した。(笑)

2015年07月05日 23時11分43秒 | 創価学会
 しばらく前に久々に思考停止した。(笑)

今まで思考停止って仏教学関係でほとんどなかったけど、学会員時代のマイナスな何かが残っているのかもしれない。理由は定かでないが停止した。ww 
親子関係に関わるいくつかのテーマで、2度3度思考停止はあったのですけどね。
わからないとか理解できないとはやっぱり違う思考停止。

人間に驚いても仏教学で驚きたくない私にとって、経典内容そのものには驚かなかったからきりぎりセーフかな。ヽ(^o^;)ノ
単なる一経典というだけでなく仏教文化や人間育成という観点から、歴史や経典を学ぶと日蓮さんを含め昔の人は偉かったと思うことが数年前から多くなり、約2年ほど前からは確実に多くなっている。

そんな私にとって今学んでいる多くの仏教学や心理学、人付き合いはプラスになっていて、過去の何か、、、、たぶんマイナスになっているのは創価班か何かの指導会での服従や絶対を強いる教えだと思う。
記憶にはないが、おそらく学会員時代に熱を入れた経典部分であって、学会教学や学会精神が混じっている可能性は高いと思う。あるいは、経典部分をなんとなく非カルト的に理解出来ていたのに、全く無視して学会活動で歪んだ学会精神やカルト的な認識のもとに無理に学会的に理解しようとしていた可能性がある。
度々書いているように「言っていることとやっていることが違う」不健全な状態と同じで「考えていることとやっていることが違う」と言えばいいのだろうか。


体験ではなく一般論だが、+とマイナスのギャップの中に当人にとって 大事なもの、真剣なもの、真剣に取り組んだもの、真面目でありたい、望んでいたもの、傷つきたくない、大事な人間関係、等々であることが多い。
それぞれの項目が、過去か今のどちらの何にあてはまるかは、人による。。。と思う。
過去にプラスマイナスあれば、今にもプラスマイナスあるだろう。

というのも私の場合、過去に親子関係で思考停止しても、(乗り越えたかどうか、変えることが出来たか?とは違い)思考停止はマイナスにはならず対処ができている。
親はもう変わりようがない。

今日も同じ法華経某〇〇品の一節がテーマで思考停止はしなかったものの、やはりチンプンカンプン。w
彼の解説には、ほぼ嘘(?)(笑)があると思うし(わざとそう言っている?)、ごまかしやいい加減が混じっていて、なんとなくからかわれているようにもにも感じるが、いつものことだし仕方ないか。(笑)
法華経だけでなく、様々なことに学会員時代の現代的な信じるとか信仰とは程遠い認識が今の自分にはある。とはいえ彼とは頭の出来が違うのだし、分かっても分からなくてもどちらもでも、まぁいいか。

思考停止した法華経某〇〇品の一節、自分にとっては原始仏教と合わせてちょっとしたテーマになるのかもしれない。

学会員時代、分かったつもりで行動していたので、出来れば何時の日か行動した後に理解に気がつけばいいとおもうけど、どうなることやら。お気楽が一番かな。

以上。
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