死の直前にする修行としての念仏は良いのかもしれません。
日常の修行としては現代人の私からすると、やや疑問です。今は。
今の私には念仏はあまり好きではありません。
(学会や正宗は大嫌いです。)
備忘録
●浄土三部経
無量寿経 観無量寿経 阿弥陀経
無量寿経が一番大事な経典らしい。
●阿弥陀
サンスクリットの音写
阿弥陀如来の阿弥陀とは2つの意味があるとされる。
アミターユス(無量寿)
アミターバ(無量光)
アは否定。ミタは量るの過去分詞で「量られる」
アミタで量られない
アーユスは命
アーバは光明
それぞれの言葉がくっついて アミターユス アミターバ。
●四十八の誓願(本願、根本になる願い)
第17願成就文は、
「十方恒沙の諸仏如来、みなともに無量寿仏の威神功徳不可思議なるを讃嘆したまふ」
現代語訳
「わたしが仏になったとき、 すべての世界の数限りない仏がたが、 ことごとくわたしの名号をほめたたえないようなら、 わたしは決してさとりを開くまい」
(浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類 現代語版より)
第18願成就文は、
「あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと乃至一念せん。 至心に回向したまへり。かの国に生れんと願ずれば、すなはち往生を得、不退転に住せん。 ただ五逆と正法を誹謗するものとをば除く」
現代語訳
「あらゆる衆生が、その名号を聞いて信じ喜び、 わずか一回でも仏を念じて、 心からその功徳をもって無量寿仏の国に生れたいと願えば、 みな往生することができ、 不退転の位に至るのである。 ただし、五逆の罪を犯したり、 仏の教えを謗るものだけは除かれる」
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乃至一念の念とは中国仏教、日本仏教では 称名念仏 ととらえられた。
●浄土に往生するには三心
ただ念仏を唱えれば良いというものではなく三つの心が必要。
至誠心、深心、回向発願心
(観無量寿経)
至心、信楽、欲生
(無量寿経 第18願)
●一遍上人の体験
熊野権現「おまえ(一遍上人)の勧めによって往生するのではない、全ての人の極楽往生は(人の信不信に関わらず)阿弥陀仏によってすでに決定されている」
一遍上人、熊野成道:熊野の説話
「融通念仏を勧める僧よ。どうして悪い念仏の勧め方をされるのか。御坊の勧めによって、一切衆生ははじめて往生するわけではない。阿弥陀仏が十劫の昔に悟りを開かれたそのときに、一切衆生の往生は阿弥陀仏によってすでに決定されていることである。信不信を選ばず、浄不浄を嫌わず、その札を配らなければならない」と、お告げなさる。
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後の作り話だと思いますが、こういう話は日本仏教的で好きですね。
日常の修行としては現代人の私からすると、やや疑問です。今は。
今の私には念仏はあまり好きではありません。
(学会や正宗は大嫌いです。)
備忘録
●浄土三部経
無量寿経 観無量寿経 阿弥陀経
無量寿経が一番大事な経典らしい。
●阿弥陀
サンスクリットの音写
阿弥陀如来の阿弥陀とは2つの意味があるとされる。
アミターユス(無量寿)
アミターバ(無量光)
アは否定。ミタは量るの過去分詞で「量られる」
アミタで量られない
アーユスは命
アーバは光明
それぞれの言葉がくっついて アミターユス アミターバ。
●四十八の誓願(本願、根本になる願い)
第17願成就文は、
「十方恒沙の諸仏如来、みなともに無量寿仏の威神功徳不可思議なるを讃嘆したまふ」
現代語訳
「わたしが仏になったとき、 すべての世界の数限りない仏がたが、 ことごとくわたしの名号をほめたたえないようなら、 わたしは決してさとりを開くまい」
(浄土真宗聖典 顕浄土真実教行証文類 現代語版より)
第18願成就文は、
「あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと乃至一念せん。 至心に回向したまへり。かの国に生れんと願ずれば、すなはち往生を得、不退転に住せん。 ただ五逆と正法を誹謗するものとをば除く」
現代語訳
「あらゆる衆生が、その名号を聞いて信じ喜び、 わずか一回でも仏を念じて、 心からその功徳をもって無量寿仏の国に生れたいと願えば、 みな往生することができ、 不退転の位に至るのである。 ただし、五逆の罪を犯したり、 仏の教えを謗るものだけは除かれる」
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乃至一念の念とは中国仏教、日本仏教では 称名念仏 ととらえられた。
●浄土に往生するには三心
ただ念仏を唱えれば良いというものではなく三つの心が必要。
至誠心、深心、回向発願心
(観無量寿経)
至心、信楽、欲生
(無量寿経 第18願)
●一遍上人の体験
熊野権現「おまえ(一遍上人)の勧めによって往生するのではない、全ての人の極楽往生は(人の信不信に関わらず)阿弥陀仏によってすでに決定されている」
一遍上人、熊野成道:熊野の説話
「融通念仏を勧める僧よ。どうして悪い念仏の勧め方をされるのか。御坊の勧めによって、一切衆生ははじめて往生するわけではない。阿弥陀仏が十劫の昔に悟りを開かれたそのときに、一切衆生の往生は阿弥陀仏によってすでに決定されていることである。信不信を選ばず、浄不浄を嫌わず、その札を配らなければならない」と、お告げなさる。
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後の作り話だと思いますが、こういう話は日本仏教的で好きですね。