創価学会の信仰に功徳はあるか?

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211.日蓮の過激な言動と創価学会教義とその批判

2007年08月26日 01時39分19秒 | 創価学会
創価学会の信仰に功徳はあるか? 地獄論、罰論、メモ(その1)
『立正安国論』は正しく読みましょう  Libraさんのコメント より。

『立正安国論』は正しく読みましょう (Libra@かじってナンボの商売だ)
2007-08-14 23:10:15
 本題からはズレますが、『立正安国論』を誤読している人がまだおられるようなので、以下を引用しておきます。

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 注目されるのは、これらの法難において、決して日蓮側から暴力をもって攻撃しなかったということである。攻撃を受けたとき、確かに日蓮側も武力をもって防戦したが、日蓮側から仕掛けることはなかった。日蓮の過激な言動を見るとき、これは意外にも見えるが、日蓮は決して暴力主義者ではなかった。確かに本書の第七問答では、殺生をも辞さないという文面が見られるが、その点を問題にした第八問答では、「釈迦以前の仏教では、罪人を斬るけれども、能忍(釈迦)以後の経説では、その人への布施を止める」(二二四)と、釈尊以後の仏教では、悪法に対して布施しない、すなわち、経済面での非協力こそ、悪法廃絶への道であるという信念を明らかにしている。日蓮の過激な言動は、『立正安 国論』の上奏をも含めて、いわば敵側を刺激し、その行動を炙り出すアジテーションという戦略的な役割を果しているのである。

(末木文美士『日蓮入門──現世を撃つ思想』、ちくま新書、2000年、p. 95)
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1.日蓮は鎌倉時代に生きていた。

日蓮は武士が台頭しつつある鎌倉時代に生きていたので殺生が当然の時代だったと考えています。


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当時の常識の一つとして「首をはねよ」といったと考えています。日蓮は公の場で対決を望みましたから、

「私、日蓮が説得(折伏など)しましょう。」

という一面やそのつもりもあったのでしょう。しかし立正安国論においては残念ながら、仏教思想の一面である縁起、無常、無我、その延長としての対話や説得や慈悲(?)という姿勢ではないと思います。

「私のいうことを聞いて他宗の人間を殺せ」

対話、説得、慈悲ではない攻撃的な面です。武士の役割の一つとして考えたのではないでしょうか?

★日蓮に他者批判、他宗排除、「害す、殺す」などの攻撃的な面があったのは間違いないと思います。

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殺生が当然の鎌倉時代の常識があったためかはわかりませんが、涅槃経を引用したのは事実です。当時の常識の一つとして(場合によっては)殺生をも辞さない、という姿勢や考えがあったのでは?と想像します。日蓮は公の場で対決を望みましたから、

「私、日蓮が説得(折伏など)しましょう。」

という一面やそのつもりもあったのでしょう。立正安国論においても仏教思想の一面である縁起、無常、無我、その延長としての対話や説得といえるでしょう。但し、説得の姿勢はかなり強く主張したと思います。 ”殺生が当然でない現代” の創価学会が「のたれ死ぬまで攻め抜け!」と解釈するくらいですから、 ”殺生が当然の鎌倉時代”当時、日蓮の手紙を受け取った人がどの様に解釈したか???、、、残念ながら今の私には不明です。


少なくとも涅槃経の「問答無用で?いきなり殺しても罪になるどころか功徳がある。」という立場、解釈ではなく、日蓮は「いきなり殺すのではなく、まずは布施をしないぐらいなら当然だ」という解釈で良いと思います。


法華経を根拠、理由に政治家兼、武士の役割の一つとして責任ある態度や政治的執行を求めたのではないでしょうか?

地獄論、罰論とあまり関係がありませんが。。。。。

☆日蓮には他経を学びつつ、法華経を最終目的及び、結論として自他共に信仰する必要があると考えたと思います。

☆日蓮は法華経をノンフィクションとした、という意見があるが、涅槃経はノンフィクションとして捉えたのか?

 経文の捉え方には厳しかったが、「その人への布施を止める」ということは「のたれ死ぬ」可能性があるがそのことをどこまで許容したのか?
その人次第だが改心すれば良いが改心しなかった場合、日蓮はどの様に考えたのか?
もしかすると経文には厳しかったが人には優しく、他宗の人であっても慈悲はあったかもしれない。

☆日蓮一生トータルの考え方として「害す、殺す」など、どこまで許容したのか?
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歴史的な順序がよく分かりませんが、日蓮の弟子が殺されたこともあったようですし、日蓮が立正安国論において「首をはねよ」と考え書き顕したの””涅槃経を引用して書き残した事こと””は鎌倉時代の人間としては普通かもしれないが現代では通用しないと思います。

富士門流信徒の掲示板 素朴な疑問 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/3318-3332

日蓮の遺文に多数、「害す、殺す」という記述が見られるようですし、私にはとても「真蹟遺文を精査して読めませんが」ここに関しては犀角独歩さんの3321の意見に賛成です。富士門流信徒の掲示板 素朴な疑問http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/3321



2.創価学会の教義と思想

 明らかに創価学会には仏教教団とは思えない、宗教教団とは思えない、ポア思想があると思います。

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聖教新聞では反逆者、退転者、あるいは悪人として扱われ、
「青年よ、仏敵を打ち砕け。学会迫害の悪人は厳罰でのたれ死ぬまで攻め抜け」
'04年11月18日付け聖教新聞より。
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私のブログ上で「のたれ死ぬまで」で検索してみてざっと読んでみて下さい。
厳罰、仏罰、こうした言葉が聖教新聞紙上に掲載されていることからしても創価学会員(日蓮系宗教全般??)は
まじない信仰のような何らかの力かあるいは本尊、あるいは祈り、あるいは行動のどれかによって、厳罰、仏罰、がある。「攻め抜け」という「学会員が敵対者に対して罰を加えるか与える」という立場だと思います。

日蓮の”良き”思想が悪用か誤解されていると思います。
(良き思想というのは日蓮にも良い面も悪い面もあり、正しい思想もあり間違っている思想もあるということです。)

★創価学会にも他者批判、他宗排除(敵対者が死ぬように祈る)などの攻撃的な面があるのは間違いないと思います。

「私、池田大作のいうことを聞いて敵対する人間を○○○○」対話、説得、慈悲ではない攻撃的な面です。池田氏の死後、こうした姿勢が変わって良くなれば池田教、池田独裁だった証拠ですし、変わらなければ学会本部自体がカルト集団ということでしょう。

3.いわゆるアンチ創価と呼ばれる人々の注意、警鐘、警告、アドバイス

 チョンガーさん、freeさんの記事は 「北条時頼が日蓮の立正安国論をどの様に考えたか?」 というのを時頼や現代人の立場から”考察”していると思います。
また、現代人の意見、考察として下記のような「世界大戦と日蓮主義」という考察もあります。
創価学会の彼女との関係:世界大戦と日蓮主義 - livedoor Blog(ブログ)
日蓮の思想がどのように悪用、誤解されているかは具体的には論じませんが、結論としてだけでも上記2の創価の教義と思想、そして過去の歴史的経緯もあります。

★いわゆるアンチ創価と呼ばれる人々としては「”現代の”創価学会が持つ日蓮的カルト思想の危険性」(日蓮仏法の危険性ではない)を一般人、及び学会員の関係者に訴えることは当然のことでしょう。

(学会員や正宗の人間に何処まで通用するかは全く不透明です。1人もいないわけではないでしょう。)

4.補足:2の原因

創価学会の彼女との関係:世界大戦と日蓮主義 - livedoor Blog(ブログ)
ちょうどここにもcanary_windさんの見解が書かれていますが、【日蓮正宗、及び創価学会に特有】の【日蓮本仏論】の危険性が書かれています。
私も同意見であり、さらに私としては、【日蓮正宗、及び創価学会に特有】ともいえる【日寛教学や大御本尊、日蓮の真筆とは認められない遺文】を持ち出していることにも疑問を感じています。その結果としてポア思想、や「日蓮大聖人に帰依しなければ日本は滅びる」という本を出版しています。

canary_windさんとも過去話し合い意見の一致を見たのですが、★何らかを「絶対である」という思想は危険であると思います。

日蓮にしろ法華経にしろ、御本尊にしろ、創価学会にしろ、池田氏を永遠の指導者とすることにしろ、何らかを「絶対である」という思想は危険であり、また、無常、無我、縁起、空の思想からはむしろ「遠い思想」ではないでしょうか?

無常、無我、縁起、空の思想から”絶対ではない”自分の師匠や自分、組織や本尊だと思えます。
日々に様々な事が”起”こりますが、Libraさんから様々に沢山教えて頂いたおかげか、日常に”絶対ではない”事や無常や縁起らしきモノ?を感じるようになってきました。無我なんて全く実感できませんが。。。。

5.Libraさんのご意見

 学者さんの意見として理想的だと思いますが、日蓮の遺文に多数、「害す、殺す」という記述が見られますし、末木文美士さんの書籍を読んでいないので他の日蓮の遺文への見解がわかりません。少なくともLibraさんの引用した末木文美士さんの意見箇所にだけは賛成できそうにありません。申し訳ありません。

 これからの日蓮仏法、法華経教団としては人間日蓮として、また法華経の行者(の先輩)として尊敬し、捉えていくことが大事だと思います。
末木文美士さんの意見はこれからの日蓮仏法の現代的思想、及びこれからの ””日蓮や法華経に限らない”” 仏教全体の思想の再構築としても賛成できる所です。

'07.09.08 20:03 緑文字追記
'07.09.08 修正
コメント (75)
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209.権威主義パーソナリティの勉強に「ヒトラー最後の12日間」は如何?

2007年08月11日 16時39分20秒 | 創価学会
以前、MC論の勉強にgyaoで「es」を見ました。
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1971年にスタンフォード大学で精神的に安定した一般人を囚人と刑務官を模した状況を作りだし、被験者がどのような振る舞いを行うのかを確認した実験を映画化したもの。
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権威主義パーソナリティの勉強をちょっとだけ(ちょっとだけよ?(笑)(^_^;A)していますが、gyaoで「ヒトラー最後の12日間」を見ました。9/1までのようですからお早めに。

映画の中での状況やセリフが学会と重なりました。

ヒトラー崇拝や国家主義を最後まで信じている様子。
踊ったり歌ったり、、、、、ナチスも精神論が横行していたみたいですね。創価公明も福本氏の件や政策で選挙を選ぶのでなく精神論ばかり重視して選ぶとことか。。
裏切り者だ!、裏切り行為だ!!「裏切り者に同情は無用」ゆるせんぞー!!、、みたいな罵倒とかね。。。「若者の使命」、、とか。。

ヒトラーの女性秘書は帰るところがないと言っていましたが、
私は親に謝罪できて良かったです。
学会員の中にも引き返す事が出来ない人がいる様な気がします。。。。

この元女性秘書が自分の過ちに気がついたのはずっと後の事のようですね。

ナチスは敗戦間際に国民やドイツ建築などすべて見捨てた事も映画の中で再現されています。戦争は敵と味方で生と死の奪い合いなので敗戦状況だとあらゆる意味で死が身近なのかもしれません。それで国民に死を強要したり死が近い状況をなんとも思わないのでしょうかね?

もちろん創価は国家でも軍隊でもありません。
目的がお金と権威、権力なので、つまりは生かして殺さずなんでしょうね。
過去記事に書いたとおり末端組織は疲弊していると思いますが、今の時点で敗戦間際のドイツのように創価公明組織全体がもっと衰えているといいんですけどね。


病院のシーンでの死体の山や老人が取り残されたり、別のシーンで手足が切り取られたり、、、、、、、
やはりどう考えてもイラク戦争に荷担した池田大作をはじめとする創価、公明の罪は大きいと思います。もちろん自分も投票した分、させた分は責任があると思います。

戸田氏や日蓮の””思想を””「素晴らしいっ!!」と言って宣揚する割には戸田城聖氏の宇宙””生命””論大好きな池田氏には戦争反対、反核の”思想は無かった”という事です。戦争反対して非難をあびるよりも自分が国会喚問されることが怖くて与党にいることを優先したのではないでしょうか?

映画の中に「敗者と勝者、弱者と強者」というセリフが出てきますが、こうしたことも創価がいかに軍隊的か、また創価の「大勝利!」と重なります。やはりまともな宗教ではないのでしょう。

上記の感想は映画を見た私の感想ですので「変えようがないと思います。」
学会員の荒らしに来られても迷惑ですので本記事はID制にします。
コメント (1)
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