創価学会の信仰に功徳はあるか?

コメントする人は「01.創価学会の信仰に功徳はあるか?を書く前に」を読んでね。

「落ちるって事は、信心が足らんって事ですか?」

2009年08月31日 21時27分40秒 | 創価学会
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&v=TXbrDOy6hhs
早めに見ておきましょう。w
(なおflv形式ビデオもPCに保存できるそうです。)

ざこばさん:
「落ちるって事は、信心が足らんって事ですか?」
角さん(MBSのアナウンサー):
「せ、政教分離ですから・・・」
ざこばさん:
「関係ない?さよか、えろーすんません。よう書いてあるから。」

お詫び
先程番組の途中で、ざこばさんが
「公明党は信心が足りなかったのではないか?」
と発言されたのですが、特定の政党と選挙結果、信仰心は いっさい関係がございません。訂正します。失礼しました。

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いっさい関係ないんだって。
MBSは創価の仏敵になりました。(笑)ヽ(^o^;)ノ
女性アナウンサー逃げて下さい。ええ。マジで。

大ちゃんの信心が足りなかったのでしょう。天魔日○ほっといたからじゃね?

日○ちゃん○如ちゃんの信心が足りたんでちゅね~~。
間違いない!

それともおいらの信心が足りたのかな~?

イヤイヤ、誰かさんが御神体レプリカの石に祈ったからだ!!
間違いねぇ!w(↑オフ会参加者だけが知っているネタ。H斗さんに教えたーいw)
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13.「信心が足りないという指導」祈るだけで幸福になれるか?条件はないのか? - 創価学会の信仰に功徳はあるか?

241.日蓮正宗系の動画画像。 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/d1b88ea7fec204d4252df99c5425942c
ここのリンク先の動画、全部消えてるんだ。
タイトルかあるいは”創価学会離反の真相”で検索すればみつかるんでしょうけど。

みみっちいな創価。これが誠実?正義?堂々?正道?威風堂々?

上記の動画も消えるでしょうが、
”落ちるって事は、信心が足らんって事ですか?”
で検索すればどこかで見つかるでしょう。

いじょ。
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297.「勝った、勝った!」と自己愛

2009年08月23日 15時14分35秒 | 創価学会
 心理学系の書籍で20冊、子供の教育、発達心理学で数冊と必読な?未読書籍が山になっていて気がついたら8月23日。Σ(゜д゜lll)ガーン
幸福の科学など今回の選挙も色々と宗教とカルトにまつわる問題がありそう。
自己愛性人格障害について纏めているのですが、間に合わないので部分的に創価公明の問題について結論的なことを先に書くとします。

ヒトラーやオウム真理教の麻原彰晃に自己愛性などの人格障害との関係性を説いている書籍はいくらでもあります。
ナチスドイツ国民やオウムの信徒にとってヒトラー、麻原彰晃に無謬や絶対性などの魅力を感じる点も創価学会(正宗も)と共通しています。

「自己愛」と「依存」の精神分析―コフート心理学入門 (PHP新書) (新書)
和田 秀樹 (著)

書籍としては「コフート心理学入門」なのですが、ちょっとだけフロイト系の引用になります。
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P184
 いずれにしても、フロイトの書いた物を読む限り、肛門期か男根期あたりに自我が出来ると考えられています。潜伏期には完全に自我があるわけですから、そのへんは自己愛に満ちた時代です。

 ところで、男根期は本来自体愛の時期なのですが、一方では、多少は自分というものがあり、つまりペニスをシンボルにしながらおしっこの飛ばし合いをして、「俺は偉いんだ」とか「俺は人より勝っているんだ」などと言いながら自分というものを体験します。つまりそれは自分がかわいい時期なのですから自己愛的でもあるのです。
 ペニスをいじって「気持ちいい」と感じているときは、自体愛の世界に浸っているのかもしれませんが、おしっこの飛ばし合いで「勝った、勝った」と喜んでいるのであれば、自己愛的と考えられます。なぜなら、このとき、自分のペニスが他人のペニスに勝ったという体験の他に「おれがあいつに勝った」という部分があるわけですから、自己愛的だと言えるのです。
(中略)
そういう意味では、男根期は自体愛と自己愛の移行の時期といえるかもしれません。少なくとも肛門期までは、他人と自分を比べるという意識がありませんが、男根期は他人に比べて「おれがあいつに勝っている」と言う感覚があるわけです。ここで他人と比較できるということは、自分がいるということを意味します。
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●「勝った、勝った!」と自己愛

 誰にでも喜怒哀楽があるように誰にでも自己愛もあります。
持っていて良い自己愛もあれば、不健全な自己愛もあります。

 世間一般において「勝つ」ということについても50歳60歳になっても「勝つ」ことが必要な人生だってあるでしょう。
しかし、創価学会の「大勝利!」「勝つ!」「勝った、勝った」というのは不健全かと。
池田大作氏もスーパーマンではありませんから、会員全員に日々指導や激励とかは無理でしょう。一部の人にしか出来ないのは当然かと。しかし立場上、彼にしかできないこともあります。仏敵、天魔とレッテル張りした敵と戦って 「勝つ」 ことです。
 会員には闘うことを要求して自分は何もしない、これはこのまま池田氏が死ねば法論すら出来ずに死んだことになります。聖教新聞上で日顕氏を批判しても具体的に1対1で法論を求めたことがあるんでしょうか?
日蓮正宗だけでなく、禅宗、真言宗など創価にとっての邪宗はあるわけです。
(もちろん日顕氏日如氏にも同じことが言えます。)

彼らトップは何もしていません。法論なんかしていませんから何も 「勝って」 などいません。
日蓮正宗、禅宗、真言宗など誰か(他者)が不幸になるはずなのに信徒会員、国民の為に自分で行動を起こそうとはしません。
彼らにとって自分のお金やプライド、票、勲章などが大事なのでしょう。自己だけが大事、自己愛的かと。
創価の宗教界においての勝負、これなら分かりますが、自民党や民主党が仏敵という発想自体が異常かと。

 自分たちが勝てばそれでよい。池田先生だけが勝てばよい、勝っている池田先生が存在すること。そんな自己愛的な意識や思想が強いのでしょう。

人生において時には勝つことも必要ですが、政治という観点から日本国民の全体、創価だけでなく他人の幸福を実現するのが政治の役割です。
他人の幸福とは他人の勝利ではないのでしょうか?
平和と福祉の公明党、というスローガンに騙される人がいるのは仕方の無かったことでしょう。
しかし、イラク戦争、障害者自殺支援法(自殺者は増えています。)、年金問題、後期高齢者への医療。
公明党だけの責任ではありませんが、公明党が荷担したのは事実です。

●カルトと幼児退行

オウム真理教と共通していると思われる創価公明の人の思考や心理。

 一般人や批判者は教団トップの偉大さが分からない!嫉妬している!
 自分たちは正しいのだから被害者である。
 自分たち以外はどんな手を使っても排除すればよい。

「カルト 幼児退行」「オウム 幼児退行」で検索してみて下さい。

●まとめ

 フロイトは現代の心理学ではあまり採用されませんが、池田大作氏などの幼稚な自己愛的な人間をみるにはこの程度のレベルから批判できる、ということかと。

 創価学会員は選挙で勝つことを求められ、勝って満足します。ところが普段は政治活動は全くしません。
負けたときは学会員から見て公明が悪い!仏敵が悪い!民主が悪い、そんな自分たち以外を悪とする自分達都合な話になるのでしょう。

自分たちの存在だけが大事なのでは?自分たちの存在をアピールすることが大事なのでは?と誤解されても不思議ではないでしょう。
創価学会の「大勝利!」「勝つぞ!」「俺は偉いんだ」「俺は人より勝っているんだ」「勝った、勝った」「おれがあいつに勝った」というのは実に自己満足的な「おしっこの飛ばし合い」のような子供っぽいことかと私は思います。

もう一つ大事な点は
「オウム真理教同様に反社会的、あるいは幼稚な思考や精神構造を持っている可能性のある人々が与党として政権にいる。」

今ひとつまとまっていないのですが、冷静な判断力や公平な思考や判断を下せない可能性があります。
公明の人々はどこで創価スイッチが入るのか人によって違うでしょうが、みんなそれなりに不健全な創価スイッチを持っている可能性があります。

参考
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●自己愛性人格障害

 アメリカ精神医学会 DSM-IV
 誇大性(空想または行動における)、賞賛されたいという欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人期早期に始まり、種々の状況で明らかになる。
以下のうち5つ(またはそれ以上)で示される。

1. 自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績やオ能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)。

2. 限りない成功、権力、才気、美しき、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。

3. 自分が特別であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達に(または施設で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。

4. 過剰な賞賛を求める。

5. 特権意識つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。

6. 対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。

7. 共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。

8. しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。

9. 尊大で傲慢な行勤 または態度。
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以上
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296.戒壇建立は常識的にどこまで重要と言えるのか?

2009年08月17日 23時40分43秒 | 創価学会
 先日のオフ会も楽しかった。

 教団が教える教学の嘘や間違いにはもう驚かなくなったけど、元創価学会幹部が学会員として大学生時代にした行為を聞いてびっくり。大学生の分際で何やってんだか。人でなしだよな。(こいつは後に学会から宗門に移った。)直接に裁判などになっていないようだが宗門に関わることでもあり池田氏が知っていたのかが気になる。
問答迷人さんから「もう驚くことはないでしょう(笑)」(主旨)と言われたけど幹部や僧侶の過去の言動には驚くことはまだまだありそう。

 今回のオフ会ではPohさんに会えたことがとてもうれしかった。
はったり特急の問題が解決してしばらく経った頃だったか?あるAさんからPohさんを紹介して頂き色々とお世話になっている。
実を言えば250番あたり以降の記事の一部の主旨や西尾和美さんの書籍や心理学の基本図書、仏教の書籍を紹介して頂いたり様々なアドバイスも頂いています。

283.私が書いた 「念仏思想」 の訂正。 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/f6ec6d119d7feb938e146c69822006df
この記事もPohさんにご指摘頂きました。

 この場を借りてPohさんに改めてお礼申し上げます。m(_ _)m

●授戒や戒壇について

 それから以下の書籍も昨年夏頃、Pohさんにご紹介頂いた。興味のある人や創価などの脱カルトを目指す人、他人に嘘をつきたくない人は読んで欲しいと私は思います。草稿記事があるけど私が書くより犀角独歩さん達に書いて頂いた方が良いような。
なので私はダイジェストだけ。

新版 鎌倉新仏教の成立―入門儀礼と祖師神話 (中世史研究選書) (単行本) 松尾 剛次 (著)
より。

 1.国立戒壇が存在した時代の常識として戒壇とは沙弥(しゃみ)が一人前の僧侶になる為の授戒の場であること。
   創価などの正宗系教団は戒壇戒壇と言うけど信徒の受戒の場ではない。*A
   受戒は戒壇堂であって、重要な儀式は釈迦仏などの本尊がある本堂(金堂)で行われる。
 2.戒壇は日本に国立戒壇として三戒壇あり、後に比叡山の戒壇が出来て四戒壇あった。(他にも例外あり)
   国立戒壇は既に存在した。現代において破戒僧、破戒沙弥(しゃみ)しかいないのに改めて僧侶として受戒を授ける必要はないと思われる。
   沙弥(しゃみ)の戒すら現代の僧侶は守っていないのではないか?
   日蓮は梵網戒(ぼんもうかい)を守ったんだってさ。戒の内容や戒が幾つあるのか知らないけど。
 3.なぜ国立戒壇が出来たのか?
   それは修行や試験も無しに勝手に僧侶と名乗り布施を受け取ろうとする詐欺師が多数いた為。 (←いくつかある理由の内の一つ。)
   国立戒壇で僧侶になるということは現代でいうところの国家公務員だった。
   詐欺と言えば現代のカルトや議論ある団体かと。
 4.戒壇堂は本堂や金堂とは違いメインとなる建物ではない。そもそも別々の建物。東大寺など戒壇堂は敷地の端に置かれ小さな建物であり、正面入り口の正門(正面の大きな門)の先に本堂や金堂がある。
   創価などの正宗系教団は国立戒壇の建立を必死になって求めているが、大石寺は戒壇堂が正面に存在し、戒壇堂と本堂が一緒になっている異様な宗派。

 (4に追記修正。09.08.22)
 4については過去コメントにも少し書いたが私は現地に行って写真を撮ってきています。
仮に火災にあって焼失しても地形や石の基礎は変化していない可能性が高い。
建物の大きさや戒壇堂と本堂が入れ替わるようなことはない。
九州には行けそうにないので比叡山と下野薬師寺の跡にはいくつもり。

(*A櫻川さんの書籍には戒壇で信徒でも戒を受けてOK?な日蓮遺文を引用した説明があるらしい?
いずれ読むつもりだが私はまだ未読。)

これらのことを考え合わせると創価などの正宗系教団が「戒壇!戒壇!」と言えば言うほど日蓮は誤解されてしまう可能性がある。
比叡山で修行したはずの日蓮が当時の常識も分からないお馬鹿さんだったのか?と誤解されかねない。
戒壇堂と本堂(金堂)の違い、それぞれの意義や重要性、本尊など仏教界の常識も分からない人物だったのだろうか?
創価などの正宗系教団が言う「戒壇堂と本堂が一緒」というのは異常な思想かと。

法華経が最も尊い経文であると信じた日蓮にとって
「法華経が最も尊い経文なのだから法華経戒を授ける戒壇堂を建立したい」
との希望はあったかもしれない。
本堂や金堂は言及しないところから考えると戒壇堂を追加する場所は東大寺でも比叡山延暦寺でも良いと思っていたのかもしれません。

本堂や金堂が不要。(それぞれのお堂に本尊はあってもOKでしょう。東大寺などを見れば分かるかと。)
戒壇堂と本堂が同じでよい。
本堂よりも戒壇堂が重要。

こういった 日蓮の言動は記憶にない。あれば教えて下さい。>だれか。
日蓮の言動は必ず鎌倉時代当時の常識や経文に基づいているので上記は不自然かと。
戒壇の位置づけ、本堂の位置づけに経文などの根拠なく画期的?ハチャメチャ?な説明を日蓮が説いたことになる。

現代人の我々だって日常的な常識は逐一説明したりしない。
学校だって生徒が試験や勉強をするのは教室で入学式や卒業式の儀式は体育館でしょ?教室と体育館がどっちが大事とはいいにくいけど、儀式も大事だけど生徒は勉強するのが大事かと。僧侶の場合は本堂(金堂)やその本尊が大切なはず。
本堂よりも戒壇堂が重要なのではなく戒壇堂よりも本堂が大事なのは当然なのだから、当たり前のことは日蓮も説明しなかったのでは?

あとは細かい点など後は犀角独歩さん、FBIさん、問答迷人さん、櫻川さんや富士門BBSの人におまかせっっっ。(笑)ヽ(´▽`)ノワーイ

以上。

追記修正。09.08.22
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295.学会員同士の意見の違いが子供のイジメに。

2009年08月14日 08時54分32秒 | 創価学会
 とある学会員Aさんから聞いた話です。

●学会員同士のイジメ

 学会員Bさんと学会員Cさんの間で信仰観について意見の違いがあり、BさんはかなりCさんに相当激怒したそうです。
問題はここから先。
信仰観というだけでなく何かの意見の違いで当人同士が悪口を言ったり喧嘩したりするのは世間一般のどこにでも起こりますが、Bさん、Cさんにはそれぞれ子供がいるそうです。
学会員Bさんは例によって例のごとくというか過去記事に書いたとおり「許せない」と思ったのでしょう。自分の子供を使ってCさんの子供をいじめるようにし向けたそうです。
同じクラスなのか、年齢なども私は聞いていませんが、イジメが出来るんですから小中学校ぐらいなのでしょうか?

 親の言うことを聞いてしまう子供をあまり悪くは言いたくありませんが、年齢や親子関係などの環境次第では不健全があると言わざるを得ないでしょう。
年齢が高ければ高いほど子供にとって「親に命令されて平気で他人を傷つける。」これを受け入れ実行できるのは問題です。
子供の年齢が低ければ低いほど親子関係から築ける子供にとっての自己愛や自己認識、自己の成長が問題になりそうなのは、心理学素人の私でも理解出来ます。

 年齢が低い子供であればあるほど親の愛情を得ようと親に褒めてもらおうとして動機となって実行しやすいでしょうし、親に報告もするかもしれません。
 Cさんの子供が親と同じ宗教観を持っているかは関係ないのでしょう。学会員BさんもBさんの子供もおそらく確かめていないでしょう。確かめたとしてもイジメをした時点で ”子供同士の対等な人間関係” ではありません。

”法華経は全ての人が仏であるという経文”こういった宗教性は学会員Bさん親子には全くありません。
 原始仏教にある許容や慈悲、立正安国論のような説得や対話はありません。

●子供のおかれている状況はどんなものなのか?

 イジメなんて宗教が無くても宗教を理由にしなくても悪いに決まっています。
 例えば学会員Bさんが「学会員Cは池田先生の悪口を言うとんでもない奴!そんな家の子供なんてイジメてらっしゃい」と言われたと仮定します。

 カルト問題に限らず、一般的な心理学、教育、カウンセリングから見た親子問題でも暴力などの虐待を受けた子供が親になった時、子供に虐待するケースがあることはネットでも書籍でも幾らでも見つかります。
学会員Bさんの子供は自分の子供に同じ様なアプローチ、教育、言動、接し方をする可能性があります。
(しつけや社会常識など親の言うことを素直に聞く必要や聞かなければ親か叱る必要はありますが、全く別の問題です。)

”子供同士の対等な人間関係” では無いことや強制力や命令が働くことで学会員Bさんの子供は、、、

1.イジメを実行するので相手と話すことが出来ません。
2.イジメを実行するので相手の立場などを考えることが出来ません。(思考停止)
3.イジメという ”他者への暴力” を肯定する親であれば子供は本能的に親からの暴力を恐れるかしれません。
  ですから反論出来ない可能性があり親との話し合いは出来ない可能性が高くなります。

●本ケースが親からの命令でない場合、命令が明確でない場合。

 本ケースが親からの命令でなく、学会員Bさんから学会員Cさんへの悪口だけで子供がイジメた場合は深刻なケースである可能性があります。
イジメなどの ”他者への暴力” を肯定する親の言動が過去にあると子供は親と違う意見を持ちにくいでしょう。
親からの暴力を本能的に受けたくないのは当然ですから、
親からの暴力を受けないように ”他者への暴力” を子供が自発的にした可能性もあります。

 ”他者への暴力” を肯定する親の言動が習慣になっていると問題は更に大きいかと。

親が怒りを子供(他者)に与えて子供は親に恐怖し、更に子供は他者に怒りの言動を親と同じく模倣するという意味合いです。

●聖教新聞

池田先生のお手紙である聖教新聞は ”池田氏や学会に都合の悪い他者への暴力” を肯定する言動が習慣化日常化していますね。
聖教新聞社や学会本部の人も上からの暴力を本能的に受けたくないのは当然ですから、
 ”他者への暴力” を自発的にする可能性があります。

(秋谷氏が会長職を退く会合で池田氏が横にいて青年部に罵倒させたのも同じですかね?)

退転者、反逆者は命が弱いとか境涯は低いとか様々な誹謗中傷は何時ごろ聖教新聞上で謝罪して頂けるんでしょうね?>池田大作さん

●命令を受けた側が得る物は何か?

 学会員Bさんの子供は親の言うことを聞いてイジメを実行したわけです。
ですから、それなりに親との一体感や実行した満足感、親の言いつけを実行出来た達成感がある可能性があります。
もちろん子供の性格や心の成長にとって不健全であるのは言うまでもありません。

仮に子供が親に報告して「よくやった!」と褒められるところまで会話がなされたとしましょう。
すると子供は我々第3者から客観的に見て次のようなことが言えます。

1.子供は親から褒められたい(叱られたくない)、愛されたいという気持ちがあるのはごくごく自然なことです。
2.子供は不健全な命令(あるいは強制力)や不健全な愛情を受け取っていますし、受け取らざるを得ないのかもしれません。
  拒否出来ないか、あるいはイジメはしたくなくても親の愛情を得たいという気持ちはあるのかもしれません。
 (MC論の記事に書いたとおり、子供にとってはいじめる以外の他に選択肢がないのです。)
3.子供は親の歪んだ愛情も得ていますし、イジメを実行して自分が不健全を継続、成長、積み重ねていることや人格形成の問題に気がつけません。

●過去の私

 過去記事に書いたとおりです。
 当然、私も教団の言うことを聞く、受け入れるという習性、習慣を継続していましたから、
日顕氏や竹入氏を当人との1対1の話し合いも無しに、”わかってない”、仏敵、天魔と決めつけて呪ったわけです。
悩み事、つまり最初の動機は病気や親との人間関係の解決でしたが、願いを叶えたいばかりに教団の言うことを聞く、受け入れるという習性、習慣を継続し、いつの間にか「池田先生の仇をとれ!敵討ちだ!」に同意し教団から教えられた言動を 「「いつしか自分から積極的に」」 とっています。
学会から教えられ功徳(正しくは御利益)が欲しい、選挙で功徳を得よう、選挙活動で幸福になろう、という動機です。

 情報操作、感情操作などのMCをされ日顕宗撲滅など呪え!とは言われてなくても実行した場合もあり、言われて実行した事もあります。
呪ったとは気がつかずに呪ったわけです。

「池田先生の悪口を言うとんでもない奴!そんな家の子供なんてイジメてらっしゃい」と同じ不健全さです。

●オウム真理教

 オウム真理教教団のトップから「尊師やオウムに逆らうのはとんでもない奴!そんな奴はポアしなさい」
これと「池田先生の悪口を言うとんでもない奴!そんな家の子供なんてイジメてらっしゃい」は同じ不健全さです。

●矢野氏、竹入氏などの裁判

 宗教教団が必要以上に弁護士軍団を持ったり裁判沙汰になるのも異常でしょう。
どんな人でもどんな組織でも弁護士軍団を持ってはいけない、裁判を起こしてはいけない、そんな理屈も法律もありませんが、
宗教であればあるほど裁判沙汰なんておかしいし、末端の会員を守るのでなく教団トップや教団の為の弁護士軍団は一般から見て異様でしょう。

「池田先生や学会の悪口を言うとんでもない奴!そんな奴、訴えろ!」これも不健全かと。
他にすることあるんじゃないの?

●民主党は仏敵

 アホくさくて話しにならんわ。
組織だって政治と宗教をごっちゃにすんな!

●まとめ。

 功徳(正しくは御利益)が欲しい、選挙で功徳を得よう、選挙活動で幸福になろう、願いを叶えたい。
親から褒められたい、愛情が欲しい。
これらの動機自体は悪いことではありません。

しかしいつの間にか幸せになる為には学会しかない、つまり学会員でないといけない、日蓮しかない、人生の師匠は池田先生だけ。
他宗教は邪宗、日顕、竹入は仏敵。民主も仏敵。
などなど、学会のよく言う教団都合の反社会的言動になってしまいます。

 この様に創価などの正宗系教団では他者への暴言、誹謗中傷や裁判沙汰、切り捨てや見下しが当たり前ですが、一般の人から受け入れがたい言動であることをカルト性が強い人にとって理解はむずかしいのでしょう。

 個人の本能的な欲求、自然な感情、求めて問題ない幸福、祈って問題ない幸福。子供が親から得たい愛情etcetc。。。
こうした世間一般にもあることと人格や心や体験から深く結びついてしまっているわけですから、当人にとってはカルト性と宗教性を見分けるのは難しくなります。
 過去においての自分の周りの他者、親や学会員、池田大作氏から愛情や優しさを与えられたりガンバレと応援されたりすると、過去に受け入れた自分があって今の自分自身になっているわけですから。人格形成や自己愛、自己の確立という問題が絡んできます。

 子供にとって必要な親からの愛情などと教団都合な不健全を一緒に与えられ、不健全さを多く受け取った分だけカルト性を見分けるのは難しくなる可能性が高いと私は考えています。
それと学会についてのみ書きましたが、学会VS公明や学会VS正宗、学会VS顕正会も同じです。

 但し一つだけ希望が持てそうなのは一方的なレイプや虐待と違ってカルト問題の場合は
「当人が少しだけでも自分の意志を持つか納得してカルトっぽい言動をとっているケースがある。」
この点がほんの少しですが救いになる、と私は考えています。

以上
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