新心理学講座 4
宗教と信仰の心理学
小口偉一 編
河出書房
1956年7月15日 発行
国会図書館請求記号140.8-Si4982
国会図書館検索から「新心理学講座 第4」「宗教と信仰の心理学」「140.8-Si4982」で検索のこと。
P57-P59
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V 創価学会 E(男)
話しぶりも、人柄から受ける感じも
強い信念に燃えているような感じがみられる。
青年期までに病気ばかりしていた人とはとうてい思えない。折伏の時は強い戦士として教団内にも著名な人であり青年部の部長をしている。
現在大倉商事(金融会社ーーー前出)に勤務中。
「生まれは大森のノリ屋です。三歳くらいの時蒲田に移り、それ以後東京に住んでいるわけです。
小学校では栄養不良で三・四回も死にそこない、がんらい体が非常に弱かったんです。
終戦の年には六回目の肋膜をしていましたし、肛門性(コウモンネンパクビラン)のもので、耳や鼻などみんな悪く、血啖が出てたんです。
終戦の反動でなにかやりたいという気持ちがあって、学校時代の友人に誘われて創価学会の本部へいきました。
その友だちは哲学のいい話があるがこないか、とさそったのです。
私は友人と二人で行ったのですが、三、四〇人もいたでしょうか。五時間くらいもそこで締めあげられたのです。
南無妙法蓮華経は嫌いだったので、ずいぶん反対したのですが、理論で破れて信仰しなければいけないということになってしまったのです。
負けたのでシャクにさわってしかたがない。その時の感じをいえば、理論をうけとめる素地がないからわからない。
それだのに相手は確信を持って話している。こちらは観念的で浮いているような感じがしたのです。そのときの話はこうなんです。
『これから先のこと、二〇年先のことがわかるか。これから年をとって、その先のなんのために生きたかを考えることになるがそれならば今のうちに考えたらいいではないか。自分の宿命だけは自分でも知らないではないか。誰が援助しても、社会的に偉くなっても宿命だけはわからない。宿命は解決できるか、人生ひとたび死ぬではないか。苦しんで死ぬのはしかたない。この四つの全部がわかっていれば信仰の必要はない。分からなければ真面目に考えろ。信仰をしろ』というのです。
私はこれに答えられず、信仰すると答えたのです。それでお題目を唱えろということでしたが、はずかしくてしかたがなかったのです。
友人は入信しないで黙っていました。それから御本尊をお下げするという話で、私は三〇分間ほどいりませんとがんばったんです。
すると幹部の人がなだめて、むりやり私に押しつけました。
家に帰っても三日間おがまずにほっておきました。
三日目にものすごい雷が鳴って、私の上ばかりでゴロゴロ鳴って私ばかり狙っているように思ったので、そのとき思わず南無妙法蓮華経と口をついて出ました。
それは高校を出て蒲田に勤めて出張していたときのことです。それからは、おがみはじめるとなんとなく一日安心感があって、おがまない日は仕事も何も落ち着かない。
それでおがむとこうなんだから信仰は大事だなあと思ったのです。それから一年は普通にやっていました。そのころはバチがこわかったのです。
前の信者さんたちが牢獄へいったということが気になりました。全部の宗教に反対するから必然的に弾圧される。その時はどうしようか、寝ても覚めても考え、やめるなら今のうちがよいと考えました。
二年目に「立正安国論」の講義を聞いてから、よし、よい勉強をしようと考えるようになりました。三年目の八月に戸田さんの出版に小僧から入りました。
信用組合にも入っていたんですが、アパートに住んで、給与もなく乞食同然で苦しくて仕方なかったんです。戸田のところへいったからというので、家からは勘当同然でした。
十四、五人の研究会からの仲間からもやられました。そこで御本尊さまにこの苦しみだけ逃れさして下さい。
という願いをして御題目を六〇万遍唱えることにしました。逃れなければやめようと思っていたのです。
それが不思議にも百日過ぎて急によくなってきたのです。その時先生は事業を譲っていましたが、それをこしてから完全になにからなにまでよくなって、
身体も、生活も、物質的にも、社会的地位も過分なまでによくなったんです。私の体験は三年だけです。信仰しなかったならば二三くらいで死んだだろうといわれています。信仰していなかったら貧乏で、病気で死んでいたでしょう。わたしは今それから六年経っていますがずっと順調で申し分のない幸を得ております。」
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読みやすさのために適宜、改行を施しました。
以前コメントに書いたものですが、よく問い合わせ等があるので追記して記事にします。
書籍は凄く古いものですが、池田大作氏の入信経緯が書かれています。
というわけで、人間革命の話はウソです。雷が鳴ってこわかったんだってさ。
「蒲田の友人宅」はウソ。
「戸田会長に折伏された」のもウソ。
「その場で戸田会長を師匠と思った」のもウソ。
「その場で即興の詩を述べた」のもウソ。
「その場で入信決意した」のもウソ。
>私はこれに答えられず、信仰すると答えたのです。
池田大作氏は信仰すると言ってしまったみたいですが、分からないこと、答えられないことがあっても信仰するかしないかは別な話です。
以前にも宗教の断り方として書いたとおり「興味がない」「信仰する気がない」こうした断り方を知らなかっただけなのでしょう。
●転載について
転載は01番記事通りご自由に。
私のブログだけでなく他のサイトにも文章の一部が見つかりますし、あまり意味がないかもしれませんが転載について。
この文章を記事にしなかった理由の一つとして法華講や顕正会の人が悪用することが問題だと思っています。
池田氏、及び学会が今でも「池田先生の入信神話」として嘘を言っていることは正宗系の人(法華講や顕正会など)でも批判してもいいでしょう。
但し、池田氏の信仰体験は個人のものなので批判対象でないこと。
無宗教な私に言わせれば思い込みや妄想か、元々の問題は食糧事情や戦争へのストレスなど現実的な別の理由でしょう。
信仰体験を語ったら駄目とはいいませんが、日連系に限らず、どの信仰体験も前後の言動次第で反宗教か他者他人への嫌がらせになると思います。
というわけで正宗系法華講や顕正会などの信徒会員で転載希望の方は私までご相談ください。
内部外部どちらの学会批判者や一般の人や迷惑を被った人、退会者の人には問題ないでしょうし、何を言われても仕方ないと思います。
●補足
教団都合な嘘、MCをたくさん教えられ、教団トップにしか利益のない末端信徒の獲得合戦、誹謗中傷合戦、罵倒合戦は非常に醜い争いですし、末端同士をみていると哀れだと私は思います。
末端の学会員が新聞配達や創価班任務、牙城会の任務などをするのも同じです。教団都合な嘘、MCをたくさん教えられて行動しているにすぎません。
どうしたらいいか?
どの正宗系教団にもつかないことがベストなのかも。日蓮宗もありますが、以前にも書いたとおりMCの残滓を考えれば自立したほうがいいと私個人は思います、
末端信徒の獲得合戦、誹謗中傷合戦、罵倒合戦をした人であればあるほど、仏教者どころか宗教者でも何でもなかったわけですから。
とある麻薬に対する依存に気がついてやめても、別の麻薬に手を出して同じ依存をしているようなものです。
正宗系教団を除いた宗教教団側が麻薬だとか100%問題がある、という断言ではありません。1個人の宗教への期待(創価学会は絶対。)や絶望(他宗は邪宗。この世は間違っている、と極端に思い込む等)こうした様々な関わり方が問題なのだと考えます。日蓮宗へ行っても同じような認識や期待では駄目でしょう。
正宗系教団にいてトップがそうであるように末端の人も反省も人格など(笑顔だとかきちんと返事をするとか)の向上も無かったわけですから、その辺りに気がついて欲しいと思います。
日蓮遺文や原始仏教の勉強も悪いことではありませんが、他に学ぶべきことはこの世にたくさん有る気がします。
日蓮遺文や曼荼羅本尊、法華経、唱題、祈り、どうしても信仰したければ何でもいいですけど、敵を作り争いを起こすアイテムや手段になっています。
(攻撃的な日蓮でなく)法華経や原始仏教の慈悲や許容をよく勉強して、教団都合な組織的な友人でなく、囚われないで趣味とかスポーツとかの友人を作ったら?
実際に教団都合な日蓮遺文や曼荼羅本尊、法華経、唱題、祈りは外部の友人作りに直接的に全く役に立たないのでは?
正宗系は他宗の批判をする際に細かい間違いを指摘しています。そして創価なのか?正宗なのか?どっちか?ではなくて、日蓮さんや日本仏教自体にどちらにも間違いがある、とも言えると思います。
●「池田先生の入信神話」についてその他のサイト
人間革命の著者は篠原善太郎
創価学会はカルトです: 『人間革命』の執筆体制と長期休載
池田大作作小説人間革命批判
http://www16.ocn.ne.jp/~a1133/925_1052105523.html
30,31あたりから。
リンク追記 2018年9月14日
シーザーさんのツイート: "印税、稼ぎまくったなw パクリだったけどな(大笑い) インチキのペテンのカス… "
サムネイル画像
'11.08.24 一部修正
'13.06.23 追記修正 国会図書館請求記号や見せ消し等
'16.10.下旬 参照引用を正確にした。
'18.09.14 リンク追記