創価学会の信仰に功徳はあるか?

コメントする人は「01.創価学会の信仰に功徳はあるか?を書く前に」を読んでね。

373.法然流罪の法難とその周辺。日蓮はどう捉えたか?

2015年06月23日 21時32分59秒 | 創価学会
●承元(じょうげん)の法難の経過について
建永(けんえい)の法難とも言われる。

法然さん(以下、法然)の教団、吉水教団が既存仏教教団より弾圧された法難。

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元久元年(1204年)10月
北嶺(比叡山延暦寺)の衆徒が専修念仏の停止(ちょうじ)を訴える決議を行い、「延暦寺奏状」を当時の天台座主真性に対して訴えを起こす。

元久元年(1204年)11月
北嶺に対して法然は、自戒の決意を示すべく記した「七箇条制誡」に門弟ら190名の署名を添えて延暦寺に送る。しかし、『一念往生義』を説く法本房行空や『六時礼讃』に節をつけて勤める法会で人気を博していた安楽房遵西が非難の的にされた。法然は行空を破門。

元久2年(1205年)9月
南都の興福寺の僧徒から朝廷に対して吉水教団に対する提訴が行われ、翌月には改めて吉水教団に対する九箇条の過失(「興福寺奏状」)を挙げ、朝廷に専修念仏の停止を訴えを起こす。

元久2年12月19日
朝廷から「門弟の浅智」を非難して師匠である法然を宥免する宣旨が出される。

 これでも納得しない「興福寺の衆徒は翌元久3年2月に五師三綱の高僧を上洛。摂関家に対して法然らの処罰を働きかけた。」

その結果、3月30日に遵西と行空を処罰することを確約した宣旨を出したところ、同日に法然が行空を破門にしたことから、興福寺側も一旦これを受け入れ、その他の僧侶に対しては厳罰はなし。

建永元年(1206年)12月
第82代、後鳥羽上皇が熊野神社参詣の留守中に、上皇が寵愛する「松虫」(松虫姫19歳)と「鈴虫」(鈴虫姫17歳)という側近の女性が上皇の許可無く剃髪出家。
更に彼女たちは説法を聞くために彼らを上皇不在の御所に招き入れ、夜遅くなったから、としてそのまま御所に泊めたとされている。

法難
建永元年(1207年)正月16日
松虫と鈴虫が出家し尼僧となったことに加え、男性を自分の不在中に御所内に泊めたことで後鳥羽上皇は激怒し、建永2年(1207年)2月、専修念仏の停止を決定。

住蓮房、安楽房、西意善綽房、性願房の4名が死罪。

同月28日
怒りの治まらない上皇は、法然ならびに親鸞を含む7名の弟子を流罪に処した。

承元元年(1207年)12月
法然赦免。

文応元年(1260年)7月16日
日蓮さん(以下、日蓮)が文応元年(1260年)7月16日に北条時頼に立正安国論を提出。
この時の天皇は第90代、亀山天皇(在位:正元元年11月26日(1260年1月9日) - 文永11年1月26日(1274年3月6日))

同年8月27日
浄土教系の念仏者たちによって草庵を夜間襲撃される。松葉ヶ谷の法難

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●以下は私の想像が含まれます。想像にほとんど根拠はありません。

1.日蓮は53年も前のことを蒸し返している。

2.仏教学における、専修念仏批判は「延暦寺奏状」「興福寺奏状」に既に存在して、日蓮の批判は目新しいものではない可能性が高い。

  →歴史的経緯から「延暦寺奏状」「興福寺奏状」は多くの僧侶間で理解されていた模様。

3.日蓮は天台系の僧侶であったにも関わらず、どの僧侶とも連携していない。
  「興福寺の衆徒は翌元久3年2月に五師三綱の高僧を上洛させ、摂関家に対して法然らの処罰を働きかけた」これを知らなかった?

  →現代人でいうところの上流階級の思想的な現状調査や根回しが日蓮になかった。
客観的、複数人必要とした五師三綱の高僧達でようやく摂関家に対し説得できる。

 日蓮一人で 「客観的な説得力」 に欠ける。受け入れたら他宗派のメンツはどうなる?
もちろん宗教の観点で見れば、法華経信仰の上で日蓮一人でも苦難に立ち向かってゆくところが信仰者として偉いといえば偉い。

4.専修念仏は現代に残っているが、建永元年(1207年)に禁止されている。よって天皇や朝廷に「延暦寺奏状」「興福寺奏状」の理解があり、専修念仏の仏教的な問題を理解していた可能性がある。

  →その後の専修念仏の広がり方は私には不明。世の中には広まってしまった?
また、「選択集(せんちゃくしゅう)を作り、この書で広く日本国中の一切の人々を迷わした」という日蓮の意見で”選択集が広まった”のは、やや不正確ではないのか?

選択集の奥書に、「九条兼実がご覧になったあとは他の人に見せないでほしい。」とある。日蓮はこれを知らなかった?

その後の日本全体における専修念仏と選択集の扱いは不明。
1155.明恵の『摧邪輪』 ( 宗教 ) - raccoon21jpのブログ - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/raccoon21jp/36604115.html

法然の敵対勢力側が権力闘争をするため、選択集を広めて問題にしようとした?
あるいは法然系の人が広めた?
法難後も法然個人が広めた?

5.日蓮と法然の意見はほぼ同一。日蓮はこれを知しらなかった?
--日蓮--------------
立正安国論より
「念仏を称えていけば必ず極楽浄土に往生出来るが、ただ五逆罪の者と正法を誹謗する者を除く」
「もし人がこの法華経を信じないで毀謗するならば、その人は命が終わってのち阿鼻地獄に入るであろう」
との釈尊の教えに迷っています。
--------------------
--法然--------------
ノート:七箇条の御起請文 - WikiArc
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E4%B8%83%E7%AE%87%E6%9D%A1%E3%81%AE%E5%BE%A1%E8%B5%B7%E8%AB%8B%E6%96%87
>『無量寿経』の第十八念仏往生願にも「仏の教法をそしるような悪罪を犯した者はこの限りではない」と記し、往生の対象から除かれている。そしった人は、その報いとして、地獄におちてしまうであろう。どうして、それを承知で愚かなことをするのであろうか。そのようなことをしてはならない。

七箇条の御起請文 - WikiArc
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E4%B8%83%E7%AE%87%E6%9D%A1%E3%81%AE%E5%BE%A1%E8%B5%B7%E8%AB%8B%E6%96%87
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☆☆日蓮遺文と法然の七箇条の御起請文、ほぼ同じことが書いてある。

これに気が付かない念仏僧しかいなかったのだろうか?
とてもそうは思えないし、一人でもいれば日蓮の負け。

☆☆法然の2つの著作で一方(選択集)は部分的に取り上げて批判。
☆☆もう一方(七箇条の御起請文)はすべて無視するのは、大問題。

日蓮は七箇条の御起請文を知らなかった?法然側の反省文なので存在を知っていても日蓮が読めなかった可能性はある。

6.法然は「七箇条の御起請文」で正法を誹謗しないと誓っている。流罪法難は専修念仏、正法誹謗というより、弟子の過ちに起因する。2,4同様に日蓮と同時代の朝廷や各宗派が「七箇条の御起請文」を理解していた可能性がある。

創価学会員の、宿業、罰、正法誹謗のイメージは明らかに間違いでは?

しかも、法然は流罪を許されている。
それにケチをつけたら、天皇、朝廷など様々な勢力にケチをつけているのと同じ。敵とみなされても仕方ないかもしれない。

7.立正安国論で武家や公家を説得出来たとしても、専修念仏(など)を捨てさせ、具体的に法華信仰を納得させる手段などに欠けている。民衆への対策は何もない。日蓮の意見は上の人間が信仰を改めることが第一歩、なのだろう。

8.法難の経緯を考えると、法然、比叡山、天皇、公家など念仏信仰の僧だけでなく公家、武家の複雑な関わりを無視した意見に見えてしまう。

☆☆立正安国論には 「法然の法難の経緯が全て書かれていない。」

☆☆1207年当時の法難を、人の記憶と記録で調べられたら、日蓮の意見は全く通用しないと思われる。

純粋に信仰だけが問題で、信仰の過ちが権力の敗北につながると考えていた日蓮なので、書き方としては理解できる。が、
例えば「興福寺の衆徒は翌元久3年2月に五師三綱の高僧を上洛させ、摂関家に対して法然らの処罰を働きかけた」これが抜けている。

また、数百年前の昔の中国の仏教文献を調べて読むのが僧侶の仕事。加えて伝承することも。日本国内の50年前の仏教文献もまた然り。つまり幕府など受け取った側で過去の調べは簡単についたのではないか?経論釈の論文として日蓮遺文は説得力に欠け、また大きな問題がある。幕府側で既知か調べがついたことで黙殺。むしろ日蓮は笑われたかもしれない。

日蓮の意見は目新しくもないし、経緯が全て書かれていない、「延暦寺奏状」「興福寺奏状」からすれば不足していた可能性が高い。

膨大な仏教経典や経論釈があるのに、「立正安国論程度の短さ」の文章で、部分的に安易に批判されたら、どの宗派でも怒って当然。(笑) 立正安国論の無視や日蓮の扱いについて、邪宗の僧侶ガー、邪宗の害毒ガーって正宗系の意見はアホですな。(笑)
僧兵がいて、各勢力が拮抗している状態。立正安国論みたいなものを表で大事にしたら、それこそどこかの勢力に肩入れすることになり、内戦になりかねない。


9.日蓮は経典を引用しているので一応の根拠はあるが、現証においてすべての説明が付かないことを当時の人々は気がついたのだろうか?どう思ったのだろうか?

10.8の傍証

鎌倉時代 京都から鎌倉まで早馬で何日かかったか? | レファレンス協同データベース

『世界大百科事典 23巻』(平凡社 2009改訂版)p.25の早馬の中に以下のような記載があった。「1261年(弘長1)東海道の宿々に2疋の早馬を常備させたが、その最短速度は、鎌倉・京都間で3、4日、京都・博多間が6、7日ときわめて速く」

立正安国論提出から法難まで、一ヶ月程度の十分な時間があり、京都に調査依頼をして返事をもらうだけの時間がある。

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●歴史的経緯を調べた感想。

 上皇が寵愛する「松虫」(松虫姫19歳)と「鈴虫」(鈴虫姫17歳)という側近の女性、と書きましたが名前などは後代の創作かもしれません。

明恵さん、及び日蓮の遺文から、専修念仏が広まっていたのは事実のようです。北条時頼など、立正安国論を受け取った側が読んで日蓮のいうとおり、同じ目線で問題視出来たかは非常に疑問です。
禅宗など、法然系念仏、天台系念仏の仏教学、法然の法難の歴史的経緯これら両方が武家などに理解されていたであろうと私は想像します。

日蓮は純粋に信仰だけが問題で、信仰の過ちが権力の敗北につながると考えていたようです。
「仏法は体のごとし世間は影のごとし体曲れば影ななめなり」

権力闘争に負けて死んだら信仰もへったくれもない、これが彼らにとって現実だったのでは?

現代の創価学会と日蓮正宗の権力争い、信徒の取り合いも純粋な信仰の対決でないところが笑えます。
両方共に教団トップの 「既得権益の拡大」 「豪華な生活」 のためです。
日蓮の批判対象の各勢力も「既得権益の拡大」はしていました。

本当に信仰に力があるなら、お釈迦さんのように他人を幸せにしてあげてから入信させればいいのに。(笑)

それと日蓮は一般庶民を責めるのでなく、目上の人々に意見を言って公場対決を望んでいます。
法然も部下が失敗した責任をおっています。
部下の失敗や退転を個人のせいにする池田大作や日顕氏はいかがなものかと思います。

部下の失敗や退転は池田大作の宿業や邪宗の害毒なのでは?

日蓮の法然批判は天皇、朝廷、幕府に都合の悪いものだった可能性が高いです。ただでさえ武家の権力争いがある中で、天皇、公家、比叡山、武家などの権力が拮抗していたのに、「俺の言う法華信仰をしないと恐ろしいことが起こるぞ!」ではどこかの勢力に口実を与え、余計な混乱を招くだけでは?

それでも蒙古襲来の予言が偶然、当たったので、ようやく注目されたのでしょう。


歴史をたどると、日蓮が、後鳥羽上皇か土御門天皇の子供ではないか?という説があることに頷けました。もちろん証拠は何もなくその説を否定する日蓮遺文しか証拠はありません。あくまで印象です。
安徳天皇と平家は彼ら自身とその信仰が悪いことになっていますが、後鳥羽上皇らは、どちらかというと法然だけが悪いという印象を持ちえます。


日蓮遺文は理解できるのですが、やはり禅宗や念仏は理解不足や知識不足が否めないです。どこかのお寺で往生要集、選択集をきちんとお坊さんから勉強したいなぁ。。。。。
私は念仏の家系なのに何も知らない。(^^;


参考リンク
安楽寺

1154.浄土宗非難への法然の対応 ( 宗教 ) - raccoon21jpのブログ - Yahoo!ブログ

1155.明恵の『摧邪輪』 ( 宗教 ) - raccoon21jpのブログ - Yahoo!ブログ


20150624 一部追記。
20150628 一部追記。赤文字とボールド
20150705 一部追記。10.8の傍証
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372.バラモンの教えである「若悩乱者頭破七分」を読み下しで間違える正宗系教団

2015年06月18日 22時21分21秒 | 創価学会
宋高僧伝、選択集など漢文にふれたので日蓮曼荼羅本尊の漢文もメモ書き。

有供養者福過十号 若悩乱者頭破七分

●若悩乱者頭破七分の出典

 原始仏典では「若悩乱者頭破七分はバラモンの言葉であってお釈迦さんは否定」しています。

バラモンの言葉は怒りと恐怖を与える創価など正宗系教団と同じ。
安心(日本で言うなら和とか)与えるのが普通の宗教ではないですかね?

若悩乱者頭破七分の意味を教えてください。 - こんにちは。「若悩乱者頭破... - Yahoo!知恵袋

●有供養者福過十号、若悩乱者頭破七分の読み下し

この2つの文も「者」が使われていますが、

若し悩乱せば頭七分に破る
供養有らば福十号に過ぐ

読み下しが正しいようです。それぞれの「者」は、仮説の語気詞と呼ばれており仮説や条件をあらわす。
訳は「もし~であるならば」。

日蓮正宗の方は思いっきり読み下し文で間違えているようです。
日本語訳としては意訳で「者は」が許されるのかもしれませんが、私が見る限り漢文の解説サイトの読み下しでは「もし~であるならば」以外、見つかりませんでした。漢文も歴史的変遷があるようですが、鎌倉時代までの読み下し文としては私が調べた限りダメなようです。
もしかすると日蓮の死後、時代によって変遷があるかもしれません。

日蓮さんも同じ様に間違えた読み下しをしたのでしょうか?

◯例

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若悩乱者頭破七分・有供養者福過十号

> 「若悩乱者頭破七分」は、妙楽大師の『法華文(ほっけもん)句記(ぐき)』に説かれた文で、「若(も)し悩乱(のうらん)する者(もの)は頭(こうべ)七分(しちぶん)に破(わ)る」と読みます。


> 「若(も)し我(わ)が咒(しゆ)に順(じゅん)ぜずして 説法者(せっぽうしゃ)を悩乱(のうらん)せば 頭(こうべ)破(わ)れて七分(しちぶん)に作(な)ること 阿梨(あり)樹(じゅ)の枝(えだ)の如(ごと)くならん」(新編法華経 580頁)

(中略)

>次に、「有供養者福過十号」とは、同じく『文句記』に説かれた文で、「供養(くよう)する有(あ)らん者(もの)は福十号(ふくじゅうごう)に過(す)ぐ」と読みます。
-----------------------------

-----------------------------
大白法 514号 若悩乱者頭破七分(にゃくのうらんしゃずはしちぶ)

>「若悩乱者頭破七分」は、妙楽大師の『法華文句(もんぐ)記(き)』に説かれた文(もん)で、「若(も)し悩乱する者は頭(こうべ)七分(しちぶ)に破(わ)る」と読みます。

>次に、「有(う)供養者福過(ふっか)十号」とは、同じく「文句記』に説かれた文で、「供養する有らん者は福十号に過ぐ」と読みます。
-----------------------------

創価学会は以下のとおり。池田大作って威張ってますが、こんなモンなんですね。 (6月14日(日)時点)
画面はsnipping toolsでキャプチャ済。
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四信五品抄
妙楽の云く「若し悩乱する者は頭七分に破れ供養すること有る者は福十号に過ぐ」

富木殿御返事
又云く「其の福復彼れに過ぐ」妙楽云く「若し悩乱する者は頭七分に破れ供養すること有らん者は福十号に過ぐ」

法蓮抄
法華経の第四法師品に云く「人有つて仏道を求めて一劫の中に於て乃至持経者を歎美せんは其の福復彼に過ぎん」等云云、妙楽大師云く「若し悩乱する者は頭七分に破れ供養する有らん者は福十号に過ぐ」等云云、

日女御前御返事
何ぞなれば末代の法華経の行者は法華経を説ざる華厳・阿含・方等・般若・大日経等の千二百余尊よりも末代に法華経を説く行者は勝れて候なるを、妙楽大師釈して云く「供養すること有る者は福十号に過ぎ若し悩乱する者は頭七分に破れん」云云、
-----------------------------

バラモンの教えで正統性を主張したり、誹謗中傷や嫌がらせ、ストーカーってやめて欲しいですね。

日蓮系で寺院があるのか無いのかよくわからない新興宗教系でも創価学会や正宗系に関わった人は、間違っていると思われる読み下しで読んでいます。

以上

以下、再掲載
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 中国仏典、日本の漢文(鎌倉時代など)を調べきれていませんが以下のサイトが見つかりました。
漢文(高1) について。漢文の書き下し文にするときひらがなに直す漢字- Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1160290726

【助詞】
(1)「之」= 助詞の「の」に相当。
(2)「自」= 助詞の「より」に相当。
(3)「与」= 助詞の「と」に相当。
(4)「者」= 助詞の「は」に相当。
(5)「耳」= 助詞の「のみ」に相当。
(6)「于」= 助詞の「へ」に相当。

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愛知淑徳大学大学院論文集一グローバルカルチャー・コミュニケーション研究科一
日本語助辞「は」の職能
山 内 啓 介
http://aska-r.aasa.ac.jp/dspace/bitstream/10638/656/1/0033-001-200903-085-100.pdf
>「者」の訓読用法について、時代が下がって、ll世紀初めまでの漢文体日記である藤原実資の変
体漢文の記録の「者」字について、清水教子「『小右記』に見られる助詞(一)」7)が、係助詞についての「は」 (者)を報告している。また、接続助詞「ば」(者)についでしかれば」(然者)
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371.法然の選択集に対する日蓮の批判には大きな問題点がある(その2)

2015年06月15日 22時38分06秒 | 創価学会
1.日蓮さんについて

 日蓮さんについて真面目な性格で文章の引用はきちんとする人だと私は考えていましたが、
369、370番記事を考察すると勘違いや誤記では済まされない内容があります。

●369番記事

「宋高僧傳に書かれている金剛智三蔵が幻宗皇帝の娘を生き返らせた伝説」については伝承だから、伝説だから、と現代人であれば言えますが、伝説を事実として扱っているのは日蓮さんです。
伝説を現証として扱っています。

続高僧伝のほうの問題は更に厳しく、日蓮さんが引用した続高僧伝の別遺文が見つからない限り、捏造の可能性は無くならず問題視されます。
大正新脩大蔵経そのものが中国などの、各国、各時代の仏教遺文を集めたものです。「宋高僧傳」「続高僧伝」が中世の中国の仏教遺文であり、日蓮さんが見た仏教遺文と違った可能性はあります。

現代人には日蓮さんの他宗批判は全く成り立ちません。 

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中国の古典時代において、『伝』というのは第三者が書いた記録のことをいいます。
自分で書いた自分の記録を『伝』とは言いません。
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日蓮は 「このことは全く他の宗旨の誹謗ではなく、法華宗の妄語でもなく、善導和尚自筆の『類聚伝』の文である。」と書いています。日蓮さんの文献学に問題が有ることがわかります。
ここでも現代人には日蓮さんの他宗批判は全く成り立ちません。

●370番記事  更に選択集はどうでしょうか?

 選択集の部分的引用(切り文*1)をして批判をしていますが、選択集の意味する所は、
難しい修行ができないのであれば、簡単な修行を選択しなさい、という 「許容」 が主旨です。
これは「往生要集」にも同じ 「許容」 の主旨が書かれている(らしい。私はまだ未読)ので間違い無さそうです。
創価学会では、良し悪しは別にして大御本尊を信受しなくてもいい、短い勤行してもいい、勤行出来なければ題目三唱でもいい、心のなかでも唱えてもいい、という「許容」をしています。これと選択集の「許容」は何も変わりがないでしょう。

選択集の「しかも我また、これかのもろもろの経論を信ぜざるにはあらず。ことごとく皆仰信す」を無視した日蓮さんの捨閉閣抛(しゃへいかくほう)は根拠が崩れます。

●日蓮さんの身近に念仏系信仰をする在家信徒は居なかったのか?

「選択集」「往生要集」は日本の仏教文献であり、年代も日蓮さんに近いです。
大学でいうと、同一学部の異なる研究、隣の校舎の教えも日蓮さんは理解してなかったのでしょうか?
仏教学のレベルはともかくとしても日蓮さんの身近に仏教学を話しあえる法然系の念仏の僧俗が居なかったとはとても思えません。

370番記事には理解不足と書きましたが、日蓮さんが「選択集」「往生要集」を理解していたのであれば、信徒の取り合いや政治家への重用を求めて無理やり欠点を探して反論していた可能性があります。現証を信じた日蓮さんですから、この可能性は低いと思いますが、この場合、私個人の印象はあまり良くありません。
思い込みが激しい、と言われればそれまでです。

◯五時八教説

 日蓮さんの五時八教説のポイントは法華経最第一。現代では中国天台宗の五時八教説と異なっていることが広く知られています。

●想像や疑問、等々

 新たな疑問なのですが、日蓮さんという人は選択集が提出された経緯や法然さんの弟子達、念仏系の信仰を継続した人々の事は考慮に入れなかったのでしょうか?

wikiなどによると「選択本願念仏集」(選択集)は九条兼実の求めに応じ法然さんが著したもの、だそうです。
良し悪しは別にして現代でもお坊さんと檀家は場合によって親戚みたいなものだとか。鎌倉時代も僧侶と公家、下手をすれば天皇まで親族など深い関係であることから、他宗派全ての批判(悪口?)を書いて送って効果があるか疑問です。
(日蓮さんが100%正しければ、話は別ですが選択集批判が間違っている為。)

日蓮遺文で九条兼実の子孫や念仏信仰をした日蓮さんと同時代の在家信徒についてあまり記憶にありません。彼らが「選択集」「往生要集」をどう理解し信仰していたのか気になるところです。

現在ほど宗派の教えが細分化されていなかったと想像します。個々の経典解釈などの細かい論争は日蓮さんの生前から僧侶同士でありました。しかし一僧侶が他の各宗派を全否定するような論調は日蓮さん以前に知りません。ある程度、どの宗派もそれぞれ認められていたと思われます。
例えば延暦寺自体が四宗兼学。他にも皇室の菩提寺、「御寺(みてら)泉涌寺(せんにゅうじ)」 も四宗兼学です。俊芿(しゅんじょう、仁安元年8月10日(1166年9月6日)- 嘉禄3年閏3月8日(1227年4月25日))が1226年ごろに泉涌寺を再建。

(他にも私の推測ですが、例えばぶっちゃけ寺で紹介されていた東大寺に各宗派の僧侶が儀式に来る、等々、どの宗派もそれぞれ認められていた?ずっと続いていたとは思えませんが。)

つまり、仮に「選択集」「往生要集」を批判出来たとしても、勝っている根拠は日蓮さんのオリジナルな五時八教説などです。念仏トータルの教えを批判できたとはとても思えません。念仏の在家信徒が日蓮さんを信じることは可能でしょうか? 選択集でなく往生要集を理解し、信仰をしていた人が居ても不思議ではありません。あるいは往生要集以前の天台系念仏信仰を理解し、信仰をしていた僧俗がいても不思議ではありません。


☆「学会や正宗には立正安国論の中に法然批判が書かれているだけで念仏系全てを批判できたかのようなイメージが有りますが、全く批判出来ていないことになります。」


五時八教説があり晩年に説かれた法華経が最もお釈迦さんの言いたかった内容だった、という日蓮さんの学説なので法然系の弟子の反論がなかったのか気になるところです。(日蓮の時代には法然は死去)

日本の天台宗念仏系では
1-1.中国浄土系の修行が観想念仏、称名念仏、禅的念仏(?禅的念仏は今知った(^_^;))だったことをどう捉えていたのか?

1-2.中国天台宗の五時八教説をどう捉えていたのか?

1-3.五時八教説があり晩年に説かれた法華経が最もお釈迦さんの言いたかった内容だったことをどう捉えていたのか?
 (日本天台宗法華系だけが肯定していた?)

1-4.「選択集」「往生要集」をどう理解しどう信仰していたのか?

1-5.現証を抜きにしても370番記事の件で日蓮遺文には文証、理証の誤りがあります。369番記事の件で日蓮遺文には文証、現証の誤りがあります。これらに念仏系の誰かが気がついたかどうか?

鎌倉時代とはいえ、日蓮遺文の誤りについて受け取り側が気がつけば相手にされないか、黙殺されて当然かと思います。
受け取り側の誰かは気がついたと私は想像します。

法然の弟子達が反論しなかった可能性もありますが、5の誤りは致命的に感じます。鎌倉時代では現証で押し通せたかもしれませんが、現代では話しにならないでしょう。

●念仏批判する日蓮についてまとめ

以前から私一個人の意見として
「現代では日蓮さんの根拠である法華経仏説、五時八教説等々は根本的に間違っており他宗を辞める程の学問的な理由は何処にもない」

法華経仏説、五時八教説等々の根本的誤りは日蓮さんに責任があるとは言い難いです。


「現代では他宗、他人を誹謗中傷し、嫌がらせ、裁判等々、創価学会などの日蓮正宗系教団に入信する仏教学の根拠は全くない。」

創価学会などの日蓮正宗系教団に大きな責任があり、他宗批判の書き方からして日蓮さんに責任があるかは人によって意見が異なるかもしれません。



「立正安国論は国家に提出するほどの重要遺文であるにも係わらず、選択集の文献引用と批判の説明に失敗している。」

日蓮さん自身の大きな過ちであり、大きな責任がある。と言えそうです。


「日蓮仏法は立正安国論に始まり立正安国論に終わる」と学会で度々教わりましたが大問題ですね。
私は日蓮さんについて、大量の仏教文献を知っていて正確に引用していた、と想像していました。現代で例えるとまじめな人でお医者さん並に頭が良かった、と考えていたのですが、ただの盲信さんだったのかもしれませんね。

2.私について

 若い時に折伏と称して人様他人様に嘘を教えたことになります。
さすがに日蓮遺文の法然の選択集を読み聞かせたことはありません。
立正安国論という素晴らしい遺文があるんだ、念仏無限地獄なんだ!、四箇の格言なんだ!日蓮はすごいんだ!くらいは度々言っていました。

 マインドコントロールされて数多くの嘘に騙されました。自他の幸福を叶える妄想だったとはいえ、折伏、新聞啓蒙、選挙で関係した方に改めてお詫びします。

 私の家の宗教も念仏なのでブログを続けて本当~~~に良かったなと思います。(^o^)/ 続けていなかったら日蓮さんの教えを鵜呑みにしたままでした。
皆さんには色々と教えて頂き感謝しています。

3.創価など日蓮正宗系教団について

 創価学会などの日蓮正宗系教団が他宗、他人を誹謗中傷し、嫌がらせ、裁判等、こうしたことは今まで以上にお話にならないでしょう。
 創価学会などの日蓮正宗系教団が 「謝罪や賠償の上で」 言動や態度を改めない限り、世の中への迷惑は続きます。この状態なら私がやらなくても誰かが日蓮の過ちを指摘し日蓮批判が増え続けると思います。
日蓮さんが嫌われる理由を日々増やしているのは、創価学会などの日蓮正宗系教団の全員です。

4.日蓮宗の皆さんについて

 他にも日蓮遺文に問題はありそうで、大変だと思いますが日蓮さんの教えを現代的にする必要があるかもしれません。日蓮さんや日蓮宗の皆さんが嫌われていないことや日蓮宗で努力しているのは私も知っています。(単立寺院について私は詳しくありません。)

元々、創価学会対策として現代宗教研究所が立ち上がったと聞いています。立ち上げた方々は学会だけでなく法華経非仏説など始めとした仏教全体の問題を含めての研究だったかは私にはわかりません。が、学会などの正宗系教団がカルトとしてカルト度を増して成長し日蓮系のマイマスになっているのは明らかです。
学会対策として現代宗教研究所は大正解では?
(創価や正宗のデメリット面がなければ私は日蓮宗にいたかもしれません。)

日蓮宗には日蓮墨筆遺文を読める方がいるそうですし、日蓮宗でも日蓮遺文の研究は進んでいるようです。最新の研究成果が必要であり皆さんに期待しています。学会の教義改正もあり、研究成果次第で今が絶好のチャンスだと思います。

以上

*1
正宗、学会では部分的引用を 「切り文」 と表現することが多いです。正しい日本語かはしりません。彼らの言動に多いのが
「卑怯者!馬鹿者!お前は切り文だけで日蓮大聖人の遺文全体を理解していない!」です。
正宗vs学会だけでなく、正宗系ではこうした罵倒や誹謗中傷の書き込みがいくらでも見つかります。
日蓮遺文を盲信すると、日顕氏や池田氏のような、ああいう人間が出来上がるんですかね?

コメント (1)
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370.法然の選択集に対する日蓮の批判には大きな問題点がある

2015年06月14日 12時20分16秒 | 創価学会
●法然の選択集(選択本願念仏集)についての日蓮の理解不足。

1.選択することと浄土系の許容

捨閉閣抛(しゃへいかくほう)の単語は選択集(選択本願念仏集)には存在しません。日蓮さん(以下、日蓮)の造語。
捨てる、門を閉じ、閣き (さしおき)抛ち(なげうち) と法然が書いたのは事実ですが、具体的内容について日蓮遺文とは全く意味が違います。

法然さん(以下、法然)の選択集では、対機説法としてあくまでも「その修行者個人にとって」という態度が最初から最後まで貫かれているのだそうです。


☆日蓮系では経典の勝劣を問うのに対し、法然の浄土門は修行者個人の素養に重きを置くのだそうです。
 阿弥陀仏の本願を理由として簡単な修行を選んでもいいよ、念仏系のお坊さんが ”許容した” というのが大事なポイントです。学会の勤行も大石寺登山も簡略化、省略されています。


選択集には源信さん(以下、源信)の「往生要集」が引用されており、「今、念仏を勧めるのは、他の色々な素晴らしい修行をやめよというのではない。ただ念仏は男も女も、貴族も庶民も、度にあっても家にいても、座っていても寝ていても、時と処とを選ばないので、行いやすい行である。臨終に往生を願い求めるなら、そのために相応しいのは念仏のほかにない。」 という考え方だそうです。

主旨
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”いくら立派な教えでも、修行者に実践できなければその人にとっては意味がない。難しい修行が出来なくて""全ての仏道修行をやめるより""も、簡単な修行を選びなさい。
難易度と言うように難と易、2つの選択肢の内、一つを自分で選びなさい、もう一つは捨てなさい。
簡単な修行は何か?を突き詰めていくと最後に必ず残り誰にでもできる修行は、称名念仏の修行なのだ。”
--------------------------

難しい修行を捨てることに重きをおくというより、自分で主体的に修行を選びなさい、自分で選べ、に重きを置く、だから選択集という題名の様です。


他の経文を否定していない証拠に選択集には以下の文があります。

「しかも我また、これかのもろもろの経論を信ぜざるにはあらず。ことごとく皆仰信す」

以下選択集引用
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答へて曰く、もし人ありて、多く経論の証を引いて、生ぜずと云はば、行者即ち報へて云へ、仁者経論を将て来たり、証して生ぜずと・ふといへども、我が意の如きは、決定して汝が破を受けず。何をもつての故に。しかも我また、これかのもろもろの経論を信ぜざるにはあらず。ことごとく皆仰信す。しかるに仏、かの経を説きたまふ時は、処別に、時別に、対機別に、利益別なり。またかの経を説きたまふ時は、即ち観経・弥陀経等を説きたまふ時にあらず。しかるに仏の説教は、機に備ふ。時また不同なり。
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選択集 現代語訳
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答えていう。 もし、 人が多くの経論を引いて、 往生できないというならば、 行者は答えていえ。 そなたは、 経論をもって証明して、 往生できないというけれども、 わたしの心においては、 決してそなたの非難を受けない。 なぜかといえば、 私もまた(他宗の皆さんも同じように)かのもろもろの経論を信じないのではない。 ことごとく仰いで信仰する。 しかし、 仏がかの経を説かれた時は、 今の経を説かれたのと、 処が別であり、 時が別であり、 対する機類が別であり、 その利益も別である。 またかの経を説かれた時は <観経>・<阿弥陀経> などを説かれた時ではない。 そのように仏が教を説かれることは、 それぞれの機に応じ、 時もまた同じでない。
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日蓮遺文では「しかも我また、これかのもろもろの経論を信ぜざるにはあらず。ことごとく皆仰信す」を無視しています。選択集の部分的な抜き書きが問題であり、また解釈も不正確。これらを前提に日蓮は念仏に他宗批判をしています。


2.捨閉擱抛の閉

立正安国論 学会版の読み下し文
--------------------------
何ぞ妄言を吐いて強ちに誹謗を成し誰人を以て悪比丘と謂うや委細に聞かんと欲す。
 主人の曰く、後鳥羽院の御宇に法然と云うもの有り選択集を作る即ち一代の聖教を破し(中略)十方の衆生を迷わす、其の選択に云く道綽禅師聖道浄土の二門を立て聖道を捨てて正しく浄土に帰するの文、(中略)当に知るべし随他の前には暫く定散の門を””開く””と雖も随自の後には還て定散の門を””閉ず””、一たび開いて以後永く閉じざるは唯是れ念仏の一門なり
--------------------------

☆「開く/閉ず」の主語は依経で説かれるお釈迦さんです。

随自意/随他意の単語の意味は学会教学と同じです。
定散の門とは定善と散善の二つの修行法、つまり随他意の方便として開かれた定散の二門が、随自意の真実(称名念仏)においては閉じられるという意味です。


「随他の前には暫く定散の門を開く」が書かれている日蓮遺文は立正安国論の他に以下のとおり重要な遺文。

守護国家論
災難対治抄

特に、立正安国論、守護国家論は日蓮系では重要遺文です。


3.捨閉擱抛の閣(さしお)きて、抛ちて

立正安国論 学会版の読み下し文
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又最後結句の文に云く「夫れ速かに生死を離れんと欲せば二種の勝法の中に且(しばら)く聖道門を閣(さしお)きて選んで浄土門に入れ、浄土門に入らんと欲せば正雑二行の中に且く諸の雑行を抛ちて選んで応に正行に帰すべし」[已上]
--------------------------

--------------------------
計也夫速欲離生死二種勝法中且閣聖道門選入浄土門欲入浄土門正雑二行中且抛諸雑行選応帰正行欲修於正行正助二業中猶傍於助業選応専正定正定之業者即是称仏名称名必得生依仏本願故
--------------------------[p157-158]


より正しいと思われる読み下し文
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計みれば、それ速やかに生死を離れむと欲(ねが)はば、二種の勝法の中に、且(しばら)く聖道門を閣(さしお)いて、浄土門に選び入るべし。浄土門に入らむと欲はば、正雑二行の中に、且く諸の雑行を抛(なげうち)て、選びてまさに正行に帰すべし。正行を修せむと欲はば、正助二業の中に、猶(なほ)し助業を傍らにして、選びてまさに正定を専らにすべし。正定の業とは即ちこれ仏名を称するなり。み名を称すれば、必ず生ずることを得。仏の本願によるが故なり。
--------------------------[p157-158]

現代語訳
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そもそも速やかに生死まよいの境界を離れようと思うならば、 二種のすぐれた法の中で、 ひとまず聖道門をさしおいて浄土門に入れ。 浄土門に入ろうと思うならば、 正雑二行の中で、 ひとまず雑行を抛(なげう)って、選んで正行に帰せよ。 正行を修めようと思うならば、 正助二業の中で、 やはり助業をかたわらにして選んで正定の業をもっぱらに修めよ。正定の業とは、 すなわち仏のみ名を称えることである。 「称名すれば必ず往生をできます。」 阿弥陀仏の本願にもとづくからである。
--------------------------

☆「且く」や「猶し」は副詞であることに注目。
☆「者」は助詞の「は」に相当。*1
称名する者は必ず往生を得ます。ではなく、称名すれば必ず往生できます。あるいは称名するは必ず往生を得たり、か?

また、法然の関心は専ら自身の機に基づく“選択”に集中し、日蓮系のような“勝劣”には全く無関心。
更に、「二種の勝法」2つの勝れる法、と明言しているように、聖道門(『悲華経』に倣っての娑婆成仏を目指す行道)を貶めていません。

法然は天台から念仏系の経典を選択して称名念仏の修行を選択した。
日蓮は天台から法華系の経典を選択して唱題の修行を選択した。
また、鎌倉時代の日蓮系は法華経以外の経典の修行を捨てて無かったと思われますが、現代の日蓮系は法華経以外の経典をほぼ捨てた修行形式のようです。

阿弥陀仏はアミュータス、アミターバともいいインドの法華経にも出てくる浄土の仏です。


4.その他

学会教学では次の通りです。
謗法を犯した過去の天台宗ではなく、日蓮は純粋な天台宗となおかつ究極な妙法蓮華経を極めた僧侶であり、諸経や真言密教を捨てたことになっているはずです。現代では法華経以外は読誦しません。
(きちんと調べると日蓮はとても密教的です。曼荼羅が特にそう。)

勝法を引用しましたが、学会教学などの「仏法は勝負」「勝劣派」などのイメージと混同しない事が大事です。「勝劣派」は歴史がありますが、「仏法は勝負」ではありません。

以上

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*1
ここは中国仏典、日本の漢文(鎌倉時代など)を調べきれていませんが以下のサイトが見つかりました。
漢文(高1) について。漢文の書き下し文にするときひらがなに直す漢字- Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1160290726

【助詞】
(1)「之」= 助詞の「の」に相当。
(2)「自」= 助詞の「より」に相当。
(3)「与」= 助詞の「と」に相当。
(4)「者」= 助詞の「は」に相当。
(5)「耳」= 助詞の「のみ」に相当。
(6)「于」= 助詞の「へ」に相当。

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愛知淑徳大学大学院論文集一グローバルカルチャー・コミュニケーション研究科一
日本語助辞「は」の職能
山 内 啓 介
http://aska-r.aasa.ac.jp/dspace/bitstream/10638/656/1/0033-001-200903-085-100.pdf
>「者」の訓読用法について、時代が下がって、ll世紀初めまでの漢文体日記である藤原実資の変
体漢文の記録の「者」字について、清水教子「『小右記』に見られる助詞(一)」7)が、係助詞についての「は」 (者)を報告している。また、接続助詞「ば」(者)についでしかれば」(然者)
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