創価学会の信仰に功徳はあるか?

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326-3.池田大作氏の入信神話は全くの嘘。昭和37年2月20日 聖教新聞より。

2016年10月31日 00時30分05秒 | 創価学会
聖教新聞 昭和37年02月20日
--------------------<引用ここから>--------------------
池田会長あいさつ =東京・昭倫寺で=
(中略)
 また、さきほどもお話がありましたが、私も十五年前に、この昭倫寺で、日淳上人より御受戒をうけたものでございます。したがって私個人にとっても一生忘れることのできない寺院であります。
 ちょうど十五年前に、小平教学部長と、それから矢島尊師に連れられて、ちょうど日淳上人様の勤行ご導師をいただいて、だった三人だけの御受戒でした。
(中略)
それで日淳上人より御本尊様をお下げ渡しいただくときに、もう足がしびれて、このまま一生信心するのでは、もうたまったものではない(笑い)と、もったいない話ではございますが、そのときは”信心は結構でございますから、今日は御本尊様はいただかないようにします”と、そういうように申し上げたのです、その場所で。
 すると日淳 《ママ》人は「まあ、そういわないで、きょうは御本尊様をもっていきなさい」と(笑い)。何回も何回も押し問答になりまして、とうとう日淳上人様はひじょうにがん固な方であった、私は負けまして(笑い)、そしてちょうだいして今日にいたったわけであります。
 私もはじめの動機を見れば、みっともない状態なのです。
(中略)
 私は十九歳で日淳猊下の弟子となることができました。そのことに対しましては、心から感謝しておるしだいでございます。
(中略)
 その日淳上人様のご報恩感謝のためにも、ご恩返しのためにも、創価学会としても、また私としても、力のあらん限り、御法主上人猊下に日達上人猊下にお使え申し上げて、そして日蓮大聖人様よりおほめのことばをいただき、また恩師戸田先生よりおほめのことばをいただくまで、私も全魂を打ち込んで今後また戦っていきますゆえに、皆さんもわたしとともに前進をしていっていただきたいと思います。以上をもってごあいさつといたします。
--------------------<引用ここまで>--------------------



『池田会長(当時)あいさつ』の後半から一部分、抜粋しました。
新聞画像については著作権と不要と考えた部分をモザイク処理しています。


以上


過去記事
326-1.池田大作氏の入信神話は全くの嘘。人間革命の嘘。宗教と信仰の心理学 小口偉一 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
326-2.池田大作氏の入信神話は全くの嘘。昭和32年10月18日 聖教新聞より。 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
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326-2.池田大作氏の入信神話は全くの嘘。昭和32年10月18日 聖教新聞より。

2016年10月30日 00時46分20秒 | 創価学会
聖教新聞 昭和32年10月18日 関東版
--------------------<引用ここから>--------------------
私の初信当時
「大幹部の入信の動機」ーーーこれは学会員なら誰でも知りたいことであろう。そこで去る六日、新潟県長岡市で同方面に在住する学会員の指導会が行われた。この席上、池田参謀室長は参加者の質問に答えられる話の中で、自身の入信当初を振り返り、その動機を語っているので、ここに紹介する。写真は池田参謀室長
ーーーーーーーーーー
池田参謀室長の場合
私が信仰したのは、丁度今から十年前の八月二十四日です。
(中略)
 折伏されたのは、前の本部です。前の本部は会長先生が事業をなさっていらっしゃった二階の八畳と六畳の二間でした。
(中略)
 私はそこで教学部長から折伏されたんですよ。
(中略)
一応信仰したけれど随分悩みました。「えらいことやっちゃったな、一生、南無妙法蓮華経と唱えるのか、皆気狂いだと思うだろうなあ…」などとずい分苦しみました。
(中略)
 それと他は邪宗教であると断言して、軍部にまっ向から反対した確信があるからには、何か真実の宗教があるのだろうと感じたのです。
 世の中の人達は、他宗は批判するからあの宗教はダメだ、というが私は反対だった。他の宗教は邪宗だと良いきれるから正しいのだろう、と感じたんですよ。
(以下略)
--------------------<引用ここまで>--------------------



>それと他は邪宗教であると断言して、軍部にまっ向から反対した確信があるからには、何か真実の宗教があるのだろうと感じたのです。

牧口常三郎の主張は、「国家が選択すべき宗教は神道ではなく法華信仰であり、なかでも日蓮を師匠とし、なおかつ日蓮正宗でなければ戦争に勝てない。」という戦争賛成の立場です。
真実の宗教だと私は断言しませんが、経典としては原始経典であり、教えとしては四法印であり、修行としては托鉢や座禅、他者救済などを重要視したのが正統派に近い根本仏教でしょう。
池田大作の勉強不足であり、戸田城聖という誤った師匠を選んだ池田大作の不運でしょう。

>世の中の人達は、他宗は批判するからあの宗教はダメだ、というが私は反対だった。他の宗教は邪宗だと良いきれるから正しいのだろう、と感じたんですよ。

仏に敵はいません。敵がいると思うのは成仏の妨げになります。「人に対して敵意をいだいていた」から執着があり地獄へ行くのです。
(スッタ・ニパータの10巻コーカーリヤ章)

以上

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326-3.池田大作氏の入信神話は全くの嘘。昭和37年2月20日 聖教新聞より。 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?

過去記事
326-1.池田大作氏の入信神話は全くの嘘。人間革命の嘘。宗教と信仰の心理学 小口偉一 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
仏に敵はいません。罰を与える仏など何処にもいません。 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?

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仏に敵はいません。罰を与える仏など何処にもいません。

2016年10月10日 22時36分39秒 | 一般仏教
>>941
創価学会の信仰に功徳はあるか?を主催する米山士郎といいます。
ttp://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki

ID:+dCDZn47さんが書いていただいた体験は貴重だと思います。
転載したいのは940と941で今の2chは転載禁止なのでご本人だけでも転載の許可を頂きたいです。
私のブログへの時に語尾や文章の調子を変えて記載したいです。
これらの変更は2chの違反基準に矛盾や不透明さがあるためです。

仏敵、仏罰といいますが、修行に失敗し出来なかった僧は生きている間は
修行をやり直すのが鉄則です。あまりにもひどい場合、サンガのルールとして
サンガの組織から一時、追い出されることはあったようですね。

仏に敵はいません。諸法無我、諸行無常ですから「相手を変える」思想は
元々、仏教からは無理な思想です。修行者の言葉や行動で未熟な相手が変わるのは
稀なことなのです。お釈迦さんが世界中の人々全てに
「あなた達は無理に仏教に宗旨替えをして、変わらなければならない」などと
MUSTな意見を強要したことはないでしょう。
お釈迦さんの弟子に対しては座禅の修行に補足する形で
「仏の教え(戒律)としてああしなさい、こうしなさい」はありました。
大乗仏教の諸法実相も一切はありのまま、という思想ですから、
自分と他人が違うことを認識し受け入れる必要があります。

敵がいると思うのはこの世の執着であり、あの世(法華経の極楽浄土)への
悟りがなく解脱してない証拠です。
「人に対して敵意をいだいていた」から執着があり地獄へ行くのです。
(スッタ・ニパータの10巻コーカーリヤ章)
身口意の三業が関係していますね。私は”地獄へ行くぞ”と学会員に言われれば、
死後、学会員と同じ場所に行かなくて済みます。学会員に会わずに済むと笑えます。

原始経典(根本仏教)に仏が罰を与える、という思想はありませんし、
当時、生きていた修行者から「地獄に落ちる」と責められることもありません。
死後、修業の成果で生まれ変わる先が極楽か地獄か等々の違いしかありません。
(日蓮遺文の浄土九品之事)因果応報や自業自得の思想はこれに近いでしょうか。

「死んでから罰を受ける」思想は道教かヒンズー、ゾロアスター教の流入でしょう。
道教では罰を避けるために儀式やおまじないをしていたようです。

以上

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