「性虐待は実は数えきれないほど起きています」 実父から被害を受けた元タカラジェンヌの衝撃的な告白|ウートピ
「性虐待は実は数えきれないほど起きています」 実父から被害を受けた元タカラジェンヌの衝撃的な告白
2014.06.27
実父から性虐待を受けた元宝塚女性の告白
『なかったことにしたくない 実父から性虐待を受けた私の告白』(講談社)という衝撃的なタイトルに、一瞬、手に取るのをためらう。目を背けたくなるような凄惨な虐待の記憶が書かれているのではないのか。しかしこのタイトルは力強く宣言もしている。「なかったことにしたくない」――だからこそ実父の加害と、自身の被害をここに告白する。著者・東小雪さんの決意に後押しされるようにして、ページを開いた。
東さんは、かつて宝塚歌劇団に所属していた元タカラジェンヌ。2010年にレズビアンであることをカミングアウトし、現在はパートナーのひろこさんとともにLGBTを支援する活動を行っている。彼女は性虐待の記憶を長らく封印してきた。いや、自覚すらしていなかった。封じ込めてきたものが一気にあふれ出したとき、父親はすでに亡くなっていた……。そんな東さんが、なぜ今、過去の体験を本にしたのか。本人にうかがった。
性虐待は実は数えきれないほど起きています
――この本を書かれた経緯を教えてください。
東小雪さん(以下、東):「宝塚を退団した後の私は、リストカットや自殺未遂を繰り返したり、境界性人格障害と診断され、ときに閉鎖病棟に入院させられたり……うまく生きることができませんでした。父の死後も人生が迷走するばかりだったのですが、信頼できるカウンセラーの先生と出会ったことで、記憶の扉が開いたんです」
――取り戻した記憶はとても忌まわしいものでしたが、それを書きつづる作業もまた、つらいものだったのでは?
東:原稿を書いている途中、フラッシュバックもありました。私のなかに、ネガティブな感情が未整理のまま残っていたからでしょう。けれど、カウンセリングで過去の出来事と向き合い、整理し、言語化していくうちに、少しずつ生きる力を取り戻していきました。それと同時に、性虐待の体験を自分のこととして語ってもいいと思えるようになったんです。私が沈黙し続けることは、加害者の秘密の片棒を担ぐ行為でもあります。つまり『なかったこと』にされてしまうのです。
――幼い東さんは、日々「なかったこと」にすることでしか虐待に耐えられなかったのだと思いますが、大人になった東さんは「なかったこと」にしたままで、この先を生きていけないと気づいたのですね。
東:まさにそうですが、私個人のことだけでなく、社会的にも『なかったことにしたくない』という思いが強いです。日本では性虐待はほとんど知られていませんが、実は数えきれないほど起きています。それを隠すのではなく、社会的にも目を向けてほしい。支援や調査が必要なところにちゃんと届けてほしいという願いも込めました。
母とは2年以上連絡をとっていません
――東さんの場合、いちばん身近な存在である母親が、性虐待を「なかったこと」にしています。東さんが虐待されていた当時も、おそらく気づいていたのに目を反らしつづけたし、大人になった娘から虐待の事実を打ち明けられても、一度は事実を認めながら、結局はそれを否定しました。
東:私がパートナーと結婚式を挙げることになったとき、出席してほしいと母に電話しました。そしたら、『父からの性虐待をなかったことにするなら、出席してもいい』と……。とても傷つきました。身近な人から虐待の事実を否認されるというのは、必ずといっていいほど起きることです。
――お母さまはそうやって否認することで、何かを守ろうとしているように感じました。それは、地元の名士だった夫の名声だったり、その人の妻だったという誇りだったり、「何も知らなかった」ことにしている自分だったり……。でも、虐待で苦しみ、今ももがいている「娘」ではなかった。
東:結婚式の一件以来、母とは2年以上連絡をとっていません。しかし出版に際してどんな思いでこの本を書いたのかメールで伝え、完成した本も送りました。ですが、母からはなんの連絡もありません。もし今、母が倒れたりしたら、金沢に会いにいくとは思います。ただ、私は被害を受けた過去があったうえで今を生きています。母が否認し続け、対話を持ってくれないかぎりは、今後、新しい親子の関係を築いていくのは難しいです。
――お母さまが東さんに繰り返し言って聞かせた言葉から、嫉妬のようなものも感じました。
東:虐待を知っていながら助けなかったという面では、母は加害者ですが、夫=自分の性的なパートナーが、自分の娘を性の対象としていたという面では、母も傷ついていたと思います。だから私は、母と一緒にカウンセリングを受けたかったんですが、母は自分だけの物語のなかに帰っていきました。虐待が始まったころ、私は幼いなりの言葉で、父がしていることを母に訴えました。彼女も何のことかはわかったはずですが、目も合わせてくれなかった。そして今になっても、母は私の訴えに耳を傾けることすらしてくれません。
私らしく前向きに生きていきたい
――加害者である父親に対して、「向き合いたい」「許したい」という気持ちはつづられていますが、強い怒りや憎しみはそれほど書かれていないように思います。そのような感情は、ご自身のなかで整理がついているのでしょうか?
東:憎しみや怒りがないわけではありません。けれど、そこに留まっているかぎり、回復は難しいのではないかと思います。ネガティブな感情を抱えこんだまま、私らしく前向きに生きていくとなると、自分が引き裂かれてしまいます。私は前に進みたい。でも、今すぐに完全に許すこともできない……。本当に難しいですね。
>>>【後編】実父からの性虐待を受けた元タカラジェンヌが考える“暴力の本質”――生きづらい世の中を変えていくために
●東小雪さん
元宝塚歌劇団、あうら真輝。東京ディズニーシーにて初の同性結婚式を挙げ話題となる。現在は各種メディア出演や講演を通して、LGBTを支援する活動を行う。パートナーのひろこさんとの共著書に『ふたりのママから、きみたちへ』『レズビアン的結婚生活』(ともにイースト・プレス)がある。
(三浦ゆえ)
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過去に「 毒になる親 一生苦しむ子供」スーザン・フォワードなどの書籍を何度も取り上げています。
愛されるはずの人から虐待、言っていることとやっていることの正反対さ、という意味では重なる部分があり、2世3世の人ならなおさら同感できる部分があると思っています。
私の場合、内得信仰時代の人々や、折伏親である某くんと対決したほうがいいのだろうか?
今はそう思えていません。MCという状況があるから。他に学会員や法華講員の場合、社会的犯罪や悪ではなく学会や正宗というカルト教団の存在が許されてしまっているから。仏教学の問題、等々、他にも理由がいくつか有ります。
MCされ教団都合な理屈の多い人と話をしたくないわけではないし、話ができないわけではないが、継続することがなかなか難しい。
学会や正宗の嘘や疑問を持つ人、問題に気がついている人とは話しやすいが、自分の信仰や教団、教団トップ(池田先生、法主、日蓮大聖人)を信じこんでしまっている人は、ほとんど話しが
進まない。私自身のスキルも必要だと思う。カウンセラーになるのが一番なのだろうか?
「性虐待は実は数えきれないほど起きています」 実父から被害を受けた元タカラジェンヌの衝撃的な告白
2014.06.27
実父から性虐待を受けた元宝塚女性の告白
『なかったことにしたくない 実父から性虐待を受けた私の告白』(講談社)という衝撃的なタイトルに、一瞬、手に取るのをためらう。目を背けたくなるような凄惨な虐待の記憶が書かれているのではないのか。しかしこのタイトルは力強く宣言もしている。「なかったことにしたくない」――だからこそ実父の加害と、自身の被害をここに告白する。著者・東小雪さんの決意に後押しされるようにして、ページを開いた。
東さんは、かつて宝塚歌劇団に所属していた元タカラジェンヌ。2010年にレズビアンであることをカミングアウトし、現在はパートナーのひろこさんとともにLGBTを支援する活動を行っている。彼女は性虐待の記憶を長らく封印してきた。いや、自覚すらしていなかった。封じ込めてきたものが一気にあふれ出したとき、父親はすでに亡くなっていた……。そんな東さんが、なぜ今、過去の体験を本にしたのか。本人にうかがった。
性虐待は実は数えきれないほど起きています
――この本を書かれた経緯を教えてください。
東小雪さん(以下、東):「宝塚を退団した後の私は、リストカットや自殺未遂を繰り返したり、境界性人格障害と診断され、ときに閉鎖病棟に入院させられたり……うまく生きることができませんでした。父の死後も人生が迷走するばかりだったのですが、信頼できるカウンセラーの先生と出会ったことで、記憶の扉が開いたんです」
――取り戻した記憶はとても忌まわしいものでしたが、それを書きつづる作業もまた、つらいものだったのでは?
東:原稿を書いている途中、フラッシュバックもありました。私のなかに、ネガティブな感情が未整理のまま残っていたからでしょう。けれど、カウンセリングで過去の出来事と向き合い、整理し、言語化していくうちに、少しずつ生きる力を取り戻していきました。それと同時に、性虐待の体験を自分のこととして語ってもいいと思えるようになったんです。私が沈黙し続けることは、加害者の秘密の片棒を担ぐ行為でもあります。つまり『なかったこと』にされてしまうのです。
――幼い東さんは、日々「なかったこと」にすることでしか虐待に耐えられなかったのだと思いますが、大人になった東さんは「なかったこと」にしたままで、この先を生きていけないと気づいたのですね。
東:まさにそうですが、私個人のことだけでなく、社会的にも『なかったことにしたくない』という思いが強いです。日本では性虐待はほとんど知られていませんが、実は数えきれないほど起きています。それを隠すのではなく、社会的にも目を向けてほしい。支援や調査が必要なところにちゃんと届けてほしいという願いも込めました。
母とは2年以上連絡をとっていません
――東さんの場合、いちばん身近な存在である母親が、性虐待を「なかったこと」にしています。東さんが虐待されていた当時も、おそらく気づいていたのに目を反らしつづけたし、大人になった娘から虐待の事実を打ち明けられても、一度は事実を認めながら、結局はそれを否定しました。
東:私がパートナーと結婚式を挙げることになったとき、出席してほしいと母に電話しました。そしたら、『父からの性虐待をなかったことにするなら、出席してもいい』と……。とても傷つきました。身近な人から虐待の事実を否認されるというのは、必ずといっていいほど起きることです。
――お母さまはそうやって否認することで、何かを守ろうとしているように感じました。それは、地元の名士だった夫の名声だったり、その人の妻だったという誇りだったり、「何も知らなかった」ことにしている自分だったり……。でも、虐待で苦しみ、今ももがいている「娘」ではなかった。
東:結婚式の一件以来、母とは2年以上連絡をとっていません。しかし出版に際してどんな思いでこの本を書いたのかメールで伝え、完成した本も送りました。ですが、母からはなんの連絡もありません。もし今、母が倒れたりしたら、金沢に会いにいくとは思います。ただ、私は被害を受けた過去があったうえで今を生きています。母が否認し続け、対話を持ってくれないかぎりは、今後、新しい親子の関係を築いていくのは難しいです。
――お母さまが東さんに繰り返し言って聞かせた言葉から、嫉妬のようなものも感じました。
東:虐待を知っていながら助けなかったという面では、母は加害者ですが、夫=自分の性的なパートナーが、自分の娘を性の対象としていたという面では、母も傷ついていたと思います。だから私は、母と一緒にカウンセリングを受けたかったんですが、母は自分だけの物語のなかに帰っていきました。虐待が始まったころ、私は幼いなりの言葉で、父がしていることを母に訴えました。彼女も何のことかはわかったはずですが、目も合わせてくれなかった。そして今になっても、母は私の訴えに耳を傾けることすらしてくれません。
私らしく前向きに生きていきたい
――加害者である父親に対して、「向き合いたい」「許したい」という気持ちはつづられていますが、強い怒りや憎しみはそれほど書かれていないように思います。そのような感情は、ご自身のなかで整理がついているのでしょうか?
東:憎しみや怒りがないわけではありません。けれど、そこに留まっているかぎり、回復は難しいのではないかと思います。ネガティブな感情を抱えこんだまま、私らしく前向きに生きていくとなると、自分が引き裂かれてしまいます。私は前に進みたい。でも、今すぐに完全に許すこともできない……。本当に難しいですね。
>>>【後編】実父からの性虐待を受けた元タカラジェンヌが考える“暴力の本質”――生きづらい世の中を変えていくために
●東小雪さん
元宝塚歌劇団、あうら真輝。東京ディズニーシーにて初の同性結婚式を挙げ話題となる。現在は各種メディア出演や講演を通して、LGBTを支援する活動を行う。パートナーのひろこさんとの共著書に『ふたりのママから、きみたちへ』『レズビアン的結婚生活』(ともにイースト・プレス)がある。
(三浦ゆえ)
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過去に「 毒になる親 一生苦しむ子供」スーザン・フォワードなどの書籍を何度も取り上げています。
愛されるはずの人から虐待、言っていることとやっていることの正反対さ、という意味では重なる部分があり、2世3世の人ならなおさら同感できる部分があると思っています。
私の場合、内得信仰時代の人々や、折伏親である某くんと対決したほうがいいのだろうか?
今はそう思えていません。MCという状況があるから。他に学会員や法華講員の場合、社会的犯罪や悪ではなく学会や正宗というカルト教団の存在が許されてしまっているから。仏教学の問題、等々、他にも理由がいくつか有ります。
MCされ教団都合な理屈の多い人と話をしたくないわけではないし、話ができないわけではないが、継続することがなかなか難しい。
学会や正宗の嘘や疑問を持つ人、問題に気がついている人とは話しやすいが、自分の信仰や教団、教団トップ(池田先生、法主、日蓮大聖人)を信じこんでしまっている人は、ほとんど話しが
進まない。私自身のスキルも必要だと思う。カウンセラーになるのが一番なのだろうか?