創価学会の信仰に功徳はあるか?

コメントする人は「01.創価学会の信仰に功徳はあるか?を書く前に」を読んでね。

228.地獄論、罰論、メモ(その6)

2007年12月16日 00時18分11秒 | 創価学会
八大地獄 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E7%8D%84

道教 地獄 - Google 検索
http://www.google.co.jp/search?q=%E9%81%93%E6%95%99%E3%80%80%E5%9C%B0%E7%8D%84&complete=1&lr=lang_ja&hl=ja&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&ie=utf-8&oe=utf-8&rls=

●顕謗法抄

 顕謗法抄には地獄の説明があります。創価学会では録内御書、録外御書関係なく真筆遺文として信じてしまっています。私もそうでした。顕謗法抄の地獄観も当然信じてしまっていました。

(録内・録外 - ネット教学部
http://sokagakkai.g.hatena.ne.jp/keyword/%E9%8C%B2%E5%86%85%E3%83%BB%E9%8C%B2%E5%A4%96
これは本当なのかな??)

 顕謗法抄の前半に書かれている地獄観は源信(天台浄土系)の「往生要集」の部分的引用。(「源信」で検索してみて下さい。)顕謗法抄には地獄の説明は鎌倉時代の民衆が信じていた地獄観であること。

 そして当然、源信は浄土思想系、つまりは念仏ですから「往生要集」では
「念仏を信じない人が地獄へ行く。」
「往生要集」自体が様々な経文を纏めた物のようです。

 そして当然、日蓮は法華経ですから「顕謗法抄」では「往生要集」を引用しつつ
「法華経を信じない人が地獄へ行く。」

(地獄へ行く。と言う表現は問題があるかもしれませんが仮にそう書いておきます。)

日蓮聖人引用経論 「往生要集」
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/database/bunken/kyouron/oujyou.htm
往生要集 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%80%E7%94%9F%E8%A6%81%E9%9B%86

●宗教の地獄観

 「○○を信じないと地獄へ行く。」という地獄観や地獄の様子は仏教でもその他の宗教でも当たり前に説かれているようですね。

モヤモヤとしていた物がかなり楽になった気がします。

以上。

○誤記訂正('07年12月21日)

ある方からご指摘を頂きました。見せ消しで本文を修正。

源信は942年~1017年7月6日。
浄土宗の開祖、法然は1133年5月13日~1212年2月29日。
浄土真宗の開祖、親鸞は1173年5月21日~1263年1月16日。

源信の思想を受け継いで法然が浄土宗を開き、さらに親鸞がそれを独自に思想的発展。とのことだそうです。
源信は天台、浄土真宗ではなく天台宗、浄土系。

ご指摘有り難うございました。

○追記('09年01月31日)

携帯に対応するために見せ消しを止め下記の記述とした。

×
源信(天台、浄土真宗系)の「往生要集」の部分的引用。

源信(天台、浄土系)の「往生要集」の部分的引用。

×
そして当然、源信は浄土真宗、つまりは念仏

そして当然、源信は浄土系、つまりは念仏

×
「浄土真宗や念仏を信じない人が地獄へ行く。」

「念仏を信じない人が地獄へ行く。」
コメント (3)
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227.「地獄の因」についての話し合いもこれで終了かな?

2007年12月02日 00時18分57秒 | 創価学会
 ○○○某ーさんとの「地獄の因」についての話し合いもこれで終了かな?
何人かの人に誤解がある様なので追記しておきます。

●理由

 聖教新聞の寸鉄や四面座談会などで「日顕は地獄行き」「日顕宗は地獄」などの罵倒がありますが、人や組織に向かって見下すなどの形で結論づけるのが良くない。これが一つ。
 一年前の某ブログ、某BBSで荒れる原因にもなったのが、六道の一つを指して人を決めつける事でした。これを知り得た人であれば、普通の人は 「反省して」 同じ間違いをしないのでは?と私は思います。○○○某ーさんからはリアルでもネットでも境涯にこだわる発言が多いのが疑問です。過去の件に部分的に当事者であった私にとって大きく問題視せざるを得ません。理由は後述します。当然これも一つ。
 某ブログ、某BBSで荒れた結果、一部の人間関係が破綻しました。その破綻から交流や会話だけでも復活されているならともかく、そうではありません。その状況で言って良い事と悪い事があると思います。

ここまでは過去にも書いてきました。

 当然、人間には喜怒哀楽はあり、人間関係においても友人を選択する事は各個人の自由なのですが、池田氏をはじめとする学会本部、創価学会全体の「改革」を目指すのであれば、自分の身近な、あるいは思想的に距離の近い人間を説得できないのは非常に疑問です。当然、一般人の私にも納得がいく物でなければ、「改革された」とはいえないでしょう。
 昔日の日蓮正宗教学、創価学会教学に戻っても同じ問題が起こるだけです。

 入信前に「あなたの不幸や苦しみは過去世の法華経誹謗が原因です。はやく信仰の寸心を改め、御本尊に祈りなさい。創価学会に入りなさい。境涯革命、宿命転換、人間革命出来ます。祈りは叶います。御本尊に祈るだけで仏界を涌現(ゆげん)出来、祈りは叶います。」そう教えられて入信した私にとって 「地獄」 という思想、というよりも教団都合、創価学会都合のMCされた思想、思いこみを解くのに考える必要があった事。


●過去とこれから。

○人間関係

 たかだか日蓮の遺文、1600ページ分の無数にある単語の内、たかだか「地獄の因」という単語一つの使い方や見解が違ったくらいで○○○某ーさんとの人間関係は破綻していません。過去でも現状でも、メールやTELは今後も続くでしょうし、私は話す事があれば必要に応じて話すだけです。人を見捨てるとか見下すとか、切って捨てる、そうした創価(カルト)思想に反対の立場をとる私ですから当然です。
 そもそも、意見がちょっと違ったくらいで冷静に話せない、あるいは「あれは謗法」「あの人は謗法」「あの人は駄目だ」などと決めつける事自体が、創価学会に教わった問題思考だと思います。創価学会と日蓮正宗はこれだけ思想や教学がよく似ているのに決めつけ(堕地獄などのレッテル張り)や罵倒、そして対話無しの 「断絶関係」 だけは一人前です。
 過去の人間関係を捨ててしまうのが問題かと思います。仏法者というより宗教者と言えるんですかね?

○過去とこれからの人間関係

 過去に私が創価学会員と人間関係を築いたわけですが、「創価はカルトだから」というだけで問答無用で距離を置くのはおかしいでしょう。
私の場合、地区の学会員とはすれ違ってもいません。男子部などの地区の学会員は活動家ですから私にとって危険でしかありません。ほとんどネット上の学会を問題視している人だけですからとりあえず私に危険はないかと。

 また、過去の人間関係は重視しても、今後新たに学会員や正宗の人に自分から積極的に友人になりたいとは思っていません。

 ネット上では創価学会員でもその人の思想が分かるブログやHPを持っている管理人で、なおかつ、よほどしっかりしているか、おもいやりのある人であればコメントする程度なら大丈夫でしょうかね?
○○○某ーさんとも友人であるかないかを決めるのはわたしです。
向こうは「しつこいな~」(笑)(^_^;A「友人じゃねぇよ!」(笑)と思っているかもしれませんが。

過去記事にも書いたとおり創価学会員と夫婦、恋人は現実にいますし、これからもそうした人は出てくるでしょう。
Hまでしちゃうんですから友人でいる事や会話するくらいなんてことありません。

○思想、哲学

 日蓮正宗教学(学会教学も)破綻しています。断言します。その間違った教学で訂正も謝罪もせず悪用して人に教えて飯食っているんですから、別に私がブログ上でしている事は恥ずかしいとか間違っているとかは思いません。(A)

○過去とこれからの思想、哲学


私はもくじ1のブログ立ち上げ当初より、創価学会員の問題(や疑問)コメントがあると可能な限りその反対の立場や行動を取る様にしてきました。(1)


 今後もそうします。はったり特急やゆっちさんの件で記事やコメントを幾つも書いてきましたが、「私はLibraさんkou(kousan)さん、友岡氏の書籍など創価学会員であっても肯定する意見や人は肯定します。」当然、その反対に相手が創価批判者であっても否定する意見は否定します。
 創価学会員時代に男子部や創価班会で教わったのは、ある一個人や日蓮正宗全体、共産党や民主党など、を指して、罵倒、誹謗中傷、レッテル張り、全否定することでした。特にこの 「全否定」 ですよね。

 その反省からどんな人でも私は 「全否定」 (全肯定もか?日蓮本仏論も池田氏永遠の指導者も全肯定。)しないようにしたいと思っています。年明けか春先には明確にその様に考えていました。それともう一つ。何かの組織、哲学など、「教えられた事」つまり教育されたことについて、肯定するにしろ、否定するにしろ、自分で考え自分で選択します。MC論からして一度受けたカルト思想の影響はなかなか消えないそうです。私は一度もカルトに入った事の無い人から見たら、完全に一般人とは言えないかもしれませんが、その場その場、その都度その都度、ケースバイケースで考え、行動する、対処するしかないでしょう。
 それが脱カルトであり脱MCなんじゃないですかね?

ですから○○○某ーさんも「全否定」していません。

 (1)の事で常に私なりに得る物がありました。具体的に創価学会のおかしさを感じたり、MCが解けたことからしても、学会員と話す事は全くの無意味ではないと思います。


 今回も○○○某ーさんとの事でそれなりに得る物がありました。(1)の様に学会員と話をして得る物があるのか?これは私だけかもしれませんし、そうでないかもしれません。しかし夫婦、恋人で非創価のパートナーが学会員をMCから解放したケースも数は少ないですが私は知っています。(残念ながらその逆もあるでしょう。)創価に限っても解放したケースのトータル数が多いのか少ないかはわかりません。
 仏法教学やMC論もその場その場で学べばいいでしょう。(A)が理由です。カルト被害者の立場でなかなか仏法教学やMC論が分からないのは仕方ない事でもあると思います。時間もかかると思います。

 時間がかかるという事については、例えば犀角独歩さんの大御本尊の見解にしてもネット上で読める様になったのはここ数年でしょうし、10年前にはなかった事です。学会の婦人部やお年寄りたちは今でもネットをしてないとかで未だに知らない人もいるんじゃないでしょうか?

 それと私にとってkousanさん、Libraさんであろうと友岡氏であろうと犀角独歩さんであろうと「誰から」というのは問題ではありません。
仏法は依法不依人(えほうふえにん=法によって人によらざれ)ですよね。自己流の解釈ですが、法っていうのは経文(や教え)の事であり、現代では「客観視できる」文字文章や書籍、HPやブログ、BBSがそうではないでしょうかね?


私にとって今一番大事なのは創価学会と違う、精神、教学、哲学を持てる事が大事です。
創価班や男子部、学会書籍などから学んだ創価見解と違う見解を私が持てたわけですからそれを喜んで頂きたいですね。(^o^)/


 どの人からも学ぶ事はあるでしょうし、どの哲学からも学ぶ事はあるでしょう。その反対にどの人にもカルトっぽい思想はあるかもしれませんし、どの哲学の中にも危険な思想が部分的にあるかもしれません。 また、某BBSで日蓮ーその行動と思想ー 高木豊 著 評論社なども紹介されれば読んでいますし、読書においても創価オンリーにするつもりは全くありません。良書をご紹介頂ければ、順次読んでいくつもりです。(ここにも得る物得られない物、メリットデメリットもあるでしょう。)
 また、私のブログはアンチ創価系なわけですが、数多く学会の記事を書く事により学会の特徴は見えてくると思います。
その反対に創価学会と違う、見解を色々な角度から書いておく事も意味があると思います。

●日蓮

 日蓮についていわゆる「あら探し」をするためにブログ記事は書いていません。
日蓮本仏論や日蓮絶対論から離れるため、必要上書いています。
何度も書いていますが、例えば日蓮は慈悲深いと思っています。これは学会員時代と変わっていません。
そして今では喜怒哀楽があり、可謬な人間だったと思います。
今私が日蓮や法華経を選び取れないのは創価学会のおかげとしか言えません。

●MC論や大御本尊真偽論、あるいは人についての文句や誹謗中傷

 私の意見、見解に文句があるなら私に。MC論や大御本尊真偽論、などはその人に言って下さい。私にメールやTELなどで言われても困ります。折伏や説得したいのであれば01番記事のルールを守って頂き、表に書いた事であれば表で批判して下さい。MC論や大御本尊真偽論などそれぞれの意見を私が支持するだけです。

 特にMC論は創価学会だけを扱っているわけではなくて、カルトや宗教を取り扱う、ということです。創価学会批判するの為の理論ではありません。学会問題を語る時に創価学会の特徴や傾向、創価独特の単語、宗教見解などに問題視する事がある、ということです。

 アンチ創価というカルトもあり得るでしょうが、MC論は宗教ではありません。MC論に時間やお金の搾取、罵倒、誹謗中傷、見下すなどの問題言動はありません。MC論の本を読んでおけばアヤシイ宗教やオカルトに時間やお金の搾取される可能性が低くなると思います。未だにご供養云々と言う人に屁理屈を言われても困ります。

以上、今までに記事やコメントで書いてきた事ばかりであり、ブログ運営方針はあまり変わらないと思います。
コメント (6)
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