☆2024年4月8日月曜の朝8時半過ぎに起きたこと。
しばらく自宅を不在にするのと8日月曜は雨が降るのが分かっていたので南側の雨戸を閉めたまま部屋のLEDライトはつけていました。
出かける前にいつものように唱え言をすると、とある物体が短い時間光って見えて、その光は右目に入ったのだと思います。
ものすごく驚いて辺りを見回しても雨戸を閉めたまま部屋のLEDライトはつけたまま。左後ろを振り返っても台所に通じる部屋への扉が半分だけ開いているので北側の部屋の光は入りようがない間取り構造です。
本当かどうか確かめたいと思い、それと再現できないか?と考え、その場から一歩下がって前に進んで元に戻っても、その場から一歩右斜め後ろに下がって元の位置に戻っても再現しないので自分の立ち位置とLEDライトの反射光ではないと考えています。
念のために今日の朝23日も曇りだったので雨戸を閉めたまま試しに同じ位置に立ってもやはり再現しなかったです。
お導きかお計らいか(日蓮遺文にもある単語でナイショ)か吉兆か私には分からないのですがその時も今もすごく嬉しく思ってます。
(複数ある)信仰対象さまや祈祷師Cさんや準じる能力の方々と出会ってから今まで、神秘体験や準じる能力から出る言葉、普通ではあり得ない体験からすると、私自身は信仰対象さまからのお力をいただいているか見せていただいているのだと考えてます。
自身が体験したか体験してないに関わらず聞いたものを含めると神秘体験や準じる能力者から出る言葉、普通ではあり得ない体験は20ケースを超えていると思います。
創価学会員時代は嘘話かあるいは0ケースでした。
読者の皆さんがどう考えるかはもちろんご自由にしてください。ただし悪口、批難はもちろん安易な批判ですら危険かと思いますが、仮にしたとして私は何があっても知りませんよ。
☆数年前に見えた体験との違い
一番の違いは見えている時間かもしれません。前回は見えている最中に目を瞬きしても顔を横に向けて元に向き直しても、まだしばらく見えていました。時間は夕方でした。
今回は一瞬で朝8時半過ぎでした。
☆2024年4月5日と2023年に起きたこと
4月5日午後に駅で私と同じ状況にある人と隣になりました。
2023年にも2度駅で私と同じ状況にある人と隣になったので、これで3度目ですぐに偶然ではないと感じました。3度目ともなるとお導きかお計らいか(日蓮遺文にもある単語でナイショ)か、それとも全てなのか私には分かりませんが「クヨクヨするな」などのメッセージ性があるのかもしれません。どんな会話をしたかは書きません。
Cさんに出会ってから割とすぐに気がついたのですが、信仰対象様はお引き合わせというか出会いというか巡り合わせが得意のように感じています。正確な数を数えていませんが、その数は30をとっくに超えてます。そのくらい幸せか幸せにつながる出会い、またはメッセージ性あることが多いです。
☆祈っていただき私は幸せ者
とある物体と後ろにあるものは祈祷師Cさんにご祈祷していただき、Bさん(Cさんを私に紹介してくださった二人のうちのお一人)が使っていたものです。
私の吉事のお祝いとして一年ほど前にBさんからお譲りいただきました。
Bさんも力のある方です。
4月5日夕方にはBさんからメールが来ました。
「こんばんは。xxおよびxxの件で(中略)米山(メールでは本名)さんのことをお願いしています。今、米山さんの所にあるxxはCさんが御祈祷されたものです。だから安心して下さい。」(趣意)
最近、私に色々なハードルがあってそれらのことで祈っていただいてます。
複数ある信仰対象さまに感謝していますし、Bさんや教団関係者や他の方々に祈っていただき私は幸せ者です。
☆右目の網膜剥離ではないのか?
網膜剥離は左目で15年以上前に経験していて網膜に問題があると雷のような光が走ります。これは医者の見解でもあり私の経験でもあります。
今回はその光とは違います。
先週、右目の眼底検査をしましたが網膜剥離はありませんでした。
☆右目に作用したのか?
神仏の力が頭に作用した結果、神経を通じて右目に光を感じたかもしれません。あくまで私の想像であり分かりません。
☆今回のことの感想
もしかすると今回一番喜んでいるのは祈祷師Cさんや私でなくBさんかもしれません。
自分にこんな体験ができるとは思っていませんでしたし願ってもいませんでした。
自分に直接影響ある体験としては上の方に来る体験です。
しかも強烈だと感じています。
どの宗派のお坊さんでも祈祷できるか祈祷師を師匠に持つか祈祷を知っているか祈祷学問のセンスを有する人ならば、私が過去と今回と体験してきたことを話せば一目置かれるか驚かれるレベルだと考えています。
他にも書かずに触れてないことがあるのですが、ブログではここまでにします。
伏せてあることを明らかにしないと信じてもらえない部分があり、また話の流れがヘンテコなところがあるのですが、正宗系の人は全く気が付かないでしょう。
勧請/祈祷を知っていて坊さんがすべきことがわかっていれば、正宗系教団なんかとっくに辞めていると思います。祈祷僧とその信徒や伝統講は別かもしれません。
以上
しばらく自宅を不在にするのと8日月曜は雨が降るのが分かっていたので南側の雨戸を閉めたまま部屋のLEDライトはつけていました。
出かける前にいつものように唱え言をすると、とある物体が短い時間光って見えて、その光は右目に入ったのだと思います。
ものすごく驚いて辺りを見回しても雨戸を閉めたまま部屋のLEDライトはつけたまま。左後ろを振り返っても台所に通じる部屋への扉が半分だけ開いているので北側の部屋の光は入りようがない間取り構造です。
本当かどうか確かめたいと思い、それと再現できないか?と考え、その場から一歩下がって前に進んで元に戻っても、その場から一歩右斜め後ろに下がって元の位置に戻っても再現しないので自分の立ち位置とLEDライトの反射光ではないと考えています。
念のために今日の朝23日も曇りだったので雨戸を閉めたまま試しに同じ位置に立ってもやはり再現しなかったです。
お導きかお計らいか(日蓮遺文にもある単語でナイショ)か吉兆か私には分からないのですがその時も今もすごく嬉しく思ってます。
(複数ある)信仰対象さまや祈祷師Cさんや準じる能力の方々と出会ってから今まで、神秘体験や準じる能力から出る言葉、普通ではあり得ない体験からすると、私自身は信仰対象さまからのお力をいただいているか見せていただいているのだと考えてます。
自身が体験したか体験してないに関わらず聞いたものを含めると神秘体験や準じる能力者から出る言葉、普通ではあり得ない体験は20ケースを超えていると思います。
創価学会員時代は嘘話かあるいは0ケースでした。
読者の皆さんがどう考えるかはもちろんご自由にしてください。ただし悪口、批難はもちろん安易な批判ですら危険かと思いますが、仮にしたとして私は何があっても知りませんよ。
☆数年前に見えた体験との違い
一番の違いは見えている時間かもしれません。前回は見えている最中に目を瞬きしても顔を横に向けて元に向き直しても、まだしばらく見えていました。時間は夕方でした。
今回は一瞬で朝8時半過ぎでした。
☆2024年4月5日と2023年に起きたこと
4月5日午後に駅で私と同じ状況にある人と隣になりました。
2023年にも2度駅で私と同じ状況にある人と隣になったので、これで3度目ですぐに偶然ではないと感じました。3度目ともなるとお導きかお計らいか(日蓮遺文にもある単語でナイショ)か、それとも全てなのか私には分かりませんが「クヨクヨするな」などのメッセージ性があるのかもしれません。どんな会話をしたかは書きません。
Cさんに出会ってから割とすぐに気がついたのですが、信仰対象様はお引き合わせというか出会いというか巡り合わせが得意のように感じています。正確な数を数えていませんが、その数は30をとっくに超えてます。そのくらい幸せか幸せにつながる出会い、またはメッセージ性あることが多いです。
☆祈っていただき私は幸せ者
とある物体と後ろにあるものは祈祷師Cさんにご祈祷していただき、Bさん(Cさんを私に紹介してくださった二人のうちのお一人)が使っていたものです。
私の吉事のお祝いとして一年ほど前にBさんからお譲りいただきました。
Bさんも力のある方です。
4月5日夕方にはBさんからメールが来ました。
「こんばんは。xxおよびxxの件で(中略)米山(メールでは本名)さんのことをお願いしています。今、米山さんの所にあるxxはCさんが御祈祷されたものです。だから安心して下さい。」(趣意)
最近、私に色々なハードルがあってそれらのことで祈っていただいてます。
複数ある信仰対象さまに感謝していますし、Bさんや教団関係者や他の方々に祈っていただき私は幸せ者です。
☆右目の網膜剥離ではないのか?
網膜剥離は左目で15年以上前に経験していて網膜に問題があると雷のような光が走ります。これは医者の見解でもあり私の経験でもあります。
今回はその光とは違います。
先週、右目の眼底検査をしましたが網膜剥離はありませんでした。
☆右目に作用したのか?
神仏の力が頭に作用した結果、神経を通じて右目に光を感じたかもしれません。あくまで私の想像であり分かりません。
☆今回のことの感想
もしかすると今回一番喜んでいるのは祈祷師Cさんや私でなくBさんかもしれません。
自分にこんな体験ができるとは思っていませんでしたし願ってもいませんでした。
自分に直接影響ある体験としては上の方に来る体験です。
しかも強烈だと感じています。
どの宗派のお坊さんでも祈祷できるか祈祷師を師匠に持つか祈祷を知っているか祈祷学問のセンスを有する人ならば、私が過去と今回と体験してきたことを話せば一目置かれるか驚かれるレベルだと考えています。
他にも書かずに触れてないことがあるのですが、ブログではここまでにします。
伏せてあることを明らかにしないと信じてもらえない部分があり、また話の流れがヘンテコなところがあるのですが、正宗系の人は全く気が付かないでしょう。
勧請/祈祷を知っていて坊さんがすべきことがわかっていれば、正宗系教団なんかとっくに辞めていると思います。祈祷僧とその信徒や伝統講は別かもしれません。
以上