創価学会の信仰に功徳はあるか?

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公明党、山口那津男代表の主張は現実を見ようとせず、論理が逆立ち

2013年10月19日 20時19分57秒 | 創価学会
【阿比留瑠比の極言御免】安保政策 公明代表の論拠消滅+(1/2ページ) - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131012/stt13101213050004-n1.htm

2013.10.12 13:04 (1/2ページ)[公明党]

 公明党の山口那津男代表は今回、安全保障政策に関する主張の論拠をまた一つ失った-。インドネシアとブルネイを訪問し、東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳らとの会談を重ねた安倍晋三首相に同行取材し、そう実感している。

 「首相としては、集団的自衛権の見直しを含む自らの安保政策『積極的平和主義』に、各国から理解が得られたのが大きい。否定的反応は全くなかった」

 同行筋はこう指摘する。むしろ首相の説明に対し、「日本はもっと積極的に役割を果たしてほしい」と求める声もあったという。

 同行筋は、秋の臨時国会での野党による安倍政権の安保政策に関する追及を念頭に語ったようだ。ただ、筆者はこれを聞きながら9月26日の山口氏の記者会見の言葉を連想していた。

集団的自衛権で溝

 山口氏は集団的自衛権の見直しについて、「断固反対」と述べた7月段階よりトーンを弱めつつも、こう強調していたからである。

 「周辺諸国、近隣諸国および同盟国の理解を促す努力も求められる」

 それが今回、首相はASEAN各国のほかオーストラリアやニュージーランドなどの首脳からも理解と支持を得て、「周辺諸国」という条件は難なくクリアできた。「同盟国」である米国はすでに3日、ケリー国務長官とヘーゲル国防長官が東京を訪れて開催した日米外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会(2プラス2)の場で、集団的自衛権の行使について正式に歓迎を表明している。

山口氏の主張は現実を見ようとせず、論理が逆立ち

また、山口氏自身が9月に訪米して米国から慎重姿勢を引き出そうとした際も思惑が外れ、会談したリッパート国防長官首席補佐官にこう突き放されていた。

 「日本が集団的自衛権の行使を解禁して、国際社会で積極的な役割を果たすことを歓迎する」

 結局、残るは「近隣諸国」、つまり中国、韓国の特定2国だ。それに国交のない北朝鮮を含めても3カ国・地域だけなのである。

 だが、独立国家が自国の安全保障確保に当たり、なぜ近隣諸国の意向をうかがわなければならないのか。

 逆に、中国や北朝鮮の軍事的脅威が際限なく増大してきたからこそ、安保政策の転換が喫緊の課題となったのである。山口氏の主張は現実を見ようとせず、論理が逆立ちしている。

 また、韓国の反対はどうみるべきか。北朝鮮有事では、日本が集団的自衛権を行使できる方が韓国にとってもありがたいはずだが、韓国は対日関係で正常な判断力を失っており、気にするだけ無駄だろう。

いたずらな遅延策

 「連立政権のあり方も含めて議論していく課題だ。短兵急な、乱暴な進め方は受け入れられない」

 山口氏は9月29日のNHK番組では、連立離脱カードまでちらつかせて問題の引き延ばしを図った。

 支持母体である創価学会の事情もあろうが、「アジアの安全保障環境は一層厳しくなっている」(安倍首相)。安保政策でいたずらな遅延策を続けるようでは、山口氏は国民の生命・自由・財産の保護を軽視しているとのそしりを免れない。(政治部編集委員)

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「山口氏の主張は現実を見ようとせず、論理が逆立ち」
民主党も売国奴として酷すぎました。
公明党、しかも代表がこんなこと書かれるなんてほんと馬鹿というかMCって恐ろしい。。。

以前、記事に書いた通りオウムの林 郁夫は元々、医者なので私よりずっと頭はいい人だったはずです。今でもおそらく頭の良さは変わらないでしょう。しかしカルトによりMCされてとんでもなく社会に迷惑をかけた人になりました。地下鉄サリン事件は麻原の命令から始まって短期間の間になされましたが、MCは長い時間にわたり林 郁夫を支えたわけです。
警察に逮捕されるという強制力が働くまで続いたわけです。

(アメリカだけでなく何処の国でも公明党が反日親中であることは理解していると思いますがちょっとしたミスの一言や行動が更に恐ろしい失敗や損失(ミス)になり得ることはあり得ます。)

教団の教えによって内容は違っても同じ様な性質を持つMCであり、脱MCするのにほとんど同じ対策が必要なことからも明らか様に、社会的損失はオウム事件と同等と見るべきかと。
日本の政治家集団全体からして状況判断、政治的判断や言動に損失があるという意味です。
ちょっとしたミスの一言や行動というのは日本国民にとって時間やお金の損失であることは間違いないでしょう。

こういう政党が未だに自民と一緒になって日本の政治中枢にいるのは非常に問題だと思います。自民だって何の問題もない政党だなんて全く思っていませんが、公明党は潰れてくれないと日本にとって大きな損失になるでしょう。

以上
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【参考記事】東大寺戒壇堂

2013年10月05日 09時47分31秒 | 創価学会
JR東海 | うまし うるわし 奈良 | キャンペーン | 東大寺 戒壇堂篇

●正式な僧になるには

古びた石段をのぼって門をくぐると、二重の瓦屋根が軒を反らせて待っていた。ここは東大寺戒壇堂。僧侶となるために「戒」を授かる儀式を、正式に行う「戒壇」が日本で初めて建立された場所。門からお堂までまっすぐ伸びた石畳の両側には、禅寺の枯山水のように白砂が敷かれ、わずかに波打っている。これはきっと、東シナ海の荒波。唐から日本に戒律をもたらした鑑真が渡った、苦難の海のかたち。千二百年あまり昔に大陸から伝えられた戒律の教えは、この戒壇堂にたどり着いた。いまも「受戒(じゅかい)」の儀式は受け継がれ、僧侶たちは仏さまとともに生きることをここで誓う。

「戒律」とは一般には宗教的な規則のことを指すが、「戒」とは修行者自らが仏教者として守らねばならない戒め、「律」は、僧侶集団である僧伽(そうぎゃ)の集団運営のための規則。「受戒」とは戒を保つことを誓い、僧伽の正式なメンバー(男性は「比丘(びく)」、女性は「比丘尼(びくに)」)に加わる事を認めてもらう儀式である。この受戒こそが正式な僧侶としてのスタートだった。

●大仏さまの前で

天平5年(733)、日本から2人の僧が唐へと旅立った。興福寺の僧、栄叡(ようえい)と普照(ふしょう)は、聖武天皇の命を受け、伝戒の師となるべき僧を招くために東シナ海を渡ったのである。仏教に深く帰依していた聖武天皇は、この国が仏法によって守護されることを願い、全国に国分寺、国分尼寺を創建し、大仏造立の詔(みことのり)を発し、仏教興隆のために邁進していた。僧侶の数もまたたくまに増えていったが、僧侶になれば税を逃れられるため、勝手に出家する人々も多く、規律も乱れ始めていた。
 聖武天皇は、唐で行われている正式な僧侶となるための「受戒の制」を日本でも採り入れることを急ぐ。天皇の願いを受けてかの地に着いた栄叡と普照は、すでに4万人以上に戒を授けてきた鑑真を日本に連れて帰ることになった。
 しかし度重なる遭難や、不法出国に対する密告によって鑑真の旅は苦難をきわめる。ようやく一行が平城京に入ったのは、渡航の決意から12年の歳月が流れた天平勝宝6年(754)。その2年前に大仏は開眼していた。過酷な旅路に鑑真の視力は失われていたが、仏教に寄せる国中の期待をその肌に感じたことだろう。すでに譲位していた聖武上皇もまた、一日千秋の思いで鑑真の到着を待っていた。4月、大仏殿の前に戒壇が築かれ、聖武上皇、光明皇太后、娘の孝謙天皇をはじめ、約440人もの人々が鑑真より戒を授かった。

●国家的戒壇院として

このときの戒壇の土を大仏殿の西南に移し、翌年には正式に戒壇堂が建てられた。何度も焼失して、今の戒壇堂は享保17年(1732)に再建されたものだが、場所はそのまま。
 東大寺戒壇院創建の後、筑前国(福岡県)の観世音寺、下野国(しもつけにくに・栃木県)の薬師寺にも戒壇が設けられ、僧になるにはその三戒壇のいずれかで受戒しなければならず、受戒制度はやがて整っていった。鑑真の伝えた授戒は、戒和上(かいわじょう)、教授師(きょうじゅし)、羯磨師(こんまし)の3人の師と、7人の証明師(しょうみょうし)の立会い(三師七証)により、僧尼たちが守るべき「具足戒」(ぐそくかい)を授けるというもの。
 具足戒は男性の僧である比丘には250、女性の僧である比丘尼にはなんと348もあった。殺さない、盗まない、という基本的なものから、日常生活の細やかな規則まで誓った。
 初期の戒壇院は受戒の儀式を行うだけでなく、受戒したばかりの僧が、戒律について修学するための施設が整えられていた。というのも、発掘や資料によって、戒壇堂を中心とした戒壇院には、講堂、僧坊、食堂などの大きな施設があったことがわかっており、戒壇院はそれ自体が一つの独立した伽藍の様相を呈していた。やがて鑑真が唐招提寺(とうしょうだいじ)に移ると、東大寺の戒壇院は受戒の場として特化されていく。
 2011年11月7日から9日にかけて、26年ぶりに戒壇堂で受戒会(じゅかいえ)が行われた。非公開であるため中の様子はうかがえなかったが、門前には竿に高くかかげられた幡(ばん)がはためき、入堂していく僧侶の列が見え、読経の声も聞こえた。塀越しに五色の幕で飾られたお堂を見上げると、空は天平の色に染められていた。

296.戒壇建立は常識的にどこまで重要と言えるのか? - 創価学会の信仰に功徳はあるか?

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今年中にあちら方面に旅行に行きたい。
コメント (2)
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