創価学会の信仰に功徳はあるか?

コメントする人は「01.創価学会の信仰に功徳はあるか?を書く前に」を読んでね。

527.新春初笑いに挑戦しよう!

2022年01月04日 06時57分21秒 | 日蓮系遺文
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2.新春初笑いに挑戦しよう!

 『 昭和二十七年版 御書全集』発刊の辞

「絶えなば」だってさ。

皆さんがどう思うか、あるいは笑えるか笑えないかは自由です。
日蓮宗の遺文集は「たへなば」「たへ(絶)なば」で表現されており、一体どこから盗用剽窃したのか、単なる誤字なのかわかっていません。日蓮宗の文献から見つければ池田大作と戸田城聖を超えたヒーローになれて「日蓮宗が極悪だ」と発狂や絶叫できますよ。
最初の初版から間違っていて、大いばりや喧嘩腰、誹謗中傷や悪口を言ってきたのが創価や正宗です。
創価など正宗系の人はみんな自分のことを多かれ少なかれ真面目だと思っていますが、私は笑えます。

昭和や平成の『御書全集』発刊の辞を見ると「たへなば」です。

『令和池田版』は
 絶
「たえなば」
と送り仮名がわかりにくくなっています。漢字を入れるなら「たへ(絶)なば」「た(絶)へなば」の表現が一番いいと思います。

絶とは - コトバンク

諸法実相抄は長らく偽書説有りか真偽未決か完全に戯書扱いの遺文なので序文にふさわしいのかやや疑問です。(今の私は以前受けれてなかった中古天台本覚思想を受け入れて真偽未決か真蹟だと考えています。)



今更『御書全集』初版の入手時期を書いても信じてもらえないでしょうが『御書全集』初版を二〇一八年ごろ入手しています。入手に困難さが付きまとうので、入手できるように祈祷シリーズに書いたCさんに祈祷をお願いし、その結果無事に入手できました。

『行道文庫』昭和版を読んで盗用剽窃を見つけ『行道文庫』初版を入手できだだけでも低い確率です。更に『御書全集』初版を入手できたので天文学的確率だと思っています。
天文学的確率よりも、祈祷シリーズに書いたCさんに出会えることの方が更に奇跡か天文学的確率なことだと私は考えています。
こうした体験をお導き、おはからい、福運というのでしょうか?

次回は小林正博さんの論文に戻ります。

2022/01/06 奥付
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526.創価学会は日蓮さんの書いた「漢字や仮名文字」はどうでもいい?

2021年12月31日 13時00分10秒 | 日蓮系遺文
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2.創価学会本部は日蓮さんの書いた「漢字や仮名文字」はどうでもいい?

●漢字の特定

 漢字の字体で標準字体以外を異体字と呼ぶ。
私は漢字の研究者でないので間違っているかもしれません。

現代日本語の常用漢字、旧漢字
鎌倉時代の標準漢字
鎌倉時代の異体字
日蓮さんが独自に用いた異体字で略字、当て字

犀角独歩さんはブログで日蓮遺文や本迹体一抄で異体字のご研究をされています。異体字だけでも次から次へと発見があるみたいです。

●かなの特定

 かなも日蓮さんが独自に用いた送り仮名や独自の筆記があります。

例えば、小林正博さんは仮名についても論文を書いているらしいです。
論文名
日蓮文書の研究(4)真蹟に現われる「かな」の全容
日蓮系の中で新しい論文なので何か新発見があったのかもしれませんが、論文になるくらい重要なのでしょう。

例えば開目抄で
(1)諸人にしう(主)し(師)父母(親)なり
(2)諸人にしたし父母なり
2つのどちらか日蓮系全体で決着はついたのでしょうか?
現在の研究成果で一つに決まったのかもしれませんが長年議論があった事実があります。

●『日蓮聖人遺文の文章・語法研究』山上ゝ泉

 送りがなや文章全般について、ただそれだけなのに一冊の本になっているくらいです。
こうした日蓮宗の書籍は私が知っているだけで他に4、5冊あります。もっと多いのかもしれません。異体字に関しては日蓮宗で、他に多くの本があります。把握仕切れていません。

●写本と日蓮真筆の違い

 日蓮さんと日興さんで異なる筆記になっています。小林正博さんの論文参照のこと。

2.「日蓮文書の研究(1)」より | 東洋哲学研究所

戸田城聖は日蓮宗を御書全集の序文で悪く言いましたが、日興さんを「背く読み方をなし」と悪く言っているも同然です。

なお日蓮さんは自分の言葉と京都の言葉の違いからコンプレックスがあり「おそらく言葉づかいや、話をする声なども京訛(なま)りになったことでしょう。鼠がこうもりになった」と書き残しています。『令和池田版』の漢字や仮名の変更がすぎるので、大聖人直結ではないです。

(c)日蓮宗2003
法門可被申様之事(真筆遺文の現代語訳)
-------------------------
だいたい、日蓮の弟子は京都に上ると、はじめは日蓮の教誡を忘れずに守っているようですが、後には天魔に魅せられたように気が狂うようです。少輔房がまさにそれです。御房も同じようになって天罰を受けないように注意しなければいけません。京都へ上って間もないのに、実名を変えるなど気が狂ったとしか思えません。おそらく言葉づかいや、話をする声なども京訛(なま)りになったことでしょう。鼠がこうもりになったように、鳥でもなく鼠でもなく、田舎法師でもなければ京法師ともみえず、さぞや少輔房のようになったと思われます。
-------------------------

別遺文の現代語訳では「なめり」(訛り)を「乱語」と訳されています。

小林正博さんの論文の後ろの方で明確に文献名と版数が書かれていて、どの文献を見て書いたのかわかります。『令和池田版』の参考文献には版数の記載がありません。

●日本語の変遷

 しつこいようですが、私は古文の専門家でもありません。
創価信者だった時に日蓮遺文を熱心に読んだだけです。
今の創価本部職員も末端創価員もgoogle検索などで「日本語 古文 変遷」くらい検索できないのでしょうか?
約30万件以上も検索ヒットします。
一体『令和池田版』の日蓮遺文は何時代の古文なのでしょうか?

●祖書学カテゴリーの解説本を何度も出版する機会があったが創価と正宗は気がつかなかった。

 前の記事で以下のように書きました。
----------
(5)日蓮宗の祖書学カテゴリーの論文、冊子、解説本が膨大にあり、今後も作成される。
(6)大崎教学中心な日蓮宗だけではなく、単立宗教法人や身延山大学と客観視と自由な意見交換と批判可能。
(7)6と5は5年〜10年間に批判がなければ確定し必要であれば『昭和定本』のマスターに反映される。
(8)日蓮墨筆を読める人が日蓮宗に存在する
(9)結果として、日蓮遺文集を数多く出版した実績と歴史が日蓮宗にある。
----------

祖書学カテゴリーの解説本は『昭和新修 別巻』や『日蓮聖人教学の研究』浅井要麟や『日蓮聖人の文献学的研究』鈴木一成などが【遺文解説本】として挙げられます。理想でしかありませんが、御書出版と同時かあるいは御書出版の五年〜十年前に【遺文解説本】を出しその後御書出版すべきでした。

1.学者だった牧口常三郎の入信後、
2.『御書全集』出版時、
3.編年体出版時、
4.第一次宗門問題で未出版のままになった御書作成時、
5.第二次宗門問題後『平成新編』出版時、
6.2021(令和3)年の第二版時、
7.『令和池田版』出版時。

合計七回も【遺文解説本】の必要性に気がつくことなく敗北と失敗を繰り返しました。
日蓮さんと日蓮正宗の正しさを知っているのは我々、創価学会と池田先生である!!との【遺文解説本】を出すべきだったでしょう。日蓮宗との違いがわかりません。今なら創価は日蓮正宗と日蓮宗を敵に回して一味も二味も違いを活字にして大勝利でもなんでもすればいいでしょう。

●日蓮遺文の収集と遺文集作成に苦労したのは?

 『昭和新修 別巻』や小林正博さんの日蓮文書の研究(1)を見てもわかるとおり、日蓮遺文集作成に苦労したのは、江戸時代までの日蓮宗(正宗含む)のお坊様か、あるいは明治以降の日蓮宗僧俗の皆様。明治以降は、日蓮正宗も1/10以下くらいは貢献しているかもしれません。
(五一の相対は日興対五老僧ではなく日向対五老僧だったことを忘れないでください。)
第二次宗門問題の最中、秋谷栄之助が「僧侶が上、信徒が下はとんでないことだ」(趣旨)としてきました。布教に苦労したのは正宗僧侶でなく末端の創価員です。(その中でも婦人部)第二次宗門問題はどっちもどっちで実にくだらない問題でした。
「日蓮宗の遺文集作成の実績が上、創価と正宗のそれが下」は断言していいでしょう。事実でもあり真実です。

●まとめ

☆梵字や漢字、異体字、かなを出来るだけ忠実に再現して努力したと言えると思います。

☆米田淳雄さんの『平成新修 日蓮聖人遺文集』では漢字とかなの校訂が表になって8ページも記載されています。
サムネイル画像


研究論文や冊子、研究書籍の蓄積が創価学会には微小でしかなく『昭和定本』に貢献できたとは思えません。過去に業績があれば大威張りだったのではないでしょうか?『御書全集』盗用剽窃の発覚で創価系の学者生命は四条金吾の「只今なりとな(泣)く」日蓮さんの「笑えかし」状態ですかね?乾いた笑いしか私は出ません。
創価学会の「日蓮正宗は日蓮宗僧侶と交流があって、謗法だ!けしからん。」(趣旨)を数年前まで言いがかりをしてきました。創価系の学者は正式に公開法論や創価本部に謝罪と賠償を求め絶対に公開抗議すべきでしょう。

日蓮宗の遺文集には見られない『令和池田版』の漢字や仮名の変更がすぎるので筆者不明、時代不明の古文のような中途半端な遺文集になっています。

もう一つ重大な問題が発生しています。
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525.私が勝手に祖書学と思う書籍を曖昧に説明してみる

2021年12月29日 00時27分24秒 | 日蓮系遺文
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2.以前にも何度か書いた日蓮宗(単立日蓮系を含む)できちんと勉強されている方々に比べれば私は足元にも及ばないと思います。

 以前にも何度か書いたと思うのですが、私の頭が出来がいいわけではありません。「富士門流信徒の掲示板」や犀角独歩さんのブログ、Libraさんのブログを昔は熱心に読んでいましたが、日蓮に強い興味があるわけでもなく、法華経信仰したいわけでもありません。
私の文章を読めば、とんでもなく出来がいいと思う人はいないでしょう。日蓮宗(単立日蓮系を含む)できちんと勉強されている方々に比べれば私は足元にも及ばないと思います。日蓮宗の書籍をマインドコントロールを解く、日蓮系の情報の整理整頓、または読書やネットの情報、人を見る目を養う意味はあると思います。

オウム真理教の信者だった林 郁夫の著書「オウムと私」を紹介しつつ、次のような説明をブログやオフ会、メールなどで何度かしてきました。林 郁夫は医者だったので頭は今でもいいのは間違いないでしょう。私と林 郁夫が何かの勉強を同時にスタートしたら私が負けると思います。
しかし林 郁夫と積極的に付き合いたい人はほとんどいないでしょうし、宗教的なマインドコントロール、心理学的な問題、仮に社会に戻ってきたとして、社会適合など問題があるかもしれません。

私は卒業大学も一流ではないので、嫌味を言ってくる人には遭遇しませんでした。私立でも国立でも一流大学クラスを出ていると「君はどこの大学卒業なの?」と上から目線の発言を取る人が大勢いるそうです。自己愛性人格障害手前のプライドな発言です。18歳から22歳くらいまではいいのかもしれませんが、例えば40半ばの中年になって京都大学卒の人が東大生に向かって「東大のアホが日本語喋んじゃねえ」とネットで喧嘩しているのは笑うしかないでしょう。この笑える一言は拡散されツイッターのハッシュタグやgoogleに約35万件残っているそうです。その後、彼に謝罪や反省があったのかは知りません。頭がいいのと人格破綻、会話破綻、人間関係破綻は別物です。
創価など正宗系の人に多いですが相手の発言機会を失わせようとあるいは黙らせようと謀略、脅し、嫌がらせをする傾向があります。

もう一つは、創価など正宗系の人に多いですが「君は日蓮のアレコレ読んだことある?」「君はこれ読んだことある?」「君の紹介した書籍はレベルが低い」と【一言だけで去っていく】会話と関係の人が多いです。マウント取った気になって自己満足して去るのが気分がいいのでしょう。今まで14,5年ほど正宗系以外の他の宗派でマウント取りや人間関係の破綻や拒絶の言葉や態度をとる人は一人もいませんでした。
「君はこれ読んだことある?」も「君の紹介した書籍はレベルが低い」も誰でもいつでも文章や会話で使って構いません。しかし正宗系の人で一部の人はこの辺りの感覚が解らないらしく、どうなると不健全でどうすれば健全な人間関係や心理なのかわからないのでしょう。創価員時代の私の折伏方針や会話にこの問題があったのは言うまでもありません。

私の場合は他のアンチブログや書籍を読む、あるいは他宗の人にあう等々、情報量を増やしてください、と何度も書いています。情報を一言でなく膨大にしています。
312.仏教と心理学の基本図書の紹介(2018年01月頃更新) - 創価学会の信仰に功徳はあるか?

●『令和池田版』を見ても脱会しない!?

 「富士門流信徒の掲示板」や犀角独歩さんのブログ、Libraさんのブログを何度も紹介してきました。私は創価学会も日蓮正宗も辞める理由がこれらのサイトにたくさんあると考えています。今でも創価に残っている人がどれくらい熱心にこれらのサイトを読んだかわかりませんが、知識や学びとして基本や前提だと思います。
創価本部職員でなく、末端の男子部や壮年部、男子学生部の人たちには少しは期待していましたが、『令和池田版』を見ても脱会しないなら私としては彼らを軽蔑するしかないですね。
日蓮正宗をやめない人がいるのは微妙なところです。一応伝統教団な訳です。

●私が勝手に祖書学と思う書籍を曖昧に説明してみる

 『令和池田版』の批判をするのに、日蓮宗(単立日蓮系を含む)の書籍の説明を簡単にしたいと思います。日蓮宗(単立日蓮系を含む)の書籍を熟読はしていません。ざっくり読むか辞書引きぐらいです。ですので、今から紹介する説明や分類は私のざっくりとした意見です。
『令和池田版』批判や理解に重要な意見ですが、正確かどうかは日蓮宗(単立日蓮系を含む)の書籍をご自身で読んで学んで判断してください。
間違っていたらすいません。

順番も適当、いい加減、不真面目に私個人がおすすめ。
本の山から出てきたら追記します。(随時更新)

『昭和新修 別巻』
令和池田版が出るまでは別巻だけもう一冊欲しかったですが、令和池田版のレベルが低すぎて流石に別巻一冊だけ買う必要はないかな。

『日蓮聖人教学の研究』浅井要麟

『全篇解説 日蓮聖人遺文』
https://www.amazon.co.jp/dp/4333027748/

『日蓮聖人の文献学的研究』鈴木一成

『日蓮聖人遺文の文章・語法研究』山上ゝ泉

祖書学以外の参考文献

『現代語訳 法華辞典』山喜房佛書林

『中山法華経寺史料』中尾堯

『本化聖典大辞林 全三巻』 師子王文庫
戦災で失われたものの写真があって資料価値が高い。

以上
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524.日蓮を祖師とする祖書学カテゴリーと牧口常三郎の失敗

2021年12月26日 07時04分51秒 | 日蓮系遺文
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2.昭和二十七年初版を創価学会本部はインターネットで一般公開すべき

  昭和二十九年版『御書全集』に貼った付箋紙から問題や間違いが多いことはわかると思います。
昭和二十七年初版を創価学会本部はインターネットで一般公開すべきだと思います。2015年の第二版までの昭和『御書全集』ベースは全て著作権を放棄するか、引用転載を自由にすべきですが、行われてない問題があります。

すでに 『令和池田版』にも問題が多く程度が低すぎる問題があります。

3.『御書全集』は何故、誤記や書き写し間違えがあり酷い出来になったか?

●推測される理由

 理由は幾つか想像できます。
(1)信者のことを考えず、宗教法人認可の為を考え急いで作るのに盗用剽窃した。
(2)日蓮宗の業績と苦労を軽視したのは間違いないでしょう。
(3)他に戸田城聖の増収が目的だったのかもしれません。真面目に墨筆を読んでいては人件費と時間がかかります。
(4)他数点あるが現時点で非公開。

(1)についてはオウム真理教が暴走するきっかけとなった「1988年9月の信者死亡事件」を思い出した人がいるかもしれません。宗教法人認可申請中だったためオウムは死亡事件の隠蔽を図りました。

●日蓮正宗系は、立正大学と身延山大学の歴史と論文や書籍の量を把握できてない。

 立正大学の歴史
立正大学の成り立ち|立正大学 入試情報サイト
1580(天正8)年 日蓮宗の教育機関として下総飯高檀林から始まる。本能寺の変は天正10年6月2日(1582年6月21日)です。

身延山大学の歴史
1556(弘治2)年 西谷に「善学院」開設

立正大学蔵書検索(OPAC)https://opac.ris.ac.jp/
2021年12月26日現在ここで
「日蓮」検索すると2803件(雑誌22件)
「立正安国論」検索すると235件(雑誌0件)
「開目抄」で検索すると該当99件(雑誌0件)
「観心本尊抄」で検索すると該当99件(雑誌0件)
他多数。

各図書館に、江戸時代以降の坊さんが書いた非公開の目録や墨筆はどれくらいあるのかわかりません。ほとんどがお寺だと思います。対して大石寺は江戸時代に二度大火があり文献消失の有り様はひどい状況だったようです。
日蓮正宗系富士学林は一九七一年頃設立。(『富士学報』創刊号は昭和四十六年十一月。)

●日蓮本尊、日蓮遺文、写本、断簡とお寺の所在地、寺名は切り離せない。

 日蓮正宗を含めた日蓮系のお寺には膨大な本尊と日蓮遺文、写本、断簡があり、本尊と日蓮遺文についての書籍で一冊事例を挙げると『日蓮大聖人御真蹟目録 随喜居士』が出版されており、分厚い本になっています。
立正安国会_片岡随喜編_日蓮大聖人御真蹟目録 - YouTube

☆何が言いたいかというと、この本はお寺の名前だらけです。日蓮宗の各遺文集は詳細には書けないので省略しつつ分かる情報は全て明記するのが当たり前です。『令和池田版』は寺名が【わかりやすい遺文集ではなくわからない遺文集】なのです。

日蓮大聖人御真蹟目録や昭和定本を読んだことのある人は気がついているかもしれませんが、日蓮遺文は長いものであればあるほど一つの和紙で書かれていることは少ないです。撰時抄や諌暁八幡抄など他多数。ナントカ抄は何々寺と書かれていても大部分が書かれている和紙の所蔵寺だったりします。この点でもお寺の名前を遺文集に書かないなんてありえません。

●日蓮正宗、創価学会は研究書としてマスターになる文献はあるのか?

 富士学林『日蓮正宗富士年表』ぐらい?

 二〇一七年時点で私が知る限りですが、日蓮正宗の書籍はヨイショ本を含めて教学本が5冊くらいしかありませんでした。御書や御書講義を除きます。昔から現在まで日蓮正宗僧侶は日蓮宗の1/10といわれています。創価学会は日蓮正宗の撲滅を祈っていますが日蓮正宗を30年経っても撲滅できていません。
(一丈のほり(堀)をこへぬもの十丈二十丈のほりをこうべきか:昭和定本 (c)2003 日蓮宗)

『平成新編』がどれくらい日蓮宗に認められているか不明ですし、私にとっても非常に疑問だらけですが残念ながら正宗系は『平成新編』『平成校定』がマスターになるんですかね。今後、創価や正宗は遺文集を出す必要性はないと言っても過言ではないでしょう。

日蓮正宗も論文は出していますが、僧侶数が日蓮宗の1/10で論文非公開が多く日蓮系の批判を受けてない等々問題が多いです。

●日蓮を祖師とする祖書学カテゴリー

 日蓮を祖師とする祖書学カテゴリーに含まれるのは、日蓮遺文や弟子孫弟子を解説したもの、研究論文、辞書、目録本(片岡随喜編 日蓮大聖人御真蹟目録など)、日蓮遺文の写真本あることがわかると思います。

「御書講義と信仰の教学解説は祖書学と異なる」点を注意し理解してほしいです。
その証拠に創価や正宗の御書講義と信仰の教学解説を読んでも、日蓮墨筆を読めるようになったり真偽判定や年代特定する論文は書けないでしょう。文献を引用して好き勝手なことを言うくらいなら私でも誰にでもできます。

(1)日蓮遺文そのもの。所蔵のほとんどがお寺。
(2)日蓮の弟子、孫弟子の写本や解説書
(3)江戸、明治、大正、昭和戦前における日蓮宗の遺文集出版。『昭和新修』などを参照のこと。
(4)日蓮遺文の写真本
(5)日蓮宗の祖書学カテゴリーの論文、冊子、解説本が膨大にあり、今後も作成される。
(6)大崎教学中心な日蓮宗だけではなく、単立宗教法人や身延山大学と客観視と自由な意見交換と批判可能。
(7)6と5は5年〜10年間に批判がなければ確定し必要であれば『昭和定本』のマスターに反映される。
(8)日蓮墨筆を読める人が日蓮宗に存在する
(9)結果として、日蓮遺文集を数多く出版した実績と歴史が日蓮宗にある。

(5)〜(8)をランダムに繰返して『昭和定本』出版の業績と歴史、信頼、遺文集と解説本を通して信者さんを大切にしていると考えています。
何度も書いていますが、日蓮遺文集の解説本は『昭和新修 別巻』『解題堤要』『霊艮閣版』など多数あり。

●学者、牧口常三郎は日蓮正宗を選び失敗した

 盗用剽窃した創価の昭和『御書全集』日蓮正宗の『昭和新定』がいかにひどいか再確認してほしいです。見栄だけの『平成校定』はいらないし『平成新編』は『御書全集』よりマシなだけだと思います。

小林正博さんの論文「日蓮文書の研究」には書誌学と書かれてます。牧口常三郎は学者で人格者でしたが、書誌学、祖書学の観点から牧口も小林さんも日蓮正宗を選んだのは学者としても信仰者としても大失敗であり福運がありませんでした。私は学者ではありませんが私の創価、正宗選択は失敗だったのは言うまでもありません。

「牧口の入信は晩年だから調査の時間なく仕方ない」というのでしょうけど、じゃあ今まで戸田、池田、秋谷栄之助、原田稔は何してたの?としか。

10年以上前、ある創価員さんが「創価は最初から失敗だった」(趣旨)と言ってくれたのを思い出します。あと5chの「今の創価にはバカしか残ってない」(趣旨)の笑える書き込みは結局見つからないままです。

きちんと調査していれば
第二次宗門問題→破門→魂の独立の順番ではなく
調査→日蓮正宗へ先生攻撃文書送付→魂の独立→宗門が敗退と先手攻撃できて池田大作くんはヒーローになれたでしょう。
『昭和新定』出したあんぽんたんには無理だったかな?

●第三文明社の漫画「四条金吾」

 第三文明社の漫画で「四条金吾」を創価員宅で読んだ記憶があります。確か作中で平左衛門尉頼綱が邪宗の僧侶に「お前たちは今まで何してたのだ!」(趣旨)と叱り僧侶が平伏するコマがあった気がします。つまり日蓮さんを公には認めなくとも陰では平頼綱が日蓮さんを認めたセリフです。公場対決の問答や日蓮さんからの手紙、蒙古襲来の指摘、仏教の勉強成果を認めたので「日蓮さんに対し坊さんとしての成果を認める。邪宗僧のお前たち今まで何してたのだ!」と。
確かこんな感じの二コマだったと思うのですが、うろ覚えで間違っていたらすいません。

●「日蓮宗(日蓮系)は業績がある」これ重要。

 「日蓮宗は業績があるのに正宗、創価のお前たちは日蓮宗に認められず今まで何してたのだ!」と聞いてみてはいかかでしょうかぁ〜。

正宗や創価のトップは表では日蓮宗(日蓮系)の業績を認めないでしょう。裏や陰では日蓮宗を認め敗北を認識しているのかもしれません。彼らトップは折伏しませんからね。
戸田城聖、池田大作も全く日蓮系遺文に貢献することなく信者に対しても搾取、詐欺だったと私は考えています。また少し異論を挟んだだけで追い出されるのが正宗や創価です。

(u1)日蓮正宗の独自性、正当性の論文は?
(u2)日蓮正宗の相伝における人を幸福にする有効性は?
(u3)日蓮正宗の護持僧祈祷僧が人を幸福にした記録は?

以上

 心願社『日蓮正宗富士年表』ぐらい?

富士学林『日蓮正宗富士年表』ぐらい?

日蓮正宗系富士学林は一九八八(昭和六十三)年設立。

日蓮正宗系富士学林は一九七一年頃設立。(『富士学報』創刊号は昭和四十六年十一月。)
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523.「 昭和二十九年版 御書全集」天の写真

2021年12月18日 20時09分21秒 | 日蓮系遺文
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2.393-7や410番記事にアクセスが集中してます

昭和定本の事理供養御書(創価版:白米一俵御書)現代日本語訳
昭和定本の師子王御書(創価版:閻浮提中御書)
他。

2つの遺文について創価員の間で混乱が生じているのでしょう。
いい機会なので壮年部男子部は脱会しては?
ついでに、日蓮正宗法華講の教学好きな男性も脱日蓮正宗、脱講しては?
正宗系の人「お前は間違ってる!!今いる教団をやめろー(発狂)」でしょ?

どちらの教団も折伏で勝てない御書を買わされて大変ですね。

3.まひとつ原稿の画像のカラー版。

 2018年ごろ「 昭和二十九年版 新編 日蓮大聖人御書全集」に間違いや問題点に付箋紙を貼って撮影した。小口側にも付箋紙はあるのでもっと増えます。
本の革で見えないが本文の前半部分にミスは少ないです。



本ブログに公開した分より多いことがわかります。
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522.自己愛性人格と承認要求と承認請求の補足。

2021年12月18日 19時35分06秒 | 日蓮系遺文
自己愛性人格と承認要求と承認請求の補足。

 自己愛性人格とは何かをwikipediaから引用して簡潔に説明します。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/精神障害の診断と統計マニュアル)
【自己愛性人格障害は1980年に発表されたDSM-IIIで初めて定義された。DSMとは精神障害の診断と統計マニュアル(英語: Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)は、元は欧米で精神障害の分類のため共通言語と標準的な基準を提示するものであり、アメリカ精神医学会によって出版された書籍をDSMとする。2000年にDSM-4、2013年のDSM-5にも自己愛性人格障害がに入れられた。】

自己愛性人格の内容はgoogle検索などで調べてもらうとよくわかリます。阿部日顕と池田大作が自己愛性人格なのは濃厚。創価学会も裁判や新聞書籍などで「阿部日顕に法主の資格がない。人格的にふさわしくない」として長年問題を指摘してきた過去があります。

●事例を挙げると

 故・友岡雅弥さんとごく少数の創価学会員さん達が見返りを求めず困っている他者のところへ行って救済しました。友岡雅弥さんが「どうしたのですか?」「困っている人を友として近づいていく」当のアプローチから入った他者救済についてだけは尊敬しています。
友岡さんを査問した理由は不明で噂レベルでしかありませんが、出張費がらみの人間関係にあったようです。査問して病気ができ重くなって死亡するほどのことなのか不明です。他者救済で言葉と行動が一致していることが大事です。何度も本ブログで書いてきた「言っていることとやっていることは一致します。」

対して池田大作と阿部日顕は言葉と行動が一致してません。何度も本ブログで書いてきた「言っていることとやっていることは異なります。」
阿部日顕はカマシ発言など数多く証拠があります。

日顕の超有名な「カマシ」発言!(肉声) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=0kpks1ACB44

創価学会と池田大作にも小樽問答や人間革命や「蓮華八十七号の正しい読み方資料」で数多くの矛盾点があります。
1990年の雲仙普賢岳噴火で池田は噴火以後の宗門問題について同時中継で「雲仙普賢岳噴火は諸天の怒りだ」(趣旨)と言った記憶が私にあります。
平成4年12月13日の全国青年部幹部会で「日顕なんか、その(嫌なヤツの)代表だっていうんだ。ほんな、針金で結わえて、あの頭、トンカチでぶっ叩いてね(笑い)」と暴力主義を取った発言をしています。これもgoogle検索で「日顕 針金 トンカチ」で検索すれば池田の問題発言は他にも数多く検索結果に出ます。

●もう一つ問題になるのが子供からの自己愛性人格

 昭和二十年代三十年代は日蓮正宗の教義から脱線することもなかったですし敗戦直後もあって古き良き日本人が創価や正宗に騙されて入信したと思います。決して良き日本人だけが創価学会に入信して悪い日本人が創価に入ったわkではなく、創価学会員はいい人ばかりは思い込みの典型例です。

第一次宗門問題が起きて
創価学会の「教義逸脱問題」(昭和52年路線)を宗門から文章で指摘され小冊子にまとめられました。日蓮正宗の法華講が発行した「蓮華八十七号の正しい読み方資料」1978年(昭和53年)10月28日発行です。この冊子には多数の池田批判、原田稔など大幹部の大勢が批判されています。

創価学会員の意見
第一次宗門問題年表 1 | 明るい未来へ弟子として生きる
https://ameblo.jp/kingdog136/entry-11748933405.html
日蓮正宗側の意見
日蓮正宗公式サイト|創価学会との関係について
https://www.nichirenshoshu.or.jp/jpn/soka-j.html

創価学会員が幼少か小学校低学年くらいの時に父母や祖父母から
「法華経は慈悲深い経典だよ、お題目あげたからえらいね」
「勤行唱題したからみんな幸せになれるね、よくやった」
とか言われ頭撫でられたりして、子供時代のいい思い出になっているケースは問題ありません。

☆幼い時の父母や祖父母からの愛情ある言葉や優しい言葉で承認され、欲求を満たすことは何の問題もありません。

しかし第二次成長期や思春期で親に反抗できる場合はいいですが、家庭不和も反抗もなく大学生や社会人になり、四箇格言通り他宗を邪宗として創価以外みんな悪い信者等々、激しい言葉、怒りの言葉、「池田先生のお役に立てる人材になれ」など依法不依人からはずれ、客観主義でなくご都合主義+怒りと恐怖でマインドコントロールされると問題が生じます。

(日蓮正宗の論文や書籍にはご都合主義が多く、立正大学、身延山大学にはご都合主義はなく客観主義の論文や書籍となっています。牧口常三郎は学者でありながら、こうした論文、書籍、立正と身延山大学を詳細調査なく、いきなり昭和二年に北山本門寺を訪れて追い出されて、その後日蓮正宗に入信しています。日蓮正宗僧侶は日蓮宗の約1/10しかいないと言われてます。後述するかも。牧口常三郎は晩年に日蓮を知ったので無理だったかもしれませんが、調査不足は否めない事実です。)

〔柳田国男と北山本門寺のことなど〕 : 大木道惠の創価学会問題とその周辺
https://siawaseo.exblog.jp/16792505/
伊那の信盛寺
http://densantarou.g1.xrea.com/1170_2.html
>国柱会の田中智学が、日興門流の北山本門寺(当時は本門宗)に注目した。牧口常三郎は大石寺末の信徒に勧誘されて入信したが、これは田中智学と北山本門寺の件が理由だと推定できる。末寺が六十一の宗派に入れと云はれても、普通は入らない。しかし今をときめく国柱会と関係が深い北山本門寺の本家筋に当たるのが大石寺だと云はれれば、誰でも耳をピクリと動かす。
(なお国立戒壇論は国柱会の田中智学の意見です。)

坊さん(創価本部幹部、末端幹部)の言うことを間に受けない
書籍や論文など詳細に調べる。十年でも二十年でも。

2つが出来てないとマインドコントロールされます。
昭和の四十年、五十年から創価学会は問題を起こしていたのですから、自己愛性な問題が肥大化していったと思われます。
その証拠に、一〇代、二十代の頃の私は「蓮華八十七号の正しい読み方資料」の存在すら教えられず、創価班などで「蓮華八十七号の正しい読み方資料」に違反する教え(仏教の教えというより学会精神)を数多く吹き込まれています。

龍樹について書く前に(その1) にも書きましたが、私の場合でも問題ある出来事は数多くありました。細かいことを言えばブログ全部の矛盾があります。脱会直後は「池田先生はいい人」と気がつかず、マインドコントロールに気がついてから進歩しています。

☆創価学会に入って幸せになれる(はずだ)との思い込みは全てが妄想でした。

『令和池田版』を見ても酷いと思わず、女性部(以前の女子部、婦人部)はついていくのは自己愛性人格障害的な表れがなのかもしれません。

『令和池田版』で日蓮宗の文献が参考文献として出版元、書名などは掲載されましたが、2020年に出した書籍としては日蓮宗文献調査が不十分としか言えないと考えています。

●承認欲求や承認要求(又は承認請求)

 創価などの正宗系信者に多いのが承認欲求や承認要求です。
創価学会の場合、池田先生にご報告する、こんな不祥事は池田先生にご報告できない、池田家の単語が飛び交う界隈など、現役信者の承認欲求や承認要求はすざまじいです。

脱カルト中、脱会した人でも承認欲求や承認要求が時々、見受けられます。

『令和池田版』で日蓮宗僧俗どころか身内の正宗系信者も折伏できないでしょう。言語障害があった事実として「功徳」の意味もわかってなかったじゃないですか?その度にストレスや不安、不機嫌を抱えるのでしょう。

私の場合は「なぜ池田先生や創価学会の素晴らしさがわからないのだろう?」という疑問がありました。理由探しはしてなかったのでダメダメでした。
問題は創価、正宗にあり他宗(邪宗)にはなかったわけです。
四箇格言など、他宗(邪宗)にばかり問題を見つけ続けると自己愛性人格障害に陥ります。
私が折伏新聞啓蒙した相手からは私の興奮や元気はキチガイに見えたのでしょう。
他宗(邪宗)の人から私の承認を満たす言葉が与えられるわけがありません。

創価班や男子部で幹部にそそのかされ、怒ったり、恨んだりした分、自分が傷ついたわけですから、創価学会や日蓮正宗は末端を「怒れと命令」「怒らせるコントロール」「怒っていいと許可」等々しているので、言葉と感情の行動の分、見返りの成果として承認欲求や承認請求が欲しいのでしょう。何度も書いていますが、依法不依人の原則から外れます。
三法印、四法印を知るか悟るか学ぶか、あるいは貪瞋痴を遠ざけるのが仏教です。

創価の場合、選挙だけでも推定で四百万人以上活動家がいるのですから困ったものです。

以上

2021年12月26日 全文を承認欲求や承認要求(又は承認請求)に修正した。
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521.('21/12/16)龍樹「十住毘婆娑論尋出御書」

2021年12月16日 01時19分27秒 | 日蓮系遺文
1.注意事項

 本記事は本文でも画像でも全てにおいて引用、転載を一切、禁止します。

本記事はリンクのみ許可します。
ツイッター、フェイスブック、他ツールからでも、本記事に飛べば許可します。

2 皆さんがどう思うか、あるいは笑えるか笑えないかは自由です。

いきなりですが画像を見てください。
昔の日蓮正宗創価学会蜜月時代や創価学会が独立してから信者を取られた各宗派のお坊さんや(私が足を引っ張った)日蓮宗の僧俗の皆様、共産党、他多数の方々は笑ってはいかがでしょうか〜。
私は奥付の「不許複製」より笑えました。

昭和二十九年版 新編 日蓮大聖人御書全集


『昭和新修』


この波線のある「十住毘婆娑論尋出御書」の盗用剽窃元は『昭和新修』か『霊艮閣版』(別名『縮刷遺文』)のどちらかははっきりしていません。
波線の記載は『昭和新修』『(私が所持している昭和中期の)霊艮閣版』『行道文庫』の3つに存在するため、稲田海素か小川泰堂時代の日蓮宗の誰かが【わかりやすさの為に】波線をつけたのは間違いありません。
「十住毘婆娑論尋出御書」は身延曾存御書ですので遺文名も日蓮宗遺文からの盗用剽窃と私は考えています。

執筆者疑惑と盗用剽窃過程の2つについて、元創価学会員で日蓮正宗僧侶だった大橋慈譲の証言を元に「まひとつ」会報に出稿しました。

2018年頃だったと思いますが、私にとってこんな下らないミスを見つけた時は大笑いするしかありませんでした。
みんなこんな下らないミスの書籍を信じ、裁判、学会正義だの正宗正義だの、御法主上人猊下だの日蓮宗は邪宗だの、邪宗は不幸になるだの、めちゃくちゃなことばかり言ってきたわけです。
昭和20年代、30年代の聖教新聞縮刷版を見れば、日蓮宗への誹謗中傷は明らかです。

中には創価員二世三世の親が自殺したケース、失踪、行方不明、うつ病、発狂、気が触れて記憶喪失になった人、勉強できなくて学会活動する子どもを親が褒め勉強できて学会活動しない子供を軽く扱う等、親が子供の食事を作らない、御書を正座して読め!、御書はいつも持ち歩け!、(史実の発言かは不明ですが)昭和27年頃、日蓮宗の昭和定本に勝った!日蓮宗の本尊や僧侶は魔が入っているだの、もうめちゃくちゃだと思います。

馬鹿馬鹿しい2教団だと私は思います。

波線の書き写しくらい些細なミスで大したことない、という創価員や正宗法華講員は今後も存在すると思います。梵字削除や立正安国論広本削除、真蹟、真蹟曾存な日蓮遺文のミスはどうなるの?としか。

『令和池田版』が出た後で、もう過去形かもしれませんが「間違っているのはお前ら」。間違っているのは邪宗だ!ではなく「お前らの御書が間違っている」「魔が入っていたのは、お前らの御書」だろとしか。

以上

2021/12/11 初稿
2021/12/16 『霊艮閣版の和綴じ本』→『霊艮閣版』
(注)『御書全集』を盗用剽窃した際に、大橋慈譲は『霊艮閣版の和綴じ本』をハサミで切って細い短冊にしたと証言しているが、大橋慈譲の記憶違いの可能性が高い。
『霊艮閣蔵版』は和綴じ本はなく洋本形態であり、和綴じ本なのは小川泰堂の『高祖遺文録』です。

(昭和中期の)→(私が所持している昭和中期の)

補足
小川泰堂『高祖遺文録』一八八〇年(明治十三年)

『霊艮閣版』一九〇四年(明治三十七年)続集がない版。

小川泰堂『高祖遺文録』を元にした日蓮聖人全集が日蓮宗全書出版会と平楽寺書店から出ている。
『日蓮聖人全集』 全三巻 大正三年頃(初版大正三年?) 日蓮宗全書出版
『日蓮聖人全集』 全五巻 昭和六年改版(初版?年) 平楽寺書店

『霊艮閣版』続集部分が一九二〇年(大正九年)に追加される。「十住毘婆娑論尋出御書」はこの頃に続集に追加されたと思われる。

小川泰堂『高祖遺文録』の発行部数は3000くらいと想像され希少本でありハサミで裁断はできなかったと思われる。和本は和紙に版画で作成するため3000くらいで版木がすり減るため。
日蓮宗全書出版、平楽寺書店の『日蓮聖人全集』は高額で発行部数も少ないのでハサミで裁断はできなかったと思われる。
『霊艮閣版』は部数は不明だが、数多く出ていたと思われる。
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520.龍樹について書く前に(その3)

2021年12月11日 15時17分23秒 | 日蓮系遺文
龍樹について論じる前に(その3)

●不安障害、気分障害の正反対が軽い心、笑いの多い人生かは不明です。

 脱会して無宗教になった人や非活動家になった人は創価学会の特徴的な言葉と行動に気をつける必要があります。

許す/許さない
怒れ!/起こらない
あいつは天魔だ/唯一正統なる猊下だ(レッテル貼り)
生命と生死
池田大作の指導で「笑い飛ばそう」「呵々大笑」
etc,etc
共に泣き、共に笑い、平和とか歪んだ勇気だとか長時間題目だとか数かぎりないです。

創価学会で使われる「生命」の言葉の使い方は歪んでいると何度も書きましたが、それも結局、創価が曖昧なイメージでしか説明してないので仏法は生命になってしまっています。(あるいは宇宙生命)

何度も繰り返し創価員から与えられたか、あるいは自分で怒ったり許さないと思った分だけカルト(正しくはセクト)マインドコントロールがあると思います。

日蓮宗のサイトや正宗系教団に対する批判を読んでも怒りが湧かないのがいいのでしょう。
(1)一番良いのはは忘れること?ほとんど思い出さない。
(2)忘れたわけではないが、ほとんど気にしない
(3)忘れたわけではないが、笑えるくらいになる

柔軟な人や笑いの多い人に脱カルトが早い気がします。

許す/許さない、怒れ!/起こらないも気をつけていても世間一般とのズレに気がつかないといつも不機嫌、いつも怒っている、いつも表情が硬いなど、子供や家族に影響すると思います。
リアルでもネットでも折伏しないのが一番ですが、末端信者がやってしまって何度も入信まで行かず成功しないでしょう。正宗も創価も100%中、1%もないかと思います。
100人説得して90人入信すればテストに例えると90点、
100人説得して80人入信すればテストに例えると80点、
100人説得して70人入信すればテストに例えると70点、
100人説得して60人入信すればテストに例えると60点、

正宗の坊さんや創価本部職員が折伏成功する動画をほとんど見たことありません。こんなことを怒りや恐怖を与えられつつずっと続けていたら不安障害、気分障害、言語障害を経由してうつ病や統合失調症など病気やストレスを抱えると思います。
仏教には舎衛の三億の概念がありますが、最も正しいはずの創価日蓮仏法、正宗日蓮仏法とやらでもお互い三分の一も出来てないでしょう。
300人折伏して100人入信すれば舎衛の三億ができますが正宗の坊さんや創価本部職員の誰も折伏成功してないと思います。出来ていたら発表するでしょう。

言語障害はともかく感情論の多い正宗系です。喧嘩やネットバトル、折伏できなくて不安障害、気分障害を抱えないはずがないと思います。(私は医者でなく素人ですけど。)

将来、脱会したい人や迷っている人は問答をして試すしかないケースもあると思います。

(1)主張したいことはわかるが、どうしてそう思うのか?
(2)主張したいことはわかるが、(1)の理由、根拠は?
(3)主張したいことはわかるが、(1)の文証、理証は?

これを繰り返し問答の途中か終わりに「笑えるのが近道」かもしれません。
私は脱会後もしばらくの間、創価班歌の鼻歌を口ずさんでヘコんでいたことは以前書きましたが、創価班歌の鼻歌を歌うことはなくなり忘れることができています。『御書全集』もページや大体の場所を覚えていて「あの遺文はこの辺にある」カンと開けてしまうのが嫌でしたので日蓮宗の御遺文集を色々読んで笑える結果になりました。

(つづく)

12月11日(土)一つ目の記事です。もう一つアップロード予定。
2021/12/12 日蓮系遺文にカテゴリ変更 
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519.龍樹について書く前に(その2)

2021年12月08日 01時26分31秒 | 日蓮系遺文
龍樹について書く前に(その2)

『令和池田版』出版で日蓮遺文が読みやすくなったと大勢の創価員がネットに書いています。問題はないのでしょうか?

●読みやすくなった、は話しやすくなったと過去の隠蔽につながりやすい。

 『令和池田版』出版で日蓮遺文が読みやすくなったことで、私の過去の経験から読みやすくなった、は話しやすくなったと過去の隠蔽につながりやすいと考えています。

元々、何度も指摘してきた通り創価学会と日蓮正宗の2つの教団は過去の過ちをなかったことにする体質があります。

日寛本尊下付が開始された時、私は婦人部や壮年部の創価員に素晴らしいご本尊が出来たと聞きました。会合でも同じような事を聞き、当時すっかりマインドコントロールされていた私は、少し疑問に感じましたが数ヶ月後に日顕から日寛改ざんカラーコピー本尊に替えました。
当時は本尊が改ざんされていることを誰も知らないままです。後々、日蓮正宗か顕正会か正信会の誰かが指摘したのでしょう。それでも脱会者が増えたとは聞いていません。

●日寛本尊下付が開始された時、私は「折伏しやすくなった」と考えた

 日寛本尊下付が開始された時、私は「折伏しやすくなった」と考え当時の聖教新聞(*1)を持ち歩いて折伏しました。
創価学会が破門されているのに、正宗教学をよくわかってないのにもかかわらずです。1978年(昭和53年)発行「蓮華八十七号の正しい読み方資料」すら知りません。存在を知ったのはたしか今から4、5年前くらい(?)、読んだのもブログ記事を書く少し前です。
私が内得信仰した2、3年間に本尊も御書も所持して無いのに男子部幹部にそそのかされ友人を折伏したアホアホの私です。日寛本尊下付で「折伏しやすくなった」などとバカとアホとしか言いようがありません。

正式入信してから数ヶ月で五時八教などの教学を先に言わず「あなたに幸せになってほしい」先に言うようにしたのは過去記事の通りです。

しかし創価にとって都合の悪いことを私は知らないか教えられていません。
過去記事に数多く書いてきた矛盾が証拠です。

「あなたに幸せになってほしい」?馬鹿馬鹿しい。破門されているのを解決し「幸せになってから」言うべき言葉です。
「祈りはかなわない」と周囲に言いふらしているキチガイですな。

友人から圧倒的に多かった質問は次の通りです。
「日蓮正宗から破門されたんじゃ無いの?」(何がどう正しいの?幸せなの?)
「日蓮正宗から破門されてるよね?」(何がどう正しいの?幸せなの?)

過去の私や創価員の日本語の矛盾は先の記事に書いた通りです。
都合の悪いことを言わないのは自己愛性人格障害や記憶障害、言語障害をきたしている可能性が高いと思います。
(自己愛性人格障害の単語は1990年代当時はなく最近のタームです。)

(*1)当時の聖教新聞
創価学会入門や一問一答の書籍と一緒にクリアファイルに入れて(脱会までは大事に)持っていました。


●『令和池田版』出版で元気出したり意気がったり絶叫したり御書研鑽頑張ります!と決意したり?

 『令和池田版』出版で日蓮遺文が読みやすくなったことで、私の過去の経験から読みやすくなった、は話しやすくなったに繋がる危険があるかもしれません。

1952年から2021年の間まで70年もの間「日蓮宗の魔が入った」盗用剽窃の御書全集だった過去を説明する創価員はいないでしょう。

病的な創価員や正宗法華講員が増えないといいですね。

●紹介するにしても

創価は問題の多い正宗の坊さん、御書全集、大御本尊なんか紹介するな、布教させるな。
正宗は問題の多い創価学会なんかに紹介、布教させるな。

●まとめ

・折伏をする資格があるは40、50以上の正宗僧侶であるべき。若い者や在家は折伏布教でなく紹介程度でいい。
・本来は在家は折伏布教すべきで無いが、彼らの「正義なる、大勝利なる」言動から、御書更新で池田大作自ら先頭に立って本部職員が折伏すべき。


2021/12/12 日蓮系遺文にカテゴリ変更
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518.龍樹について書く前に(その1)

2021年12月07日 00時30分46秒 | 日蓮系遺文
龍樹の論について書く前に。
(6000文字、長いです)

●大きな区切りがついた

 日蓮正宗と創価学会の2つの(教団というより)問題集団に私が内得信仰・入信してから今まで色々な出来事が起きましたが大きな区切りがついたと思います。

第二次宗門問題
創価が日寛本尊を改ざんしカラーコピーして販売。
正宗から創価学会が信徒破門にされる
祈りが叶わないどころか悩みが増えて脱会した
本ブログ立ち上げ
大御本尊が日蓮真筆でなく偽物である事が確定(正宗が認めてないだけ)
JSCPRの勉強会に行ったこと
(Cさんとの出会いと勧請・祈祷の体験)
御書全集の梵字問題や遺文名の問題
御書全集の盗用剽窃が発覚
友岡雅弥さんの死去。(友岡さんを全肯定も全否定もしてません)
『令和池田版』(御書全集新版)の出版

●友岡雅弥さんとコロナ

 2016年秋から翌年春頃に故・友岡雅弥さんが創価学会本部及び関西本部で計7回も査問されたそうです。重篤なPTSD及び、嚥下障害及び発語困難、呼吸不全の後遺症が深刻となり、2018年夏には嚥下障害に伴う誤嚥性肺炎による意識不明の重体で約1カ月間の入院され、2019年4月2日にお亡くなりに。
https://www.change.org/ には今も友岡雅弥さんの酸素飽和度低下の写真が残っていますが、原因不明の酸素飽和度低下と聞いても当時はピンときていませんでした。しかしコロナ禍の酸素飽和度低下と友岡さんの病状を私が思い出した時、Twitter等で友岡さんの酸素飽和度低下とコロナのそれを書いている創価員はいませんでした。末端の創価員(正宗法華講員も)自分の不幸や危機は書かない様です。仏教の因果応報や罰論を彼らは信じているはずですが変ですね。他にも色々疑問に思いました。

願兼於業(がんけんおごう)なのか総罰・別罰・顕罰・冥罰なのか創価と正宗の見解はどうなんでしょうね。聞きたくもありませんが。

コロナで老人や病人など弱者が亡くなっています。創価や正宗のように私は恐怖を煽りたくないのですが、因果応報や恐怖を創価学会本部の人たちは感じなかったのですか?60、70、80の高齢の本部幹部職員が大勢いますが病気を抱えて苦しくないんですかね?みんな健康ならいいのですが。

●正宗と創価の「抜苦与楽」はどうなっているのか?

 『令和池田版』が出版され盗用剽窃問題は解決しました。

でも私の苦しみは消えていません。病気や悩み事など仕方のない面がありますが、正宗と創価から与えられた嘘や間違い、誤ち、貪瞋痴、怒り、恐怖などは謝罪がありません。

日蓮仏法と言って重く考えるからおかしくなるのであって
過去の私を含め彼らのやっていることは教え、導くというより 「紹介」 です。
日蓮遺文はこれを読めばいいですよ、と『令和池田版』を紹介、
法華経はこれを読めばいいですよ、と勤行要典を紹介、
お坊さんは日蓮正宗大石寺の法主が血脈相承を受けています、と紹介します。
池田大作や創価の小冊子、書籍、聖教新聞も相手が読んでくれない場合、自分で読んでいましたから、私がしたことも紹介なわけです。

私も愛すべき愛されるべき、大事にするべき大事にされるべき人々に嘘、不健全、ごまかし、怒り恐怖などを混ぜて(教えるというより)は「紹介」です。
全部マインドコントロールの為の一方通行な紹介です。
(Cさんと信仰対象の勧請・祈祷は私が考えているだけで文章の証拠はありませんが、事実として双方向だと考えています。とんでもなく驚くべきことだと思います。)

私は過去の誤ちを後悔し親や親戚や一部の友人に謝罪しました。しかし友人の3割以下しか謝罪できていません。連絡先を教えてもらえない場合がある有様で非常に苦しいです。正宗と創価には私に「抜苦与楽」ため公式謝罪と慰謝料とご供養のし払いして欲しいです。

昭和の御書全集は正宗と創価の両方に責任があるはずです。
しかし池田大作の序文には責任者として私にも日蓮宗にも謝罪はありませんでした。

単なる紹介だけでも謝罪が必要だと思います。教えや教義、祈り、改ざんコピー本尊、法華経非仏説、日寛の日蓮本仏論、日蓮仏法など問題と間違いばかりで何一つ正しいも「何か」はありませんでした。
加えて創価の場合は天魔・阿部日顕など堀日亨、細井日達など正宗の坊さんを紹介した罪があるでしょう。

ネットの一部で米山士郎が勝った気になっているだの、いい気になっているだの、歓喜してるだの勘弁して欲しいです。
未来部の会合に行って、その後入信したことが人生の大失敗と大敗北です。
友人に謝罪できておらず連絡先を教えてもらえない有様は苦しみや人間関係の敗北でしありません。

改めて別記事にしますが、昭和『御書全集』も『令和池田版』も正宗にすら勝てない書籍です。

●日蓮宗など他宗の皆様

 私は複数の宗派からなるJSCPR勉強会に何度か出席して他宗の僧俗の皆様に温かく迎えられ、会話を交わしています。最後の参加時「勉強会出席は今日を最後にします。ありがとうございました」と私からご挨拶させて頂いた際にあるお坊さんから「君はもう大丈夫」「また来てね」等の会話を交わしています。温かく迎えられ、送り出されているわけです。(当時は私の心の問題がまだ大丈夫じゃなかったと思いますがお世辞の温かい嘘ですね。)その後も日蓮宗や他宗のお坊さんに会っています。

JSCPR勉強会でもそれ以外の仏教の集まりでも他宗の僧俗の皆様は、過去に邪宗だとし四箇格言などを口にして布教した「私」と四箇格言などの「嘘や間違いの問題発言」を許さない!とか二度と来るな等々言われていません。重くなく軽く「また来てね」です。

私が加害者でもあり被害者でもあったことを含め、今まで何度か謝罪と感謝を口にしていますが、改めて日蓮宗や他宗派の僧俗の皆様に謝罪と感謝を申し上げます。

日蓮宗の書籍も手放す方向です。

●創価や正宗の矛盾、貪瞋痴、怒れ!許すな!

今までに創価や正宗の矛盾についてたくさん書いてきたので、あまり長々と書きませんが、例えば矛盾する説明文を怒りと恐怖のマインドコントロールで教えています。

「小樽問答 日蓮宗 」「小樽問答 創価」「小樽問答 人間革命」などのキーワードでgoogle検索などネット検索すれば矛盾は数多く見つかります。

(1)小樽問答の昔「大石寺の大御本尊を拝めば幸せになれる」「日蓮宗は邪宗、滅びる」「日蓮宗の本尊、題目は魔が入っている」「日蓮宗や他の邪宗を許すな」

(2)今「大石寺は魔の山だ。大御本尊は拝まなくても幸せになれる」「日蓮宗は他宗、日蓮宗と日蓮正宗の書籍や遺文集は池田大作監修『令和池田版』の参考文献である!」池田大作以外の宮田幸一など一部の人「日蓮宗の本尊、題目を認める」

何度も書いていますが、教える相手に「怒りや恐怖が混じっている」わけです。
池田先生を悪く言うのは許さない、邪宗のせいで日本は不幸になっている等々。

貪瞋痴をなくす努力をしなさいと教える方が仏教なのか、それとも怒れ!許すな!と教える方が仏教なのか一目瞭然です。

●矛盾と同時に怒る人は自己愛性人格障害として周囲から避けられるのは当たり前の世の中

 発言に矛盾があるだけでも問題です。しかも謝罪がない。

創価の大石寺の大御本尊を拝む・拝まないの変わり身は矛盾しています。
特に顕正会や日蓮正宗妙観講や創価など怒りや恐怖が含まれ、創価員の場合でも恐怖から脱会できないケースがあります。
心理学でなくてもカウンセリングでも医学でも、矛盾するメッセージと一緒に怒る人は周囲から避けられるのは当たり前の世の中になっています。
心理学より脳科学が流行りとなってますがカウンセリング、医学は進んでいて私がブログで心理学、カウンセリングに触れていた時より充実しています。

世の中の人は日蓮や釈迦仏法にほとんど興味ないですが、会話力や嫌な人を避ける対応方法などには興味があります。会社のうつ病な人、自己愛性人格障害な人などに興味があるはずがありませんが、対処方法は知っておいて損はありませんから興味は持たれると思います。

世間一般の人は、うつ病や自己愛性人格障害、認知的不協和、気分障害などあっという間に理解し対処できています。
世の中の認知度が上がっているにもかかわらず、その理解もなく未だに「許すな!」「許せない」「戦え!」「民衆を苦しめるやつを許すな!」等々できてないのは創価など正宗系教団の人々です。
(何度も書いてきた通り人生の中で怒ってもいいのですが、TPO次第です。)

●中間の結論として、子供に影響が出る

 世間一般の人の認知共和は良い方向に進んで拡大しています。(認知的不協和をも理解しつつです。)

過去に怒ったりネットバトルしたりした創価などの正宗系の盲信した人も問題点を洗い出し、ネットでした喧嘩はネットで謝罪したほうがいいでしょう。
誹謗中傷合戦した人は周囲から避けられ、より孤立して危険になったと思います。俺は池田先生をわかってる!とか池田先生を守るとか、あいつは許せない、除名されたのに池田先生についていくとか日蓮仏法は哲学だとか生命論だとか様々な問題言動パターンがあります。

法華経や日蓮の理解のない人に教える行為とかも場合によりけりで問題あるケースがあります。創価に問題はあるが会員をほっとけないと思うケースも健全か不健全か難しいところです。できる人はいないよりいたほうがいいのですが、何故普段から折伏し無宗教や他宗の人を説得できないのか?という重大な問題に気がついていません。

その証拠に放火事件や創価高校の生徒が自殺事件があったじゃないですか?
友岡雅弥さんはリンチ、虐待で死んだと私は考えていますが、リンチ、虐待、事故死、病死など皆さんがどう思うか別にして、そうした状況に陥って創価学会や正宗にいたいと思うのは不思議です。

創価学会少年部書記長、連続放火容疑で逮捕!犯行理由は「仕事のストレスを解消するため」日蓮正宗のサイト ー諸宗破折ー

放火事件犯人は27歳で自殺事件は創価高校生なので、子供に影響が出ている証では?

法華経や日蓮の理解のない人に教える行為とかも場合によりけりで問題あるケースがあります、と書きましたが、法華経の都合の悪いところ主張しつつ教えた人は皆無です。
日蓮正宗僧侶が法華経の通り行動はしていません。(読経はしてますが。)
法華経は仏説であり正しい教え。法華経の通り信じ行動しないといけないようなことがYouTubeで証明されましたか?

●ネットの若い人はこんなオアシス合言葉

子供のオアシス運動は「おはよう」「ありがとう」「失礼します」「すみません」それぞれの最初の1文字をつなげたものです。
ネットの若い人はこんなオアシス合言葉で笑ってます。
老害な責任転嫁発言「おれじゃない」「あいつがやったんだ」「しらない」「すんだこと」の頭文字。

●日本語がおかしくなる事と関連する記憶障害?

過去の私の発言
(1)小樽問答で大勝利したのが創価学会で大御本尊は正しい。それを書いた人間革命と池田先生は素晴らしい。
(2)正宗を破門されたけど創価は正しい。池田先生についていきます。
(3)「創価学会は正宗に破門された。でも正宗教義は正しく創価学会が勝つ。また登山できるようになる。」

(4)(私の発言ではないのですが)創価学会を除名されたけど池田先生と先生の平和思想についていきます。

(1)(2)(3)などの私の過去発言を聞いた周囲の人は、私を気狂いがバカだと思ったでしょうね。

日本語もおかしいですよね。正しいなら問題が起きません。時間もかかりません。他宗である邪宗を折伏(しゃくぶく)すればいいのに身内を折伏する状態になって何年も変わりません。

あいつは悪い奴だ!邪宗だ!折伏しろ!を口にするのを良しと仮定するとしても、創価学会本部や日蓮正宗僧侶が折伏したYouTube動画は一つもありません。過去に何度も書いてきた「言ってる事とやっていることが違う」わけです。

矛盾したメッセージが創価員、正宗法華講員の日本語をおかしくして言語障害、記憶障害を起こしてる場合があります。

矛盾したメッセージを与えられ、意味不明な言語障害と記憶障害を起こしているのは確実といえそうです。但し100人いたら100通りです。

●矛盾したメッセージを与えられても大丈夫なのか?

 矛盾したメッセージを与えられても、私は大丈夫だ、うつ病など精神病になってないし、マインドコントロールされてないと思う人はいるでしょう。
活動家・未活のどちらでも創価員の友人同士や家族には健康や健全・不健全の客観視は無理です。実際に正宗法華講員と創価員のネットバトルは「落とし所すらない」にもかかわらず、それを認識できないまま、新しい人が出てきてバトルに参加しているではないですか?
創価から正宗法華講員へ行ってレベルが高くなったわけがありません。昭和の過去の状態と教義に戻っただけです。
1978年(昭和53年)10月28日発行「蓮華八十七号の正しい読み方資料」を見ててレベルが高いわけではありません。低いです。
その低さも守れないのが創価学会です。

スラップ訴訟の反論に使える「蓮華八十七号の正しい読み方資料」(嫌がらせ訴訟5) - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
聖教新聞や大白蓮華を引用しても問題ありません。(嫌がらせ訴訟3) - 創価学会の信仰に功徳はあるか?

昔から今までのネットバトルのログを読んで「俺は勉強ができた」「記憶力なら負けない」「難しい観心本尊抄などの理解力がある」等々でネットで日蓮遺文をコピペしてバトルを始めてしまうわけです。

世間一般の認知共和は良くなっていることからして、正宗法華講員と創価員の子供は、すでに孤立が以前より深まっているかおかしくなっている可能性が高いと思います。
不健全を認識できず、不健全な組織や人から離れられないからです。

日蓮正宗大石寺が魔の山なら離れて良かったのでは?
日蓮宗でも天台でも真言でも折伏してYouTubeで動画公開したら?

過去に書いたのですが、原田稔や秋谷栄之助は池田大作にいじめられていたと私は考えています。原田稔や秋谷栄之助、執行部の精神状態は大丈夫なんですかね?

●ここまでのまとめ。都合の悪いことは無視し説明しない。

過去記事にも何度か書きましたが、創価も正宗も都合の悪いことは無視するか黙りです。
都合の悪いこと
(1)小樽問答の日蓮正宗教義と大御本尊の正しさ。
(2)放火事件や創価高校の生徒が自殺事件。
(3)法華経の非仏説と日蓮の間違い
(4)日蓮正宗は長らく問題集団である創価に金を受け取っていた。人を騙して豪華な暮らしをしてたわけです。

こうしたことは無視され説明がありません。
『御書全集』の盗用剽窃の事実を認めつつ2018〜2021年10月までの間に折伏した人いますか?

私の失敗は正宗の坊さんや創価の幹部、男子部の言うことを鵜呑みにしたこと。
もう一つは日蓮宗の文献を徹底的に調べなかったことです。

(続く)

2021/12/11 龍樹の論について書く前に。 → 龍樹について書く前に
2021/12/12 日蓮系遺文にカテゴリ変更 
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517.('21/11/22)創価学会『日蓮大聖人御書全集 新版』

2021年11月20日 14時09分17秒 | 日蓮系遺文
1.注意事項

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(以下、更新未定)
2.創価学会『日蓮大聖人御書全集 新版』(以下、本ブログでは『令和池田版』とする)が来た

酷すぎて何処から突っ込んでいいのやら、というか日蓮正宗『平成新編』の「大きく」下をいくとは思いませんでした。同程度かちょっと出来が悪い程度かと思っていました。

背表紙、中表紙から問題があります。
序文からポエムになってない病的さを感じる文章です。
これは池田大作の文章でなく複数の本部職員が書いたのではないかと私は感じました。

●話がそれますが心理学

【メンタル崩壊】絶対に関わってはいけない人【心理学】 - YouTube

会社の上司に無理な仕事を与えられ鬱病になる人が居ます。
会社の上司であれば実際に仕事をして実績が出来て同僚や上司から認められた人が出世して係長や課長になり命令を出す役職になります。健全な上司でも部下への仕事の与え方や部下の能力不足や同僚次第で部下は鬱病になる場合があります。

創価はどうでしょうか?

池田大作は昔「君たちの未来は洋々と開けている」「君たちの広宣流布拡大は私(池田大作)が全て手を打った」(主旨)といっていました。

歪んだ変な期待や希望、意気がりがあると折伏、新聞啓蒙の失敗や人間関係の喪失でストレスを抱えるか鬱病等、統合失調症を抱えると思います。
特に創価大学では鬱病の人が多いと噂されています。(人数や実状は不明)池田大作を神格化するあまり昔から自己実現につまずき、人生自体失敗すると思います。(21番記事など過去記事を参照)

『令和池田版』の池田の序文を読むと、編さんや校定、監修、それらの各人物選定、出した理由にふれず、日蓮遺文で何処が大事なのか、何故折伏出来るのか書かれていません。
少しだけ良かったのは「悪を倒して願いが叶う。悪を倒してこそ正義。」となかった事だけです。「仏法勝負」と書かれているので序文から間違っています。

池田と学会トップ幹部100人は『令和池田版』で折伏し創価入信動画をYouTubeで一般公開する必要があるでしょう。でも折伏動画公開どころか折伏すら誰もしないでしょう。
創価本部幹部と末端の信者は上司部下ではありませんが、池田の序文で病む人が増えるでしょう。(創価大学関係者とかも)
池田の序文はポエムにもなってない戯れ言か寝言に私は感じました。

私もマインドコントロールされ改ざん本尊や教義変更、イラク戦争に疑問を感じませんでした。馬鹿だったなと思います。ストレスを抱えていても信伏随従(しんぶくずいじゅう)してしまったわけです。

●遺文の評価は?

いきなり結論を書きます。
日蓮正宗の『平成新編』は問題が多いですが、日蓮遺文集であり文芸書ではありません。
日蓮宗の各遺文集は問題が少しありますが、日蓮遺文集であり文芸書ではありません。
『令和池田版』は問題が多く、日蓮遺文を改ざんし文芸書だと考えました。

これは仏教界どころか日蓮正宗にも相手にされず批判すらないかもしれません。

●問題となる項目を箇条書き

☆底本の記載がない!!!!!
底本とは原本のことで翻訳・校訂などを行う際よりどころとする本。
誰も底本と『令和池田版』を比較出来ないので批判から逃げた。

序文、刊行委員会の文章に日蓮宗系遺文集と関係者への明記や感謝がない。日蓮宗だけでなく日蓮正宗にも真筆と写本があり、これらの所蔵寺の情報記載などを避けたと思われる。日蓮系寺院名を全て無視した。
創価には教学力も「祖書学」もないので仕方ないが、偽書はともかく真筆、真筆曽存、写本、形木、真偽未決とは何か?分類と解釈、扱いにはふれるべきだった。「祖書学」については後述。

●もくじ、本文

1.『御書全集』に記載した遺文所在の日蓮宗寺院と大石寺など日蓮正宗寺院名の記述を削除。確実な真筆、真筆曽存、写本の情報を目次や本文に書くべきところを未記載なので、分かりにくい。全部真筆と誤解する人が出そう。
1.本文に5、6〜10カ所ほど問題があるが底本が不明で誰も真偽を確かめられない最悪の状態。
1.遺文名には問題が多い
1.('56)とかありえない。1256年を省略したらしい。常識とは?
1.在家信者向けに分かりやすい御書といいながら、坊さん向けの遺文が真ん中に多くある。御消息が後ろ(調査中)
1.遺文所蔵寺である日蓮宗及び日蓮正宗寺名を削除したにもかかわらず最蓮房や坊さん向けの遺文は記載する矛盾。最蓮房御書はネット創価員や謀略部隊の人にとって実在しないとか偽書とかの扱い。

●凡例

1.凡例が後ろにあるのは滅茶苦茶。ありえない。
1.参考文献はあるが凡例の一番最後。参考文献に版がなく参考文献の出版時期が分からない
1.日蓮宗の遺文集や他宗の辞書などを参考文献とするが本文の底本の明記が無い。
1.凡例の真筆、真筆曽存、写本、形木、真偽未決、偽書など創価独自なのか日蓮宗文献の根拠が未記載。分類記述が分かりにくい。(正宗の平成新編のがまだマシ)

1.刊行委員会は正しくは編さん委員会とすべき。編さんよりも製本などの本作りの事業が大事なのか?

●その他

□議類別の日蓮遺文集だが未調査。

●良い所?

日蓮遺文の漢文を読み下したり簡易な文章にすることは悪い事ではない。大きく改変すれば日蓮遺文とは認められない。
例えば日蓮遺文の現代語訳を出版しても悪い事ではないのは自明。

●大きな問題

1.全集ではない。
1.日蓮遺文ではない。日蓮遺文を小林か誰か不明だが改変し日蓮遺文とした。日蓮遺文を学べない。
1.監修人物が池田大作だけであり他に記名がない。編さん作業、校定した人物名や時期が不明。
1.世間の常識として「監修とは何度も辞典や書籍執筆、編さんした人物」が出来る事である。
例えば、日本語を研究し日本語の言語学に貢献し国語辞典を何度も編さんし、後に何度か辞典監修したのが金田一京助である。
日蓮遺文であれば日蓮遺文の辞典編さんを何度もした人、全国を巡って日蓮墨筆を読んだ人などである。なおかつ日蓮遺文「祖書学」に分類される書籍や論文出版、日蓮遺文の御書編さんを何度もした人がふさわしいのである。私個人の意見でしかないが例えば稲田海素や山川智応など、その周辺者関係者。日蓮遺文の「祖書学」という言葉すら知らない人が池田大作。
1.創価学会の御書講義の本は信仰の本であり日蓮遺文「祖書学」とは別物。該当しない。
(1.堀日亨も日蓮遺文研究家ではなく日蓮でなく日興以後の古文研究家でふさわしくない。)
(1.2015年の『御書全集 第二版』とは何だったのか?4年で無かった事になる。)
1.会長になってから名誉会長となり2015年まで長年の間『御書全集 第二版』に対する池田の立場は監修だったのか?
1.池田大作は日蓮墨筆を読めなかった人。これが監修者?
1.2015年の最近まで『御書全集 第二版』パクリ本を出したのが池田大作。
1.池田大作が日蓮墨筆を読めなかったのと「祖書学」という言葉すら知らない証拠は、池田の若き日に日蓮宗『昭和定本』を盗用剽窃し一九六六〜一九七一(昭和四十一〜四十六)年に日蓮正宗『昭和新定 日蓮大聖人御書』全3巻 創価学会 池田大作として出している。日蓮正宗と創価学会に「祖書学」があるわけがない。正宗と創価は、ふざけんなの話。
昭和、平成の過去にこうした事実を知らず(私を含め)正宗正義だの、創価正義だの意気がった人が沢山出たので、これからも出るだろう。
1.日蓮真筆写真か又は昭和底本の最新版か過去版か不明であり、日蓮宗、日蓮正宗のどの時期の学問的結果をベースにした判断材料等、判断した人間も不明のまま、どの様に原本作成したか不明。(長年の研究でなくあわてて作ったか?)

●年表

1.大御本尊の記述を削除


●全体的な「分からない」又は「分かりにくい」問題は多数ある

1.『令和池田版』である『日蓮大聖人御書全集 新版』と昭和の『新編 日蓮大聖人御書全集』と書名はほぼ同じで混乱しやすい。『議類別 日蓮大聖人御書選集 選者 池田大作 小林正博、他二人改変』などが会員信者に分かりやすい。「一部集」とか『議類別 日蓮大聖人御書 池田大作厳選』とか。
1.遺文の真偽未決の判断や年代特定、昭和二十七年に出版した『御書全集』との差分が分からない。新事実、新発見などに関して書かれてない。阿部日顕は『平成新編』の正誤表を出している。
1.日蓮宗であれば解題提要や『昭和新修』別巻など日蓮遺文解説が一冊本になるくらいのページの厚みがあり、書籍も数多く出ている。『令和池田版』に日蓮遺文解説が最低でも50ページはあると思っていたら全くない。
1.『令和池田版』が後に出たにもかかわらず、日蓮宗の日蓮遺文解説との差分が分からない。学会正義は何処ですか?
1.『令和池田版』が後に出たにもかかわらず、出来の悪い日蓮正宗との差分が分からない。学会正義はあるんですよね?何処ですか?
1.『令和池田版』が後に出たにもかかわらず、出来が悪い。後年に『令和池田版』を編年体にして出すと出来の悪い『平成新編』と比較され差が分かり、もっと出来が悪いのが明瞭に分かると思われるので編年体『令和池田版』は出ない可能性が大きくなった。あるいは大きく変わる?

1.日蓮遺文解説がないのに8000円は高い

1.池田はSGI会長として長年、何してたの?日蓮墨筆読めないのに、数多くの外国語でも沢山読み書き出来て外国語版日蓮遺文でも編さんしてたの?
1.池田は日蓮墨筆読めなかったのに2015年〜2018年頃に突然日蓮墨筆を読める様になったのか?何故、間違いや誤記のある出来の悪い正宗遺文集を批判しないのか?2015年から2021年の間に日如氏や日蓮正宗トップを折伏し大勝利出来たはず。今からやれば?
(創価新報などで平成初期に『平成新編』の誤記などを批判している。)

●まとめ

1.序文、刊行委員会の文、本文、凡例と全てにおいて編集方針がどっちつかずで中途半端である。
1.これでは、創価独自の解釈と正しさは何処にあるか分からないので、出した意味がほとんど無い。

底本がなく酷すぎて遺文名、議類別ぐらいしか調べる事がない。
「分からない」ようにして、批判されることから徹底的に逃げたと言えると思われる。

日蓮墨筆を読めるのは小林さんと他に二人居ると聞いていますが、関わり方が不明のままで学者の方々はこれでいいのか?

'21/11/20に多く追記しましたが書ききれてません。

以上

'21/11/22 修正した
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509.一般仏教各派や他宗におこりうる問題と希望的未来

2020年07月20日 23時52分08秒 | 日蓮系遺文
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3.一般仏教各派や他宗におこりうる問題と希望的未来

●老人と若者

 創価の「改版遺文集」が出ると、残念ながら創価学会の寿命は伸びそうだ。
著作権法違反で会長と理事長がもし逮捕される場合、創価学会は「自分勝手な法難扱い」にするかもしれなかった。そうなれば創価員から同情が集まり求心力が上がると思われる。
しかし今回は日蓮宗の「昭和定本」日蓮正宗「昭和新定」等の書籍と執筆した各僧侶の個人名を挙げて間違いを指摘し裁判するほどの「攻撃をヤッテイルゾ!」と若者へのアピールは出来ないだろう。自分勝手に法難に出来たとしても困難に立ち向かったのでは無く逃げたので問題にされるかもしれない。
男子部女子部、学生部あたりには創価幹部は「若い人は困難、苦難に立ち向かえ」と指導しているので卑怯者扱いや二枚舌扱い、邪宗の僧侶と同じだと批判されても仕方ないだろう。(日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか 諸法実相鈔 他多数。行道文庫版)
1990年代、2000年代、2010年代と若者や仏教界の変化を創価学会本部が読み切れてないので末端は苦労が増えるはず。

法難に立ち向かうのでは無く逃げたことでお年寄りには信仰や活動、公明投票依頼が変わりなく出来るだろう。
実際、日蓮正宗と別れても大御本尊を拝めなくなってもイラク戦争停止できなくても、疫病が流行っても責任を彼らは感じない。
現在の創価員の多くは老人の集まりである。
これらの点で求心力は低下するが創価学会の寿命は伸びると思われる。

●日蓮系の各遺文集

一般仏教界でも日蓮遺文は参考文献として扱われたり古文書や中世の研究として利用されると思われる。
日蓮宗の日蓮遺文が最良だとしても日蓮自体に間違いがあり世の中に変革をもたらす訳では無い。

「霊艮閣版」が出版されて日本の宗教思想でNo.1の書籍となったか?なっていない。
「昭和定本」が出版されて日本の宗教思想でNo.1の書籍となったか?なっていない。
「創価全集」が出版されて日本の宗教思想でNo.1の書籍となったか?なっていない。最も売れた遺文集だったと思われるが。
「創価編年」が出版されて日本の宗教思想でNo.1の書籍となったか?なっていない。
「平成新編」が出版されて日本の宗教思想でNo.1の書籍となったか?なっていない。

これらは、どちらかというと謙虚や慎重さのかけらも無い創価本部職員や末端会員(正宗法華講員も)が自覚すべきことかもしれない。
むしろ彼らの中に創価の本には功徳や神秘のパワーがあり正宗や日蓮宗の本には魔や不幸パワーがあると誤解し歪んだイメージを持っていそうだ。

1項2項で浮き彫りになった問題を指摘するだけでも充分と思われる。
他宗では裁判を繰り返すような大きな問題は起こしてないし、激しい分裂もしていない。
他宗の宗祖、開祖の文献は大量に存在し、整備され、真面目に作られている。

例えば私個人としては日達(大石寺第66世の法主)になんの恨みも無いが、祈祷をできないか知らなかったのでは?と思われる言動がある。これは日蓮遺文と矛盾する。他宗では加持祈祷にも力を入れている点からも私は疑問だと考える。

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508.創価”新日蓮遺文集”発刊と末端創価員におこりうる問題

2020年07月16日 00時17分13秒 | 日蓮系遺文
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2.末端の創価員におこりうる問題

 1項「創価学会本部職員、創価系学者に関係する問題」に示した通り問題の多さを考えると、本文となる日蓮遺文が正しいだけでは末端の創価員は正宗や世間一般から相手にされないか馬鹿にされ恥をかくケースも多々あるだろう。
正宗の坊さんですら戦後から平成初期まで「平成新編」がでるまでは謗法(ほうぼう)といって差し支えない日蓮遺文集しかない状態だった。正宗僧侶向けの「昭和新定」は「昭和定本」の盗用剽窃である。
創価学会本部だけは「改版遺文集」を出してお祝いムードになると思われる。末端会員に定着と浸透するまでは時間がかかるし今度こそ嘘の説明は許されないはず。

●トップが謝罪するのかしないのか?
2-01.間違った遺文集と解釈で「今までごめんなさい」
2-02.間違った遺文集でも買ったり手に取ってくれて「今までありがとう」
2-03.「これからはもうしません」

この3つは池田大作自身が元気なら書くべき内容だが病気で書けないと思われる。
幼稚園児や小学生で教えられ出来そうな挨拶が大人の創価員に出来るのか興味深い。

●創価公明党と自民党の謝罪

創価公明にとって「自民党は仏敵」だった過去がある。自公路線が決まる頃男子部会合で盛んに聞かされたのが「自民党トップは謝罪した」との内容だ。
創価トップが謝罪しなければ末端会員も謝罪しないだろう。他宗や無宗教の人から「益々無視され相手にされない」ことを覚悟すべきである。
日蓮正宗も同じ問題がある。

●末端創価員の多くが日蓮宗遺文集の経緯を説明出来ない問題

創価版御書の盗用剽窃が明らかになった以上、末端創価員の多くが日蓮宗遺文集の経緯を少しでも説明出来ないと笑われるだろう。
(智英日明が収集書写した「新撰祖書」を底本とし、小川泰堂が「高祖遺文録」を編纂し刊行した。これをさらに完成度の高い御書として発刊させた加藤文雅編・「霊艮閣版 日蓮聖人御遺文」が存在する。「霊艮閣版」を底本に「昭和定本」が発刊)

創価学会は日蓮系教団として問題のある人やものばかり紹介し布施(正宗系のご供養のこと)を募ってきた。

以下は日蓮宗と真逆である。
盗用剽窃のある遺文集を紹介し読ませたり金を出させた。
裁判するほどダメな正宗の坊さんを紹介し金を出させた。
理想的といえるかは別として比較的よいと思われる勤行や本尊が日蓮宗に存在する。しかし正宗の偽物大御本尊やしょぼい勤行を紹介し金を出させた。
他多数。

●学者以外で頭のいい人や若い人の知的好奇心を満たせない。

1項はどちらかというと創価本部職員の世間常識や若者の心を全くわかってない点が原因だが「末端の現場でも良心的な説明」が出来なければ頭のいい人や若い人の知的好奇心を満たせないだろう。
本文となる日蓮遺文のみが「昭和定本」等と同じ完成度だけなら普通の人は「改版遺文集」を手に取る必要もないだろう。

他にも誰の本尊写真を載せるのか掲載しないのか、日蓮日興相伝書掲載など問題が多く、興味深い。

●ネットで引用するのは昭和の創価全集か令和の改版遺文集か?

どちらをネットで紹介してもトップが謝罪してないと末端会員は笑われるのが必然と思われる。
「前と違うぞ?これが宿命転換か?人間革命か?」
「今度はどこから盗用したのか?」
と笑われる可能性がある。

●リアルで読んだりやネットで引用するのは創価員や一般の人。

謝罪を別にしても正誤表や書名、遺文名の問題が解決しないと読者が混乱すると思われる。
レベルが低ければ「昭和定本」の代わりに使われることは無い。

●創価学会は創価新報などで偽法主な日顕や正式法主な日如氏の書き間違いや「平成新編」誤記を何度も指摘だけでなく誹謗中傷してきた。

今現在20歳前後の若い人は知らないかもしれない。
信徒の取り合いのために指導者失格、法主失格を結論づけ「平成新編」など数々の誤記を指摘しつつ絶叫(または発狂)し続けたのが創価学会である。創価学会のしてきたことは大問題だと思われる。

●「創価全集」を正しいと信じて死んだ人は成仏できたのか?

戸田城聖や戸田門下、池田門下で死んだ創価員が問題の対象となる。

383.創価学会の日蓮大聖人御書全集は間違いだらけ(その3)「日蓮遺文の脱字と授与書き削除」 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
----------<ここから>----------
日蓮遺文の脱字と授与書き削除

日蓮遺文の脱字で思い出したのが板本尊の授与書き削除です。
1994年11月15日、日蓮正宗本山である大石寺の板木尊、計四体の脇書部分の「願主法華講総講頭 池田大作」を日蓮正宗側が削除したそうです。
(総一坊(住職・山崎慈昭)と総二坊(住職・田爪鏡道))

同時に教えられたのは、「宗門(日蓮正宗)や悪僧を赦すな」という”怒り”でした。
私は本尊を日蓮大聖人の生命の当体、仏法の真髄は宇宙生命である本尊と教えられていたので、板木尊の脇書削除を聞いて気分が悪くなったのを覚えています。

ところが学会は日寛上人の本尊の授与書きを削除したコピー本尊を’93年に配布しています。

私自身も新本尊配布を喜んだことを覚えています。
’93年9月8日、9日当時の新聞を大事に保管し暫くの間、折伏に使っていたくらいです。
私自身、矛盾に気が付けないわけですからマインドコントロールって怖いですよね。

学会の場合、池田氏の本尊の授与書き削除程度で、正宗を許してはいけない(許されない)のです。
ところが、日蓮遺文の立正安国論を削除しただけにとどまらず遺文の文字をも御書に記載せず削除した結果となっています。本尊や遺文は大切なものであり、粗末にしてはいけないはずですが、こうした矛盾を抱えています。

創価学会ってなにかにつけ、いつもこうした矛盾や二面性があります。
----------<ここまで>----------

●日蓮宗の僧俗で死んだ人は成仏できたのか?

創価員各人は他宗を邪宗、または他宗とし異なるイメージを持っている。
日蓮宗を他宗と思うだけか、あるいは
創価、正宗、日蓮宗で言葉でしかない同じ題目を唱えても、創価以外は謗法地獄行きだ!との教団都合な思想だ。
(日蓮遺文には謗法堕獄抄が存在する。六郎恒長御消息、又は国家謗法文事・謗法堕獄抄・念仏無間事・念仏者無間地獄事(平編))

創価員の今後の言動が注目される。

●日蓮曼荼羅本尊は文字と図像、日蓮遺文は文字(一部梵字)。

頭の悪い創価員は「「改版遺文集」を新しくなってきれい!」とか言うのか?
過去の間違いを「平成新編」や故・日顕と共に責めるのか?

日蓮曼荼羅本尊は文字を曼荼羅にした図像なので改ざんされてもイメージの世界と言ったりとらえたりすることが出来る。
(今の私には改ざん本尊は気持ち悪く感じる。)
しかし創価によれば歴代法主の書き間違いは「謗法」や「法主辞任すべき責任」があるらしい。
「改版遺文集」や「創価全集」「創価編年」の過ちはイメージでとらえるのは困難と思われる。
創価員に普段から教え込まれた白黒二極論が問題になる。

(続く)
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507.創価学会”新日蓮遺文集”発刊と創価本部職員、創価系学者に関係する問題(その2)

2020年07月14日 01時55分18秒 | 日蓮系遺文
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●他の間違いとの整合性
1-24.他の間違いとの整合性をどこでつけるのか?
「仏法は勝負である」「夫仏法と申は勝負を先とし〜」(行道文庫版:四條金吾殿御返事)の誤解釈をどうするのか?
「仏とは生命である」の誤解釈をどうするのか?
「信心が足りない」「信心がない」の誤りを認め謝罪が必須である。これらは仏教どころか宗教ですらない。他宗を知る私は正宗・創価時代を恥ずかしいとしか言い様がない。
1-25.人間革命における日蓮宗の遺文集に対し事実をねじ曲げ嘘の言及をし誹謗中傷した大罪はどう謝罪するのか?池田大作本人が表に出て謝罪できる病状とは思えないが、どうする気なのか?

こうした間違いは謝罪せず放置したまま犯罪本である「創価全集」を無かったことにして取り繕うのだろうか?

●その他
1-26.もし義類別にする場合、戸田から池田、原田まで歴代会長は日蓮宗の遺文集に遅れをとった形になる。不勉強、無能であると断言できる。
1-27.義類別にする場合、信徒がすべき「今後の信仰のあり方」が明確になる点に全く気がついてないと思われる。また「今までの信仰のあり方」が問題になる。「布教は坊さんの仕事」に代表されるように「信徒がすべき信仰のあり方」は池田大作の名義の書籍、又は同時中継など指導がないまま改版遺文集が出て全くリンクしない。私個人の意見でしかないが、創価活動など非現代的、非仏教的で愚の骨頂といえる。第二次創宗戦争で一体何を見聞きして何を学んだのか?
1-28.編年体にする場合「創価編年」が存在したが多くの人に読まれず主流ではなかった。日蓮宗と正宗の遺文集に遅れをとった形になる。

●創価系の学者
1-29.創価系の学者は戸田城聖や池田大作を批判しないのか?
1-30.オウム真理教の弁護士や医者、学者がいたが、今現在全く信用されておらず業績も省みられないのが当然の結果である。
自身の業績や論文、子孫や家族、親類のことを考え戸田城聖と池田大作をすぐにでも批判した方がいいと思う。
1-31.改版遺文集を創価系の学者は手伝うのか?最悪。仏教界、出版界から軽蔑されるのでは?私としては手伝って欲しくない。

日蓮系であろうとなかろうと論文や仏教書籍を読む読み手の知的好奇心や勉強意欲を学者はなんだと思っているのか?1-29.は重要ポイントだと思われる。

以上にあげた問題は正宗にも多かれ少なかれ存在する。

(続く)
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506.創価学会”新日蓮遺文集”発刊と創価本部職員、創価系学者に関係する問題

2020年07月12日 00時11分22秒 | 日蓮系遺文
●注意事項

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●創価学会による”新しい日蓮遺文集”が発刊予定

 創価学会(以下、創価)によると”新しい日蓮遺文集(日蓮さんの御書のこと)が2022年に発刊される”との発表があったらしい。
「日蓮生誕800年(2022年)を迎えるにあたり慶祝事業として、明年の11月18日を記念して御書全集の新版を発刊する。(主旨)」

発刊されれば、修正された遺文集を読むのは末端の創価員にとって良いことである。しかしながら今までの経緯を考慮すると今後数多くの問題が起きる可能性もある。

1.創価学会本部職員、創価系学者に関係する問題
2.末端の創価員におこりうる問題
3.一般仏教各派や他宗におこりうる問題と希望的未来
4.創価版日蓮遺文集と池田大作の成仏

5.(補足)予想される創価学会員の今後の言動について対策

以上5つについて考えたい。

日蓮系遺文集の書名は最低限のみ記載した。各遺文集の正式書名と記事で取り扱う省略名は505番記事を参照のこと。

1.創価学会本部職員、創価系学者に関係する問題

乗り越えるハードルつまり目標課題や問題が数多くある。多すぎるので箇条書きで記載する。

1-01.昭和に出版された創価学会版「日蓮大聖人御書全集」(以下「創価全集」)は全集でなく一部収録なのに「新しく出す改版」(以下、改版または改版遺文集とする)でまた全集として創価員に誤解を与えている。
1-02.遺文集として内容の正しさ
1-03.正誤表が2つ又は3つ出せるのか?日蓮正宗(以下、正宗)、阿部日顕(以下、日顕)は正誤表を出している。(後述するかも)
1-04.日々の編纂の進捗がわかるのか?
1-05.序文、発刊の辞などで日蓮宗の遺文における歴史や成果物を説明出来るのか?(後述)
1-06.遺文の選択
1-07.現状ひとりよがりな遺文名をどうするのか?
1-08.もくじの問題
1-09.本文レイアウト
1-10.老人の多い創価員に適切な文字の大きさか?
1-11.何故か目に悪い紙の白さを選ぶのか?
1-12.正宗の坊さんでないなら誰が編纂するのか?過去の正宗系遺文集は「創価編年」を除いて坊さんが関わった。

●序文、発刊の辞など記載が必須と思われる内容
1-13.正宗における歴史上の遺文集の解説を正確に出来るか?正確かはともかく「平成新編」で日顕は一部記述している。
大石寺第五十六世日応の校閲した佐藤慈豊の「日蓮聖人御書新集」。これを「旧編」扱いとし創価版を「新編」とした。
「日蓮正宗/新編/日蓮大聖人御書全集/大石寺版」
「新編/日蓮大聖人御書全集/創価学会版」
1-14.「創価全集」の編纂者が堀日亨でなく事実上、別人であったことを書けるのか?
1-15.「創価全集」が盗用剽窃した犯罪本であることを認め謝罪できるのか?(戸田城聖「発刊の辞」も日蓮宗に謝罪が必要)
1-16.創価員や他宗派(一般)の人々が読者だったが、読者と関係者に謝罪出来るのか?
1-17.出版に際して創価員の浄財と密接なかかわりがあったが、感謝できるのか?
1-18.池田大作の序文、発刊の辞などを書くとねつ造になり、創価員は又も笑われる。私は池田大作の文は不要と考える。「創価編年」では池田の文章はない。

●必須では無いが歴史や成果物についての問題
1-19.坊さんが監修しない遺文集で創価員はバカにされるかもしれない。堀日亨を除き戦後の正宗の坊さんの成果は単行本としてはほぼ0で遺文集の類いは全て日蓮宗の成果物と考えて差し支えない。
1-20.元々が日蓮宗僧侶と信徒の努力と成果があって「霊艮閣版」や「昭和定本」が存在する事実は過去記事の通り。
小林正博さんは「日蓮文書の研究(1)」(『東洋哲学研究所紀要』第18号)の中で、日蓮宗の僧俗の成果を認め記述している。創価の婦人でも読みやすいよう引用に筆者が手を加え主旨を記載する。

智英日明が収集書写した「新撰祖書」を底本とし、小川泰堂(1814(文化十一)年~1878(明治十一)年)が「高祖遺文録」を編纂し刊行した。これをさらに完成度の高い御書として発刊させた加藤文雅編・「霊艮閣版 日蓮聖人御遺文」が存在する。「霊艮閣版」を底本に「昭和定本」が発刊されている。

1-21.日蓮宗では古来より遺文研究の和とじ本や活字の出版物が何冊も出ておりその成果として現在の昭和定本など各遺文集が存在する。(「昭和新修別巻」を参照)
1-22.「改版遺文集」が今後出版されたとする。日蓮宗と同等な遺文研究の本が小林正博さん以外一冊も無いまま「改版遺文集」が突然出てくる歴史をつくることになり汚点になる。
1-23.長年にわたり小さな修正を繰り返してきたが、一度に正確な遺文集を出せるのだろうか?
今までが酷すぎたのに創価員に何度も買わせるのだろうか?

私が日蓮遺文集に限らず日蓮宗の出版物を読むとスポンサーや発願者のあとがきや序文を読むことがある。
その文章には穏やかな情緒があり、遺文に対し真剣に向き合っている態度や日蓮宗における信仰の大切さを感じる内容が多々ある。
日蓮宗僧侶と信徒の努力と成果に感謝の意と謝罪を序文、発刊の辞に書くべきだと私は思う。しかし本部職員は性格が悪いか頭が悪いかプライドが高く出来ないかのいずれかで無理だろう。

(続く)

「霊艮閣版」を定本に「昭和定本」が発刊されている。

「霊艮閣版」を底本に
コメント (2)
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