ブラック企業経営者の心理を暴く 元「お天気キャスター」の分析に驚嘆の声 | キャリコネニュース
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2014.9.9
キャリコネ編集部
たかの友梨 ブラック企業 ワタミ 経営者
河合薫氏の連載記事(日経ビジネスオンライン)
世間で「ブラック企業」と言われる会社経営者には、それを認めて改善しようとする人と、自分は決して間違っていないと信念を曲げようとしない人の2種類があるようだ。この後者のタイプの経営者を鋭く分析したコラムが、いまネットで注目されている。
9月9日に日経ビジネスオンラインに掲載された「たかの友梨氏の7年前の激白から探る”ブラック”の境界線」は、表題の高野友梨氏と、ワタミの渡邉美樹氏へのインタビューを振り返ったもの。筆者はテレビ朝日「ニュースステーション」のお天気キャスターだった、健康社会学者の河合薫氏だ。
共通する「信頼できる人を自ら排除した経験」
河合氏は2007年に著書『私が絶望しない理由』(プレジデント社)の執筆にあたり、実績をあげた各界の有名人に連続インタビュー。当時は「ブラック企業」という言葉はなく、高野氏も渡邉氏も成長企業の経営者として評価を得ていた。
河合氏のねらいは、彼らがどのように人生で遭遇する困難や危機を乗り越えたのか、「ストレス対処力(Sense of Coherence、SOC)」をどのようにして上げたのかということを聞くことだった。
困難やストレスがテーマだったこのインタビューで、河合氏は「あえてネガティブな部分」を多く聞いた。中には「明らかにその質問を嫌っていた方もいた」が、高野氏と渡邉氏は違った。「とても真摯に、一生懸命、ときに自問自答し、自分を納得させるように話してくださった」という。
2人に共通していたのは、そればかりではない。ストレス対処力が高い人には、1人では対処できない「ストレスの雨」に降られたときに、社会で「大きな傘」となってくれるような信頼できる人が必要だ。渡邉氏にとっては「渡美商事」創業メンバーの2人、高野氏にとっては「最初の夫」だった。
しかし両名とも、その傘を自ら排除した経験がある。渡邉氏は苦楽を共にしした創業メンバー2人と袂を分かち、高野氏は最初の夫よりも仕事を選ぶために離婚を決意した。
「仲間というのはずっと仲間じゃない。一緒に成長していくその瞬間その瞬間の仲間なんです。わかります? だからその瞬間仲間であっても、次のステージに会社が行った時に付いて来られなければそいつは仲間じゃない」(渡邉氏)
「私は『100店舗』という目標を掲げて、迷っていた自分を捨てて、子供を持つこともあきらめて。『女として生きる』ことをやめて仕事に全精力を傾けたんです。仕事は1+1=2になるけど、男は1+1が2にならない」(高野氏)
人を人として見られなくなり「ブラックの境界線を越える」
河合氏は、この経験が「ブラックの境界線」を越えるきっかけになってしまったのではないかと分析する。「自分だけの傘」で生きることは、決して人に弱さを見せない意志の強さと覚悟が必要だ。
「覚悟を貫き通すには、とことん、どこまでも徹底的に自分に厳しくならなければならない。自分に厳しくするスーパー級の訓練が必要になる」
だが、それほどまでに強くなると、いつしか「他者の痛み」を感じなくなる。そして自分のルールだけが「絶対的な価値」になる。するといつしか「ブラックになる境界線」を越えてしまうのだ。河合氏はこう分析している。
「(他人を思いやる瞬間を持ち続けるという)実にめんどくさい作業を止めてしまったとき、『人を人』として見られなくなり境界線を越える。きっと、おそらく、無意識に……」
また、この2人が母親との関係に非常にこだわりがあることも記している。こうした綿密な分析にネット上では、いわゆるブラック企業経営者の内面を明らかにする画期的な分析と驚嘆する声があがっている。
「彼らの思考パターンが変化し、世間で認められない論理を振りかざす『きっかけ』が推測できる」
「ストレス耐性が強すぎる人と一緒にいると疲弊する、というの、わかる」
「自分に厳しく他人にも厳しい、かぁ。難しいさじ加減だなと。ただ、最近の自己責任論者には是非熟読頂きたい」
「自分のルールだけが絶対的な価値になる」ブラック経営者
以前、編集部が元ワタミ社員を取材した際、創業者の渡邉氏について「彼はワタミがブラックと言われる理由がなぜなのか、いまだに分かってないと思います」と指摘していた。
高野社長も「労働基準法にぴったり沿ったら絶対成り立たない」など、法律という社会ルールを軽視する発言を連発していた。さらにブラック批判で人手不足に苦しむ「すき家」を運営するゼンショーHDの小川会長も、株主総会で「悔しい、違うじゃないかと言いたい」という言葉を漏らしていた。
「自分は正しいことをしているのに、なぜ批判されるんだ」という思いは、河合氏の「自分のルールだけが絶対的な価値になる」という分析にも通ずると思えてならない。
なお、筆者の河合氏は、千葉大学を卒業後、客室乗務員として全日空に入社。国際線乗務などを経験した後、気象予報士資格を取得してテレビ朝日「ニュースステーション」のお天気キャスターを務めた。2008年には東京大学大学院医学系研究所の博士課程を修了し、保健学の博士号を取得するという異色の経歴でも知られている。
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>強くなると、いつしか「他者の痛み」を感じなくなる。そして自分のルールだけが「絶対的な価値」になる。するといつしか「ブラックになる境界線」を越えてしまう
>「自分は正しいことをしているのに、なぜ批判されるんだ」という思いは、河合氏の「自分のルールだけが絶対的な価値になる」
>人を人として見られなくなり「ブラックの境界線を越える」
>高野社長も「労働基準法にぴったり沿ったら絶対成り立たない」など、法律という社会ルールを軽視する発言を連発していた。
こうした点は学会問題、正宗問題に共通しており、実に興味深いことです。
更に言うと創価学会、日蓮正宗の場合は絶対に謝罪しない点は過去記事でも指摘したとおりです。あの佐村河内守氏や朝日新聞ですら謝罪したのにね。
学会本部、あるいは僧侶や大石寺トップは自ら法論折伏はせず、末端信徒、会員に法論折伏、誹謗中傷合戦を押し付けているだけなのですから。
記事には母親との関係が書かれているけれども、間違いに気がつくこと、謝罪することは単に恥ずかしいので謝れない、というだけのものではないと思います。何かしら不健全な人間関係があるのではないかと想像しています。
謝罪する側の人、される側の人それぞれにとって、謝罪の一過程は双方にとってこれからも生きて社会生活を送ってゆくのに必要なのでは?と思っています。特に謝罪する側の人は「人として」。謝罪できないのは人でなし、と言ったところでしょうか?
創価などの日蓮正宗系教団が謝罪も出来ない社会的に価値の無い教団だと言えばそれまでの話です。
「信頼できる人を自ら排除した経験」とありますが、仏教の場合は信頼出来ない人でも思いやりや優しさや親切とがで包んでいくことが、あり方なのでは?と私なりに想像するのですが、彼らにとっては、どうでもいいことのようで。
日顕氏や池田氏には「人様、他人様を自ら排除した経験」がありすぎて笑えます。
どうなってるんですか?>日顕氏、池田氏、関係者の皆さん
もう何度も書いていますが、何時になったら謝罪してもらえるのでしょうか?
ちなみにこの記事を読んで思ったのですが、日蓮さんも聖人とか上人とか(正しいという意味ではなく)尊敬の意味合いから呼ばれますが、一人の僧侶、仏弟子です。(なお信徒は弟子ではない。僧侶が仏の弟子。仏教においては信徒同士の師匠、弟子も間違っています。)日蓮さんに社長なんかの役職なんかありませんね。正宗や学会は法主、管長、名誉会長、企業みたいな役職があってなおかつ上から目線で困ったものです。
地湧の菩薩や上行菩薩などの仏教的な意味付けはあるのですが、頑張った日蓮さんはともかく現代人の正宗系の僧侶、信徒会員が、仏菩薩の役割を果たしているとは思えません。
正宗系僧侶、信徒会員のやっていることは、人を見下す、人に嘘をつく、人を争わせる、人を怒らせる、これが仏菩薩のやることですかね?
日蓮さんを超えた慈悲深い僧侶(信徒)になって社会に貢献しよう、ならともかくね。
日蓮さんも鎌倉時代においては彼の仏教学はある程度は正しかったと思いますが、学問的な内容や、他宗批判は間違っていた点は変えることの出来ない歴史です。
X JAPANのトシさんも仲間と別れたことが「信頼できる人を自ら排除した経験」だったのかもしれません。