創価学会の信仰に功徳はあるか?

コメントする人は「01.創価学会の信仰に功徳はあるか?を書く前に」を読んでね。

お坊さんに必要以上のお金をもたせるとダメなのかもしれませんね。

2016年09月22日 23時44分27秒 | その他
【衝撃事件の核心】「墓地の上なんて不気味すぎる」六本木地上げ頓挫で超高級ホテル計画〝暗礁〟 宗教法人法の手続き怠る(1/5ページ) - 産経WEST

東京・六本木の超一等地で4年越しに進められてきた地上げが頓挫しそうだという。対象用地はもともと寺が所有していたが、宗教法人法で規定された財産処分の承認手続きを経ないまま売買が繰り返されてきた。このため、最終的な買い手となった香港系不動産会社が法的に所有権者と認められない恐れが浮上。2020年東京五輪に開業を間に合わせる計画の超高級ホテルの着工にめどが立たなくなっているのだ。おまけに、用地内の旧墓地を掘ると人骨が出る始末。実は墓地の廃止許可手続きもなされておらず、旅行業界の関係者は「超高級ホテルといっても墓地の上に建つなんて不気味。誰が泊まるのか」とあきれ顔だ。大阪の不動産会社なども関与したとされる六本木の土地売買で何があったのか。

■時価220億円の土地次々手放す

 地下鉄六本木駅(東京都港区)の出口を出て六本木通り(都道412号)を東へ歩くこと3分。通りに面して金属製の塀に囲まれた土地が見えてくる。退去が済んだビル、マンションなど3棟が並び、一部は砂利敷きの更地だ。残りはコイン式駐車場として利用されている。

 不動産登記簿などによると、用地は約4千平方メートル(約1200坪)。かつて曹洞宗の寺院、湖雲寺(こうんじ)があり、土地の一部はマンション用地やビル用地として貸し付けていた。しかし平成18年に京都や都内の法人、個人が土地に地上権を設定し、22年には同寺が土地を担保に借金するなど、異変の芽が見え始めた。

 24年ごろになると税金滞納による差し押さえが行われるようになり、区画ごとに静岡の建設会社などへの売却を余儀なくされた。その結果、本堂などは無くなり、寺の所有地は十数基のお墓が残る墓地110平方メートルだけになった。

 湖雲寺は27年2月、債権者から第三者破産を申し立てられ、宗教法人としての同寺は事実上消滅。曹洞宗は檀家に迷惑がかからないよう、墓地を他の末寺に引き取らせて管理を任せている。

 時価220億円の土地を所有しながら、借金を重ねて土地を次々と手放した住職。破産時の基本財産は簿価でわずか561万円になっていた。土地を切り売りして得たはずのお金が一体どこに消えてしまったのか、真相は薮の中だ。

■本山(注1)の承認なしに…

 ここまでなら当時の住職による放蕩経営の「なれの果て」で話は済んだはずだった。しかし、25年に大阪市の日用品製造販売業L社が土地全体を買い占める大きな動きがあったところで、水面下で法規上の問題がくすぶり始めるようになった。

 宗教法人法は、寺が境内地をはじめとする基本財産を売却、処分するには包括団体(宗派の本山)代表役員の承認が必要と規定しており、湖雲寺も寺の規則で同様のルールを定めている。住職の独断専行による土地転がしを防ぐためだ。

 関係者によると、湖雲寺は最初に土地を切り売りした際も、宗教法人法と同寺規則に基づく財産処分の承認申請を曹洞宗に対して行っていなかったという。当然、L社が買い手となった売買に至るまで、本来なら必要な曹洞宗による承認書は存在していない。

 L社による買い占め後、曹洞宗には「『曹洞宗代表役員の承認書がある』『承認書を取り付けることができる代理人が存在する』という情報は本当か」という事実確認の問い合わせが寄せられるようになり、曹洞宗は対応に苦慮するようになった。これらはL社が土地の転売先を探していた時期と重なる。

 三大財閥系不動産会社も関心を寄せていたとされるが、これら財閥系大手は「情報」が虚偽だと知った途端に手を引いたという。ところが、大阪市の中堅不動産業M社がL社から26年10月までに土地を取得。さらにM社は約3カ月後の27年2月、一部を東証2部上場のアルデプロ(東京)へ再転売したのだ。


■法令違反次々と明らかに

 宗教法人法を無視した土地売買に上場企業までもが参戦してきたため、静観していた曹洞宗は同月、アルデプロとM社や両社に取得資金を融資したノンバンクと信用組合に対し、ある通知書を送付した。

 通知書は「現時点において、湖雲寺の土地処分の承認書や、承認を取り付けられる代理人は一切存在せず、当宗は一切承知していない」と一刀両断する内容だった。

 これに対しM社とL社は27年6月、「曹洞宗には一切の責任がないことを認め、承認書が無いことをこれ以降の買い手に積極的に通知する」との連名の誓約書を曹洞宗に提出した。また、両社が同時に提出した報告書によると、アルデプロの社長(当時)はこの誓約書への捺印に同意したものの、同社法務部門が同意せず、捺印には至らなかったという。

 こうした紆余曲折を経たにもかかわらず、アルデプロとM社は翌月、香港系不動産会社と土地の売買契約を締結し、売り抜けた。

 金額は計222億円。香港系は30階建て、延べ床面積約3万5千平方メートル(約1万坪)、客室270室規模の超高級ホテル「ランガム」を開発する計画で、建設費用を含めた総投資額は500億円を超えるとみられている。

■取り残された「お墓」

 しかし、曹洞宗の承認がなければホテルの着工はできないとされる。

 香港系不動産会社は今年6月末、アルデプロとM社に契約金額の9割に当たる計200億円を支払ったが、「ランガム」プロジェクトは宙に浮いたままだ。アルデプロ広報は取材に「守秘義務契約があり、コメントは差し控える」と答えた。

 また、売買された土地の一部には、かつて墓地があった。湖雲寺を管轄する港区のみなと保健所によると、墓石などは撤去されて更地になっているが、墓地埋葬法に基づく廃止許可は出ていない。

 土地の地目を「墳墓地」から「境内地」あるいは「宅地」へ変更するには、本来なら保健所が出した墓地の廃止許可が必要だが、湖雲寺の地目変更はすでに登記が実行されている。

 実際に今年8月、業者が現場を試掘したところ、陶器製の棺に入った人骨が出土した。みなと保健所は、人骨は曹洞宗に引き取りを要請。棺は江戸時代以前のものであるため、区教委が念のため発掘調査を行うという。

 ホテルの開業に際して旅館業法に基づく営業許可を出すのも保健所だ。

 みなと保健所の担当者は取材に「ホテルの底地の状態は旅館業法の許可要件には当たらない」として、墓地の廃止許可がなくてもホテルの営業許可は下りるとの見解を示した。が、大手旅行会社の担当者は「廃止されていない墓地の上に建つホテルに、いったい誰が泊まるのか」と突き放した。

 このため同保健所は現在、十数基のお墓が残る西隣の墓地を含めて廃止手続きを進める方向で曹洞宗と協議を進めているという。廃止許可を得るには、隣地に取り残されたお墓を全て改葬する必要があり、一朝一夕にはいきそうもない。檀家の反発も予想される。

 曹洞宗関係者は「本山(注1)は檀家の不利益が生じないよう善処しようとしているが、保健所の対応が不十分だ」と批判している。

 超高級ホテル建設計画の行方が注目される。
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(注1)今回の場合、曹洞宗関係者が取材や問い合わせに「本山」とは言及しないそうです。
曹洞宗の法務関係を取り扱うのは「曹洞宗宗務庁」で、それは寺院ではありません。

お坊さんに必要以上のお金をもたせるとダメなのかもしれませんね。
修行や布教に専念して欲しかったです。
お寺は再建出来れば良いのでしょうけど、おそらくは金額的に無理でしょうね。
残念なことです。


都市優遇、大店法などの大企業優遇、いらない道路を作ったり都市開発優先。
下町とか個人店舗がなくなっているのが問題かと。

オリンピック開催は賛成です。東京で開催する一定のメリットは理解できますが、デメリットやどうしても東京に必要かというと、、、、。

以上
コメント (4)
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390.山口那津男「公明が与党ならば改憲はない。だから公明に投票しろ」

2016年09月20日 23時52分53秒 | 公明党
NEWS23より。抜萃。

質問
憲法9条は公明党が与党のうちは変わらないと思う?
○か☓か?
山口那津男の答え

「今回作った平和安全法制でこの憲法のもとで許される自衛権の限界をはっきり決めたわけですね。
自ら決めたものを覆すような議論はしない」(A)

質問
公明党が改憲勢力と言われるのは不本意(B)
山口那津男の答え



衆議院議員の任期が2年3ヶ月後に満了することを念頭に
「2年以内に憲法改正の選択肢が成熟するとは考えにくい」
「次の衆院選において憲法改正は争点にならない、」
更に国防軍の創設などを盛り込んだ自民党の憲法改正草案について
「安全保障関連法の成立の前に作られたものであり自民党の中でもう少し議論してもいいのではないか?」との考えを示した。
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どなたかYouTubeにNEWS23の動画をUPしてくれないかな。
抜萃でなく全て文字起こししたいです。
正木正明元理事長が失脚してから、学会員や自民党と改憲に関心がある人に対する比較的大きな公式見解だと私は思います。
公明党党大会で山口那津男代表の再任を正式承認したのが17日。
山口那津男代表のTV出演が19日のようですから、創価公明の公式見解でしょう。

「公明が与党であるならば改憲はない。だから公明に投票しろ」(主旨)

と山口那津男は言いたいのでしょう。つまりどういうことかというと、
(1)与党にいる間に選挙公約や末端の学会員の平和思想を無視してチョット改憲。
(2)公明トップが今回のようにテレビや聖教新聞などでガス抜き。
(3)騙された馬鹿な学会員が選挙活動して公明党が与党になって(1)に戻る。
(1)(2)(3)をくり返すということでしょう。

学会本部は日蓮遺文、大御本尊、小樽問答、人間革命、「日顕上人は正統な法主。正信会は黙っとれ」、御書全集、イラク戦争等々、様々に身内を騙し身内に嘘を教えていたわけです。
創価公明は身内を騙して平気ですから、今後も外部(創価公明以外)の人間生命などどいう、くだらないモノを騙すのは何の痛痒もなく反省も後悔もないでしょう。

中国はチベットや東トルキスタンの弾圧と侵略、東シナ海の侵略、最近のベトナム人殺害等々をしてきました。こうした過去を考えれば、創価公明だけでなく日本が先頭を切って世界国家で中国に自制させれば良いと思います。これは私個人の意見でしかありません。ですが世間ではそうした意見すら出てきません。創価公明と左巻きの人々、マスコミの左よりが原因でしょう。
(A)(B)も中国を責めるなり対話して中国が自制できていれば、改憲もオスプレイなどの自衛隊増強も米軍との基地問題も起こりえません。
中国が横暴なのは創価公明に原因の一つがあるといえると思います。
(A)「自ら決めたものを覆すような議論はしない」と言っていますが、過去に決めたことを否定しない、と言っているのであって、過去に決めた改憲を肯定する形で+αして改憲、加憲はあり得るのです。もう安保法制以前の元には戻りませんよ、とも言っているわけです。

「憲法9条は公明党が与党のうちは変わらないと思う」というのは””思っているだけ””で公約ではありません。なのに、「次の衆院選において憲法改正は争点にならない」のは創価公明トップからの一方的な要望です。
憲法9条が変わるかどうかは誰にも分かりません。

「学会には7つの鐘という構想がありました。お元気な池田先生を先頭に中国と第二、第三、第四、第五、第六、第七と次々に友好平和を築き、第二の日中友好平和条約を結ぶだけでなく”日本にとって一番の友好な国は中国です”という歴史を目指して、何時の日か安保法制以前の元の憲法に戻します。」という政治家の発想やビジョンがあっても良いはずです。が、そんな約束も発想も何処にもありません。
山口那津男のコメントは中国の横暴を日本側が変えられず、続く前提のコメントです。

学会内部の末端の人たちはイラク戦争以後、学会がおかしくなったと言っていますが、実は「東トルキスタンの弾圧と侵略は1950年代からあった」にも関わらず創価公明は無視してきたのが歴史です。
公明党に実力(議席)がなかったのであって、元々、創価公明が無思想、無行動でアジアの戦争と平和を無視し続けたわけですね。

例えば第一世界大戦が一発の銃弾(サラエボ事件)から始まった事など、政治や戦争のメカニズムや戦争時代と戦争の前後の時代はどちらも不測の時代という歴史を末端の学会員はよく解ってないと思います。近年の不測の事態、危険な事態を起こしているのは中国と韓国、北朝鮮、ロシアです。

極悪日顕ガーを聞き飽きたのと同様、
池田先生の平和思想ガー
も聞き飽きました。
創価公明はその時々の強い者やお金の味方をするのであって弱い者は見捨てます。これは仏教思想でも宗教思想でもありません。俗世間の戦争や揉め事と同じです。

調べれば調べるほど嫌になるのが創価公明ですが、調べれば混乱の原因は平和思想や仏教思想とは程遠い無思想、無規律な池田大作にあります。
末端である天野達志さん達にも気がついてほしいものです。

どこかの3人はあのままでしょう。(笑)

(安倍首相にしても山口代表にしてもマスコミが事前に質問を用意して、政治家が○☓で答えるのは番組としてレベルが低いと個人的に思います。最近の流行りなのでしょうか?私もYesNoを求めるときは、学会員や法華講員のレベルが低く問題のない日本語文章が返ってこないことを想定しています。彼ら同様、言葉のキャッチボールが出来ないのでしょうか?一対一で○☓はないでしょう。4,5人の政治家がいればまた別でしょう。)

以上
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学会版御書全集の初版を譲って下さい。('17/01/20更新)

2016年09月09日 00時40分20秒 | 創価学会
学会版御書全集の初版を探しています。

古い学会版御書全集の初版を探しています。
奥付を見ると昭和27年4月28日が初版とあると思います。
奥付の書き方は一刷か初版かもしれません。
中が読めれば装丁がぼろぼろでも構いません。

譲って頂いた方の氏名住所などは絶対に公開しません。
二世三世の人に情報を今まで頂いていますし、これからも同じ様に頂きたいのでご安心下さい。

学会批判の記事を一つ書き上げることをお約束できると思います。

連絡先メアド


私のブログのトップURLにsoukagakkaiとか、usotukiとかの文字列がありますのでそこからコピペすれば楽に入力できると思います。

以上

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389.学会版御書全集 戸田城聖の「発刊の辞」の酷さと浅井要麟の「感謝の文」

2016年09月08日 00時12分04秒 | 日蓮系遺文
創価学会の日蓮大聖人御書全集は間違いだらけシリーズ、(その6)
戸田城聖の「発刊の辞」の酷さがわかる一例

1.創価学会版 御書全集 発刊の辞

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宗祖大聖人諸法実相抄にのたまわく「行学の二道をはげみ侯べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく侯、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」と。
 創価学会は初代会長牧口常三郎先生之を創設して以来、此の金言を遵奉して純真強盛な信心に基き、行学の二道を励むと共に如説の折伏行に邁進して来たが、剣豪の修行を思わせるが如きその厳格なる鍛錬は、学会の伝統・名誉ある特徴となっている。  
 従って大聖人の御言を敬い之に親しむこと天日を拝するが如く、又会員一同上下新旧の差別なく之が研究に多大の時間を当てているのである。然るに大聖人唯一の正統であり大権威である日蓮正宗の発刊になる御言全集が皆無に近い現伏であり、やむを得ず巷間流布されている御書に拠っていたが、相伝なき流流・学者等の編纂した書は観心本尊抄を始めその他種種の重要なる御抄に於て大聖人の御真意に叛く読み方をなし、或は誤をその儘伝え又は偽書を真書となし、真書を偽書と歪曲する等読者を迷わすこと甚しく、到底之を信頼する事が出来ない上、最も重要なる血脈抄・本因妙抄等日蓮正宗門外不出の御抄は已に上梓を見た如何なる御言全集にも掲載されず、宗祖の御真意を拝せんとひたすら念願する者をして久しく遺憾の念を抱かしめていたのである。
 然るに宗粗日蓮大聖人、建長五年四月二十八日、三大秘法の南無妙法蓮華経を御唱え始められてから七百年を迎えるに当り、信憑すべき御書の発刊を要望する声が学会内に起り、余も亦正確なる御書全集の出現は御奉公の一分なりと信じ、是非功罪及び世人の批判等に逡巡することなく只仏意を頼り大御本尊に祈り奉り、遂に慶祝記念事業として之を発刊せんと発願したのである。
 これに応えられて永年古文書研究に没頭せられて斯学に造詣深き日蓮正宗五十九世の法主たりし堀日亨上猊下が、六十有余年の蘊蓄を傾けて之が編纂の大事業に立たれたのは、大聖人門下にとって此の上なき幸せな事である。
 堀日亨上人猊下は八十六歳の御高齢にて日夜不断の御苦心にも拘らず、身心共に何等の魔障無く数十年に亘る御研究を結集せられてここに本書の完成を見たのである。其の内容たるや古今を通じて最も誇り得べきものであると共に、初信の者も仏意を会得するに容易ならしむるよう字句の上にも細心の注意が払われている。
 又学会員同志は快く出版費を醵出して余に此の大事業の完遂を促し、教学部員はまた之が校正に昼夜を分たず最善の努力を借しまなかったのである。
 然るに余の不敏は幾多の過誤をおかして堀日亨上人猊下が生涯を通じての大研究に疵つくることなきやとひたすら之を虞れ、今後の補正に最善の努力を尽さんことを誓う者であると共に、この貴重なる大経典が全東洋へ、全世界へ、と流布して行く事をひたすら祈念して止まぬものである。
 願わくは世の識者諸兄・余の微意を諒とせられて御批正あられん事を。
   昭和二十七年四月二十八日
                創価学会
              会長 戸田城聖
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大聖人の御言を敬い之に親しむこと、とあって最初から最後まで批判したいところですが一部分にします。

>会員一同上下新旧の差別なく之が研究に多大の時間を当てている

最近の学会員は御書を持ち歩かないそうですし、御書全集には脱字があり間違ったままです。

>堀日亨上人猊下は八十六歳の御高齢

八十六歳の堀日亨には御書編纂(編纂とは本文執筆のこと)は、年齢的に無理で学会教学部が編さん。戸田の「発刊の辞」は嘘でした。

池田大作は八十八歳ですから、250ページでも編纂すればページ数は無理でも年齢だけは記録を塗り替え大革命することが出来ますね。(笑)
池田大作の執筆の姿を全て動画にとってくれれば証拠として信じても良いのでしょう。
250ページ追加だけでなく行道文庫版の本文の記載と同様、墨筆遺文に近い活字と送り仮名を使い1850ページ分量の「完璧に近い遺文集」を書き上げてもいいんですよ?>池田大作。
1850だと昭和定本に分量で勝てませんが。w

冗談を抜きにすると、第一次宗門問題の頃に学会版の改訂御書を出す予定だったそうです。(聖教新聞に記載があったそうで私は未確認)その原稿が残っていれば明日にでも出せるのでしょう。
宗門問題で出せなかったらしいので日蓮正宗側がとめたのでしょうか?もし、そうなら正宗が酷いと思います。
追加するにしても一から作り直すにしても大石寺の遺文はどうするんでしょうね。

>只仏意を頼り大御本尊に祈り奉り

戸田城聖「前に言っていたことと、今言っていることが違う宗教は、邪宗である」

小樽問答の時は、「大石寺の大御本尊を拝まなければ幸せになれない。」(主旨)
2014年11月以降の今では大石寺の大御本尊を拝まなくても幸せになれるそうです。

>大聖人唯一の正統であり大権威である日蓮正宗の発刊になる御言全集が皆無に近い現伏

日蓮正宗では、昭和四年に佐藤慈豊の編纂による「日蓮大聖人御書新集」が出版されています。
全集ではないらしいのですが、大石寺第五十六世大石日応の校閲を通しています。
巻頭には五十二世日霑と六十世日開の本尊が掲載されているそうです。

>相伝なき流流・学者等の編纂した書は観心本尊抄を始めその他種種の重要なる御抄に於て大聖人の御真意に叛く読み方をなし、或は誤をその儘伝え又は偽書を真書となし、真書を偽書と歪曲する等読者を迷わすこと甚しく、到底之を信頼する事が出来ない

五時八経、法華経仏説、法華経解釈、大御本尊等々な点から御本仏日蓮であり、
学会教学や正宗教学に間違いはなく非の打ち所なし!!(日興が正統派である、も含めて)と皆思っていたはずです。
当然、購入した全集の版が違っても各自や家族で買って「学会版御書全集は何の間違いもなく完璧である」と、皆さん思ったんでしょうね。
私もそうでしたし。

>御批正あられん事を。

批評して誤りを正すこと。「御―を乞う」


2.昭和新修 日蓮聖人遺文全集 序 (昭和九年)

(注、難読と思われる語は()内に読みを記した)
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 昭和新修日蓮聖人遺文全集の刊行についての印刷既に成り、これを世に公にせんとするに及んで、編者予に一言を需(もと)めらる。卒爾(そつじ)の間未だその内容を詳(つまびら)かにする能(あた)はずと雖(いえど)も、この書の編者浅井氏は大正三・四年の此、予が日蓮宗全書刊行会に関与し、日蓮聖人全集校合に従事せし以来の道交たり。爾来(じらい)師は御遺文の研鑽に思を潜(ひそ)め、諸種の編纂(へんさん)講述に従事せるのみならず、現に立正大学に在つて祖書学を講じ、その研究上に一新生面を開拓せんと鋭意精進せられつゝありといふ。その真摯にして忠実なる態度よりして、この書編纂の用意とその成果とは想ひ半ばに過ぐるものあり。その内容を一瞥するに原漢文はすべてこれを和訳し、訓点句読を訂し、括弧を加へ、振仮名を施す等工作大に見るべきものあり。蓋(けだ)し普及版としてまことに遺憾なきに庶幾し。且つその別巻収むるところの略伝、解題、編纂、刊行の歴史等は、何れも師が多年の蘊蓄(うんちく)を傾けたるもの、その他の諸篇と相俟(あいま)つて、啻(ただ)に大方(おおかた)求道の士の指針たるのみならず、専門宗学者の検按鑽仰(さんぎょう)に資する所まことに大なるものあるべきを疑はず。
 こゝに一言を叙して、本書の公刊を祝すると共に、切に広宣流布の祖業を当代に成満(じょうまん)せんことを願望す。
  昭和九年二月聖祖降誕の嘉辰
                   稲田海素
                     謹識
--------------------------

戸田城聖は日蓮宗の霊艮閣(蔵)版をパクっておきながら日蓮宗遺文の悪口を序分に書いて正宗と創価の自画自賛をしています。
稲田海素さんの序文には他宗の遺文集の悪口なんかありません。


3.昭和新修 日蓮聖人遺文全集 「御書編纂の史的概観」P434

浅井要麟(ようりん)さんの執筆部分だと思います。
(注、難読と思われる語は()内に読みを記したのと一部旧漢字を新漢字に変更した。)
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 以上の外一鈔一遍の刊行より、名文要句を抜萃(ばっすい)せる金言集の類(るる)に至るまで、その数甚だ多く一々枚挙に遑(いとま)がない。かくの如く古今の諸家、聖教(しょうぎょう)の護持と普及とに心血を注ぎ、その編纂(へんさん)及び刊行に尽瘁(じんすい)せられたる功績は深く感謝せねばならぬ。しかし多くの人と年處(ねんしょ)とを経て今日に至れるが為め、謀(ぼう)書の竄入傳寫(ざんにゅうでんしゃ)紕繆(しびょう)等も少なくはない。聖人の純正なる教義を鑽仰(さんぎょう)し、原始宗学の基礎を確立する為めには、是非ともそれ等を淘汰し精算しなければならない。而してそれは現代の宗門学徒に課せられたる一の使命である。その使命を果す為には、従来の伝統的見解に支配されざる御遺文の真蹟鑑定より、御遺文そのものの科学的批判研究にまで進まなければならない。吾等学徒の使命はまことに重大である。
--------------------------

P420-421には、日蓮正宗・佐藤慈豊の編纂による「日蓮大聖人御書新集」の記載が五行くらいあります。
客観視と評価がなされています。
もちろん悪口なんかありません。

「かくの如く古今の諸家、聖教(しょうぎょう)の護持と普及とに心血を注ぎ、その編纂(へんさん)及び刊行に尽瘁(じんすい)せられたる功績は深く感謝せねばならぬ。」

大石寺だけでなく各お寺、各々先師に感謝していると取れます。
日蓮さんはもちろんのこと、富木常忍などの信徒だけでなく六老僧も含まれていると思える書き方です。
客観視ではなく思い込みや調査不足、非科学的な一面があった鎌倉時代の日蓮さんですが、浅井要麟さんの文章を読むと現代人にも理解でき納得の行く内容ですし、常に学ぶ姿勢のある「謙虚な」文章だと私は思います。

戸田城聖は偽書濃厚な相伝書などを理由にして大石寺が一番と断言していますから始末に負えませんね。
創価学会から教えられたのは「怒りと恐怖」でしたが、外に真言、念仏、禅、律宗や日蓮宗に憎悪や怒り嫌悪感が湧かないのが今の私です。創価と正宗の教えに根拠はありませんでした。
戸田や池田を師匠としたのは、本当に失敗でしたね。


補足
「御書編纂の史的概観」はP363〜P434の分量があります。
概要は以下の記事を参照のこと。
381.創価学会の日蓮大聖人御書全集は間違いだらけ(その1) - 創価学会の信仰に功徳はあるか?

以上

'160909 タイトル変更、追記
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388.学会版御書全集は日蓮遺文を250ページ分も削除した出来損ない遺文集。

2016年09月02日 00時54分57秒 | 日蓮系遺文
創価学会の日蓮大聖人御書全集は間違いだらけシリーズ、(その5)です。

1.平楽寺版「昭和新修」と学会版御書全集を比較

平楽寺版「昭和新修」と学会版御書全集の報恩抄、開目抄のページ数を比較してみました。
文字の大きさや一ページの行列数で遺文集一冊の文字数が異なりトータルの日蓮遺文の情報量が違います。

報恩抄だと学会版37ページ、昭和新修は52ページの分量があります。
37÷52=0.7115、、
開目抄だと学会版54ページ、昭和新修は76ページの分量があります。
54÷76=0.7105、、
一ページあたりの情報量は3割違うということになります。
報恩抄、開目抄は読み下しの遺文ですから漢文、読み下しの違いによる文字数が大きく異ることなく問題無いと思います。

平楽寺版「昭和新修」は大凡495編(+断簡4を足せば499)、
2603ページ分の日蓮遺文があります。
学会版「御書全集」は426編(編年体は428)、1600ページ分の日蓮遺文があります。
学会版全集の1600ページ以降の弟子檀那列伝や年表は除きます。

平楽寺版「昭和新修」2603x0.71=1850ページ。
ですから、学会版の文字の大きさに合わせると250ページ分も
平楽寺版「昭和新修」のほうが日蓮遺文の掲載量が多いのです。

平楽寺版も学会版も真偽未決、偽書が含まれているようですからこの比較が完全に正しいとは言いません。遺文タイトル周りの余白面積もありますからね。

しかし学会版御書全集で大凡ですが、250ページ分も日蓮遺文が足りないのです。

2.学会版御書は日蓮遺文が足りないのですから、学会員は「真筆であっても日蓮遺文を知りもしない」

犀角独歩さんのブログを読めば五輪九字明秘密釈、円多羅義集唐決が日蓮真筆の可能性が高く、真言密教を多く含んだ遺文は偽書、真偽未決から真筆として扱われる可能性が高いです。
純粋な天台法華としての創価正宗の遺文解釈は成り立たないでしょう。個々の遺文について信仰や学問上の重要性は別です。もちろん真偽未決は慎重に取り扱うのが前提だと思います。
真筆、真偽未決に関わらず、そもそも日蓮遺文を振りかざして人を傷つけるのは以ての外です。

学会や正宗にとっては謗法だとか「信心が足りない」どころではないでしょう。信行学が足るどころか出発点にも立ってないと思います。
学会員は永遠に「信心が足りない」ままでしょうね。


「御書全集が出来損ない遺文集ですから、学会や聖教新聞の"全て"の出版物や指導は何処に落とし穴や不足があるか分かりません。つまりは全ての指導が完璧ではなく不足か失敗でした。遺文集を1から作りなおし指導も見直す必要があるでしょう。」


学会本部トップには御書全集を改善する 「「情熱も努力も全く無かった」」 ということでしょう。改善しなければ悪ですね。
お元気な池田先生が厳然と!!いらっしゃるのですから今すぐ決意発表すれば10ヶ月後には新しい御書が出来ているでしょう。(笑)七ヶ月か七ヶ月半で革命を達成しては?
学会本部の人たちは頭がよくて菩薩ですから、アッという間に出来るでしょう。
250ページ足すだけなら1600ページが10ヶ月で出来たので二ヶ月あれば余裕でできますね。

新遺文作成の提案者としての私の名前は新遺文に書かないでくださいね。書かれたら迷惑ですよ。(笑)>学会本部トップ
池田大作と戸田城聖、学会本部の野郎ども!人間関係、時間と金返せ!と書いておけばいいのでしょうか。w

戸田城聖、池田大作は、この出来損ない遺文集を買わせ他宗を邪宗としていたわけです。
学会vs正宗の「お前は日蓮遺文を解ってない」等々、誹謗中傷合戦がいかに馬鹿馬鹿しいかよく理解してほしいものです。

3.邪宗と戦う創価は永遠に遺文追加することが出来ない。

いきなり話が変わりますが、学会も正宗も(正信会も顕正会も)和解するだけでなく両教団共にトップから末端まで社会全体に謝罪する必要があるのは言うまでもありません。
謝罪もなく学会本部が「裏で」コソコソと日蓮正宗、日蓮宗の協力を得るのは大問題です。「表で」末端会員には他宗を不幸になる邪宗として迷惑な折伏、破折させてはダメでしょう。
謝罪がない状態で(日蓮正宗はどうでもいいですが)日蓮宗、日蓮系教団は創価学会に協力するのは、絶対にやめて欲しいです。日蓮宗、日蓮系教団の評判を落とすだけです。
どうせ今までも学会が無断でパクってたんでしょうけれど。。。

今のままだと永遠に邪宗と戦う創価は遺文を追加する形で新しくすることが出来ないでしょう。
今までも無断でパクってたんでしょうからこれからも無断で日蓮系の書籍や資料からパクるのかもしれません。そうなれば、ますます正宗と創価は軽蔑されるでしょうし、もちろん日蓮もついでに軽蔑されるでしょうね。


「一度、学会版の遺文集で250ページ分の厚さを指で掴んでみてはどうですか?」


真面目に日蓮信仰する人であれば、事の重大さがわかると思います。
もし今の学会版遺文集を肯定するならば、日蓮遺文を削除した理由と遺文をリストアップし、一冊の書籍にするべきでしょう。内容的に学会本部が笑いものになるでしょうから、絶対に無理だと思いますけど。
注意すべきは末端会員が笑いものになっても構わないのが、学会本部職員であってトップは笑いものには絶対になりたくないでしょう。だから本部職員は「絶対に折伏なんてしない」のです。

それに最近の学会員は昔と違い御書を持ち歩くことはないそうです。末端会員は池田イズムが大事であって日蓮遺文など、どうでもいいのかもしれません。
学会本部も会員が馬鹿であればある程、無償労働や御供養搾取に都合がいいのでしょう。
学会本部は今後も戸田や池田の都合の悪い指導を捨てるでしょうし。


私は昭和定本を真偽未決調査や単語の辞書代わり等々に使っています。
もう一度読み直すようになったのは平楽寺版を買ってからで一年経っていません。
学会版にない遺文に着目して読んでみたいと思います。
信仰心は全く無く、学会員時代ほど情熱はないので、その内、、、かな。(^_^;)
当たり前ですけど、真筆遺文を知らないままで罰だ!とか地獄行く!とか思っていません。
日蓮さんには尊敬すべき点もあり、批判される点もある日本仏教の枠内でしかなく、なおかつ正統派ではないお坊さんです。ですので気が向いたら読もう、という程度です。
仏教全体や個別の遺文については勉強する意欲はあります。

補足
断簡を含めていることもあり最も多く日蓮遺文や関係遺文が掲載されているのは昭和定本だと私は考えています。
日蓮宗の僧俗の皆さんが御存知の通り、日蓮遺文を学ぶこと、勤行などや法華信仰に意義はありますし私は否定しません。
あくまで創価などの正宗系教団の批判です。

以上

13.「信心が足りないという指導」祈るだけで幸福になれるか?条件はないのか? - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
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