創価学会の信仰に功徳はあるか?

コメントする人は「01.創価学会の信仰に功徳はあるか?を書く前に」を読んでね。

日蓮と弟子たちの傾向は祈祷僧でなく教理教学の学問僧

2023年11月30日 00時18分59秒 | 他宗の勧請/祈祷
●日蓮さんの祈雨祈祷前後の時系列

(1)唱法華題目抄(昭和定本)文応元(西暦1260)年五月二十八日

但法門をもて邪正をたゞすべし。利根と通力とにはよるべからず。
(日蓮遺文には「如来秘密神通之力」などいくつか出てくる。)
日蓮はあくまで法華第一であって、真言密教や天台密教の祈りの叶わない点をいくつも強調しています。

(2)母梅菊の蘇生 文永元(1264)年10月

母梅菊の蘇生を祈祷か末期の水か不明だが母梅菊に与えて、息を吹きかえし更に4年寿命を延ばした伝承がある。
本尊書写などに使う炭を祈祷し水に溶かしたか直接水に祈祷したかは不明。

なお旧人間革命で戸田城聖は法主しか作れないはずの御秘符を受け取った後に更に祈念しています。受け取った御秘符を戸田が祈念した記述について問題あるかないか賛否両論あると思いますが、私は祈祷の破壊だと思います。故・池田大作は気がついてないのか知らないのか人間革命を書いて残しています。

(3)祈雨の祈祷 文永8(西暦1271)年6月ごろ
下山御消息(昭和定本)の記述。

(4)佐渡に流罪 文永8年11月 西暦1271年

(5)初めて法華曼荼羅を図顕 文永10(西暦1273)年7月8日

日蓮が佐渡流罪中に佐渡始顕本尊(さどしけんのほんぞん)を図顕した。

(6)日蓮身延入山。文永11(西暦1274)年5月17日

幽閉と思われる。

(6)元寇 文永11(西暦1274)年10月5日

日蓮は蒙古調伏の祈祷を国家からおそらく依頼されず、犯罪者扱いだった。

●疑問点

私が創価学会に在籍した時代だけでなくこの30年で学んでないことは以下のとおり。

「神仏」
「勧請と祈祷」
「祈りは必ず叶う」(幸せがもたらされる、幸せが振りまかれる)
の定義と関係が不透明です。他に結界など場所も。

●各時間軸で日蓮の問題点

まず(1)の時間軸で日蓮の勉強不足が明確になると思います。
歴代天皇の宗教。
歴代天皇の宗教的立場や役割
歴代天皇と「勧請と祈祷」
歴代天皇や日本国民にとって幸せがもたらされたのか

これらの歴史的調査があまりも無さすぎる点が問題です。
真言密教と天台密教の調査も足りてません。現代人から見れば全く足りないです。

日蓮さんの視点では、天皇自身や皇族、公家、政治家などが立場は違えど祈祷を命じたか祈祷師だった可能性がまるきり抜けています。
祈祷の歴史を法隆寺の法華経伝来まで遡るのか、それとも法隆寺開創以後、だんだんと祈祷が広まったのか、東大寺などの本門三戒壇からなのか又は空海さんの金剛峰寺から画期的に祈祷がなされたのか、祈祷の変遷は私もよくわかってません。真言、天台、神道、修験道、他には現代だと念仏系、禅系もあります。念仏は平安期から祈祷があったようです。道元さんも一度祈祷した記録があります。

現代人の我々から見て、持ち物、服装、儀礼、祭壇、一番問題になりそうなのが祈祷の修行内容と達成度合い、読経の祈祷が問題になりそうです。

●天皇と大石寺勅使門と勅願寺

天皇の意思を直接伝える使者のことを勅使と言います。大石寺は勅使門しかありません。今現在、大石寺が勅願寺になったと私は聞いてません。xx僧は維持されているのかもしれませんが。

日本の勅願寺の一覧 - 寺社仏閣 - 施設 - 建物・施設 - 固有名詞の種類

勅願寺 - Wikipedia

>具足山 妙顕寺 (日蓮宗、京都市上京区) - 後醍醐天皇
>建武元年(1334年)には後醍醐天皇より綸旨を賜り勅願寺となり、正式に宗派として公認された。

天皇自身や皇族、公家、政治家などが立場は違えど祈祷を命じた信頼の置けるお寺の祈祷施設や、祈祷僧は歴史の中に多くいたのでは無いでしょうか?
天皇自身や皇族、公家が巫女や神官だった歴史も日蓮さんは見落としていると思います。
天皇、皇族がお寺を建立し初代住職になったケースで日蓮系統だった事例はあるのでしょうか?無いのでは?

にもかかわらず、佐渡以降になりますが天照大神や八幡大菩薩などを法華曼荼羅に勧請した点は私は疑問に思えます。日蓮は痛いやつ、馬鹿な奴としか私は思えません。

五時八教や法華経仏説がただしけれれば日蓮さん学問僧として大正義でよかったのかもしれません。

●日蓮とその後の弟子たちの発言傾向は祈祷僧でなく教理教学の学問僧

日蓮さんは祈祷僧ではなく学問僧だと思われます。
(1)の時間軸とは関係ありませんが補足します。
その後の大石寺の争いや誹謗中傷はひどいです。門流の争い、三鳥日秀らの三鳥派の争い、法主獲得の争いなど、全く祈祷をして仏菩薩を感見して記録して感見記に残せなかったのは大きな大きな大石寺系の失敗だったと思います。
(他に日蓮宗の不受不施派の弾圧など)

日蓮遺文が祈祷僧の言葉ではない指摘の違和感について、ようやく理解出来るでしょうか?
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テスト記事 gooブログに本文に不正な書式が含まれています。

2023年11月26日 15時56分50秒 | その他
https://www.日蓮聖人御遺文.net/


トップページ - 日蓮聖人御遺文検索
日蓮聖人御遺文検索のURLである、wが3つと以後のURLで(中略)gmqx52bpnexk914iu0fkyv.netをテキストに貼り付けることも、リンク作成もできない。


gooの仕様なのだが、信濃町の某団体や新宿南元町の某団体の圧力だろうか?

試しに「xn」名文字列を貼り付けることができないことを検索し試してみたが、出てこなかった。

ハイフン2つをダメチャックしてエラー表示しているらしいが、goo管理者は上記サイトのURLをホワイトリストに入れて欲しい。

●対策は?

「 https://www.日蓮聖人御遺文.net/」をコピーしてブラウザのアドレス入力欄にペーストして入れて欲しい。

●URLに( - )( _ )は禁止されてない

アンダーバー ( _ )とハイフン ( – )

アンダーバー ( _ )とハイフン ( – ) 、URLに使うならどっち?/SEO対策

URLに利用するのは-(ハイフン)と_(アンダースコア)とどちらがSEO的により良いのか? / 札幌・東京のWebコンサルティング・システム開発会社 /株式会社デジタルファーム

●私のブログで起きた不正アクセス

過去記事の画像からたどるとわかるが、私の本ブログも不正アクセスされた。
安倍晋三銃撃事件前なら相手にされにくかっただろうが、今後は起きたことは弁護士に相談しやすくなるのだろうか?
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558.「利根と通力とにはよるべからず」の不確かさ

2023年11月25日 07時18分34秒 | 他宗の勧請/祈祷
●利根と通力とにはよるべからず

唱法華題目抄(昭和定本)西暦1260年
但法門をもて邪正をたゞすべし。利根と通力とにはよるべからず。
文応元年〔太歳庚申〕五月二十八日 日蓮 花押 於鎌倉名越書畢

よるが依るなのか寄せるなのか別の漢字なのかわかりません。

若い時の日蓮さんは真言密教を問題を感じてやめたのか超能力のような勧請/(加持)祈祷の能力がなく挫折したのかわかりません。

鎌倉時代でも現代でも祈る内容は在家信者は、何を祈っても構わないでしょう。宗教ってそうしたものでしょうし。仕方ないと思います。

祈雨、雨やみ、五穀豊穣、鎌倉時代の戦の戦勝祈願は坊さんがすべき仕事だと思います。
日蓮さん坊さんがする勧請祈祷のできることできないことが不明瞭なままだと思います。

在家信者には、なんでも叶うよ、なんでも祈りなさい、と思いやりで言うのはいいとしても、教理教学と他宗批判の理屈として語っていいかは非常に疑問です。

よるのどの漢字なのかわかりません。

唱法華題目抄は対告衆の宛名がないだけでなく、他の記録もないので真蹟をだれが受け取ったか分かりません。

1.天台密教や真言密教で修行し能力を持った僧侶が勧請/祈祷すべきである。
2.モノマネでもいいから僧侶が勧請/祈祷すべきである。
3.在家信者も能力を持つ修行をし勧請/祈祷すべきである。
4.在家信者もモノマネでいいから勧請/祈祷すべきである。
5.日蓮法華曼荼羅を必要とする場合とない場合それぞれで法華経を読誦し神仏を信じれば、修行せずとも誰でも自動的(automatic)に勧請出来て祈りは叶う。

鎌倉時代は現代文明も消防や警察や医療もなかったので現代人に想像できない不幸はたくさんあったと思います。
なぜ日蓮さんが毎日、勧請/祈祷し多くの人を救わなかったのかか私は疑問です。
日興から日顕までの法主にも言えることです。

●他宗祈祷師と信仰対象でしかできないこと。

創価員時代はなんでも叶うとの指導でした。
邪宗の祈りは叶わない、正宗と創価だけが祈りは叶うと。
内得信仰時代、バルサン焚いたら日蓮法華曼荼羅が真っ白になり慌てて題目をあげたら文字が戻った。諸天善神が出ていくのを見た体験が創価の指導でありました。
洗濯機が故障して祈ったら手に入った体験は私が脱会する少し前にも創価学会の外合で語られていました。過去記事にも書いてあります。

他宗祈祷師と信仰対象から私が学べることは、何でもかんでも祈りは叶わない。
しかし他宗祈祷師と信仰対象でしかできない超能力のようなことができる。

●信仰者が「困った人のところへ行く」とは?

一般的に宗教でよくある「困った人のところへ行く」そんな思想や教えがあります。

祈雨、雨やみ、五穀豊穣、鎌倉時代の戦の戦勝祈願をブログ記事で私は取り上げています。

日照り、大雨や台風、凶作、戦争など人にとって困ったことが起きたら、僧侶がその場に行って解決すばいいではないでしょうか?もちろんお寺にこもって祈祷するスタイルも否定しませんが。

僧俗どちらでも信仰者が困ったことが起きたら神仏に来て欲しい(勧請や招来、来迎など単語はなんでもいい)、困ったから勧請と祈祷し、日蓮法華で必要なのが本尊や諸天善神を文字にすることでは?

●他宗祈祷師とその教団の信仰対象が一番

 祈祷師は複数いて各宗派にいることは再三再四書いて来ました。
他宗祈祷師と「準じる力を持った方々」はTPO次第で、どの神社仏閣でも行ってます。

私にとって他宗祈祷師と信仰対象が一番なのは言うまでもなく読者にわかると思います。
過去記事に書いた通り、聖職者はどの教団の修行でもすべきだと考えており今でも変わってません。
加えて自分自身も(全く選ばないわけではないですが)古いお寺や神社など本尊や神仏を調べた上でなら、どの教団の神仏を拝む必要があるか、どこへ行ってもいいと考えています。
結界を重視するので創価や正宗には絶対に行きたくありません。
私の意見と行動は、もう標準的とか日本国内の教団の信仰ではなくなってます。


(再掲載)川島 清秀「宝劔 日蓮大聖人の教義」P63以降
548.勉強用資料 正法華経、妙法華経の十羅刹女、本地垂迹 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?

日蓮さんの様々な諸天善神を拝む思想が曼荼羅に証拠として残っています。

正宗信者がよく言う他宗は邪宗なんですかね?
正宗信者がよく言う他宗信仰者は邪師なんですかね?
法華経が釈迦直説で五時八教も正しかったら、それで良かったんでしょうけど。

日蓮さんがとても真面目に勧請と祈祷し、諸天善神の来迎を各々見て確認し、諸天善神の名前を書いたとは思えません。
日蓮さんに思いやりはあったと思いますが、諸天善神各々を見た記録はありません。
諸天善神各々を見た記録が無理だとしても、諸天善神各々が「幸せを振りまいた」記録もありません。

下山御消息の祈雨勝負には、祈雨勝負した!雨が降った!祈りがかなった!幕府要人や念仏僧はひどい!としか書いてありません。
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557.勧請/祈祷 水の扱い、祈雨、雨やみ、五穀豊穣

2023年11月24日 00時04分08秒 | 他宗の勧請/祈祷
●水を媒体として神仏の力を宿す勧請/祈祷の形式は真言密教だけでなく各宗派に存在する。

日蓮正宗の御秘符(注1)で水を使う。水を媒体として神仏の力を宿す勧請/祈祷の形式は真言密教だけでなく日本の各宗教に存在します。

1.医療行為として清浄な水を使う。
2.病人などに飲ませるために祈祷した水を与える。
3.他
先祖信仰で水が備えられるケースと備えられないケースの2つは除外します。

本記事や勧請/祈祷では2のケースがテーマになります。
真言でも天台でも密教を邪宗呼ばわり亡国のレッテル貼りするのは日蓮さんが異常としか私は思えません。

仏教各派で祈祷用途で水が祭壇や仏壇に備えられます。

●日蓮が御符を認め清い水で母の口に含ませた事例

ご母堂の蘇生について 高橋俊隆

日朗さんの文章も残っているそうなので一部始終は事実んだと思います。日朗遺文を私は読んだことがありませんが伝承が奇跡を含む事実かは私もよくわかりません。
祈祷なのか単なる末期の水なのか不明瞭だと思います。
現代医学のように病名はわかりません。

●日蓮遺文は思いやりか?祈祷による幸せの実証があるのか?

 単なる思いやりなら問題ないが、絶対とか英語のMUST(しなければいけない)とか強制、脅迫、喧嘩に使われる場合は問題になると思われる遺文があります。

諸法実相鈔(昭和定本)
剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし。

祈祷鈔(昭和定本)
仏説なればいづれも一往は祈となるべし。但法華経をもていのらむ祈は必祈となるべし。

大地はさゝばはづるるとも、虚空をつなぐ者はありとも、潮のみちひぬ事はありとも、日は西より出(い)づるとも、法華経の行者の、祈(いのり)のかなはぬ事はあるべからず。法華経の行者を諸の菩薩・人天・八部(はちぶ)等、二聖(にしよう)・二天・十羅刹(じゆうらせつ)等、千に一も来りてまほり給はぬ事侍らば、上(かみ)は釈迦諸仏をあなづり奉り、下(しも)は九界をたぼらかす失(とが)あり。

聖人御難事(昭和定本)
よ(善)からんは不思議、わる(悪)からんは一定とをもへ。

前の記事でも取り上げた遺文です。
困った時は「よ(善)からんは不思議、わる(悪)からんは一定とをもへ。」
祈りが叶わない時は「よ(善)からんは不思議、わる(悪)からんは一定とをもへ。」
このように解釈することができてしまいます。必ず祈りは叶う遺文と矛盾しています。

経王殿御返事(昭和定本)
いかなる病さはりをなすべきや。鬼子母神十羅刹女、法華経の題目を持つものを守護すべしと見えたり。さいはいは愛染の如く、福は毘沙門の如くなるべし。
(中略)但し御信心によるべし。つるぎなんども、すすまざる人のためには用事なし。法華経の剣は信心のけなげ(勇)なる人こそ用事なれ。鬼にかなぼうなるべし。日蓮がたましひをすみ(墨)にそめながしてかきて候ぞ。

この遺文も創価員時代の私は好きでしたけど、なんの根拠もない思いやりか日蓮さんの妄想だと考えています。
「但し御信心によるべし」は勧請/祈祷を教えない教団トップには信者を騙し信仰心や教団活動を煽るもってこいの言葉だと思います。

●僧侶の祈祷、祈雨、雨やみ、五穀豊穣、戦勝祈願など

 坊さんのする祈祷を調べると、例えば個人の病気治療や悩み相談だけでなく、国家においては祈雨、雨やみ、五穀豊穣、戦勝祈願などがあります。

100回勧請/祈祷して100回勧請と祈祷の成就できる日蓮さんだったと私は考えていません。

祈雨、雨やみ、五穀豊穣、戦勝祈願など人の不幸や悩み事が何かあるたびに日蓮さん自身が勧請/祈祷すれば、評価はうなぎのぼりだったのは間違いありません。
就職活動のために書いたと説がある立正安国論を書く必要もなければ、あの文章内容にならず「私、日蓮は仏を見ました。勧請/祈祷できます。勧請/祈祷をやって見せます。」
幸せの結果が得られれば天皇陛下が採用し誰もが信じたでしょう。

祈雨、雨やみ、五穀豊穣、戦勝祈願などは力ある祈祷師の仕事です。
在家信者の仕事ではありませんし、こうした困りごとや悩みごとを祈っても構わないと思います。しかし、在家信者が修行や知識もなしに"俺は勧請/祈祷できる"と考えたらダメだと思います。

曼荼羅になんとなく諸天善神の文字を記載して「はいこれが勧請/祈祷ですよ」てのが私は異常なんだと思います。弟子僧侶や信者への思いやりのお守りやお札程度と捉えるなら問題ないと思います。

●勧請/祈祷僧を教えず、創価学会が教えてきたこと

本尊に魔が入っている
大石寺は魔の山だ
創価学会を否定した天魔日顕
本尊の優劣
信者に対する呆れた誹謗中傷。信心が足りない、お題目が足りないなど。

創価学会だけでなく日蓮正宗でも次のような感じの指導があります。

御本尊様に御題目を真剣に唱えれば祈りが必ず叶います。
しかし御本尊様への絶対的な確信がなければ祈りは叶いません。
少しでも気持ちに不信や疑い怠慢があると絶対に叶いません。

絶対とか言ってる時点でダメだと思います。

「強情な信仰で功徳を頂きなさい、あなたは信心や題目が足りません」と在家信者に言うケースはあっても、創価学会本部職員や正宗の坊さんが「お金を受け取っている僧侶や職員が功徳を積みなさい」と言われたら都合が悪いことは再三再四、過去記事で指摘してきました。

なぜ功徳を積まないのか坊さんにアンケートとります!とか論文書きます!とかあるはずありません。坊さんの収入が減るだけですからね。
勧請/祈祷の能力も同じです。日蓮の馬鹿さ加減や低脳がバレる論文や意見交換や議論があるはずがありません。

坊さんは勧請/祈祷の説明はしたくないでしょう。
「但し御信心によるべし。」とだけ言って在家信者にお布施させる方が楽です。

信者の悩み事や相談事、願い事は日蓮さんか坊さんが勧請/祈祷を行い、その結果を信者が受け取るのが望ましいと考えます。
原始仏教でもお釈迦さんの功徳は絶大だから、その功徳の一部を回向したり信者が受け取りなさい、とした思想は一応ですがあります。
在家信者が祈って願いを叶えた、それはそれでいいことだとは思いますが、偶然か勧請/祈祷かは誰にもわかりません。

●注釈

(注1)
日蓮正宗のかたに質問いたします。今でも御秘符はあるのですか?むかしか... - Yahoo!知恵袋

池田大作の御秘符の教えは長年の間にわたり間違っていたそうです。
いつ間違え初めていつ訂正されたのか私は知りません。
第二次宗門問題以後も、食紅で誰かが本尊を書きそれを水に溶かして創価員に与えた、という噂はありました。事実かわかりませんが食品衛生法違反や坊さんでない宗教的問題があると考えます。

長くなりすぎたので後で色々加筆訂正するかもしれません。

次回の内容は未定。

2023/11/23 23:54:38
から
2023/11/24 00:04:08
に変更
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556.仏教各派と祈祷師の勧請/祈祷から日蓮遺文を考察する

2023年11月23日 00時36分10秒 | 他宗の勧請/祈祷
556.仏教各派と祈祷師の勧請/祈祷から日蓮遺文を考察する

●「勧請祈祷の成立には能力者または勧請僧/祈祷僧の存在が重要」

 ここまで書けば気がついている読者が数人はいると思います。

☆大きな問題点「勧請祈祷の成立には能力者または勧請/祈祷僧の存在が重要」と私は考えています。

この三十年以上の間、kさんを除いて日蓮門下僧や在家信者で誰もこれを指摘した創価員、法華講員との出会いはありませんでした。

 私は仏教各派が出した全ての創価学会批判や日蓮正宗批判の書籍を読んでいルわけではありませんし正宗以外の日蓮宗、真言、天台など各宗派のお坊さん全員にアンケートや意見交換した訳ではありません。しかし上記の結論しかないと考えています。

●日蓮は本当に勧請/祈祷の超能力を持っていたのか?

 日蓮は密教系統の勧請/祈祷の儀礼を行なった後か、行ないながら本尊を書いたのでしょうか?
私はなんとなく弱いインスピレーション(感応力)があって、不明瞭な儀式のまま書いた可能性があると考えています。

一番最初の曼荼羅本尊である佐渡始顕と日蓮晩年の日蓮宗宗定臨滅度時曼荼羅本尊が同じ勧請/祈祷の儀礼だったのか、諸天善神である各々の神仏を勧請しつつ書いたのでしょうか?

本尊を書く以前に、諸天善神である各々の神仏を1尊1尊(仏様菩薩様の数え方)、1柱1柱(神道の天照大神など神様の数え方)を勧請し幸せを振りまく結果があったのでしょうか?
「幸せを振りまく結果」があれば勧請/祈祷出来たとみていいのでしょう。
そんな日蓮さんの事実があれば直弟子や孫弟子の記録がないと変です。
記録があれば本尊の数や諸天善神の数からして空海さんを超える大偉業です。
すぐに天皇の御付きの護持僧になれたと思います。でもこうした結果も記録もありません。

神仏を呼べた勧請/祈祷の元祖は日蓮であり、神仏を呼べるのは日蓮以前にない、などと言う人はおかしいでしょう。
不動愛染感見記の記録しかありませんから勧請は不動愛染しかないと思います。

●大事なポイントは?

 勧請/祈祷の能力があれば「神仏がする幸せへのお計らい、導き(ナイショ)」がある
祈祷の結果は「神仏がする幸せへのお計らい、導き(ナイショ)」なので幸せを振りまくのは当然です。

幸せを振りまく結果があれば、不毛な議論や破門や絶縁はする必要が全くありません。五老僧の退転だの、五一の相対だの、お前の教理教学が違うだの、そんな結論にはならないと考えています。これらは私には馬鹿馬鹿しいです。

これは私の体験からくる考えです。
勧請/祈祷の能力があれば「神仏がする幸せへのお計らい、導き」がある。
神仏のおっしゃる幸せへの導きなどには逆らえない、信者にとって逆らう道理がない、と言う方が近いでしょうか?

●重視すべきは坊さんの役職ではなく言葉や態度、勧請/祈祷の能力でしょう。

 祈祷できないどころか重視すらしない又は教えない坊さんに「逆らうな!」とか正宗系信者に言われてもアホとしか思えません。
後述予定ですが、第一次、第二次宗門問題で創価学会は「神仏と勧請/祈祷、能力者、本尊」で正宗の一部を味方につけることも批判することも出来なかったから、全て失敗したともいえるでしょう。
戦中戦後に護持僧祈祷僧がいたのですから、伝統講でもない何も知らない在家信者集団の末端信者とか教団執行部とかの方針やあり方などの批判や提言を、正宗トップが聞くわけないでしょう。
どっちもどっち両者どちらの思い上がりも甚だしいと思います。

日蓮正宗が神仏の存在を教えることができず、勧請/祈祷も教えず、勧請/祈祷の能力者も教えないのも言うまでもなく大失敗です。
ここまで読めば、日蓮から阿部日顕まで私がクソ坊主呼ばわりすることが、なんとなくわかりますかね?

ネットで在家信者がちょっと教理教学を勉強したくらいで「俺の言うことは正しい!俺に逆らうな」とか発狂している人々を見ると、どうしようもないアホかと思います。

●祈祷の形式や道具は?

 例えば、日蓮さんは道具を持っていたのでしょうか?
金剛杵・独鈷杵・三鈷杵・五鈷杵が人間の勧請/祈祷能力の強さを決めるものでないと思いますが、ないと天皇、公家、政治家に「この人(日蓮さん)は本当に勧請/祈祷できる人なのかな?」と思われるのでは?

金剛杵・独鈷杵・三鈷杵・五鈷杵

日蓮宗の祈祷の動画や画像、書籍を見るとお坊さんは手に密教の道具を持っています。鎌倉時代からそうだったのか私は知りません。

創価学会の一部の人なのか全員なのかわかりませんが、密教を邪宗とか不動愛染感見記を偽書とか言っていますが私はありえないと思います。むしろ密教を肯定すべきで日蓮さんの修行と勉学が足りなかった結果から今の誤解があるのでしょう。

他宗祈祷師はTPOに応じ中心となる信仰対象の勧請も他も勧請できる人です。手に持つ道具や服装は儀式の種類やTPOに応じ変わります。

2023/12/04 追記修正
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555.創価学会の池田大作名誉会長が死去 95歳

2023年11月18日 18時30分56秒 | 創価学会
創価学会の池田大作名誉会長が死去 95歳 - 産経ニュース

Xユーザーの社会と人間が大好きさん: 「池田大作、報道によると今月15日に死亡しているはずだが 聖教新聞くんは本日付で「きょう11月18日、広宣流布大誓堂の完成10周年をことほぐ「創価学会創立記念日」を迎えた。池田大作先生は共戦の師弟旅を歩む全国・全世界の同志に3首の和歌を詠み贈った」と報道してしまう これは15日死亡も怪しいな」 / X

弔い合戦と称して、激しい選挙活動が始まるのでしょうか?

YouTubeの聖教新聞アカウント
【池田大作先生が逝去】原田会長・池田主任副会長が談話 - YouTube

XユーザーのJP三世さん: 「大作死亡で、家族から原田と博正の動画送られてきたので、 初めて家族に 「創価学会やめた」ことを言いました!!!」 / X

●「創価学会員に悲しい思いをさせない」という価値軸をぶれずに持って折々の判断をした人だったか?

Xユーザーの正木伸城さん: 「幼い頃から僕は250回以上池田大作氏と会ってきたけど悪い印象を抱いた事はない。むしろ同氏は「面白いおじさん(お爺ちゃん)」で目の前の人を楽しませる事に余念がなかったし、「創価学会員に悲しい思いをさせない」という価値軸をブラさず持って折々の判断をしている人だった。ある食事会で池田氏→」 / X

●公明動揺、自民注視 「支柱」喪失、集票力に影響も 池田氏死去

公明動揺、自民注視 「支柱」喪失、集票力に影響も 池田氏死去(時事通信) - Yahoo!ニュース

●池田大作の死亡日11月15日は日蓮正宗の日目の死亡日と同じ

日蓮正宗公式ホームページ|主な行事
日蓮正宗では第三祖の日目入滅日に合わせて、目師会が行われる。
第三祖日目上人御報恩法要というらしい。

●第二次宗門問題以降の創価学会には池田大作しかなかった

「池田先生のお役に立つ人材になりなさい」

これは創価学会の書籍でも創価員の口からもあまり変わりがない。

「第三代会長を守れ! 絶対に一生涯守れ! そうすれば、必ず広宣流布できる」

この言葉もネットの引用や書籍によって細かな違いがあり、どれが本当の遺言かはわからない。

第二次宗門問題以前なら日蓮正宗の教義、本尊や大御本尊、僧侶、寺院、正宗の歴史があった。
第二次宗門問題以降の創価学会には池田大作しかなかった。
今後は広宣流布の半ばで死んだ池田を日目の生まれ変わりだったとするのだろうか?

自己主張の激しい創価員なのに私は池田大作から折伏を受けてご授戒行きましたとか、私の父母が池田大作に折伏を受けて入信しましたとか全く出会うことがなかったし噂もなかった。

《創価学会・池田大作名誉会長》訃報が伝えられるまでの「空白の3日間」 長年ささやかれてきた“死亡説”の真相は(NEWSポストセブン) - Yahoo!ニュース
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554.勧請師/祈祷師の言葉

2023年11月11日 00時32分42秒 | 他宗の勧請/祈祷
554.勧請師/祈祷師の言葉

●今現在の私の結論は今後も変わらないと思います。

 勧請/祈祷シリーズの他宗祈祷師Cさんに出会ってから知ったこと、気がついたこと、学んだことは様々にあります。それらの体験は出会いからすぐだった場合もあれば数ヶ月、半年、一年くらい一年以上経ってからなど様々な時期で異なっています。
他宗祈祷師の言葉や祈祷の結果と、準じる能力の方々からも影響を受け、今現在の私の結論があります。この数年間、思考や読書をして今後も変わらないと思うので書いてます。

●勧請/祈祷の説明をすると、

 日蓮遺文から読み取れる日蓮自身の祈り方や他人である信者の祈らせ方は、勧請/祈祷の観点から私が考察すると、勧請師/祈祷師の言葉ではないと考えています。

ブログ記事なので前提条件というか、教団や信仰として当たり前なので念のため書いておきます。
他宗祈祷師Cさんの教団においても信仰対象に頭を下げて手を合わせ唱え言をします。
唱え言は短いものもあれば長いものもあります。
他宗祈祷師Cさんがいない場合はそれを真似、他宗祈祷師Cさんと一緒に唱えることがあるわけです。

ですが能力のない私や他の信者さんが勧請/祈祷はできません。
神仏の存在を知りできるだけ祈祷師(Cさん)に教えられたとおりにしたい、ただそれだけです。自分一人で手を合わせる場合は信仰対象にお伝え出来たらいいと思う、ただそれだけです。
私に勧請出来ている意識や確信はありません。
過去記事に触れましたが他宗祈祷師Cさんが勧請されている状況を教えて頂くことは度々ありました。

創価など正宗系は「日蓮大聖人の御確信」とか「先生の大確信」とか確信という言葉が好きでよく見かけます。それらは勧請/祈祷の確信ではなく教理教学を指している場合が多いです。

●他宗祈祷師Cさんの教団の唱え言まとめ

他宗祈祷師Cさんの教団においては次の通りです。

信者も信仰対象に頭を下げ手を合わせ、他宗祈祷師Cさんと同じ唱え言をする儀式、作法があります。唱え言は短いものもあれば長いものもあります。
信者も信仰対象に頭を下げ手を合わせ、他宗祈祷師Cさんだけが唱え言をする儀式、作法があります。唱え言は短いものもあれば長いものもあります。

●勧請師/祈祷師は私に勧請祈祷の強制をしない

能力のない私や信者さんに他宗祈祷師Cさんは次のようなことは言いません。
「私(Cさん)と同じ能力を持った上で勧請/祈祷をしなさい」
「強情に祈りなさい」
「必ず祈りは叶う」
「何時間も唱え言をしなさい」などなど。

呵責謗法滅罪鈔(昭和定本)
「何なる世の乱れにも、各各をば法華経・十羅刹助給へと、濕木より火を出し、乾土より水を儲けんが如く強盛に申也。」

神仏に祈って信者が祈願成就をするのが普通の宗教と読者も思うでしょうし、過去の私も思っていました。おそらくは日蓮も。
はっきりと書きませんが神仏との繋がりを持てるのは能力のある有資格者だけです。どんな繋がりかは想像してください。

「私(Cさん)と同じ能力を持たずとも勧請/祈祷の真似事をしなさい」とは言われていません。
この私の文章説明は読者に誤解を招くかもしれません。
私、米山がする祈りと祈りの形式はあくまで勧請/祈祷の能力ない信者の祈りです。
信仰対象に同じ唱え言をしても厳密に他宗祈祷師と同じ勧請/祈祷ではありません。

(1)米山士郎(You側)はCさん(I側)に対して祈願成就のため信仰対象の勧請/祈祷のお願いする。米山はYou側。
(2)米山の依頼を受け、能力のあるCさんが勧請/祈祷する。CさんはI側。

●私が体験した勧請/祈祷について、日蓮は未体験か無理解だったのでは?

本記事のテーマは口で唱える唱題行を問題視しており心の中で唱える題目はテーマから外しています。

日蓮の法華曼荼羅が目の前にあってもなくても「題目を唱えれば諸天善神の加護がある」との教えは日蓮の希望的推測か祈祷の学問不足に基づくと私は考えます。

日蓮(I側)は遺文の相手が僧侶でも在家でも(You側)強情に祈れと書き残しています。ですから変だと私は考えています。
能力でなく思いやりなら問題ないでしょう。

聖人御難事(昭和定本)
「ただ一えん(円)にをもい切れ、よ(善)からんは不思議、わる(悪)からんは一定とをもへ。」

この遺文も日蓮が見仏や祈祷をよく把握してないから、出てきた文章だと私は考えます。
また、この遺文には読者側がすべき信仰あり方と心構えなど精神面の立て分けがないと考えています。法華経や題目を唱えれば仏天や諸天善神の加護があるのが前提ですから、私には立て分けがないように見えます。後述予定です。

日蓮が祈祷師だったならば「在家信者の貴方(You側)が、この私(I側)日蓮に悩み事を言いなさい。勧請/祈祷僧である日蓮が勧請/祈祷し願います!」こうでなくてはいけないのでは?

●創価学会の指導は?

創価学会の指導は
「在家信者の貴方(You側)がお題目が足りない。」
「在家信者の貴方(You側)が強情に祈れ!です。」

呵責謗法滅罪鈔の遺文で検索すると創価学会のネットページが出てきます。
創価ユースメディアと英語で書かれています。タイトルには、なんと「心の限界を超えて」とあります。諦めるなって言いたいのでしょう。

勧請/祈祷の能力を持たない人にこんな煽る文章で、1日1時間とか30分とか10時間唱題とか指導したら、心がぶっ壊れて精神病になると私は推測します。
日蓮遺文の題目は一回か二回であることは過去に書きました。

●問題点をいくつか。

☆大きな問題点「日蓮遺文には見仏した証拠が殆どない」

日蓮遺文か日蓮関係遺文と言われる不動愛染感見記しか感見した遺文はありません。
下山御消息は祈雨出来た祈祷の結果のみ。

日蓮さんは食料をもらって大喜びした遺文の記録が数多くあります。見仏していれば大喜びし、更に天皇や政治家に国家諫暁や自己主張をしたでしょう。

☆大きな問題点「日蓮遺文には日蓮門下僧侶や在家信者で見仏した証拠が全くない?」

富木常忍がもしかすると祈祷していたかもしれないと私は思います。本物の能力持ちではなく、マネごとだったかもしれませんが。中山法華経寺の早期からの祈祷の成立も、真似事か本物かは怪しいですが儀式はしたのでしょう。
日蓮死後の門下で祈祷儀式が成立した記録が今後出てきても私は驚きません。問題は能力の有無です。
日蓮系僧侶が「今私は勧請できました。今目の前に仏菩薩がいます。」そんな記録あるのでしょうか?

在家信者で見仏したケースは殆どないでしょう。

●あのお寺行けば安産祈願(など)ができる、そうした伝承まで私は否定しません。

全ての宗派において、正宗でも日蓮宗でも日蓮系のお寺があり、あのお寺行けば安産祈願(など)ができる、そうした伝承まで私は否定しません。怪しい話かどうかは個々に調べないとわからないと思います。

続く

2023年12月3日 追記修正
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553.私は正宗から祈祷師や祈祷、神仏の存在を教えられてない

2023年11月06日 06時53分02秒 | 他宗の勧請/祈祷
●創価など正宗系の僧俗がする私に対する誤解

私のことをスパイだとか正宗祈祷師を否定して退転、叛逆者とか謗法だとか発言しているらしいですね。

ひどい話でバカかと思います。
今の私は、正宗祈祷師の祈祷結果や能力だけを肯定しています。日蓮にも弱い能力があったと考えていますが、かなり弱〜い弱〜い力だったと思います。後述予定。

正宗祈祷師の情報提供者は日蓮正宗信者のkさんです。
数ヶ月前、彼に「なんでも話す。なんでも聞いて」と飲み会で言われましたが私は即座に断りました。
理由はいくつかあるのですが、そのうちの一つは、私が知ってしまうとブログに描きたくなったり他の人に話したくなったりするからです。

正宗祈祷師を知らず離れた人は、福運がないのか境涯が低いのか紹介がなかったのか、知らないまま死んでいくのでしょう。日蓮正宗の法主や僧侶が教えないのだから、私もそのまま死ねば良いのでは?としか。
日蓮さん自身が祈祷の分野で無能か低脳だったと私は考えます。だからこそ正宗系の人は、真言密教は邪宗だ!だの秘すべし秘すべしだのうっとりしているのでしょう。

私が若い時に正宗僧侶から祈祷師や祈祷、神仏の存在を教えられてないのに退転とか謗法とか、どういう発言ですか?おかしいでしょう。

●私は情報提供者kさんに、他宗祈祷師に関わる体験を三時間ぐらい話しています。

ただし私の経験や神秘体験や他宗祈祷師の言葉など色々ありますが、全てを話してはいません。

●正宗祈祷師の情報提供者kさんを羨ましいか?

正宗祈祷師や情報提供者kさんを羨ましいとか今からでも再入信したいとか数年前から今まで私は全く思ってません。

●情報提供者のkさんの性格は羨ましい

正宗祈祷師の情報提供者とは本当は正宗祈祷師や宗教抜きでもっと仲良くしたいです。タイムマシンに乗って小学生からやり直して遊び友達になるのが一番いいかな。(笑)

その人はすごく柔軟で明るい性格なのが理由なのか、知り合いのお医者さんから「数百万人に一人の割合で不健全や病気にならない」と言われたとか。その場に私がいて話を聞いてないので話の流れやニュアンスがわかりませんが、どうやらダブルミーニング(2つ以上の解釈や意味づけ)らしく彼に対する半分冗談、半分批判なのかもしれません。
でも精神医学や心理学の読書をしてきた私にとっては重要です。この30年近くそうした人に出会ったことはなく私にとって貴重な出会いなのかもしれません。こうした言葉を言われる人格性が創価など正宗系の僧俗に足りなさすぎると思います。

正宗祈祷師が情報提供者の人格を見て人を見る目があったかもしれないと考えています。

●正宗や日蓮宗や他宗の能力者(祈祷師)の人数

正宗の他の祈祷師や他宗の祈祷師も私に紹介されて能力を教えられれば、今後もケースバイケースで能力の内容や力の強さに応じて肯定し受け入れる可能性があると思います。

Cさんが所属する教団で祈祷師が数名存在する話を聞いています。今のところ行く気はありません。祈祷師同士の繋がりは当然あります。

正宗系では正宗祈祷師の噂しか知りません。
故人を含めても正宗祈祷師は近代と現代だけで三人ぐらいかもしれません。自称だけの祈祷師や有能な祈祷師がいたのではと考えています。

日蓮宗の祈祷師は数名だけ噂話を聞いています。

他宗祈祷師の他に「準じる能力を持つ方々」は約10名に増えました。これからも増えるかもしれません。
今まで「準じる能力を持つ方々」を定義して明記していませんでしたが、神仏の力を信じ念頭にいれ(色々できるCさんと異なり)限定能力や狭い範囲の力をおそらくは好きな時に使える人と私は勝手に定義しています。この説明で重要な点は書いていません。
「準じる能力を持つ方々」の再定義を無理やり宗教研究者でないアマチュアの私がすると「見返りを求めず無料で向こうから接してきてくれてアドバイスや友情、愛情を私に与えてくれた人々」です。

他宗祈祷師や勧請/祈祷がわからなくてもいいので、日蓮の言っていることは色々おかしい、穴だらけなのでは?と疑問を持ち、過去現在の「邪宗」の僧俗のいうことの方が整合性があるな、気づいて欲しいと思います。

「準じる能力を持つ方々」よりも不確定な運命や幸運などから出会いや巡り合わせが良い人たちが数名ですがいます。信仰はあっても意識しないまま、偶然か幸福に巡り会う人々です。「準じる能力を持つ方々」とは違い、さらに限定された巡り合わせのようなもの、と仮定できるかもしれません。私はある意味恐ろしいなと思います。一方的なお導きかもしれません。これも数年前に気がつきました。日時を記録してませんがCさんの出会い以後だったと記憶します。今はまだ未定義のままにしておきたいと思います。

●創価など正宗系の人たち

私はブログの過去記事で、創価など正宗系の人は学校の勉強の延長と仏道修行を勘違いしている、と何度か書いてきました。
記憶力や学歴はないよりあったほうがいいに決まってますが、彼らの勘違いが酷すぎてどうしようもないのかもしれません。

勧請や祈祷に無知無能なまま、記憶力や学力だけでリアルでもネットでも喧嘩する様は呆れます。こうした「争い事」を歴代法主自ら放置してきたのが日蓮正宗です。創価と正宗で裁判までしているわけです。
日蓮の勧請/祈祷の説明不足と理解不足と日々祈祷を成功させなかった過去が元凶と私は考えています。

私が記事で書いている「本物」の勧請/祈祷には説得力があります。
ブログ記事を読んでいるだけでは創価など正宗系の人は誰も理解できないことも承知しています。

勧請/祈祷を勉強だけでなんとか理解しようとすると間違いなくあさっての方向に行くでしょう。日蓮自身が勧請/祈祷を日々成功しておらず、失敗しています。

●やっぱり私は「後でどうなっても知りませんよ」ぐらいの弱い主張だけ

創価員や正宗系法華講員で、空理空論が好きな人、バトルした人、他宗の勧請/祈祷を肯定できない人や日蓮さんの勧請/祈祷を問題視できな人は脱会、脱法華講したほうがいいと思いますよ。誰もまともな折伏なんて出来ず無知な人を騙せるだけです。センスや調査能力がない。

ネットの創価員や正宗系法華講員でうつ病や統合失調症など精神病になっているか記憶障害になっている人が大勢いるじゃないですか。

私の勧請/祈祷記事は教理教学でなく体験でしかないので、やっぱり私は「後でどうなっても知りませんよ」ぐらいの弱い主張しかしませんが、その方針に私はなんの問題も感じていません。

2023年12月3日 追記修正
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