創価学会の信仰に功徳はあるか?

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213.富士門夏季合宿 覚え書き その1

2007年09月26日 18時44分40秒 | 創価学会
 9月1日犀角独歩さんの主催する富士門夏季合宿に参加させて頂きました。犀の角のように独り歩め:第2回夏季合宿報告(1)

本当は前日から参加したかったのだけれども二日目からの参加になってしまいました。私自身が吸収できていなかったり異論や疑問もありましたがメモとして残しておきます。

1.資料館を拝観
 お寺にある様々な本尊や資料を見る事が出来たのは貴重な体験でした。思いがけない幸運でした。

以下、メモ。

2.「立正安国論を現代に読む」 楠山泰道氏

□日蓮の法華経観は現実主義。
□日蓮の思想や行動は危険人物ではない。K会や創価学会のように問題言動や危険な言動で一般の人々に日蓮が危険と思われる事自体が謗法。排他性や本仏論などの神格化などがこれにあたる。

□末法自体仏説ではなく後世の考え方だが現在を末法として捉えても折伏より摂受(しょうじゅ)が優先。
□日蓮の四箇格言(しかのかくげん)がある。(四箇格言自体、後世の単語。)
 念仏無限地獄といった理由の一つに
まず最初に”法然が阿弥陀経以外は捨てなさい”、経文を捨てなさいと”先に”言ったのは日蓮ではなく法然。法然の思想がこの世の中の現実から目を背けて現実否定論だったので、無限地獄と批判した。
□”法然が阿弥陀経以外は捨てなさい”など、鎌倉時代は”これだけ””これだけあれば良い”という風潮があったらしい。日蓮は排他主義を否定している。
□鎌倉時代の世の中が非常に悪い状況であり、世の中を良くしようとしての日蓮の他宗への批判があった。

□日蓮遺文を読む際に誰に対しての遺文なのかを良く見極める事。(切り文などでいわゆる教団都合、創価都合の解釈で悪用されていないのか?)

2.「公明党vs.創価学会」 島田裕巳氏

□創価学会は先祖供養や戒名などに興味がない。
□戦後の新興宗教、新宗教といっても過去の宗教の延長線上にありその教えを含んでいる。全くの新しい宗教ではない。創価学会は日蓮正宗から生まれた。

□日蓮の実像 ←→ 遺文からの想像や解釈や捉え方 に各人の差があり議論や異論が生まれる。

□守護国家論 → 立正安国論 の順に出来ており、守護国家論は安国論のベースか?
守護国家論が出発点であり重要ではないのか?
守護国家論、立正安国論は体系的であり論理的構成。
他宗との差異が大きくアジテーションをするつもりが無かったが結果的にそうなってしまったのでは?

□五時教判(ごじきょうはん)など現代から見ると天台教学には間違いがあったが、日蓮自身は自分自身は間違っていないと考えていた。
日蓮自身、「自分はこんなにも正しいのに伝わらないのか?」(A)と考え、日蓮も宗派も「法難だ、迫害だ」という意識をもってしまうかも?

□一念三千という捉え方、物の見方。法華経にはこの単語はなく、天台の釈。
浄土宗は法華経を否定。曹洞宗は法華経も涅槃経も読む。
しかし先の一念三千は日蓮系(天台)にしか通用しない。他宗は一念三千を知らない(重視しない?)ので(A)の様に理解されなかった。理解されないと余計、日蓮は一念三千に傾倒する結果になったのでは?
□日蓮宗というよりは法華宗というべきでは?

□霊友会は法華経を離れているが立正交成会は原始仏教系に原点回帰。
日蓮正宗は独特な教義、宗派でありさらに牧口氏と正宗との出会いがあり、正宗、日寛教学、創価教学(牧口、戸田、池田)4重、5重の独特な教えになり、日蓮と同様、それが周りに理解されていない。
□教学などを創価も正宗も訂正できない。

□自民と民主の大連立を創価公明はおそれている?

□池田氏の日中国交正常化が潮で賞賛されており、当然、潮には創価から依頼。(創価の自画自賛らしい。他に一般人で賞賛した人はいたのか?)

□創価学会幹部によると「過去や歴史を振り返らない」

3.勉強会 講演メモ

□カルト団体に残っている人、残らない人、でそれぞれに性格などの共通性はない。
但し、某Y会をやめた人の共通項として、女性が疑問を持ちその女性とつき合っている男性や家族、あるいはY会の外につき合っている女性がいるとやめていく男性が多いらしい。

つまりは女性主導が多い、ということ。

□Y会にも「ある物」が日本の全生産量の1%以上になったら何かが起こるのでは?、というユートピア思想があった。

□Y会をやめてその悪口を言えるグループがありその期間が一、二年間あった。が、頭の中はY会の思想、思考があった。

Y会をやめてそのグループにいて悪口や議論(愚痴も?)できた人はカルト思想から脱却できているらしい。
逆にY会をたとえやめたとしてもその悪口や議論出来なかった人、その様な環境がなかった人は何年経ってもカルト思想から脱却出来ていない。人によっては自殺に至るらしい。

□Y会においてもマスコミに問題視されたり事件などを起こして世間で問題視され、組織が揺れるとやめる人が多いらしい。
教義でやめるやめないが決まるのではなく個人的な理由でやめるかが決まる。

また、参加者の皆さんにJSCPRなどを良く活用するように、とのこと。(そううそにとってこの一言は私自身とても嬉しく共感しました。)

楠山氏曰く

創価学会やK会は怨念と復讐心を持っている。
一定の敵がいない(と行動やエネルギーの継続が出来ないので)と次々と敵を見つける。敵が必要な宗教。

H氏曰く

□創価学会やK会に入ると謝罪する事から解放される
□反省しない教団がのびる

?氏曰く(眼鏡かけた青シャツの人?)
□世の中を変える事が出来るのは我々だけという選民思想があり充足感を持つ。

メモは以上。

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そううその感想としては島田氏のお話がとても共感できました。
カルト問題の何処に問題があるのかよくご存じであり、また苦しみも理解して頂いているように感じました。

島田氏にお会いできて少しだけでも話せて良かったと思います。

また、この様な機会を作って下さった、楠山氏、犀角独歩さん、大明寺の皆さん、様々に教えて下さった皆様、とても感謝しています。
有り難うございました。

2007-09-26 18:44:40 アップロード
2007-09-12 00:12:27
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212.日蓮ーその行動と思想ー

2007年09月26日 17時52分21秒 | 創価学会
日蓮ーその行動と思想ー
日本人の行動と思想 4
高木豊 著 評論社 (昭和55年11月20日)

 この本を読んでみて日蓮本仏論などは明らかにおかしく、人間日蓮の印象がより強くなりました。

P.192 漂白の思い より。

●孤独で弱気な日蓮

 富木入道殿御書(千葉県鏡忍寺所蔵)
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(左上より)
此御房たちもみなかえして但一人候べし このよしを御房たちにもかたらせ給え。

(右下より)
けかち申ばかりなし。米一合もうらず。がししぬべし

十二日さかわ、十三日たけのした、十四日くるまがえし、十五日をゝみや、十六日なんぶ、十七日このところ、
いまださだまらずといえども、たいしはこの山中心中に叶て候へば、しばらくは候はずらむ。
結句は一人になて日本国に流浪すべきみにて候。又たちとゞまるみならば、けざんに入候べし。
恐々謹言。

十七日
日蓮(花押)
ときどの
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(日蓮の真筆と思われる遺文の写真がP195にあります。)

日蓮は佐渡から帰っておよそ一ヶ月後の5月17日に身延を着いたようですが、富木常忍に上記のような手紙を送っているようですね。

身延はしばらくの滞在地であって一人で日本国を流浪する身である。。。。という漂白の思い。。。。。
「又たちとゞまるみならば」とかいてありますが、たちとどまる場所が身延か鎌倉かはっきりしない様。。。。
「但一人候べし」「結句は一人になて日本国に流浪すべき」という孤独感。。。。。。
鎌倉から一緒に来た弟子達にも、此の書状を書いている時にすら漂白の思いを打ち明ける事が出来ないので
帰るのか帰そうとしていたのか不明ですが弟子達に、そのことを富木常忍から伝えなさい。。。

という主旨の手紙のようですね。

学会の御書指導では聞いた事のない話しですね。
いつもいつも絶対!正義!御本仏!、、、戦え!!!戦いだ!!!という強気なノリですからね。
学会指導は強気か狂気しかありませんが、日蓮は実に人間らしいですね。

日蓮の信徒への優しさ、慈悲などの思いやり。。。他宗などへの厳しさ、攻撃性、厳格性という一定の評価が学会以外にもありますが、学会に教えられないこうした一面があるんですね。

人間誰しも一つの事でも相手によって言い訳したり、素直な気持ちを言う事はあると思います。
日蓮も身延隠居理由を故事に習ったと強がりを言う場合もあり、上記のように愚痴を言う場合もあったのでしょう。

●愚痴や弱音

 学会から聞いた話は御本仏としての威厳というか、絶対性というか、何でもかんでも意味があったかのような言い方ですが違うようです。愚痴は福運を消すという学会指導がありますが、


あくまでも現代世間一般の当たり前の事として「愚痴ばかりを言っても仕方ないよ。」


程度にとらえたほうが良いのかもしれません。


もちろん現代世間一般の当たり前の事として「愚痴や弱音を言いたい時は言っても良い。」


そう思います。私が過去記事でチョンガーさんの貴重なコメントを引用した事があります。
愚痴の言えない家族関係や人間関係よりも愚痴の言える対等な関係を大事にしたいですね。
愚痴を聞いてあげられる自分でありたいし、愚痴を聞いてもらえる自分でありたいですね。

愚痴を言う事で罰や福運消滅か、あるいは言ってはいけないかのような学会指導、創価思考、創価アレルギーというか愚痴アレルギー?を私の意見としてもここできちんと否定しておきます。

●孤独な日蓮

 この書籍には日蓮が比叡山に登った頃から実は日蓮自身が孤独だったのでは?という思索がされていますね。(P30~)
 日蓮は地方出身者なので文化的先進地域である比叡山や京都圏に入っていく時に言葉が障害になったのではないか?という想像です。その証拠として遺文に

「ことばつき、音なんどもきょうなめりになりたらん、、、言をば但(たが)いなかことばにしてあるべし」(法問可被申様之事)

 東方方言について日蓮の自負があったのではないか?比叡山や京都圏で日蓮が言葉に悩んだのではないか?、、、という想像です。
この著書によれば比叡山には地方出身者に対して活躍を妨げる風潮が日蓮の時代以前から存在していた、と書かれています。(なんだか実力主義ではなく世襲制や池田マンセー主義、池田バンザイ主義なカルト度を重んじる学会本部を思い出しますね。)比叡山でも平安時代後期から血縁や出身が重視されたようです。
こうした状況や言語の問題から日蓮は自閉的に過ごしたのではないか?(P32:主旨)と書かれています。


創価学会が教えてくれない 「孤独な日蓮像」 がここにもありますね。


 学習、修行過程で大切な事は良き師、良き書にめぐりあうことだ、と高木氏は書いています。この二つが人にとって決定的な意味を持ち、二つ持つ事が理想であろう。しかし日蓮は良き師に会う事はなかったので経文や注釈書を読む事に明け暮れる生活だったのではないか?(P32~P33:主旨)、、、、ともあります。

 私も01番記事に書いたとおり、カウンセラーは出来ませんし何かの師匠でも何でもないので、真似事すら出来ないでしょうが、普通の人間として説明できる事はキチンと説明した方が良さそうですね。原始仏教などを学んだ後でそうなればいいですね。

 今は鎌倉時代ではなく現代ですから、””方言””なんか気にしないで、仏教にしてもMC論にしても、この本を読め!と言うだけでなく懇切丁寧に(???(^_^;A)ネットやTELを活用して教えたほうが良いのかもしれません。
(もちろん議論や反論などの場合は読んで貰わないと話しにならないので困るでしょうが。)

しかし、そううその場合は懇切丁寧に、と言う前に”日本語文章をなんとかしないとな”ヽ(´ー`)ノ(笑)&(汗)
原始仏教を学んだ後のずっと先の話、、、仮定の話、、、ですけどね。。。。。。。。。

以上

参考

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創価学会の信仰に功徳はあるか? 創価学会員とのやりとり その8 (nanaの抗議)
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はじめまして (チョンガー) 2006-06-23 12:14:06
創価学会と結婚してはならないのは、創価学会員に対しては、一切、弱音を吐けないからです。(無論、相談もできない)仕事の愚痴も言えない。
病気の悩みも、打ち明けられない。弱音を吐いた瞬間から、布教が始まる。
夫(妻)に対しても、子供に対しても。
家族に弱音を吐けないなど、こんな不幸なことはありません。
相手のマインドコントロールが解けないのならば、
あるいは自分も創価学会員になれないのならば、別れたほうが正解です。
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2007-09-26 17:52:21 アップロード
2007-08-24 18:19:25
コメント (1)
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