木天蓼さんのあるブログのコメントから。
-------------------------
>私も親を脱会させたくて、いろいろと話をしました。
でも、どうしても私より創価が大事なのだそうです。
幼い頃から「お前には私を幸せにする力はないが、この信仰にはある。」
とか
「お前が死んでもどうと言う事はないが、池田先生が亡くなられたら大変だ。」
とか言われていましたので、驚きはしませんでしたが・・・。
悔しさと恨みと疑問とがぐちゃぐちゃになって、まだ気持ちの整理が
ついていない部分になっています。
-------------------------
創価学会放棄宣言 非学会員・脱(元)学会員・脱会希望者のためのサイトより転載。
-------------------------
3064 創価学会を辞めたきっかけ 玉田ゴール - 2006/07/22 01:44 -
自分が創価学会を辞めたきっかけを書きます。
昨年父が他界した。66歳だった。
脳梗塞で倒れたのはその2年前、公明党の区議をしていた
父は病気を機に議員を退職し、自宅でのリハビリの日々が続いた。
日常生活は押し車を使い、ゆっくりだが室内で歩行出来た。
家の外へ出る時は車椅子を使っていた。手は不自由だったが、
一人でも入浴・トイレは出来た。
議員時代は地域を飛び回る忙しさだった父は、母と二人の
マンション暮らしは、余程居心地が悪い様子だった。
「婦人部の人を呼びたくってもパパがいたんじゃ呼べやしないわ。」
「出かけたくても何処にも出かけられない。」
「どこかに行って貰いたいわ。」
そんな事を毎日言われ続けていたのだそうだ。
「今度温泉にでも行きましょうよ。」婦人部のオバサンに誘われた
母は「この人が片付いたらね。」と言ったそうだ。父が生きているうち
は温泉には行けない。父が死んだら、彼女達二人は温泉に行くのだ。
一週間に一度は父から必ず電話が掛かって来た。姉の所へも同じ電話
が来た。「食事を作りに来て欲しい。」母は婦人部の活動が忙しく、
朝は菓子パン・昼はコンビニのおにぎりかカップラーメン・夜は仕出し
弁当か店やモノ、の日々が続いていたらしい。在職中は色々な店を食べ
歩き、自称グルメだった父にとってこの仕打ちは拷問も同然だった。
自分と姉は幼い頃から料理が上手だった。というよりも、この母の元
で生きていく為に上手になってしまったと言って良い。小学校2年生
から包丁を握り、ガスの火を使い、冷蔵庫の中にあるもので、学会活動
で留守にしていた母の代わりに、自分達で食事を作っていた。
父から電話を貰い、食事を作りに行く日々が数ヶ月続いたある日、
「ママは料理をしないからなぁ、お前達の方が数段上だよ。」父は嬉し
そうに言った。しかし、自分はこの病床の父に言った、
「もう、夕食を作りには来ない。」父はどうして?という顔をして
こちらを見た。
「自分達は小さい頃、今の貴方と同じように毎日カップラーメンを食
べていた。小さく弱い子供の頃、出された物がそうだった。何も疑問
を持たずに食べて来た。それが、家族に対して母のしてきた事だ。
貴方はそういう女性と結婚したのだ。だから、その人の毎日出す物を食
べて暮らして下さい。創価学会の活動に時間を取られて、家庭を
顧みない女性と暮らして下さい。
貴方はそういう女性と結婚し、そういう家庭を作ったのだ。」
父は無言だった。こちらを見なかった。
こんな事があった。雨の日にバルコニーで転んでしまった父が「起こし
てくれ!」と大声で叫んだ。その声がうるさいと言って、母はバルコニ
ーのサッシを閉じた。雨のバルコニーで半身不随状態の自らの夫を残して。
その後父は姉に電話を掛けた。「助けて欲しい。」涙ながらに父は姉に
そう言った。
しばらくして、父が亡くなった時に、お線香を上げに来た婦人部長の
オバサンが母にこう言った「偉かったわ、貴方は議員の奥様の鏡よ。」
母はこの言葉が余程気持ち良かったのだろう、やって来た人に
「議員の奥様の鏡だと言われました。辛かったけれど、
ちゃんと見ていてくれる人は居るのね。」
自宅の玄関には、店やモノの器、ゴミ箱にはカップラーメンの空いた器だらけだった。
父は株をやっていて、遺産としては結構な金額を残していた。振り分け
は遺言に沿って姉が担当した。株には守秘義務があり、身内と言えども
金額は公表出来ない。自宅マンションと小額の現金では不服だったのだろう。
「いくら貰ったのかママに教えなさい!」と半ばキレ気味での電話が数回
掛かって来た。自分と姉は母からの電話を着信拒否にした。
その後、自分と姉は母とは縁を切り、創価学会を脱会した。
-------------------------
>3123 玉田ゴールさんにお願い 創価学会嘘つき - 2006/07/26 19:48 -
こんばんは。はじめまして。
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki
ここの私のブログに
3063 創価学会を辞めたきっかけ 玉田ゴール - 2006/07/22 01:37
このコメントを転載したいです。
出来ればその際に、食事手抜きが毎日だったかも追記して頂くか、
教えて頂きたいです。
-------------------------
3126 転載して頂いて結構です 玉田ゴール - 2006/07/26 22:32 -
創価学会嘘つき 様
コメントを転載して頂いて結構です。宜しくお願い申し上げます。
食事は手抜きでしたね。毎日です。当時、学校の給食が大変美味
しく感じましたね(笑)買い物も自分達で行ってました。
日曜日に家で題目をあげている母から、「カップラーメンを買って
来なさい。」と頼まれた時、(当時小学生2年生位だったかな?)
「おかあさんが、題目を辞めて買いに行ったら?」と自分。
「お母さんが買いにいったら、あの家はカップラーメン何か食べさ
せてるわって言われてしまうでしょ?貴方達は子供なんだから、
大丈夫なのよ。」自分はこの言葉に傷ついて、途中の公園で駄々を
こねてしまったのですが、姉が「ここで待っていなさい。」と言って
一人で近所のスーパーまで行ってくれました。
-------------------------
(T_T)(T_T) 優しい、いいお姉ちゃんですね。。。。・゜・(ノД`)・゜・。
過去の苦い思い出を転載許可頂き、有り難う御座います。
創価学会の信仰に功徳はあるか?:子供を犠牲にする創価。何考えているんだ?学会員。
-------------------------
創価学会が生む機能不全家庭(2)
>500円玉と「お弁当を買ってね」という置き手紙。この戦法は、当時の創価学会婦人部員の主流だった。働いているならまだしも、創価学会の行事で常に親が不在というのは言語道断であるよ。「置き手紙で子供との交流を図ろう!」がスローガン。
-------------------------
(この女性のブログは日蓮正宗の人が原因の一つになって閉鎖になっている。)
もう、仏法はどうのこうのだから、間違っているなどと多くは書きません。人間革命だの、良く変われるだの、人の不幸に上に自分の幸福を築かないだの、偉そうな事いってますが、宗教のアウトプットは人ですから、明らかに創価が間違っています。子供にまともな食事を与えない体験が複数あるわけですから、創価学会の宗教と組織に問題があります。 他にもありましたらハンドル名のままで結構ですから体験をコメントして下さい。ここに追記するか記事を追加します。
-------------------------
創価学会の信仰に功徳はあるか?:創価学会はどれくらい嫌われているか? ここのコメントから。
Unknown (みき)
2006-08-24 14:21:46
創うそさんへ
(中略)
会館では、色んな光景を目の当たりにしました。彼の感覚では、会館で皆が生き生きしてる
様を見てもらいたかったようですが、私には
不自然に元気に振舞っているようにしか見えない人々でした。
私達より若い夫婦が、池田スピーチをむずがる幼子に、人目もはばからず激怒してるのもショックでした。
「池田先生のように立派になれないよ!話しさえ聞いてればいいのよ!」
その子は親の顔を見ながらスクリーンに映る池田氏と一緒に万歳三唱してました。
その子供の何とも言えない顔が忘れられません。
そうすれば、親に褒めてもらえる、母が微笑んでくれる・・・。
隣に居た彼も黙って見ていましたが、
その光景には「今のはひどいな・・・」と言っていましたが所詮、「大きな組織の小さな出来事」ぐらいなのでしょう。
彼自身も、活動や創価受験を頑張れば頑張る程
親や、親戚に喜ばれて大きくなっていますから
無理もないのでしょうか・・・。
2世、3世の問題の闇の深さを感じました。
Unknown (みき)
2006-08-25 18:18:24
創うそさん
(中略)
実際に目の当たりにした光景ですし、追記して
くださっても結構です。
まだ、5,6歳ぐらいの男児だったと思います。
私が感じた事ですが、物凄く違和感を覚えました。
-------------------------
2006.08.26 追記
みきさんの体験、一部記事追加。
2006.07.26 追記
玉田ゴールさんの体験と一部記事追加。