創価学会の信仰に功徳はあるか?

コメントする人は「01.創価学会の信仰に功徳はあるか?を書く前に」を読んでね。

311.「漫荼羅の御本尊」と「己心の妙法」は対境(対鏡)というテーマ

2010年11月25日 00時56分45秒 | 創価学会
●”「漫荼羅の御本尊」と「己心の妙法」は対境(対鏡)”というテーマ

 オフ会で”「漫荼羅の御本尊」と「己心の妙法」は対境(対鏡)”というテーマがあった。
会話だったので漢字の説明がなく私は後者の「対鏡」で捉えていた。

実際に「本尊 己心の妙法 対鏡」でgoogle検索すると約2830程見つかる。
「本尊 己心の妙法 対境」でgoogle検索すると約2840程見つかる。

以下犀角独歩さんから御指摘を頂いた。

1.「対鏡」という仏教語はない。創価学会の造語。
2.「対境」は境地冥合の派生語で、意味がある。
3.己の心を本尊とするため、本尊は不要になってしまう。*A
  己心本尊と本仏本尊が呼応して一体となるという発想は、梵我一如のバラモンの発想。

*Aの発想はネットにも多く見つかる。

●学会の思考パターン、つまりは創価学会のMCのパターン。

が、例によって例のごとく、創価学会では【明確に真筆遺文と言われていない】法華初心成仏抄を用いる。
日蓮宗電子聖典では法華初心成仏鈔(抄)は真筆扱いされていない。

「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて、我が己心の仏性 南無妙法蓮華経と呼び呼ばれて顕れたもうところを仏とは云うなり。たとえば籠の中の鳥なけば空とぶ鳥の呼ばれて集まるが如し。空とぶ鳥の集まれば籠の中の鳥も出んとするが如し。口に妙法をよび奉れば、我が身の仏性も呼ばれて必ず顕れたもう。」

の真偽未決遺文の解釈と創価学会版宇宙生命論により、結果「生命力が湧いてくる。」とする。
これでMCされていく。

他にも自分を写す鏡としての誤解を与える遺文があったはず。なんだったかな。

●対境と対鏡

更に書いておく。
対鏡は満月城岡山では0件で全くヒットしない。真筆、偽書、真偽未決どの中にもない。
対境は満月城岡山では1件のみ。
「心性を観ずるを上定と名くれば、即ち三業過無し、歴縁対境するに威儀失無し、能く此くの如く観ず、」
しかも御講聞書だ。

御講聞書をきっちり読む気はないが、文章の流れは、対境であっても対鏡であっても漫荼羅も本尊も己心も無関係では?

「漫荼羅の御本尊」と「己心の妙法」なら少しは関係があるのだろうが、対境と対鏡は無関係。
学会教学では「漫荼羅の御本尊」と「己心の妙法」の脈絡は対境か対鏡のどちらかではないのか?
それぞれに50%ということ。

こうした創価学会教学の嘘を一体、どうやって責任取るのですか?>池田大作氏、及び、取り巻き。正宗。
仮に対境が正しいとしても残り50%の責任はどうすんだ?>池田大作氏、及び、取り巻き。
人様他人様に嘘を教えておきながら、金を取ってなにが「一人ひとりを大切に」なんだか。

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ヤレヤレといった感じ。
まぁ、なんというか、こうしていくらでも私の中にMCが残ってるけど、どうでもいいや。(笑)
自分から必死になって探す気にはならない。
注意したいのは私は人に仏教学を教える気がないので問題にならないだけ。
一般世間の常識ならともかく、仏教学や宗教では可能なかぎりああしろ、こうしろと行動コントロールもしたくない。

「対鏡」についてはもし創価班の会合で教わったとすると、
メモ書きがどこかに残っていれば日時と幹部名まで判明するかも。

以上。
コメント (25)
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310.某日某所にてオフ会は有意義な内容だった。

2010年11月23日 22時04分41秒 | 創価学会
309番記事の目次掲載は未定。

 某所にてオフ会を行い非常に有意義な内容となった。
改めて、FBIさん犀角独歩さんに感謝。
また個人的に嬉しかったのが飛び入り講師として”みかんさん”も参加して頂けたことも良かった。機会があればまたお願いしたい。

ネット炎上及び脅迫の件で弁護士を探すためだったが、結果としてJSCPRに行くことになり、以後この3年ほど、私はFBIさん犀角独歩さんにお世話になってばかり。
知り合った順番は独歩さんで、次にFBIさんだったはず。

この3年ほど、オフ会で彼らの話を聞いて私もどれだけカルチャーショックを受けたことか。
オフ会で問答迷人さんやFBIさん犀角独歩さんが揃うと如何にレベルの高い話になるか?というのも見逃せないところ。

●内容

勤行一つとっても創価などの日蓮正宗系は日蓮宗系と異なる。
奉請(ぶじょう)、(三宝礼もか?) 勧請(かんじょう)*1 、開経偈(かいきょうげ)
等々が欠けている。他の日蓮宗ではすべてこうした奉請(ぶじょう)、勧請(かんじょう) が行われるらしい。
やっていないのは日蓮正宗系だけであり、大石寺が2度の火災にあって全焼していることからしても、勤行だけでなく様々に失われているのは正宗だと思われる。
(不明だが日蓮宗と異なった形式であっても似た形式で天台宗はやっているんじゃないだろうか?)

その他、一念三千、十界互具の学会教学の間違い、創価学会の歴史、公明党、その他等々。

●参加者の感想。

tu~さんからは
(話を聞いて)「カルチャーショックだった。」
「地元地域では教学が出来ると自負していたが、あまりにも学会教学が幼稚なレベルというのが分かった」(主旨)
こういった感想を頂けて嬉しく思うし本当に良かった。
早速、独歩さんとのやりとりもあったようだし、「次回質問の機会までに少しでも勉強してから質問したい。」(主旨)とのこと。私としても非常に助かる。

さて、タヌキさん。
彼は私のブログを読んでいない(*2)と言い切っていたので何を書いても大丈夫だな。(笑) 
彼はあいかわらずだった、というか冷静にはしていたが、実際はいくつも問題があるように思った。
「私(タヌキさん)と独歩さんとは教学理解の立場が違う」彼の感想だが、今後、彼の「学会教学」は通用しないのは明白だろう。
例:「御本尊」と「己心の妙法」は対境(対鏡?)、という間違った学会教学
対鏡だと更に間違っている。(ヤレヤレ。私のMCがここにもあった。)

曖昧な発言や彼自身の教学をきちんと説明できなかったり、学会教学であったりして根拠がなく通用しないからだ。
今までタヌキさんに教学を色々と教わったことがある人がいれば、驚きの光景だったろう。

少なくともこれでもう、私とタヌキさんが教学見解でバトルすることはないかな。(笑)ヽ(^o^;)ノ
以前から気がついていたが、タヌキさん主催のオフ会とのレベルの差を考慮すると当然だろう。
彼が教学を話し始めても、学会教学である限り「MC抜けてないね。」で終わるし。

●補足

*1

以前、Libraさんの記事、コメントにもあったとおり、
「『法華経』は梵天勧請を素材にしている」
のですから、儀式、勤行に勧請(かんじょう)ストーリーが無いということは、
「創価などの正宗系教団は法華経が原始仏教の正統派であることを彼ら自らが捨てた、、、」
と思われても仕方ないでしょう。

*2

彼が私のブログを読んでいない、のは私に言い負けたのに、プライドが理由で読めない、読みたくない、のではないだろうか?
そういう学会ぽさを見つめて欲しいのだけれど。(治す治さないの問題ではない。)
誰でも自己愛を持ったりしてもTPOをわきまえれば自慢してもいい。特に男の人であれば「私は大金持ちになった」「俺は学問を知ってる」「俺はこれを知ってる」「俺は勝った」とか思っても言っても自然なわけだ。
ところが学会員の場合は、同じ自慢でも微妙に不健全が見え隠れする。
無常、無我、解脱、悟り、慈悲がテーマの仏教者が自慢気に仏教を語ってどうするんだろ?

私はこれかも相手が素人でも学会婦人部でも学んでいくことがあると思う。私が学んだ
「宗教のアウトプットは人」というのは専門家でない素人の言葉だった。
「バランス感覚」というのも学会活動に悩む婦人部の言葉、正確にはその旦那さんだけど。

ああ、あとハンドル名だけど、やっぱ変えるしか無い~~~~?(笑)
どんな宗教にも嘘があるので略して、宗嘘、読みはそううそ、で駄目だよねぇー。やっぱ。(笑)

以上。

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309.法華経の行者の「行者」という語彙も真言系の語彙ではないか?

2010年11月22日 00時05分13秒 | 創価学会
FBIさんからの「日蓮の実像は不明瞭である。」という謎かけの備忘録。

182.一念三千、法華経、文底、題目、本尊 の議論
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/02c65be0a900979851c506574dab380a?st=1

犀の角のように独り歩め:「本尊」は中国初期天台文献にない語彙
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51550177.html

上記リンクの記事は補足。

1.本尊、漫荼羅

「本尊」というキーワードが中国初期天台文献にない語彙。
妙楽にもない。
法華経にも「本尊」というキーワードはない語彙。
「漫荼羅」は元々、真言宗の語彙。ここから本題。

2.行者

法華経の行者、この「行者」という語彙も真言系の語彙ではないか?

「法華経の行者」を学会版ネット御書(満月城岡山)で調べると、真筆、偽書、真偽未決を合わせ262もヒットする。

通常なら本朝沙門、天台僧、等々の自然な語彙ではないのか?
ということらしい。

3.日蓮

日蓮が流罪の際、天台宗から見捨てられている可能性。*1
日蓮が流罪から鎌倉に帰ったあとの身延は監視者の幽閉先である可能性。
日蓮が死の直前、湯治のため旅に出るが、病人を身延付近の温泉地でなく
わざわざ遠い所に出かけたのも、監視者の領地である幽閉先しか許可されなかった可能性。

詳細は省略するが「不動・愛染感見記」が神道系の図が描かれていること。
(「不動・愛染感見記」正式名称は忘れた。(^_^;) )

*1→「法華経の行者」の記述?

4.日興

他に補足として日興が神主と関わっていたこと。

5.その他

日蓮、日興が「謗法厳誡」な創価学会などの正宗系教団にとって大謗法の人である旨は既に書いてきた。
創価学会などの正宗系教団の信徒会員にとって
日蓮を「分かった気になっている」
というのは妄想であり不明点も多いということ。
原始仏教や大乗仏教も不明点が多いということ。

ちなみに心理学面から、あの人は念仏→地獄行き→あの人は不幸、といった様な安易かつ有害な他人、他者をレッテル張りして「分かった気になっている」のは病気のきっかけになりやすいのは心理学素人の私でも理解できる。。。。。。。

電子聖典等で調べるのは後日。
262もあるなんてこりゃ、とてもすごい後日だと思う。(^_^;)
「行者」が真言系のキーワードなら相当に日蓮は真言系思想の持ち主ということにまる。
日蓮の天台僧としてのレベルも問題になる。

1,2?いや2,3の事項がやりなおしか?やれやれ。
とりあえず、天台の入門書¥0か¥10で売ってないかな?

目次掲載は未定。

いじょ。

2010-11-23
誤字脱字を修正。
一部追記。(太字)
コメント (1)
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ノーベル平和賞受賞者世界サミット平和サミット賞

2010年11月13日 14時09分00秒 | 創価学会
FBI(笑)日記/ノーベル平和賞受賞者世界サミット平和サミット賞 - GREE
http://gree.jp/7737268/blog/entry/517969739
FBIさんより転載許可を頂いています。
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ノーベル平和賞受賞者世界サミット平和サミット賞

* FBI(笑)日記/ノーベル平和賞受賞者世界サミット平和サミット賞 画像1

■バッジョ氏に「平和賞」

【ローマ=南島信也】12~14日に広島市で聞かれる「ノーベル平和賞受賞者世界サミット」事務局(本部・ロ一マ)は8目、今年の平和サミット賞をイタリアの元サッカー選手、ロベルト・バッジョ氏(43)=写真=に授与すると発表した。

バッジョ氏は現役時代は「イタリアの至宝」と称され、華麗なプレiスタイルから「ファンタジスタ」として世界的なスーパースターだった。

現役時代から慈善活動にも積極的に取り組み、2002年から国連食糧農業機関(FAO)の親善大使として、貧困と飢餓撲滅を訴えてきた。

04年の引退後は、ミヤンマ一(ビルマ)の民主化運動指導者で自宅軟禁中のアウン・サン・スー・チーさんの解放運動支援のほか、08年5月に受けたミャンマー、今年1月に大地震に見舞われたハイチなどの被災地に足を運び、支援活動をサポートしてきた。

[朝日新聞]2010/11/09 社会面37P13版

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この記事については創価学会系・反創価学会系を問わずネットではほとんど見かけません。

ロベルト・バッジョ氏は具体的にいろいろな活動をしているのですね。

ロベルト・バッジョ氏はSGIのメンバーです。

聖教新聞にはこの件についての記事は掲載されませんでした。

創価学会もメンバーが受賞したことを誇りに思っているのでしょうか。

それとも「不遜」と思っているのでしょうか。

無数に「平和提言」などをしてきた池田大作氏は候補にもならず「弟子」が受賞してしまったわけです。

そういえば国内の公明党国会議員は永年勤続表彰や叙勲を「辞退」することがなかば強制されています。

池田氏は各国からの顕彰などについてかねてから、

「学会員のみなさんを代表して受けた」

などと言っていました。

そう考えると国会議員の表彰や叙勲も、

「学会員の代表として政治家になり国政に携わった」

わけであり、それが国家的に認められたということなのですから、創価学会がとやかく言うことではないはづでする。

「先生が叙勲されないのに弟子が叙勲されるなど僭越・不遜」だということのようです。

これって受賞できないものの「嫉妬」なのではないでしょうか。

さて、ロベルト・バッジョ氏は「嫉妬」されるのでしょうか。

2010/11/12 12:38


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11/12 12:51のコメント
聖教新聞社会面に掲載されている。(主旨)とのこと
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FBI(笑)
11/12 13:05

☆◯◯◯さん

そうでしたね、聖教新聞2010年11月10日「社会面」10ページの囲み記事「ニュース・フラッシュ」の「国際」トップにベタ記事で本文10字×27行ありました。

SGIメンバーの受賞ですから1面でも良いくらいだと思うのですが。

ちなみに聖教新聞2010年11月10日付けの9面つまりバッジョ氏の記事が掲載された1ページ前は、プロ野球日本シリーズ・フェンシング世界選手権・中国杯フィギュア・全日本大学駅伝・Jリーグの5つでまるまる1面を使っていました。

「ノーベル平和賞受賞者世界サミット・平和サミット賞」は、創価学会・聖教新聞にとってそれほど大きく扱うようなことがらではないということのようですね。
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--------------------------
そううそ 49分前

私の知る学会員さんのご家族がとある勲章をうける際、
学会幹部から「辞退せよ」と言われたそうです。

この件は関西方面ですが、末端にも辞退強要の
事例はあります。
ロベルト・バッジョ氏の場合は有名人でもあり海外の
事例でもあるので池田氏や取り巻きが不満に思っても
公言することはないでしょう。

バッジョ氏が広島池田平和会館に来れば会合参加か
記念撮影はするでしょうけど、それを聖教新聞上で
報道するかどうか?非常に興味があります。

ぜひ、会合参加して写真撮影や会合の様子をメモに
とってほしいです。>どなたか。
広島地方版の聖教と全国版を比較したいですね。
資料としてほしいです。

私のブログ記事にも書きましたが、本件においても
「許す」のか、「許さない」のか?
前者であればちゃんと、まっとうに祝福してあげるか、
どうか?ですね。

聖教新聞がどちらの態度をとっても今後に意味を
持つのでどなたかよろしくお願いします。

--------------------------
私(そううそ)のコメントは誤記やプライバシーのため一部、修正した。

元公明党委員長の矢野絢也氏が11月3日に旭日大綬章を受章しましたが、今後も学会員の言動から目が離せませんね。

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参考引用記事:今の私が生きにくいのは親のせいですか?

2010年11月13日 14時08分29秒 | 創価学会
今の私が生きにくいのは親のせいですか? - [ストレス] All About
http://allabout.co.jp/r_health/gc/301520/

「世の中も他人も、自分自身も信じられない」------そんな思いを抱えて生きにくさを感じていませんか? そうした思いは、どこからやってくるのでしょう。生きにくさを感じている人は、まずどんなことから自分を変えていけばいいのでしょう?

掲載日:2010年07月27日
家庭・育児・嫁姑・義理づきあいのストレス

「今の私が生きにくいのは親のせいですか?」

■他人、そして自分自身を信じられますか?
信じられる人はいない、自分自身も信じられない……そんな思いを抱えていませんか?

信じられる人はいない、自分自身も信じられない……そんな思いを抱えていませんか?
秋葉原無差別殺傷事件やマツダ工場無差別殺傷事件など、近年、凶悪な殺人事件が目立って報道されるようになりました。また、自殺者年間3万人台が続く日本では、自分自身に生きる価値を見いだせず、自ら命を断つ人が増えています。

こうした事件は、起こってはならない最悪のケースです。しかし、私たちの身近でも、社会や自分を取り巻く人たちに不信感や敵意を持ち続け、世の中も他人も信じられない、そして、自分自身の生きている意味も価値も実感できない……こんな思いを抱えている人もいるのではないでしょうか。

「誰も信じられない」……こうした思いはどこから生まれてくるのでしょう。精神分析学者のエリクソンは、人間は生まれてまもない乳児期(0~2歳頃)に「基本的信頼」を獲得すると言いました。言葉が使えない赤ちゃんは、養育者、おもに母親に対して泣いたりわめいたりすることで、自分の感情を伝えます。このとき母親がそれを受け止めて対応し、表情や言葉を投げかけて安心させてあげることで、子どもは母親に対する信頼を感じます。これが「人を信じていい」という信念につながり、その信念を持つことで初めて、自分自身も生きる価値があると信じることができるのです。

しかし、乳児期に自分が発したサインを受け止められなかったり、サインに対して恐怖を与えられることが多い場合、人生のいちばん最初で「信頼」ではなく「不信」をより多く獲得するようになります。すると、「母親も家庭も、世の中も、自分自身も信じられない」という思いにつながり、大人になってから社会への適応がうまくいかないこともあるのです。

■「自律」への道を見守られて育ってきたか
反抗期に自分自身でやりたい欲求を

子どものころ、「自分でこうやってみたい」という欲求を思う存分出してきたか
乳児期を経て、幼児の頃になると「自分でやる」という自律性や自主性が発達していくのですが、そのときにはダダをこねたりぐずったりと、子どもには反抗的な態度が目立ってきます。しかし、こうした一見「反抗」とも取れる態度は自分と親を区別し、1人の人間として生きていくための基礎をつくるための大切な行動なのです。

この時期にそうした欲求を受け止められず、否定され、制御され続けるとどうなるでしょう。また、何でも親が先回りしてやってしまい、子どもが自分なりに考え、自分で選んでチャレンジする機会を与えられないままに育つとどうなるでしょう。

表面的には「いい子」に見えても、心の底では「自分の力でやりたいのにできない」「自分はこうしたいのにできなかった」という言葉にできない不満を抱えるようになります。それが後になって、問題行動となって爆発することもあります。また、自分で創意工夫して生きていく力を信じることができず、逆境や困難な課題に遭遇したときに「自分でなんとかやってみよう」という勇気を持ちにくくなってしまうのです。

■ありのままの自分を出す、そして歩き出す
思いのたけを話して受け止められると、前に歩き出せる

思いのたけを話して受け止められると、前に歩き出せる
このように、人間性の基本となる部分は、自我が芽生える前、そして自我が育つ時期に形成されます。そのため、「どうして私だけ苦しいんだろう」「生きにくいんだろう」と悩み、他人や自分自身を信じることができない人は、そう思う自分の根っこの部分に、親の関わり方が影響しているのかもしれません。

そんな自分に気づいた場合、その気持ちを一度親に、それが無理なら話を聞いてくれる誰かにぶつけてみるといいでしょう。「自分は苦しかった」「こう受け止めてほしかった」という思いを打ち明けてみると、自分の心の中にあったしこりが解けて、次の目標に目を向けることができるかもしれません。

また、親の関わり方が「生きにくさ」に影響していると考える人たちの自助グループに参加してみる、というのも一つの案です。同じ苦しみを持ち続けてきた人と素直な気持ちを交換しあうと、生きるための勇気やアイディアが湧いてくることがあります。

ただし、ひとつ注意したいことがあります。たしかに、「こうなったのは親のせいかもしれない」と原因に気づき、自分の軌跡を振り返ることは大事です。しかし、原因ばかりを深く堀り続けたところで、残念ながらそこから「生きやすさ」につながるヒントを得られることは少ないものです。

大切なのは、今、ここから自分なりにできることをやり、親の影響からの卒業を目指すことです。そのためにも、まずはありのままの自分を出し、受け止めてもらうことから、一歩歩き出してみてはどうでしょうか。

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