緊急記事。心理学の本を読む時の注意事項を急ぎで書いています。後で沢山修正するかも。(笑)
●MC(マインドコントロール)論や心理学の本を読む時に自分で自分を傷つけないで欲しいと思います。
人格障害やうつ病などの特徴が自分にあてはまる事に気がつく人もいると思います。
私のブログでも他の心理学系(MC系)HPでもそうですが、過程や認識の必要性からある程度の反省や振り返りは必要です。
気がついて欲しいから私もこうして書いているわけです。
ですが、心理学の本を読む時自分を傷つける事を目的や結果としないで欲しいと思います。
諦めが先でも念仏が先でも良いのですが、過去の私や創価学会などの正宗系教団信徒会員は次のような思考パターンを頻繁にします。
1.諦める言動 → 念仏の命というレッテル張り → 駄目だ、地獄へ行く、不幸になる、という認識。結果として他者を見下したり馬鹿にする*1
2.人格障害やうつ病などの言動や特徴 → (うつ病など)病気か人格障害というレッテル張り → 自分は不健全か人格障害なんだとがっかりする。。。自分で自分を見下しや傷つける思考パターンになってしまいます。
*1の場合、思ったり考えたりするだけなら他者に被害はありませんが、ネットやリアルで実際に口に出したり書き込めは他者にも実害があります。こうした思考をする人はもちえろん客観的には不健全です。何が駄目で何が良いのか見極めがつかなかったり、言っている事とやっている事が違うわけです。
他者から与えられる恐怖や怒り、駄目だしや悪意あるレッテル張り(結果として不安が生まれる)など、与えられるマイナス面に慣れすぎて、その習慣や思考パターンの延長からMC論や心理学の本を読む時までも「カルトっぽい思考や教団都合の思考」をして欲しくないと私は思います。
自分に対して白黒2極論で評価するのは止めて欲しいと思います。
MC(マインドコントロール)論や心理学の本を読む時に自分で自分を傷つけないで欲しいと思います。
心理学やカウンセリングの目的が「カルトっぽい思考や特定の教団都合の思考を助長する」モノであるはずがありません。
心理学やカウンセリングは個人や社会全体(特定教団ではない)が持つ宗教性や宗教心を肯定するケースはあるでしょう。しかし
心理学やカウンセリングは「カルトにおける他者への布教やカルト教団への奉仕を助長する」モノであるはずがありません。
も一つ注意しておくと「助長」や「促す」のです。
永遠の指導者だとか無謬だとか絶対だとかの延長にある白黒2極論ではありません。
(社会全体と特定教団の差異はシマ国である日本文化だと説明しやすいのではないか?と個人的に想像しています。)
心理学やカウンセリングは日蓮や学会、池田氏、特定の人物や教団を絶対、無謬として取り扱うことは有り得ません。
むしろ個人的には心理学やカウンセリングは今生きている人をどの様に肯定していくか?と言う意味合いがあると思います。
●心理学やカウンセリングは心という 「曖昧であって良いモノ」 を取り扱います。
また、喜怒哀楽の怒哀を誰もが持ち得るように不健全も誰もが持ち得ます。
健全な自己愛も不健全な自己愛もあります。
健全な依存も不健全な依存もあります。
(自己愛や依存をある程度誰もが持ち得るというのはコフートやユングの書籍が詳しい??まだ勉強中です。)
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「もしこの本を読んで自分もノイローゼではないかとか、少しおかしいのではないかと思う人は正常である。この本に書いてある事は何も自分に思い当たる事はない。これはおかしい人達の話だと思う人はすぐに精神科医のところに来て下さい。」
(自己愛人間 筑摩書房 小此木啓吾 著 2007年十一月十日 第十一刷発行 P017)
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上記の本には世代によって人生観や価値観が違う事も書かれています。世代によって健全不健全の評価が変わる可能性が書かれています。
国や地方によっても健全不健全の評価が変わる点はほぼ事実のようです。
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ところが文化が違うとなんて酷い妄想パーソナリティーなんだという見方をされることがある。
例えば、いつも人の思惑を気にしたり、相手の傷つきを気にしたり相手がどのくらい自分を内輪と思っているかを確かめたりするような、きめ細かい日本人の対人心理は、ときによって米国の精神科医から見ると、とても妄想的、疑い深い心性と見なされる。
ここでは、このような文化の違いまでも視野に入れて話を進める。
(困った人達の精神分析 大和書房 小此木啓吾 著 1996年八月二十日 第十六刷発行 P120)
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●日蓮なんて間違えた人。法華経というフィクションや妄想を信じた人、教えた人。
日蓮を大聖人だとか御本仏だとか池田氏を永遠の指導者だとかこういったことを平気で口にする人がいますが、日蓮なんて間違えた人で、法華経というフィクションや妄想を信じた人です。
間違えて死んでいった人を現代人が大聖人だとか御本仏だとか「他者から教えられ」「自分が受け入れた」にすぎません。間違えた人を成仏したとか大聖人だとか御本仏だとか勝手に呼んでいるだけです。
これはカルト教団だけでなく、日蓮系やその他の仏教教団、まともであろう(?(笑))お坊さんにもいいたいのですが、日蓮なんて間違えた人で、フィクションや妄想を信じた人です。でも日蓮には時代の制約から仕方のないカルト性もあったようですが、宗教性も大いにあったでしょう。しかしカルト教団がはびこると日蓮は批判に晒され、評価は下がり続けるでしょう。宗教の興味が失われる一因がここにあります。
御本仏だとか大御本尊は大聖人の命で罰を与える、などなど日蓮を人間としないことが実に大きな間違いです。
仏教がなくなってこのまま無宗教が広まるのか、日本にイスラム教やキリスト教が広まるのかはわかりませんが。。。
日蓮が間違えて死んでいったように、我々もたくさん間違えて死んでいくはずです。譬えが悪いかもしれませんが、小学校や中学校でテストで全て100点取った人なんでいなでしょう。間違えたところは復習しても、更に同じ全てのテストで100点取れるまで頑張って卒業した人なんていないはずです。
誰でも過去には間違えた経験を持つということです。創価学会2世3世など 「「カルト問題で悩む人は」」 少しだけでも気を楽にして欲しいと思います。
心理学やカウンセリングの目的は色々とあるでしょうが、「心理学やカウンセリングの本を読んで気を楽にする」のも多くある目的の一つです。
(実際にお医者さんやカウンセリングに行く人は大丈夫だとは想像します。)
当たり前ですが、明日から勉強や仕事で沢山間違えて良いよ、なんて私は言っていません。(笑)
心の重荷が取れた人や一般の人は努力やがんばりが大切ですが、うつ病の人には「がんばれ」とは言ってはいけないのだそうで。。。。
「過程や認識の必要性からある程度の反省や振り返りは必要です。」とは書きましたが、もちろん、日顕氏や日如氏、浅井氏、池田氏、彼らの取り巻き連中には「反省や振り返り」「謝罪」がないのですから、幾ら批判されても仕方ないでしょう。迷惑が継続しているのです。
○蛇足。
「宗教の興味が失われる一因がここにあります。」と書きましたが、
特定の人物を持ち上げすぎたり大切にしすぎたりするとそれ以外の他者が大切にされない傾向がカルトにはあります。
日蓮のおにくげ(御生骨)と正宗VS学会の遺骨問題は典型例ではないでしょうか?
日蓮のおにくげ(御生骨)を大切に守ることは良い事です。(しかし信仰の本質や信仰の本尊や対象ではありません。)信徒や会員の遺骨も大切にするのは当然です。でも正宗VS学会の遺骨関連の裁判が沢山あります。どっちもどっちです。
本来は非科学的な伝説なんて他宗にいくらでもありますが、カルトが存在する以上は日蓮のおにくげ(御生骨)そのものやおにくげが生きている伝説が批判されても仕方ないでしょう。他宗教の伝説も同じかと。
同様の問題と構造がカルトと宗教にそれぞれ存在する、ということかと。
日蓮宗などもカルト性が正宗に比べて少ないので悪く言われないだけで布施を積極的に受け取り妻子を養うあたりは仏教の僧侶ではありません。
以上
'09.05.30
誤字脱字、修正した。
●MC(マインドコントロール)論や心理学の本を読む時に自分で自分を傷つけないで欲しいと思います。
人格障害やうつ病などの特徴が自分にあてはまる事に気がつく人もいると思います。
私のブログでも他の心理学系(MC系)HPでもそうですが、過程や認識の必要性からある程度の反省や振り返りは必要です。
気がついて欲しいから私もこうして書いているわけです。
ですが、心理学の本を読む時自分を傷つける事を目的や結果としないで欲しいと思います。
諦めが先でも念仏が先でも良いのですが、過去の私や創価学会などの正宗系教団信徒会員は次のような思考パターンを頻繁にします。
1.諦める言動 → 念仏の命というレッテル張り → 駄目だ、地獄へ行く、不幸になる、という認識。結果として他者を見下したり馬鹿にする*1
2.人格障害やうつ病などの言動や特徴 → (うつ病など)病気か人格障害というレッテル張り → 自分は不健全か人格障害なんだとがっかりする。。。自分で自分を見下しや傷つける思考パターンになってしまいます。
*1の場合、思ったり考えたりするだけなら他者に被害はありませんが、ネットやリアルで実際に口に出したり書き込めは他者にも実害があります。こうした思考をする人はもちえろん客観的には不健全です。何が駄目で何が良いのか見極めがつかなかったり、言っている事とやっている事が違うわけです。
他者から与えられる恐怖や怒り、駄目だしや悪意あるレッテル張り(結果として不安が生まれる)など、与えられるマイナス面に慣れすぎて、その習慣や思考パターンの延長からMC論や心理学の本を読む時までも「カルトっぽい思考や教団都合の思考」をして欲しくないと私は思います。
自分に対して白黒2極論で評価するのは止めて欲しいと思います。
MC(マインドコントロール)論や心理学の本を読む時に自分で自分を傷つけないで欲しいと思います。
心理学やカウンセリングの目的が「カルトっぽい思考や特定の教団都合の思考を助長する」モノであるはずがありません。
心理学やカウンセリングは個人や社会全体(特定教団ではない)が持つ宗教性や宗教心を肯定するケースはあるでしょう。しかし
心理学やカウンセリングは「カルトにおける他者への布教やカルト教団への奉仕を助長する」モノであるはずがありません。
も一つ注意しておくと「助長」や「促す」のです。
永遠の指導者だとか無謬だとか絶対だとかの延長にある白黒2極論ではありません。
(社会全体と特定教団の差異はシマ国である日本文化だと説明しやすいのではないか?と個人的に想像しています。)
心理学やカウンセリングは日蓮や学会、池田氏、特定の人物や教団を絶対、無謬として取り扱うことは有り得ません。
むしろ個人的には心理学やカウンセリングは今生きている人をどの様に肯定していくか?と言う意味合いがあると思います。
●心理学やカウンセリングは心という 「曖昧であって良いモノ」 を取り扱います。
また、喜怒哀楽の怒哀を誰もが持ち得るように不健全も誰もが持ち得ます。
健全な自己愛も不健全な自己愛もあります。
健全な依存も不健全な依存もあります。
(自己愛や依存をある程度誰もが持ち得るというのはコフートやユングの書籍が詳しい??まだ勉強中です。)
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「もしこの本を読んで自分もノイローゼではないかとか、少しおかしいのではないかと思う人は正常である。この本に書いてある事は何も自分に思い当たる事はない。これはおかしい人達の話だと思う人はすぐに精神科医のところに来て下さい。」
(自己愛人間 筑摩書房 小此木啓吾 著 2007年十一月十日 第十一刷発行 P017)
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上記の本には世代によって人生観や価値観が違う事も書かれています。世代によって健全不健全の評価が変わる可能性が書かれています。
国や地方によっても健全不健全の評価が変わる点はほぼ事実のようです。
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ところが文化が違うとなんて酷い妄想パーソナリティーなんだという見方をされることがある。
例えば、いつも人の思惑を気にしたり、相手の傷つきを気にしたり相手がどのくらい自分を内輪と思っているかを確かめたりするような、きめ細かい日本人の対人心理は、ときによって米国の精神科医から見ると、とても妄想的、疑い深い心性と見なされる。
ここでは、このような文化の違いまでも視野に入れて話を進める。
(困った人達の精神分析 大和書房 小此木啓吾 著 1996年八月二十日 第十六刷発行 P120)
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●日蓮なんて間違えた人。法華経というフィクションや妄想を信じた人、教えた人。
日蓮を大聖人だとか御本仏だとか池田氏を永遠の指導者だとかこういったことを平気で口にする人がいますが、日蓮なんて間違えた人で、法華経というフィクションや妄想を信じた人です。
間違えて死んでいった人を現代人が大聖人だとか御本仏だとか「他者から教えられ」「自分が受け入れた」にすぎません。間違えた人を成仏したとか大聖人だとか御本仏だとか勝手に呼んでいるだけです。
これはカルト教団だけでなく、日蓮系やその他の仏教教団、まともであろう(?(笑))お坊さんにもいいたいのですが、日蓮なんて間違えた人で、フィクションや妄想を信じた人です。でも日蓮には時代の制約から仕方のないカルト性もあったようですが、宗教性も大いにあったでしょう。しかしカルト教団がはびこると日蓮は批判に晒され、評価は下がり続けるでしょう。宗教の興味が失われる一因がここにあります。
御本仏だとか大御本尊は大聖人の命で罰を与える、などなど日蓮を人間としないことが実に大きな間違いです。
仏教がなくなってこのまま無宗教が広まるのか、日本にイスラム教やキリスト教が広まるのかはわかりませんが。。。
日蓮が間違えて死んでいったように、我々もたくさん間違えて死んでいくはずです。譬えが悪いかもしれませんが、小学校や中学校でテストで全て100点取った人なんでいなでしょう。間違えたところは復習しても、更に同じ全てのテストで100点取れるまで頑張って卒業した人なんていないはずです。
誰でも過去には間違えた経験を持つということです。創価学会2世3世など 「「カルト問題で悩む人は」」 少しだけでも気を楽にして欲しいと思います。
心理学やカウンセリングの目的は色々とあるでしょうが、「心理学やカウンセリングの本を読んで気を楽にする」のも多くある目的の一つです。
(実際にお医者さんやカウンセリングに行く人は大丈夫だとは想像します。)
当たり前ですが、明日から勉強や仕事で沢山間違えて良いよ、なんて私は言っていません。(笑)
心の重荷が取れた人や一般の人は努力やがんばりが大切ですが、うつ病の人には「がんばれ」とは言ってはいけないのだそうで。。。。
「過程や認識の必要性からある程度の反省や振り返りは必要です。」とは書きましたが、もちろん、日顕氏や日如氏、浅井氏、池田氏、彼らの取り巻き連中には「反省や振り返り」「謝罪」がないのですから、幾ら批判されても仕方ないでしょう。迷惑が継続しているのです。
○蛇足。
「宗教の興味が失われる一因がここにあります。」と書きましたが、
特定の人物を持ち上げすぎたり大切にしすぎたりするとそれ以外の他者が大切にされない傾向がカルトにはあります。
日蓮のおにくげ(御生骨)と正宗VS学会の遺骨問題は典型例ではないでしょうか?
日蓮のおにくげ(御生骨)を大切に守ることは良い事です。(しかし信仰の本質や信仰の本尊や対象ではありません。)信徒や会員の遺骨も大切にするのは当然です。でも正宗VS学会の遺骨関連の裁判が沢山あります。どっちもどっちです。
本来は非科学的な伝説なんて他宗にいくらでもありますが、カルトが存在する以上は日蓮のおにくげ(御生骨)そのものやおにくげが生きている伝説が批判されても仕方ないでしょう。他宗教の伝説も同じかと。
同様の問題と構造がカルトと宗教にそれぞれ存在する、ということかと。
日蓮宗などもカルト性が正宗に比べて少ないので悪く言われないだけで布施を積極的に受け取り妻子を養うあたりは仏教の僧侶ではありません。
以上
'09.05.30
誤字脱字、修正した。