創価学会の信仰に功徳はあるか?

コメントする人は「01.創価学会の信仰に功徳はあるか?を書く前に」を読んでね。

288.MC論や心理学の本で自分で自分を傷つけないでね。

2009年05月24日 17時44分25秒 | 創価学会
 緊急記事。心理学の本を読む時の注意事項を急ぎで書いています。後で沢山修正するかも。(笑)

●MC(マインドコントロール)論や心理学の本を読む時に自分で自分を傷つけないで欲しいと思います。

 人格障害やうつ病などの特徴が自分にあてはまる事に気がつく人もいると思います。
私のブログでも他の心理学系(MC系)HPでもそうですが、過程や認識の必要性からある程度の反省や振り返りは必要です。
気がついて欲しいから私もこうして書いているわけです。

ですが、心理学の本を読む時自分を傷つける事を目的や結果としないで欲しいと思います。

諦めが先でも念仏が先でも良いのですが、過去の私や創価学会などの正宗系教団信徒会員は次のような思考パターンを頻繁にします。


1.諦める言動 → 念仏の命というレッテル張り → 駄目だ、地獄へ行く、不幸になる、という認識。結果として他者を見下したり馬鹿にする*1

2.人格障害やうつ病などの言動や特徴 → (うつ病など)病気か人格障害というレッテル張り → 自分は不健全か人格障害なんだとがっかりする。。。自分で自分を見下しや傷つける思考パターンになってしまいます。


 *1の場合、思ったり考えたりするだけなら他者に被害はありませんが、ネットやリアルで実際に口に出したり書き込めは他者にも実害があります。こうした思考をする人はもちえろん客観的には不健全です。何が駄目で何が良いのか見極めがつかなかったり、言っている事とやっている事が違うわけです。
他者から与えられる恐怖や怒り、駄目だしや悪意あるレッテル張り(結果として不安が生まれる)など、与えられるマイナス面に慣れすぎて、その習慣や思考パターンの延長からMC論や心理学の本を読む時までも「カルトっぽい思考や教団都合の思考」をして欲しくないと私は思います。
自分に対して白黒2極論で評価するのは止めて欲しいと思います。
MC(マインドコントロール)論や心理学の本を読む時に自分で自分を傷つけないで欲しいと思います。


心理学やカウンセリングの目的が「カルトっぽい思考や特定の教団都合の思考を助長する」モノであるはずがありません。
心理学やカウンセリングは個人や社会全体(特定教団ではない)が持つ宗教性や宗教心を肯定するケースはあるでしょう。しかし
心理学やカウンセリングは「カルトにおける他者への布教やカルト教団への奉仕を助長する」モノであるはずがありません。


も一つ注意しておくと「助長」や「促す」のです。
永遠の指導者だとか無謬だとか絶対だとかの延長にある白黒2極論ではありません。
(社会全体と特定教団の差異はシマ国である日本文化だと説明しやすいのではないか?と個人的に想像しています。)
心理学やカウンセリングは日蓮や学会、池田氏、特定の人物や教団を絶対、無謬として取り扱うことは有り得ません。
むしろ個人的には心理学やカウンセリングは今生きている人をどの様に肯定していくか?と言う意味合いがあると思います。

●心理学やカウンセリングは心という 「曖昧であって良いモノ」 を取り扱います。

 また、喜怒哀楽の怒哀を誰もが持ち得るように不健全も誰もが持ち得ます。
健全な自己愛も不健全な自己愛もあります。
健全な依存も不健全な依存もあります。
(自己愛や依存をある程度誰もが持ち得るというのはコフートやユングの書籍が詳しい??まだ勉強中です。)

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「もしこの本を読んで自分もノイローゼではないかとか、少しおかしいのではないかと思う人は正常である。この本に書いてある事は何も自分に思い当たる事はない。これはおかしい人達の話だと思う人はすぐに精神科医のところに来て下さい。」
(自己愛人間 筑摩書房 小此木啓吾 著 2007年十一月十日 第十一刷発行 P017)
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上記の本には世代によって人生観や価値観が違う事も書かれています。世代によって健全不健全の評価が変わる可能性が書かれています。
国や地方によっても健全不健全の評価が変わる点はほぼ事実のようです。

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 ところが文化が違うとなんて酷い妄想パーソナリティーなんだという見方をされることがある。
 例えば、いつも人の思惑を気にしたり、相手の傷つきを気にしたり相手がどのくらい自分を内輪と思っているかを確かめたりするような、きめ細かい日本人の対人心理は、ときによって米国の精神科医から見ると、とても妄想的、疑い深い心性と見なされる。
ここでは、このような文化の違いまでも視野に入れて話を進める。
(困った人達の精神分析 大和書房 小此木啓吾 著 1996年八月二十日 第十六刷発行 P120)
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●日蓮なんて間違えた人。法華経というフィクションや妄想を信じた人、教えた人。

 日蓮を大聖人だとか御本仏だとか池田氏を永遠の指導者だとかこういったことを平気で口にする人がいますが、日蓮なんて間違えた人で、法華経というフィクションや妄想を信じた人です。
間違えて死んでいった人を現代人が大聖人だとか御本仏だとか「他者から教えられ」「自分が受け入れた」にすぎません。間違えた人を成仏したとか大聖人だとか御本仏だとか勝手に呼んでいるだけです。
これはカルト教団だけでなく、日蓮系やその他の仏教教団、まともであろう(?(笑))お坊さんにもいいたいのですが、日蓮なんて間違えた人で、フィクションや妄想を信じた人です。でも日蓮には時代の制約から仕方のないカルト性もあったようですが、宗教性も大いにあったでしょう。しかしカルト教団がはびこると日蓮は批判に晒され、評価は下がり続けるでしょう。宗教の興味が失われる一因がここにあります。
御本仏だとか大御本尊は大聖人の命で罰を与える、などなど日蓮を人間としないことが実に大きな間違いです。
仏教がなくなってこのまま無宗教が広まるのか、日本にイスラム教やキリスト教が広まるのかはわかりませんが。。。

日蓮が間違えて死んでいったように、我々もたくさん間違えて死んでいくはずです。譬えが悪いかもしれませんが、小学校や中学校でテストで全て100点取った人なんでいなでしょう。間違えたところは復習しても、更に同じ全てのテストで100点取れるまで頑張って卒業した人なんていないはずです。
誰でも過去には間違えた経験を持つということです。創価学会2世3世など 「「カルト問題で悩む人は」」 少しだけでも気を楽にして欲しいと思います。
心理学やカウンセリングの目的は色々とあるでしょうが、「心理学やカウンセリングの本を読んで気を楽にする」のも多くある目的の一つです。
(実際にお医者さんやカウンセリングに行く人は大丈夫だとは想像します。)
当たり前ですが、明日から勉強や仕事で沢山間違えて良いよ、なんて私は言っていません。(笑)
心の重荷が取れた人や一般の人は努力やがんばりが大切ですが、うつ病の人には「がんばれ」とは言ってはいけないのだそうで。。。。

「過程や認識の必要性からある程度の反省や振り返りは必要です。」とは書きましたが、もちろん、日顕氏や日如氏、浅井氏、池田氏、彼らの取り巻き連中には「反省や振り返り」「謝罪」がないのですから、幾ら批判されても仕方ないでしょう。迷惑が継続しているのです。

○蛇足。
「宗教の興味が失われる一因がここにあります。」と書きましたが、
特定の人物を持ち上げすぎたり大切にしすぎたりするとそれ以外の他者が大切にされない傾向がカルトにはあります。
日蓮のおにくげ(御生骨)と正宗VS学会の遺骨問題は典型例ではないでしょうか?
日蓮のおにくげ(御生骨)を大切に守ることは良い事です。(しかし信仰の本質や信仰の本尊や対象ではありません。)信徒や会員の遺骨も大切にするのは当然です。でも正宗VS学会の遺骨関連の裁判が沢山あります。どっちもどっちです。
本来は非科学的な伝説なんて他宗にいくらでもありますが、カルトが存在する以上は日蓮のおにくげ(御生骨)そのものやおにくげが生きている伝説が批判されても仕方ないでしょう。他宗教の伝説も同じかと。
同様の問題と構造がカルトと宗教にそれぞれ存在する、ということかと。
日蓮宗などもカルト性が正宗に比べて少ないので悪く言われないだけで布施を積極的に受け取り妻子を養うあたりは仏教の僧侶ではありません。

以上

'09.05.30
誤字脱字、修正した。
コメント (19)
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某SNSのメモ 宗教の話を聞く側の「人」、救われる側の「人」4

2009年05月06日 19時25分34秒 | 創価学会
http://gree.jp/?mode=community&act=bbs_view&thread_id=9425068

96. そううそ (16) - 05/05 23:11
それと○○○○さん

現代人、あるいはあなたが日蓮本仏論を信仰したり選択することは許されていますよ。

では何が問題かというと2つ。
1.
人に教える時に教団都合の引用ではなく経文や釈、論などの原典を示し、宗教思想、仏教思想である旨を示し、現代語訳など誰にでも分かってもらう必要があります。
可能であればあなたが思想と同じ行動が取れる事がベストでしょう。
自分は「理由や根拠無し」でOKでも、他者には「信仰させる理由や根拠」が必要です。

「私、○○○○は日蓮本仏論以外の思想を知りません。
でも私、○○○○は日蓮本仏論は大好きです。私、○○○○は日蓮本仏論は素晴らしいと思います。」

好き、素晴らしい、であれば我々も否定は難しいでしょう。しかし他者への説得力、説明、「信仰させる理由や根拠」正しい根拠、教団の正当性の根拠にはなりません。議論への反論になり得ません。

好き、素晴らしい、は自分(I)の感情です。
他人は否定出来ません。他者は否定出来ません。
しかし説得力は「0」です。
鰯の頭が好き、素晴らしい、URLにも尊く見える、ありますね。

2.
日蓮本仏論の問題点は
「日蓮が御本仏であるから正宗、学会に入信しなさい」、という勧誘、(正宗、学会の)正義、最高位の思想として、根拠の一つとして長らく言われてきた点です。

現代、特にインターネット時代になってからは
「恵心流中古天台口伝法門」
「日蓮遺文に日蓮本仏論が書かれていない」
が明確になると、日蓮本仏論の根拠が崩れたということなのです。

犀角独歩さんが以前日記で
「結局のところ、学会・顕正会を含む大石寺教学は素人騙し」
http://gree.jp/8028711/blog/entry/214966064
この様に書かれていますが、同感です。
私は学会員であった当時も今も素人ですが、脱カルト出来る、退会出来る、嘘を言わない程度には勉強したという事です。

98. 犀角独歩 (19) - 05/06 09:34
(つづき)ここでわたしがぶち当たったのは「釈尊上行一体の異名」という相伝。
頭をぶん殴られるという譬えがありましたが、わたしはこの辺から、実はぐんと日蓮本仏論の第2ラウンドに入り込みます。

本尊相伝。

「日蓮と御判を置き給ふ事如何(三世印判日蓮躰具)、師の曰はく首題も釈迦多宝も上行無辺行等も普賢文殊等も舎利弗迦葉等も梵釈四天日月等も鬼子母神十羅刹女等も天照八幡等も悉く日蓮なりと申す心なり」

「釈迦と申すは天照太神西天に釈迦と顕はれ諸仏の本誓妙法蓮華経を説き一切衆生悉く是れ吾が子なりと宣ふ、日本に又大明神と顕はれ正直に方便を捨つる本願の誓に酬て正直の頭に宿る、末法濁世の時は日蓮聖人と顕はれ諸仏の本意を顕はす、左れば釈迦上行天照太神、日蓮聖人只一躰の習にして釈迦幼少の御名は日種と、天照幼少の御名は日神と云ふ最も謂れあることなり」
そして、極めつけは『(日)寛記雑々』。

「今寿量文底の意に拠るに、蓮祖は即ち是れ本因妙の教主釈尊なり」

「蓮祖は則ち一念三千の御主なるが故なり。日神は亦是れ本因妙の教主釈尊なり。本因妙の教主釈尊とは即ち是れ久遠元初の自受用報身、妙法蓮華経の五字なり。故に妙法、釈尊、蓮祖、天照大神は一体の異名なり」

「凡そ蓮祖大聖人は若し外用を論ぜば本化上行菩薩の再誕、諸抄の中に或は仏の御使と云ひ、或は霊山相伝等と云ふが如き是れなり。若し内証を論ずれば、久遠元初の本因妙の教主釈尊なり」

「只是れ久遠元初の釈尊の一身なり。故に蓮祖大聖を以て、或ひは上行の後身と云ひ或ひは本因妙の教主釈尊と云ふなり。若し深く此の意を識る則んば、内証外用の相伝天晴地明ならん」

「蓮祖は即ち是れ釈尊の事」(つづく)


返信する
99. 犀角独歩 (19) - 05/06 09:34
(つづき)日蓮は、釈迦の師匠という学会教学は、まさに外用の辺であり、跨節し内証に踏み込めば、日蓮こそ釈迦であるというのが、大石寺における日蓮本仏論の極意であることを知ることになるわけです。
こうした点を外用から内証に、従浅至深に精緻に論じたのが、日応の「日蓮本仏論」でした。しかし、この説法は難解で、外用内証が従浅至深して語られているという文脈を敢えて理解できないように難渋に論じられているのでないかと思える内容です。極意とはそうしたものでしょうが、福重を簡び日応を選ぶ大石寺の流れは、ここにあるのでしょう。

「吾人衆生が主師親、三徳有縁の本仏、本門寿量文底下種の教主釈尊即宗祖日蓮大聖人の御事なるべし。血脉抄に曰く、我内証の寿量品と者脱益の寿量の文底本因妙の事也、其の教主者某也。 依之観之、宗祖は三大秘法総在の御本尊にして、久遠五百塵点劫の当初より此土有縁深厚の本仏教主釈尊なること晴天の日の如くならん。」

ところが、所謂「日蓮本仏論批判」は、この日蓮釈迦一体なる内証に踏み込まず、外用の辺域のみに終始して論じられているわけです。

この点は、いま、こちらのテーマになっている恵心流口伝法門を、換骨奪胎盗用という視点から論じた早坂さんの限界でもあります。

わたしが試みているのは、この内証における日蓮本仏論批判ですが、さて、うまくいくかどうか。

どうしたら、皆さんの理解を導けるか、考えあぐねているところです。


返信する
100. そううそ (16) - 05/06 19:15
犀角独歩さん
こんちは

>この点は、いま、こちらのテーマになっている恵心流口伝法門を、換骨奪胎盗用という視点から論じた早坂さんの限界でもあります。
>わたしが試みているのは、この内証における日蓮本仏論批判ですが、さて、うまくいくかどうか。
>どうしたら、皆さんの理解を導けるか、考えあぐねているところです。

 なんだか書けとMCされている気がしないでもないですが(笑)書いちゃいます。ヽ(^o^;)ノ

>外用から内証に、従浅至深に精緻に論じたのが、日応の「日蓮本仏論」でした。しかし、この説法は難解で、外用内証が従浅至深して語られているという文脈を敢えて理解できないように難渋に論じられているのでないかと思える

そんなに難しい話でしょうか?
日応の「日蓮本仏論」を読んでいませんが、上記のコメントだけでもポイントがいくつかあげます。

1.「外用、内証、従浅至深」が原始仏教以来からの基本的な仏教用語ではない。
2.内証とかの「証」は証拠を前提としない主観的な「内」面的な評価や気持ちでしかない。

>「日蓮と御判を置き給ふ事如何(三世印判日蓮躰具)、
(中略)
>「蓮祖は即ち是れ釈尊の事」

犀角独歩さんが引用して下さった上記の記述は
3.良き評価、良きレッテル張り、執筆者の「そう思いたい」でしかありません。

具体的な言動や働きや結果や根拠を前提とした評価ではありません。
「妙法、釈尊、蓮祖、天照大神は一体の異名」とかありますが、妙法、天照大神なんて釈尊は言っていません。
天照大神なんて具体的な言動や働きにしたって日蓮と釈尊で一致するところは何もないはずです。
ツッコミどころ満載のような気がします。(^_^;A
そもそも「一体の異名」が理由になって信仰の本質ではないはずです。
正宗から見た邪宗に数多くありがちな祖師信仰と全く同じかと。

返信する
101. そううそ (16) - 05/06 19:15
日蓮を称えたい、日蓮を褒めたい、日蓮を高く評価する、だから、その結果、下記のように「褒め称えている」にすぎません。

>妙法、釈尊、蓮祖、天照大神は一体の異名」
>本化上行菩薩の再誕、諸抄の中に或は仏の御使と云ひ、或は霊山相伝等と云ふ
>日蓮と御判を置き給ふ事如何(三世印判日蓮躰具)、(中略)鬼子母神十羅刹女等も天照八幡等も悉く日蓮なりと申す心なり
>学会教学は、まさに外用の辺であり、跨節し内証に踏み込めば、日蓮こそ釈迦である

「主」「師」「親」の三徳とはいいますが、具体的に仏陀が「主人」「師匠」「親」の言動(言葉と行動)をとったからその様に評価されたのでしょう。

難しい言葉の羅列に人は魅せられます。
特に法華経、日蓮遺文などもそうですが、漢字など半分日本語半分中国語で読んだら分かったような気になってしまう所が怖いです。

犀角独歩さんが書いて下さった日蓮本仏論の抜き書きも現代語訳されると、
「それでこれらの根拠は何処にあるの?」という事になる気がします。

やはり、いつかその内、日蓮真筆遺文現代語訳や富士門流BBSをネットにまとめていただくことが大事のような気がします。。。。

ではでは
そううそ

102. 犀角独歩 (21) - 05/06 19:53
そううそさん

どうもです。MC(笑)

日応さんはなかなか名文で、わたしがけっこう好き。また、先に挙げた本尊相伝已来日寛の釈迦日蓮一体の系譜を実に正鵠に表現していると思いますね。ただし、それはその門派での話です。こうした考えは、本地垂迹説の亜型ということでしょうね。

ただ、最終的なところまでいった大石寺教学は、“亜型”の釈迦一仏論である。だから、釈迦を日蓮正宗という批判は、実は外用面での話で、内証には当たらない、ここのところを勘違いして批判しても骨は斬れないということをわたしは言いたいわけです。

それでそううそさんが仰るとおり、「それでこれらの根拠は何処にあるの?」が大事で、そこを詰めていくと、結局、日蓮の言葉には行き当たらないわけですね。

1本は要法寺系、もう1本は仙波談林ということになり、このトピでは後者がテーマになっているわけですね。

現代語訳ですか。うーん、それほど、難しい言葉にはなっていないようですが、しかし、GREE を見ていると、たしかにそうしたことも大事かも知れませんね。

http://gree.jp/?mode=blog&act=view_per_entry&user_id=14637953&urn=urn%3Agree%3Ablog%3Aentry%3A232679214

そううそ (17) - 2009/05/07 06:58
おは!
そううそどぇーす。

 正宗系信徒に反論を行う場合、非常に良く相手を
見極めつつ1つ1つ慎重に会話をしないと、
カルト信者に「安易な」反論と受け取られて
物別れか、逃げ出します。

ですから相手の「スイッチ」に触れない様に慎重に議論を進める必要があると思います。
相手を責めるのではなく、思いやりが必要でしょう。
責めたり追いつめるとますます彼らはカルトに逃げ込みます。
そうではなく、彼らには読ませたり考える時間が必要です。

http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/e0305b0d4ac2b2c788df266f4e76074f
greeなどで書いたコメントをここに残しています。
------------------------------------------------
日蓮正宗系の人は敵味方思考が強く、また客観的にみると
怒りと恐怖に囚われて思考停止している面があります。

さて、ではこういった一面を持つ人達にどうかかわるか?
というと、実はちょっと難しいところがあります。

ある程度、「反論が必要」だと私も考えていますが、
しかし、恐怖や怒りあるいは思考停止している人に、
こちらも怒りで対処するとますます彼らの恐怖や怒り、
あるいは思考停止は増大すると私は考えています。

ただでさえ現実の厳しさから逃避する傾向性があるわけですから、
アンチからのいじめなどは創価学会にとどまるきっかけになってしまうでしょう。

責める、反論する、これらの境目は無いように見えますが、
ちゃんとあります。
その人を見てケースバイケースに対処するしかないでしょう。
私も気をつけているのですが、彼らと関わった結果、
必要以上に彼らを見下すか、自分に怒りが出てくるなら、
それ以上は関わらない方が良いのかな?
とも考えています。
------------------------------------------------

それとこちらも時には怒っても良いですよ。
実は一般常識の範囲であればOKです。教学を知らない方が自由度が高いんですよ?
教義や相手の良心や信念には怒らない方がいいでしょう。

1.責める
という事と
1.反論する、説明する、説得する
は違います。後者は思いやりや優しさを与えられます。

一般常識

教義や相手の良心や信念
これらを見分けられますか?


返信する
7. そううそ (17) - 2009/05/07 07:11
○○さん
おは!です。

>私も坊主のはしくれですが、まだまだ足りません。
>私は一応はしくれなんでそうも言ってられません

 足りない??上記の内容は順序が違うのでは?

仏陀の思いやりや慈悲や優しさなどの言動があって、
それから、仏陀の言動を残そうと、弟子が「思いやりや慈悲や優しさの言動」を経文や教学としたのでは?
ekさんであれば私より知識はご存じなはず。
ですから教学や知識が足りないなんで事はなく、もうそれで十分かと。。。

修行が足りないと仰っています???


返信する
9. そううそ (17) - 2009/05/07 20:04
こんばんは。

>しかし、彼らには伝わらないような感じがしてます。

伝わらなくて正解です。

100人いたら1人説得出来たら上出来と思うくらいでないと。
1人に10個教学を教えて一つ伝われば上出来と思うくらいでないと。
そうでないと学会員と同じ心理状態になります。

1.私(○○)は日蓮宗の正しい教学を教えている。
2.私(○○)は正しいから説得できるはず。
3.私(○○)は説得出来ない時、腹が立つ。悩む。

悩んでいるのはこの記事な訳です。
折伏が出来なくて悩んだり、悩んだあげく、
学会の書籍や池田氏のスピーチから学ぼう!!!なんて学会員のHP腐るほどありますよ。

1から3の意識や心理状態は私が学会員でバリ活だったときと何も変わりがありません。
創価班だとか池田先生の弟子として。。。なんて歪んだプライドがないだけずっとマシですが。
今のままだとアンチ創価、アンチ正宗というカルトになってしまいますよ。

反論や説得をヤメロと言っていません。

不明点があれば一度TELで話しますか?

そううそ
ではでは

返信する
10. そううそ (17) - 2009/05/07 21:16
も一つ。
仏教を勉強するな、とも言っていません。

あくまで一般常識のほうが実は有利、という私個人の意見です。
仏教知識もFBIさんや犀角独歩さんのように知り尽くしていれば役に立つケースもあるでしょう。同時にFBIさんや犀角独歩さんも心理学やカウンセリング学も学んでいらっしゃるみたいですよ。

http://gree.jp/?mode=blog&act=view_per_entry&user_id=7737268&urn=urn:gree:blog:entry:259251395

13. そううそ (17) - 2009/06/06 18:34
FBIさん
ちはー。

>1度も書き込みもしていないのに、いきなり
>「サークル追放
>創価学会議論所5から追放されました。」

全速でFBIさんから逃げた。って感じですな。(笑)
「自分」が可「愛」いにも程がありますね。

とんでもなく自分、つまり自己愛が歪んでいますね。

こういうことすると悪影響や不健全を自分でがっしりと
抱き締めて維持しちゃうだろうなぁ。。。。。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/l50

3781 名前:TT 投稿日: 2009/06/15(月) 07:03:52
勤行というのは、どのようにすればいいのですか?
わかる方いらっしゃいましたらご指導宜しくお願いします。

3782 名前:そううそ 投稿日: 2009/06/17(水) 02:18:14
こんばんは
TTさん
はじまして、ハンドル名、「そううそ」といいます。

 そのうちどなたかがきちんとコメントしてくれると思いますが
あくまでも私個人の考え方を少しだけ書きます。

経文とは何なのでしょうか?
それを読む意味って何でしょうか?

経文を読んで書かれている内容を参考にして自分で考え、
困っている人や悩んでいる人を目の前にして救いの言葉や行動を
「与える」事が経文を読む目的だと私は考えています。
様々な経典には過去、人が納得出来たり人が救われたという
事実に近い記録や妄想、あるいは思想が書かれていると思います。

いろいろあると思いますが、一つ言えば病気の人がいれば
薬で済ませるか手術して直すかの手順書みたいなものでしょうか?

この病気にはこの薬。
この臓器の手術方法はこの様に。
とある不安や悩み事を抱えている人には「だいじょうぶだよ?」「こんな経験をした人がいるよ?」

対処、対策、言葉はなんでも良いですが、助け方を知らないよりは知っていた方が良いと思います。
ですから経文を読む目的は 「知ること」「記憶すること」 ではないでしょうか?
経文を日々読むという事で宗教的な意味としては次世代にも
経文の内容(良き宗教思想)を教える為、というのもあるのでしょう。
ですから現代人が他人を救おうと思って意味も内容も知らないで
漢文と日本語読み(?)の中間的な法華経読誦はほぼ無意味だと思います。

勤行で「人を救うという日々、決意をするのだ!!!」という人もいるでしょうが、
強く言う人であればあるほど、私はそこに不健全を感じます。

以上、私の勝手な考えを書きました。
原始仏教や日蓮遺文、宗教的な意義はどなたかがコメントをして下さると思います。

http://gree.jp/?mode=blog&act=view_per_entry&user_id=6780560&urn=urn:gree:blog:entry:264524641

そううそ (18) - 2009/06/22 20:41
こんばんは。
○○○○さん

○陥る理由

>なぜ創価学会に陥るのか?

私から見れば、つるまるさんが日蓮正宗に
陥るのと同じ理由だと考えています。

○正宗が選挙活動をしないから正しいのか?

○○○さんが創価学会の選挙活動に功徳はない、と
仰っていますが、この点は私も同意します。
しかし、選挙活動をする/しない、つまり正宗が選挙活動しないというだけでカルトでなく宗教であり100%正しいとは言えません。

カルトである要件は十分に満たしているか
限りなく黒に近いグレーだと私は考えています。

>仏法は本来、記録と記憶が表裏一体でなければならないのではないでしょう。
しかし、表裏一体では無いために報われぬものも多発しアンチが生まれるのでしょう。

もしかして私の富士門流BBSの発言
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/3782
「様々な経典は事実に近い記録」
から思いついた日記かもしれませんが、

「仏法は本来、記録と記憶が表裏一体では無いために報われぬものも多発しアンチが生まれるのでしょう。」

>報われぬものも多発しアンチが生まれる

というのは如何な発言かと思います。

私は心理学や原始仏教でMCを解く事が出来た
現実の証人です。私は現証です。

現証ですからキューキョクな御本仏である
日蓮大聖人の仰せのままに私のブログをよく読み
現証である私を肯定して下さい。

でも様々な点であなたが私を肯定出来ないでしょ?

最初からあなたの観点が報われる/報われない
アンチ/シンパ、この2つにしか無い事が問題なのです。
誤解無いように書いておきますが、あなたがこの2つの観点しか持っていないとは私は思っていません。そういう捉え方のクセ、軽はずみな言動パターンが問題なのです。

あなたとは葬儀の議論もさんざんしましたが
私から見ると、葬儀の議論と同じ問題に見えます。
そしてそれは創価などの正宗だけでなく、
カルト問題に共通する問題だと思います。
カルト問題の本質は教義の違いは問題ではありません。

オウムと創価は教義が違いますが、あなた自身がカルトに共通する問題(不健全)を抱えている、ということです。

×
そういう捉え方のクセ、軽はずみな言動パターンが問題なのです。

人や物事に対してそういう捉え方のクセ、軽はずみな言動パターンが問題なのです。
×
カルト問題の本質は教義の違いは問題ではありません。

カルト問題の本質的な問題は教義の違いではありません。
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某SNSのメモ 宗教の話を聞く側の「人」、救われる側の「人」3

2009年05月02日 14時15分39秒 | 創価学会
http://gree.jp/?mode=community&act=bbs_view&thread_id=2441238
362. そううそ (16) - 05/01 18:34
○○○○さん

ここからがあなたと私の会話のやりとりになります。

さて、日寛の日蓮本仏論は法華経仏説を前提に成り立っています。
仏説とは仏陀、釈尊の説です。

日蓮、日寛の時代には法華経仏説だったでしょう。
当時は布教や折伏に際し、説得力があったと思います。

しかし、現代では法華経非仏説です。

日蓮や日寛は法華経非仏説を見抜けなかった
「間違えた僧侶」なわけですが、どうして
「間違えた僧侶」が釈迦を超えた「御本仏」なのでしょうか?
現代人の我々が「御本仏」と捉えるのでしょうか?

ここで信心がないとか信仰心がないとは言わないで下さい。私は元学会員です。

日寛時代の日蓮本仏論は当時は成り立っていても
現代は成り立たないと思いますが、如何でしょうか?


365. そううそ (16) - 05/01 20:32
○○○○さん

もちろん、はじめまして、ですよ。

話を戻して、というのは本仏に議論が進んでいますが、
「根本的な前提」の話に戻す、という意味です。

「根本的な前提」というのは法華経仏説が成り立たなければ日蓮本仏論は成り立ちません。

http://gree.jp/?mode=community&act=bbs_view&thread_id=9334865

206. そううそ (16) - 05/02 13:30
さん&ALL
こんちは


>>私は、「仏」と書いてなくとも、「主」「師」「親」の三徳が明かされたならば、それは「仏」だと言っています。


>……三徳を明かされたならば仏?
>そんな、経文や日蓮の遺文ありましたっけ?

○「師」

原始仏教の仏陀は「師」であったとおもいます。
しかし、「友を作る事が仏道修行の全てである。」といわれるように、弟子や友とはかなり対等か限りなく師のほうから近づいていく姿勢があると思います。

これを慈悲とか愛情とか優しさとか定義したりレッテル張りする事は(良くも悪くも)可能でしょう。

どのカルトにも見られるような超人的、絶対的な上から目線の「師」ではありません。

「主」「親」という思想は仏陀への「良き評価」には成り得ても宗教的な意義として現代人には無理があります。
宗教の「主」「師」「親」ですら現代人には無理があるのですからカルトの「主」「師」「親」にはどうしようもない悪影響があると思います。


返信する
207. そううそ (16) - 05/02 13:35
○「主」「師」「親」


死のイメージがない超人的、絶対的な「主」「師」「親」がある!「主」「師」「親」を備えている!!、つまり、我は正しい!!、お前達たち(他者)謗法だ!間違っている!なのか?
絶対的生命だとか永遠の指導者だとか本仏論だとかはこれにあたるでしょう。
日蓮本仏論の危険性は日蓮が否定されると仏陀本仏論、法華経原理主義に陥ります。


死を前提とした弟子(他者)が”良き”「人」、つまり”良き”「主」「師」「親」になってほしいという願いや祈りから来るなのか?。。。。
死があるから師匠は絶対ではなく、弟子が師匠を超えて欲しいはずです。


つまり、カルトと宗教はこの点でも逆なのです。
「主」「師」「親」を”過去に、既に備えて”いるから正しい!絶対!これは実にくだらない本仏論に陥ります。
本仏論が否定されると仏陀本仏論、法華経原理主義に陥ります。

法華講、信徒、会員、なんでも呼び名や説明者が誰でも構いませんが、
宗教者当人がgreeのコメントすることで「主」「師」「親」を周りの人に”今これから示し”感じ取ってもらう事が大事でしょう。
と同時に、日蓮遺文の「主」「師」「親」や経文から仏陀の「主」「師」「親」を説明する事は悪い事ではありません。現代に通用する・しないを両方説明することが大事でしょう。
ここで彼らのコメントには経文解釈や教義の説明しかないのです。

本仏や「主」「師」「親」の定義やレッテル張りにはカルト性が強く、宗教者当人が良き「主」「師」「親」を示すのが宗教性があると言えるでしょう。

1.日蓮、仏陀、私の師匠、池田先生、指導教師はすばらしい。
1.経文にこう書いてある。

これではますます宗教は無くなっていくでしょう。
本仏論に限った事ではありませんが、カルトは説明すればするほど自己満足になっている。
私はそれで構わないと思いますが。

ではでは

208. そううそ (16) - 05/02 14:52
>1.日蓮、仏陀、私の師匠、池田先生、指導教師はすばらしい。
>1.経文にこう書いてある。

>これではますます宗教は無くなっていく
>カルトは説明すればするほど


誤解を少なくする為に補足

この様に書きましたが、議論や会話は駄目だとか、会話するなとか、私は言っていません。むしろ逆です。
原始仏教経典にも仏陀と弟子の会話ですよね。
法華経も仏陀と弟子の会話が書かれています。
日蓮の立正安国論も主人と客人の会話です。

私の師匠は素晴らしい。いい人だ。
こうこうこういう会話があったから。。。etcetc
あの一言は心に残った。あの一言は嬉しかった。
日蓮遺文のあの文章は感動した。

それならば
宗教者でも弟子でも呼び名は何でも良いですが、
一般の人やアンチの人が宗教する人を「主」「師」「親」と思ってもらえるように。
あるいは、いい人だなぁ、あの一言は嬉しかった。
そう思ってもらえる、感じてもらえる会話や議論が大事でしょう。

創価学会などの日蓮正宗系信徒の言動は非常に不健全か不毛です。
心理学を持ち出すまでもなく、議論以前に不誠実でもあるでしょう。

私は日蓮はただの間違いあった人間だと思います。
時代の制約があったので仕方ないでしょう。
でも、いい人だったと今でも思いますし、そう感じます。
一般仏教を勉強すれば日蓮なんてただの僧侶です。
頭が良かった事や影響力があった事は事実です。
でも現代には通用しません。


213. そううそ (16) - 05/02 20:10
さん
こんばんは

>正宗の僧侶に対して不信感を抱いた=日蓮正宗に血脈なんかない=戒壇の大御本尊は偽物だ=日蓮は仏じゃないから日蓮が何を言おうが関係ない=法華経は偽経、と、どんどん=でつながれてしまう、あなたの周りにはそういう人たちが多く集まっています。そうした人々が集団を形成

なるほど。
私から見れば正宗系教団は全員嘘つきです。

信徒会員各個人に共通するのは
嘘を嘘であると見抜きたくない心理。
嘘を嘘であると思いたくない心理。
こうしたものがあります。
もっというと
嘘に積極的にしがみつきたい心理。
でしょう。

よくわかりますよ。私も同じ事を考え、似たような事を口にしていましたから。
日蓮遺文や経文、日蓮正宗の書籍などの教義を
部分的に引用して最もらしく組み立てたいわけですね。
嘘を本当だと自分が信じ込める程度に。。。。。

折伏の際に仏教用語に無知な人には通用しますが
ここでは通用しません。

間違えた日蓮が絶対的な「師」だとか本仏であるはずがありません。
部分的に間違えた日蓮だけど、我々は日蓮を人間として日蓮を先輩として、数多くいる仏教の「師」の1人として、こうこうこの様に祖師として仰ぎます。
これならわかりますけど。

http://jbbs.livedoor.jp/study/10128/
富士門流信徒掲示板 抜粋

>そうした人々が集団を形成

あなたがどの組織に所属しているのかは私は知りません。
あなたの中で日蓮正宗や学会がどの様に正しいのかは私は知りません。

過去に嘘を教えて何の訂正もないか
あるいは
嘘を教えて謝罪も無しに教義をコロコロ変え、他者へ誹謗中傷、罵倒する、そういう集団でしょう。
そんな不健全な人々、集団、つまり教団にいて末端信徒や会員が満足や自己正当化できる、というのは、
この国にとって、我々一般人にとってマイナスでしかありません。

心理的に爆弾や不健全を抱える人間が増えてゆくだけなのです。


214. そううそ (16) - 05/02 20:11
さて最後に質問があります。
おそらくあなたも私同様、自分、家族や友人の
幸福や健康を日々祈っている事でしょう。
あなたは自分以外の他者に不幸になって欲しいですか?
あなたは自分以外の他者に嘘を教えたいですか?

自分以外の他者が嘘を信じる事はあなたにとって
嬉しいですか?
正義ですか?
満足ですか?

全部Noでしょう。
なら、きちんと調べ、まずはここにいる人達を
しっかり納得させる必要があるでしょう。
あとはあなた次第です。


219. そううそ (16) - 05/02 23:16
>>213
さん

>自分が絶対に正しいと思ってるのはあなた

私が書いてもいない事を
私が書いたかのように勝手に書かないで下さい。
私は無信仰者です。

>仏法は知識を競うのではなく、人生いかに生きるべきかの問題なのです。

ここは賛成です。

>御金言には世間出世間ともに正直たれと教えています。

これは日蓮の良い意見だと思いますよ。

>まさに人生を賭ける価値のある教えと拝し
>宗旨の根幹に関わる部分が嘘だったと納得できれば、その時は人生など賭けられませんから信仰は捨てます。

さてこれはどうでしょうか?
2文ともやや極端ですね。
信仰をすてる/すてない、ではなくカルト活動を止めて欲しいと私は考えています。

1.
http://gree.jp/?mode=community&act=bbs_view&thid=9311761
「二箇相承書」は日蓮が書いた遺文(御書)ではない。後世の偽作だ
2.大御本尊
3.おにくげ
4.五時八経、法華経仏説

嘘や間違いは幾らでもあるでしょう。
問題は正宗僧侶、学会本部などの教団トップに悪意の嘘があることです。

>あなたも、正宗を嘘と言い切るなら
>願わくば遊び半分ではなく、人生を賭け、正直を志して発言していただきたい

では私のブログを全て読んで下さい。
創価学会の信仰に功徳はあるか?
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/
記事だけでコメントは結構です。
私のブログは遊び半分でやっていません。

全て読むのが無理であれば
1-21番記事と139番記事あたりから最新記事までいいでしょう。

>私が正しいか、あなたが正しいか、命は無常であり凡身には計り難いところ
>御仏智は甚深でありますので、

そんなことはありません。
1.あなたに一般仏教の知識がない点。
2.日蓮正宗に教えられた教学や専門用語(テクニカルターム)の為に ”凡身には計り難い” となってしまうのです。
2には嘘とホントが混ざっているから見分けるのがやっかいなのです。

返信する
220. そううそ (16) - 05/02 23:16
>御仏智は甚深
>間違った法に惑わされている方の者をそのまま見捨てるようなことは決してない

日蓮は死んでいますから既に誰でも見捨てています。正確には戦争が起ころうが
インフルエンザパンデミックが起ころうが御本仏は何もしません。
何度も言いますが日蓮は何もしません。
日蓮の思想、あるいは仏教思想を受け取った人が良き人でいる事が宗教のメリットでしょう。

ではでは

http://gree.jp/?mode=community&act=bbs_view&thread_id=9334865
288. そううそ (16) - 05/03 13:55
さん
こんちは

>>283
>>「異端」と使っていい団体と悪い団体があるってもんですよね。

>なんでそんなに日蓮宗ばかり庇うんですか?
>天台宗から見れば日蓮宗も日蓮正宗も天台の異端でしょう。

異端とはやや話がずれますが少しだけ。
異端である、という理由の一つに悪意の有無は別として嘘や間違い、トンデモ伝説というのが理由になる場合があります。

仏教のどの宗派、仏教だけでなくどの宗教にも
必ず一つは非科学的な理由があります。
ここでは個人の宗教体験として「光を見た、啓次を受けた」というのを除外しても、です。

ですから、日蓮正宗の ”おにくげ” が今現在も生きている、というのはどの宗教にもありがちなトンデモなわけですね。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1015567021/48

私も過去、学会入信の紹介者から大石寺で
「おにくげが今も生きている。すごい生命力だ!」(主旨)
などと 「教えられた」 ことがあります。
そして私も おにくげ を信じていました。

私は宗教否定の人間ですが、良き宗教者までは否定しません。これからの人間には宗教は不要だと思う宗教否定の理由は次の通りです。特に宗教教団は不要かと。


個人の宗教体験を除いたとしても、嘘や間違い、トンデモ伝説というのがどの宗教にも存在するからです。


もちろん、宗教する/しないにかかわらず、
どこかの誰かが宗教は必要、宗教はあっても良い、等々思い考えることはあるでしょうし、それでも良いと私は考えています。それは各人の自由です。

「おにくげが今も生きている。」とする教団が
いかに不健全で不必要か?ということかと。
おにくげが今も生きている、そう「教えられ」た被害者であるとしても、その教団に属する人も多少は問題があるのではないでしょうか?

ではでは



返信する
289. そううそ (16) - 05/03 14:05
補足。

良識や常識、科学を前提とする世間一般からは見て、
嘘や間違い、トンデモ伝説にしがみつくか、
きちんと総括しない宗教は 異端である、
宗教自体、宗教全体が世間一般から異端であるといわれても仕方ないでしょう。
創価などの日蓮正宗系教団に限った話ではありません。

293. そううそ (16) - 05/04 14:04
さん
こんちは。

内容的にかなり重要なコメントですね。

>学会がどのような己義を独自に
(中略)
>学会色を徐々に払拭し超克に勤めている
>御生骨についての考え方もそうです。

戸田城聖氏のおにくげが生きている、という学会色を
取り除く事は私から見ても良い事だと思います。
単におにくげだけの話だけでなく
様々な点に言えると思います。
学会色を取り除く、というよりも教義や自分たちを見つめ直す、という事が非常に重要かと。
(但し学会言っている事のほうが長い時間の中で結果的に良かったりすることもあるかもしれません。)

>歯肉が増えて生きている
>これをそのまま科学的客観的事実として断言することは、法華講では行われておりません。

なるほど。
これはきちんと私も記憶に止めておきたいと思います。

>歴代上人が色々な伝説を書き留め
>見え方はその人それぞれ、心において受け止めるものであると御住職から御指導

実はここには宗教とは正反対のカルト性が見受けられます。
1.どの宗教でも行われていますが、祖師の遺物を大事に保管したり大切にすることは良い事だと私も思います。
1.問題は祖師の遺物について”見え方はそれぞれ、受け止め方はそれぞれ”、といいながら信仰の対象か信仰の強要、信仰の出発点になっています。
1.また他の問題として祖師の遺物について”おにくげが生きている”を許容しています。生きているようにみえても、それは信仰の証か結果だ、というものです。
1.科学的客観的事実と断言しないといいながら、御生骨という生きた骨という言い方をしています。

”御住職から御指導”内容に欠けているのは
御生骨を皆で大切にしましょう、だけでなく
信仰の対象にはならないよ、
とか
仏教が仏教でいられるのは祖師日蓮だけでなく
どんな人の汚い遺体であろうと大切にするからです。
これならわかります。学会と正宗の間で遺骨事件がたくさんあります。
 (もちろん、コーヒーカップ事件のように学会が一方的に正宗の方を陥れようとした事も事実です。
これについては自分も被害者でもありますが、加担者であったことも事実です。恥ずかしい限りです。)

日蓮の遺骨は大切でも誰かの遺骨は大切にしない、ここに宗教性はありません。

返信する
294. そううそ (16) - 05/04 14:04

さんのコメントは重要で、安易に批判するのではなく、可能な限り1人1人におにくげが生きていると思うか?と聞いてみたいと私は思います。
またあなたは気づいていらっしゃると思いますが。。。
おにくげが生きている、生きた骨という言い方
これらは信仰の本質や信仰の対象ではないにもかかわらず、教団都合に利用され、悪質に煽るケースがあり得る事は理解いただけていると思います。

長々と諌暁八幡抄、本仏論から脱線してすいません。
私からは以上です。

ではでは

84. そううそ (16) - 05/05 16:35
>ALL

私がブログを立ち上げてから数年になりますが、
自分のブログだけでなくあちこちにあるんですが。。。

明らかに問題言動がある学会員がいても周りの学会員は注意しない。
明らかに問題言動がある法華講員がいても周りの法華講員は注意しない。
明らかに問題言動がある顕正会員がいても周りの顕正会員は注意しない。

問題言動を注意しない、注意出来ない、こういった点には確実にパーソナリティ障害があると思います。
問題言動をする側ではなくて、「注意しない、注意出来ない、」側に問題が大きいのです。

仏教知識に限らず、人間関係や言動、言動の動機や心情、etcetc
自分と他人の区別がついていないことが問題です。
わたしはブログでよく「ごっちゃになっている」と書いています。
他者の気持ちに鈍感。他者の不愉快や不快に鈍感なのが
問題です。

85. そううそ (16) - 05/05 16:40
>明らかに問題言動がある学会員がいても周りの学会員は注意しない。

明らかに問題言動がある学会員を罵倒、誹謗中傷する周りの学会員がいますが、これは更に論外です。
もう、どうしようもありません。(笑)

コメント (3)
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