創価学会の信仰に功徳はあるか?

コメントする人は「01.創価学会の信仰に功徳はあるか?を書く前に」を読んでね。

410.昭和定本の事理供養御書(白米一俵御書)現代日本語訳

2017年06月01日 00時03分20秒 | 日蓮系遺文
1.注意事項

 本記事は本文でも画像でも全てにおいて引用、転載を一切、禁止します。

本記事はリンクのみ許可します。
ツイッター、フェイスブック、他ツールからでも、本記事に飛べば許可します。

2.昭和定本の事理供養御書(白米一俵御書) 現代日本語訳
(c) 2003日蓮宗
--------------------------
白米一俵・毛芋一俵・河海苔一篭を、御使の人に託してわざわざ送り届けて頂き、たしかに受領した。

人間には二つの財物が必要である。一つには衣類であり、二つには食物である。経文には「生きているものは食物によって存在することができるのである」という。この経文の意味は、すべて生あるものは衣類と食物とによって、世に住むことができるということである。たとえば魚は水中に住んでいて、水を宝とする。木は地の上に生えていて、土地を財としているのと同じである。すなわち人間は食物によって生きているのであり、食物を第一の財としているのである。

(事の供養と理の供養)

命というものはすべての財宝の中の第一に大切な財物である。あまねく三千世界の中において身命にあたいするものはないと説かれているが、まことに三千大千世界のすべての財物をもってしても命にかえることは、とても出来ないことである。

(中略)

帰命とはわが命を仏に奉ることである。わが身にはそれぞれの分に応じて妻子や使用人、土地や資金等を持っている人もいるし、また持っていない人々もいる。しかしこうした財産を持っている人でも持っていない人であっても、命という財宝に過ぎた財宝はない。したがって昔の聖人・賢人といわれる人々は、自分の命を仏に奉って、その功徳で仏になったのである。

(中略)

すなわち雪山童子という人は、わが身を鬼神に与えて尊い教えの八字をならった。薬王菩薩はわが臂を焼いて燈明として法華経に供養された。日本でも聖徳太子は、自分の手で皮をはいで法華経を書き、天智天皇は第四指の薬指を焚いて釈迦仏に供養なされた。これらのことは聖人や賢人の行なったことであるので、われら凡夫にとっては不可能なことである。

ただし仏になるためには凡夫は「志ざし」という文字を心得て、それで仏になることができるのである。それでは志ざしということは何かというと、詳しく考えてみるに観心の法門のことである。さらに観心とはどういうことかというと、たとえば一枚しか着ていない着物を、必要とあらば法華経にさしあげることであって、これが、身の皮をはぐということと同じである。また食べる物がない飢えた時に、これを手放してしまうと今日の命をつなぐことができなくなってしまうというとき、そのただ一つしかない食物を仏に供養することであり、これが身命を仏に差し上げるということであって、こうした実践方法のことである。

このことは薬王菩薩が臂を焼き、雪山童子が身を鬼神に捧げたことにも劣らぬ功徳であるので、聖人の命を惜しまぬ供養は事(仏法を実践すること)の供養であり、凡夫の志ざしの供養は理(仏の教えに従う)の供養といえる。摩訶止観の第七に説かれている観心の檀波羅蜜(布施)という法門がこれである。真実の道は世間における事実の法理と共通するものである。

(世法即仏法)
(中略)

法華経以前の諸経では「心から万法(すべてのもの)が生じてくる。たとえば心は大地のようなものであって、そこに生えている草木は万法のようなものである」という。法華経はそうではなく、「心がすなわち大地であり、大地はただちに草木である」というのである。また諸経では「心の澄むのは月のごとく、心の清らかなことは花のごとくである」というが、法華経ではそうではなく、「月こそ心であり、花こそ心である」という法門なのである。

このことから考えてみると、送っていただいた白米はただの白米ではなく、すなわち命である。

日蓮は美食を好まぬ者であるので(世俗の栄華を望まない身の上なので)力が及ばないため、こうして山林に交わり生活しているが、しかしながら凡夫の身であるので、冬の寒さも耐えがたく、夏の暑さも防ぎがたい状態でいる。食糧も乏しい状態である。昔、万里の遠くへ旅した人がほんのわずかの食だけで苦労したとのこと、また中国の子思と孔子が百日の間に九回だけ食事をし、あとは食べる物に耐えたというが、今はそれよりも耐えがたい状態である。

ここ身延山における読経の声も絶えてしまいそうであり、心を見つめ、悟りを得るための修行もおろそかになりがちである。そうしたおりにこのたびのご供養をいただいたことは、ただ事とも思えない。きっと教主釈尊のおすすめによるものか、あるいはまた過去の世からの御縁が熟して、このようになったのか、とても手紙で書き表わすことのできるものではない深いわけがあるからであろう。恐れながら謹んで申し上げる。
--------------------------

3.昭和定本の日本語訳を考察。

 以下の「美食ををさめぬ人」の箇所がどちらの遺文に続くかで各遺文集で異なっています。
393-7.閻浮提中御書 白米一俵御書 御書全集(昭和29年再版)誤記 その7 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?

すなわち命なり。美食ををさめぬ人なれば力をよはず山林にまじわり候ぬ。

この件に関しては昭和定本などの日蓮宗の学説を支持します。
米田淳雄さんの『平成新修 日蓮聖人遺文集』や春秋社『日蓮聖人全集』も『昭和定本』と同じでした。

(1)事理供養御書(白米一俵御書)

 日本語訳の流れから自然なのは事理供養御書(白米一俵御書)。
美食ををさめぬ人〜最後まで御供養への感謝が書かれている。
事理供養御書の冒頭に白米とある。
思子孔(ししこう)は中国の子思と孔子の伝説。師子吼ではない。
但し日蓮が書いた思子孔伝説は現代の学説から史実と異なる可能性が高いと思われる。

(2)師子王御書(閻浮提中御書)

 師子王御書(閻浮提中御書)に付加すると日本語訳の流れから不自然。
師子王御書は法難や迫害に対する「愚痴」の遺文なので、最後に突然、御供養への感謝は不自然。
師子王御書冒頭に白米と書かれてない。
思子孔を師子吼と間違えた可能性。この箇所も師子吼だと日本語訳が意味不明になる。
文中にいくつか「師子」とあるため、思子孔を師子吼と間違えたか?

創価の御書全集では平成になってから遺文が移動しているので、しっかりとした理由があるかもしれない。理由は不明。
師子王御書(閻浮提中御書)に移動した何らかの理由が大石寺にあるはずの和紙ではないか?理由は不明。
事理供養御書も師子王御書も大石寺の遺文なので2つを見た大石寺僧侶が言及している可能性がある。未確認。

4.まとめ

 図書館で確認したところ、平成校定(初版)、平成新編(五版)は師子王御書(閻浮提中御書)側に付加する学説です。
編さん時に遺文の日本語訳のチェックを行っていないと思われます。
昭和定本の学説が正しいとすると、正宗版も学会版も平成に入ってから誤記が入ったことになります。(昭和新定も平成校定と同じ。)
よって、大石寺系の教団が間違えているかどうかは確定していませんが、確定すれば自分の寺にある遺文を間違えたことになり、滑稽という他ありません。
ロクに読んでもいなければ理解もしていないのでしょう。ホント不真面目ですよね。
大石寺系の坊さんが全員無能とはいいませんが、こういう人たちに私は信徒除名されたんですね。

日蓮正宗は師子王御書に続く学説と昭和定本の事理供養御書に続く学説をそれぞれ説明する事ができるのでしょうか?
誤記だった場合でも、この件に限っては正宗が謝罪する必要はないと思いますが、最低一度は交換するとか正誤表を無料で送付するくらいは必要でしょう。

創価版は問題が多すぎて論外で、謝罪と賠償が必要なのは言うまでもありません。
今後、一般の人が買う御遺文集は正宗の平成新編になってしまうのでしょうか?残念です。

日蓮宗系の遺文集では昭和二〇年代三〇年代から当たり前の学説だったと思うので、日蓮宗僧俗の皆さんからすれば、この記事は何を今更ですよね。

つい最近の過去記事で法華経を一度でいいから日本語訳で読経や勤行してみて欲しいと書きましたが、
日蓮遺文についても日本語訳のあるものは一度は日本語訳で読んでは如何ですか?
創価などの正宗系教団の人にとって妄想や思い込みが解けていいんじゃないでしょうか?
これで「仏法と申すは勝負をさきとし」についても”仏法は勝負”という誤訳する人がいなくなって欲しいと思います。

以上

米田さんの「平成新修 日蓮聖人遺文集」や「日蓮聖人全集」も昭和定本と同じでした。

米田淳雄さんの『平成新修 日蓮聖人遺文集』や春秋社『日蓮聖人全集』も『昭和定本』と同じでした。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 409.昭和定本の師子王御書(... | トップ | 餃子の王将店主「心意気や」... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日蓮系遺文」カテゴリの最新記事