Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

歌舞伎座『寿初春大歌舞伎 夜の部』 1等1階前方上手寄りセンター

2008年01月20日 | 歌舞伎
歌舞伎座『寿初春大歌舞伎 夜の部』 1等1階前方上手寄りセンター

世代交代、というものを感じてしまった夜の部です。なにか感慨深いものがあり、個人的に胸に迫るものがありました。

『鶴亀千歳』
箏とお囃子の演奏での舞踊。箏曲ってなぜかおめでたい気分になりますね。女性がずらりと並ぶ姿もなんとなく華やいだ感じも受けます。舞踊もゆったりのんびり。いわゆる見所がある舞踊という感じはしませんが初春の雰囲気は味わえました。

松竹梅に歌昇さん、錦之助さん、孝太郎さん。それぞれ衣装が似合い息の合った踊り。歌昇さんのキレとまるみのある踊りに錦之助さんのすっきりした踊りと孝太郎さんのふんわりした踊りがうまくバランスを取っていました。

尉と姥に富十郎さんと芝翫さん。この二人が出てくるだけでなんとなくおめでたい感じがします。仲の良い老夫婦でほのぼの。それでいて「格」というものが感じられる。存在感がやはりありますね。芝翫さん、とっても可愛い。表情豊かで見ていてニコニコしてしまいます。富十郎さんは品格をしっかり感じられるのが素晴らしかったんですがちょっとお元気が無さそうで…、ひとつひとつの動きにいつもの大きさのある形がなくて…(涙)。


『連獅子』
素晴らしかったです。高麗屋の『連獅子』は物語性が豊かで、演じる時の年齢にあったそれぞれの親獅子、仔獅子を踊ってきますが、今回も今の高麗屋親子の年齢だからこそのものでした。特に今回、親子の情愛がひしひしと伝わってくるものでした。なんというか、親として子を精一杯の愛情で見守ってきたその気持ち。子として親を認め、また年老いた親を労わる、そんな気持ちが伝わってきました。

2年前の『連獅子』でもこの親子の在り方がよく伝わってくるものでしたがどちらかというとライバル心というものも前面に出てたと思います。今回はその部分より、もっと深い親子の在り様がありました。なんだろう、お互いに「親子」という絆を再確認したのかなあと。

幸四郎さん、存在感と貫禄がやはりありますね。腰の入り方、形すべてに親獅子としての貫禄というものを感じさせました。抑制した動きのなかに親の情の部分を極めて明快に演じてきました。前シテ右近では厳しさ以上に子を案じる気持ちが強いものでした。そして、前回と違ったのは親の弱さというものも垣間見せたところでしょう。それは意図せず、だったと思います。60歳を超えるとたった2年でも体力的なものは衰えてしまうのでしょうか、前回、力強さがあった足運びは重々しさのほうが強調され、後シテ親獅子での毛振りは悠然と美しく弧を描きつつも時にしんどそうでもありました。しかし、その姿はまさしく人生を戦ってきた「老獅子」でもありました。ひたすらに生きボロボロになりながらも進んできた、そんな姿をさらけ出していることに私は感動してしまいました。

染五郎さん、踊りが大きい。キビキビとキレがいいだけでなくとてものびやかに空気を掴んでおりました。伸び盛り、という言葉が浮かんでくる、その勢いの良さに惚れ惚れ。前シテ左近では子としての可愛らしさとひたむきさがあり、最初はとても無邪気な仔獅子、しかし何度も突き落とされながら、親がなぜそうするのかを理解しようとしていくかのようでした。どこか気遣うそんな様子も見えました。2年前の『連獅子』ではこの部分、まだ無邪気なままだった気がします。そして仔獅子から若獅子への変貌。時に親獅子を庇い守ろうとするそんな姿でした。後シテで親子が花道に出てきた時、染五郎さんがあたかも幸四郎さんを後からそっと労わっている、そんな風に見えました。それだけ染五郎さんが大きく見えたのです。染五郎さんの獅子は本当に素晴らしいです。手足ののびやかさ、形のよさ、毛振りの時の毛先の鋭さ、見ていてなんとも気持ちがいい。爽やかなエネルギーがそこにある。毛振りは最初は親獅子に合わせゆったりと大きく廻していきます。幸四郎さんが廻しきれなくなるのを見計らうのでどうしても1回多く廻してしまうのですが息はピッタリ合わせてきました。そしてラスト、親を超えていきます。形をどんどん変化させながら勢いよく廻していきます。超えていくから、という気概からでしょう。

毛振りを最後に合わさない、そこに、この親子の在り様がしっかり見えて、胸に迫ってきました。親子というものに焦点をあてて見ると、ほんとに深いものがある今回の『連獅子』でした。

そして今回、緊迫した静かな「間」というものが非常に効果的でした。後シテが出てくる、それを待つ時間、観客が静まり返りました。牡丹の雫を現す音とキリキリっと鼓を締める音だけ。傳左衛門さんは高い声も魅力的ですね。それにしてもこの「間」と「空間」を感じさせることができる事はそうそうないと思う。前シテでの物語性が後シテへの期待感となったのだと思います。そして、獅子の「異」をここまで際立たせて見せるのも高麗屋独特のものですね。

間狂言の松江さん、高麗蔵さんがとても品よくいい塩梅。この二人、対照的な雰囲気でそれがまた可笑し味を感じさせる。


『助六由縁江戸桜』
この演目も華やかでおめでたい感じがしてお正月にはピッタリ。物語を楽しむというよりは役者の役者ぶりや衣装、舞台美術の華やかを堪能する「鷹揚にご見物を」の言葉が似合う芝居です。

この日の河東節の旦那衆は全員女性でした。女性ばかりというのは初めて見たかも。それにしても旦那衆の素人演奏を聞かせるなんて「歌舞伎」で「助六」という芝居がなければありえないですよね。

助六の団十郎さん、相変わらずのおおどかな雰囲気と品の良い茶目っ気。花道での姿も大きくひとつひとつしっかり見せてきます。今回、いつものドーンと来る勢いはあまりなくて全体的に落ち着いた助六でした。随分と大人な感じで、可愛らしい稚気があまり見受けられなかったのが残念。それでも「こりゃまた、な~んのこってい!」は団十郎さんならではの言い回しと雰囲気で思わずニッコリしてしまいました。しかしながら大病後のせいでしょうか、全体的にキレとハリが無かったように思います。疲れが溜まっているのかな?という感じで…。一番気になったのは声。いつもの張りと伸びがありません。元々、口跡は良くない方ですが、自分の艶のある声をうまく使い独特の調子を作り上げ台詞を聞かせるようになっていたのに、それが声の調子が良くないために、リズムが崩れたり口跡が不明瞭になってしまったり…。そのためにいつものおおらかで華やかな圧倒的なオーラが半減ぎみ。まったりした雰囲気が芝居に出てしまったのはそのためかなと。

揚巻の福助さん、あでやかな衣装に負けず、姿もお顔もとっても綺麗です。歌右衛門写しの、と言われていますがその面影が確かに見えます。酔いの色っぽさも十分だし初音の悪態も小気味よく、また人の話を聞く時の性根もしっかりしているし、ひとつひとつの形が思わずため息が出るほど美しい。後半の場の白い打掛けがまたよく似合う。情もあるし、非常に良い出来。福助さんは傾城姿が本当に似合うし、たぶん今のところこういう役が一番のニンだろうと思う。初役とは思えないほど堂々とした姿。しかしながら、一瞬で人を惹きつけるオーラというか磁場がまだ足りないですね。オーラに厚みがまだ足りない感じというか。あれだけ綺麗なのに観客の目を釘付けにするだけの存在感がまだまだ。あと、時々顔を歪めてしまうクセがあるようでせっかくの美貌が時に台無しに…もったいない。あとこの日は台詞の伸びもちょっと足りなかったかな。もう少しメリハリがあるといいと思う。

白酒売の梅玉さん、凄く良いです。品のよさ、柔らかさ、愛嬌、そして兄としての大きさ。なんとバランスのいい十郎でしょう。こういう柔らかさは以前はあまり持ち合わせてなかったように思うのですが梅玉さんは、ここ数年で一皮向けましたねえ。白酒売に関しては文句なし、かなり満足です。

白玉の孝太郎さん、華やかさはないのだけど情味があって品もある。特に台詞が非常に良いです。柔らかさのなかに芯がある。孝太郎さん、着実に成長している役者さんですよねえ。

通人の東蔵さん、ほんとになんでもこなす役者さんですよね。あそこまでやってくれると痛快です。よくぞやってくださいました、という感じです。人が良さげすぎる雰囲気でしたがもっとツンと気取ったところがあるとなお通人らしいかも。

意休の左團次さん、さすがの大きさ。個人的にもっといやらしい感じが欲しいです。最近、左團次さんは人の良さが滲み出てしまって、今回も意休がちょっと可哀相な感じを受けてしまうのです。こいつ悪いやつだなと思わせて欲しいですね。実は幸四郎さんに意休をやっていただきたいのだけど…似合うと思いません?

満江の芝翫さんはもう出てくるだけで存在感が只者じゃない。ただただ納得の母君さまです。兄弟に頭を下げさせる、その貫禄。お見事。

くわんぺらの段四郎さん、朝顔仙平の歌昇さんはいかにもなキャラクターにピッタリで楽しいです。福山のかつぎの錦之助さん、華やかですね。品がよくて喧嘩早い感じはしませんが(笑)

並び傾城は名題の綺麗どころが並びました。いつもだったら配役がもっと豪華なので、今回少しばかり地味かなと思う部分もなきにしもあらずですが皆さん抜擢によく応えていたと思います。台詞が明快だし形もよく整えてきたなあと。。