串田和美演出、松たか子主演『セツアンの善人』がとても評判だった記憶があり、このコンビならばとチケットを取った。
劇場は円形舞台に仕立ててありました。本来舞台になるはずのスペースに客席を作り、その真ん中に役者たちが棒で円形を作り、そのなかで芝居をするという趣向。役者たちは芝居が始まる前からステージにおり、パンフを売っていたり雑談をしていたり。そしていつの間にか芝居が始まっていくという感じでした。また役者たちは出番の無いときは効果音を出したりする裏方としてそのまま円の周りに座っている。観客と円の外にいる役者たちとは境界線がありません。
物語は「芝居をしよう、どんな話がいいかな?」との掛け合いから始まり、即興劇のように始まります。グルシャという娘の話と飲んだくれ裁判官アスダックの二つの話が平行して語られ、ラストその二つの物語が交差します。わりと単純な話と言えば単純で、「捨てられた子供を拾い苦労しながら育てたグルシャと財産目当てで舞い戻ってきた奥方が子供の親権を巡り争い、裁判官はその判決を行なうため母二人に子供の手を両脇から引かせる。その結果の大岡裁き」っていう有名なお話。時代劇でよくやってますよね。あれの元の物語なのです。この芝居のキーとなる台詞があります「恐ろしいのは善の誘惑」。この言葉色々考えさせられます。原作読もうかな。
串田氏が北海道で始めたワークショップの流れから作られていったというだけあってその手作り感や観客と役者の境目のない演劇の作り方は「人が集まる空の元で始まった芝居」というものの原点に戻ろうという試みであったかもしれません。観客を休憩後に青空裁判に参加させたり、ラストの踊りに参加させたりという試みもそのひとつでしょう。これは参加したもの勝ちかもしれません。ただ、やはりそこに参加できない、乗っていけない観客にとっては「芝居で高揚した気分」を醒めさせられることにもなりかねない。これは好みの問題かもしれませんがどうせならもっと何か観客全員を半強制的に参加してる気分を味あわせる何かがあれば良かったのに、と思いました。
またワークショップの流れからなのか役者個々のレベルがかなりバラついているようにも見えました。外国人の役者を使ったことで日本語の台詞がほとんど聞き取れないことがかなり度々。また台詞にほとんど感情が全然のってなかったりもしました。いわゆる棒読み状態。これは演出なのか?ただの実力なのか?ただ、そういう彼らも歌となると俄然台詞がハッキリしてくる。いっそのこともっと歌を主体にしても良かったのではないかと思う。そうすると音楽劇ではなくミュージカルになってしまうのかな?3時間以上の芝居、思ったほどは長さは感じないで済んだものの、ところどころかなりダレました。
捨てられた子供を見捨てられずに拾ってしまう娘グルシャに松たか子。この主役を荷い、物語をまさしく引っ張っていきました。彼女がいるだけで芝居に集中できるんです。一人だけオーラが違う、存在感が違う。これはいったいなんなんだ?と思いましたね。台詞、歌、体全体の動き、顔の表情、そして瞳、すべてがキラキラ光ってるんです。とても思い切りのいい演技と歌声の美しさ、感情の乗せかたのうまさに、「ああ、いい女優さんだなあ」とちょっと惚れ惚れしちゃいました。体の動き方の端々に幸四郎パパにそっくりな部分があるのに驚き。身体コントロールのよさは父譲りなのだろうな。それにしてもよく走ること走ること、訓練されたきれいな体の動きでした。体全身で演じている姿にとっても好感を持ったのでした。
あと、印象深かったのが毬谷友子さん。この方は何役もこなしていたのですが何をやらせても上手い。とにかく半端じゃなく上手い。オーラで目を惹かせるタイプではないように思うのだが、どんな役にもとても印象を残せるタイプの役者さんなのではないだろうか。今回はやはりなんといっても自分勝手な奥方の役が一番強烈でした。一つの役を掘り下げるタイプのキャラをやらせたらどうなんだろう?と思いながら見てました。
もうひとりの主役飲んだくれ裁判官アスダックは演出家でもある串田和美さん。声を潰されていて、かなり美味しい役だと思うのに、いまひとつインパクトに欠けました。味のある雰囲気は良かったのですが、せっかくのいい台詞が伝わってこないのです。なんとなく体調がよくなかったような雰囲気もあったので風邪でもひかれていたのかもしれません。アスダックの出来が良かったらたぶん芝居全体があまりダレることはなかったと思うのです。残念でした。
グルシャの婚約者シモンの谷原章介さんはTV『新選組!』『華岡青洲の妻』でなかなかいい演技をされているのでちょっと期待してたのですが、スタイルも顔もいいのにあまり存在感が無かったかも。、キャラクターとしてはとても合っていたように思うのですが出番が少ないせいもあるけど「おっ」と思わせるものがあまりなかったなあ。ただ、声はやはり舞台でもとても良い声でした。ハリもあるし甘さもあるし、よく通る。もう少し舞台での演技に慣れてくればもっと存在感が出てくるかもしれません。
音楽劇としては生演奏のライブ感と民族楽器を多様したフレーズが印象的でした。歌はもっと多くて良かったなあ。わりと歌の部分が短いんですよねえ。もっと聞かせてくれても良かったんじゃないかしらん。
劇場は円形舞台に仕立ててありました。本来舞台になるはずのスペースに客席を作り、その真ん中に役者たちが棒で円形を作り、そのなかで芝居をするという趣向。役者たちは芝居が始まる前からステージにおり、パンフを売っていたり雑談をしていたり。そしていつの間にか芝居が始まっていくという感じでした。また役者たちは出番の無いときは効果音を出したりする裏方としてそのまま円の周りに座っている。観客と円の外にいる役者たちとは境界線がありません。
物語は「芝居をしよう、どんな話がいいかな?」との掛け合いから始まり、即興劇のように始まります。グルシャという娘の話と飲んだくれ裁判官アスダックの二つの話が平行して語られ、ラストその二つの物語が交差します。わりと単純な話と言えば単純で、「捨てられた子供を拾い苦労しながら育てたグルシャと財産目当てで舞い戻ってきた奥方が子供の親権を巡り争い、裁判官はその判決を行なうため母二人に子供の手を両脇から引かせる。その結果の大岡裁き」っていう有名なお話。時代劇でよくやってますよね。あれの元の物語なのです。この芝居のキーとなる台詞があります「恐ろしいのは善の誘惑」。この言葉色々考えさせられます。原作読もうかな。
串田氏が北海道で始めたワークショップの流れから作られていったというだけあってその手作り感や観客と役者の境目のない演劇の作り方は「人が集まる空の元で始まった芝居」というものの原点に戻ろうという試みであったかもしれません。観客を休憩後に青空裁判に参加させたり、ラストの踊りに参加させたりという試みもそのひとつでしょう。これは参加したもの勝ちかもしれません。ただ、やはりそこに参加できない、乗っていけない観客にとっては「芝居で高揚した気分」を醒めさせられることにもなりかねない。これは好みの問題かもしれませんがどうせならもっと何か観客全員を半強制的に参加してる気分を味あわせる何かがあれば良かったのに、と思いました。
またワークショップの流れからなのか役者個々のレベルがかなりバラついているようにも見えました。外国人の役者を使ったことで日本語の台詞がほとんど聞き取れないことがかなり度々。また台詞にほとんど感情が全然のってなかったりもしました。いわゆる棒読み状態。これは演出なのか?ただの実力なのか?ただ、そういう彼らも歌となると俄然台詞がハッキリしてくる。いっそのこともっと歌を主体にしても良かったのではないかと思う。そうすると音楽劇ではなくミュージカルになってしまうのかな?3時間以上の芝居、思ったほどは長さは感じないで済んだものの、ところどころかなりダレました。
捨てられた子供を見捨てられずに拾ってしまう娘グルシャに松たか子。この主役を荷い、物語をまさしく引っ張っていきました。彼女がいるだけで芝居に集中できるんです。一人だけオーラが違う、存在感が違う。これはいったいなんなんだ?と思いましたね。台詞、歌、体全体の動き、顔の表情、そして瞳、すべてがキラキラ光ってるんです。とても思い切りのいい演技と歌声の美しさ、感情の乗せかたのうまさに、「ああ、いい女優さんだなあ」とちょっと惚れ惚れしちゃいました。体の動き方の端々に幸四郎パパにそっくりな部分があるのに驚き。身体コントロールのよさは父譲りなのだろうな。それにしてもよく走ること走ること、訓練されたきれいな体の動きでした。体全身で演じている姿にとっても好感を持ったのでした。
あと、印象深かったのが毬谷友子さん。この方は何役もこなしていたのですが何をやらせても上手い。とにかく半端じゃなく上手い。オーラで目を惹かせるタイプではないように思うのだが、どんな役にもとても印象を残せるタイプの役者さんなのではないだろうか。今回はやはりなんといっても自分勝手な奥方の役が一番強烈でした。一つの役を掘り下げるタイプのキャラをやらせたらどうなんだろう?と思いながら見てました。
もうひとりの主役飲んだくれ裁判官アスダックは演出家でもある串田和美さん。声を潰されていて、かなり美味しい役だと思うのに、いまひとつインパクトに欠けました。味のある雰囲気は良かったのですが、せっかくのいい台詞が伝わってこないのです。なんとなく体調がよくなかったような雰囲気もあったので風邪でもひかれていたのかもしれません。アスダックの出来が良かったらたぶん芝居全体があまりダレることはなかったと思うのです。残念でした。
グルシャの婚約者シモンの谷原章介さんはTV『新選組!』『華岡青洲の妻』でなかなかいい演技をされているのでちょっと期待してたのですが、スタイルも顔もいいのにあまり存在感が無かったかも。、キャラクターとしてはとても合っていたように思うのですが出番が少ないせいもあるけど「おっ」と思わせるものがあまりなかったなあ。ただ、声はやはり舞台でもとても良い声でした。ハリもあるし甘さもあるし、よく通る。もう少し舞台での演技に慣れてくればもっと存在感が出てくるかもしれません。
音楽劇としては生演奏のライブ感と民族楽器を多様したフレーズが印象的でした。歌はもっと多くて良かったなあ。わりと歌の部分が短いんですよねえ。もっと聞かせてくれても良かったんじゃないかしらん。