京都の大文字の次に成田山の焚き上げで陸前高田の松を使うということに抗議がきたそうだ。どこまでも核ファビアな日本人にはうんざりする。すでに日本国のほとんどは核汚染の影響を受けていると考えてないんだろう。問題は汚染の度合いであり、その数値が若干増えたからという不安があるなら、さっさと日本国から出て行くのが一番安全なんだが。それでも地球上の空気が対流しているからなんらかの影響はあっても当たり前。それ以前に自然における放射能の影響を無視している点で、このファビアたちの異常さ。それにしても海水浴場も危険ってのは海も世界に繋がっているからと考えるなら、放射能どころが化石燃料の影響だって無視はできないんだが。
火による浄化という発想は日本固有の価値観ではない。かつて魔女狩りがあった時代、火あぶりの刑が誕生した理由も火による悪しき者の浄化。科学的に火で燃やして浄化はできないとしても、気持ちとして効果があるなら今回のアイデアは日本独自の価値観を活かした発想だと思う。たぶん、がれき償却による汚染で反対したような人たちが騒いでいると予想する。
日本が持つ価値観は一億総なんとかという個よりも日本国民という集団を重視する。だからあの日本沈没という小説でも日本国領土といっしょに沈むという価値観が表現されている。こういった価値観が暴動を引き起こすまでのパニック感を生み出さないとも言える。
いい加減、被曝の恐怖に怯えるより、放射能による影響をまじめに研究する機会と捉えて臨床医学は予算を政府からふんだくればいいと思う。そして治療法も開発すること。これは今後の世界へどれだけ貢献できるのか。
神が与えた試練とは、我慢して乗り越えるのではないと自分は思っている。
神に似せて作った人間で、知恵の実を食べたという聖書の話にしても人間には知恵があるとしっかり認識している。そして知恵があるから楽園を追放されたという原罪。ここから人間の試練が始まるという価値観がキリスト教圏だ。
日本ははじめから人間が存在していて、神と共存していた国。それも災害が多い国でだ。火山があっても地震が来ても、何故か人間は長い歴史を作るぐらいその土地で生活し続けている。震災の被災地でさえ、ちゃんと津波が来ても安全な高さというような指標も持っていた。日本の知恵とは歴史の蓄積でもある。だから同じ過ちを犯さないという表現を日本人は好んで使う。同じ過ちを犯すことは馬鹿と暗黙で表現をする。
正しい歴史というなら、こういった日本国古来からある知恵の蓄積を学ぶことだろう。特定人物の功績を単に並べ、年数を記憶しても意味がない。必要なのはそれぞれの時代の背景や思想だろう。だから他国から口を挟まれたところでそれを改変するのは歴史を学ぶ意味がないことになる。日本国の繁栄のために侵略戦争をしたのか、生き残るために戦争を選択したのかではまったく意味が違ってくる。日本が必要なのは、日本国としての主張を客観的に冷静に世界に発信することだ。売られた喧嘩を買うにも何も真っ向から対決する必要もない。逃げるが勝ちって日本語があるように逃げながら手を打てばいい。
自国を守る。これは自分の家に鍵をかけて泥棒や強盗から自分や家族を守ることと同じ。国家の繁栄を目的とは別。これをごっちゃにして語るのが戦争反対論者。誰だって死にたくないのにそれでも死を覚悟して戦うのは何故なのか。
国が命令しようが、反対して投獄された人はいる。また国によっては徴兵拒否は重い罰を受ける。何故そうまでして兵士が必要なのかと説明して欲しい。
こちらが平和を唱えたところでどこかの国が強引に日本国へ武力を持って喧嘩を売ってきたらどうするのか。まさか子供と同じで憲法9条というおまじないと唱えたら解決すると考えている訳じゃないだろう?
当たり前のことをさも異常事態と騒ぐ人間ほど信頼がおけないのは古来からの常識。
こういった無駄な騒ぎより起こった事実を受け止めて、それにどう対応するのか、前向きな発想をしなければ日本国はますます日本国民にも外国人にも住みにくい国になっていく。さて、野党政治家は何故被災地の食材を含めた産物への放射能汚染度の安全基準について追求をしないのか。食材管理にしても汚染度について明確な指針を食品管理部門に徹底させて調査すらしないのは何故か。核ファビアがはびこるのは、こういった行動を政府が間髪入れずに取れないことに原因がある。経済産業大臣はお飾りだけでしかないようだ。
放射能の汚染度が何故明確に発表せざる得ないのか。つまり汚染による危険な地域が存在するなら即刻立ち入り禁止として今後の対処を検討すること。
それ以外の地域が安全というなら、それをどう徹底させないと風評による核ファビアは消えない。放射能は怖いくせに外国からの武力攻撃には不安すら感じない日本人ってのは何かがオカシイとも感じる。他国の原発事故による影響はあっただろうが、その後も人間は生きている。動植物も存在している。まあ、癌を含めた影響が心配というなら成人病予防を徹底した方がいいんだろう。義務教育の理科で地球が誕生してから生物が生まれ、進化した過程を教えないんだろうか。太古の地球は放射能どころか宇宙線も相当あった。そういった環境で生命体が誕生し、動植物が生まれた。進化はウイルスという説明もあるが、そのウイルスも放射線や宇宙線による影響は確実にある。
地球上のいろいろなバランスの上に人間がいる。このバランスが崩れるなら人間は生きていけない。いくら恐怖に囚われても、どうにもできない。
むしろ、そういった問題をしっかり認識してどう対処するという能力を人間は持っているはず。戦後の日本は奇跡と言われるような発展を遂げ、80年代に公害だらけで日本は終わりとも言われた。今、日本はどうなっているのか。
人間の底力を舐めてはいけない。
戦争は何故起こるのか。そういったまじめな議論が最近はない。これこそ危険だ。日本国が率先して戦争をふっかけないでも相手からふっかけられたらどうするのか。そろそろ一歩進んで考えて欲しい。また、武力侵略以外も考えて欲しい。これは現実の話であり、自分たちの手で自分たちの生活を守ることだ。
安全も平和も与えてもらうものじゃない。命は重い。だからこそ、いかに生き残るのか。草の根レベルの国際交流が何故必要なのか。思想、宗教や過去の関係を捨て去るとそこには何が見えてくるのか。日本が持ち価値観は世界でも柔軟性に富んでいると思う。だから他国の文化、思想、宗教を抵抗なく受け入れることができる。そしてこれができるのは自国の文化、思想、宗教がしっかりしているとも言える。絶対の正義など存在しないと知って欲しい。
火による浄化という発想は日本固有の価値観ではない。かつて魔女狩りがあった時代、火あぶりの刑が誕生した理由も火による悪しき者の浄化。科学的に火で燃やして浄化はできないとしても、気持ちとして効果があるなら今回のアイデアは日本独自の価値観を活かした発想だと思う。たぶん、がれき償却による汚染で反対したような人たちが騒いでいると予想する。
日本が持つ価値観は一億総なんとかという個よりも日本国民という集団を重視する。だからあの日本沈没という小説でも日本国領土といっしょに沈むという価値観が表現されている。こういった価値観が暴動を引き起こすまでのパニック感を生み出さないとも言える。
いい加減、被曝の恐怖に怯えるより、放射能による影響をまじめに研究する機会と捉えて臨床医学は予算を政府からふんだくればいいと思う。そして治療法も開発すること。これは今後の世界へどれだけ貢献できるのか。
神が与えた試練とは、我慢して乗り越えるのではないと自分は思っている。
神に似せて作った人間で、知恵の実を食べたという聖書の話にしても人間には知恵があるとしっかり認識している。そして知恵があるから楽園を追放されたという原罪。ここから人間の試練が始まるという価値観がキリスト教圏だ。
日本ははじめから人間が存在していて、神と共存していた国。それも災害が多い国でだ。火山があっても地震が来ても、何故か人間は長い歴史を作るぐらいその土地で生活し続けている。震災の被災地でさえ、ちゃんと津波が来ても安全な高さというような指標も持っていた。日本の知恵とは歴史の蓄積でもある。だから同じ過ちを犯さないという表現を日本人は好んで使う。同じ過ちを犯すことは馬鹿と暗黙で表現をする。
正しい歴史というなら、こういった日本国古来からある知恵の蓄積を学ぶことだろう。特定人物の功績を単に並べ、年数を記憶しても意味がない。必要なのはそれぞれの時代の背景や思想だろう。だから他国から口を挟まれたところでそれを改変するのは歴史を学ぶ意味がないことになる。日本国の繁栄のために侵略戦争をしたのか、生き残るために戦争を選択したのかではまったく意味が違ってくる。日本が必要なのは、日本国としての主張を客観的に冷静に世界に発信することだ。売られた喧嘩を買うにも何も真っ向から対決する必要もない。逃げるが勝ちって日本語があるように逃げながら手を打てばいい。
自国を守る。これは自分の家に鍵をかけて泥棒や強盗から自分や家族を守ることと同じ。国家の繁栄を目的とは別。これをごっちゃにして語るのが戦争反対論者。誰だって死にたくないのにそれでも死を覚悟して戦うのは何故なのか。
国が命令しようが、反対して投獄された人はいる。また国によっては徴兵拒否は重い罰を受ける。何故そうまでして兵士が必要なのかと説明して欲しい。
こちらが平和を唱えたところでどこかの国が強引に日本国へ武力を持って喧嘩を売ってきたらどうするのか。まさか子供と同じで憲法9条というおまじないと唱えたら解決すると考えている訳じゃないだろう?
当たり前のことをさも異常事態と騒ぐ人間ほど信頼がおけないのは古来からの常識。
こういった無駄な騒ぎより起こった事実を受け止めて、それにどう対応するのか、前向きな発想をしなければ日本国はますます日本国民にも外国人にも住みにくい国になっていく。さて、野党政治家は何故被災地の食材を含めた産物への放射能汚染度の安全基準について追求をしないのか。食材管理にしても汚染度について明確な指針を食品管理部門に徹底させて調査すらしないのは何故か。核ファビアがはびこるのは、こういった行動を政府が間髪入れずに取れないことに原因がある。経済産業大臣はお飾りだけでしかないようだ。
放射能の汚染度が何故明確に発表せざる得ないのか。つまり汚染による危険な地域が存在するなら即刻立ち入り禁止として今後の対処を検討すること。
それ以外の地域が安全というなら、それをどう徹底させないと風評による核ファビアは消えない。放射能は怖いくせに外国からの武力攻撃には不安すら感じない日本人ってのは何かがオカシイとも感じる。他国の原発事故による影響はあっただろうが、その後も人間は生きている。動植物も存在している。まあ、癌を含めた影響が心配というなら成人病予防を徹底した方がいいんだろう。義務教育の理科で地球が誕生してから生物が生まれ、進化した過程を教えないんだろうか。太古の地球は放射能どころか宇宙線も相当あった。そういった環境で生命体が誕生し、動植物が生まれた。進化はウイルスという説明もあるが、そのウイルスも放射線や宇宙線による影響は確実にある。
地球上のいろいろなバランスの上に人間がいる。このバランスが崩れるなら人間は生きていけない。いくら恐怖に囚われても、どうにもできない。
むしろ、そういった問題をしっかり認識してどう対処するという能力を人間は持っているはず。戦後の日本は奇跡と言われるような発展を遂げ、80年代に公害だらけで日本は終わりとも言われた。今、日本はどうなっているのか。
人間の底力を舐めてはいけない。
戦争は何故起こるのか。そういったまじめな議論が最近はない。これこそ危険だ。日本国が率先して戦争をふっかけないでも相手からふっかけられたらどうするのか。そろそろ一歩進んで考えて欲しい。また、武力侵略以外も考えて欲しい。これは現実の話であり、自分たちの手で自分たちの生活を守ることだ。
安全も平和も与えてもらうものじゃない。命は重い。だからこそ、いかに生き残るのか。草の根レベルの国際交流が何故必要なのか。思想、宗教や過去の関係を捨て去るとそこには何が見えてくるのか。日本が持ち価値観は世界でも柔軟性に富んでいると思う。だから他国の文化、思想、宗教を抵抗なく受け入れることができる。そしてこれができるのは自国の文化、思想、宗教がしっかりしているとも言える。絶対の正義など存在しないと知って欲しい。