米国の東海岸バージニアで地震があった。日本ではパニックするレベルではないのだが、地震を体験したことがない人にとっては恐怖なんてものじゃないらしい。しかし、日本人が海外で地震に遭遇したならば、少々のゆれであっても死に至ると実感させられたのがニュージランドの地震。
この機会に日本の建設会社、設備会社は世界に耐震を売りにしてビジネスをすればいい。手始めに被災地や首都圏の公共建築物を立て直すぐらい考えてもいい。そういえば、日本の原発の耐震性は優秀との評価が米国では高まったそうだ。しかし、管理する人間が駄目だった。最高責任者の政府が何も対応してないのが今回の米国の地震でよくわかった。たぶん、現政府は日本の産業全体を反映しているのかもしれない。みんな手抜きがバレなければ楽と考えているような風潮もある。箍が外れたのかもしれない。
連続12時間勤務のような過酷な労働をしなければ生産が追いつかないというなら、何故きちんと雇用者のワークロードを管理するような法律にしないのか。生産しても利益が出ないという矛盾は、行き過ぎたコスト削減という呪いがあるからだ。世界の景気が全体で低迷しているからといっても行き過ぎたコスト削減は品質を落とす。一度失った信頼は取り戻せない。日本ブランドを維持しなければ世界の市場で日本製品が生き残れる保証はない。シンプルな機能でシンプルなデザインと品質。長く使えるようにアフタケアとしても可能な設計。こうった日本が得意とした部分を捨て去るだけの魅力が何かあればいいが、何もない。安いコストはそれなりの品質とライフサイクルでもいい。しかし、それは結果として薄利多売となり、消費者を価格だけでひきつけるだけだ。DS3Dが価格を下げて売り上げ数が増えたという。しかし、利益としてはどうなのか。こういった専用機がこれからも生き残るのかどうか。長期寿命が保証される製品であれば価格が高くでも購入する価値はある。金がないから安い製品しか買えないという消費者が多いなら製品は発展していかない。金利が安いならローンで販売する方法もあるのだが、収入が安定しないとこれも難しい。結果として雇用率をあげることしか、内需拡大は実現不可能と思えるのだが。
現政権与党の党首選択は小学生の学級委員を選択するよりひどい。なにせボスへ訪問に行くとか、政策論争もなく決まるのだろうか。自民党は政策論争をしてから選択する選挙をしてたと思う。論争させ、質疑もやらせ、その後間髪入れずに投票が一番いい。時間がたてば、長いものの巻かれる人や損得計算で選択する人が出てくる。まあ、事前にそういった談合をしているならどんなに公平なふりをしても無駄。どちらにしても国民の人気だけでトップリーダを選択して失敗しているのだが、まともな人物でまともな政策を考えているいる人を選ぶというのが学習能力がある人間の判断なのだが。
経済回復は雇用増大。そういった点をどこまで企業や経済団体と話ができるのか。とても現政権与党の人間では難しい。なにせ理由もまともでないダム工事の中止、JALや東電という日本企業を、救済ではなく潰すような政策。
本当に企業を育て、雇用を産むなんてことはできる人はいないと感じる。
2年も政権を担って、何も経済政策も雇用政策もできなかった政権。
日本国民も日本の企業や自営業も本気で政治を自分たちのために実施させないと状況は悪化していくばかりだ。政治は誰かに任せるのではなく、自分たちの手でどうにかしないと駄目だ。そのためにはどんな経済政策でどんな雇用政策を出す、どれぐらいの期間でどれだけの経済効果を出すつもりなのか、しっかりと質問したい。雇用率が上がれば税収は増える。経済が安定すれば増税もできる。農業、漁業、林業を生活を支える産業をどう黒字で運営するのか。高齢者数が増大するこれからどうやって高齢者を社会で活用するのか。こういった問題点が即刻効果が出るとは思えない。しかし、いろいろ試してみながら進んでいかないと何も実現はできない。
少子化対策も先ず親子関係の見直しを社会でやっていくしかない。海外では親子関係の絆を修復するキャンプとかいろいろある。それだけ先進国では家族の絆がなくなっているのだと感じる。そして家族の支えがないということはそれだけ孤独で苦しむ人も増えているということだ。今までは宗教や地域のコミュニティーが支えてきたが、どちらも現在は機能してない。世界的に既存の価値観が崩壊したと表現していた人もいる。家族は社会の最小単位の集団。だからこれを土台にしない社会は希薄な人間関係しか生じないという。児童虐待は日本だけの問題ではない。力を持たない子供を守るべき親が虐待をする。動物園やペットが育児放棄をするそうだ。人間だけではない。
騙される、傷つけられるのが怖いのだろうか。孤独が本当にいいのだろうか。いろいろな摩擦や衝突があってもそれでもこの人をいたいと感じないのだろうか。疑心暗鬼は何も生まない。自分を守ることすらできない。
誰かのせい、誰かが悪いと叫んだところで何も変わらない。信頼して裏切られるのが嫌だとか傷つくとか言うが、自分は人を裏切ったことはないのか。
誰もパーフェクトな人はいない。だから宗教が成り立つ。人間は弱い。欲望もある。人も裏切る。しかし、誰かを愛し、誰かを信頼し、強い絆を作ることで強くもなれる。戦後の日本は会社でも家族と同じような絆があった。
まあ、仕事終了後の付き合いは自分はしないタイプだが、コミュニケーションが必要な場合は参加する。特に初めてのメンバーとか日ごろ話したことがない人がいる場合、そういった機会でそれぞれがどんな人が知ることができる。嫌なこともあるが、ほとんどが普通に過ぎる。退屈は平和な証拠。
今が一番どんぞこなら、あせることもない。手が届く望みをかなえるためには何をすればいいのか、考えて行動すればいいだけ。社会に反する行動は社会から報復されるのだから、短絡的な結論ではなくしっかりを確実な方法を考えて行動する。違う方向へエネルギーを費やしても得る結果は何もない。
この機会に日本の建設会社、設備会社は世界に耐震を売りにしてビジネスをすればいい。手始めに被災地や首都圏の公共建築物を立て直すぐらい考えてもいい。そういえば、日本の原発の耐震性は優秀との評価が米国では高まったそうだ。しかし、管理する人間が駄目だった。最高責任者の政府が何も対応してないのが今回の米国の地震でよくわかった。たぶん、現政府は日本の産業全体を反映しているのかもしれない。みんな手抜きがバレなければ楽と考えているような風潮もある。箍が外れたのかもしれない。
連続12時間勤務のような過酷な労働をしなければ生産が追いつかないというなら、何故きちんと雇用者のワークロードを管理するような法律にしないのか。生産しても利益が出ないという矛盾は、行き過ぎたコスト削減という呪いがあるからだ。世界の景気が全体で低迷しているからといっても行き過ぎたコスト削減は品質を落とす。一度失った信頼は取り戻せない。日本ブランドを維持しなければ世界の市場で日本製品が生き残れる保証はない。シンプルな機能でシンプルなデザインと品質。長く使えるようにアフタケアとしても可能な設計。こうった日本が得意とした部分を捨て去るだけの魅力が何かあればいいが、何もない。安いコストはそれなりの品質とライフサイクルでもいい。しかし、それは結果として薄利多売となり、消費者を価格だけでひきつけるだけだ。DS3Dが価格を下げて売り上げ数が増えたという。しかし、利益としてはどうなのか。こういった専用機がこれからも生き残るのかどうか。長期寿命が保証される製品であれば価格が高くでも購入する価値はある。金がないから安い製品しか買えないという消費者が多いなら製品は発展していかない。金利が安いならローンで販売する方法もあるのだが、収入が安定しないとこれも難しい。結果として雇用率をあげることしか、内需拡大は実現不可能と思えるのだが。
現政権与党の党首選択は小学生の学級委員を選択するよりひどい。なにせボスへ訪問に行くとか、政策論争もなく決まるのだろうか。自民党は政策論争をしてから選択する選挙をしてたと思う。論争させ、質疑もやらせ、その後間髪入れずに投票が一番いい。時間がたてば、長いものの巻かれる人や損得計算で選択する人が出てくる。まあ、事前にそういった談合をしているならどんなに公平なふりをしても無駄。どちらにしても国民の人気だけでトップリーダを選択して失敗しているのだが、まともな人物でまともな政策を考えているいる人を選ぶというのが学習能力がある人間の判断なのだが。
経済回復は雇用増大。そういった点をどこまで企業や経済団体と話ができるのか。とても現政権与党の人間では難しい。なにせ理由もまともでないダム工事の中止、JALや東電という日本企業を、救済ではなく潰すような政策。
本当に企業を育て、雇用を産むなんてことはできる人はいないと感じる。
2年も政権を担って、何も経済政策も雇用政策もできなかった政権。
日本国民も日本の企業や自営業も本気で政治を自分たちのために実施させないと状況は悪化していくばかりだ。政治は誰かに任せるのではなく、自分たちの手でどうにかしないと駄目だ。そのためにはどんな経済政策でどんな雇用政策を出す、どれぐらいの期間でどれだけの経済効果を出すつもりなのか、しっかりと質問したい。雇用率が上がれば税収は増える。経済が安定すれば増税もできる。農業、漁業、林業を生活を支える産業をどう黒字で運営するのか。高齢者数が増大するこれからどうやって高齢者を社会で活用するのか。こういった問題点が即刻効果が出るとは思えない。しかし、いろいろ試してみながら進んでいかないと何も実現はできない。
少子化対策も先ず親子関係の見直しを社会でやっていくしかない。海外では親子関係の絆を修復するキャンプとかいろいろある。それだけ先進国では家族の絆がなくなっているのだと感じる。そして家族の支えがないということはそれだけ孤独で苦しむ人も増えているということだ。今までは宗教や地域のコミュニティーが支えてきたが、どちらも現在は機能してない。世界的に既存の価値観が崩壊したと表現していた人もいる。家族は社会の最小単位の集団。だからこれを土台にしない社会は希薄な人間関係しか生じないという。児童虐待は日本だけの問題ではない。力を持たない子供を守るべき親が虐待をする。動物園やペットが育児放棄をするそうだ。人間だけではない。
騙される、傷つけられるのが怖いのだろうか。孤独が本当にいいのだろうか。いろいろな摩擦や衝突があってもそれでもこの人をいたいと感じないのだろうか。疑心暗鬼は何も生まない。自分を守ることすらできない。
誰かのせい、誰かが悪いと叫んだところで何も変わらない。信頼して裏切られるのが嫌だとか傷つくとか言うが、自分は人を裏切ったことはないのか。
誰もパーフェクトな人はいない。だから宗教が成り立つ。人間は弱い。欲望もある。人も裏切る。しかし、誰かを愛し、誰かを信頼し、強い絆を作ることで強くもなれる。戦後の日本は会社でも家族と同じような絆があった。
まあ、仕事終了後の付き合いは自分はしないタイプだが、コミュニケーションが必要な場合は参加する。特に初めてのメンバーとか日ごろ話したことがない人がいる場合、そういった機会でそれぞれがどんな人が知ることができる。嫌なこともあるが、ほとんどが普通に過ぎる。退屈は平和な証拠。
今が一番どんぞこなら、あせることもない。手が届く望みをかなえるためには何をすればいいのか、考えて行動すればいいだけ。社会に反する行動は社会から報復されるのだから、短絡的な結論ではなくしっかりを確実な方法を考えて行動する。違う方向へエネルギーを費やしても得る結果は何もない。